有鹿(あるか)神社に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先週末は、久しぶりにふんどし息子と休みらしい休みが取れました。

土曜日は、中目黒でワイン1480円で飲み放題という我が家にとっては嬉しいイタリアンのお店を見つけてしまい、あまり記憶が定かではないくらい飲んでしまいました。

あー、いい歳して浅ましい。

だから「飲み放題」ってイヤ。
人のイヤシサが思いっきり出てしまう。(お前が言うな、の声あり)

あんなに飲んだら、お店の儲けがなくなってしまう・・。
ア・ラ・カルトをたらふく食べたから、お店の方、許してね。

二日酔い状態で日曜日を迎えたわたし達。
でも以前から行ってみたい神社があったので、早起きをして車に乗り込みました。

目的地は海老名市の有鹿神社(あるかじんじゃ)。
ここは以前FBで相模国最古級の神社だと知り、機会があったら行ってみたいと思っていました。
ナビに住所を設定し、7時に出発。

ホント、ナビって便利ですな。
でも我が家のナビはとってもマニアックな道を通る。
な、何故こんな細い裏道を?メイン通りの方がスピードも出せて早いのでは?と首を傾げることもしばしば。

ま、せっかく教えてくれているのに逆らうのもなんだし、従ってますよ。
方向オンチのわたしは従わざるを得ないというか・・。
ええ、従いますとも。

ナビちゃん、いつも知らないところに連れて行ってくれてありがとう。

それはともかく。

有鹿神社
『有鹿神社(あるかじんじゃ)は神奈川県県央に流れる鳩川(有鹿河)沿いに形成された地域(有鹿郷)に鎮座する神社であり、本宮は神奈川県のヘソ(中央)、海老名市上郷に鎮座し、有鹿比古命を祀る。
本宮、奥宮、中宮の三社からなり、「お有鹿様」とも呼ばれる。
中世までは広大な境内と神領を誇っていた神社で、当時としては、まだ貴重な『正一位』を朝廷より賜っている。

奥宮のある地域周辺は、国の史跡に指定されている勝坂遺跡であり、縄文時代中期より祭祀が行われていた有鹿祭祀遺跡からは、銅鏡、鉄鏡、勾玉などが出土している。
また、本宮の方も神社すぐ裏手で弥生時代の甕、土器類、祭器類が大量に出土しており、同じく祭祀が行われていたものと思われる。』

なんてったって「縄文の頃より有鹿の泉は水神信仰され、弥生の頃、農耕の発展と共に有鹿大明神と称え、有鹿神社を創建した」って言われているんだからスゴイ。

日本で一番由緒ある伊勢神宮でも、その起源は約2000年。
有鹿神社は約5000年というからその凄さが分かるというもの。

だから本宮と中宮で祀られている祭神の有鹿比古命(ありかひこのみこと)も、古事記・日本書紀にはその名がみえない神様。
(日本書紀は西暦720年完成。有鹿神社は天智天皇3年(664年)5月に、国家的な祭礼を行った記録があるくらい古い)
なんでも太陽の男神だそうです。

鎌倉時代には、神社界の最高位である正一位を朝廷より賜ったというのも納得。
海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として崇められてきたらしい。

か、かっこいい・・。

ナビに案内してもらった有鹿神社は、住宅街の中に意外なほどひっそりと佇む。
ごく普通の神社のように庶民的な感じ。

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参拝を済ませ、磐笛を奏上させて頂く。

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せっかくここまで来たのだから、中宮にも行ってみたい。

中宮は「有鹿の池(影向の池)」とも呼ばれ、本宮から約600メートル(徒歩5分程)の位置に鎮座しており、有鹿比古命・有鹿比女命の2柱を祀っているらしい。
境内にいらっしゃった大工さんや農作業をしていた方に、中宮の行き方を聞いてみてもわからないとのこと。

うろうろしていると、境内の外側に近隣の地図発見。
散歩がてら、歩いてみることにする。

この辺りは、裕福な農家が多いことが分かる。
どの家も土地が広く、庭の手入れも行き届いている。
これも有鹿比古命のご威光か?

まず有鹿神社の摂社の「三王三柱神社」が現れた。
狭い境内には、ひっそりと鳥居と祠があり、有鹿の井戸(化粧井戸)がある。

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手を合わせた後、中宮に向かう。
少し進むと、有鹿之池と書かれたお宮がありました。

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鎮座地には太鼓橋がかかっている小さい池(現在は水が張られていない。池??)と小祠、鳥居がある。
この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝承がある。

有鹿比女命(ありかひめのみこと)
水の女神といわれている。主な神徳は安産、育児などで奥宮と中宮で祀られている

この地に伝わる有鹿比女の悲恋伝説があります。

(以下、海老名市のHPより)
 今から約五百年前、愛川の小沢というところに金子掃部助(かねこかもんのすけ)という武将がいました。
金子掃部助は、関東管領山ノ内上杉家の家来、長尾景春が起こした戦に加わりましたが、武運つたなく破れ、小沢城を捨てて敗走しました。
 この掃部助と奥方の間には、美しい姫君がいました。
姫は早くから有鹿の地、すなわち海老名の河原口に住んでいた郷士の青年と婚約中で河原口にある海老名館に来ていましたが、「小沢城危うし!」といううわさに、急いで小沢に戻りました。
 しかし、時すでに遅く父は戦死、母は行方知れずと聞き、すっかり生きる望みを失いました。
覚悟を決めた姫は、見苦しい姿を人目にさらしたくないと、薄化粧をして、まだ燃えている小沢城を後に天に向かって手を合わせると、ざぶん!と相模川に身を投げたのでした。
 するとどうでしょう。美しかった姫の体は、たちまち恐ろしい大蛇に変わり、大きくうねりながら下流に向かって泳ぎ出しました。
途中、六倉という所で大きく身震いすると、相模川の水が舞い上がり、中津の原に大きな水たまりができました。
 さらに水しぶきを上げながら進み、河原口に近ずくと、姫は再び人間の姿に戻り、息絶えて有鹿神社の裏の河原に打ち上げられました。
 神社の氏子らは、海老名の地に嫁ぐ日を夢みていた姫の死を悲しみ、せめてもにと「有鹿姫」の名を贈り、神社の片隅に、その亡きがらを葬りました。
現在、有鹿神社と有鹿小学校の間には、若くして散った有鹿姫をしのぶ碑が建てられています。

哀れなり、有鹿姫・・。
お姫様も大変ね。

座間市の鈴鹿明神社には下記のような由緒書があるようです。

『創建年代は不明だが、鈴鹿神と有鹿神が争った説話縁起で知られるとある。
この神社の縁起によると、欽明天皇の御代(539~571)のこと、伊勢国鈴鹿から座間に移られた鈴鹿神は多くの財宝を持ち、豊かな暮らしを送っていた。
当時、相模国勝坂にいた有鹿神はそれを聞いて、横取りしようとしてやってきた。
これがもとで争いとなり、急を聞いて駆け付けた諏訪明神と弁財天の応援で鈴鹿神が勝ち、有鹿神を海老名の上郷へ追い払った。
このため、有鹿神は勝坂へ帰ることができず、やむなく上郷に住み着くことになったと言う。』

この縁起も何かいわくありげ。
部族同士の争いがあったことを窺わせる。

盛者必衰、栄枯盛衰。
永い永い歴史の中で、この地にもたくさんのドラマがあったに違いない。

神社のすぐ前にある小学校でバスケの試合があるらしく、有為転変があったのも知らず、子どもたちが笑いながら歩いている。

学校から響く歓声を背に、わたし達は奥宮のある勝坂遺跡に向かったのでした。


つづく

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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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