龍口明神社の謎

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、竜の口の龍口寺の七面天月例祭に行ってきました。
                        竜の口の龍口寺
 
湘南海岸や江ノ島などの観光名所が随所にあるこの龍ノ口は、鎌倉時代、罪人を斬首する刑場でした。

日蓮聖人は、『立正安国論』を鎌倉幕府に奏上したことが、貞永式目の「悪口の咎」にあたるとして、市中引き回しの上、この地で斬首されそうになりました。その刑場跡に立てられたのが、龍口寺です。
               竜の口の龍口寺 江ノ電

おお、そんなことがあったと思えないようなのどかな風景。

実は最近西鎌倉にある龍口明神社にご縁があり、昭和53年に遷宮する以前は竜の口の龍口寺にあったと聞いていたので、一回元あった場所がどうなっているか調べたかったのです。
今の龍口明神社の宮司さんは女性の方で、伺ってみると元はとても小さなお宮だったのでこちらに移した、とのこと。

竜の口の龍口寺の御法要が終わった後、住職に龍口明神社の元宮の場所を伺い、山門の左側にあると教えて頂いたので、早速行ってみました。

鳥居から見た感じは普通。
龍口明神社

ところが石段を上っていくと。
                          元龍口明神社 鉄条網
                      
なんと、鉄条網が。
神社と鉄条網って、なんだか異様な組み合わせ。
そして確かに空っぽな雰囲気。
でも決して小さくなんかないし、立派な佇まいじゃないですか。

そもそも竜の口というのは、龍口寺背後の山並が、龍が海に向けて口を開けている姿に見えるため、その口にあたる所を龍口と呼んだことに由来するんだそう。

龍口明神社は鎌倉市に現存する神社では一番古く、 ご祭神は玉依姫命、および五頭龍大神。
五頭竜(ごづりゅう)は、伝承で神奈川県鎌倉市深沢に当時あった湖にすんでいたといわれる竜。

Wikiでは「あらゆる天変地異を引き起こすため、なだめるために十六人の子供がいた津村の長者の子供達も一人残らず五頭竜に捧げることとなった。この地名は昔『子死越』と呼ばれていたが、それは五頭竜に捧げられた生贄の名残である。今の地名は『腰越』である。」とある。

怖いよ。五頭竜。
『腰越』が『子死越』だったなんて、怖すぎだよぅ。

でもここから一転ラブロマンスに。

「あるとき江ノ島が隆起し、そこに弁天様がすむことになった。この地域を支配する五頭竜は一目惚れし、求婚したが、人間に対する残虐非道の行いを理由に断った。五頭竜はしぶしぶ湖に一度帰った。しかし翌日に心を改め、人間を守ることを弁天に誓ったという。」

急にかわいらしくなった五頭竜。

「それからというものの五頭竜は恋成就のために日照時には雨を降らせ、嵐や台風の時には神通力を発揮して追い返したという。そのせいで五頭竜の神通力はなくなり、やがて山側に向かい、片瀬にある龍口山に化けてしまったという。この山にある中腹には竜が口を開いた形をしたような岩があり、江ノ島の弁天を恋慕うようにみつめていたという。したがって、五頭竜は恋かなわず死んでしまったことになる(ただし、結婚したという説話もある。)。そのため、後の民は竜を慰めるべく龍口山には竜に助けられた民が祭った龍口明神社を祭るようになった。」

うぅ・・。いいもんになったんだね。恋は龍の心さえも変えてしまうんだね。

って、いい話で終わりそうなのに、なんで遷宮しちゃったの?


「龍口明神社は、龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されてから境内地のみ津村の飛び地として扱われ、鎌倉時代に刑場として使用された時期もあったためか、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたらしい。」

そうだよ。すっごい霊験のある神様なんだし、祟り、怖いよね。
それが何故?

だって大正十ニ年 (1923年)には、関東大震災で全壊したけど、昭和八年 (1933年)に龍口のままで改築したんだよ。
「太平洋戦争後のめざましい復興により、交通事情も悪くなり、神輿渡御も難しく、氏子の里へ昭和五三年(1978年)に村人達の総意により江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転しました。」とある。

あれ?「神輿渡御も難しく」っておかしくないか?

「神輿渡御」って神輿を江ノ島まで運ぶ行事。龍口明神社は江島神社と「夫婦神社」となっている。五頭竜は妻である弁天様に江ノ島へ毎年会いに行っているんですね。

今の場所は元あった竜の口より全然遠い。

逆にお二人の仲、引き裂いちゃってるじゃないですかぁ!

そして村人達の総意って?
大体から言って、昭和53年って、ついこの前じゃん。
江戸時代や明治時代ならともかく。
湘南って、当時だって都会のイメージバリバリなのに、村人って・・。
わざわざ昔のイメージを作っているところが怪しい。

たとえば、土地が何かの理由で接収されるとか、災害が起きやすい場所であるとか、社会的な大きな理由があったのならわかる。
でも調べてみても、今のところ何も浮かんでこない。

鎌倉市史で調べても、土地が三町にかかっていて、その争いを臭わせているだけで、移転の話は書いていなかった。
「龍口山が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われ」という部分がどうも臭い。

もしかしたら、「飛び地」にしておくためには津村に神社があるという既成事実が必要だったのでは?

でなければ、実質等価交換、とか。

今の龍口明神社は閑静な高級住宅街のど真ん中にある。単純に考えても億単位のお金が動いているはず。
氏子と当時の新興住宅街に住む人たちでお金がまかなえたとは思えない。

誰かちょっと目端の利いた人が発案して、皆がそれに乗っかっちゃった、なんて神をも畏れぬことしたなんてこと、ないですよね?
時代的には「日本列島改造論」が出た後の土地の高騰が問題になってきた頃。
浅知恵が跋扈しても不思議はない、かも。

それは穿った見方なんですかね?

物事を考えるとき、お金の動きで見るというのもおばさんの特徴。

そしておばさんはとっても疑り深い。


でももしそうだったとしたら、あまりにも罰当たりで歴史も伝承も無視したひどい話。

本当のことはわからないけど、どっちにしても五頭竜様と奥方の弁天様に申し訳ない気持ちでいっぱいなわたしなのでした。

つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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