子孫の(うみのこの) 弥栄継ぎに(いやさかつぎに) 栄えしめ給へと。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

最近、わたしは小さな虹の光の中で目が覚める。
娘が母の日にくれた、スワロフスキーで作った手作りのサンキャッチャーのお陰だ。

                           IMG_2829_convert_20170619143155.jpg


サンキャッチャーとは、太陽の光を部屋にたくさん運びこむアクセサリー。
欧米ではこの「Sun Catcher」を窓辺に吊り下げる習慣があり、「レインボーメーカーRainbow Maker」とも呼ばれ、光のインテリアとしても人気があるんだそう。
風水的にも部屋に太陽のエネルギーの光を与えて、邪氣を払うという。
娘の愛のパワーで、我が家の邪氣は雲散霧消するに違いない。

わたしのブログには頻繁にふんどし息子が登場するが、上に5歳離れた姉がいて、4歳と1歳の男の子の子育て真っ最中だ。

その孫達が可愛いのなんのって。

4歳の孫は性格も優しく穏やかで、幼稚園では人気者でお友達もいっぱいいるんだそう。
登園するとお友達が数人(女子多し)が駆け寄ってくるんだとか。
幼稚園と習い事のバレー教室では「王子」と呼ばれているらしい。

・・・おかしい。
うちの娘と息子は、揃って幼稚園が大嫌いだった。
集団生活が苦痛で、登園時間になるとテーブルの脚にしがみついて、泣いて嫌がった。
幼稚園から帰ってから遊ぶ相手を見つけるのに苦労するような子ども達だったのに。

小・中学校でも「親しいといえる友達をいかに作るか」「グループ分けでいかにしてあぶれることなく立ち回るか」等、人間関係で落ち込んだり悩んでいる姿をしばしば見かけた。

最終的には「一人で大丈夫だと腹をくくれば、学校で怖いものなんてなくなるっ!」というわたしの無茶苦茶な理論を押し付けられ、悪戦苦闘しながら不安定だった時期を乗り切ったのだが。

同じ血が流れているはずなのに、この違いは何だ?

1歳9か月になる下の子は、早くもオムツが取れそうだという。
上の子に比べると、きかん坊になる氣配が濃厚だが、いつも機嫌がいい。
「ママ。」「ママ?」「ママー!」「マンマーーーっ!!」と、全ての言語を「ママ」一語で押し通し、それでもコミュニケーションを成り立たせる凄腕の幼児。

そんな娘と孫達と、わたしはしばしば遊びに出かける。

先日一緒に行ったのは、横浜の三ツ沢にある「なんじゃもんじゃカフェ」。
人氣があるため、外で30分ほど待ったが、ぐずることもなくちゃんと大人しく待っている。
流石だ、我が孫達よ。

ツリーハウスがカフェになっていて、まるで宮崎駿の世界。

                 IMG_2601_convert_20170619143353.jpg


 IMG_2599_convert_20170619143335.jpg

                           IMG_2621_convert_20170619143501.jpg

カフェの中はロフトがあり、レトロな雰囲氣のテーブル席が2つ、風通しのよいテラス席が3つあって横浜の中心街が見渡せる。

IMG_2616_convert_20170619143429.jpg

風が木を揺らしていく音が聞こえ、時間がゆっくり流れていく。
うっとりと景色を眺める孫。

総じて鑑みるに、孫達はいつも機嫌よく満たされている感じがする。
わたしの娘と息子は、わたし達夫婦の仕事の関係で常に手元には置いていたが、生活が不規則で、なかなか子どもの生活のサイクルに寄り添ってあげることができなかった。

待遇のいい企業で働いていた娘に、専業主婦になったらどうかと提案したのも、その悔いがあったからだった。
娘は学生時代に演劇を始め、大学時代にやはり演劇に没頭しているムスコ(娘の夫)と知り合って結婚し、子どもを授かった。
経済的には不安があったようだが、結局仕事を辞め、子育てと家事に専念した。
幸せそうな孫達を見ていると、娘達の選択は間違っていなかったと思う。

娘夫婦は孫達をコンサートに連れて行ったり、舞台に連れて行ったりして、小さいうちに出来るだけたくさんの「よいもの」に触れさせようとし、自分達も一緒に楽しんでいる。

そして美しいものを見たり聴いたりした思い出は、嬉しかったり楽しかったりした感情の記憶とともに、柔らかい孫の感性の中にしっかりと刻み付けられているようだ。

そんな孫達を「おー、よちよち」と猫可愛がりするのはとっても楽しい。
責任のないべたべたの可愛がり方ができるのはジジババの特権だ。

対して、いい大人になっている娘や息子に、未だに小言を言ってしまうわたし。
つい親として「このままではイカン!なんとかせねばっ」と、考えてしまうのだ。
こういう所が、親が「ウザイ」「うるさい」「メンドクサイ」と言われる所以だと、自覚する今日この頃。

だが娘が躾のために孫を叱っていると「そんなにうるさく言わなくてもいいのにねえ。よちよち。」と、婆バカ丸出しで甘やかしてしまうのは、いかんともしがたい。
しいて言えば、親戚の家の可愛い子犬を可愛がるのと、自分の家で飼っているワンコに対する態度の差か。

自分の家のワンコは、トイレの躾はしなければならないし、嫌がってもお風呂に入れなきゃならないし、叱ってでも吠え癖や噛み癖をなくさなきゃならない。
お金だってたくさんかかるし、死ぬまで面倒をみる覚悟が必要だ。
かかわり方が全く違うのだから、対する態度が全く違っても仕方がないのだ。
そして猫可愛がりしてくれる存在があるっていうのも、いいものなんだよ。

許せ、娘よ。

可愛い孫達よ。
世界は佳きもの、美しいもので溢れている。
存分にその中に身を浸して、味わい尽くして欲しい。

でも長い人生、順風満帆ばかりはあり得ない。
恐ろしいほど理不尽な目に遭ったり、目を背けたくなるほど醜いものが目に入ったりすることもあるかもしれないけれど、「人間万事塞翁が馬」。

人間も世界も状況も、常に変わるものだから大丈夫。
心配しないで人生を思い切り楽しんだらいいよ。

孫達のことを考えていると、日月神示の『子孫(うみのこ)の弥栄(いやさか)継ぎに栄えしめ給えと畏(かしこ)み畏みも白す』という祝詞の文言が頭に浮かぶ。

日月神示だけではない。
古来より神社で唱えられる多くの祝詞で、必ず子孫繁栄祈願の句が述べられるのは、子孫繁栄が往古から代々の祖先等を経て継承されてきた先人の最大の眼目であったからだ。

孫ができて初めて、先人達の氣持ちが本当に分かったような氣がする。
この世での役割が終わって肉体が滅び、あちらの世界に行ったとしても、我が愛する子孫達に手を差し伸べ、身を挺して守りたいと。

今の日本の状況を見ていると「どうかこの国が我々の子孫(うみのこ)にとってよき世界になりますように」と祈らずにはいられない。

つづく
スポンサーサイト

「東国三社巡り」に行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

こうして無事、「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の三社にお礼を申し上げる旅を終えることができた。
「本当に日本をお守りいただき、ありがとうございます」という感謝の氣持ちを込めて。

それにしても、と思う。
あの3月11日に起きた大震災は、わたしにとってそれまでの人生観をひっくり返すものだった。
たぶん多くの日本人にとっても同様だったに違いない。

騒然とした日々の中で、不安に苛まれながらネットから情報を求めている時に出会ったのが日月神示だった。
その中に出てきた「神一厘の仕組み」という言葉は、絶望的で混沌とした世情の中で、わたしの心に一筋の光を差し込んだ。

『「東国三社巡り」に行ってきた(2)』で、震災の一ヶ月ちょうど後に、鹿島の海岸に諏訪大明神と書かれたお札がたどり着いたという話を書いた。
そのお札の大元である諏訪大社で、筒粥神事という儀式が毎年1月14~15日に行われる。

春宮の筒粥殿で米と小豆と葦の筒を大釜に入れて一晩中粥を炊き、十五日未明に筒を割り中の粥の状態で豊凶を占うという神事であり、1年の世相や農作物の豊凶を占う。

2011年の「世相」の結果は五分満点の「三分五厘」という数字。
神事を終えた権宮司が「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出たのです。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」と語り、地元紙などに掲載されたという。

「三分五厘」という言葉は、「三行半(みくだりはん)」を意味し、「神から絶たれる」ことを示すらしい。
この2か月後に東日本大震災が起きた。

2012年、2013年では、「三分六厘」という結果。

そう、一厘増えている。
日常生活ではほとんど使われなくなった一厘という言葉がこんなところに。

この一厘は『日月神示』にいう「神一厘」、つまり、土壇場での大逆転をもたらす一厘という見方ができるという。

ちなみに今年の「世相」の結果は、またしても「三分六厘」。

今日、6月15日午前7時46分に共謀罪も可決されたと聞くし、何かと世情が騒がしい。
(そういえば3・11の起きた時間も14時46分だった)
もしかしたら、日本の歴史の潮目として、3・11と同じくらい大変な出来事が起きているのかもしれない。

「神一厘」というのは日本を救う最後の手段ということだから、とにかく堕ちるところまで堕ちるしかない、とある人は言う。
我々は果たしてこの艱難辛苦を乗り切れるのだろうか。

いや、人知の及ばない神の計画があると信じたい。

それはともかく。

「東国三社巡り」の帰りに、一度も行ったことのなかった「三井アウトレットパーク 木更津」に寄ることにする。
目的はアウトレットパーク にあるという「松戸富田製麺」。

『今や日本一並ばないと食べられないお店、との噂すら流れる松戸の名店、中華蕎麦 とみ田。最近は、行列が問題視されたことや、並ぶお客さんのストレスを軽減させるために、事前に整理券配布を行う予約制が導入されています。ですが、この予約整理券を手にしたとしても、食べられるのは整理券をもらってから数時間後が当たり前。』という「中華蕎麦 とみ田」が運営するお店があるという。

「なかなか来れないところだから是非行ってみよう」と、いそいそと向かうラーメン好きのわたし達親子。

うおー、アウトレットなのに行列ができている!
15分ほど待って、特製つけ麺ができたことを知らせるベルが鳴った。

                                IMG_2812_convert_20170615171609.jpg

むっ、柚子胡椒の効いたパンチのあるお味。

お腹が満たされたわたし達は、近くの大観覧車に乗ることに。
36個のうち4個だけあるという、床も壁も透明なケルトンのゴンドラを選ぶ。

                               IMG_2814_convert_20170615185351.jpg

こ、怖いっ!!
顔が引きつるわたし。

わたしはこれでも若い頃はジェットコースター大好き人間で、怖いもの知らずだった。
なのにこの湧き上がってくる恐怖心・・。
ふんどし息子は全然怖くないという。

年齢とともに死が近づいて来た故のものか。
いやいや、年を取って経験値が上がったせいと思いたい。

わたし達大人は、このまま突き進むととんでもない場所に行ってしまうことを経験値から分かっている。
世界の方向を変えるのは、その恐ろしさを知っている大人達の役目だ。

これから日本はどこに向かうのだろう。
そして未来は。

遠くに光る東京湾アクアラインに、闇のとばりが静かに下りて来る。

つづく

「東国三社巡り」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

息栖神社を後に、いよいよ伊勢女さんの予知夢の中で『フッツのカミでなければもはや止められない』という言葉で登場した、経津主大神(フツヌシノオオカミ)を祀っている香取神宮に向かう。

香取神宮の神様である経津主神(ふつぬしのかみ)のお名前の由来は、太刀でフツと斬る偉大な力をたたえた神名とのこと。
「フツ」って、確かに物を切る擬音としてはすごくリアル。
心の邪心を切り裂いてくれそうで、有り難いと同時に、なんだかコワい。
是非とも日本にはびこる邪なもの達をフッツと斬り倒して欲しい。

平日だというのに香取神宮の駐車場はいっぱいだった。
何とか車を停め、参道に向かう。

参道は左右にお店が並び、客寄せの人もいて、江ノ島や浅草を彷彿とさせる。
鹿島神宮と比べにぎにぎしい感じだが、境内に入ると一転、静かな佇まいになる。

                                 IMG_2791_convert_20170613141602.jpg


香取神宮は、鹿島神宮と共に関東の東を護る地域全体の守護神で、仕事・人生に総合的な開運力がある千葉県最強のパワースポットなんだそう。

鳥居を入ってすぐ左手に「要石・奥宮」の木の札があるのでそちらに向かう。
木に囲まれた小さな空き地に、石の柵に囲まれて要石があった。

                        IMG_2795_convert_20170613141631.jpg


鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形だと言われているが、確かに丸い形をしている。
この要石がナマズの尾を押さえてくださっているのね。
ありがたし!

やはり要石はパワースポットとして人氣があるらしく、人が途切れることがない。
震災の際、お守りいただいたお礼を申し上げ、本殿に向かう。

朱色の楼門をくぐると本殿が現れる。
檜皮葺(ひわだぶき)のどっしりとした屋根に、黒を基調とした豪奢な作り。
彩色も鮮やかで重厚感があり、美しいだけでなく力強さを強調している。

                    IMG_2798_convert_20170613141652.jpg

鹿島神宮を静とすれば、香取神宮は動、墨絵と彩色画、簡素と豪華、陰と陽という言葉で表せようか。

本殿の辺りを歩くと、蝶が群れをなして飛んでいる。
「おお、わたし達を歓迎してくれているのね!」と、いつものように自分の都合のいいように考えるわたし。

些細なこと(別々にお参りした結果、お互い迷子状態になった)で喧嘩したふんどし息子の氣を宥めるべく、境内裏にある茶店“寒香亭”に入る。

おっ、なんか昭和のいい雰囲氣。
明治25(1892)年創業という老舗で、ひなびた佇まい。
窓の外にアゲハ蝶が舞い、時おり店内にも紛れ込んできたりするのを眺めながら、のんびり団子が出てくるのを待つ。

その間、店主のおじさんが香取神宮のレクチャーをしてくれたが、なかなか面白い。
しばらくすると名物のよもぎで作る“草だんご”が出てきた。

名物と言われるだけあって、とても美味しい。
甘いものを食べ機嫌の直ったふんどし息子。

ふっふっふ、まだまだ子どもよのう。
もうすぐ28歳だけど。

その後、奥宮へ向かう。
奥宮は少し分かりにくいところにあるので、訪れる人が少ないようだ。
だが、ここは経津主大神さまの荒御魂が祀られている場所。
絶対に外せない。

                        IMG_2802_convert_20170613141729.jpg


やっとたどり着いた奥宮は、御神氣に満ちていた。
人の氣配は少なく、静まり返っている。

                             IMG_2803_convert_20170613141747.jpg

香取神宮の御祭神、経津主大神の根源となるお力を感じる。
こちらでも心を込めてお礼を申し上げる。

ここは不思議な場所だった。
手のひら、足の裏全体がジンジンして、体が下から持ち上げられるような感覚がする。

・・いや、思い込みとかじゃなくて、物理的に感じるから。
しいて言えば、電氣風呂のような?

多分、とても御神氣が強いのだろう。
鈍感なわたしがそうなのだから、感覚が鋭い人は大変かもしれない。

とてつもなく強い存在感のある神様がおわす神聖な場所。
それが香取神宮の奥宮だった。

それはそうと。

昔、香取神宮に参拝するには、船路を表口としていた。
船の着く場所は津宮といって、香取神宮の奥宮から真北に2キロほど進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っているというので、ものはついでと車を走らせた。

利根川沿いの土手に、唐突に鳥居が現れた。

                             IMG_2805_convert_20170613141824.jpg

「香取宮」と彫られた常夜灯があり、かつてここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせる。
氣持ちのよい風が吹きわたり、モーターボートが白い波を立てて走っている。

鳥居は祭神がここから上陸したことに由来すると伝えられ、この鳥居からの道がかつての表参道であったという。
鹿島神宮と香取神宮はこの利根川を挟んで並んでいるらしい。

ふんどし息子がこの地におわす神々に感謝を込め、高らかに法螺貝を吹いた。

                             IMG_2811_convert_20170613141857.jpg



つづく



「東国三社巡り」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

清々しい氣持ちで鹿島神宮を後にしたわたし達。
次は鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれている息栖(いきす)神社に向かう。
(最初に息栖神社、次に鹿島神宮で最後に香取神宮の順番が正しいという説もある)

東国三社をそれぞれ結ぶと直角三角形になるといい、この三社はいずれも富士山とも繋がっているらしい。、
鹿島神宮を出て、車を20分ぐらい走らせると息栖神社に着く。

鹿島神宮に比べこじんまりとしていて、参拝者は少ないようだが、落ち着いた雰囲氣だ。
本殿の手前に茅の輪がしつらえてある。

                             IMG_2786_convert_20170608154756.jpg

茅の輪は、くぐることで禊をして邪悪な穢れを祓い、災難を予防する為のものだという。
そういえば、今は6月。
夏越の祓(なごしのはらえ)のためのものなんですね。

ここ息栖神社の祭神の岐神(くなどのかみ)は、鹿島大神・香取大神の先導にあたった神様。
「天浮舟(アマノウキフネ)」と縁が深い息栖神社は、本殿から見て正面がまっすぐ富士山に向かっているそうだ。

鹿島、香取神宮の祭神が武神であり神剣なのに、息栖神社は武神の乗り物「天鳥舟」であり、両神宮の神体は要石で息栖神社は井戸だという。

何故、息栖神社が皇室直轄の両神宮と一緒に「東国三社」とされるようになったのか。
「息栖神社の御祭神が武神たちを乗せた船の神様だったから」という説があるというが、きっと深い意味があるに違いない。

茅の輪をくぐり、本殿にお参りさせて頂くと、柔らかい空氣が伝わってくる。

                      IMG_2787_convert_20170608154842.jpg

ふんどし息子がおみくじを引くと「大吉」と出た。
「きっと神様が喜んでくださっているに違いない」と、またしても自分の都合のいいように解釈するわたし。

一の鳥居の先には河口が広がり、その近くにご神体といわれる「忍潮井(おしおい)」がある。
鳥居に向かうと、右の家に「猿田」という表札が。
氣を付けて見ていると、この周辺はこの名字が多いようだ。
岐神(くなどのかみ)は先導の神であることから、猿田彦と同一だという説があるというのだが、もしや猿田彦のご子孫の方々なのか?

日本三霊水に数えられているという忍潮井は、人が入らないよう柵に囲まれていた。
利根川の河口の手前に作られており、井戸の中はびっしりと藻が生えていて、魚が泳いでいる。

                IMG_2788_convert_20170608154902.jpg


『忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸で あり神功皇后の三年(一九四年)に造られた ものと云われ、あたり一面海水におゝわれていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させ 住民の生活の水としたもので、海水をおしのけ て清水が湧出しているところから、忍潮井の 名が付けられたと伝えられている。』

                                   IMG_2789_convert_20170608154923.jpg

左右の鳥居の下の水中には「男瓶」「女瓶」と呼ばれる井戸があり、「男瓶」は銚子の形、「女瓶」はやや小振りで土器の形をしているんだそう。
覗き込んでみたが、よく分からない。

この「忍潮井(おしおい)」には伝説が残されている。

『その昔(平城天皇の御宇大同二年四月(八0九年)数キロ下流の日川地区より息栖神社が此の地に移された際、とり残されてしまった男女二つの瓶はあとを慕って三日三晩哭き続けたが、とうとう自力で川を遡ぼり、一の鳥居の下にヒタリ据え付いたと云う。この地に定着して後もときどき日川を恋しがり、二つの瓶は泣いたと云われる。日川地区には瓶の泣き声をそのまゝの「ボウボウ川」と瓶との別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されている。』

ふーむ、後を慕って三日三晩哭き続けたとは、情の深い瓶よのう。
でも、移ったら移ったで元いたところを恋しがって泣いたとは。
可愛いヤツめ。

ネットを漁っていたら、この二つの瓶の伝承にある日川(にっかわ)に、息栖神社の元宮と思われる「蚕霊神社」(さんれいじんじゃ)と呼ばれる神社があり、この蚕霊神社を息栖神社に置き換えて、鹿島神宮・香取神宮を線を結ぶと、正三角形が浮かび上がるという記事を見つけた。

正三角形とな?!
面白い!

東国三社 息栖神社

さらに蚕霊神社の由来に関係する、利根川沿いに下った河口付近の舎利浜(しゃりはま)という場所があるのだが、そこに着いた丸木舟は、なんとあの「うつろ舟」だったというのだ!

うつろ舟についてのまとめ

うわー、確かに『1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)』と書いてある!!

『「うつろ船」は、江戸時代、今の茨城県の太平洋沖に出現したとされる伝説的な未確認物体。
同時代からの文献にはたびたび記されていることで有名な話。
話は、ほぼ全ての資料で同じような内容であり「1803年、不思議な船に乗った、外国人女性が漂着し、船には見た事もないような文字がかかれ、女性は箱のような物を持っていてそれを大事にしているが、漁師達は気味が悪くなり、その女性を船に戻し、漂流させてしまった。」というもの』

「天浮舟(アマノウキフネ)」と「うつろ舟」。
どちらもUFOに関係が深いと言われている。

まさかこんな展開になろうとは!
なんという面白さ!!

やはり息栖神社が、鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれているのには深い意味があったのだ。
妄想はどんどん広がる。

広大なネットの大海原では、時としてこんな面白いカケラを拾い集めることができるのだ。

これだから人生オモシロイ!!

つづく

「東国三社巡り」に行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

本殿の前で、心を込めてお礼の文言を言挙げたわたし。
次はいよいよ、地震を起こすナマズの頭を押さえつけているといわれる要石に向かう。

鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形をしているとのこと。
昔、水戸黄門(徳川光圀)が七日七夜掘り続けても底が見える様子がなく、具合の悪くなる者が続出し、さすがの光圀公もあきらめて作業を中止したといわれている。

林をしばらく進むと、ひっそりとした空間の中に要石がおわすところに出た。
太古から信仰の対象とされてきた場所であり、「信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である」との文章が掲げられている。

確かに頭のところが凹んでいる。

                               IMG_2775_convert_20170607120207.jpg

ここでも心を込めてお礼を申し上げる。

あの震災のとき、何故か鹿島神宮の沖でプレート崩壊が止まったため、東京にそれほど被害が及ばなかったのだという。
下手をするさらにと2か所崩壊し、東京湾にも津波が押し寄せたのだから「要石が地震を抑えてくれたのではないか」という噂が立った。

あの時、デイビッド・ロックフェラーが「何故、東京が火の海になっていないんだ!」と悔しがったという話がまことしやかに流れてきた。 (ホントかウソか知りませんよ)

ふんどし息子は磐笛を奏上し、人のいない時を見計らって、四股を踏んだ。

IMG_2776_convert_20170607120225.jpg

「四股を踏む」という動作は、もともとは土地の邪気を祓う儀式としての神事なのだそう。
この動作を神社で行うといいということを、ふんどし息子は奄美でお世話になったOさんから学んだ。

・・・まあ、傍から見てるとただの「変なヒト」なんですが。

そういえば今日は期せずして横綱稀勢の里の土俵入りがある日。
ふんどし息子にも一翼を担ってもらい、大いに邪気を払って頂きたい。

その後「神代に一夜にして湧水し、干ばつでも決して涸れない、大人でも子供でも入ったら水面が胸の辺りにくる」という不思議な言い伝えがある御手洗池に向かう。

                            IMG_2777_convert_20170607120248.jpg

この御手洗池はご霊水で、鹿島さまの運氣を戴けるという。
早速持ってきたペットボトルに霊水をいれるふんどし息子。

IMG_2778_convert_20170607120302.jpg

明るく清々しい雰囲氣の御手洗池の前で、やにわに法螺貝を取り出し奏上する。

                            IMG_2779_convert_20170607120323.jpg


辺りに響く法螺貝の音。
周りにいた子どもが興味深げに、遠目からこちらを見ている。

鹿島神宮は「人生に総合的な開運力のある関東最強クラスのパワースポット」とか「意を決したものが行くべきパワースポット」と言われている。

「総合的な開運力」や「パワーを授かる」のはとってもありがたいし、是非とも戴きたい。
が、手を合わせた瞬間、とにかく感謝の言葉以外一切思い浮かばないのは何故だろう。
「きっと、そういうものなのだ」と思いながら、鹿島神宮を後にした。

それはそうと。

出雲大社、美保神社、諏訪大社、香取神宮、鹿島神宮はほぼ一直線に並んでいて、それらの祭神は西から順に、大国主神、事代主神、建御名方神、武甕槌神、経津主神と、すべて国譲りに関係した神だ。

「諏訪大社から東は、征服した側の神で、西のほうは征服された側の神。だから、西の端にある出雲大社の社殿は西を向き、東の端にある鹿島神宮の社殿は東を向いている。つまり、互いにそっぽを向いている」という話がある。
大国主神と武甕槌神はそれぞれ敵軍の大将だから、そういう構造にしてある、というのだ。

「鹿島神宮は北方鎮護の役割から、北方に睨みを利かせるために、北向きになっています」というのが表向きの解釈だが。

日本の古代の歴史を知らなければ「地震からちょうど一ヶ月した4月11日、鹿島の海岸に諏訪大明神と書かれたお札がたどり着いた」意味は読み取れない。

鹿島神社発行のリーフレットから、神社には『見立て』という伝統的な技法や学びなどが脈々と息づいている」ことを知り、驚き、かつ安心した。
皆が知らないところで、誠実に祈りを捧げ、神様の意を汲もうと努力している方々がいる。

そうした方々にも感謝の氣持ちが沸き上がるわたしなのでした。

※おまけ
鹿島神宮には日本で最古最大ともいわれる国宝の布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)という巨大な直刀が伝わっている。
神武東征の際、危機に陥ったイワレビコ(神武天皇)を助けるために、タケミカヅチが、進呈し、その霊力によって難局を乗り切ったということが言い伝えられている。

この武甕槌大神の神剣は「平国剣(くにむけのけん)」ともいい、一閃すればたちどころに国が平和になるといわれているらしい。
是非ともそのお力で平和な日本にして頂きたいっ。

宝物館の受付のおばさんによると、鹿島神宮の奥深く宝物殿に匿われ、錆びだらけだったものを磨いたら、見事輝きを取り戻したんだそう。
慶雲元年(704)に鹿島の砂鉄で剣を造ったと記されているので、1300年くらい前のものと思われるのに、あり得ない!!

スゴイです。
一見の価値あり!!

拝観料300円です。


つづく





「東国三社巡り」に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

急に思い立ち、行くことになった「東国三社巡り」。
朝5時半に起きすぐ出ようとすると、ふんどし息子がパソコンを開いて、今日どのルートで行くか、食事はどこにするか読んでおけと言う。

行き当たりばったりをよしとしているわたしに反して、ふんどし息子は夕べ遅くまで下調べをしたらしい。
「今の時代、ナビはあるしスマホもあるんだから、そんなことは現地に行くまでの間にやって、渋滞に合わないように少しでも早く出発すればいいんじゃないの?」と主張するわたしに対して、ふんどし息子は「高速料金もルートによって違うし、現地でスマホの調子が悪くなることもあるじゃないかっ。」と反論する。

「ちっ、メンドクサイ」(態度悪し)と思いつつ、パソコンを斜め読みするわたし。
結局、鎌倉を6時40分頃出発し、首都高から東関東自動車道に入って潮来ICで下り、鹿島神宮へ到着したのは8時50分ごろだった。

鹿島神宮は、大きな木の鳥居が迎えてくれた。
震災の際、国産の花崗岩の鳥居としては日本一を誇る大鳥居が倒壊してしまった後、境内の森から伐採した樹齢500年から600年の杉の巨木を4本使って再建されたという。

まだ9時前だというのに、境内に観客用のシートが並べられ陣太鼓が用意され、屋台も出ている。
誘導のおじさん達もたくさんいて、何やら落ち着かない様子。

IMG_2769_convert_20170606131150.jpg

何事かと思っていたら、どうやら横綱稀勢の里の奉納土俵入りが行われるという。

                         IMG_2772_convert_20170606130409.jpg

土俵入りは3時からだというのに、もう席は埋まり始めている。
「そっかあ、そういうにぎにぎしい日に呼んでいただいたのね」と、いつものように自分に都合よく解釈するわたし。

昔、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が降臨された時、武甕槌神(タケミカヅチノカミ):鹿島大神)と経津主大神(フツヌシノオオカミ):香取大神)が先発して豊葦原国(とよあしはらのくに)を平定した故事に由来し、旅に出る事、門出などの意味を持つ言葉として「鹿島立ち」という言葉があるという。

だからここ鹿島神宮は、願掛けの場所ではなく、人生の転換力をもたらし、邪魔するものをはねのけ進むパワーを授けてくれる神社と言われているのだそう。

これは一昨年鍼灸治療院を開業したばかりのふんどし息子にも、是非「鹿島立ち」をしてもらわなければっ。

楼門をくぐるとすぐ右手に、拝殿・本殿がある。
社殿は通常南向きが多いというが、鹿島神宮は北向きになっている。
まずは本殿にお参りさせて頂く。

拝殿を過ぎて奥参道は、両脇に堂々とした杉木立がそびえ立つ深い鎮守の杜になっている。
いつもは静寂に包まれているのだろう。
入口に「鹿島七不思議」の札があり、そこを通り抜け奥宮へと向かった。

                     IMG_2771_convert_20170606130432.jpg


大鳥居の場所から一直線に延びている奥宮までの参道は、伊勢神宮の森を彷彿とさせる。
本殿は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」の「和魂」(にぎみたま、穏やかな魂) 、奥宮は「荒魂」(あらみたま、荒ぶる魂) が祀られているという。

木立の中に鎮座している本殿の前で、心を込めてお礼の文言を言挙げた。

それはそうと。

「東日本大震災の復興に向けて」という鹿島神社発行のリーフレットに、以下の文章が書かれているという。

『平成23年3月11日の東日本大震災。
国津神の神社である鹿島神宮には地震の予兆がありました。
3月4日、鹿島神宮から東に2キロの高天原の海岸に、52頭の鯨(カズハゴンドウ)が打ち上げられたのです。
住民は海に返そうとしましたが、22頭は打ち上げられたまま亡くなりました。
その一週間後に、この地震です。
わたしたち神主の考えでは、海の底の綿津見神(海を守る神)が使いとして、鯨を送ったと考えています。』

『東日本大地震で鹿島神宮の大鳥居や石灯籠62基が倒れました。そして120キロもある屋根の上の千木も、外れて落ちました。
そして地震からちょうど一ヶ月した4月11日、鹿島の海岸に長さ1メートル30cm、幅20cmの諏訪大明神と書かれたお札がたどり着きました。
調べると、岩手県陸前高田市の気仙町今泉の諏訪神社のお札でした。』

『神主たちは「親潮に乗って流れていた国津神(建御名方神)のお札を、綿津見神(海を守る神)が今までの諍いなどを忘れて、助け合うように鹿島の天津神(武甕槌神)に送り届けたのだろう。」と噂しました。』

『神主の見立てでは「地震を抑える神である私も、二千年に一度といえるこの大災害を抑えることはできなかった。ナマズに問いただしたところ、この地震を起こしたのナマズではなく龍であったとのこと。
千木により神々と連絡していたが、いまは神々とも連絡できない。諏訪に戻りこの大地震の様子を神々に伝えて欲しい。」と伝言しました。
そしてお札は、元宮である諏訪大社に戻されました。』

なんだかスゴイ話だ。
震災の一ヶ月ちょうど後に、諏訪大明神と書かれたお札がたどり着くなんて。

そして暴れたのは、ナマズじゃなくて龍だったんですね。

大地震の二日前は鹿島神宮の大祭が行われていたんだそう。
地震がお祭りの後だったのは御神慮だと地元では言われていたんだとか。
さらに奇跡的に「国宝」や「重要文化財」の損傷はまぬがれたらしい。

いやはや、なんともはや。
ご神意の凄まじさよ。

凄いぞ、日本の神様!!

つづく




「東国三社巡り」に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、ふんどし息子と「東国三社巡り」に行ってきました。

「東国三社」とは「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の三社の総称。
この三社はいずれも歴史のある神社で、特に「鹿島神宮」と「香取神宮」は2000年以上の歴史を誇り、平安時代の頃に「神宮」と呼ばれていたのは「伊勢神宮」と「鹿島神宮」「香取神宮」だけだったのだとか。

実は、わたしが「鹿島神宮」「香取神宮」の名を知ったのは、3・11の後。
実際体験した地震や津波の映像に衝撃を受け、さらに日月神示やいろいろなトンデモといわれる情報を知り、今までの常識や思い込みがガラガラと音を立てて崩れ落ち、呆然としていた頃のこと。

ネットで「伊勢女の春夏秋冬の夢」という予知夢の存在を知った。
「伊勢女」という方が見た夢をネットにあげたものが、3・11の後、あまりに東日本大震災の災害と酷似しているというので、一部で話題になっていた。

一番リアルなのが冬の予言。
『1.雪が舞っていたので季節は冬?。
でも、11という数字が出たから晩秋の11月とする。時刻はお昼過ぎ、午後2時49分で止まる時計。ここにはいそうにない漁師さんっぽい。屋根が瓦ではない。日にちはわからない。
(東日本大震災は3月11日14時46分18.1秒に発生した)
2..いきなり揺れる揺れる長い揺れ。津波10mくらいで道路と家、低い建物が流される。
3..黒い泥と、がれきの山、海岸に真っ黒になった百人の死体が散乱。
4..出てきた数字は48、28,674、022(022は仙台市の市外局番)
5.地名は山田、高田、若林か高林。(陸前高田と符牒)
6...タワーのある六つの建物の建物がいきなり爆発。(原発の建屋か?)』

そして夏の予言。
『冬・春・夏・秋の四部形式でみた初夢のうち、本当に恐ろしいのは夏のような気がする。サーファーや海沿いの民家や道路、電車、ビルまでが津波に飲み込まれるような悪夢を初夢で見た。地域は関東地方で最大震度7。ニノマエ町(二宮町か?)というところ。
津波で流される電車は、横に濃い青い線が二つで真ん中が黄色かオレンジの太い線。その地域は海と山が近く、トンネルの多いような地域。
その他、地名としては「切り倒しが崩落」(切通しか?)「こまちが壊滅、駅前も無残な瓦礫の山」。夏だと思います。時刻は朝のような。電車が混んでいるので平日の朝でしょう。朝だからなのかもしれないですが、サーフィンや海水浴をしている人がまばらなようでした。天気のよい日のようでした。津波にのまれる、嫌な光景でした。津波が電車や都市部の高層ビルまで押し流したり、山にぶつかっていったり。震度7がニノマエマチで、一帯が震度6強。伊勢市も震度6強といったアナウンスが流れた感じでした』

うわー、今読んでもリアルにコワい。

そしてその夏の予言の中に、こんな文章があった。
『フッツのカミでなければもはや止められない。タケダのミカは既にいない。石が溶けてもはや守れない。偽りの都は滅びる。このけがれた地は、ゴギョウの禍いをもって清められる』

「武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」と「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」はそれぞれ、茨城の鹿島神宮、千葉の香取神宮に祀られている地震の神さま。
この二つの神社は、茨城と千葉の県境付近に中央構造線を挟んで、対をなすように建っている。

そして「鹿島神宮」「香取神宮」は、共に境内に『要石(かなめいし)』と呼ばれる石を祀っており、両神ともにその石が地震を抑えているといわれている。
要石は大部分が地中に埋まった霊石で、昔から地中に隠れた根元の部分で地震を起こすオオナマズの頭と尾を打ち付けているだとか、地中でふたつの要石が繋がっていると信じられてきた。

そんなわけで「タケダのミカとは『武甕槌神(タケミカヅチノカミ)』ではないか?そしてフッツのカミとは『経津主大神(フツヌシノオオカミ)』なのでは」
「タケダのミカは既にいない」というのは、鹿島神宮のタケミカヅチノカミが不在になり、要石もその力を失ってしまったことを表現しているのでは?」と解釈され、大いに話題になっていたのだった。

こんなきっかけで「鹿島神宮」「香取神宮」「武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」の名前を知ったわたし。
まあ、「スピ系おばさん」の面目躍如とでも申しましょうか。

当時から「いつかこの日本をお守りいただいたお礼をしたい」と思っていた。
一昨日、ふんどし息子に「どこか行きたいところない?」と聞かれ、そのことを思い出し「あるっ。」と元氣よく答えたわたしなのでした。

つづく

母が冥途に行きかけた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと「母が冥途に行きかけた」を書き終え、ホッとしたわたし。
だが、今朝母に電話をすると「昨日、知り合いの薬剤師の娘さんからK病院について酷い話を聞いた」という。

その薬局を利用している奥さんが「うちの主人は、あの病院に殺されたの」と仰ったんだそう。
その方のご主人は、K病院に緊急搬送され受け入れられたにもかかわらず、ベッドに空きがないと言われ、廊下で寝かされ、そのまま一日経ち、廊下で息を引き取られたのだという。

ふーん、それが「救急車を断らないことをモットーに、年間で約7,000台以上の救急車を迎え、救急を要する患者さまの診療を24時間体制で行っています」という病院の実態か。

そういえば、知人のおじさんがK病院を退院する際「ここでやられたことは一生忘れないからな」と看護師に捨て台詞を吐いたとか(いったい何をされたんだ?)、やる必要のない手術をされ大変な目にあったご近所の女性の話とか、凄まじい噂にことかかない。

なのに、何故か「K病院 口コミ」で検索すると評価3,7。

「患者の訴えを本人が納得いくまで聴いていただける」(え?医者はろくすっぽ診察にも来ないのに?)
「病院自体の管理システムがきちんと出来あがっておりそれが実行されておりその結果もきちんと壁にレポートされていました。安心できます」(この書き方、ホントに患者が書いたのか?)
「食事もそれなりに美味しかったのを覚えています」(絶対ウソ。もし本氣なら味覚障害者)
「外来で待っている時も救急車での搬送も多く、緊急対応にも応えてくれる医療機関だと思います」(引き受けはするけれど、その後の対応がオソロシイ)

ところがGoogle のクチコミになると、様相が一変する。
レビューはかろうじて2,5になってはいるが、「これは本当に一般の方が書いたんだろうな」という口コミの評価はほとんどが1。
かなり実態に近いと思われる。

「急患として運ばれた際、脱気のための応急的な処置と水封ドレーンをつけられ、そのまま入院。穴が塞がるまで様子を見るとのことでした。しかし、夏だと言うのに、病室の空調は最悪で、寝汗をかくほど暑く、ドレーンは大気圧のまま放置で、うまく脱気せず、胸が苦しくなるときもあり(後で知ったのですが、陰圧をかける装置を普通はつけるそうですね)、地獄のようでした」(ここにも地獄出現)
「入院中、点滴が長引きお昼ご飯を遅めに食べてたら、看護助手のオバサンに食器をかたずけられた。半分くらいしか食べてなかったのに自分達の都合で下げられショックでした。二度と入院したくない病院です」(さもありなん)
「事故で行ったら写真とられただけで、会計8万でした。夜間診療高すぎない?」(そりゃ救急搬送断らんわ)
「救急車に運ばれた病院でしたが、他の病院と病名が違い救急隊員が心配する程。なぜか瞳孔開き激痛なのに待たされ、呆れる病院」(救急隊員も知ってるね、きっと)
「他の科はわかりませんが総合内科は最悪でした。病院の受付もやる気無さそうだし態度悪いしもう二度と利用したくありません。あの病院は老人には優しいけど自分のような若者には態度が最悪です。特に若い方は利用しないことをおすすめします。」(いや、老人にも最悪です)

口コミって当てにならないとは思っていたけど、確かにこのご時世、しっかり情報収集しないと騙されちゃう。
世の中トラップだらけだから、重々注意しないと後悔する羽目になる、と学習した。

もちろん外来患者と入院患者の違いもあるだろうし、かかる科や担当のドクターによっても違いはあるだろう。
物事に対し、一方的な見方は危険だということも知っている。
ある人にとっては最悪でも、ある人にとっては素晴らしいところだということだってあるだろう。
どんな病院でもいろいろな評価があるのは当たり前だし、それをいちいち目くじらを立てて取り上げるのもいかがなものか、とも思う。

それにしても、だ。

実際見聞きしたあの病院の出来事は、「医療」というにはあまりにもお粗末で、あきれ返るものだった。
いや、意外に医療の世界では特別なことではないのかも。

わたし達は「現代医学」「先進的な医療技術」というスマートな言葉や外観に惑わされてきたが、その実態は思いの外、いびつで寒々しい荒野のような景色が広がっているのかもしれない。

今回、K病院についてあれこれ書いたが、実は書くべきかどうか迷いがあった。
が、 「救急指定病院で、しかも地域医療支援病院の承認を受けるなど、社会的にデカいツラしてるくせに(言葉悪し)、誰にも何も言われないのをいいことに、あんなヒドいことを日常的にしているとは。許せんっ」という氣持ちが強くなり、書くことにした。
(もちろん社会正義などという高尚なものではなく、「うちの母に何してくれちゃってるの?フザケルナ」という私怨ですな)

本当だったら実名で書きたいくらいです。

でも考えてみれば、自分の健康を人様に頼って維持しようというのも図々しいと言えるのかもしれない。
そりゃ親兄弟でもないのに「誠意に満ちた思いやりのある世話をしてくれ」という方がどうかしている。
赤の他人に自分の体の状態を丸投げしておいて、そんなことを求めるのは虫がよすぎないか。
言い方は悪いが、医療者から見れば、患者は仕事上の1ピースに過ぎないのだから。

だが、「病院に行けば必ず病氣がよくなる」「医療者なんだから、ちゃんとわたしが健康になるよう努めてくれる」という刷り込みは、病院経営者にとって好都合だ。

近頃、わたしは検診にも行かないし、病院にも一切行かない生活を送るようになった。
レントゲンやCT、血液検査もやらなければ、もちろん予防注射もしない。
「もっと自分の体を大事にしなければ」と思う人もいるだろうが、大事にしているからこその選択だ。

如何に医学会がいい加減で、金儲けに身をやつしているかが如実にわかる例は、血圧の基準値の改竄だ。

1970年代以前、「年齢数に90を加えた数字よりも低ければ、血圧は正常」という診断法が主流であり、1987年の高血圧の基準値は180 mmHgだった。
今では老いも若きも血圧の基準値(正常値)は、年齢に関係なく130 mmHgとされる。
血圧は年齢とともに上がるものなのに。

ということは、年取って病院に行けば、日本人は全員薬を飲まされるってことですな。
アホクサ。

何も知らなかったわたしは、主人が亡くなった後、血圧が高めの日が続き「お守り代わりに飲みましょう」と、医者に軽く言われるままに降圧剤を飲み始めたが、後で一生飲み続けなければならないことを知り、愕然とした。
後に、降圧剤は認知症の原因になりうると聞き及び「脳梗塞よりボケ老人になる方がコワいわっ!」と、自己責任で止めた。

以前は毎日血圧を測っていたのだが、今は「血圧が高そうだな」と思っても、血圧計で測ることすらしなくなった。
測ったところでいいことは一つもないから。

わたしは対処法として、玉ねぎをスライスし、しばらくしてから酢醤油で戴く。
さらに息子に教わった、耳と喉にある「血圧を下げるツボ」をぐいぐい押しまくる。
とにかく塩梅よく症状をやり過ごすことに専念する。

とにかく「病院に出来るだけ近寄らない」というのが、わたしの健康法だ。
「自分の身は自分で守らなければならない」という使い古された言葉が、現代ほど必要とされる時代もないのかもしれない。

「わたしにとってわたしは『ただの1ピース』ではなく『全て』なのだから、神様に戴いた命を全うするためにも、最善を尽くそう」と心に誓うわたしなのでした。


つづく

母が冥途に行きかけた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

夕方5時、約束の時間にナースステーションに向かう。
母の主治医は、人のよさそうな中年の男だった。

母をできるだけ早く退院させたいこと、そのために自分でトイレに行けるようにして欲しいこと、万が一何かがあっても胃ろうや気管切開などの処置はしたくないことなどをお話する。
主治医は「そうですね。オムツは人間としての自尊心を傷つけますから」と言ってくれ、近くにいたナースに「この患者さん、ドレーンはやってないんだろ。今日からトイレに行くようにしてあげて」と言った。

その時のナースの反応、皆さんにもお見せしたかった。
間をおいて「・・はあ、わかりました」と渋々言い(わたしにはそう見えた)、ナース同士目を合わせる。
「えー…、メンドクサイ。誰がやると思ってんのよ。」という心の声が聞こえてきそう。
「何、簡単に言ってくれちゃってんの、このオッサン。そんなことをすることになったら、仕事が増えちゃうだろ」と言わんばかり。

そういえばお年寄りばかりいるこの階で、何故かトイレに付き添われている人を見たことがない。

この後、母は胃潰瘍があることが分かり、その治療のため退院時期が延びることになった。
わたしは母に「このまま入院が長くなったら大変だよ。頑張って早く退院するようにしなきゃホントに冥途に行くことになっちゃうよ。」とはっぱをかけた。

母は「自分の人生、今が正念場!」という意識が芽生えたらしく、頭の方はどんどんクリアになっていく。
さらにオムツを付けられ歩くこともできず、すっかり足の筋肉も衰えてしまったことを自覚し、こっそりと寝ながら足を上下するなどのリハビリを自分なりに開始した。

そんな母は、わたしが病院に見舞いに行くたびに、この病院の実態を事細かに伝えてくる。(いわゆる「チクる」ってやつですな)

「ここは本当に地獄だよ。前に寝ているあのおばあさん、オムツを変えてほしいって言うんだけど、看護婦さんは『忙しい』と言って全然来てあげないの。そうすると『看護婦さ~ん、オムツ変えて~』って、一時間ぐらいずっと言っているんだけど、無視。そのうちオムツを変える時間が来て、一斉に部屋の人全部のオムツを変えるんだけど、寝ている人を起こしてまで変えるくせに、そのおばあさんは一番後回しにされちゃうんだよ。ありゃ、いじめだよね」
「わたしもオムツが湿っていて氣持ちが悪いから変えてほしいっていうと『3回は大丈夫だから、オムツの中でしてください』って言われるの。でも湿っているから冷えちゃうし、本当に不愉快」
「親切な看護師さんもいて、その人にトイレに行くようにしたいからパンツ式のオムツに変えてもらったんだよ。そうしたら別の看護師が『そんな必要はない』と言って、そのパンツをむしり取るようにして脱がされた」
「看護婦さんを呼んでも、ちっとも来てくれない。時間を計ったら1時間半も待たされていた」
「普通の病院は、毎日じゃないにしても医者が回診するのに、ここはそれがない。医者はちっとも顔を出さない」

母は入院のベテランだ。
今まで病氣や怪我、事故等で10か所ほどの病院にお世話になっている。
その母をして「最低だ。地獄だ。」と言わしめるK病院、恐るべし。

母は看護師に頼るのを止め、秘かに我流のリハビリを開始するとともに、こっそりと看護師達の言動をチェックし始めたようだった。(母にとっては病院で世話してくれる人はすべて看護師と認識しているので、助手かもしれない)

「ここの看護師は本当に質が悪いね。言葉遣いも乱暴だし。看護師に『おばあさん、タバコ吸うの?』と聞かれたから『吸うよ。娘と孫にアイコスをもらったから、時々それも吸う』って言うと 『それ、持ってきてよ。ちょうだいよ』と言うんだよ」
「隣の病室で『家に帰りたい』って騒ぐ人がいるんだけど、その人に対して『うるせえ!静かにしろよ!!』ってすごい乱暴な言い方で脅すんだよ。そうするとその人は余計泣き叫ぶ。まるで暴力団みたいだよ」
「この前、ナースステーションのそばの部屋に移されたとき、夜中あんまりうるさいから文句を言ったんだよ。なんかパーティみたいなことをやってるから。そうしたら「この病院を選んで来たんだから、ここのやり方に従ってもらう」と言われたんだよ。年寄りの病棟で文句を言う人がいないからやりたい放題だ」

わたしは最初この話を聞いた時「病院でパーティって・・。そんなワケないだろ。まだらボケか?」と疑った。
でも、どうやらそうともいえないらしい。

確かに見舞いに行くと、隣の病室から叫び声が聞こえ、看護師の大きな声が聞こえてくる時がある。
見舞客のいなくなった老人ばかりの病棟は、夜になると看護師たちのやりたい放題という可能性はあると思う。
それって、ある意味そこらへんのホラーよりも怖い氣がする。

この病院の老人病棟が、一部男女同室なのにも驚かされた。

効率が優先なのか?
年寄りは性なんて関係ないのか?
オムツの脱ぎ着や清拭もある病室で、カーテンがあるとはいえ、いかがなものか。

手のかかるお年寄りを預かってもらっているのだから、家族からは苦情なんて出ないに違いない。
もちろん本人たちは固く口を閉ざしている。
看護師達に日常的にお世話になるから、黙らざるを得ないのだろう。

大金が病院に支払われているにもかかわらず、我慢を重ね、肩身の狭い思いをしているお年寄りの姿は、もしかしたら何年後かのわたしの姿だ。

今回わたしの書いたことが、一方的な物言いであることは承知している。
わたしや母の見聞きしてきたことは、医療の本質とは程遠いものであるのかもしれない。

「病院経営は大変なのだ」「医療現場は慢性的な人手不足で、医師も看護師も心身ともにすり減らしているのだ」「何も知らない人間が、勝手なことを言うな」などというお叱りのご意見があるのを承知の上で、今回この文章を書いている。

もちろん世間は良心的な病院が大多数なのだろう。
でも、こうした入院患者の現実があるのも事実だ。
これが救急指定され、「安心と思いやりの医療」がモットーの、社会的に認知された病院の実態なのだ。

「病院に行きさえすれば病が良くなり、最善の処置をしてもらえるはず」と信じ込んでいる現代人。
それは大いなる錯覚だ。
ある意味、現代医療に対する思い込みは信仰に近い。

「医療者は常に病人の体にとっていいことをしてくれるものだ」という考えは幻想であり、勘違いだ。
「医療者は常に病院の利益と自分の都合や立場にとっていいことをするものだ」というのが正解なのではないだろうか。

結局、母は病院でのリハビリを断り、3週間で無事退院できた。
だが、もしあのままオムツを外せず、筋肉が衰え、ボケ症状が出て、そのまま冥途に行くことになったとしたら、どうだろう。
不屈の根性で幸せを勝ち取り「わたしは幸せ」と言っていた母は、あの世で猛烈に悔しがり後悔したに違いない。

終わりよければすべてよし。
逆に言えば、終わり方に納得がいかなければ、冥途の旅路はつらいものになるはずだ。

「・・・やはり野垂れ死んだとしても、病院にはできる限り行かないからね。」とふんどし息子に呟いたわたしなのでした。

つづく

プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR