6/10 麻賀多神社まで歩く 8キロ走破の巡礼に行ってきた(4 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

美味しい直会を戴いた後、わたし達は車に分乗して印旛沼湖畔の甚兵衛渡し(水神の森)へ行くことに。
わたしが乗せてもらったのは軽乗用車だったんだけど、無理やり5人乗る。

途中運転をしていた写真家の方が「あ!警察!」と小さく叫んだ。
とっさに車の床に這いつくばるわたし。

そう、この間運転中携帯をかけていて危うく切符を切られそうになり、一氣に血圧が上がってしまったわたしは、つい条件反射で忍者のごとくとっさに身を隠してしまったんですね。

車の中ではどう見てもわたしが最年長なのに・・。
うぅ…身についてしまった小市民根性が哀しい・・。
小学生の時自転車で二人乗りをしていて、お巡りさんがいるのに氣が付き慌てて自転車から飛び降りた時のことが走馬灯のようによぎる。
50代半ばにして車に這いつくばっているわたしは、もしや小学生の時からあまり進歩していないのでは?

そんなこんなしている内に印旛沼の湖畔に到着。
ここは「甚兵衛渡し」があったところ。

『甚兵衛という人は、佐倉惣五郎が江戸に直訴に行く際、甚兵衛が惣五郎を小舟に載せて印旛沼を渡し、対岸の吉高に送り届けました。おかげで惣五郎は、佐倉藩の厳しい監視を潜り抜けることができたのです。
 しかし、甚兵衛は既に老齢。自分のやったことが佐倉藩に見つかってしまった場合、老いた自分が牢屋に入れられてしまいます。そうなることを恥じた甚兵衛は、自ら印旛沼に身を投げ、自殺したと伝えられています。』
と書いてある。

でもネットで調べてみるとこんな記述が。

『(将軍家に直訴する前に宗五郎は大老・酒井雅楽頭に駕籠訴えをするが)酒井は宗五郎の身柄を上野寛永寺の凌雲院大僧正・お手代圓珠院に預ける(寛永寺内は一種の治外法権エリア)。
こうなれば命を捨てる覚悟で将軍家に直訴するしかない、と宗五郎に助言した圓珠院は、出入りの駕籠屋(侠客)井筒屋五郎兵衛に命じて、妻子との別れをさせるため宗五郎を佐倉へ送る。
安食の宿・島屋源兵衛という旅籠で役人の詮議を危うく逃れると、宗五郎は松崎の土手へ。
ここで渡し守・甚兵衛の義侠で舟を出してもらった(「甚兵衛渡し」)宗五郎は、自宅へ戻って妻子に別れを告げる。

 帰途、役人に見咎められた宗五郎は甚兵衛によって救われるが、甚兵衛はこの役人を殺した罪を負って印旛沼に投身して亡くなる。』

甚兵衛、凄いヒトじゃないか!
義民といわれる宗五郎の後ろには家族を含めいろいろな人たちの支えがあったのだなあ、と暫し慨嘆。

いくら正しいことだとわかっていても、実際に自分のみならず家族や他人の命を掛けてやれるかと聞かれれば・・今の日本にできる人はどのくらいいるのか?

自分の発言や行動にそこまで覚悟を持てる人がこの時代には確実にいたんですね。
頭が下がります。

戦前は佐倉惣五郎の逸話は学校で教えていて、知らない人はいなかったと聞く。
今の日本ではこうした立派な日本人の話をもっと子供たちに教えるべきだと思う。
道徳の時間に無駄な話し合いなんかさせていないで。

あー、日本のマスコミや政治家に爪の垢でも飲ませたいっ!
言いっぱなしでテンと恥じない奴らに「宗五郎さんと甚兵衛さんに謝れ!」(?)と言ってやりたいっ!!

それはともかく。
印旛沼の龍神である水神様にも祝詞を奏上し「甚兵衛渡し」を後にしたのでした。
                     「甚兵衛渡し」水神様

つづく
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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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