「愛」を思う

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日娘が、素晴らしいセラピストさんの施術をプレゼントしてくれました。
あー、氣持ち良かった。

ありがとう、娘よ!
そしてムスコよ。
(「娘の旦那様」といちいち書くのが面倒なので、息子と見分けるためにカタカナで「ムスコ」と書くことにしました)

とっても感謝しています。
愛だね、愛。

それはそうと。

以前「愛」という言葉は明治時代に生まれた、と聞いたことがあります。

『「愛とは人を思いやることだ」とは、今日多くの日本人が持つに至った理解です。
ところが、昔の日本には、「愛」という言葉にそのような意味はありませんでした。
じつは仏教には、慈しみを意味する「慈悲」と、愛欲・愛着を意味する「愛」という言葉があります。
仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味なのです。
仏教の「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎません。そのため、仏教では「愛」を否定しています。

『法句経』にこう書かれています。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
この「愛」は、執着心の意味です。仏教では、「愛を離れること」が理想なのです。
ですからかつての日本人は、この仏教の「愛」概念にしたがって、「愛」に否定的な意味しか見ていませんでした。
それが明治時代の頃から、しだいに「愛」という言葉の意味が、少しずつ変わってきました。
今日では、愛とは「人を思いやることだ」「人生において最も大切なものだ」などの捉え方を、多くの日本人がしています。
「愛」に、積極的な新しい意味を見ているのです。

これはじつは、キリスト教の影響によるものなのです。
キリスト教においては、人に対して良いことをなすことを、「愛」と呼んでいます。
今日の日本人が、「愛」に肯定的・積極的な意味を見るようになった背景には、このキリスト教の愛の思想が影響しているからです。

かつて江戸時代において、「愛」は「愛着・執着・愛執」の意味しかありませんでしたから、キリシタンはキリスト教の「愛」(原語アガペー)を、「大切」「思い」「懇切」等と訳していました。
明治になると、クリスチャンたちは「愛」の語を、「和訳聖書」の中でも、説教の中でも、堂々と使うようになりました。
その結果、日本語の意味そのものに変化が起こったのです。』

仏教では「愛」を否定し、かわりに「情」という言葉を使っているらしい。
ただし仏教の否定する「愛」とはキリスト教の教える「愛」と同じではなく、仏教のいうところの「愛」は自己中心的なもので、「情」は相手の気持ちになって相手を思いやり共に分かち合うことを意味するとのこと。

夏目漱石が英語教師をしてた時、生徒が「I love you」を「我君ヲ愛ス」と訳した所、「日本人がそんな台詞口にするか。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ。 それで伝わるものだ」と言ったという有名な話がある。
後世の創作の可能性もあるというけれど、確かに明治生まれの父は「愛してるなんて気持ち悪いこと、口が裂けても言えん。見りゃわかるだろ。」と言っていた。

噂によると女性に手が速かったという亡き父は「愛してる」なんて言わずにさっさと押し倒すタイプだったと思われる。
(公の場でバラしてゴメン、父よ)

「愛」の翻訳についてこのように書いてる方がいた。

『「愛」より、「Love」の初期日本語訳「お大切」のほうが、すっとこころに入ります。
「神の愛」は「神のお大切」だったそうなんですけど、「神のお大切」ヘンな日本語でも、なんともいとおしい。
訳した人の苦心もうかがえ、苦心したゆえに何か多くを語りかけているような「お大切」。』

「お大切」。
なんか、いい。

息子も娘も孫も「お大切」。
親兄弟も「お大切」。
ムスコもムスコの親族も皆「お大切」。

自然も地球も「お大切」。

「愛」は大切にしたいという氣持ち。
すごく分かり易い。

「わたし(もしくはオレ)のこと、愛してる?」と言わなければ氣が済まないカップル達。
「愛が一番大事です。」と叫ばなければ氣が済まない大人達。

今「愛」という言葉は、相手の氣持ちを確認して不安を和らげたり、人々がいい氣持ちになるために、日本中に溢れかえっている。
昔の日本人が聞いたら「しゃらくせえ。当ったり前なこと、いちいち口に出して言うんじゃねえ。」と鼻で嗤うに違いない。

わたしの祖母は結婚式の時に初めて祖父に会ったという。
いろいろ苦労もあったようだが、添い遂げた二人にはやはり「情」があったように思う。
もしかしたら祖母は生まれてから一度も人様から「愛してる」と言われたことがなかったかもしれない。
しかし「愛」という言葉が溢れかえっているにもかかわらず、不安で「愛」を尋ねなければ氣が済まない現代の人達より幸せではなかったか。

一緒に暮らすうちに情が生まれ、大事に思う気持ちが育まれる。
自分より相手を大切に思い、力になりたいと願う。

生き物として生まれ、自分より大切な物を見つけることができるということはスゴイことなのではなかろうか。

わたしはしょっちゅう「愛」を呟く人達よりも、いざという時命がけで相手のために力になろうとする人を美しいと思う。
そしてわたしもそうなりたいと思う。


・・あ、誰からも「愛してる」って言われないおばさんになったから言ってるわけじゃないんだからねっ。

ホントですってばっ!


つづく


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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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