「東国三社巡り」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

清々しい氣持ちで鹿島神宮を後にしたわたし達。
次は鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれている息栖(いきす)神社に向かう。
(最初に息栖神社、次に鹿島神宮で最後に香取神宮の順番が正しいという説もある)

東国三社をそれぞれ結ぶと直角三角形になるといい、この三社はいずれも富士山とも繋がっているらしい。、
鹿島神宮を出て、車を20分ぐらい走らせると息栖神社に着く。

鹿島神宮に比べこじんまりとしていて、参拝者は少ないようだが、落ち着いた雰囲氣だ。
本殿の手前に茅の輪がしつらえてある。

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茅の輪は、くぐることで禊をして邪悪な穢れを祓い、災難を予防する為のものだという。
そういえば、今は6月。
夏越の祓(なごしのはらえ)のためのものなんですね。

ここ息栖神社の祭神の岐神(くなどのかみ)は、鹿島大神・香取大神の先導にあたった神様。
「天浮舟(アマノウキフネ)」と縁が深い息栖神社は、本殿から見て正面がまっすぐ富士山に向かっているそうだ。

鹿島、香取神宮の祭神が武神であり神剣なのに、息栖神社は武神の乗り物「天鳥舟」であり、両神宮の神体は要石で息栖神社は井戸だという。

何故、息栖神社が皇室直轄の両神宮と一緒に「東国三社」とされるようになったのか。
「息栖神社の御祭神が武神たちを乗せた船の神様だったから」という説があるというが、きっと深い意味があるに違いない。

茅の輪をくぐり、本殿にお参りさせて頂くと、柔らかい空氣が伝わってくる。

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ふんどし息子がおみくじを引くと「大吉」と出た。
「きっと神様が喜んでくださっているに違いない」と、またしても自分の都合のいいように解釈するわたし。

一の鳥居の先には河口が広がり、その近くにご神体といわれる「忍潮井(おしおい)」がある。
鳥居に向かうと、右の家に「猿田」という表札が。
氣を付けて見ていると、この周辺はこの名字が多いようだ。
岐神(くなどのかみ)は先導の神であることから、猿田彦と同一だという説があるというのだが、もしや猿田彦のご子孫の方々なのか?

日本三霊水に数えられているという忍潮井は、人が入らないよう柵に囲まれていた。
利根川の河口の手前に作られており、井戸の中はびっしりと藻が生えていて、魚が泳いでいる。

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『忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸で あり神功皇后の三年(一九四年)に造られた ものと云われ、あたり一面海水におゝわれていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させ 住民の生活の水としたもので、海水をおしのけ て清水が湧出しているところから、忍潮井の 名が付けられたと伝えられている。』

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左右の鳥居の下の水中には「男瓶」「女瓶」と呼ばれる井戸があり、「男瓶」は銚子の形、「女瓶」はやや小振りで土器の形をしているんだそう。
覗き込んでみたが、よく分からない。

この「忍潮井(おしおい)」には伝説が残されている。

『その昔(平城天皇の御宇大同二年四月(八0九年)数キロ下流の日川地区より息栖神社が此の地に移された際、とり残されてしまった男女二つの瓶はあとを慕って三日三晩哭き続けたが、とうとう自力で川を遡ぼり、一の鳥居の下にヒタリ据え付いたと云う。この地に定着して後もときどき日川を恋しがり、二つの瓶は泣いたと云われる。日川地区には瓶の泣き声をそのまゝの「ボウボウ川」と瓶との別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されている。』

ふーむ、後を慕って三日三晩哭き続けたとは、情の深い瓶よのう。
でも、移ったら移ったで元いたところを恋しがって泣いたとは。
可愛いヤツめ。

ネットを漁っていたら、この二つの瓶の伝承にある日川(にっかわ)に、息栖神社の元宮と思われる「蚕霊神社」(さんれいじんじゃ)と呼ばれる神社があり、この蚕霊神社を息栖神社に置き換えて、鹿島神宮・香取神宮を線を結ぶと、正三角形が浮かび上がるという記事を見つけた。

正三角形とな?!
面白い!

東国三社 息栖神社

さらに蚕霊神社の由来に関係する、利根川沿いに下った河口付近の舎利浜(しゃりはま)という場所があるのだが、そこに着いた丸木舟は、なんとあの「うつろ舟」だったというのだ!

うつろ舟についてのまとめ

うわー、確かに『1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)』と書いてある!!

『「うつろ船」は、江戸時代、今の茨城県の太平洋沖に出現したとされる伝説的な未確認物体。
同時代からの文献にはたびたび記されていることで有名な話。
話は、ほぼ全ての資料で同じような内容であり「1803年、不思議な船に乗った、外国人女性が漂着し、船には見た事もないような文字がかかれ、女性は箱のような物を持っていてそれを大事にしているが、漁師達は気味が悪くなり、その女性を船に戻し、漂流させてしまった。」というもの』

「天浮舟(アマノウキフネ)」と「うつろ舟」。
どちらもUFOに関係が深いと言われている。

まさかこんな展開になろうとは!
なんという面白さ!!

やはり息栖神社が、鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれているのには深い意味があったのだ。
妄想はどんどん広がる。

広大なネットの大海原では、時としてこんな面白いカケラを拾い集めることができるのだ。

これだから人生オモシロイ!!

つづく

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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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