伊勢、京都、出雲に行ってきた!(23)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

早朝参拝を終え、朝食を済ませたわたし達。
いよいよ「伊勢、京都、出雲の旅」も最終日です。

18時55分の寝台特急「サンライズ出雲」で帰ることになっているので、出発までの時間をレンタカーで回ることにしました。

チェックアウトを済ませ、「稲佐の浜」に向かいます。
気を付けていないと、見落としてしまいそうになるくらい近い。
海岸線に丸い島があり、鳥居が立っている。

                   
「稲佐の浜」は国譲り神話の舞台。
古事記の中でも「伊那佐の小濱」として登場し、旧暦の10月神在月(かみありづき)には、ここの浜から八百万の神々が上陸、「神迎神事(かみむかえしんじ)」が執り行われるという。

全国の八百万の神々をお迎えする浜であり、出雲の歴史を語る上で非常に重要な場所らしい。

神話では、高天原から下った建御雷命と、出雲を支配していた大国主神が、砂に太刀を立て、国譲りの相談をしたといわれる浜で有名とのこと。

海岸にある鳥居のある島は弁天島といい、昔は遥か沖にあったらしいが、近年急に砂浜が広がり陸続きになっている。
                    稲佐の浜


弁天島に向かって、磐笛を奏上させて頂く。

出雲大社が祀る大黒様、別名大国主神(オオクニヌシノミコト)は、国引き神話の中心人物として、さらに因幡の白ウサギを救ったことでも有名だけど、ここで白ウサギが泣いていたと思うと何だか面白い。

以前、擬人化した白ウサギは実は若いオンナのことを言っている、と聞いたことがあるけど、そう考えると何やらエロチックな話と思えなくもない・・などとしょうもないことを想像するわたし。

出雲のパンフレットを読んでいて、行きたいと思った命主社(いのちぬしのやしろ)。
どこかと思って調べたら、意外にすぐ近くにあるということが分かり、また出雲大社方面に戻り、駐車場に車を停めて歩いていく。

人家を通って行くと、何やらおじさん達がワイワイやっている。
何かと思ったら、猟をしたらしく鹿肉を切り分けている最中だった。
そのおじさんに聞いてみると、すぐ裏手にあるブランコが置いてある小さな広場の地続きにあるという。

民家のわきをすり抜けると、巨木があり、息を飲む。

               命主社


推定樹齢1000年といわれ、高さ17m、根本回り12mもあり、板状の根が発達し、2m近くも根上りした見事なムクの巨木は、その向こうにある命主社(いのちぬしのやしろ)をお守りするかのような佇まいで聳えていた。

命主社(いのちぬしのやしろ)
『正式な名称は「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」で天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られている。
巨岩の前に建てられていることから、古代の磐座(いわくら。神の御座所。自然の巨石をさす場合が多い)が神社に発展した例として貴重な神社です。』

鳥居もなく、狛犬もない。
どこからが神社の敷地なのか、よくわからないような、なんとも自由な神社。
村の小さな氏神様のような感じですが、さにあらず。

ご祭神の神皇産霊神(かみむすびのかみ)は、天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、『古事記』で、最初に現れる神様のうちの一柱。
つまり、日本の最高神である天照大御神よりもずっと古い神様が祀られているということ。

神皇産霊神は大国主に”国造りの大業”を授けた神であり、大国主の知恵の源である。
そして大国主が死にかけた際に何度も命を救った事から、別名「命主」とも呼ばれているらしい。

なるほど、それで「命主」。
正に知恵と蘇りのエネルギーを持った神様なんですね。

さらに本殿裏にある真名井遺跡。

                              命主社 遺跡

江戸時代にここから銅矛と翡翠の勾玉が出土し、少なくとも弥生時代から何らかの祭祀が行われていたと言われています。

『寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
銅戈は銅鉾(どうほこ)、銅鐸(どうたく)と並んで弥生時代を代表する青銅器ですが、勾玉と一緒に発見されたことは注目されます。
銅戈は北部九州産、硬玉製勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、この時代に北部九州、北陸と交流があったことを物語っています。
2つの遺物は、天孫系三種の神器のうち、剣と玉にあたり(あと1つは鏡)、これが出雲大社の近くから出土したこともあって昭和28年(1953)に重要文化財に指定されました』

なんと銅戈と勾玉が同時に見つかったのは全国でここだけだそう。

スゴいぞ、スゴい。

地元の方は「いのっつぁん」と呼んで親しんでいるというが、これってもしやすっごく身分の高い方が市井の人となって、地元に溶け込んでいる、みたいな?

ここは古代の祈りの場として、神様をお迎えするとても神聖な場所、要するに神籬(ひもろぎ)だったのでは?
なんとも言えない空間の空気感にぞくぞくするわたし達。

ここの近くにあるという「真名井の清水」に行くために、さらに住宅街を歩く。

「真名井の清水」へ行く通りを「社家通り」といい、神官の住宅があるらしい。
瀟洒な屋敷が並んでいて、ひっそりとしている。

「真名井の清水」は、出雲大社の神事に関わる神聖な清水で、出雲大社のそばにある榎の木の根元から湧くご神水とのこと。

真名井の清水

入り口に立っている立て看板には
『真名井の清水は昔から出雲大社の神事に関わる神聖な清水とされてきました。
とくに十一月二十三日の古伝新掌祭の祭事中、国造の寿齢を延ばす「歯固めの神事」には、この真名井の清水が用いられる習わしになっています。「神水」として遠くからこの清水を汲みに来る人も多く、島根の名水百選にも選ばれています。』     
と書かれている。

ここまで整備されると神様も居心地が悪いのではないか、と思うほどのとても立派な造り。
見方によっては足湯に見えなくもない。

有難く持っている水晶と磐笛を洗わせて頂く。
何やら輝きが増したような気がするのは気のせい?
(うん、明らかに気のせいですね。)

ゆっくりと「社家通り」を戻り北島国造館に着くと、結婚式をやっていた。

うれしそうな紋付き袴の新郎と綿帽子姿の新婦を、出雲の神々が寿いでいるお姿が見えたような気がしたのは、やっぱりわたしの気のせいなんでしょうか。


つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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