ステロイド剤で治らなかった皮膚炎がオロナイン軟膏で治った!(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

去年、わたしの体にいいことが一つあった。
それは30年来悩まされていた耳の後ろの皮膚炎が治ったこと。

そもそもは20代の頃、お洒落のために安物のイヤリングをしょっちゅうしていたのがいけなかったと思われる。

ある時、金属アレルギーのような症状が出た。
強い痒みがあり、掻いてしまうとグジュグジュと炎症を起こしてしまう。
しばらく様子を見ていたがなかなか治らなかったので、医者に行くとリンデロンVG軟膏を処方された。
リンデロンVG軟膏はステロイド塗り薬であり、ごく一般的な処方だ。

しばらく塗り続けるとあっという間にキレイに治ったので「さすが医者の処方は違う。もっと早く来ればよかった」と思った。
が、喜んだのもつかの間、一か月過ぎると、何故かまたもや皮膚炎の症状が出始めた。
同じ薬をまた塗る、治る、また再発する、を何年か繰り返した。

医者を変えてもやはり必ずステロイド剤が出る。
それはそうだ。
何といってもステロイドは現代医学では万能薬であり、常識的な処方なのだから。

近年、ステロイドの副作用を知り、自然療法で治らないものかと試行錯誤し出した。
シャンプー、リンスを止め、枇杷の葉エキスやドクダミエキスを塗ったり、ヨモギの葉を貼ったり。

が、世の中そうそううまくいくわけもない。
痒みが強くなったり、グジュグジュしたり、範囲が広くなったり小さくなったりと、皮膚炎は一進一退を繰り返すのみ。
むう、やはり自然療法では無理があるのか?

一昨年、駅前に評判のよい皮膚科があると聞き及び、一氣に治してみようと思い立ち行ってみた。
早朝に診察券を出したが、待合室は人で溢れている。
世の中はこんなにたくさん皮膚で悩んでいる人がいるのね。

でも、30年来の皮膚炎を治すべく、辛抱強く待つ。
診察を受けることができたのは午後。

親切そうなドクターは「ステロイド剤の副作用を心配し、弱いものを漫然と塗っても効果はないのです。強い種類のもので一氣に治してしまいましょう。一般に副作用を心配するあまり、塗る期間が不十分な場合が多いので、また皮膚の状態を診て次の治療方針を決めましょう」とおっしゃった。

おおー、流石人氣があるだけあって説得力のあるお言葉。
そっかー、強い薬で一氣呵成にやっつけるのね。
言うとおりにいたします。
付いていきますとも!
治してください、先生様!!

で、結果はというと。
薄々お察しかと思いますが。
・・・再発いたしました。

な、なんなんじゃあっ!
ステロイド剤のヤツめ!!

氣のあるそぶりをしつつお金を貢がせた挙句、モノになるまでもうチョイと見せかけて、陰で凶悪な含み笑いをする美人局のようじゃないですかあ!!

散々盛り上げておいて何年もお得意様を引き留める、凄腕の性悪女との腐れ縁のよう。

短期間の服用での劇的な症状の改善効果があるステロイドは、その分、長く使い続けることには大きなリスクが伴う。
ネットで見ると、皆長期使用に悩んでいる。

が、結局なんだかんだ言っても長期使用をしてしまっている様子が見てとれる。
治ると見せかけて完治はせず、そのうちそんなひどい仕打ちも当たり前に思えてしまう。

中には「ステロイド剤はとてもいいお薬です。わたしは30年も使っています。何故そんな酷い言われようをするのか分かりません!」なんてヒステリック氣味に書いている方も。
それって「マー君はいい人なんだからね!30年、結婚はしてくれないけど優しい時もあるし。ちょっとはお金の援助をしてるけどそれはわたしのためだし。知らないくせにヒドイこと言わないで!」と叫んでいるダメンズと同じじゃないですかあ!

そして非常に簡単に赤ちゃんや子どもにも処方されているステロイド剤。
ホントに大丈夫なのか?
安易に使い過ぎているんじゃないのか?

とはいえ、氣になる症状を何とかしたいというのも事実。

わたしもいろいろやってみた。
が、もう手立てがない。

すると鍼灸師のふんどし息子が「瀉血をしてみたら?」と言って、やり方を教えてくれた。
右耳の下に傷を付けると、驚くほど黒っぽい血がたくさん出た。
こういう血を東洋医学では「悪血(おけつ)」と言うんだそう。

おおー、なんか30年溜まっていた悪いものが一氣に出た感じ。
これで治ってくれるといいんだが。

が、残念ながら症状はそこまで変わらなかった。

「あー、もうなんでもいいや。これが原因で死ぬとも思えないし」とヤケクソになり薬箱をひっくり返していると、古いオロナイン軟膏が出てきた。

・・・懐かしい。
そういえば90歳で亡くなったばあさんは何かあるたびにいつもこれを塗っていたっけ。
ステロイドを塗るぐらいなら、これでも塗っとけ。
消費期限は過ぎていたが(常識人はマネしないように)塗ってみた。

翌朝。
何ということか、ばあさん愛用のオロナイン軟膏を塗った右耳は赤みが消え、症状がいつになく改善していたのであった。

オロナイン軟膏、いったい何者?!

つづく

ウソだらけの血圧、コレステロールにだまされるな!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

わたしが降圧剤を止めて4年半になる。

主人が亡くなった後、血圧が高めの日が続き「お守り代わりに飲みましょう」と、医者に軽く言われるままに降圧剤を飲み始めたが、後で一生飲み続けなければならないことを知り、愕然とした。
後に、降圧剤は認知症の原因になりうると聞き及び、「脳梗塞よりボケ老人になる方がコワいわっ!」と、自己責任で止めた。

今にして、その判断は間違っていなかったと思う。

最近youtubeで武田邦彦教授のお話を聞いて、利権によって翻弄されるわたし達の愚かさがよく分かった。

かつては(といっても、わたしの若いころ)年齢+90が適正な血圧と言われた。
が、いつの間にか「血圧の正常値」は年齢に関係なく130以下となっていて、「低ければ低いほど良い」という常識がまかり通るようになった。

ところが、ホントは健康な日本人の平均は148とのこと。
実は、3年ほど前に人間ドッグ学会が「健康な人の血圧」を調べ、正常値はほぼ「150以下」ということを発表しているんだとか。

おい!
もっとTVや新聞を使って大々的に発表せんかいっ!!
わたしの周りでその事実を知っている人はほとんどいないぞ。

『現在の指導血圧(130ミリ)は年配者にとって健康を害するほどの「低い血圧」なのです。血圧は「低い方が良い」のではなく、「適度な血圧が望ましい」ものだからです。国民の約半分が「病気」になるという奇妙な基準なのです』
『今の基準のように130以上は高血圧とすると、50才以上の日本人の半分が「病気」ということになります。人間の体は自らが調整する力を持っており、必要も無いのに降圧剤を服用することは勧められることではありません』
『端的に言うと、今の「高血圧騒動」は「国民の健康」を犠牲にして「薬の販売」を優先するというお金中心の社会から出てきたものです』

基準を変えることによって、国民の半分に薬を処方できることになったとは。

あー、さもありなん。
怒りがふつふつと沸いてくる。

しかも「血圧を下げるために減塩をしろ」というのも、ほとんどウソ。
食塩を取ると血圧が上がる人は日本人で5人に1人なのに、誰もが減塩すれば血圧が下がると錯覚させた。
ちなみに食塩を摂る量では全国で上位である長野県の男性の平均寿命が日本の都道府県の中でもっとも長いんだそう。
塩、寿命に関係ないじゃん!

武田教授のyoutubeを観ていて一番あきれたのはコレステロール値のインチキさ加減。

現在厚労省が示している総コレステロールの制限値は、140から199。
(200と言わないところがセコい。これを決めたヤツの人柄がよく出ておる)

実はコレステロールのリスクが少ない数値は220~230くらい。
200以下では死亡確率が高くなり、特に180以下では死亡確率(ガンや血管障害が主)が2倍以上になっているんだそう。
要は、180を切るとガン、認知症のリスクが増え、260以上になると心疾患のリスクが増すんだとか。

『1990年にフィンランドのムルヅームが調査した例では、コレステロールを減らすと、心筋梗塞だけは少し減りますが、ガンになるのが43%も増え、自殺に至っては78%も増加しています』
『つまりコレステロールを下げると、死亡率は7%も増加するのです。コレステロールが低いとガンや精神病になるのは間違いないので、コレステロールをむやみに減らすのはとても危険です』

ではなぜ厚労省はそんな危険な数値を発表しているのか。

『コレステロールを200以下にすれば心臓疾患が減るので、心臓関係の医師が「ガンになっても俺の専門ではない」ということで200以下にしたのです。コレステロールが少ないと、脳や神経機能が上がらない、細胞が壊れやすいということが起こります』
『8年ほど前の厚労省内部の検討会では「コレステロールの基準を240にするべきではないか」との意見に対して、病院側から「薬が出せなくなり病院経営が破綻する」との反対意見が出ました』
特に動脈硬化学会からの強硬な反対で、結局直前でボツになってしまったんだとか。

ふ、ふざけんなあ!
病院経営が優先なのか?
人の健康はどうでもいいと?

金金って、人として恥ずかしくないのか?
それが医者と名乗る者のすることかあ!!

いかんいかん、また血圧が上がってしまった。

そもそも日本人はコレステロールが少ない民族なんだとか。
それなのに肉食でコレステロールが350などというヨーロッパの人の話をそのまま200以下の日本人に適応し基準にするという馬鹿なことをしたらしい。

しかもNHKに至っては「悪玉コレステロール」という造語まで作り、散々国民を脅かした。

『なぜコレステロールが体内で合成されるのかというと、「必要だから」に他なりません』
そりゃそうだ。
だから「悪玉コレステロール」などというものは、鼻っからないの。

実は2年前には厚労省が「コレステロールは食事によらない。卵や油っぽいものを食べてもコレステロールは変化しない」と発表したらしい。
コレステロールのほとんどは体内で合成され、食事によるものではないんだとか。
このことだって、ほとんどの人が知らないんじゃないか?

NHKは健康番組で何回も繰り返し「食事でコレステロールを減らすべき」と刷り込んだくせに「実は間違っていました」という番組は作らない。
いい加減にしろ、と言いたい。

体は人によって違う。
背の高い人もいれば低い人もいるし、太った人もいれば痩せた人もいる。
個人差があるのだから、その人に合った血圧やコレステロール値がある、というのが武田教授の意見。
ご説ごもっとも!

それはそうと。
この両問題、とってもやり口が似ている。

血圧にしてもコレステロール値にしても、下げる薬はあるけれど上げる薬はないんだそう。
認知症等になりやすい数値を発表し、マスコミを使って散々皆を脅し薬を飲ませた挙句、こっそりと「あの数値は間違っていました」と発表する。
(後で何か言われても「発表したもんね」と、言い訳ができる)
でもその時はすでに一般大衆の中に常識として定着していて、その事実は届かない。
国民は自分の健康を守るために、自分の意志で、毎日粛々と薬を飲み続けるって仕組み。

医者や薬メーカーの思惑や利権のために、わたし達の健康は損なわれている。

ひどい。
ひど過ぎるよう。

情報を民間に発表するまでにはかなりタイムラグがある筈だから、もしや薬を作ってから庶民の受け入れの下地を作ってるんじゃ?
詐欺まがい、というか詐欺なんじゃ?

これは決して穿った見方だと思わない。
本氣で皆に知らせるつもりであれば、新聞の一面やニュースに繰り返し載せるハズ。

道理で薬を飲んでる人だらけだと思ったよ。
薬を飲んでいないお年寄りはこの日本にいないんじゃないか、と思うくらい皆薬を飲んでいる。
認知症もものすごく増えてる実感がある。

町を見渡せば、薬局ばかり。
新しく大きなビルは薬品会社と病院だ。

利権がこの日本を仕切っているのね。
さらにその裏に、いろいろな思惑があるような氣配も。

経緯や事実を知っている人が(例えば武田教授とか)いくら叫んでも、小難しそうな話は聞こうとしない人がほとんどだ。
わたしだって以前からこのyoutubeの存在は知っていたが、面倒臭そうだからスルーしていた。

少し前まで武田教授はよくテレビでお見かけしたけれど、原発について意見を言ったら降板させられたらしい。
そしてあと10年もしたら、こういった経緯を知っている人もいなくなっちゃうワケで。

なんともはや、オソロシイ時代になったもんだ。

もうね、ホント、自分の健康は自分で守るしかない。
そして今までに刷り込まれた常識を疑わなければならない。

思った以上の日本のディストピアっぷりに、ため息が出る。

わたしの敬愛する作家、佐藤愛子先生は若いころから「薬は飲まないし医者にも行かない。死ぬときは死ぬ!」と公言してはばからなかった。
そして現在御年93歳。
今年上梓された『九十歳。何がめでたい』が100万部売れ、意氣軒高だ。

いいもんね。
我が師(勝手にそう思っている)に続け!

できるだけ病院には行かず、薬も飲まず、面白おかしく生きてやるもんねっ。

何といってもわたしの人生の目標は、息を引き取る時「あー、面白かった!」と言える生き方をすることなのだから。




(衝撃を受けました。長いので、よろしければ大掃除でもしながらでも聞いてくださいね)

つづく

酒の失敗ー忘年会編(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

忘年会の会場のあちこちで、笑い声が響く。
ビールの後は、熱燗の日本酒を美味しく戴き、初めてお会いした方達や久し振りにお会いした方々とのおしゃべりに、否が応でも盛り上がる。

空きっ腹にアルコールを流し込んだわたしは、徐々に酔いが回っていった。
計算外にも、長時間着物を着ていた疲れも影響していたと思われる。
「ガハハッ」と笑いながら腹を突き出し(これ、いつものわたしの酔った時のサインですな)カウンターに座ったわたしは、完全に酔っぱらっていた。

最近、若い時との違いで顕著なのは、酔うと記憶が消えること。
しばらくすると徐々に思い出すのだが、その恐怖たるや、年を取ってボケ症状を指摘された時のように半端ない。
外郭は分かっているつもりでいるのだが、指摘されて初めて「そう言われてみればそんなことがあったかも」といった具合。

今回もそうだった。
楽しくお酒を飲んだ後、ふんどし息子に引きずられるようにしてタクシーで帰ったことは大体覚えている。

が、朝になったら詳細の記憶はすっかり抜け落ちていた。

ふと、眉を動かすとおでこが痛い。
触ると大きなタンコブができていた。

「そういや、駅でふんどし息子の振り回したカバンに当たったんだっけ」
むっくり起き上がるとフラフラと朝風呂に入り、湯船に浸かりながら体をチェックする。

ん?
足の裏が真っ黒だ。

???

わたしは足袋を履いていたはず。
帰宅して、着物を脱いだ時に一緒に足袋を脱いだのだから、間違いない。

なのに、何故?

ふんどし息子を起こし、お風呂に入るように促す。
お風呂から出てきたふんどし息子は「いやー、昨日は酷い目にあった。大変だったよ。ママ、一番酔っぱらってたよ」と、酔っ払いが一番聞きたくない「酒を飲んだ上での蛮行」を糾弾し始めた。

「もうさ、お店を裸足になって歩くし。ママ、脱ぎ癖があるんじゃないの?酔っ払ってるから帯は変になっちゃうし、駅では暴れるし。オレ、ホント大変だった」

え?
裸足って・・。

ウソでしょ?
そういえば、足の裏が真っ黒だったけど、あれってそういうこと?

背筋に冷たいものが走る。

「いろんな人に絡むしさー、もう参ったよ」と、ため息交じりで、が、どこか嬉しそうに話すふんどし息子。

あー、そんな話、もう聞きたくないもんね。
二日酔いのタンコブのできた頭で、がっくりとうなだれるわたし。

んもう。
バカバカ、わたしのバカ!

初対面の皆さんに好印象を与えようとしたはずなのに。
好印象どころか、変なおばさんに見られた可能性大。
というより、もはや確定・・・。

着物に裸足という、なんたるミスマッチ。
酔っぱらった赤ら顔で、裸足でペタペタ歩く着物を着たおばさんって・・。

すでにホラーじゃないですかあっ!!

なんで・・なんでこんな大惨事に?
ちょっといいとこの奥様然とするんじゃなかったのか?
婦人公論の楚々としたおば様はどうした?

ううう・・・。
着物は抑止力どころか、小太りの年老いた市松人形のような悪目立ちの効果があったに違いない。

散々ふんどし息子に上から目線で叱られたわたし。
が、徐々に記憶が蘇ってきた。
それはヤツの記憶とは似て非なるものだった。

酔っぱらってカウンターに座った時、足先が痛くてしょうがなくなっていた。
足袋を脱いでみると、カッターで切った傷の周辺が赤くなり、腫れている。

治りかけた傷が、歩いたり長時間草履を履いたために、擦れて腫れてしまったようだった。
いつもなら我慢するのだろうが、酔いが回っていたわたしは、あまりの痛みに草履を履くのを諦め、仕方なく裸足で歩くことにしたのだった。
(それもどうかと思うが)

それを見たふんどし息子は、わたしが酔ったために裸足になったと思い込んだのだった。

ふんどし息子め。
わたしは理由なく酔って裸足になったワケではない!
駅から無理やり歩かせてからに。
お前のせいでもあるんじゃっ。
(すでに八つ当たり状態)

知らない人が見たら、ただの酔っ払い裸足おばさんじゃないですかあ!!
(いや、そうだけど)

それはともかく。

もう一つの敗因は、わたし達は二人とも、帰る時間をまったく意識していなかったこと。
懇親会は20時30分に終わると思っていたので、その時間になったらお開きの合図があるとばかり思い、油断していた。
が、懇親会の二次会の会場は同じお店だという情報が、全く念頭から抜け落ちていた。

そう、わたし達の知らない間に、すでに懇親会は二次会に突入していたのだった。
楽しさに時間を忘れた浦島太郎のように、氣が付けばギリギリ終電間近になっていた。

「母は酔ぱっらっている。オレがなんとか家まで連れて帰らねば!」
義務感にかられたふんどし息子は、急ぎ母に足袋を履かせ、自分も酔ってハイテンションになったまま、帰り支度をしていたわたしの手をひっつかみ、猛然と駅へと走り出した。

ふんどし息子はトンビコートを翻し、走る。
母の手を引っ張り、鬼のように商店街を駆け抜け、改札をすり抜ける。

「ちょっと待って。まだバッグを持ってないよ!」と叫ぶわたしの声は、ヤツの耳には届かない。
なんせふんどし息子もかなり酔っているのだから。
彼の頭にあるのは「なんとか母と無事終電に間に合い、帰宅すること」のみ。

「ちょっとー!待ってって言ってんのっ!!」
わたしは必死にふんどし息子の手を放そうとするが、元々ヤツは力が強い上にお酒がかなり入っているのだから、無理というもの。

手を振りほどこうとするわたしを「酔って暴れている」と認識したふんどし息子は「いいかげんにしろよ!」と叫び、取り押さえようとする。
もみ合っているうちに、眼鏡もどこかに飛んでいく。

その時、ポットの入ったふんどし息子のカバンが、わたしのおでこに当たった。
「ゴッ」と鈍い音がする。

「痛い!なんなのよう」
涙目で恨めしそうに自分を見る母の姿に、動揺し、我に返るふんどし息子。

「だーかーらっ!バッグを持ってないって言ってんのっ!!しかも眼鏡もどっかいっちゃったし!!!」
「あ、ゴ、ゴメン・・。とにかくバッグを取ってくるから、ベンチに座って待ってて」

再び下駄を鳴らしながら、お店に戻るふんどし息子。
痛みと怒りで、半べそをかきながら仁王立ちになるわたし。

結局、乗ろうとしていた電車にも乗れず、わたし達親子はいがみ合いながら、眼鏡は行方不明のままなんとか湘南台駅からタクシーに乗り、よれよれになり帰宅したのだった。

ああ、朝の晴れ晴れとしあの姿や、いずこ・・・。

それにしても、ふんどし息子とわたし。
同じ時間を過ごしても、立場の違いによって、見方がこんなに違うとは。
芥川龍之介の「藪の中」、いや、黒澤明の「羅生門」にも勝るとも劣らない(?)壮絶な惨劇でしたなあ。

それはそうと。

着物を着たことのある方ならお判りになると思いますが、長時間着物を着ていると、特に女性は着崩れを直さないと、襟は前に落ちてくるし、裾だって乱れがち。
しかも、普段洋服を着ているものだから、足だって開いてしまうことが多い。

だけど現代人にとって「着物を着る」というのは「ハレ」の日の出来事だから、その時間はお行儀を意識して過ごすから何とかなっているワケで。

ああ、あの場面、この場面。
懇親会会場の自分の姿を想像するのは、あまりにコワいので止めました。

「できるものであれば、あの会場にいた一人一人を捕まえて『あの時の記憶の履歴の削除』ができたら、どんなにいいだろう・・・」と夢想する今日この頃。

今回、学習しました。
「着物を着ていけば、いつも身だしなみに氣を付けていなければならないし、そんなにお酒をがぶ飲みできないだろうから、相当な抑止力を発揮するに違いない」と書きましたが、あれは大間違い。

酔っぱらえば身だしなみなんてどうでもよくなるし、お酒のがぶ飲みもするし、抑止力は全くないことが判明しました。(あくまでもわたしの場合は、ですが)

わたしは過去の自分に言いたい。

お酒を飲むときは、姑息な手段を使ってはいけない。
「よっしゃあ、どんとこい!」とばかりに堂々と迎え撃つべきである。
小手先のごまかしをしようとすると、大やけどをする。

人生と同じですな。
おでこのタンコブをさすりながら、決意も新たにするわたしなのでした。(何の?)

つづく

酒の失敗ー忘年会編(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

年も押し迫り、慌ただしい日々が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

先日、忘年会のお誘いがありました。
お相手は、以前「酒の失敗(2)」でご登場頂いた綾野剛似のAさん。

酒の失敗(2)

当日はA さんの講演会があり、その後忘年会をするんだとか。

スケジュールは以下の通り。

講演
  開 始  13時30分
  終 了  17時
〈第2部〉〉望年会
  懇親会  17時30分〜20時30分(3.0時間)
〈第3部〉〉望年会2次会(希望者のみ)
  懇親会  20時30分〜22時30分(2時間程度)
〈望年会三次会〉会場: 未定
 ボウリング、もしくはカラオケなど、検討中
  懇親会  23時以降〜(エンドレス)

うーむ、エンドレスって・・。
今までの経験から、Aさんとお酒を飲むと楽しすぎて飲み過ぎてしまい、失敗率が異様に高いことは痛いほど分かっている。
しかも、まさかのものすごく恥ずかしい内容・・。

それに、懇親会会場は我が家から遠く離れた東急世田谷線の某駅。
今回は今までの経験を活かし、何としてでも失敗を阻止せねばならぬ。

そこで申し込みの際「懇親会は第二部まででお願いします」と添え書きをした。
20時30分に駅に向かえば、バスで帰宅できるはず。

さらに、それだけでは心配なので、ふんどし息子とともに着物で出席することにした。

わたしの母は踊りをやっていたので、着物を山ほど持っている。
譲られた着物のあまりのもったいなさに、何とか自分で着られるようにしたのだが、意外に着ていくところがない。

着物を着ていけば、いつも身だしなみに氣を付けていなければならないし、そんなにお酒をがぶ飲みできないだろうから、相当な抑止力を発揮するに違いない。

当日、着付けを終え、いそいそとふんどし息子と会場に向かった。
わたしは着物の上に道行を羽織り、ふんどし息子はウールのアンサンブルの上にトンビコートを着た。
喉が渇いた時のために、ふんどし息子はカバンに紅茶の入ったポットも持った。

講演会のお知らせには、会場の最寄り駅が二つ書いてあり、一つは某駅から降りてすぐ、もう一つは別の駅から徒歩10分とある。
ふんどし息子は、徒歩10分の駅で降り、駅前の商店街を見ながら歩いて行こうと言う。
「えー、メンドクサイ」と思ったが、渋々従った。

歩き出して思い出したのだが、5日ほど前に玉ねぎを切るカッターが落ちてきて、わたしは左足の親指と人差し指の間をザックリと切ってしまうというアクシデントがあったばかりだった。
(なんで電車を降りる前に思い出せないんだ?)

「草履を履けなければ着物は着ることができないなぁ」と思っていたのだが、意外に早く傷がふさがったので、着物で行くことにしたのだ。
が、やはり歩く距離が長いと痛みが出てきてしまい、ブツブツ文句を言っているうちに会場に着いた。

講演会会場では、何人かの顔見知りがいた。
中には「まあ、お着物を着ていらっしゃるから誰だか分かりませんでした!」とおっしゃって下さる方もいる。

ふっふっふ。
そう。
わたしだって、山の中で髪振り乱し、こ汚い恰好をしているばかりのおばさんではないの。
鏡を見ながら着崩れを直したりしていると、そこにいるのは「婦人公論」に出てくる楚々としたおば様方と見まごうばかりのわたし。

初めてお会いする方が多いのだから、ここはあまり地を出さず(どんな地だ?)、ちょっといいとこの奥様然としておこう。

3時間半続いた講演会は盛況のうちに終わり、次はお待ちかねの懇親会だ。
懇親会会場まで、また痛む足を引きずり歩く。
もうすでに着慣れない着物を着続け、疲れ氣味。

貸切の会場には、今や遅しとエビスビールが並ぶ。

あー、喉が渇いた。
そういや、朝食が遅かったからお昼を食べていないんだった。
Aさんの乾杯の挨拶とともに、乾いた喉に冷たいエビスビールを流し込む、

ぷはー、美味しい!!

お料理が出され、出席者の方々の自己紹介が始まる。
わたしは4番目にお声を掛けて頂き「今までお酒の失敗を重ねてきたので、今回はそれを防ぐために着物で参りました。」と、ご挨拶をした。

が、わたしは完全に読み違いをしていた。

呑兵衛には着物などというものは抑止力たりえない、ということを。
人間、慣れないことをすると、とんだ大怪我をするということを。
そして武器だと思ったものがブーメランとなって、己の骨肉を切り裂くことがあるということを。

こうして前回の「酒の失敗」に勝るとも劣らない、まさかの大惨劇の幕が切って落とされたのだった。

つづく

今年のマキオカネイチャークラブの営業が終わりました。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今年のマキオカネイチャークラブの営業が終わりました。
皆様、今年もいろいろご支援、応援を賜り、本当にありがとうございました。
また来春、よろしくお願いいたします。

マキオカの終了の日、すぐ下にある八幡社でこの地区のお祝い事がありました。

実はこの八幡社のことを、お友達がブログで書いてくれている。

~風に吹かれて~ by ポー(paw) 八幡社(山梨市牧丘町北原生捕)

いろいろ調べてくれているのだが、「生捕」という変わった地名は、やはり兵士や落ち武者を生け捕ったり匿ったりしたという伝説に由来するらしい。

ふーむ、確かにここで暮らしてみると、住んでいる方々の氣質が穏やかで情が細やかだと思う。
見方によっては、情深い地名といえるかも。

それはともかく。

ここにある鳥居の写真、去年撮ってくれたものだが、確かに鳥居を針金で丸太に括り付けてあるのが見て取れる。

去年から新しい鳥居の準備を進めていた集落の人達は、協力して熊男の山から木を伐り出し、一年かけて乾燥しておいた。
その木を集落の大工さんが加工、塗装し、出来上がった鳥居を軽トラで運び、村人が力を合わせて鳥居を立ち上げるのだという。

仕事や勉強会等で忙しいふんどし息子が、今回久し振りにマキオカに来たのだが、それを知った熊男が前日「おまんとうも参加してくれ。鳥居を持ち上げるのを手伝ってくりょう」と、言いに来た。

老朽化した鳥居を新しく立て直すという、賑々しくもおめでたい行事が、わたしとふんどし息子が久し振りに来た時に催されるとは。
「これも土地神様が寿いでくださっているからに違いない」と、いつものように自分に都合よく考えるわたし。

翌朝、8時に八幡社に集合とのことで、喜び勇んで出かけたふんどし息子。

力仕事は男衆の仕事だ。
女衆はそういう場所には呼ばれない。
その代わり、煮物やお赤飯の準備、買い出し等、宴の準備を担当する。

昔ながらの男女の役割分担。
ここには声高に男女平等を叫んだりする人はいない。
皆黙々と、当たり前のように自分が為すべきことをするだけだ。

ふんどし息子によると、集落のおじさん達と八幡社の周辺を野焼きしたり、古い鳥居を燃やしたりしていると、軽トラに載せられた新しい鳥居の部品が到着し、皆で組み立てたんだとか。

あー、残念。
写真に撮っておきたかったなあ!

鳥居が立ったと連絡が入り、八幡社に行くと、なるほど畑の真ん中に朱色も鮮やかに新しい鳥居が立ち、神饌が供えられている。

                            IMG_3303_convert_20171205162658.jpg

集まっているメンバーを見ると、皆近所のおじさん達だ。
紙コップが散らばっている様子から、既に焚火に当たりながら御神酒を飲んだことが窺える。

「この人がこの鳥居を作ったんだ」と教えられたKさんの服には朱色のペンキが付き、つい最近ペンキを塗ったことが分かる。
「すごいですね。これを作ったんですか!」と言うと、逞しく日焼けした顔が誇らし氣に笑顔になった。

八幡社には神主さんは呼ばず、集落の中で祝詞が上手いと評判のTさんが代理を務めるらしい。
Tさんはいつもお祭りの時に焼きそばを作ったり受付をしたりして、お年寄りを明るく接待して場を盛り上げてくれている。
器用な方だとは聞いていたけど、Tさんったらこんなこともしているのね・・・。

すべて自給自足の地産地消。
農村の底力って、スゴイ。

買い出しから帰った女衆が、八幡社のお堂の中から宴の準備が終わったと声を掛ける。

いよいよご神事の始まりだ。
Tさんの祝詞が澄んだ青空に響く。

                             IMG_3308_convert_20171205162810.jpg

皆、神妙に俯き、祝詞の文言に耳を傾ける。
枯草の匂いに交じって、焚火を終えた後の懐かしい匂いがする。

遠くで鳥がチチチと鳴き声をあげ、ご神事の終わりを告げた。

八幡社のお堂の中はストーブが焚かれ、お料理の載った長テーブルや座布団が所狭しと並べられている。

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皆、女衆が調えたお料理の前に座り、区長のSさんが挨拶をし、宴が始まる。

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ここでは男女別々に座るのが基本らしい。

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わたしはキタリモン(よそから来た人)だから、あまりルールに縛られず、おじさん達とお酒を飲み交わした。
(ただ単にノンベエというだけなんですが)

お堂の中は、板を打ちつけて風が入らないようにしてあり温かい。
秘密基地のような雰囲氣だ。
まるで大人のおままごとのようで、なんだか楽しい。

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こうした宴を通して、お互いに忌憚ない話をしつつ、代々結束力を高めてきたのだろう。
きっと戦乱の時代でも、知恵を絞り合い、なんとか危機を凌いできたに違いない。
「生捕」という地名に象徴されるように。

マキオカネイチャークラブは、この土地の自然、そして地域の皆さんが築いてくださった環境を間借りさせて頂いている。
そのお陰で、お客様に喜んで頂くことができているのだ。

土地の神様、地域や集落の方々に「マキオカネイチャークラブがここにあってよかった」と思っていただけるよう、これからも粉骨砕身頑張る所存です!

皆さま、来年も何卒よろしくお願いいたします。


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つづく


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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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