米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今井権現の参拝をしたりユタ神様からのお言葉を戴いたりと、奄美のスピリチュアルを存分に味わったわたし達。
そのままホテルに帰り、直会をすることにした。

奄美では人寄せの際「盛り皿」を注文し、飲んだり食べたりするんだそう。
龍郷町の商店で大きな盛り皿を2つ注文し、ホテルに持って帰った。

皆でにぎにぎしくオリオンビールで乾杯する。
あー、美味しい。

早速、盛り皿を堪能する。

すると鶴先生とOさんがお祝いの熨斗のかかった箱を取り出し、母にプレゼントしてくださった。
うれしそうに箱を開ける母。

中から芭蕉の繊維で作られた美しい手作りのお飾りが現れた。

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植物から繊維を採り出すというのは、とても手間のかかる作業だという。
芭蕉を切り出し、大鍋に湯を沸かし上下を返しながらぐつぐつと1時間炊き、それを水洗いした後、竹で作った道具を使いながら繊維を採り出し、糸状にして乾かす。
そうしてやっとできた糸を撚り、手間暇かけて作られたお飾り。

心のこもった贈り物に、母もわたしもふんどし息子も歓声を上げる。
なんてありがたいんだ。

「それにしても」と、思う。
この不思議なご縁は、いったいなんだろう。

何となく誘われるままに参加した皇居の勤労奉仕で出会った鶴先生ご夫妻。
そこで天皇、皇后両陛下の御前で「アワの歌」を歌うという稀有な経験をさせていただいた。
そして鶴先生ご夫妻のお住まいが奄美と知り、「是非行かせてください。」と図々しく来させていただいたのが、この直会につながっている。

古代から作られていたであろうこの芭蕉の糸のように、いろいろな縁が撚り合わさって、今、わたし達はここにいる。

それはともかく。

しばらく皆で飲んでいたが、鶴先生はお疲れのご様子だったので、2階のお部屋でお休み頂いた。
次に、ふんどし息子が「もうダメだ。横になる。」と言って、ベッドに倒れこんだ。
母はと見ると、Oさん相手に元氣いっぱいに、ブランデーを飲みながらずっとしゃべっている。

ずーーっとしゃべっている。
ずーーーっとしゃべっている。

ああ、Oさん、申し訳ない。
母はこうなると誰にも止められないんです。
下手にブロックしようとするとケガをしてしまうから、もうやりたいようにさせるしかないの。

Oさん相手に、亡くなった父や親戚のワルグチとか、自分のお弟子さんの思い出話とかをしまくる母。
その話の8割は、去年もお話しした内容なんだけど。
そしてついさっきも話したんだけど。

お酒の強そうなOさんだが、長時間にわたる何度も聞いた年寄りの話は、さすがにボディブローのように効いてきている様子。
そしてOさんの疲れた表情を窺いながら酒量が増えるわたし。

それでも母のお話攻撃は止まらない。
いらない情報を繰り返し長時間聞かされるのは酔いを増加させる。

あまりの惨状に、何とか穏便にブロックしようとしたわたしは「あんた、さっきから同じ話をしてるよ。」と、返り討ちにあい、あえなく失敗に終わる。
ああ、ホント、ごめんね、Oさん・・。

が、言うまい。
年寄り笑うな、いつか行く道。

酒好きのわたしは、酔っぱらうと繰り返し同じ話をしてしまう。
そして数々の醜態もさらしてきた。
今更、人様に何を言えるであろうか。

自分の行く末を立体画像で見せられているようで、その夜はいつになく悪酔いをしてしまったわたしなのでした。

つづく




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米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今回の旅の一番の目的だった今井権現の参拝を無事終え、ホッとしたわたし達。
南海日日新聞社と奄美新聞社の記者さん達と別れ、ソテツの群生地を下り、海に出る。

それにしても安木屋場のソテツが群生する様は圧巻だ。

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奄美ではその昔、ソテツを飢餓のときなどに食料としたり、繊維は芭蕉衣(バシャギン)と呼ばれる着物にしたという。
ソテツは幹や実からデンプンをとる救荒植物としても利用され、また土砂が流出しないための畑の土止め用に、葉は大島紬を染める泥田の鉄分補給用に、薪や肥料、あるいは花籠や子供のおもちゃにと幅広く活用されてきたらしい。

実は、奄美に行きたいというお電話を鶴先生にさせて頂いた際、「奄美のユタ神様にお会いしたい」というお願いをしておいた。
わたしは以前から奄美のユタ神様に一度お会いしてみたいと思っていた。
去年もお願いしてみたが、急な申し出だったので予約が取れず、叶わなかったのだった。

奄美諸島には古くから「ユタ」と呼ばれる民間の巫女・シャーマン(霊媒師)が存在する。
ユタのほとんどは女性で、運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じ占いを行うが、今では本当に占えるユタ神様は少ないという。

地元の方から「ユタ神様とはどんなに会いたいと思っても、会えない時は会えないし、神様がお言葉を伝えたい時には不思議とご縁ができる」という話を聞いた。
今回予約が取れたということは、何か神様から伝えて戴けるということか?

黒糖焼酎、塩を購入し、島のほぼ最北端にある集落に向かう。
海に面した防波堤の前に、ユタ神様のご自宅はあった。

狭い路地に赤い鳥居がひっそりと立ち、ひときわ異彩を放っている。

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鶴先生とOさんは、何かあるとこちらのユタ神様にお伺いに来るという。
勝手知った様子で奥の方に入って行き、地元の言葉でご挨拶をしている。

奥に待合室になっているらしい8畳ほどの和室がある。
「そういえばトイレに行きたいんだった。トイレはあの廊下の先だろうか?」と思っていると、ユタ神様が「中へどうぞ。」と声をかけてきた。

「ど、どうしよう。」とうろたえているうちに祭壇のある部屋に通された。
トイレの場所なんか聞けない雰囲氣だ。
祭壇の横には芸能人と一緒に写った写真が飾られている。

ユタ神様がいろいろなものがお供えしてある神棚に白衣を着て座ると、携帯電話が鳴った。
予約の電話らしいが、断っている様子。

ユタ神様が祝詞を唱えると、再び電話が鳴った。
奥でご家族の方が対応している。
どうやらとてもお忙しいらしい。

ユタ神様が「見てもらいたい方の名前、生年月日、干支を言ってください。」と仰った。
ここはやはり米寿の祝いの母から。

「あなたの家のそばに三叉路があるでしょ。ほら、そこを入ったところがあなたの家だね。」
うーん、母の家のそばに三叉路はない。
「あなたは結構引っ越しをしてるね。」
してないが。
「昔住んでた家のそばにお店があったでしょ。」
ない。
「近いうちに旅行の予定があるね。」
ありません。

首を傾げ出した母。
うーむ、どうしたものか。

「あなた、血圧が低くて器官が弱い。きれい好きだね。」
そうそう。
「精神年齢は60歳だ。」
ほほう。
「孫でひとり飛び抜けている人がいる。その行く末を見ないとね。」
誰?ふんどし息子か?

母はユタ神様に「あなた、百歳以上生きるよ。」と言われると「いやー、皆に迷惑かけるからそんなに長生きしなくていいわ。」と答えながらもうれしそう。

次はふんどし息子の番。
が、この頃になるとわたしの膀胱に赤信号が点り始めた。

「うん、この子は万人を率いる人になるよ。」
え?
「人に変な逆らい方をしないし、万人を惹きつけるところがある。」
・・・そうか?
「人の上に立つようになる。でも、もう一つ資格が足りない。」
そうなの?
「学士を取るね。博士になる。」
それはスゴイ。

でも、今はトイレに行きたい。

「お母さん、この子は小さい頃、口がはっきり開かない時があったでしょ?はっきり言えなかったね。霊が言わせなかったんだ。」
げこっ!
確かに小さい頃、思ったことをなかなか言えない様子があったが。

「素直で夢遊病の氣があったね。あなた、お尻がムズムズする時があったでしょう。それは霊が這いずって来ていたんだよ。」
ぎょっ、そうなの?

一瞬、尿意が吹き飛ぶ。
ふんどし息子の方を窺うと、口を半分開け、真剣な眼差しで聞き入っている。
「とにかく仕事を一途にすればいい。」と言われ、満足そう。

「で、結婚相手はどうなんでしょう?」と、聞いてみる。
「誰とでも仲良くできる、氣の利く人がいい。顔は二の次だね。」と、ユタ神様はいろいろお話してくださる。

しまった。
ふんどし息子の嫁のことなんて聞かなきゃよかった。
どうでもいいから、早く終わらせてトイレに行きたい。

次はいよいよわたしの番。
でも、今はあれほど楽しみにしていたユタ神様のお話よりも、とにかくトイレに行きたいんだよう。

「この人は上品な人だね。」
そうなの?
頭の中はトイレの事でいっぱいなんだが。

「息子と友達みたいな関係だね。息子と波長を合わせるために20歳の精神年齢でいる。」
うぅ、膀胱が限界に近付いている。

「大きな病氣はしないよ。両親に感謝しないといけない。」

ぐぬう・・。
汗ばむ手を握りしめるわたし。

わたしの心の叫びを聞きつけたのか、ユタ神様はわたしの鑑定をあっという間に終わらせた。

お礼を述べ、さり氣ない風を装いながらトイレに直行する。
あー、危なかった。

それにしても、今回ユタ神様のお話を伺い、一番納得の表情を浮かべていたのはふんどし息子だった。
帰りの車中で「これから仕事頑張る!」と、鼻息荒く語っていたし。
してみると、神様からのお言葉が一番必要だったのはふんどし息子だったか。

母はと言えば「百歳まで生きるって言っても、あと12年しかないのよねえ。」と、百歳まで生きる氣満々なのでした。

つづく

米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

奄美到着の翌朝は、快晴。
7時にホテルのレストランに朝食を食べに行く。

今朝も母は絶好調。
サラダ、スープ、卵焼き、数種類のパンの他にカレーまで平らげる。

お借りした車のナビを見ながら、わたしの運転で今井権現の禊場に向かう。

8時半過ぎに到着すると、すでに鶴先生ご夫妻はいらしていた。
そしてもう1台の車に、若い女性が乗っていた。
ご挨拶をさせて頂くと、南海日日新聞社の記者さんだという。

生まれて初めてリアル新聞記者さんを拝見したけど、なんかイメージが違う。
もっとバリバリキャリアウーマン風とか、生意気そうな早口のメガネ女子とか想像していたけれど、実際は物静かで可愛らしいお嬢さんだった。

去年と同様、わたし達は波の花をすくい7回降り掛け、口を漱いで禊を終える。
記者さんも同じように禊をしている。

Oさんとふんどし息子は、少し離れた禊場に向かったので、後を追うと、波に向かって法螺貝を吹くふんどし息子の姿が。

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晴れてはいるが、風は刺すように冷たい。
二人は大海原に向かい頭まで浸かる。

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流石、ふんどしがしっくりなじんでいる。

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無事、禊を済ませたわたし達は今井権現に向かう。
前回同様、皆で掃除をし、いよいよ母が登り始めた。

去年、母は初めてこの鳥居をくぐり、手を合わせて帰り際「「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだのだった。
参拝を終え、車が走り出した後になって「3段までなら登れるような氣がするわ。」と名残惜しそうに言い出した母は、翌日には杖を忘れてしまうほど驚異的に元氣になった。
心優しく親切な鶴先生ご夫妻から「もしお母さんが行きたいのであれば、心残りのないように明日も今井権現に行き、石段を上ってみたらどうでしょうか?」とのお申し出をいただき、最終日、脳挫傷の後遺症をものともせず、5段まで登るという快挙を成し遂げたのだった。

普通の神社と違い、参道には木の根が張り、石を載せている土台の土が不規則に落ち込んでいる。
しかも段が結構高くて、普通の人でも、しばらく登ると息が切れてくる。

母の周りには、ふんどし息子、Oさん、鶴先生が囲み、転びそうになった場合、すぐ手助けできるような態勢をとってくれている。

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母はある時は枝につかまり、ある時は四つん這いになりながら一生懸命登っている。
その間、ずっとしゃべり続けながら。

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昔はもっと身軽だったとか、自分の身内の情報とか。
皆に囲まれてうれしかったからなのか、余裕があったからなのかは分からないが、とにかく元氣なのには間違いない。

途中何度か休憩をして、ついに念願だった今井権現の社のある頂上まで153段の石段を登り切ることができたのだった。

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頂上には立派な社殿があり、正面に「今井大権現」の社額がかけられている。
早くも桜が咲き、メジロが蜜を吸いに来ている。

本殿内でOさんは四股を踏み邪氣を払い、鶴先生が「アワの歌」を歌いながらアマミ舞を奉納してくださった。
遅れてきた奄美新聞社と南海日日新聞社の記者さんから取材を受ける。

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念願だった今井権現の参拝を皆さんのお陰で、無事済ますことができた母。
考えてみれば、幸せ者ですな。

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それにしても、我が母ながらスゴイと思ったのは下りのスピード。
わたしと母以外は頂上を一回りしてくるというので、二人で先に下り出したのだが、その早いこと。
「下りの方が危ない」という常識を覆して、杖を突きながらヒョイヒョイと下る。

心配してサポートするために走って下りてきたふんどし息子が「もうこんなところまで下りてきてたの?」とびっくりしたほど。

あれはもしや何かが乗り移っていたのか?
天狗か?龍か?
そうなのか?

翌日の奄美新聞に大きく取り上げて頂きました。

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いや、これ、一生の宝ですな。

つづく


米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

母の米寿のお祝いに、奄美大島にある今井権現へのお礼参りに行くことになったわたし達。
早速、去年お世話になったアマミ舞の家元、鶴先生ご夫妻にご連絡させていただくと、2月13日からならお時間を作って頂けるという。
日程を合わせ、できるだけ安いツアーを探して申し込み、あっという間に出発当日になった。

前回はわたしと母の二人旅だったが、今回は「今井権現に登る」という確固たる目的があるので、万全を期してふんどし息子にも同行してもらうこととなった。
母と横浜駅で10時に待ち合わせをし、京急で羽田に出る。

母は今回もお洒落を欠かさない。
お氣に入りのグレーのアンサンブルの薄手のセーターに白いコートを羽織り、鼠色のパンツを履き、オーストリッチのバッグを持っている。

JAL12時20分発の奄美行きは、わたし達を乗せ、快晴の空を順調に飛んでいく。
奄美空港に14時40分に定刻通り到着した。

去年と同様に、ロビーにOさんと鶴先生のお顔が見える。
鶴先生は相変わらず若々しく優しい笑顔で、Oさんは西郷隆盛のような日焼けした精悍な笑顔でお迎えしてくださった。

アマミ舞の創始者花柳 鶴寿賀先生(以下鶴先生とお呼びします)と、Oさんご夫妻とは一昨年の12月、皇居の勤労奉仕団でお知り合いになった。
最初に鶴先生を拝見した時、「昔の母に面差しが似ている」と思い、お話させて頂いたのが初めのご縁だった。

去年は杖を突いてもふらついていた母は、今年はしっかりと歩き、速度も速い。
御用のあるOさんと別れ、鶴先生の運転で、宿泊するホテルカレッタに連れて行って下さることになった。

車窓から見える奄美の海は、コバルトブルーで美しい。
「あ、虹!」ふんどし息子が叫んだ。

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おお、確かにきれいな虹が。
前回も虹を何回か見ることができたので、南の島は虹が多いのかと思ったら、前日まで雨や曇りばかりだったという。

ホテルに到着すると、再び虹の姿が。
「やはり今回の奄美行きを天も寿いでくださっているに違いない」と、いつものように思い込みの強さを発揮するわたし。


ホテルカレッタは意外なほど素敵でした(失礼)。

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3つのベッドが余裕で置ける広いお部屋に、2階にもお部屋があるメゾネットタイプ。

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窓の向こうのプールの先には海が見える。

今回は今井権現に登ることだけを考え、予備日も欲しかったので、全日同じホテルに泊まる。
最安値で選んだので、航空券、ホテル代を含め3泊4日で一人33500円というお安さだ。

早速2階で鶴先生の治療をするふんどし息子。

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明日の予報は晴れ。
今井権現に登るには絶好のようだ。

鶴先生はお迎えにいらしたOさんの軽トラでお帰りになり、ホテルに1台車を置いてくださることになった。
この車で明朝3人で今井権現の禊場に向かい、8時半に鶴先生ご夫妻と落ち合う。

帰り際、鶴先生がおっしゃった。
「奄美新聞と南海日日新聞が取材にいらっしゃいますよ。」

ん?どういうこと?
ぼんやりするわたし達。

「新聞」っておっしゃったような?
ま、いっか。

いつものようにいい加減なわたしは、詳しく聞くこともせずに、その夜はホテルのレストランでワインで乾杯した。

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注文したサラダ、ピザ、車エビ、モズクの天婦羅等をわたし達と同じ量平らげる母。
大丈夫なのか?

さらに部屋に帰ってからもおつまみをつまみながらビール、ウィスキーを飲む、喋る、笑う。

やはり母は奄美に来ると、とてつもなく元氣になるようだ。

つづく



米寿の母と「第二回冥途の土産旅行」に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一昨日、母の念願だった奄美大島にある今井権現へのお礼参りの旅から帰宅しました。

そもそも一昨年4月、母は京都の旅行中、ホテルで転倒し頭蓋骨骨折して救急搬送され、脳挫傷と診断された。
本当にすんでのところでボケ老人になるところだった母が、去年1月、わたしがふんどし息子と行った奄美旅行を大層羨ましがり、「わたしも行きたいっ!」と言い出したのだった。

「行きたい」と言われても、杖を突いてもふらつき、まだ記憶障害の後遺症も見られる母を、奄美大島などという遠い場所へ、わたし一人で連れて行くのはいかがなものか。
でも本人がそれほど行きたいと言うのであればなんとしても連れて行ってあげたい。

もしあの世からお迎えが来たとしても、冥途の土産として最高なんじゃなかろうか、と考えたわたし。
元氣なうちにと電光石火のごとくスケジュールを組み「第一回冥途の土産旅行」と銘打ち、去年3月に無事行ってきたのだった。
(初めはただの「冥途の土産旅行」と名付けたのだが「むう、これではちょっと不吉な感じ。とりあえず第一回としておけば第二回もあるやもしれぬ」と思い「第一回冥途の土産旅行」に変更したのだった)

いや、まさかホントに「第二回」ができるとは思いませんでした。マジで。
名前って、大事。

その旅行以来、母は周囲の人間が舌を巻くほどメキメキ頭がクリアになっていった。
奇縁によりお参りした今井権現の鳥居を出た途端、母が「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだ言葉通りに。

それはともかく。

今年に入ってから、わたしが実家に行くたびに「奄美の安いツアーがあるよ」と言っては、新聞の切り抜きをわたしに寄こす母。
「ふーん。」と言って目を通し切り抜きを置いていこうとすると「預けておくから持って行きなさい。」とバッグに入れさせる。
そんなことが2度3度重なり「もしやこれは母の『奄美に行きたい』という無言の圧力なのでは?」と思うようになった。

娘や息子にその話をすると「ばーばは数えで88歳。米寿のお祝いに連れて行ってあげたら?」と言う。
が、万年金欠病の我が家に母を奄美旅行に連れていくお金など、あるわけがない。

むう、どうしたものか。

その時ひらめいた。
年の離れた父の後妻に入った母は、義理の関係である子ども達や孫達ともほぼ良好な関係を保ち、孫が14人、子どもが6人いる。
身内皆のカンパを戴けば、なんとかなるんじゃなかろうか。

思い立ったが吉日。
「『白幡のおばあちゃんに米寿のお祝いに冥途の土産旅行をプレゼントしよう』実行委員会」として皆に手紙を送ったのだった。

孫一人5000円、子ども一人10000円。
さすが我が一族。
皆、本当に気持ちよく出資してくれた(ホントか?)

母に旅行の話を伝えると「ご縁があれば行けると思ってたけど、行けるのね。」と嬉しそう。
今年に入って一か月も風邪で寝たり起きたりを繰り返していたのに、現金にもあっという間にすっかり治ってしまったのでした。

つづく
                        


大嶽山那賀都神社の節分祭に行ってきた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日は節分でしたが、皆様ははいかがお過ごしだったでしょうか?

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節分は一年の邪氣を払う大事な行事。

だから我が家は節分の日、「鬼はぁ外ぉ!福はぁ内!」と声を張り上げ、豆を撒く。
ご近所で「あのお宅、いい年をした治療院の先生とおばさんしかいらっしゃらないはずでは?」と、陰口をきかれているかもしれないが、氣にしないで、撒く。

わたしの子どもの頃、どの家も節分の日の夕方になると、豆まきをやった。
暗くなると、あちこちの家から「鬼は外、福は内。」という声と、豆が屋根に当たる音がパラパラと聞こえてきた。

それが今は子どものいる家からさえも、シンとして声一つ聞こえないのはどういうわけか。
そんなことだから、今、日本中に邪氣が満ち満ちてしまっているではないかっ!

はっ、いかんいかん。
こんなところで血圧を上げている場合ではなかった。

今年は、ふんどし息子とともに大嶽山那賀都神社の節分祭に初めて参加した。
大嶽山那賀都神社の節分祭は、正式には「神道護摩節分祈願祭」というらしい。

11時に善男善女が本殿に集い、厳かながらも和やかな節分祭が始まった。

お、いつもはいらっしゃらない妙齢の美しい女性が、宮司の日原先生と共に粛々とお祭りを執り行っている。
典雅でしなやかな所作が美しい。
あの方は、どなた?

周囲の信者さんのひそひそ話で、その方が日原先生のお嬢さんだと分かる。
神職の資格も取られているとのこと。
眼福眼福。

各個人の御祈願の後、ついに節分祭の神事が執り行われる。
いつもと祭壇のしつらえが違い、鹿の角に置かれた刀剣、和紙の飾り、金属の盥が置かれている。

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御祈祷の後、金属の盥に和紙の飾りが置かれ、細い木が井桁に組んで積み上げられる。

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いよいよ火がつけられ、神事はいよいよクライマックスを迎える。

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刀剣により魔を退け、邪氣を払う。

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いや増した火勢の中に、列席者が体を拭った和紙を投じ、穢れを浄化する。

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用意されていた豆まき用のお菓子等が入った箱も、炎で清めた後、年男、年女、崇敬会の面々による豆まきが始まる。

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わたしもふんどし息子も、たくさんのお菓子やお餅を戴きました。

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これらは信者さんが奉納された物とのこと。
手作りの紅白のお餅が、可愛らしくもにぎにぎしい。

その後の直会には、宮司さんの奥さまやお手伝いの方々の手作りのお料理が並んだ。
蕗味噌のかかった蒟蒻、枯露柿の天婦羅、蕨、煮物、蕎麦など、どれもとっても美味しい。

和氣藹々と直会が進み、信者の皆さんからいろいろなお話を伺うことができた。

列席者の80代の女性は、現在、健康、経済的にも恵まれ、家族も大変幸せだと仰る。
それも皆、大嶽山那賀都神社の信仰のお陰だと言い切った。

ある中年の女性のお話。
山梨県内にA村というお金持ちが多い豊かな村がある。
団結力が強く、お金を教育や楽しみに使い、大層恵まれているという。
そして、その村のお金持ちの方たちは、そろって皆、大嶽山那賀都神社の信者なんだそうな。

ほほう。
いつも子授け、病氣平癒等いろいろなご利益のお話を聞くが、今回は何故か金運の御利益のお話が多かった氣がする。
節分に、いいお話を伺った。

そんな中、崇敬会の男性から伺ったあるお話が印象に残った。

曰く。
神様は、初めて神社に来る方も、しげしげと通う方も、平等に訪なう方々を見てくださる。
違いがあるとすれば、しげしげと通う方が来ると、足音、声音だけで、神様は「あ、あの者が来たな」と、直ぐ分かってくださるんだそうな。
よく遊びに来る孫は、足音、声音だけでその子が来たと分かるように。

なるほど、そういうものかもしれぬ。
神様は、わたし達の御祖神(みおやのかみ)なのだから。


つづく

※眼福のお裾分けです。

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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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