孫達のマキオカ初体験(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日、マキオカネイチャークラブに初めて孫がやってきました。
いつか4歳と1歳9か月の孫達にわたしのやっているキャンプ場を見せたいと思っていたので、ハイシーズンの前の先週、娘と孫達をマキオカに連れて行ったのでした。

今回の旅は孫達にとって初めて尽くし。
3時間も車に乗るのも初めてなら、高速道路を走る車に乗るのも初めて。
助手席のチャイルドシートに座っている4歳の孫(以下、王子)は、大人しく景色を眺めているが、ワクワク感が運転しているわたしにも伝わってくる。

マキオカネイチャークラブに到着すると、王子の目がキラキラ輝き、とってもうれしそう。
かわゆいのう。

センターハウスへ入ると、興味深げに1歳9か月の孫(以下、小王子)が、部屋の隅々まで探検し始めた。
王子は外に飛び出し、待望の木のブランコに乗る。

慎重派の王子は、一人でバランスを取って乗るのは難しいと悟ったらしく、ママと一緒に乗ることにしたようだ。

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次は皆で沢へ探検に行く。
沢に下りる傾斜はツルツル滑り危険なので、動物除けの柵に掴まりながらゆっくり下りるが、王子にとっては初めての大冒険だ。
小王子はママに抱かれて、やっとのことで下り着いた。

水辺を歩いていた王子は、木漏れ日にキラキラ光る小川に手を入れてみる。
初めて触る沢の水の冷たさに驚いた様子だ。

緑に染まった渓谷で、木漏れ日に負けないくらいキラキラ笑う王子と小王子。

辺りにせせらぎの音が響き、谷間に風が爽やかに吹き抜ける。
小王子もママと一緒に、沢沿いの道を楽しそうに歩いて行く。

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しばらく行くと、小さな社のところに軽トラックが停まっているのが見えた。
中から同じ集落のSさんとKさんが降りてきた。

「お孫さんけえ。鹿が取れたから見ろし。」と、にこやかに仰った。
見ると、軽トラの荷台に大きな鹿が横たわっている。

鹿に付いた血に氣が付き、凍りつく王子。

王子には刺激が強過ぎたか?
挨拶もそこそこに、王子達の手を引き、立ち去るわたし達。

しばらくすると、王子が「ねえ、あの鹿死んでたの?」と尋ねてきた。
「うん、農家の人が一生懸命作った野菜を鹿に食べられちゃったから、罠を仕掛けたらそれにかかったんだね。」と答えると「そうなんだあ。」と呟いた。

またしばらくすると、「ねえ、あの鹿死んでたね。」とポツリと呟く。
よほどショックだったらしい。

氣持ちを逸らそうと、道端に生えている桑の木から真っ黒に熟れた桑の実を選び「ほら、桑の実があるよ。これ、食べられるんだよ。」と言って渡す。
「洗わないの?」と怪訝な顔をしたが、「洗わなくても大丈夫。食べてごらん。美味しいよ。」と言うと、素直に口に運ぶ。
「美味しい。」
「そうでしょ?今日は初めてのことがたくさんあったね。高速道路を走ったり、桑の実を食べたり。」
「うん、あのさ、鹿が死んでたね。」
どうしても鹿から離れられない王子。

氣を取り直し「さあ、今日はたくさん遊ぼうね!」と言って、万力公園へ連れて行った。
万力公園は「万葉の森」とも呼ばれ、松や雑木を生かしてつくられた約14ヘクタールの都市公園だ。

公園の名称である「万力」という地名は、その昔、隣接の笛吹川の氾濫に対し「万人の力を合わせたような強固な堤を築けるように」との願いをこめて名付けられたんだそう。
見事な自然林の中に、ふれあい動物広場、芝生の広場、ピクニック広場、バーベキュー広場などが点在する。
無料で利用でき、幼児を連れていくには絶好の場所だ。

夢中になって、遊具で遊ぶ王子と小王子。

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ふれあい動物広場に行くと、ヤギやカピバラ、ベネットワラビー、アライグマなどがいる。
「かわいい!」と駆け寄る王子。

「愛いヤツよのう。そろそろ鹿ショックから抜け出してくれたようだし。よかった、よかった」と思いながら王子と手をつないで先に進むと。
「あ、鹿。」

柵の向こうにつぶらな瞳でこちらをじっと見つめ、微動だもしない鹿たちの群れが。

「・・・鹿、捕まってたね。」
再び呟く王子。
「う、うん。」

鹿たちに遠い目を向ける王子の氣持ちを盛り立てるために「さあ、そろそろフルーツ公園に行こうか!」と、わざとらしいくらい元氣な口調で話しかけるわたしなのでした。

つづく

子孫の(うみのこの) 弥栄継ぎに(いやさかつぎに) 栄えしめ給へと。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

最近、わたしは小さな虹の光の中で目が覚める。
娘が母の日にくれた、スワロフスキーで作った手作りのサンキャッチャーのお陰だ。

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サンキャッチャーとは、太陽の光を部屋にたくさん運びこむアクセサリー。
欧米ではこの「Sun Catcher」を窓辺に吊り下げる習慣があり、「レインボーメーカーRainbow Maker」とも呼ばれ、光のインテリアとしても人気があるんだそう。
風水的にも部屋に太陽のエネルギーの光を与えて、邪氣を払うという。
娘の愛のパワーで、我が家の邪氣は雲散霧消するに違いない。

わたしのブログには頻繁にふんどし息子が登場するが、上に5歳離れた姉がいて、4歳と1歳の男の子の子育て真っ最中だ。

その孫達が可愛いのなんのって。

4歳の孫は性格も優しく穏やかで、幼稚園では人気者でお友達もいっぱいいるんだそう。
登園するとお友達が数人(女子多し)が駆け寄ってくるんだとか。
幼稚園と習い事のバレー教室では「王子」と呼ばれているらしい。

・・・おかしい。
うちの娘と息子は、揃って幼稚園が大嫌いだった。
集団生活が苦痛で、登園時間になるとテーブルの脚にしがみついて、泣いて嫌がった。
幼稚園から帰ってから遊ぶ相手を見つけるのに苦労するような子ども達だったのに。

小・中学校でも「親しいといえる友達をいかに作るか」「グループ分けでいかにしてあぶれることなく立ち回るか」等、人間関係で落ち込んだり悩んでいる姿をしばしば見かけた。

最終的には「一人で大丈夫だと腹をくくれば、学校で怖いものなんてなくなるっ!」というわたしの無茶苦茶な理論を押し付けられ、悪戦苦闘しながら不安定だった時期を乗り切ったのだが。

同じ血が流れているはずなのに、この違いは何だ?

1歳9か月になる下の子は、早くもオムツが取れそうだという。
上の子に比べると、きかん坊になる氣配が濃厚だが、いつも機嫌がいい。
「ママ。」「ママ?」「ママー!」「マンマーーーっ!!」と、全ての言語を「ママ」一語で押し通し、それでもコミュニケーションを成り立たせる凄腕の幼児。

そんな娘と孫達と、わたしはしばしば遊びに出かける。

先日一緒に行ったのは、横浜の三ツ沢にある「なんじゃもんじゃカフェ」。
人氣があるため、外で30分ほど待ったが、ぐずることもなくちゃんと大人しく待っている。
流石だ、我が孫達よ。

ツリーハウスがカフェになっていて、まるで宮崎駿の世界。

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カフェの中はロフトがあり、レトロな雰囲氣のテーブル席が2つ、風通しのよいテラス席が3つあって横浜の中心街が見渡せる。

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風が木を揺らしていく音が聞こえ、時間がゆっくり流れていく。
うっとりと景色を眺める孫。

総じて鑑みるに、孫達はいつも機嫌よく満たされている感じがする。
わたしの娘と息子は、わたし達夫婦の仕事の関係で常に手元には置いていたが、生活が不規則で、なかなか子どもの生活のサイクルに寄り添ってあげることができなかった。

待遇のいい企業で働いていた娘に、専業主婦になったらどうかと提案したのも、その悔いがあったからだった。
娘は学生時代に演劇を始め、大学時代にやはり演劇に没頭しているムスコ(娘の夫)と知り合って結婚し、子どもを授かった。
経済的には不安があったようだが、結局仕事を辞め、子育てと家事に専念した。
幸せそうな孫達を見ていると、娘達の選択は間違っていなかったと思う。

娘夫婦は孫達をコンサートに連れて行ったり、舞台に連れて行ったりして、小さいうちに出来るだけたくさんの「よいもの」に触れさせようとし、自分達も一緒に楽しんでいる。

そして美しいものを見たり聴いたりした思い出は、嬉しかったり楽しかったりした感情の記憶とともに、柔らかい孫の感性の中にしっかりと刻み付けられているようだ。

そんな孫達を「おー、よちよち」と猫可愛がりするのはとっても楽しい。
責任のないべたべたの可愛がり方ができるのはジジババの特権だ。

対して、いい大人になっている娘や息子に、未だに小言を言ってしまうわたし。
つい親として「このままではイカン!なんとかせねばっ」と、考えてしまうのだ。
こういう所が、親が「ウザイ」「うるさい」「メンドクサイ」と言われる所以だと、自覚する今日この頃。

だが娘が躾のために孫を叱っていると「そんなにうるさく言わなくてもいいのにねえ。よちよち。」と、婆バカ丸出しで甘やかしてしまうのは、いかんともしがたい。
しいて言えば、親戚の家の可愛い子犬を可愛がるのと、自分の家で飼っているワンコに対する態度の差か。

自分の家のワンコは、トイレの躾はしなければならないし、嫌がってもお風呂に入れなきゃならないし、叱ってでも吠え癖や噛み癖をなくさなきゃならない。
お金だってたくさんかかるし、死ぬまで面倒をみる覚悟が必要だ。
かかわり方が全く違うのだから、対する態度が全く違っても仕方がないのだ。
そして猫可愛がりしてくれる存在があるっていうのも、いいものなんだよ。

許せ、娘よ。

可愛い孫達よ。
世界は佳きもの、美しいもので溢れている。
存分にその中に身を浸して、味わい尽くして欲しい。

でも長い人生、順風満帆ばかりはあり得ない。
恐ろしいほど理不尽な目に遭ったり、目を背けたくなるほど醜いものが目に入ったりすることもあるかもしれないけれど、「人間万事塞翁が馬」。

人間も世界も状況も、常に変わるものだから大丈夫。
心配しないで人生を思い切り楽しんだらいいよ。

孫達のことを考えていると、日月神示の『子孫(うみのこ)の弥栄(いやさか)継ぎに栄えしめ給えと畏(かしこ)み畏みも白す』という祝詞の文言が頭に浮かぶ。

日月神示だけではない。
古来より神社で唱えられる多くの祝詞で、必ず子孫繁栄祈願の句が述べられるのは、子孫繁栄が往古から代々の祖先等を経て継承されてきた先人の最大の眼目であったからだ。

孫ができて初めて、先人達の氣持ちが本当に分かったような氣がする。
この世での役割が終わって肉体が滅び、あちらの世界に行ったとしても、我が愛する子孫達に手を差し伸べ、身を挺して守りたいと。

今の日本の状況を見ていると「どうかこの国が我々の子孫(うみのこ)にとってよき世界になりますように」と祈らずにはいられない。

つづく

「東国三社巡り」に行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

こうして無事、「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の三社にお礼を申し上げる旅を終えることができた。
「本当に日本をお守りいただき、ありがとうございます」という感謝の氣持ちを込めて。

それにしても、と思う。
あの3月11日に起きた大震災は、わたしにとってそれまでの人生観をひっくり返すものだった。
たぶん多くの日本人にとっても同様だったに違いない。

騒然とした日々の中で、不安に苛まれながらネットから情報を求めている時に出会ったのが日月神示だった。
その中に出てきた「神一厘の仕組み」という言葉は、絶望的で混沌とした世情の中で、わたしの心に一筋の光を差し込んだ。

『「東国三社巡り」に行ってきた(2)』で、震災の一ヶ月ちょうど後に、鹿島の海岸に諏訪大明神と書かれたお札がたどり着いたという話を書いた。
そのお札の大元である諏訪大社で、筒粥神事という儀式が毎年1月14~15日に行われる。

春宮の筒粥殿で米と小豆と葦の筒を大釜に入れて一晩中粥を炊き、十五日未明に筒を割り中の粥の状態で豊凶を占うという神事であり、1年の世相や農作物の豊凶を占う。

2011年の「世相」の結果は五分満点の「三分五厘」という数字。
神事を終えた権宮司が「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出たのです。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」と語り、地元紙などに掲載されたという。

「三分五厘」という言葉は、「三行半(みくだりはん)」を意味し、「神から絶たれる」ことを示すらしい。
この2か月後に東日本大震災が起きた。

2012年、2013年では、「三分六厘」という結果。

そう、一厘増えている。
日常生活ではほとんど使われなくなった一厘という言葉がこんなところに。

この一厘は『日月神示』にいう「神一厘」、つまり、土壇場での大逆転をもたらす一厘という見方ができるという。

ちなみに今年の「世相」の結果は、またしても「三分六厘」。

今日、6月15日午前7時46分に共謀罪も可決されたと聞くし、何かと世情が騒がしい。
(そういえば3・11の起きた時間も14時46分だった)
もしかしたら、日本の歴史の潮目として、3・11と同じくらい大変な出来事が起きているのかもしれない。

「神一厘」というのは日本を救う最後の手段ということだから、とにかく堕ちるところまで堕ちるしかない、とある人は言う。
我々は果たしてこの艱難辛苦を乗り切れるのだろうか。

いや、人知の及ばない神の計画があると信じたい。

それはともかく。

「東国三社巡り」の帰りに、一度も行ったことのなかった「三井アウトレットパーク 木更津」に寄ることにする。
目的はアウトレットパーク にあるという「松戸富田製麺」。

『今や日本一並ばないと食べられないお店、との噂すら流れる松戸の名店、中華蕎麦 とみ田。最近は、行列が問題視されたことや、並ぶお客さんのストレスを軽減させるために、事前に整理券配布を行う予約制が導入されています。ですが、この予約整理券を手にしたとしても、食べられるのは整理券をもらってから数時間後が当たり前。』という「中華蕎麦 とみ田」が運営するお店があるという。

「なかなか来れないところだから是非行ってみよう」と、いそいそと向かうラーメン好きのわたし達親子。

うおー、アウトレットなのに行列ができている!
15分ほど待って、特製つけ麺ができたことを知らせるベルが鳴った。

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むっ、柚子胡椒の効いたパンチのあるお味。

お腹が満たされたわたし達は、近くの大観覧車に乗ることに。
36個のうち4個だけあるという、床も壁も透明なケルトンのゴンドラを選ぶ。

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こ、怖いっ!!
顔が引きつるわたし。

わたしはこれでも若い頃はジェットコースター大好き人間で、怖いもの知らずだった。
なのにこの湧き上がってくる恐怖心・・。
ふんどし息子は全然怖くないという。

年齢とともに死が近づいて来た故のものか。
いやいや、年を取って経験値が上がったせいと思いたい。

わたし達大人は、このまま突き進むととんでもない場所に行ってしまうことを経験値から分かっている。
世界の方向を変えるのは、その恐ろしさを知っている大人達の役目だ。

これから日本はどこに向かうのだろう。
そして未来は。

遠くに光る東京湾アクアラインに、闇のとばりが静かに下りて来る。

つづく

「東国三社巡り」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

息栖神社を後に、いよいよ伊勢女さんの予知夢の中で『フッツのカミでなければもはや止められない』という言葉で登場した、経津主大神(フツヌシノオオカミ)を祀っている香取神宮に向かう。

香取神宮の神様である経津主神(ふつぬしのかみ)のお名前の由来は、太刀でフツと斬る偉大な力をたたえた神名とのこと。
「フツ」って、確かに物を切る擬音としてはすごくリアル。
心の邪心を切り裂いてくれそうで、有り難いと同時に、なんだかコワい。
是非とも日本にはびこる邪なもの達をフッツと斬り倒して欲しい。

平日だというのに香取神宮の駐車場はいっぱいだった。
何とか車を停め、参道に向かう。

参道は左右にお店が並び、客寄せの人もいて、江ノ島や浅草を彷彿とさせる。
鹿島神宮と比べにぎにぎしい感じだが、境内に入ると一転、静かな佇まいになる。

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香取神宮は、鹿島神宮と共に関東の東を護る地域全体の守護神で、仕事・人生に総合的な開運力がある千葉県最強のパワースポットなんだそう。

鳥居を入ってすぐ左手に「要石・奥宮」の木の札があるのでそちらに向かう。
木に囲まれた小さな空き地に、石の柵に囲まれて要石があった。

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鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形だと言われているが、確かに丸い形をしている。
この要石がナマズの尾を押さえてくださっているのね。
ありがたし!

やはり要石はパワースポットとして人氣があるらしく、人が途切れることがない。
震災の際、お守りいただいたお礼を申し上げ、本殿に向かう。

朱色の楼門をくぐると本殿が現れる。
檜皮葺(ひわだぶき)のどっしりとした屋根に、黒を基調とした豪奢な作り。
彩色も鮮やかで重厚感があり、美しいだけでなく力強さを強調している。

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鹿島神宮を静とすれば、香取神宮は動、墨絵と彩色画、簡素と豪華、陰と陽という言葉で表せようか。

本殿の辺りを歩くと、蝶が群れをなして飛んでいる。
「おお、わたし達を歓迎してくれているのね!」と、いつものように自分の都合のいいように考えるわたし。

些細なこと(別々にお参りした結果、お互い迷子状態になった)で喧嘩したふんどし息子の氣を宥めるべく、境内裏にある茶店“寒香亭”に入る。

おっ、なんか昭和のいい雰囲氣。
明治25(1892)年創業という老舗で、ひなびた佇まい。
窓の外にアゲハ蝶が舞い、時おり店内にも紛れ込んできたりするのを眺めながら、のんびり団子が出てくるのを待つ。

その間、店主のおじさんが香取神宮のレクチャーをしてくれたが、なかなか面白い。
しばらくすると名物のよもぎで作る“草だんご”が出てきた。

名物と言われるだけあって、とても美味しい。
甘いものを食べ機嫌の直ったふんどし息子。

ふっふっふ、まだまだ子どもよのう。
もうすぐ28歳だけど。

その後、奥宮へ向かう。
奥宮は少し分かりにくいところにあるので、訪れる人が少ないようだ。
だが、ここは経津主大神さまの荒御魂が祀られている場所。
絶対に外せない。

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やっとたどり着いた奥宮は、御神氣に満ちていた。
人の氣配は少なく、静まり返っている。

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香取神宮の御祭神、経津主大神の根源となるお力を感じる。
こちらでも心を込めてお礼を申し上げる。

ここは不思議な場所だった。
手のひら、足の裏全体がジンジンして、体が下から持ち上げられるような感覚がする。

・・いや、思い込みとかじゃなくて、物理的に感じるから。
しいて言えば、電氣風呂のような?

多分、とても御神氣が強いのだろう。
鈍感なわたしがそうなのだから、感覚が鋭い人は大変かもしれない。

とてつもなく強い存在感のある神様がおわす神聖な場所。
それが香取神宮の奥宮だった。

それはそうと。

昔、香取神宮に参拝するには、船路を表口としていた。
船の着く場所は津宮といって、香取神宮の奥宮から真北に2キロほど進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っているというので、ものはついでと車を走らせた。

利根川沿いの土手に、唐突に鳥居が現れた。

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「香取宮」と彫られた常夜灯があり、かつてここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせる。
氣持ちのよい風が吹きわたり、モーターボートが白い波を立てて走っている。

鳥居は祭神がここから上陸したことに由来すると伝えられ、この鳥居からの道がかつての表参道であったという。
鹿島神宮と香取神宮はこの利根川を挟んで並んでいるらしい。

ふんどし息子がこの地におわす神々に感謝を込め、高らかに法螺貝を吹いた。

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つづく



「東国三社巡り」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

清々しい氣持ちで鹿島神宮を後にしたわたし達。
次は鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれている息栖(いきす)神社に向かう。
(最初に息栖神社、次に鹿島神宮で最後に香取神宮の順番が正しいという説もある)

東国三社をそれぞれ結ぶと直角三角形になるといい、この三社はいずれも富士山とも繋がっているらしい。、
鹿島神宮を出て、車を20分ぐらい走らせると息栖神社に着く。

鹿島神宮に比べこじんまりとしていて、参拝者は少ないようだが、落ち着いた雰囲氣だ。
本殿の手前に茅の輪がしつらえてある。

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茅の輪は、くぐることで禊をして邪悪な穢れを祓い、災難を予防する為のものだという。
そういえば、今は6月。
夏越の祓(なごしのはらえ)のためのものなんですね。

ここ息栖神社の祭神の岐神(くなどのかみ)は、鹿島大神・香取大神の先導にあたった神様。
「天浮舟(アマノウキフネ)」と縁が深い息栖神社は、本殿から見て正面がまっすぐ富士山に向かっているそうだ。

鹿島、香取神宮の祭神が武神であり神剣なのに、息栖神社は武神の乗り物「天鳥舟」であり、両神宮の神体は要石で息栖神社は井戸だという。

何故、息栖神社が皇室直轄の両神宮と一緒に「東国三社」とされるようになったのか。
「息栖神社の御祭神が武神たちを乗せた船の神様だったから」という説があるというが、きっと深い意味があるに違いない。

茅の輪をくぐり、本殿にお参りさせて頂くと、柔らかい空氣が伝わってくる。

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ふんどし息子がおみくじを引くと「大吉」と出た。
「きっと神様が喜んでくださっているに違いない」と、またしても自分の都合のいいように解釈するわたし。

一の鳥居の先には河口が広がり、その近くにご神体といわれる「忍潮井(おしおい)」がある。
鳥居に向かうと、右の家に「猿田」という表札が。
氣を付けて見ていると、この周辺はこの名字が多いようだ。
岐神(くなどのかみ)は先導の神であることから、猿田彦と同一だという説があるというのだが、もしや猿田彦のご子孫の方々なのか?

日本三霊水に数えられているという忍潮井は、人が入らないよう柵に囲まれていた。
利根川の河口の手前に作られており、井戸の中はびっしりと藻が生えていて、魚が泳いでいる。

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『忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸で あり神功皇后の三年(一九四年)に造られた ものと云われ、あたり一面海水におゝわれていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させ 住民の生活の水としたもので、海水をおしのけ て清水が湧出しているところから、忍潮井の 名が付けられたと伝えられている。』

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左右の鳥居の下の水中には「男瓶」「女瓶」と呼ばれる井戸があり、「男瓶」は銚子の形、「女瓶」はやや小振りで土器の形をしているんだそう。
覗き込んでみたが、よく分からない。

この「忍潮井(おしおい)」には伝説が残されている。

『その昔(平城天皇の御宇大同二年四月(八0九年)数キロ下流の日川地区より息栖神社が此の地に移された際、とり残されてしまった男女二つの瓶はあとを慕って三日三晩哭き続けたが、とうとう自力で川を遡ぼり、一の鳥居の下にヒタリ据え付いたと云う。この地に定着して後もときどき日川を恋しがり、二つの瓶は泣いたと云われる。日川地区には瓶の泣き声をそのまゝの「ボウボウ川」と瓶との別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されている。』

ふーむ、後を慕って三日三晩哭き続けたとは、情の深い瓶よのう。
でも、移ったら移ったで元いたところを恋しがって泣いたとは。
可愛いヤツめ。

ネットを漁っていたら、この二つの瓶の伝承にある日川(にっかわ)に、息栖神社の元宮と思われる「蚕霊神社」(さんれいじんじゃ)と呼ばれる神社があり、この蚕霊神社を息栖神社に置き換えて、鹿島神宮・香取神宮を線を結ぶと、正三角形が浮かび上がるという記事を見つけた。

正三角形とな?!
面白い!

東国三社 息栖神社

さらに蚕霊神社の由来に関係する、利根川沿いに下った河口付近の舎利浜(しゃりはま)という場所があるのだが、そこに着いた丸木舟は、なんとあの「うつろ舟」だったというのだ!

うつろ舟についてのまとめ

うわー、確かに『1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)』と書いてある!!

『「うつろ船」は、江戸時代、今の茨城県の太平洋沖に出現したとされる伝説的な未確認物体。
同時代からの文献にはたびたび記されていることで有名な話。
話は、ほぼ全ての資料で同じような内容であり「1803年、不思議な船に乗った、外国人女性が漂着し、船には見た事もないような文字がかかれ、女性は箱のような物を持っていてそれを大事にしているが、漁師達は気味が悪くなり、その女性を船に戻し、漂流させてしまった。」というもの』

「天浮舟(アマノウキフネ)」と「うつろ舟」。
どちらもUFOに関係が深いと言われている。

まさかこんな展開になろうとは!
なんという面白さ!!

やはり息栖神社が、鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれているのには深い意味があったのだ。
妄想はどんどん広がる。

広大なネットの大海原では、時としてこんな面白いカケラを拾い集めることができるのだ。

これだから人生オモシロイ!!

つづく

プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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