古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(17)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先程、前回の自分が書いたブログを読み返し「こ、こんなこと書いちゃって大丈夫なの?わたし・・。」と、ちょっと不安になる。

あんな下らないコト書いちゃったけど。
神様に怒られないよね?

いや、ただ古事記に書いてある文章を現代語訳にしただけなんですが。
そしてちょこっとわたしの率直な感想などを書いただけなんですが。
そんでもって「単純にお話として考えると」って前置きもさせて頂いているんですが。

ここは神の国、日本。
言霊の国。

八百万の神様がいらっしゃる場所なのだからして、ヘタなことを書いたら罰が当たるのは必定・・。
あわてて手直しをする。

あのぉ、違うんです。神様。
わたしの下らない雑文をたまたま読んだ若者が「ふーん、古事記って、こういうお話なんだ。」って興味を持ってくれるかもしれないと思って書いただけなんです。

・・いや、確かに読者なんてほとんどいないから、言い訳にしか聞こえないかもしれませんが。

ホントなんですっ。
これから心を入れ替えて、あまり下らないことを書かないように努力しますから、笑ってお許しください!

などと、かなり本氣でひとりブツブツ呟いておりました。
傍から見ると、相当ヤバいヒトですな。

それはそうと。

イザナギが妖怪達に追われた道筋をたどり終えたわたし達は、次に丹生谷地域にある「丹生(にゅう)八幡神社」に向かった。

『丹生とは,水銀鉱石の辰砂で赤色をしている。
「丹」は赤土の意味で,日本では古くは水銀鉱を丹や朱と呼び、辰砂の産するところは丹生谷と呼ばれてきた。
辰砂は,原始古代社会において炎や血と同色の赤色は呪術・霊力があるものと信じられ,古くから土器に塗られ,古墳の中にまかれ使われてきた。』
 
『史記』封禅書や『十八史略』に、次のような一説が記載されているという。

「灶(かまど=竈)の神を祀れば、丹沙(タンシャ=丹砂)を黄金に変えられ、その黄金でつくった容器から物を食せば寿命がのばせる。
それで長寿をえたなら伝説の蓬莱島(ホウライトウ)へ航海し、不死の神仙に会い、天地を祀って自ら不死になれる。」
 
さらに『魏志倭人伝』。

○ 倭の地は温暖、皆が裸足で歩いている。朱丹を身体に塗り、中国の白粉のように用いている。山には丹が有る。
○ 倭王は、奴隷・倭錦・綿衣・帛布・丹・木弣(弓柄)・短い弓矢を献上した。
○ 銅鏡を百枚、真珠、鉛丹各々五十斤を賜う。

地名には深い意味がある。
ふーむ、やはりこの辺りは古代から、かなり高度な文明があったに違いない。

幼児を連れたお父さんがのんびり散歩をしているこの神社の名が、そんな片鱗を窺わせているなど近隣の氏子すら知らないだろう。 

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その後、那賀町の「蛭子(ひるこ)神社」に向かう。

徳島に上陸、猛威を振るった台風11号は各地に災害をもたらし、那賀町でも床上浸水などの被害があり、境内は一時完全に水没したらしい。
入り口の神門に跡が付いていて、わたしが手を伸ばしたくらいまで水が来たことがわかる。

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この厳粛な雰囲気が漂う古社にそんな大変なことが起きていたとは。
境内には、樹齢1000年の夫婦杉の巨木がそびえ、社歴の長さを物語っている。

蛭子(ヒルコ)
『古事記において国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神。
しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。』

古事記では「水蛭子」と書き、「ヒルコ」と読ませている。

『オノコロ島に降りたイザナギとイザナミは,最初に水蛭子(ひるこ)と淡島を生んだと古事記に書かれている。
水蛭子は,不詳の子として通常考えられているが,後に続く淡島や淡路島,伊予二名島,筑紫島など島が続く文脈から考え,水蛭子だけを人と考えることは不自然である。
水蛭子は,土地を表しており,島と書かれていないのであるから,吉野川河岸の低湿地のことである。』

ふむ、なるほど。
そうだとすれば、この神社が水に浸かってしまう土地だということも納得がいく。

閑静な蛭子神社を後に、町中に入る。
小さな鳥居のある「賀志波比売神社」が、家々の間にぽつりと佇んでいた。

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Mさんによると「賀志波比賣(かしわひめ)神は天照大御神の幼名と考えられる。」という。、

社伝では、賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝え、ここが「津峯神社の本宮」であるとしている。

普通に歩いていたら見落としてしまいそうなこの小さな神社が、天照大御神のお生まれになった場所だとしたら、本当にスゴイ。

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『古事記の舞台は阿波だったと主張する「阿波古事記研究会」が、当社を天照大神の誕生の地としている。
即ち伊弉諾神が禊ぎをした「竺紫の日向の橘の阿波岐原」とは、阿南市の橘湾とこととしているのである。
亡くなった伊弉册神を黄泉の国に訪ねて行き、死体を見ないとの約束を破って追われて逃げた道筋を示す地名が阿波にうまくあり、その終点が当地と言うわけである。』 

聞けば看板や鳥居の設置なども阿波古事記研究会の尽力によるものという。

本当に阿波古事記研究会の方々のパワーと実績には舌を巻く。
ネット上はもちろんのこと、看板の設置から地元の人々への啓蒙活動等、こういった方々が核になり歴史を変えていくのかと、感動すら覚える。

古事記は今では誰でも目にすることの出来る現存する最も古い書物となっているが、江戸時代に本居宣長が古事記に解釈を施すまでの間、長く皇室の中に仕舞われて一般には目にすることが出来なかった秘蔵の書物であったという。

特別な学者ではなく、市井の人々のフィールドワークによって明らかになっていく古事記。
こうしてお話を伺いながら歩いていると、わたしのような門外漢ですら、、舗装された道が古代の草原に見える時がある。

ここは神の国。そして言霊の国。

今まで隠されていた真実の歴史が現れる時が、きっと来る。
もう、すぐそこに。


つづく


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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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