前世療法をやってみた(おまけ)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あけましておめでとうございます。
数少ない読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

三が日も終わり、日常に戻る直前の間の抜けた(?)日曜日の今日、いかがお過ごしですか?

わたしは去年から今年にかけて、日本人の意識の変化に驚かされることがままあった。

大晦日の鶴岡八幡宮での大祓は、いつにないたくさんの参列者で賑わっていた。
お清めのお酒を戴くのに40分くらい待たされたほど。
たぶんいつもの3割増しくらいはいたように思う。

新年になり、例年のように菩提寺である建長寺の半僧坊にのんびり歩いて行ってみると、ご祈祷所は座る場所もなくなるほどの信者さんで埋まっていて驚いた。

2日は毎年ふんどし息子と一緒に一般参賀に行っているのだが、今年はヤツが女の子と行くというので遠慮した。
なんといっても息子の人生がかかっておる。(知らないけど)
少しでも協力しなければ。
帰宅したふんどし息子によると、皇居に向かう行列がたくさんの人で動かず、予定していた次の回のお目見えになってしまったが、それでも前の方には行けなかったという。

これだけ立て続けに世間の変化を見聞きすると「やはり何かが動いているのではないか」という氣がしてしまう。
我が愛する日本にとって今年はどんな年になるのか、ワクワクしながら過ごしていきたいと思う。

それはともかく。

「前世療法をやってみた」って、あれで終わりじゃないの?と思われた皆さん。
わたしも「はー、年内で完結できてよかった!」って思ってました。
そのためにやることがてんこ盛りの年末に、後ろめたさを感じつつ合間を見てはパソコンに向かっていたはずだったんですが。

前世療法をやってみた(4)
で、わたしは
『今日、主人が亡くなる直前に撮影し、一度も見ていないビデオを押し入れから出してきた。
お正月に皆で見てみよう。
時期が来たんだと素直に思えたから。』
と書いた。

前世療法をした後、天袋に入っているビデオが目に入ってきて仕方がなかった。
そのビデオは15年間「封印されたものだったのに。

機械が大好きだった主人は、当時にしては画像が綺麗で高価なビデオを買い、子供の成長を写すのが趣味だった。
体調が悪くなったと氣が付いたのが2000年6月頃。
病院に行って精密検査をやるように言われ、8月に検査入院し「経緯の分からない難病です。何時亡くなるか分かりません。明日になるか、10年後になるか・・。」と告げられた。

夫婦で話し合って決めたことは「その日が来るまで後悔しないようにやりたいことをやる。」ということと、主人のたっての希望で「子ども達には病のことは話さず、いつもと同じ日常を暮らさせる。」ということだった。
娘は高校1年生、息子は小学5年生だった。

それからすぐに家族で何回も訪れ楽しい思い出を作ったサイパンに、「万が一のことがあった時はどんなにお金がかかっても何とかする。」という強い決意のもと、旅行の申し込みをした。

主人は時々一時退院をし、鎌倉の自宅に帰ったり、大好きだったマキオカに行ったりしていた。
そしてギリギリまで病のことは周囲に隠していた。
実の母にさえも。

そして11月5日成田を立ち、サイパンに無事到着することができた。
流石に浜辺で日光浴をして過ごすことが大半だったが、子ども達とボート遊びをしたり、笑い興じて過ごした。

9日に帰国し、翌日の夜救急搬送され、11日23時25分あの世に旅立った。
あまりの急な展開に、集中治療室に入り酸素マスクを付けている主人を見ても、息子はまったく状況を掴めていないくらいだった。

葬儀が終わり日常が戻ってきたけれど、あのビデオを観る氣にはなれなかった。
三回忌が過ぎ、七回忌が終わり、成人した娘から「あのビデオを観てみようよ。」と言われてもそんな氣になることはなかった。
主人が亡くなった前後の苦労話も、笑って話せるようになっていたのに。

機械が苦手なわたしには旧式で高価なビデオはハードルが高かったこともあるけれど、それ以上に「とにかくそんな氣持ちになれない」ということが大きかった。
忘れていたけれど、どうやらわたしは娘にビデオテープさえ預けてしまっていたらしい。

それが前世療法で主人と会うことができ(たような氣がし)、泣き笑いをしていた主人が「感謝」という文字を伝えてくれた後、突然「ビデオを観なければ。」という氣持ちが湧きあがってきた。

わたしの実家では、毎年1月2日に親族が集まって新年会をする。
そこにビデオを持ち込み、上映会をすることにした。
娘の夫と孫は動いている主人を観るのは初めてのこと。

甥が頑張ってくれ、なんとかビデオが動き出す。
そこには15年前の幸せそうなわたし達がいた。

何も知らず、屈託なく笑う小5の息子と楽しそうな高1の娘。
抜けるような青空とコバルトブルーの海を背に、明るく笑う主人。

傍から見たら何の問題もなさそうな家族だったろうが、この時わたし達夫婦は主人の死という大きな問題に背水の陣で向き合っていた。

あの経験以来、わたしは幸せそうに見える人々を見ても羨むことはなくなった。

そうそう、ビデオ上映会の翌日の帰宅途中、たまたまカメラの量販店に寄ったら、年末他店で注文したのと同じカメラがもっと安くケースやUHSカードまで付けて売っていた。
早速注文をキャンセルし、そのお店でカメラを買ったところ、ビデオをDVDにダビングする割引チケットをくれた。
その場で持っていたビデオテープを渡し、ふと思う。

むう、流石だぜ、亡き夫よ。
我が家の経済状態を把握し、わたしの倹約精神(いわゆるケチ)を見抜いている。
お蔭で思い立ってからあっという間に長年の懸案が解決した。
植物が枯れて風雨にさらされて時期が来ると種がポロっと採れる様に、その時を待つというのは大切なことなのだ。

それにしても、いったいこの流れはなんだろう。
まるで目に見えないものに「こっちだよ。」と指をさされているような。

この年まで生きていると「物事には潮目や流れがある。」ということを実感する。
ただわたしは流れに身を任せてさえいればいいとは思わない。

流れに身を任せながらも、微力であっても自分が向かいたい方向に一生懸命自分の手で水をかいていくことが大事なのだ、きっと。
そちらに行けようが、行けまいが。

だからわたしは今日も流れに水をかく。
必死に。
髪を振り乱して。


つづく




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No title

壮大なドラマがあったとは知りませんでした。でも必然?だったのでしょうね。封印していたものが解かれたということは何か意味があるのでしょうね。

Re: No title

mimosa さん、いつもコメントありがとうございます。
「壮大なドラマ」(!?)かどうかは別として、こんなトンデモな話を不思議とすんなり受け入れている自分がいました。
「あれには意味があった」と思えるような年の取り方をしていきたいと思います。
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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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