大嶽山那賀都神社は隠された日本の要(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

Hさんは『熊本の地震の二晩明けた16日早朝、何かできることはないのかと思った瞬間に降りてきたのが「三富村に行かなければいけない」というものだった』と仰った。

熊本に最大震度7が2回も立て続けに起こったこの地震。
もし川内原発が罹災していたらと思うと、本当に恐ろしい。

あの地震に、何故か大嶽山那賀都神社が関わっているということか。

印象的だったのは「小石を入れたザルを揺らしていくといくつかの大きい石が残ります。大嶽山那賀都神社はその残った大きい石の一つだと思います。」というMさんの言葉。

秘境といえるほど山奥にあり、今は地元にもあまり知られていないこの大嶽山那賀都神社が、実は日本の数ある神社の中の大事な要の一つだったとしたら。

訪う者を包み込み、清く浄化してくれるようなこの地の氣を思う時、わたしはその可能性を信じられるのだ。
そして、そこで働く日原先生を始め関係者の方々の無私の奉仕の様子を思い出すと、Hさんに降りてきた「ここには邪はない。(ここは)てっぺんだ。」という言葉がしっくりと胸に納まってしまうのだ。

大嶽山那賀都神社は甲府盆地から秩父へ向かう雁坂道の途中、山深い渓谷の断崖に鎮座している。
Mさんによると「地形を見ると、渓谷を洗う川の流れが社殿のある岩山のところで湾曲している。この地形は熊野や吉野で訪ねたことのある風水地形だ。
水に囲まれた岩山の頂点に気が溜まり、龍穴となる。山奥深く目立たない土地にも関わらず、役行者が修行の地として見出したのはこの地形だからだろう。」とのこと。

名のある山の頂上にあるわけでもなく、参拝客の多さを誇るわけでもない。
だが大嶽山那賀都神社はその清浄さにおいて「隠された日本の要」というに相応しい神社だと確信する。

無事Hさん、Mさんを日原先生にご紹介することができ、奥様のご厚意で昼食をご一緒させて頂いた。
お二人ともとても喜んでくださった。

人のご縁の不思議を思う。

9年ほど前のあの日、国道に掛けられたプレートを目にし、この地に来させて頂いた。
もしやこの日に繋がることを神様はご存じだったのか。

パソコンが苦手なわたしがSNSで発信し、Mさんを始めいろいろな方と知り合った意味、今ここで生きている意味についても考えさせられた。

いやいや、それはうがち過ぎというものかもしれない。

が、ここ最近「なんと大変な時代に生まれたことか」とため息をつくことも多々あったわたしが「日本は絶対大丈夫!」と心から思えることができた。

今回の件で、個々に何があっても神はかりだと信じられるようになったから。
全て神様の御手の内であるならば、何を悩もうか。



つづく


※おまけ

以下はHさんのブログです。

そらみつみそら

拝読させて頂いた際、氣になった文を載せさせて頂きました。

『つい先日、4月21日に聞こえてきたことです。
「4と4に来ている。
地層はいくつかずらすことにしている。
今まで支えてきたものの破壊。
完治は無理。
ボトムズアップ。
人間世界への理解が進む。
富士山は暴力的にはならない。」

今年1月7日
「地震、ついに起こるべきときに。
まずは4の4。
運良き方向に向かっている。
生まれ変わる姿になる。」

上の言葉を受けて4月4日をある程度気にしていましたが、最初の地震が起きたのは4月14日でした。
未来からみて、また宇宙的な観点からみたときにこの時期が重要な転換点だったと肯定的に捉えることができるでしょうか。』

 
スポンサーサイト

大嶽山那賀都神社は隠された日本の要(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「これまでのわたしの人生の中でも超弩級の不思議な出来事の序章」とは言ったが、あくまでも「わたしにとっては」ということ。
例えば、この出来事について熊男に話したところ、訝しむような眼差しを向けられ「ふん、世の中いろいろ言う人がいるずら。」で終わった。
木で鼻をくくる、とはこのこと。
「ま、普通の人の反応ってそんなもんか。」と思った次第。

だからあまり期待し過ぎないようにしてお読みくださいね。

それはともかく。

9時過ぎにわたし、ふんどし息子、Mさんとで大嶽山那賀都神社に到着。
消防団の法被を着た方々が、大勢道に出ている。
やはり例大祭は地元を上げてのお祭りなのだろう。

ふんどし息子とMさんは社務所でお守り等をお分けするお手伝いをし、わたしはおさんどんのお手伝いをする。
しばらくして見に行くとふんどし息子とMさんがいない。
聞くと霊能者のHさんがいらしたので、共に拝殿の上にある奥宮に行ったとのこと。

この日、裏方の皆さんは本当に忙しい。
台所は8人ほどの女性が獅子奮迅の働きをしている。
直会でお出しする食事は、皆、手作り。
山菜や野菜をふんだんに使った美味しいおかずを山のように作っては、消防の方、お神楽をする方などの関係者にお出しする。

本殿の前には参拝客にお神酒をお出ししていて、時々杯を替えに行かねばならない。
杯を入れたザルを抱えて本殿の前に行くと、Mさんが男性とお話をしている。
その方が霊能者のHさんだった。

「プロの霊能者」というと宜保愛子さんとか江原啓之さんをイメージするが、まったく違った。
東儀秀樹に似た面差しの、静かな雰囲気の素敵な方だった。

大嶽山那賀都神社に来ることになった経緯を伺う。
初めて聞く話に目を瞠るわたし。

さらに大祭中に「ここには邪はない。(ここは)てっぺんだ。」という言葉から始まり、「時の扉を開けよ。すべての霊が迷いなくあるための玄関口に来ている。」「完全に宇宙のリズムに乗る。大きな大きなブリッジが来る。」という言葉が降りてきたという。

このHさん、昔からたくさんのスピ系の人間と知り合ってきたMさんをして「僕が信用する霊能者二人のうちの一人」と言わしめた人。
そしてわたしも直接お話を伺い「これは本物」と直感した。

これはお繋ぎしなければっ!

ただ一つ問題がある。
先日、日原先生とお話した際「最近いろいろな方がお見えになる。」と仰っていた。
要は有象無象の不思議系の方がいらっしゃるのだろう。
わたしの見るところ、理系でとても真面目で真っ当な先生は、困惑されることも多々あるに違いない。

いかに信用に足る霊能者といえど、わたしのような者がご紹介したら「アヤシサ満載」になりはしないか。
ザルを抱えながらしばし考える。

そこに日原先生のご子息が通りかかった。
京都大学をご卒業され、今は企業にお勤めしながら宮司になるお勉強もされているという、優秀で真面目な好青年だ。

これぞ天の采配。
次期大嶽山那賀都神社の宮司さんにもお繋ぎしとけってことですね。

ザルを抱えたまま、ご子息にHさんをご紹介する。
お話を聞いたご子息は丁寧にご挨拶され「これからもよろしくお願いします。」と仰ってくださった。

MさんとHさんに「宮司さんをご紹介させて頂きますので、もしお時間があるのであればお待ちください。」と言い、台所に戻った。
忙しく働きながら本殿の様子を窺い、日原先生のお手すきになるチャンスを探す。

しばらくしてチャンスがやって来た。
ご祈祷が一段落した先生が、お茶を飲んでいたMさんとHさん、ふんどし息子のところに来てくださった。

早速ご紹介させて頂くと、Hさんがここに来た経緯、降りてきた言葉を語り出した。

さらに「4月10日に姫路でいつもお会いしている霊能をお持ちの女性Uさんに『ナガトの門が開いている。』とお伝えしました。その時は「ナガトって山口県ですよね?」と言っていたのですが、ここだったんですね。」と仰った。

以前も『社伝に「天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎(なるとがさき)」と呼び(そこからの転化で「那賀都(ながと)」になっているという)、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。」とある。
この「昼夜連日鳴動」が、あの3・11の前後続いたという。
下から突き上げるような鳴動が3・11の当日はピタリと納まったのは不思議だったと皆さん口をそろえた。』と書いた。

Hさんが「今回の熊本の地震の際にはいかがでしたか?」という問うと、日原先生は「あれ、今回も何かあったなあ。」と仰り、結局体感された奥様に直接お話を伺うことになった。

お忙しい中、奥様になんとかお時間を作って頂き、お話を伺うことができた。

地震当日の4月14日、ドアを激しく閉めるような大きな音がしたので、初め奥様は日原先生が戸を閉めたと思ったんだそう。
でも普段そんなことをされたことがないので「珍しいな。」と思った直後、テレビをつけると速報で熊本の地震のことをやっていたので「もしかしたら。」と訝しんでいたとのお話だった。

当日、山梨は地震はなかったとされている。
息をのむわたし達。

Hさんは続ける。
「昨年10月6日には『卯月にコノハナサクヤヒメが出る。』と伝えられました。」
この神社はコノハナサクヤヒメの父神である大山祗命を祀っている。

ふと氣が付くと、辺りはしんとして音もない。
外はあれほど晴れ渡っていたのに、いつの間にか雨が降っている。
雨はしっとりと山の木々や社殿の屋根を濡らしている。

神様の吐息のように密やかに。
深く静かに。



つづく


大嶽山那賀都神社(だいたけさんながとじんじゃ)は隠された日本の要(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前回「ここのところわたし自身の周辺に起きた不思議な出来事を考えると、一つ一つに意味があり、今年2回も奄美に行ったことにも何か意味があったのかもしれない、と思うようになった」と書いた。

お許しを戴けたので、先日わたしが「人生には無駄がなく、出会いや様々な事象には思っても見なかった意味が隠されているのかもしれない、と心から感じた」出来事を書いていこうと思う。

わたしはのブログをお読みの方は、時々わたしが「大嶽山那賀都神社」について書いているのはご存じかもしれない。

ひょんな経緯からこの神社を知ったわたしは、有難いことに宮司さんともお付き合いさせて頂くようになり
大嶽山那賀都神社ってすごい(1)
「国師ヶ岳」 の先にある元宮(奥宮)にご一緒させて頂いたり
大嶽山那賀都神社の元宮(奥宮)に行ってきた(1)
年末にふんどし息子と共に大掃除に行かせて頂くようになった。
大嶽山那賀都神社と差出磯大嶽山神社との驚きの関係とは

大嶽山那賀都神社の例大祭は毎年4月18日にある。
この例大祭、かつては18キロほどある塩山までの道が大嶽山に参詣する人で途切れることがなかったと言われたもの。
行きたいと思いつつなかなか行く機会がなかったので、今年こそはお手伝いさせて頂こうと早い段階で宮司の日原先生にご連絡しておいた。

そのことをFBで書くと、以前からのお友達のMさんから「このごろ大嶽山那賀都神社に呼ばれている氣がします」(!?)というメッセージを戴き、当日大嶽山でお会いしてご案内することになった。

Mさんは、写真家であり、柳生新陰流の剣士でもある好男子。
我がふんどし息子の褌仲間でもあり(息子は越中褌派、Mさんは六尺褌派の違いはあるが)長い髪を髷に結い、いつも着物に袴をつけている。

初めてお会いした時はその超個性的なファッションに目を瞠ったが、慣れてくるとチャーミングな笑顔と静かな語り口、そしてなんといっても神事に対する深い知識と洞察力に惹きつけられてしまった。

17日、ふんどし息子は鍼灸の勉強会があり19時半に塩山駅に迎えに行って夕食をとった。
いつも行く鼓川温泉は終了時間が過ぎてしまっていたが、隼温泉ならまだなんとか間に合いそうだったので、急いで向かった。
わずかな時間だが温泉に入り息子をが出るのを待っていると、見覚えのある顔と一緒に出てきた。
笑顔から白い歯がこぼれ、長い髪が髷に結われている。

Mさん?!

なんと息子がお風呂に入って行ったらMさんがいたのだという。
聞くと、甲府の武田神社で奉納演武合宿があり、たまたま初めて隼温泉に来たら、ふんどし息子が入って来たとのこと。

これを偶然と言わずして何というのであろうか。
甲府から牧丘まで山ほど入浴施設がある。
そしてちょっと時間がずれただけで、この褌仲間の二人は顔を合わせることはなかっただろう。

恐るべし、ふんどしの吸引力。

類は友を呼ぶ。
褌は褌を呼ぶ。

Mさんとはメッセージのやり取りはあるものの直接お会いするのは2年振り。
積もる話もあるので、喜んでマキオカネイチャークラブに泊まって頂くことになった。

コンビニでビールとおつまみを買い、久し振りに一緒にお酒を飲みつつおしゃべりをしていると、今まで知らなかった共通の知人や出来事があることを知り驚く。

いや、世間ってホントに狭いですな。
もう、オソロシイほど。

そんな会話の中で、明日の大嶽山那賀都神社の例大祭にMさんの知り合いの霊能者の方が来ることを知る。

その霊能者の方、Hさんから後から伺ったところによると、熊本の地震の二晩明けた16日早朝、何かできることはないのかと思った瞬間に降りてきたのが「三富村に行かなければいけない」というものだったんだそう
山の奥に入って行ったイメージから「大嶽山那賀都神社」がその場所と分かり、一番早く動ける4月18日に参拝することにしたらしい。
もちろん年に一度の例大祭があるということも知らずに。

HさんはMさんと柳生新陰流の同門であり、一緒に武田神社の奉納演武合宿に参加していた。
打ち上げの帰り際にHさんから翌日18日の予定を聞かれ、那賀都神社に行くと言うと大変驚いていたとのこと。

うーむ、なんだかこの流れ、神様からのご指示が出ているような。
流れるべきものが流れに乗って、流れ着くべきところに行くこの感じ。

わたしの面白アンテナが電波を受信する。

ここのところ、面白い方との出会いがとっても多い。
特にスゴイ能力を持った方があきれるほどいる。
もうこの世の中、能力者しかいないんじゃないかと思うくらい。

いや、ホントにそうなのかも知れない。
時間の流れ方、変化の仕方、繋がり方が凄まじい。

きっとそんな時代になったのだと実感する。
氣が付いた人と氣が付かない人がいるだけで。

この時はまだこの出来事が、これまでのわたしの人生の中でも超弩級の不思議な出来事の序章とは知る由もないわたしなのでした。

つづく

母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

大分、熊本の地震が起きてしまい日本中が騒然となっている今、こんなブログを書いていてはお叱りを受けそうな空氣が漂っている氣がします。

ただここのところわたし自身の周辺に起きた不思議な出来事を考えると、一つ一つに意味があり、今年2回も奄美に行ったことにも何か意味があったのかもしれない、と思うようになりました。

使い古された言葉ですが、人生には無駄がなく、出会いや様々な事象には思っても見なかった意味が隠されているのかもしれない、と心から感じています。

ということで、お許しがあればその「不思議なお話」を早いとこ書きたいと思い「母と第一回冥途の土産旅行に行ってきた」をとっとと終わらせるべく、最終話を書いていきたいと思います。

奄美に来て、杖を忘れてしまうほど元氣になった母。
やれ、めでたや。

奄美最終日のホテルでの夕食に、鶴先生ご夫妻がご一緒してくださることになった。
お酒を戴きながら島料理の舌鼓を打ちつつ、奄美の旅のあれこれに花を咲かせる。

母が「この間連れて行って頂いた今井権現では鳥居に入ったところでお詣りしたけれど、あのスゴイ石段3段までなら登れる氣がしたの。登りたかったわ。」と言い出した。
スルメを片手に泡盛をチビチビ飲みながら「また来ればいいじゃん。」とおざなりな返事をするわたし。

が、心優しく親切なお二人から「もしお母さんが行きたいのであれば、心残りのないように明日も今井権現に行き、石段を上ってみたらどうでしょうか?」とのお申し出をいただく。

いや、一昨日連れて行って頂いたばかりだし。
そしてまた今井権現に行くとなれば、Oさんは海に入って頭までかぶる禊をしなければならない。
わたし達のような知り合ったばかりの人間のために、そんな時間も手間もかかる事を続けざまに2回もして頂くなんて、申し訳なさ過ぎる。

ご辞退させて頂いたが、結局お二人のご厚意に甘えさせて頂くことになってしまった。

満面の笑みを浮かべる母とOさん。
                                 IMG_1285_convert_20160420192621.jpg

(この二人の顔、妙に似てる氣がするのはわたしだけでしょうか?)

その後ホテルのわたし達のお部屋に場所を移して、楽しい夜は更けていったのだった。

                IMG_1291_convert_20160420192756.jpg


翌朝、荷物をまとめ、鶴先生ご夫妻のお宅に伺う。
こうして見ていると、息子か娘の家に遊びに来た姑のよう。

                       IMG_1299_convert_20160420212604.jpg

初めて母とお会いさせて頂いた日に、Oさんから「父に似ている」という話が出たが、お写真を見せて頂くと笑ってしまうほど本当に似ていて驚いた。

皆で再び海に禊に行く。
鶴先生が浜で母に長命草を採って下さった。

わたしは初めて知ったのだが、奄美には長命草(チョウメイソウ)という植物があり、浜に普通に生えている。
一年を通じて海辺の岩場で自生し、茎や葉は野菜としても利用され、天ぷらやおひたし、青汁などにして食べられんだそう。
強い生命力があり、青々とした大きな葉は澄んだ深い香りがするらしい。
奄美の豊かな自然は、人々が生きていけるたくさんの美味しい食べ物を、そこかしこで与えてくれている。

山野草の好きな母は、目を輝かせて喜んだ。
(帰宅後、戴いた長命草を天ぷらにして食べたらとっても美味しかったらしい)
母と鶴先生は傍から見ると母娘のようにも見える。

この後今井権現に着くと、母はすぐさま無言で木の根やゴツゴツとした岩がある石段を、杖も持たず上り始めた。
氣が付くと3段ではなく4段まで上っていたので、きりのいい5段まで上らせる。

一仕事を果たしたように、満足げに階段を見上げる母。

                         IMG_1303_convert_20160420192900.jpg

しばらくしてやっと表情が柔らかくなった。

         IMG_1307_convert_20160420193017.jpg


優しい鶴先生ご夫婦は母に手を貸して下ろしてくださり、無事、母念願の今井権現詣りを済ませることができたのだった。

IMG_1309_convert_20160420193049.jpg


山を下り、そのままお別れするつもりでいたが、昼食までご馳走して頂き、さらに奄美空港までお見送りに来てくださった。(あいにく時間が間に合わずお会いすることはかなわなかったが)

すでに1か月経った今でも、母はリビングに飾った貝を見るたびに「奄美に息子と娘がいるような感じがする。」と呟く。
(母の息子や娘であれば、わたしにとっては兄や姉ですな。)

母にとっては、まるで夢のような旅だったようだ。
奄美の島が繋いでくださったご縁は、母にとって宝物になっている。
もちろんわたしにとっても。

今回の旅で、日本人の「おもてなし」や「親切心」の原風景を見せて頂いたように思う。
本当に多くのことを教えて頂き、感謝に堪えない。

お招きくださった奄美の神々様、Oさん、鶴先生、5マイルの皆さん、奄美でご縁のあった方々、本当に、本当にありがとうございましたっ!

つづく


母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

桜の花もすっかり散ってしまい「お名残惜しい」という氣持ちを一年のうちでこれほど強く感じる季節があろうか、と思う今日この頃、皆様どのようにお過ごしでしょうか?

わたしはここのところ、あまりに時間の過ぎ去り方が早くてオソロシイ。
奄美に行ったのはほんの1か月前のはずなのに、体感的にはもう半年は過ぎた感じ。

旅行中のあれやこれやも忘却の彼方に消えてしまいそう。
そして体重は一向に戻る氣配がないのは、どうしたことであろうか・・。

それはともかく。

加計呂麻の5マイルでは、大満足の夕食に加え、美味しい朝食も堪能した母。
当初はレンタカーで加計呂麻を巡ろうと考えていたのだが、お腹いっぱいの母の様子を見ているとそれも無駄に思え、急遽奄美本島に戻ることにした。
オーナーの奥様のRさんにご相談すると、9時20分の海上タクシーで行くといいと教えて下さり、港まで送って下さることに。
わたし達と小さなお子さんお二人を車に乗せ、港に向かった。

すでに数名の方が、海上タクシーに乗るために港で待っている。
ブロックに座っていた年配のおばちゃん二人がRさんのお子さんに声をかけた。
「ちょっと見ないうちにすっかり大きくなったね。」という言葉を皮切りに、日常の会話が続く。
聞いていると、皆さん顔見知りで地域全体で子育てをしている様子が窺える。

いいなあ、こういうの。

おとうは海で漁に出たり、大工仕事をやる。
おかあは畑で野菜を作ったり、お洗濯をしたり、美味しいご飯を作る。
子ども達は兄弟と庭先で遊んだり、親の手伝いをして過ごす。
隣近所は皆氣心が知れていて、子どもが悪さをしようものならしっかり叱ってくれる。

そりゃ住んでいれば面倒なこともあるだろうし、息苦しくなることもあるだろう。
いいことばかりじゃないのは分かってはいるが、それでもやはり憧れる。

わたし達はこういう生活を捨て、一見便利で自由な生活を手に入れたようにみえる。
が、いったい「自由」とはなんだろう。

横着で怠惰になることか。
自分だけ、今だけよければいい、という近視眼的生き方をすることか。

そうこうしているうちに海上タクシーが岸壁に着いた。
とにかく母を乗せなければ、と荷物を港に置き母に手を貸すが、足元の不安定さに母は足がすくんでしまう。
すると港にいた男性がさっと支えてくれたかと思うと、一緒に母を乗せてくれ、氣が付くと別の方がすでに荷物を船に載せてくれていた。
そしてお礼を言う間もなく、何事もなかったかのように席に着いた。

ありがたしっ!

島の人たちは皆、とても優しい。
ここの人たちには、わたしが子どもだった頃の町の人たちと同じ雰囲氣がある。
ここには、人が生来持っている「良きもの」を引き出す空氣が流れているように思う。

しばらくして海上タクシーは古仁屋港に着き、再び皆さんのお力添えで無事岸に上がることができた。

「せとうち海の駅」でお土産を買い、売店のおばちゃんの「とてもきれいなところですよ。」という言葉に従って、ホノホシ海岸とヤドリ浜に車を走らせた。

風光明媚な景色が続く。
が、母の表情はいまいち冴えない。
車を停めて景色を見ようと言っても「車の中から見えるからいい。」と言って降りないところを見ると、もう南国の景色には飽きてしまったのかもしれない。

あー、無理して加計呂麻でレンタカーを借りて観光しなくてよかった。

母がトイレに行きたいというので、早々に「せとうち海の駅」に戻る。
まだ11時半前だ。
これからゆっくり今日の宿に向かえば、母もそんなに疲れないだろう。

杖をつきながら「せとうち海の駅」を見て回っていた母が、2階のレストランの前で動かなくなった。
じーっとショーケースとメニューを交互に見ていたかと思うと「昨夜の伊勢海老、美味しかったわあ。ここにも伊勢海老汁があるのね。でもこれを食べるには刺身定食を頼まなきゃならないのかしら。」と言い出した。

ウソでしょ?
朝食をとったのは8時だから、わたしは全然お腹空いてない。

「でも、まだ11時半だよ?」
「いいじゃない。お腹空いちゃったわ。これからどこでお食事をとれるか分からないし。」

ため息を押し殺しつつ聞いてみる。
「じゃ、お母さん、伊勢海老汁のついている刺身定食でいいのね?」
「わたし、昨日ここでカレーを食べている人を見ていて、カレーが食べたいと思っていたの。だからカレーにするわ。」

・・・ということは、わたしが刺身定食をとらなきゃいけないワケね。
とほほ。
お腹、全然空いていないんですけど。

昨日から食べたかったという言葉に違わず、しっかりカレーを平らげ、伊勢海老汁、刺身も戴いた母。

いったいこの健啖ぶりはどうしたことか。

訝しみつつ古仁屋港を後にし、奄美の誇る孤高の画家、田中一村の終焉の家に寄ったり、スーパーでお土産を買ったりしながら今日の宿泊するティダムーンに3時ごろたどり着いた。

IMG_1274_convert_20160413164911.jpg

最終日だから奮発して、温泉、プール付きで海が一望できるちょっといいホテルにしてみた。

                            IMG_1278_convert_20160413165014.jpg


ホテルの部屋で一息つき、母と売店に向かっていると。
ん?
何やら違和感が。

母が「あら?杖を部屋に忘れてきちゃったわ。」と呟いた。
驚いたことに、確かにバッグだけ持ってシャカシャカと歩いている。

クララが立った!
じゃなくて、杖なしで母が歩いた!

昨日まで、杖がなければ不安そうだったのに。
そして杖をついてもゆっくりとじゃなければ歩けなかったのに。
忘れちゃうくらい、しっかり歩けるようになったってことか。

今井権現の鳥居を出た途端、母が「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだことを思い出す。
こういうことであったか。

母と顔を見合わせ、にやりと笑い合う。

母は奄美に来るべくして来たんだね。
よかった。
本当によかった。

奄美の神様、本当にありがとうございました。

ちょっぴり親孝行ができた氣がして、嬉しくなったわたしなのでした。

つづく





母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

こうしてダラダラ旅行日記を書いていると「何をくだらないことをコマゴマと・・。」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

が。
これはほぼ100%実話のわたしの個人的な日記のようなもの。
薄れゆく記憶の抑止力になれば、と思いつつ、暇に任せて書いている次第。

だから「くっだらねー。」と思われて当然です。
(わたしも読み返すと「くっだらねー。」と思うことがしばしば)

でも、わたしはくだらないものが大好き。
わたしと同じ「くだらないもの好き」でお暇な方のみ、お読みくださいませね。

さて、菩薩のようなご夫婦のOさん達とお別れして、レンタカーで古仁屋港を目指します。
今日は船で加計呂麻島に渡り、前回奄美に降った115年ぶりの雪のせいで泊まれなかった「5マイル」に一泊する予定。
あー、楽しみ。

予定より早く1時半ごろ古仁屋港に着く。
海上タクシーの待合所にいた人に聞くと「この時間だと2時のフェリーで加計呂麻に渡るといい」と教えてくれた。
フェリーのチケットは「せとうち海の駅」で売っているとのこと。
車を一晩置ける駐車場は離れた場所にあるので、母が歩かなくて済むように「せとうち海の駅」の前で降ろす。

戻ってみると、母はお土産を見たり、海産物を扱っている料理屋さんを覗いたりして歩き回り、なにやら楽しそう。

ん?なんだか元氣になってないか?
もっと見て歩きたそうな母を、帰りにまた寄るからと説得しフェリーに乗せる。

前回はここで2回の虹を見、加計呂麻でも2回見たんだっけ。
その中にはダブルレインボーもあり、とてもきれいだった。

まさかあれから2か月たたないうちにまたこの地に来させて頂けるとは。
それも老いた母を連れて。

本当にありがたい。

加計呂麻に着くと、5マイルのオーナーの奥様のRさんがお迎えに来て下さった。
フェリーに頼んでおいたと思われるいろいろな食材等を車に詰め込み、宿に向かう。
島の方々の生活にとってフェリーは、生命線ともいえるものなのだろう。

5マイルはプライベートビーチのすぐそばにコテージが建てられている宿。
虹の島の5マイル

海と同じ色のコバルトブルーに塗られたコテージは、ご主人手ずから造られたものらしい。
この日も、小さいお子さんの遊ぶ芝生のお庭でベランダ作りをされていた。

静かなビーチの目の前にはハンモックがあり、カヤックで遊ぶこともできるんだそう。

が、婆さんの二人旅にはハンモックやカヤックは似合わない。
「浅瀬でひっくり返ったカヤックの下で溺死した老女」とか「プライベートビーチの極彩色のハンモックから落ちて脳挫傷の老女」とか洒落にならないからね。

他にすることもないので、貝を拾いに行こうと誘い、ビーチをしばらく歩き回り母と一緒に貝を拾ってみた。
Oさんに貝を戴いたときにはあんなに嬉しそうに慈しむように貝を見つめていた母だが、自分でやる貝拾いはなんだかつまらなそう。

その後、寅さんのロケ地にもなった大きなガジュマルにも連れて行ったが、やはりいまひとつ感動は薄い。
ふーん、という感じ。

                               IMG_1254_convert_20160404220931.jpg


5マイルに戻り、夕食の時間を待ち食堂に行くと。

おおっ!
テーブルには立派な伊勢海老のお作りが!!

                                 IMG_1256_convert_20160404221012.jpg


後から聞いたところによると、マングローブ茶屋で鶴先生にお会いした際、母が「わたしは海老が好きなんです。」と言ったのを氣にかけてくださり、Rさんに電話して頼んで下さったらしい。
それで漁師でもある5マイルのご主人が、海に潜って伊勢海老を捕ってくださったんだとか。

母は「わあ、なんて素晴らしい海老!」と、感嘆の声を上げる。
今まで見た中でも最上級の笑顔。

他にも魚のフライやら島豆腐や車麩とカボチャの煮物等、丁寧に作られた心づくしのヘルシーなお料理が並んでいる。

 IMG_1259_convert_20160404221115.jpg


一口食べてみると。
・・・美味しいっ!!

LOHASで体に優しいお料理って「すっごく美味しい。」というイメージがないけど、ここのお料理は本当に文句なく美味しい。
母はと見ると、持ってきたウィスキーに氷を入れてもらい、大満足の様子で一つ一つのお料理を楽しみつつ戴いている。

料理にうるさい母だが、その表情はとっても嬉しそう。
コテージに戻ってからも「美味しかった!」を連発する母。

よかったね。
やはり人間いくつになっても食のヨロコビって大事なんだね。
貝やガジュマルに対する態度と伊勢海老を見た時の母の態度の差は、人間の根源的な欲求の強さの差ともいえる。

それにしても鶴先生のお心遣いはとてもありがたかった。
母の輝くような笑顔を思い出すと、鶴先生ご夫妻、5マイルのオーナーご夫妻、そしてご縁のあった方々に感謝の念が湧きあがる。

コテージには波の音が響いている。
やがて母の安らかな寝息が聞こえ始めた。

つづく

プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR