米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(7)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

修羅場な夜を過ごしたわたし達。
まさかこんなところで、米寿の母の振り切れた酔っ払いっぷりを見ることになろうとは。

それにしても、自分の親の思いもかけない姿を見ると、人間、ちょっと動揺する。

子どもの頃は「親の言うことは絶対!間違いなんて言うはずがない。」と思っていたのが、思春期になり「あれ?親の言っていることとやっていることが違うぞ?」と氣付く時が来る。
さらに年を重ねることによって「我が親にこんな一面があったとは。・・まあ、親だって人間なんだし。」と、悄然とする場面にぶち当たることになる。
もちろんわたしも経験してきたし、我が子達にも経験させてきた。

人間、こうして大人の階段を上っていくのね。
もう、老婆だけど。

それはともかく。

ご自宅にお帰りになる途中、鶴先生からホテルの部屋にお電話があった。
「月を見てごらんなさい。凄いわよ。」

ホテルのカーテンを引くと、そこには見事なオレンジ色の月が。
月の上の方が欠けていて、まるで龍の目のよう。
驚いて眺めていると、見る間に上から雲がかかり、龍は目を閉じた。

と思う間もなく、下から雲が切れ、今度は輝くような白い月が現れた。

おお、龍の目が明いた。

それは一瞬の出来事で、その後、月は厚い雲に覆われてしまったが。

ここは龍の里といわれる奄美の龍郷町。
もしかしたら母はここの龍に感応したのかも知れぬ。

そういえば奄美に来てから母の顔は龍顔になったような氣がする。
(そんなものがあればだが)

母が荒々しい金剛龍とするならば、たおやかで優雅な鶴先生は白龍か。

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そう思えば今夜の母のかっ跳び振りは、龍の喜びの姿と思えなくもない。
「あー、楽しい。こんなに楽しいのは生まれて初めて。わたしって、こんなに明るい性格だったのね。明日から生まれ変わるわ。」と叫んだ母の姿を思い出し、妄想がどんどん膨らむわたし。

こうして冥途の土産旅行の最後の夜は更けていったのだった。

翌日も晴れ。
いよいよ奄美を去る日だ。

ホテルをチェックアウトし、お迎えに来てくれたOさんと、ご夫妻のご自宅に向かう。

途中、タンカン採りをさせて頂いたり、芭蕉の繊維を取る作業を体験させて頂いたりして、母は生まれて初めての体験に目を輝かせた。

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さらにご自宅では、母の大好きな長命草やタラの芽、マコモの天婦羅、蕎麦を作ってくださり、母は大喜びで舌鼓を打った。

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結局、鶴先生ご夫妻は丸々4日間、わたし達にお付き合いくださった。
ほんの僅かな縁でつながったわたし達のために。

実の娘さえできない細かな心遣いで歓待してくださり、ふんどし息子のことも甥に接するかのように可愛がってくださった。

付きっきりで今井権現に登ってくださり、その上、車も出したり、地元の方しか知らないお店に案内してくださったり、ご自宅にまでご招待して心づくしのおもてなしをしてくださったりと、お二人を見ていると「世の中って、損得抜きにこんなご親切にしてくださる方がいらっしゃるのか」と、感動する。

また、そういう方とご縁を持てた我が身の幸せを思う。

このご恩返しは、簡単にできそうもない。
いや、お二人はそんなことは望まれないだろう。
本当のご恩返しは、わたしも人のために損得抜きで動けるような人間になることかもしれない。

ひょんなことから始まった米寿の母との二回目の冥途の土産旅行。
大勢のご協力を戴き、無事終えることができた。
本当にありがたく、感謝に堪えない。

そして最後まで拙い文にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。


つづく



米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

強烈な直会で、いつになく悪酔いしたわたし。
翌朝は当然のように激しい二日酔いに苦しむ。

朝食はホテルのバイキングをお願いしてあった。

うっぷ、飲み物ぐらいしか喉を通らないよ・・。
っつうか、食べ物を見るのもいや。

青い顔をしているわたしの向かいには、パンやサラダ、焼き魚やカレーが乗っているお皿が。
今朝も元氣いっぱいの母が「どうしたの?食欲ないの?もったいないじゃない。」と言いながら食べている。

今日は今井権現登頂の予備日として、何の予定も入れていない。
鶴先生がマングローブの遊覧を提案してくださり、今日も一日お付き合いしてくださるという。
本当に申し訳なく、ありがたい氣持ちでいっぱいだ。

マングローブ遊覧は初めてのふんどし息子はカヌーに乗ることにし、わたしと母は去年と同様にガイド付きの船に乗ることにした。

去年と同じ行動をすると、母が本当に元氣になったことを実感する。

去年は「船に乗せることなんかできるだろうか?」と心配しつつ、皆さんの手を借りながらヨロヨロする母をやっとのことで乗り込ませた。
ところが今年はちょっと手を支えるだけでヒョイと船に乗ることができる。

いや、我が母ながらこの回復ぶり、尋常ではない。
不思議体験の多い母のこの様子を見ていると「これは神がかりに近いのでは?」とも思えてくる。

ふんどし息子はカヌーで自由自在にマングローブの茂る川を遡っていく。

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案内役のお兄さんが「一昨日まで雨が続いていました。冬は天氣が悪い日が多く、明後日辺りからまた天氣が悪くなるそうです。お客さん達は運がいいですね。持ってますね!」と言ってくれた。

うん、間違いなく母は持っている。

母は40年以上前にも九死に一生を得ている。
知人の結婚式に出席するために東名自動車道を走行中に後部座席で事故に遭い、頭でリアガラスを割って投げ出され、テレビに死亡と出た。
お医者様に「生きても後遺症が残る」と言われながら無事生還。

それ以外にも硬膜下血腫、ヘルニア、緑内障、胆嚢摘出、大腸がん等、満身創痍。
そして極めつけが一昨年の脳挫傷。

なのに目の前にいる母はそんなことがあったとは微塵も思わせない元氣な様子で、マングローブの間を楽しそうに漕ぐ孫の姿をゆったりと眺めている。
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今は体重が37キロしかないというが、生命力の強さに脱帽する。

この後、古仁屋港に向かい、お土産を買ったり鶴先生の知り合いの方にお会いしたりして帰路につく。
鶴先生ご夫妻に「あまみの魚たち」というお店を紹介して頂き、皆で最後の夜を飾ることにした。

テーブル席には数人の若い男女が楽しそうにお酒を飲んでいる。
わたし達は座敷席に座り、まずビールで乾杯をした。

このお店はご主人が「奄美のお魚を一番美味しい調理法で提供したい」という思いで経営されているとか。
いろいろなお魚料理がいろいろな調理法で、次々とテーブルに並ぶ。
とにかく凄いボリュームだ。

タンカン酒を飲みながら美味しく戴いていたが、昼食も魚のフライ定食だったこともあり、数種類食べたところで限界が近づいてきた。
ふんどし息子も箸が止まり、「オレ、もう限界かも。」と呟いた。

「もうお腹いっぱい。食べられないわ。」と言う母のお皿は、意外にもしっかり空になっている。
フライやバター焼きなど、ヘビーな調理法が続いているのに、わたし達と同じペースで飲み食いしてるけど、大丈夫なのか?

母がタンカン酒を2杯のんだところで「そろそろお茶にする?」と聞くと「まだ飲みたいわ。」と言うので、ゆず酒を頼んだ。
さらに「あんまり甘くないお酒も飲みたい。」というので、たっぷり入った白ワインも注文した。

その間、堰を切ったようにずっとしゃべり続ける母。
いや、堰は奄美に来てからずっと壊れている。

姑に仕える優しい娘夫婦のように、相槌を打ちながら話を聞いてくださっている鶴先生ご夫妻。
ホントに後光が差して見える。

が、母の途切れることのないリフレインのおしゃべりにお付き合いして、すでに3日目。
お疲れが滲んでいるように見える。

間違いなく限界がきているに違いない。
お二人のご厚意と忍耐に甘えてばかりもいられない。

この事態を早々に切り上げるべく、席を立った。
先にお店を出て振り返ると、我が目を疑うような光景が。

今まで見たこともないくらいはしゃいだ母の姿が目に飛び込んできた。
老婆のはしゃぐ姿など見たこともない若いお客さんが「かわいいっ!」と歓声を上げる。
ウケたと思い、手をひらひらさせてさらにはしゃぐ母。

もしや酔っぱらっている?
杖はどうした、杖は。

母の振り切れた酔っ払いっぷりに、隣のふんどし息子も、目を見開いて呆然と立っている。

ああ、この惨状はいったい・・・。

うれしそうにお店から出てきた母が「あー、楽しい。こんなに楽しいのは生まれて初めて。わたしって、こんなに明るい性格だったのね。明日から生まれ変わるわ。」

・・そ、そう。
それはよかったね。

米寿にして生まれ変わる。
素晴らしいじゃないか。

それにしても。

あー、動画を撮っておけばよかった。

つづく




米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今井権現の参拝をしたりユタ神様からのお言葉を戴いたりと、奄美のスピリチュアルを存分に味わったわたし達。
そのままホテルに帰り、直会をすることにした。

奄美では人寄せの際「盛り皿」を注文し、飲んだり食べたりするんだそう。
龍郷町の商店で大きな盛り皿を2つ注文し、ホテルに持って帰った。

皆でにぎにぎしくオリオンビールで乾杯する。
あー、美味しい。

早速、盛り皿を堪能する。

すると鶴先生とOさんがお祝いの熨斗のかかった箱を取り出し、母にプレゼントしてくださった。
うれしそうに箱を開ける母。

中から芭蕉の繊維で作られた美しい手作りのお飾りが現れた。

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植物から繊維を採り出すというのは、とても手間のかかる作業だという。
芭蕉を切り出し、大鍋に湯を沸かし上下を返しながらぐつぐつと1時間炊き、それを水洗いした後、竹で作った道具を使いながら繊維を採り出し、糸状にして乾かす。
そうしてやっとできた糸を撚り、手間暇かけて作られたお飾り。

心のこもった贈り物に、母もわたしもふんどし息子も歓声を上げる。
なんてありがたいんだ。

「それにしても」と、思う。
この不思議なご縁は、いったいなんだろう。

何となく誘われるままに参加した皇居の勤労奉仕で出会った鶴先生ご夫妻。
そこで天皇、皇后両陛下の御前で「アワの歌」を歌うという稀有な経験をさせていただいた。
そして鶴先生ご夫妻のお住まいが奄美と知り、「是非行かせてください。」と図々しく来させていただいたのが、この直会につながっている。

古代から作られていたであろうこの芭蕉の糸のように、いろいろな縁が撚り合わさって、今、わたし達はここにいる。

それはともかく。

しばらく皆で飲んでいたが、鶴先生はお疲れのご様子だったので、2階のお部屋でお休み頂いた。
次に、ふんどし息子が「もうダメだ。横になる。」と言って、ベッドに倒れこんだ。
母はと見ると、Oさん相手に元氣いっぱいに、ブランデーを飲みながらずっとしゃべっている。

ずーーっとしゃべっている。
ずーーーっとしゃべっている。

ああ、Oさん、申し訳ない。
母はこうなると誰にも止められないんです。
下手にブロックしようとするとケガをしてしまうから、もうやりたいようにさせるしかないの。

Oさん相手に、亡くなった父や親戚のワルグチとか、自分のお弟子さんの思い出話とかをしまくる母。
その話の8割は、去年もお話しした内容なんだけど。
そしてついさっきも話したんだけど。

お酒の強そうなOさんだが、長時間にわたる何度も聞いた年寄りの話は、さすがにボディブローのように効いてきている様子。
そしてOさんの疲れた表情を窺いながら酒量が増えるわたし。

それでも母のお話攻撃は止まらない。
いらない情報を繰り返し長時間聞かされるのは酔いを増加させる。

あまりの惨状に、何とか穏便にブロックしようとしたわたしは「あんた、さっきから同じ話をしてるよ。」と、返り討ちにあい、あえなく失敗に終わる。
ああ、ホント、ごめんね、Oさん・・。

が、言うまい。
年寄り笑うな、いつか行く道。

酒好きのわたしは、酔っぱらうと繰り返し同じ話をしてしまう。
そして数々の醜態もさらしてきた。
今更、人様に何を言えるであろうか。

自分の行く末を立体画像で見せられているようで、その夜はいつになく悪酔いをしてしまったわたしなのでした。

つづく




米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今回の旅の一番の目的だった今井権現の参拝を無事終え、ホッとしたわたし達。
南海日日新聞社と奄美新聞社の記者さん達と別れ、ソテツの群生地を下り、海に出る。

それにしても安木屋場のソテツが群生する様は圧巻だ。

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奄美ではその昔、ソテツを飢餓のときなどに食料としたり、繊維は芭蕉衣(バシャギン)と呼ばれる着物にしたという。
ソテツは幹や実からデンプンをとる救荒植物としても利用され、また土砂が流出しないための畑の土止め用に、葉は大島紬を染める泥田の鉄分補給用に、薪や肥料、あるいは花籠や子供のおもちゃにと幅広く活用されてきたらしい。

実は、奄美に行きたいというお電話を鶴先生にさせて頂いた際、「奄美のユタ神様にお会いしたい」というお願いをしておいた。
わたしは以前から奄美のユタ神様に一度お会いしてみたいと思っていた。
去年もお願いしてみたが、急な申し出だったので予約が取れず、叶わなかったのだった。

奄美諸島には古くから「ユタ」と呼ばれる民間の巫女・シャーマン(霊媒師)が存在する。
ユタのほとんどは女性で、運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じ占いを行うが、今では本当に占えるユタ神様は少ないという。

地元の方から「ユタ神様とはどんなに会いたいと思っても、会えない時は会えないし、神様がお言葉を伝えたい時には不思議とご縁ができる」という話を聞いた。
今回予約が取れたということは、何か神様から伝えて戴けるということか?

黒糖焼酎、塩を購入し、島のほぼ最北端にある集落に向かう。
海に面した防波堤の前に、ユタ神様のご自宅はあった。

狭い路地に赤い鳥居がひっそりと立ち、ひときわ異彩を放っている。

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鶴先生とOさんは、何かあるとこちらのユタ神様にお伺いに来るという。
勝手知った様子で奥の方に入って行き、地元の言葉でご挨拶をしている。

奥に待合室になっているらしい8畳ほどの和室がある。
「そういえばトイレに行きたいんだった。トイレはあの廊下の先だろうか?」と思っていると、ユタ神様が「中へどうぞ。」と声をかけてきた。

「ど、どうしよう。」とうろたえているうちに祭壇のある部屋に通された。
トイレの場所なんか聞けない雰囲氣だ。
祭壇の横には芸能人と一緒に写った写真が飾られている。

ユタ神様がいろいろなものがお供えしてある神棚に白衣を着て座ると、携帯電話が鳴った。
予約の電話らしいが、断っている様子。

ユタ神様が祝詞を唱えると、再び電話が鳴った。
奥でご家族の方が対応している。
どうやらとてもお忙しいらしい。

ユタ神様が「見てもらいたい方の名前、生年月日、干支を言ってください。」と仰った。
ここはやはり米寿の祝いの母から。

「あなたの家のそばに三叉路があるでしょ。ほら、そこを入ったところがあなたの家だね。」
うーん、母の家のそばに三叉路はない。
「あなたは結構引っ越しをしてるね。」
してないが。
「昔住んでた家のそばにお店があったでしょ。」
ない。
「近いうちに旅行の予定があるね。」
ありません。

首を傾げ出した母。
うーむ、どうしたものか。

「あなた、血圧が低くて器官が弱い。きれい好きだね。」
そうそう。
「精神年齢は60歳だ。」
ほほう。
「孫でひとり飛び抜けている人がいる。その行く末を見ないとね。」
誰?ふんどし息子か?

母はユタ神様に「あなた、百歳以上生きるよ。」と言われると「いやー、皆に迷惑かけるからそんなに長生きしなくていいわ。」と答えながらもうれしそう。

次はふんどし息子の番。
が、この頃になるとわたしの膀胱に赤信号が点り始めた。

「うん、この子は万人を率いる人になるよ。」
え?
「人に変な逆らい方をしないし、万人を惹きつけるところがある。」
・・・そうか?
「人の上に立つようになる。でも、もう一つ資格が足りない。」
そうなの?
「学士を取るね。博士になる。」
それはスゴイ。

でも、今はトイレに行きたい。

「お母さん、この子は小さい頃、口がはっきり開かない時があったでしょ?はっきり言えなかったね。霊が言わせなかったんだ。」
げこっ!
確かに小さい頃、思ったことをなかなか言えない様子があったが。

「素直で夢遊病の氣があったね。あなた、お尻がムズムズする時があったでしょう。それは霊が這いずって来ていたんだよ。」
ぎょっ、そうなの?

一瞬、尿意が吹き飛ぶ。
ふんどし息子の方を窺うと、口を半分開け、真剣な眼差しで聞き入っている。
「とにかく仕事を一途にすればいい。」と言われ、満足そう。

「で、結婚相手はどうなんでしょう?」と、聞いてみる。
「誰とでも仲良くできる、氣の利く人がいい。顔は二の次だね。」と、ユタ神様はいろいろお話してくださる。

しまった。
ふんどし息子の嫁のことなんて聞かなきゃよかった。
どうでもいいから、早く終わらせてトイレに行きたい。

次はいよいよわたしの番。
でも、今はあれほど楽しみにしていたユタ神様のお話よりも、とにかくトイレに行きたいんだよう。

「この人は上品な人だね。」
そうなの?
頭の中はトイレの事でいっぱいなんだが。

「息子と友達みたいな関係だね。息子と波長を合わせるために20歳の精神年齢でいる。」
うぅ、膀胱が限界に近付いている。

「大きな病氣はしないよ。両親に感謝しないといけない。」

ぐぬう・・。
汗ばむ手を握りしめるわたし。

わたしの心の叫びを聞きつけたのか、ユタ神様はわたしの鑑定をあっという間に終わらせた。

お礼を述べ、さり氣ない風を装いながらトイレに直行する。
あー、危なかった。

それにしても、今回ユタ神様のお話を伺い、一番納得の表情を浮かべていたのはふんどし息子だった。
帰りの車中で「これから仕事頑張る!」と、鼻息荒く語っていたし。
してみると、神様からのお言葉が一番必要だったのはふんどし息子だったか。

母はと言えば「百歳まで生きるって言っても、あと12年しかないのよねえ。」と、百歳まで生きる氣満々なのでした。

つづく

米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

奄美到着の翌朝は、快晴。
7時にホテルのレストランに朝食を食べに行く。

今朝も母は絶好調。
サラダ、スープ、卵焼き、数種類のパンの他にカレーまで平らげる。

お借りした車のナビを見ながら、わたしの運転で今井権現の禊場に向かう。

8時半過ぎに到着すると、すでに鶴先生ご夫妻はいらしていた。
そしてもう1台の車に、若い女性が乗っていた。
ご挨拶をさせて頂くと、南海日日新聞社の記者さんだという。

生まれて初めてリアル新聞記者さんを拝見したけど、なんかイメージが違う。
もっとバリバリキャリアウーマン風とか、生意気そうな早口のメガネ女子とか想像していたけれど、実際は物静かで可愛らしいお嬢さんだった。

去年と同様、わたし達は波の花をすくい7回降り掛け、口を漱いで禊を終える。
記者さんも同じように禊をしている。

Oさんとふんどし息子は、少し離れた禊場に向かったので、後を追うと、波に向かって法螺貝を吹くふんどし息子の姿が。

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晴れてはいるが、風は刺すように冷たい。
二人は大海原に向かい頭まで浸かる。

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流石、ふんどしがしっくりなじんでいる。

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無事、禊を済ませたわたし達は今井権現に向かう。
前回同様、皆で掃除をし、いよいよ母が登り始めた。

去年、母は初めてこの鳥居をくぐり、手を合わせて帰り際「「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだのだった。
参拝を終え、車が走り出した後になって「3段までなら登れるような氣がするわ。」と名残惜しそうに言い出した母は、翌日には杖を忘れてしまうほど驚異的に元氣になった。
心優しく親切な鶴先生ご夫妻から「もしお母さんが行きたいのであれば、心残りのないように明日も今井権現に行き、石段を上ってみたらどうでしょうか?」とのお申し出をいただき、最終日、脳挫傷の後遺症をものともせず、5段まで登るという快挙を成し遂げたのだった。

普通の神社と違い、参道には木の根が張り、石を載せている土台の土が不規則に落ち込んでいる。
しかも段が結構高くて、普通の人でも、しばらく登ると息が切れてくる。

母の周りには、ふんどし息子、Oさん、鶴先生が囲み、転びそうになった場合、すぐ手助けできるような態勢をとってくれている。

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母はある時は枝につかまり、ある時は四つん這いになりながら一生懸命登っている。
その間、ずっとしゃべり続けながら。

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昔はもっと身軽だったとか、自分の身内の情報とか。
皆に囲まれてうれしかったからなのか、余裕があったからなのかは分からないが、とにかく元氣なのには間違いない。

途中何度か休憩をして、ついに念願だった今井権現の社のある頂上まで153段の石段を登り切ることができたのだった。

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頂上には立派な社殿があり、正面に「今井大権現」の社額がかけられている。
早くも桜が咲き、メジロが蜜を吸いに来ている。

本殿内でOさんは四股を踏み邪氣を払い、鶴先生が「アワの歌」を歌いながらアマミ舞を奉納してくださった。
遅れてきた奄美新聞社と南海日日新聞社の記者さんから取材を受ける。

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念願だった今井権現の参拝を皆さんのお陰で、無事済ますことができた母。
考えてみれば、幸せ者ですな。

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それにしても、我が母ながらスゴイと思ったのは下りのスピード。
わたしと母以外は頂上を一回りしてくるというので、二人で先に下り出したのだが、その早いこと。
「下りの方が危ない」という常識を覆して、杖を突きながらヒョイヒョイと下る。

心配してサポートするために走って下りてきたふんどし息子が「もうこんなところまで下りてきてたの?」とびっくりしたほど。

あれはもしや何かが乗り移っていたのか?
天狗か?龍か?
そうなのか?

翌日の奄美新聞に大きく取り上げて頂きました。

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いや、これ、一生の宝ですな。

つづく


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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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