「東国三社巡り」に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

急に思い立ち、行くことになった「東国三社巡り」。
朝5時半に起きすぐ出ようとすると、ふんどし息子がパソコンを開いて、今日どのルートで行くか、食事はどこにするか読んでおけと言う。

行き当たりばったりをよしとしているわたしに反して、ふんどし息子は夕べ遅くまで下調べをしたらしい。
「今の時代、ナビはあるしスマホもあるんだから、そんなことは現地に行くまでの間にやって、渋滞に合わないように少しでも早く出発すればいいんじゃないの?」と主張するわたしに対して、ふんどし息子は「高速料金もルートによって違うし、現地でスマホの調子が悪くなることもあるじゃないかっ。」と反論する。

「ちっ、メンドクサイ」(態度悪し)と思いつつ、パソコンを斜め読みするわたし。
結局、鎌倉を6時40分頃出発し、首都高から東関東自動車道に入って潮来ICで下り、鹿島神宮へ到着したのは8時50分ごろだった。

鹿島神宮は、大きな木の鳥居が迎えてくれた。
震災の際、国産の花崗岩の鳥居としては日本一を誇る大鳥居が倒壊してしまった後、境内の森から伐採した樹齢500年から600年の杉の巨木を4本使って再建されたという。

まだ9時前だというのに、境内に観客用のシートが並べられ陣太鼓が用意され、屋台も出ている。
誘導のおじさん達もたくさんいて、何やら落ち着かない様子。

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何事かと思っていたら、どうやら横綱稀勢の里の奉納土俵入りが行われるという。

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土俵入りは3時からだというのに、もう席は埋まり始めている。
「そっかあ、そういうにぎにぎしい日に呼んでいただいたのね」と、いつものように自分に都合よく解釈するわたし。

昔、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が降臨された時、武甕槌神(タケミカヅチノカミ):鹿島大神)と経津主大神(フツヌシノオオカミ):香取大神)が先発して豊葦原国(とよあしはらのくに)を平定した故事に由来し、旅に出る事、門出などの意味を持つ言葉として「鹿島立ち」という言葉があるという。

だからここ鹿島神宮は、願掛けの場所ではなく、人生の転換力をもたらし、邪魔するものをはねのけ進むパワーを授けてくれる神社と言われているのだそう。

これは一昨年鍼灸治療院を開業したばかりのふんどし息子にも、是非「鹿島立ち」をしてもらわなければっ。

楼門をくぐるとすぐ右手に、拝殿・本殿がある。
社殿は通常南向きが多いというが、鹿島神宮は北向きになっている。
まずは本殿にお参りさせて頂く。

拝殿を過ぎて奥参道は、両脇に堂々とした杉木立がそびえ立つ深い鎮守の杜になっている。
いつもは静寂に包まれているのだろう。
入口に「鹿島七不思議」の札があり、そこを通り抜け奥宮へと向かった。

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大鳥居の場所から一直線に延びている奥宮までの参道は、伊勢神宮の森を彷彿とさせる。
本殿は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」の「和魂」(にぎみたま、穏やかな魂) 、奥宮は「荒魂」(あらみたま、荒ぶる魂) が祀られているという。

木立の中に鎮座している本殿の前で、心を込めてお礼の文言を言挙げた。

それはそうと。

「東日本大震災の復興に向けて」という鹿島神社発行のリーフレットに、以下の文章が書かれているという。

『平成23年3月11日の東日本大震災。
国津神の神社である鹿島神宮には地震の予兆がありました。
3月4日、鹿島神宮から東に2キロの高天原の海岸に、52頭の鯨(カズハゴンドウ)が打ち上げられたのです。
住民は海に返そうとしましたが、22頭は打ち上げられたまま亡くなりました。
その一週間後に、この地震です。
わたしたち神主の考えでは、海の底の綿津見神(海を守る神)が使いとして、鯨を送ったと考えています。』

『東日本大地震で鹿島神宮の大鳥居や石灯籠62基が倒れました。そして120キロもある屋根の上の千木も、外れて落ちました。
そして地震からちょうど一ヶ月した4月11日、鹿島の海岸に長さ1メートル30cm、幅20cmの諏訪大明神と書かれたお札がたどり着きました。
調べると、岩手県陸前高田市の気仙町今泉の諏訪神社のお札でした。』

『神主たちは「親潮に乗って流れていた国津神(建御名方神)のお札を、綿津見神(海を守る神)が今までの諍いなどを忘れて、助け合うように鹿島の天津神(武甕槌神)に送り届けたのだろう。」と噂しました。』

『神主の見立てでは「地震を抑える神である私も、二千年に一度といえるこの大災害を抑えることはできなかった。ナマズに問いただしたところ、この地震を起こしたのナマズではなく龍であったとのこと。
千木により神々と連絡していたが、いまは神々とも連絡できない。諏訪に戻りこの大地震の様子を神々に伝えて欲しい。」と伝言しました。
そしてお札は、元宮である諏訪大社に戻されました。』

なんだかスゴイ話だ。
震災の一ヶ月ちょうど後に、諏訪大明神と書かれたお札がたどり着くなんて。

そして暴れたのは、ナマズじゃなくて龍だったんですね。

大地震の二日前は鹿島神宮の大祭が行われていたんだそう。
地震がお祭りの後だったのは御神慮だと地元では言われていたんだとか。
さらに奇跡的に「国宝」や「重要文化財」の損傷はまぬがれたらしい。

いやはや、なんともはや。
ご神意の凄まじさよ。

凄いぞ、日本の神様!!

つづく




「東国三社巡り」に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、ふんどし息子と「東国三社巡り」に行ってきました。

「東国三社」とは「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の三社の総称。
この三社はいずれも歴史のある神社で、特に「鹿島神宮」と「香取神宮」は2000年以上の歴史を誇り、平安時代の頃に「神宮」と呼ばれていたのは「伊勢神宮」と「鹿島神宮」「香取神宮」だけだったのだとか。

実は、わたしが「鹿島神宮」「香取神宮」の名を知ったのは、3・11の後。
実際体験した地震や津波の映像に衝撃を受け、さらに日月神示やいろいろなトンデモといわれる情報を知り、今までの常識や思い込みがガラガラと音を立てて崩れ落ち、呆然としていた頃のこと。

ネットで「伊勢女の春夏秋冬の夢」という予知夢の存在を知った。
「伊勢女」という方が見た夢をネットにあげたものが、3・11の後、あまりに東日本大震災の災害と酷似しているというので、一部で話題になっていた。

一番リアルなのが冬の予言。
『1.雪が舞っていたので季節は冬?。
でも、11という数字が出たから晩秋の11月とする。時刻はお昼過ぎ、午後2時49分で止まる時計。ここにはいそうにない漁師さんっぽい。屋根が瓦ではない。日にちはわからない。
(東日本大震災は3月11日14時46分18.1秒に発生した)
2..いきなり揺れる揺れる長い揺れ。津波10mくらいで道路と家、低い建物が流される。
3..黒い泥と、がれきの山、海岸に真っ黒になった百人の死体が散乱。
4..出てきた数字は48、28,674、022(022は仙台市の市外局番)
5.地名は山田、高田、若林か高林。(陸前高田と符牒)
6...タワーのある六つの建物の建物がいきなり爆発。(原発の建屋か?)』

そして夏の予言。
『冬・春・夏・秋の四部形式でみた初夢のうち、本当に恐ろしいのは夏のような気がする。サーファーや海沿いの民家や道路、電車、ビルまでが津波に飲み込まれるような悪夢を初夢で見た。地域は関東地方で最大震度7。ニノマエ町(二宮町か?)というところ。
津波で流される電車は、横に濃い青い線が二つで真ん中が黄色かオレンジの太い線。その地域は海と山が近く、トンネルの多いような地域。
その他、地名としては「切り倒しが崩落」(切通しか?)「こまちが壊滅、駅前も無残な瓦礫の山」。夏だと思います。時刻は朝のような。電車が混んでいるので平日の朝でしょう。朝だからなのかもしれないですが、サーフィンや海水浴をしている人がまばらなようでした。天気のよい日のようでした。津波にのまれる、嫌な光景でした。津波が電車や都市部の高層ビルまで押し流したり、山にぶつかっていったり。震度7がニノマエマチで、一帯が震度6強。伊勢市も震度6強といったアナウンスが流れた感じでした』

うわー、今読んでもリアルにコワい。

そしてその夏の予言の中に、こんな文章があった。
『フッツのカミでなければもはや止められない。タケダのミカは既にいない。石が溶けてもはや守れない。偽りの都は滅びる。このけがれた地は、ゴギョウの禍いをもって清められる』

「武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」と「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」はそれぞれ、茨城の鹿島神宮、千葉の香取神宮に祀られている地震の神さま。
この二つの神社は、茨城と千葉の県境付近に中央構造線を挟んで、対をなすように建っている。

そして「鹿島神宮」「香取神宮」は、共に境内に『要石(かなめいし)』と呼ばれる石を祀っており、両神ともにその石が地震を抑えているといわれている。
要石は大部分が地中に埋まった霊石で、昔から地中に隠れた根元の部分で地震を起こすオオナマズの頭と尾を打ち付けているだとか、地中でふたつの要石が繋がっていると信じられてきた。

そんなわけで「タケダのミカとは『武甕槌神(タケミカヅチノカミ)』ではないか?そしてフッツのカミとは『経津主大神(フツヌシノオオカミ)』なのでは」
「タケダのミカは既にいない」というのは、鹿島神宮のタケミカヅチノカミが不在になり、要石もその力を失ってしまったことを表現しているのでは?」と解釈され、大いに話題になっていたのだった。

こんなきっかけで「鹿島神宮」「香取神宮」「武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」の名前を知ったわたし。
まあ、「スピ系おばさん」の面目躍如とでも申しましょうか。

当時から「いつかこの日本をお守りいただいたお礼をしたい」と思っていた。
一昨日、ふんどし息子に「どこか行きたいところない?」と聞かれ、そのことを思い出し「あるっ。」と元氣よく答えたわたしなのでした。

つづく

母が冥途に行きかけた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと「母が冥途に行きかけた」を書き終え、ホッとしたわたし。
だが、今朝母に電話をすると「昨日、知り合いの薬剤師の娘さんからK病院について酷い話を聞いた」という。

その薬局を利用している奥さんが「うちの主人は、あの病院に殺されたの」と仰ったんだそう。
その方のご主人は、K病院に緊急搬送され受け入れられたにもかかわらず、ベッドに空きがないと言われ、廊下で寝かされ、そのまま一日経ち、廊下で息を引き取られたのだという。

ふーん、それが「救急車を断らないことをモットーに、年間で約7,000台以上の救急車を迎え、救急を要する患者さまの診療を24時間体制で行っています」という病院の実態か。

そういえば、知人のおじさんがK病院を退院する際「ここでやられたことは一生忘れないからな」と看護師に捨て台詞を吐いたとか(いったい何をされたんだ?)、やる必要のない手術をされ大変な目にあったご近所の女性の話とか、凄まじい噂にことかかない。

なのに、何故か「K病院 口コミ」で検索すると評価3,7。

「患者の訴えを本人が納得いくまで聴いていただける」(え?医者はろくすっぽ診察にも来ないのに?)
「病院自体の管理システムがきちんと出来あがっておりそれが実行されておりその結果もきちんと壁にレポートされていました。安心できます」(この書き方、ホントに患者が書いたのか?)
「食事もそれなりに美味しかったのを覚えています」(絶対ウソ。もし本氣なら味覚障害者)
「外来で待っている時も救急車での搬送も多く、緊急対応にも応えてくれる医療機関だと思います」(引き受けはするけれど、その後の対応がオソロシイ)

ところがGoogle のクチコミになると、様相が一変する。
レビューはかろうじて2,5になってはいるが、「これは本当に一般の方が書いたんだろうな」という口コミの評価はほとんどが1。
かなり実態に近いと思われる。

「急患として運ばれた際、脱気のための応急的な処置と水封ドレーンをつけられ、そのまま入院。穴が塞がるまで様子を見るとのことでした。しかし、夏だと言うのに、病室の空調は最悪で、寝汗をかくほど暑く、ドレーンは大気圧のまま放置で、うまく脱気せず、胸が苦しくなるときもあり(後で知ったのですが、陰圧をかける装置を普通はつけるそうですね)、地獄のようでした」(ここにも地獄出現)
「入院中、点滴が長引きお昼ご飯を遅めに食べてたら、看護助手のオバサンに食器をかたずけられた。半分くらいしか食べてなかったのに自分達の都合で下げられショックでした。二度と入院したくない病院です」(さもありなん)
「事故で行ったら写真とられただけで、会計8万でした。夜間診療高すぎない?」(そりゃ救急搬送断らんわ)
「救急車に運ばれた病院でしたが、他の病院と病名が違い救急隊員が心配する程。なぜか瞳孔開き激痛なのに待たされ、呆れる病院」(救急隊員も知ってるね、きっと)
「他の科はわかりませんが総合内科は最悪でした。病院の受付もやる気無さそうだし態度悪いしもう二度と利用したくありません。あの病院は老人には優しいけど自分のような若者には態度が最悪です。特に若い方は利用しないことをおすすめします。」(いや、老人にも最悪です)

口コミって当てにならないとは思っていたけど、確かにこのご時世、しっかり情報収集しないと騙されちゃう。
世の中トラップだらけだから、重々注意しないと後悔する羽目になる、と学習した。

もちろん外来患者と入院患者の違いもあるだろうし、かかる科や担当のドクターによっても違いはあるだろう。
物事に対し、一方的な見方は危険だということも知っている。
ある人にとっては最悪でも、ある人にとっては素晴らしいところだということだってあるだろう。
どんな病院でもいろいろな評価があるのは当たり前だし、それをいちいち目くじらを立てて取り上げるのもいかがなものか、とも思う。

それにしても、だ。

実際見聞きしたあの病院の出来事は、「医療」というにはあまりにもお粗末で、あきれ返るものだった。
いや、意外に医療の世界では特別なことではないのかも。

わたし達は「現代医学」「先進的な医療技術」というスマートな言葉や外観に惑わされてきたが、その実態は思いの外、いびつで寒々しい荒野のような景色が広がっているのかもしれない。

今回、K病院についてあれこれ書いたが、実は書くべきかどうか迷いがあった。
が、 「救急指定病院で、しかも地域医療支援病院の承認を受けるなど、社会的にデカいツラしてるくせに(言葉悪し)、誰にも何も言われないのをいいことに、あんなヒドいことを日常的にしているとは。許せんっ」という氣持ちが強くなり、書くことにした。
(もちろん社会正義などという高尚なものではなく、「うちの母に何してくれちゃってるの?フザケルナ」という私怨ですな)

本当だったら実名で書きたいくらいです。

でも考えてみれば、自分の健康を人様に頼って維持しようというのも図々しいと言えるのかもしれない。
そりゃ親兄弟でもないのに「誠意に満ちた思いやりのある世話をしてくれ」という方がどうかしている。
赤の他人に自分の体の状態を丸投げしておいて、そんなことを求めるのは虫がよすぎないか。
言い方は悪いが、医療者から見れば、患者は仕事上の1ピースに過ぎないのだから。

だが、「病院に行けば必ず病氣がよくなる」「医療者なんだから、ちゃんとわたしが健康になるよう努めてくれる」という刷り込みは、病院経営者にとって好都合だ。

近頃、わたしは検診にも行かないし、病院にも一切行かない生活を送るようになった。
レントゲンやCT、血液検査もやらなければ、もちろん予防注射もしない。
「もっと自分の体を大事にしなければ」と思う人もいるだろうが、大事にしているからこその選択だ。

如何に医学会がいい加減で、金儲けに身をやつしているかが如実にわかる例は、血圧の基準値の改竄だ。

1970年代以前、「年齢数に90を加えた数字よりも低ければ、血圧は正常」という診断法が主流であり、1987年の高血圧の基準値は180 mmHgだった。
今では老いも若きも血圧の基準値(正常値)は、年齢に関係なく130 mmHgとされる。
血圧は年齢とともに上がるものなのに。

ということは、年取って病院に行けば、日本人は全員薬を飲まされるってことですな。
アホクサ。

何も知らなかったわたしは、主人が亡くなった後、血圧が高めの日が続き「お守り代わりに飲みましょう」と、医者に軽く言われるままに降圧剤を飲み始めたが、後で一生飲み続けなければならないことを知り、愕然とした。
後に、降圧剤は認知症の原因になりうると聞き及び「脳梗塞よりボケ老人になる方がコワいわっ!」と、自己責任で止めた。

以前は毎日血圧を測っていたのだが、今は「血圧が高そうだな」と思っても、血圧計で測ることすらしなくなった。
測ったところでいいことは一つもないから。

わたしは対処法として、玉ねぎをスライスし、しばらくしてから酢醤油で戴く。
さらに息子に教わった、耳と喉にある「血圧を下げるツボ」をぐいぐい押しまくる。
とにかく塩梅よく症状をやり過ごすことに専念する。

とにかく「病院に出来るだけ近寄らない」というのが、わたしの健康法だ。
「自分の身は自分で守らなければならない」という使い古された言葉が、現代ほど必要とされる時代もないのかもしれない。

「わたしにとってわたしは『ただの1ピース』ではなく『全て』なのだから、神様に戴いた命を全うするためにも、最善を尽くそう」と心に誓うわたしなのでした。


つづく

母が冥途に行きかけた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

夕方5時、約束の時間にナースステーションに向かう。
母の主治医は、人のよさそうな中年の男だった。

母をできるだけ早く退院させたいこと、そのために自分でトイレに行けるようにして欲しいこと、万が一何かがあっても胃ろうや気管切開などの処置はしたくないことなどをお話する。
主治医は「そうですね。オムツは人間としての自尊心を傷つけますから」と言ってくれ、近くにいたナースに「この患者さん、ドレーンはやってないんだろ。今日からトイレに行くようにしてあげて」と言った。

その時のナースの反応、皆さんにもお見せしたかった。
間をおいて「・・はあ、わかりました」と渋々言い(わたしにはそう見えた)、ナース同士目を合わせる。
「えー…、メンドクサイ。誰がやると思ってんのよ。」という心の声が聞こえてきそう。
「何、簡単に言ってくれちゃってんの、このオッサン。そんなことをすることになったら、仕事が増えちゃうだろ」と言わんばかり。

そういえばお年寄りばかりいるこの階で、何故かトイレに付き添われている人を見たことがない。

この後、母は胃潰瘍があることが分かり、その治療のため退院時期が延びることになった。
わたしは母に「このまま入院が長くなったら大変だよ。頑張って早く退院するようにしなきゃホントに冥途に行くことになっちゃうよ。」とはっぱをかけた。

母は「自分の人生、今が正念場!」という意識が芽生えたらしく、頭の方はどんどんクリアになっていく。
さらにオムツを付けられ歩くこともできず、すっかり足の筋肉も衰えてしまったことを自覚し、こっそりと寝ながら足を上下するなどのリハビリを自分なりに開始した。

そんな母は、わたしが病院に見舞いに行くたびに、この病院の実態を事細かに伝えてくる。(いわゆる「チクる」ってやつですな)

「ここは本当に地獄だよ。前に寝ているあのおばあさん、オムツを変えてほしいって言うんだけど、看護婦さんは『忙しい』と言って全然来てあげないの。そうすると『看護婦さ~ん、オムツ変えて~』って、一時間ぐらいずっと言っているんだけど、無視。そのうちオムツを変える時間が来て、一斉に部屋の人全部のオムツを変えるんだけど、寝ている人を起こしてまで変えるくせに、そのおばあさんは一番後回しにされちゃうんだよ。ありゃ、いじめだよね」
「わたしもオムツが湿っていて氣持ちが悪いから変えてほしいっていうと『3回は大丈夫だから、オムツの中でしてください』って言われるの。でも湿っているから冷えちゃうし、本当に不愉快」
「親切な看護師さんもいて、その人にトイレに行くようにしたいからパンツ式のオムツに変えてもらったんだよ。そうしたら別の看護師が『そんな必要はない』と言って、そのパンツをむしり取るようにして脱がされた」
「看護婦さんを呼んでも、ちっとも来てくれない。時間を計ったら1時間半も待たされていた」
「普通の病院は、毎日じゃないにしても医者が回診するのに、ここはそれがない。医者はちっとも顔を出さない」

母は入院のベテランだ。
今まで病氣や怪我、事故等で10か所ほどの病院にお世話になっている。
その母をして「最低だ。地獄だ。」と言わしめるK病院、恐るべし。

母は看護師に頼るのを止め、秘かに我流のリハビリを開始するとともに、こっそりと看護師達の言動をチェックし始めたようだった。(母にとっては病院で世話してくれる人はすべて看護師と認識しているので、助手かもしれない)

「ここの看護師は本当に質が悪いね。言葉遣いも乱暴だし。看護師に『おばあさん、タバコ吸うの?』と聞かれたから『吸うよ。娘と孫にアイコスをもらったから、時々それも吸う』って言うと 『それ、持ってきてよ。ちょうだいよ』と言うんだよ」
「隣の病室で『家に帰りたい』って騒ぐ人がいるんだけど、その人に対して『うるせえ!静かにしろよ!!』ってすごい乱暴な言い方で脅すんだよ。そうするとその人は余計泣き叫ぶ。まるで暴力団みたいだよ」
「この前、ナースステーションのそばの部屋に移されたとき、夜中あんまりうるさいから文句を言ったんだよ。なんかパーティみたいなことをやってるから。そうしたら「この病院を選んで来たんだから、ここのやり方に従ってもらう」と言われたんだよ。年寄りの病棟で文句を言う人がいないからやりたい放題だ」

わたしは最初この話を聞いた時「病院でパーティって・・。そんなワケないだろ。まだらボケか?」と疑った。
でも、どうやらそうともいえないらしい。

確かに見舞いに行くと、隣の病室から叫び声が聞こえ、看護師の大きな声が聞こえてくる時がある。
見舞客のいなくなった老人ばかりの病棟は、夜になると看護師たちのやりたい放題という可能性はあると思う。
それって、ある意味そこらへんのホラーよりも怖い氣がする。

この病院の老人病棟が、一部男女同室なのにも驚かされた。

効率が優先なのか?
年寄りは性なんて関係ないのか?
オムツの脱ぎ着や清拭もある病室で、カーテンがあるとはいえ、いかがなものか。

手のかかるお年寄りを預かってもらっているのだから、家族からは苦情なんて出ないに違いない。
もちろん本人たちは固く口を閉ざしている。
看護師達に日常的にお世話になるから、黙らざるを得ないのだろう。

大金が病院に支払われているにもかかわらず、我慢を重ね、肩身の狭い思いをしているお年寄りの姿は、もしかしたら何年後かのわたしの姿だ。

今回わたしの書いたことが、一方的な物言いであることは承知している。
わたしや母の見聞きしてきたことは、医療の本質とは程遠いものであるのかもしれない。

「病院経営は大変なのだ」「医療現場は慢性的な人手不足で、医師も看護師も心身ともにすり減らしているのだ」「何も知らない人間が、勝手なことを言うな」などというお叱りのご意見があるのを承知の上で、今回この文章を書いている。

もちろん世間は良心的な病院が大多数なのだろう。
でも、こうした入院患者の現実があるのも事実だ。
これが救急指定され、「安心と思いやりの医療」がモットーの、社会的に認知された病院の実態なのだ。

「病院に行きさえすれば病が良くなり、最善の処置をしてもらえるはず」と信じ込んでいる現代人。
それは大いなる錯覚だ。
ある意味、現代医療に対する思い込みは信仰に近い。

「医療者は常に病人の体にとっていいことをしてくれるものだ」という考えは幻想であり、勘違いだ。
「医療者は常に病院の利益と自分の都合や立場にとっていいことをするものだ」というのが正解なのではないだろうか。

結局、母は病院でのリハビリを断り、3週間で無事退院できた。
だが、もしあのままオムツを外せず、筋肉が衰え、ボケ症状が出て、そのまま冥途に行くことになったとしたら、どうだろう。
不屈の根性で幸せを勝ち取り「わたしは幸せ」と言っていた母は、あの世で猛烈に悔しがり後悔したに違いない。

終わりよければすべてよし。
逆に言えば、終わり方に納得がいかなければ、冥途の旅路はつらいものになるはずだ。

「・・・やはり野垂れ死んだとしても、病院にはできる限り行かないからね。」とふんどし息子に呟いたわたしなのでした。

つづく

母が冥途に行きかけた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

脱水症状で入院した途端、オムツをはかされ拘束具を付けられ、ただ昏々と眠り続ける母の姿を見て、「とにかくできるだけ早く退院させなければ」と、強く心に決めたわたし。

入院して3日目、まだ母は眠り続けている。
声をかけてもうっすらと目を開けようとするが、また深い淵に引きずられるように眠ってしまう。
不安になり足に刺激を与えると、痛がるそぶりを見せたので少し安心する。
ふんどし息子が足をマッサージしてあげると、やっと表情が変化した。
こんな状態でも薬を使っていないと言うのだろうか?

「これはできるだけ早く主治医に話をしなければ」と思い、ベッドの上の主治医の名前が書いてあるはずのプレートを見る。
・・ない。
どこの病院にもある担当医のプレートが白紙のままだ。
「入院して3日も経つのに」と訝しく思い、周囲のお年寄りのプレートを見ても、誰一人主治医の名前が書かれていない。
何故だ?

看護師に「主治医の先生とお話ししたいんですが」と言うと「先生は土、日はいらっしゃいません。」という返事。
できるだけ早くお話させて頂きたい旨、伝えておく。

入院4日目、夕方5時に主治医と話ができると連絡が入る。
昼頃行ってみると、やっと母は意識を取り戻し、会話ができる状態になっていた。
ただ入院前と違い、目に力がない。
話をしていても、入院直後からの記憶がぼんやりしている。
そして未だにオムツをはかされたままだ。

食事が運ばれてきた。
何だ?これは。

お粥とデザートのゼリー以外は正体不明だ。
緑のゲル状の物や得体のしれない糊状の物体が、プラスチックのプレートにのっている。

看護師が「あまり食欲がないみたいなんですよ」と言うが、そりゃそうだろう。
見た目だけでなく、食べ物の匂いすらしない。
「じゃあ、あなたが食べてみてください」と言いたくなるような代物だ。

「これは消化力がない母だけのメニューなのか?」と思い、周囲を見回すと、ほかのお年寄りもお粥がご飯に変わっているだけで、同じものを不味そうにつついている。
病院食に期待なんかする人はいないだろうが、それにしてもあまりに酷い。
食べ物を食べさせて元氣にしようという意思は、一切感じられない。
というより、元氣にさせないための嫌がらせか?と、勘繰りたくなる。

でも、仕方がない。
食べ物を口から食べられないと、退院はおぼつかないだろう。

看護師に「この緑のものは何なんですか?」と尋ねると「分かりません」という返事。
分からないものを食べさせているんだ・・。
「栄養士に聞いて来ますね」という言葉もなく、そのままになった。

まあ、患者が何を食べるのかなんて興味も関心もないのだろう。
(ちなみに夕食時に行ったら、また同じもの(緑のゲル状料理)が出ていた。母に言わせると、毎食近く出ていたとか。どうやらここの得意料理(?)らしい。そしてしょっちゅう出ているメニューなのに、看護師はそれが何か知らない。)

「とにかく食べさせなければ」とスプーンを口に運んだが、母は「不味いから食べたくない」と言って横を向いた。
うん、見るからに不味そうだし、得体の知れない物を無理に食べさせられるのは、拷問や苦行に近いよね。
わたしだって味見すらしたくない不気味なものなんだから。
「とにかく食べないと退院できないよ」と言い含め、何とか少しだけ食べさせた。

母に「主治医の先生はどんな人?」と尋ねると「今まで一度も来ていないし、会っていない」という驚きの返事が。

一体どういうこと?
単純に母は眠っていたから知らないだけなのか?
そうだとしても、入院して4日も経つのだから、本人の意識状態を見るためにも患者が起きているときに来て、話くらいはするだろう。

一旦実家に行き、蜂蜜、調味料を持ち込み、娘の作ってくれたうどんを母に食べさせると「美味しい」と言って、完食した。
植物が水を吸うように、見る間に元氣になっていく母。
やはり人間、食べ物を食べないとダメなのだ。

この病院は救急指定もされている社会的に認知された立派な病院だ。
案内には「横浜市の民間病院の中でも1・2を争う急性期病院です。救急車を断らないことをモットーに、救急を要する患者さまの診療を24時間体制で行っています。」「安心と思いやりの医療」「良質で信頼される医療」との謳い文句が書いていある。
だが、現実とのこのギャップは何だろう。

この後、根性と氣力で立ち直った母の口から聞いたこの病院の現実の姿は、さらに驚くべきものだった。

つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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