「王仁の道をゆくvol.1〜出口王仁三郎の足跡と縁の地を巡るプチ探訪〜」に行ってきた(2 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

矢野祐太郎・シン夫妻の旧宅跡を後に、化粧坂切通しに入ります。
鎌倉の山は晴れていてもぬかるんでいることが多い。
ましてや午前中はかなり雨脚が強かったから、当然歩きにくい。

なんとか日野俊基の墓に到着。

               日野俊基の墓

『日野俊基は、1324年(正中元年)、後醍醐天皇の倒幕計画に参加した罪で捕らえられ、日野資朝とともに鎌倉に護送された(正中の変)が、この時俊基はゆるされた。
1331年(元弘元年)、後醍醐天皇は再度倒幕計画を企てるが、これが露見し、日野俊基は再び捕らえられ、翌年6月3日、葛原ヶ岡で処刑された(元弘の変)。
俊基は、鎌倉に入ることなく仮粧坂の葛原ヶ岡で斬首されたと伝えられている。』

こ、ここで斬首されちゃったんですね?
『太平記』によると、処刑の時「太刀影後に光れば、首は前に落ちけるを、自ら抱て伏給う」なんて書いてある。

日野俊基が斬首された翌1333年(元弘3年)、新田義貞は、巨福呂坂、極楽寺切通、そして俊基の眠る化粧坂から鎌倉を攻め、5月22日、稲村ヶ崎を突破し、東勝寺に籠もる北条高時ら一族を自刃に追い込み鎌倉幕府は滅亡するのですが。

諸行無常。
万物流転。

明治時代になると、日野俊基は倒幕の功労者として評価され、日野俊基を祭神とする葛原岡神社が創建されたらしい。

もちろんここにも出口王仁三郎は来ていたんですね。
矢野家からすぐ近くだし。

皆で手を合わせた後、葛原岡神社に向かう。

葛原岡神社

何やら音楽がなっているかと思えば、雅楽がテープで流されている。

これは必要なのか?
いや、わたし的には、やっぱ邪魔。

ここで皆で参拝。
黒川さんが磐笛を奏上する。

実はわたし達親子も磐笛を持参していたの。
ちょっと一緒に奏上させて頂けたらいいなあ、なんて思って。

で、ご迷惑かとも思ったんですが、こんな機会はあんまりないと思って、後ろの方で恐る恐る奏上させて頂きました。

三つの磐笛が奏でる音が濃い緑の中、響き渡る。
空氣が張り詰める。

が。
歳は取りたくないもの。
黒川さんや息子と違って、わたし、息が続かないの。
仕方がないよね、おばさんだもの。

ま、ちょうどいい感じでちょっとだけ三重奏になった気もしないでもない。
おばさんの肺活量の無さが逆に良い作用を及ぼしたとも考えられる。

わたしの磐笛は、息子がネットで買った磐笛のおまけについていたものだし。
おまけの磐笛。
どうなの?
ちょっと有難味に欠ける気も。

それはともかく。

葛原岡神社を後に、ハイキングコースになっている道をひたすら歩く。

今回の参加者は老若男女、様々な方が参加されている。
お歳を召した方も、素敵なスカートを着てきた方も、前日東京入りしてお疲れな方もいらっしゃる。
足元はぬかるみ、粘土のようになっている下り坂。
皆で助け合って、まるで何かの苦行のように黙々と歩く。

あっちで滑って転ぶ方、こっちで這いつくばってしまう方が続出。
傘を杖代わりにする人、蟹のように横歩きする人、手に手を取る人。
皆無口になり、緊張感が走る。

正に一蓮托生。
誰かが滑ると、芋蔓式に泥まみれになる可能性が。
もはやハイキングの面影はない。

主催の黒川さん、出口さんは氣を使われて、ホント、大変。
精神的にかなりお疲れになったと思う。

途中休憩もほとんど取らず、大仏近くの道路に下り立ったときには、皆の中には同じ戦いを終えた者たちに流れる、生暖かい連帯感が生まれていたのでした。


つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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