行ってみろし、恵林寺

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日はマキオカ周辺の寺社仏閣について書きたいと思います。

わたしはおばさんの例に漏れず、寺社仏閣巡りが大好き。
若い頃はまさか自分がこんなヒトになるなんて思わなかった。

なんでしょうね、これ。
日本人としての血が騒ぐ、と申しましょうか。

もともと嫌いではなかったけれど、そんなに積極的に「行かねばっ。」と思う程ではなかった。
どちらかというと、海外でリゾート気分でまったりしたいよね、なんて身分不相応な贅沢を言っておりました。

海でまったり、なんてお肌のシミの元。
今や紫外線が体に悪いのは世界の常識。
大体まったりなんて、している場合ではない。
こちとら残された時間が少ないんじゃ。

それに日本の旅館やホテルには阿吽の呼吸ってものがある。
推し量る、というんでしょうか。
かゆいところに手が届くサービスには頭が下がります。
我がマキオカも頑張らねば、と思う次第。

・・ま、何と言っても海外に行けるお金がないんですけどね。
こういうのを負け惜しみとか、酸っぱい葡萄、というんでしょうか。

それはそうと。

わたしは地方の寺社仏閣を回ってみて思うのですが、地方にはまだまだ日本の文化や伝統が思ってる以上に息づいている、と思う。
時としてそんなことが実感できる出来事に巡り合えると、日本もまだまだ捨てたものではないと、心の底から嬉しくなります。

で、マキオカにもそんなことを思わせてくれるお寺や神社がたくさんあります。

歴史も伝統もあるわたしの大好きなところを、少しずつご紹介していきたいと思います。

まず有名なのは恵林寺。

武田信玄の菩提寺で、夢窓国師開山の古刹。
天正10年(1582)織田信長の焼き打ちに遭い、その後徳川家康が再興。
現存の本堂は明治の再建で奥に信玄の墓がある。 
                  
恵林寺

わたしが好きな話は傑僧、快川和尚の逸話。

『天正10年4月3日、天目山の戦いで武田氏が滅亡した後に武田の残党が相当多く恵林寺に逃げ込んだとのを聞いた織田信忠は、さっそくこの恵林寺を探索させることにした。
ここの住職 快川和尚は稀に見る傑僧であった。
織田信忠はその部下に命じて寺内の探索に当たらせた。
武将達は多数の部下を引き連れて恵林寺へ押しけ、武田の残党のものがこの寺内へ逃げ込んだと聞いたが、その者たちを寺から出してもらいたい。」と静かに要求した。
快川和尚が出てきて、「寺を頼って来た者には、御仏の加護をしてやるのが僧たる者の勤めである。まして窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずというではないか。野暮なことは言わないで、ここは静かにお引取り願いたい。」
「何をつべこべいうか、さっさとここへ出せ!」
「仏門に入った者はそう簡単にだせぬ。」
こんなやりとりの間に、佐々木その他の者をこっそり裏から逃がしてしまった。』

か、かっこいい。快川和尚。
惚れてまうやろぉ。

『織田側は武田の残党が多数入り込んでいることは、もはや間違いないとみたが、相手は世に名高い高僧なので手荒なこともできず、主人信忠に報告してその指示を仰いだ。
「構わぬから強引に入って立ち調べよ。調べてみて万が一、一人も出てこないようなら恵林寺を焼き払ってもかまわぬぞ!」と勝ちに乗った信忠。
織田の者は恵林寺を取り囲み、寺へ踏み込んでくまなく探したが一人も出てこない。
寺内には快川和尚をはじめ、高僧・役僧など十人とその他、学僧・小僧・老人など合わせて五十余人の者がいたが、これらをすべて山門に集めて再び手分けして本堂、庫裏、物置などくまなくしらべたが一人も 見つからない。

「どこへ隠した!?」
「おのれ、逃がしたな!」
「さあ、どこへ逃がしたか、誰と誰がいたか白状しろ。」
と、口々に大声でがなり立てたが誰も黙って返事をしない。
「よろしい、誰も白状せぬなら全部山門に追い上げろ。」
快川和尚はじめ、高僧・役僧・若僧・小僧など全部の者が山門へ上がったところで、
「火をつけて焼き殺せ!」
と、激昂して山門の周囲に枯れ草と枯れ木を積み上げて火を放った。』

や、やめてよ、そんなことすんの。熱いじゃないかっ。

『黒煙もうもうと立ち上がる中で、快川和尚は法衣を纏い静かに正座して読経を続け、泰然として頌を唱う。
「安禅心不用、滅却心頭火自涼」と。
この「心頭を滅却すれば火自ら涼し」は非常に有名な句である。』

「心頭を滅却すれば火自ら涼し」ってこの時の句だったんだよね。
凄いよ、快川和尚。
そんでもって、歴史には残らなかった大勢のお坊さん達も。

『快川和尚は火が身近に迫って来ても少しも動ぜず火達磨になって立派に焼け死んだ。
その他の役僧や学僧たちも、みな大悟徹底した僧であるので、少しも騒がず快川和尚に従って何れも壮烈 な死を遂げた。』

立派に焼け死んだって・・。
痩せ我慢もここまでくれば、歴史に名を残すんだね。
心頭、滅却しちゃったんだね。

『快川和尚の兄の子の朴蔵主はまだ子供なので、暑さに堪え切れず、煙の中から逃れようとして、山門の左右の桜の木にとびつく。これを見て、若僧・小僧などもわれ先に桜の木にとびつき逃れようとする。』

うんうん、無理ないよ。命あっての物種だよ。
そりゃ快川和尚はじいさんだし、修行もしているだろうからいいけどさ。
まだ子供は逃がしてあげて。

『武者共は槍を突きつけて取り囲み、片端から突き殺してしまった。』

くおらぁっ、なにすんじゃぁ!酷いじゃないか!!

『しかし、朴蔵主だけはさすがに可愛そうに思ったのか、殺すのをやめて助けてやった。この朴蔵主は後に淳岩和尚と号し、岐阜大竜寺中興の祖となりさらに恵林寺の跡を継ぐ名僧となった。』

『恵林寺焼き討ちの約二ヵ月後、焼き討ちの命を下した織田信忠は本能寺の変において親子共々、雄々しく討ち死にを遂げた。
このように、生き残りの僧は名僧となり世の尊敬をあつめ益々栄えたが、焼き討ちに関係した武将たちはいずれも年若くしてこの世から消え去った。』

むぅ、人の運命の奇しき巡り会わせよ。
諸行無常。

後の世の人間があれこれ言えるほど、単純じゃないんだね、きっと。
その人なりの正義や倫理観の中で、自分の人生を全うして逝ったんだろう、過去の人々。
歴史書の字面だけ読んで、知ったような気になっちゃ、いけないんだよね。

ま、とにかく山梨は隠れた逸話やら歴史の宝庫です。
大人になってから物を知る、ということは意外に面白いもの。

昔勉強嫌いだった皆さん。
それを隠して子供に説教垂れる時、役に立ちますよ。

実践しているわたしが言うんだから、間違いない。

つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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