古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(9)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前回ザビエルについて書きましたが、日本について書かれた彼の書簡には以下のような文章があります。

2-1.書簡第90-12:1549年11月5日(鹿児島)
 この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
驚くほどの名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉を重んじます。
大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉だとは思っていません。

2-3.書簡第90-14(B):1549年11月5日(鹿児島)
 大部分の人は読み書きが出来ますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。
彼らは一人の妻しか持ちません。
この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰し、誰でも死刑にします。
盗みの悪習をたいへん憎んでいます。
彼らはたいへん善良な人々で、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です。

2-6.書簡第90-45:1549年11月5日(鹿児島)
 日本では飼っている家畜を殺したり食べたりせず、時々魚を食べ、少量ですが米と麦とを食べています。
彼らが食べる野菜はたくさんあり、少しですが幾種類かの果物もあります。
この地の人々は不思議なほど健康で、老人たちがたくさんいます。
たとえ満足ではないとしても自然のままに、わずかな食物で生きてゆけるものだということが、日本人の生活を見ているとよく分かります。

日本を去った後、ザビエルは布教の場を中国へ移そうとしますが、中国の地を踏むことなく広東の港の外にある上州島で、毒殺によって46歳という生涯の幕を閉じました。

ザビエルの残した書簡のお蔭で、当時の日本人の様子がよく分かります。

ありがとう、ザビエル!

禅宗のお蔭で屁理屈を捏ねるのは得意だったであろうご先祖様達。
ご苦労をおかけしちゃいましたね。

ごめんね。
今では男性型脱毛症の別名としてあなたの名前が使われています。

ザビエルがこれを知ったら「ハゲてるわけじゃないもんねっ。剃ってるんだもんね。トンスラっていうカトリック教会の修道士の髪型をしているだけなんだもんねっ!トンズラじゃねえし!!」と涙目になって訴えたに違いない。

それにしても。

学生の頃の歴史では、昔の民衆は常に虐げられていてカワイソウな存在だったと習った。
今にして思えば、現代のわたし達のほうがよっぽどカワイソウじゃないですかあ!

幕末、開国の使者として歴史を動かした米国総領事タウンゼント・ハリスが残した日本人を描いた文章にも以下の記述がある。

『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。
一見したところ、富者も貧者もない。
----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。』

 『私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。
生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。』

 『人々はいずれも、さっぱりしたよい身なりをし、栄養も良さそうだった。
実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない。』

『・・・婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である。
こうした光景すべてが陽気で美しい。
だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。』

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人がほとんど異口同音に語っているのは、日本人がいかにも幸福そうであったということ。

ジンルイ、進化してるんじゃなかったんですか?
ブンメイってなんですか?

いったいどういうことじゃぁぁ!

はっ、いかん、いかん。
古事記はどこへ行った、どこへ。

そうそう、芋焼酎「高志のを呂智」を作っている社長さんに別れを告げ、「天村雲(あめのむらくも)神社」に向かう。
曼珠沙華の咲き乱れる参道を歩いて行くと、のんびりした風情で境内はあった。

                                  IMG_3137_convert_20141009193205.jpg

「天村雲(あめのむらくも)神社」
『祭神は、天村雲命と伊自波夜比賣の二座。
忌部山にある忌部神社の境外摂社。
式内社「天村雲神社」は全国でも徳島のここだけにしかない。
ご祭神の天村雲命はスサノオノ命の息子である五十猛命(いだてのみこと)だといわれている。』

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つ。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草那芸之大刀(くさなぎのたち)の異名。

今回訪れた「天村雲神社」はスサノオノ命がヤマタノオロチを退治したときに出てきた天叢雲剣の名を冠している。

ここ「天村雲神社」の上流には銅や鉄などを産出する鉱山があり、戦前まで実際に採掘されていたらしい。
天皇家の祭事を上古の時代から司っている忌部一族が、ここで「天叢雲剣」を造り、天皇に献上していたのではないか、という説も。

さらに、スサノオノ命がクシナダヒメと新婚家庭を構えた地名は須賀なのだが、この神社の隣村に大須賀という地名があるとのこと。、

古事記に書かれている文言と実際に阿波に存在する地名との一致。
偶然と片付けるには、あまりに数が多い氣がする。

そして全国の式内社の中で「天村雲」を冠する神社は阿波国のみという事実は、何を語っているのだろう。

IMG_3138_convert_20141009193236.jpg


ふんどし息子の吹く磐笛の音が、風に乗って田舎道に響き、曼珠沙華がそよぐ。


つづく
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