伊勢、京都、出雲に行ってきた!(21)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「世界が破滅する最期の景色」と言われても納得してしまうような見事な夕日を後に、日御碕灯台から「竹野屋」に急ぐわたし達。
今は目よりお腹を満たしたい。

予定より随分遅くなってしまったので、一応電話を入れておく。
「竹野屋」さんに着いたのは6時40分くらい。
部屋に案内して頂き、大急ぎで入浴する。
温泉ではないが、清潔感のあるお風呂は過酷な旅でへとへとになった体と心を優しく解きほぐしてくれる。

7時に食事をお願いしていたので、急いで食堂へ。
ベテランのおばちゃんの御給仕で、夕食を戴く。

                       竹野屋 夕食


とにかくご飯が美味しい。
島根の米は昼夜の激しい寒暖差によって、極上の旨味が引き出されるらしい。
どっしりとした粘りがあり、米粒の旨味が口いっぱいに広がる。

あー、満足。
実は「竹野屋」さんは、今回の旅で唯一の高級旅館(わたし達にとっては)だからすっごく楽しみにしていたの。
深夜バスで背中を丸めて過ごし、水洗トイレの水が流れる音の響く部屋で空腹を抱えていたんだから、無理はあるまい。

部屋に帰ると、すでに布団が敷いてあった。
あー、ふかふかの寝心地の良さそうな布団。
一昨日の湿った化繊の布団とは大違い。

その夜、久しぶりに熟睡したわたしは、翌朝5時過ぎに目が覚めた。

これは出雲大社に早朝参拝に行かなければっ。

息子を起こし、二人で外に出てみると、出雲大社の門前町は朝焼けの光に包まれていた。
大鳥居をくぐり、思い切り空気を吸う。

この鳥居は、九州小倉の篤志家により、松の並木280本とともに寄進されたんだとか。
一個人の尽力で、大社周辺の景観が今のように整備されていたとは。
凄いですね、小倉の篤志家の方。
尊敬します。

ふと見ると右手に誰かの彫像が見える。
まだ朝食まで時間もあるので、参道から外れ、芝生を横切って見に行ってみる。

青銅色のそれは千家尊福卿像だった。

千家尊福(せんげ たかとみ)
『出雲大社宮司である出雲国造家に生まれたが、宮司から離れ「貴族院議員」、「埼玉・静岡県知事」、「東京府知事」、「司法大臣」を歴任した宗教家であり政治家です。男爵の爵位も賜っています。後に「教派神道出雲大社教」を創始。』

大晦日から元旦にかけて除夜の鐘を聞いて年が明けた時によく歌われる「一月一日」という曲。
この千家尊福さんが作詞されたんですね。

         【 「一月一日」 】
          年の始めの 例(ためし)とて
          終りなき世の めでたさを
          松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
          祝(いお)う今日(きょう)こそ 楽しけれ


むう。
氣品があり、にぎにぎしく新年を寿ぐ日の本の民の歌、といった風情が素晴らしい。
さすが男爵が作られた歌です。
作者どころか題も知らなかったけど、わたし、この歌好きです。

今から70年ほど前、子供達は元旦から学校に登校し、恒例行事として校庭でこの歌を歌っていた。
それで「一月一日」という題名になったんだそう。

この千家尊福に関して、興味深い話がある。
『千家尊福は恐れ多くも明治天皇に借金の申し込みをし、断られていたことです。
借金は認めてもらえませんでしたが、出雲大社教の立教を特別に認めてもらいました。
また、千家尊福の三男がある女性との結婚を反対され、列車に飛び込んで心中したということです。
そして、この三男の名前が家系図から抹消されているらしいのですが、本当のところははっきりしていません。』

明治天皇に借金!
もしこれが事実なら、スゴイ話。
日本史上、千家家は天皇家に次いで二番目に古い祖先の系統をもつ家柄なのだそうだけど、世間的には雲の上の存在のような尊福さんも色々悩みがあったんだろうなぁ、としみじみとした氣持ちになる。

ふと横を見ると、何やら石碑が立っている。
なになに?

                      出雲大社 大本


「大本教祖火の御用記念碑」と刻まれている。

大本教祖火の御用?
一瞬鳥肌が立つ。

実は大本教の「お」の字も知らなかったわたしは3・11をきっかけに日月神示を知り、麻賀多神社に行き、大本教の出口王仁三郎について調べ始めた。
今年になって「岡本天明伝」の著者のKさんと知り合い、この夏Kさんの「甲斐の御用」のお手伝いをさせて頂いたばかり。

何故こんな所にこれが?
それより何より何故わたしはここに来ちゃったの?

もし鳥居をくぐってそのまま真っ直ぐに進んでいたら、ここには来なかった。
こ、これは偶然の出来事のようで、実は必然だったりなんかしたりして?

それはともかく。

出口王仁三郎は有栖川宮熾仁親王(皇女和宮の婚約者であり、明治新政府の初代総裁。明治22年において皇位継承第一位)のご落胤というまことしやかな噂がある。
明治天皇の皇后一粂美子(のちの昭憲皇太后)の姪にあたる鶴殿ちかこが熾仁親王の落胤との噂を聞き、その真偽を確かめに行き、王仁三郎が熾仁親王に生き写しであることに驚き即日入信した、とか、王仁三郎本人が裁判所で証言した、などの話は枚挙に暇がない。

本当かどうか、わたしには知る由もない。
が、その中で氣になるのは、大本がマイナー集団だった時代に、千家尊福が門外不出の「出雲のご神火」を氣前良く下げ渡しているということ。

うーん、普通に考えて、そんなことってありますか?

「大本」の奥宮がこの出雲大神宮であり、毎年ここで大本教が神様への献茶会が催されているとのこと。
出雲大社と大本の関係、かなり深いものがあるのは間違いないらしい。

とにかく、全くの門外漢のわたし。
何かに導かれてここに来させて頂いたのだとしたら、ホント、有難いことです。

が、それってちょっとコワいことかもしれない。
だって、いつも見られている、ということだから。
あんな時も、こんな時も、そんな時も、上からじっと見られていると思うと、ちと困る。

昔の日本人には「常にお天道様が見ていらっしゃる」という意識があったと思う。

「天知る、地知る、我知る、人知る」。
肝に銘じて、これからの老後を生きていこう、と誓うわたしなのでした。

つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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