帯那山に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日マキオカにメンテナンスに行ったついでに、帯那山に行ってきました。

帯那山は甲府市と山梨市(旧東山梨郡牧丘町)の境にあり、山梨百名山の一つに挙げられる、とても見晴らしの良い山とのこと。
5月上旬から中旬頃、林道沿いや山頂展望台周辺に吉野桜が咲くほか、6月中旬には山頂東面のなだらかな斜面にアヤメが咲くことでも有名な山らしい。

時は六月。
アヤメを見に行かねば!

前日、熊男(仮名)から帯那山について、いろいろリサーチをしておきました。
昔は娯楽がなかったので、この辺の集落の若い衆は、皆6月になると帯那山に行ってお酒を飲んだとか。
小学校の遠足でもよく行ったらしい。

翌朝「ちょっくら行ってくっか」的な軽い氣持ちでマキオカを後にします。
赤芝の集落に入って行くと、樹齢400年の膝立の天王桜と津島神社があります。 

 津島神社

                    津島神社 看板


「由緒ははっきりしないが、京都の祇園様からの勧請か、インドの祇園精舎の守護神が牛であったことから、牛頭天王ともいう」なんて書いてある。

祇園って・・、シオン?
失われた10支族?
日ユ同祖論?

はっ、いかん、いかん。
つい、いつもの都市伝説好きの癖が出てしまった。
また子供たちに怒られてしまう。
それにしても何故山梨の僻地(失礼)に祇園が?

気を取り直して進むと「鍵懸の関」が出てきます。

『武田信之という人物をご存知でしょうか?西保三郎とも称します。彼は天文十二年(1543)、武田信玄と正室三条夫人(円光院殿)の間に三男として誕生しました。
彼が称した「西保」という場所は現山梨市牧丘町の山間にある地区名です。こちらには、信玄・勝頼期に雁坂方面の軍事上重要な間道として使用された、西保-赤芝-切差-太良峠-積翠寺-躑躅ヶ崎館とつながる秩父裏街道があります。その間道で重要な、かつ機密性の高い関所がここ山梨市牧丘町赤芝地区の鍵懸の関です。』

あ、だからこの辺、西保地区っていうんだ。
しかも三男だったから三郎って、なんて安易な名前の付け方。
いや、通り名で「西保を治める三男坊だよ」って意味だからいいのか。ふむ。

・・っていうか、それよりここって、そんなに重要な関所だったのね。

武田信之は11歳で病のために死去してしまったという説や、豊臣秀吉の小田原北条征伐の際に豊臣方に敗れ自害したとの説もあるらしい。
どちらにしても歴史的に大切な場所だったという印象だけど、今や限界集落に成り果てている。

ほんと、時代の流れを感じますな。
そして時間の渦に巻き込まれ、いろいろな事が流れて行ってしまう。

関所跡の少し奥に行くと動物除けの柵があるので、チェーンを外して林道に入る。
そこから気持ちのいい山道を走らせていく。

どんどん走らせて行く。
走らせて行く、が。

・・着かない。
着かないよお!

小学生が遠足で行ったんでしょう?
若い衆がお酒持って、毎年楽しみに歩いて行ったんでしょう?

着かないよ、峠は越えた感じなのに。

ちょっと遠すぎないか?
標識、見落としちゃったのか?

不安に思いながら進んでいくと、林道を抜けてしまった。
左は山梨市、右は甲府。
??
どこに行ったの?帯那山。
取りあえず山梨市の方に行ってみる。

途中、このまま行ったら絶対に帯那山には着かないことに氣が付く。

んもう!
絶対に今日中に行くもんねっ、帯那山。
意地でもに行くけど、ちょうど山梨市にも用事があるからそのために進んでるだけだもんね。
迷って無駄にガソリン使っている訳じゃないんだからねっ。

根がケチで無駄が大嫌いなわたしは、自分にそう言い聞かせて悔しさを紛らわせ、朝食後の再チャレンジを心に誓うのでした。

つづく

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