誕生日に思う (2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いやー、昨日の文章読み返したら、ただの説教おばさんになっていたわたし。

ごめんね。
自分でも何を言いたいかわからない。
「誕生日」関係ないじゃん。

原因はわかってるの。
そう、確定申告。
どうもこの時期になると情緒不安定というか、支離滅裂というか、躁鬱気味というか。

で、気を取り直し、再び「誕生日に思う」。

もう55歳のわたし。
昔のように「いくつだと思う?」「いやん、そんなに若くなんかないわよぉ。」なんていうメンドクサイ会話もしたくもない、枯れた日々を送っています。

そしてこの歳になると、「もうすぐ誕生日。ケーキ食べて、プレゼントもらって。あー、待ち遠しい!」なんてはしゃいでいられる訳もなく「あれ?わたし、いくつになったんだっけ?54?53?」なんて傍で聞いていると痴呆症を疑われても仕方がない会話をしていたりします。

「門松や 冥土の旅の 一里塚
  めでたくもあり めでたくもなし」

有名な一休の読んだといわれている歌ですが、こんな歌がすっかり身になじんでしまう感じ。

生あるものは必ず死に帰す。
全ての人の100%確実な未来が冥土である。
全人類は冥土に向かっての旅人だ。

うん、そうだね。
始まりがあれば、終わりもある。

頭では分かってたけど、若いころは実感がなかった。

それが歳をとるにつれ、父が死に、主人が亡くなり、兄弟も逝き、「死」そのものが漠然としたものから、その輪郭をはっきり現すようになってきた。
まるで影のように。
そっと寄り添うように。

「死」は怖い。
老いることも、「死」を意識させられ、怖い。
歳をとっての「誕生日」は、そんな「老い」を意識させる日でもある。

でもね。
目も老眼気味になり、嗅覚も鈍くなって感じること。
もしかしたら、肉体的なあちらこちらが鈍くなるというのも、それが必要だから、と言えないか。

「死」を意識し、受容し、向こう側の世界に行くためには、そうした心と体の準備が必要なのではないか、と思ったりもするのです。

そして今は、若いころとは違った窓が開いている気がする。
そこから見える景色は、「時間」を意識した風景。
一見同じように見えても、色や匂いが全然違う。

いわゆる「もののあわれを解する心」がフィルターになっているのかも。

え?分かりにくい?
いくらおばさんが遠い目をしたところで、単なる白内障の前症状だと思われるだけ?

ふん、わたしだって、ついこの間までピチピチだったんだからね。
いくらでも笑っているがいいわ。

「子ども叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道。」っていうもんね。

くっくっく。
そこの御嬢さん。ここに来るまで、あっという間ですぜ。

・・・
はっ、いかん!
まだ確定申告による情緒不安定、支離滅裂、躁鬱気味が収まっていなかった!

つづく


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