86歳になる母と奄美に行くことになりました。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いや、驚いた。
奄美から帰宅し、お土産を持って母のところに行き、問われるままに奄美の話をしていたら「そんなにいいところなら、わたしも行きたい。」と言い出した。

行きたいって、あんた・・。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、母は去年、京都のホテルで転倒して頭蓋骨を骨折し、脳挫傷と診断され、すんでのところでボケ老人になるところだった。
さらにいえば10年近く前に硬膜下血腫の手術をし、50数年前には東名自動車道を走行中に後部座席で事故に遭い、頭でリアガラスを割って投げ出され、テレビに死亡と出た挙句、お医者様に「生きても後遺症が残る」と言われながらも無事生還を遂げたツワモノ。

もちろんここに挙げたのは、大きい出来事ばかりで、それ以外にも大腸がんの手術をしたり、胆嚢を摘出したり、緑内障になったり、腸ヘルニアの手術をしたり、酷い喘息持ちだったり。
若い頃は、座った時に針を脛に入れてしまったのに氣が付かず(!?)、数年後に錆びた針の摘出手術したり、盲腸が癒着していて大変な手術になったりと、身体のことを言い出せば枚挙に暇がない程。
年寄り同士の病気自慢では、他の追随を許さない。

こうやって思い出したことだけを書き連ねても「よく無事だったことよのう。」と感心することしきり。
昔は「仲間の中で、わたしが一番身体が弱い。」と言っていたのに、健康に見えた皆さんはバタバタとお亡くなりになり、今や一二を争う長寿ぶり。

ここのところ、随分調子がよさそうだとは思っていたが、まさか奄美に行きたいと言い出すとは思わなかった。

うーむ。
だが、冥途の土産といえどもわたし一人でこの年寄りと二人で奄美まで旅をするなんて、大丈夫なんだろうか?
よたよたと歩く老人の手を引き、大荷物を抱えフーフー汗をかくおばさんの姿が浮かぶ・・。

でも、と思う。
年を取って「どこかに行きたい」と切望する氣持ち、とっても大事なんじゃなかろうか。
体調が悪かったり、氣に病むことがある時、人は「どこかに行きたい」とは思わない。

この間までは「京都にお礼参りに行かなきゃ。」と口癖のように言っていたというのに、突然行ったことのない南の島に行きたいと言い出したのは、抹香臭い薄墨色の世界から、トロピカルフルーツの香り漂う極彩色の世界に興味が湧いたということか。

ここは一念発起して、連れて行かねばいかん!
ということで、昨日プランを練って、3月14日発のJALダイナミックパッケージツアーを申し込みました。

年寄りだからスケジュールはゆったりと無理はせず。
移動は全てレンタカーで、荷物を持って歩かなくていいように。

調べてみると、すでにキャンセルが効かない時期になっているので、もし出発近くに母の体調が悪くなったらかなりの無駄な出費になってしまう。

だ、大丈夫か?
そのことを考えると、最後に「お申込み完了」のボタンを押す時、ちょっと指先がプルプルしたけれども。

それはともかく。

母は苦労の多い波乱万丈の人生を送ってきた。
妻2人に先立たれ(!)子供8人を抱え(!!)困っていた20歳も年上の(!!!)、会社を興してブイブイいわせていた父と知り合い、騙されて(本人談)結婚した、と事あるごとに子どもの頃から聞かされてきた。

その後事業に失敗して、いろいろな職業を転々とする父についていきながら、先妻の子ども達と自分の子どもの面倒を見つつ髪振り乱して働き倒した母。

母は、今が一番幸せだという。
だから、なんとしても母が希望する奄美行を実現させてあげたい。

そういえば、母はアマミ舞の創始者の鶴先生と面差しが似ている氣がする。
母も踊りの師匠をしていて(日本舞踊ではなく民踊だが)、お弟子さんが50人近くいたが、祖母の介護のため辞めてしまった。
母も鶴先生と同じく、若い頃から信仰心があり、霊感も強いようだ。

ただ一つ違うのは、母は父との相性が悪く、とても夫婦仲が悪かったこと。
20歳上の父といつも喧嘩ばかりしていた母は、男の人に甘えることが苦手。

それに比べて鶴先生ご夫婦はとっても仲が良くて、傍から見ていて微笑ましい。
年下のOさんを立てながらも、頼り切ったように見えるその振る舞いは、オンナは年を重ねてもかくあるべし、と憧れる。

昔から、母は人生かなり損をしてきたように感じていた。

母と鶴先生。
とても似ているところがある反面、全く違う人生を歩んできた二人。
だから鶴先生と母の対面はとっても楽しみなの。
母はもしかしたら自分も送れたかもしれない人生を目の当たりにして、何を思うだろうか。

かくいうわたしも、どちらかといえば母寄りの人生を送っているような氣がする。
ここら辺で、自分の人生を見つめ直し、やり直すのもいいかもしれない。

・・やっぱ無理ですな。
人には器というものがある。

わたしはこのまま、独りでオモシロ道を突っ走ろう。

いや、モテないのを誤魔化すために言ってるワケではないですよ。
ホントに。

ホントだからねっ!!


つづく

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南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

思いもかけず皆さんに58歳のお誕生日をお祝いして頂き、天にも昇る氣持ちで幸せな夜を過ごしたわたし。

翌日は田中一村記念美術館や地元の美味しいランチを戴けるお店に連れて行って頂いたりと、初奄美を満喫したのでした。

途中Oさんは、道端のサトウキビ畑で作業しているおじさんに話しかけ、収穫中のサトウキビをもらって齧らせてくれました。
子どもの頃から憧れていたサトウキビ丸齧り。

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サトウキビは想像していたより固く、竹の中に砂糖を染み込ませた感じ。
これ、下手に齧ったら歯が欠けちゃうよ・・。

あー、やだやだ。
年を取るって、感想もババ臭いものになっちゃうのね。

最終日は、いよいよ鶴先生ご夫妻の出会いのきっかけとなったという今井権現に伺う。
早朝、海の禊場に向かい、Oさんとふんどし息子が海に入っていく。
やはりここでもふんどし禊は必須らしい。

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わたしは鶴先生と、裸足で海に入り波の花をすくい7回降り掛け、口を漱ぐ。

雑談の中、先生のお宅にあった茅葺屋根の神棚が我が家と同じものであり、さらに両方とも伊勢神宮で神棚をお受けした足で出雲大社に参拝し、帰宅したタイミングで到着したものであるということが判り、驚く。

こんな話も、ふんどし禊が終わるのを待っているまったりとした時間がなければ出なかったことで。
うーむ、ふんどし禊、侮れず。

今井権現に行くには、龍郷町安木屋場のソテツ群落を見ながら灯台に向かう。
灯台の手前には今井権現への参道口があり、尾根のような山道を行くと、赤い鳥居が鎮座し、東シナ海が見える。

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おお、なにか聖地のような雰囲氣。
早速皆で掃除を始める。

Oさんは慣れた手つきで綺麗に掃き清める。
鳥居から石段を見上げると、鬱蒼とした木々に囲まれて、空氣が違うのが分かる。

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参拝の前にふんどし息子が法螺貝を奏上し、登り始める。
153段の石段を登り切ったところに、簡素ではあるが立派な社殿があり、正面に「今井大権現」の社額がかけられている。

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奄美には平家の落人伝説があるといい、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人達が一部奄美へ逃れたという伝承が残る。
ここには龍郷町戸口に城を構えたとされる平行盛に仕え、今井崎の見張り番を務めていた今井権太夫が祀られているという。

確かに水軍に長けていた平家ならば、奄美に来ることぐらいはお手の物だったかもしれない。

「大奄美史」は言う。
『「国史によれば壇の浦の戦いに、安徳天皇は八歳の時二位の尼に抱かれて海に入り、そのまま崩御され、平氏の一族郎党またほとんど戦死したとなっている。
しかるに薩南硫黄島の旧記三所大権現鎮座本記によれば、天皇は諸臣とともに薩摩の硫黄島に遁れ給い、ここで聖寿を完うせられたことになっている。」
との書き出しで、壇の浦以降の顛末を詳細に記述して、最後は
「島々から献納する糧米によってあじけなき世を永らえ給うたが、寛元元年(1242年)五月五日の夜、六十六歳歳を以ってはかなくも崩御あそばされた」とあります。』

平家物語では、二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかけられ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたという。
安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月)で崩御したと伝えられている。

おおー、もしかしたら安徳天皇も南の島にいらっしゃった?
そうだったらいいな、と思う。

この神社は現在の「今井権現」という名前になる以前から永く信仰の対象であり、古くから奄美に存在するユタ神様の民間信仰との深い結びつきがあるようだ。 

御本殿の奥にあるいくつかの石碑や信仰の対象となっている場所をお掃除して回りつつ、平家の落人伝説をお話し頂き、奄美の歴史に心を馳せるわたし。
御本殿で鶴先生がアマミ舞を奉納し、わたし達は法螺貝、磐笛を奏上させて頂く。

この地をお参りさせて頂いている不思議を思う。

先程、今井権現について調べていたら、あの「天下泰平」のブログに行きついた。

イエスも訪れていた奄美大島

泰平さんと言えば、わたしが3・11の後に「日月神示」について調べていて行き着いたブログの作者であり(『天下泰平』以前に書かれていたブログです。正直、抹香臭いじいさんが書いていると思っていた)今のような活動をされる前に直接お会いする機会があり、いろいろご親切に教えて頂いた方。
(今やスピ界では知る人ぞ知る存在となり、お忙しくご活躍されているので、わたしのことなんぞお忘れだと思いますが)

「奄美大島の中でも最も大切な聖地の1つである「今井権現」という神社」
えええ、そうだったの?
し、知らなかった・・。

「この奄美大島には、イエス・キリストが滞在していたという伝承が残っています」
・・・そうなの?

「色々な意味で「運命の出逢い」を体感する人が続出してくる」
うん、確かに『「運命の出逢い」を体感』していますな。

なんだかよく分からないけれど、オモシロの神様はわたしの予想の遥か斜め上に向かわせようとしていらっしゃるようだ。
頑張って落伍しないようについていきたいと思う。

それはともかく。

その後、桃源郷のような果樹園でタンカン採りをしたり、とっても美味しい鶏飯をご馳走になったりと、奄美を最後まで堪能させて頂いたのでした。

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思いもかけず、まるで神様からのプレゼントのように実現した奄美、加計呂麻の旅。
本当に楽しかった。

嵐のような暴風と115年ぶりの南の島の雪。
一日に4回も観ることができた虹。
そして真心のこもったお祝いをして頂いた58歳のお誕生日。

それから何よりも、鶴先生ご夫妻をはじめとしたたくさんの方々との出会い。
わたしの人生にこんなたくさんの素晴らしい出会いがあるとは思わなかった。

皆様、そして奄美の島々の神様方。
本当にありがとうございました。

一生忘れません。

つづく

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

加計呂麻島の「高千穂神社」でのご神事を終え、車は再び海岸線沿いを走り出す。
しばらく走った後、車は細い道に入っていった。

草むらに車を停めたMさんは、さらに細い道をどんどん歩いていく。
わたし達も遅れまいとついていくと。

のどかな川沿いの道端に、なんとも立派なガジュマルの樹がすっくりと立っていた。

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このガジュマルは加計呂麻で一番大きい樹なのだという。
中に入れるというので、よじ登ってみた。

中には大きな穴が開いていて、そこに立つことができる。
ガジュマルに抱かれるようにして見上げてみると、なんとも不思議な感覚がある。

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そっと磐笛を吹いてみると、かなり響く。

ガジュマルの木を住処とする木の精霊、ケンムンやキジムナーが今にも出てきそう。
「もしかしたら木の上で、足をブラブラさせながらこちらを眺めているかもしれない。」と本氣で思わせる。

再び5マイルに戻り、、奄美に帰るため港に送って頂いた。
港が近づくと「あ、また。」と息子が呟いた。

見ると、またしてもうっすらと虹が。
今日、4度目の虹。

加計呂麻の皆さんと別れを告げ、船が出港する。
虹はその頃には見えなくなっていたが、わたしには加計呂麻の神様がにっこりと微笑まれ、ご挨拶をして下さったように思えた。
空には光芒が輝き、ご神事を終えた皆さんをねぎらわれているようにも感じられる。

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古仁屋港まではあっという間だった。
そこから車に同乗させて頂き、途中地元のスーパーやホームセンターに寄りつつ、今日の宿「なべき屋」さんまで送って頂いた。
思った以上に距離があるし、初めての土地で同乗させて頂いて、本当に助かった。

大きな窓からは海が一望できるが、強い風に紛れて、時折砂が窓を打ち付ける。
温かいお部屋で戴くモズクのそうめんや尾頭付きの大きな鯛の美味しかったこと!

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お風呂に入り、ホッと一息つく。

昨日羽田を立ったばかりというのに、随分長い時間が経ったような氣がする。
あまりに濃い時間だったものだから疲れが出たらしく、二人してベッドにゴロリと横になる。

わたし達でさえそうなんだから、前日ワークショップをされていた鶴先生ご夫妻や、よしえさん達もさぞお疲れだろう。
お別れする際「夕飯を召し上がって落ち着いたら、うちにいらっしゃい。」と言って頂いたが、お邪魔をしたら申し訳ない氣分。
本当にいいんだろうか?

お電話させて頂くと「ご遠慮なく。」とのお言葉を戴いたので、お邪魔することにし、これから伺う旨お伝えした。

宿を出ると、南の島に似つかわしくない冷たい風が吹いている。
家々の合間に夜の水平線が垣間見える。
時折波の音が響き、月明かりが屋根瓦を照らしている。

5分ほどで、鶴先生ご夫妻のご自宅に着いた。
庭先にある大きなガジュマルの樹と、南の島らしい平屋建ての木造の感じがなんともしっくりと馴染み、落ち着いた佇まいが好もしい。

ガラガラと引き戸を開けると、何か懐かしい感じがするお洒落なお部屋に皆さんが揃われていた。

和室の座卓には、席がしつらえてあり、鶴先生が、わたしに床の間の前のお席に座るよう促して下さった。
固辞したが「いいんですよ。」と、おっしゃって下さったので、申し訳なく思いつつ、座らせて頂く。

急にお部屋が急に暗くなったかと思うと、奥のお部屋から蝋燭の付いたケーキが運ばれてきた。

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え?何?

一瞬何が起こったか、理解できずポカンとするわたし。
皆さんのにこにこ笑うお顔が眩しい。

ああ、そういえば、わたし、誕生日だったんだ。

嬉しさがお腹から胸にこみ上げる。
本当のサプライズ。
こんなお誕生日は初めてだ。

皆さんで歌を歌って下さり、蝋燭の火を吹き消すように促される。

嬉し恥ずかし。
いや、すっご―――――く、嬉しい。

もしかしたら、人様にやって頂いたお誕生日は生まれて初めてのことだ、と氣付く。

ああ、自然と顔がにやけていく。
それでなくてもぼんやりした顔なのに、さらにダラシナクなったらどうしよう、というほど緩んでしまう。

その後、可愛らしいお花と、海老原よしえさんのCDまで戴き、天にも昇る氣持ちになる。

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ここは南の島。
だけどもしや極楽ですか?と言いたくなるほど舞い上がってしまったわたし。

きっとジャニーズ全員にお祝いしてもらっても、こんなに嬉しくなかったな、うん。

宿に帰ってからも「すっごく嬉しかった!」を連発し、「自分の誕生日って忘れていたのに、ケーキやプレゼントを用意してくださっていてビックリした。知り合って間もないのに、こんなに親切にして下さって、ホント、ありがたい。」とはしゃぐわたしに、ふんどし息子が一言。

「あのさぁ、加計呂麻に着いた時『115年ぶりの雪の時に来れるなんて、驚きました。それに今日わたしの誕生日なんですよ。』とか言ってたじゃん。あれって『誕生日祝ってくれ』って言ってるように聞こえちゃったのかもよ。」

・・・。
そ、そういえば言ったよ、そんなこと。

だってさぁ、115年ぶりの雪に驚愕し、ダブルレインボーにも興奮し、やっと渡れた加計呂麻と懐かしい皆さんにお会いできた嬉しさから、何にも考えず言っちゃったの。

言ったは言ったけれども、目まぐるしくいろいろなことがあったものだから、言ったことも忘れ、誕生日だったことすら忘れてしまっていたんだった。

んもう。
イヤだ、イヤだ。
これだから邪念だらけの人間は。

ふんどし息子ったら、何のために真冬の海で禊いだんだか。

そうじゃないもんね。
皆さんは、純粋なお氣持ちでわたしのお誕生日をお祝いして下さっただけだもんねっ。

わたしには、分かるっ!
分かるよっ!!

それにしても。

ガジュマルの樹に守られた、あの南の島の素敵なお家でお祝いして頂いた、58歳のお誕生日。
一生忘れません。

皆様、本当にありがとうございました。


つづく

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

なんとか来ることができた虹の島、奄美と加計呂麻。

「やっと来れた。」とはいうが、実は全くのノープランなわたし達親子。
いつものように、何も考えず下調べもないまま、直感だけで来てしまった。

しかもこんな南の島くんだりまで、がさばる上に重い法螺貝や磐笛なんかを持って来てからに。
いったい何を考えているんだか。
まったく。

それはそうと。

友人から「奄美は日本の雛型、加計呂麻は奄美の雛型である」という話を聞いた。
加計呂麻はノロやユタの島だという。
ここには間違いなく神がおわすに違いない。

島に着いてしばらくすると、皆が出かける準備をし出した。
どこに行くかも聞かず、そして知らされず、なんとなく再びMさんの車に乗せて頂く。

車外には青い海が広がっている。
これが、加計呂麻。
南の島の景色が延々と続く。

しばらくして、海に面した草原に車が停まった。
皆と一緒に車から降りたふんどし息子に、鶴先生のご主人のOさんが唐突に「ミソギしましょ。」と言って、手拭いを渡してきた。

ミソギシマショって何?
しばらく言葉の意味が頭に入って来ず、顔を見合わせるわたし達。

海に向かう面々。

澄み切った青空が広がり、海はどこまでも青いが、昨日雪が降った余波でか、風は身を切るように冷たい。
ぼんやり手拭いを握りしめる息子に、Oさんが「これから神社に行くから、海に入って禊をするよ。はい、服を脱いで、ふんどし一丁になって。」と嬉しそうに仰った。

え?禊ぐの?

・・ここで?
しかもふんどし姿で?

どうやら4人いる男性のうち、ふんどしを締めている3人が海で禊ぐらしい。
そして、すでにそのメンバーに、ふんどし息子も入っているようだ。
(それにしてもふんどし率高し!)

鶴先生を始め女性達は、裸足になり、波打ち際で足を濡らし、口を漱ぐというやり方で禊を始めた。
わたしも見よう見まねで、白波を手ですくい、頭に降り掛ける。
海の水は思ったより温かい。

離れた草むらで着替えた男たちは、並んで海に入っていく。

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肩まで入ったかと思うと、頭までもぐる。

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うーむ、この寒いのに、ここまでするとは。
なんて男らしいんだ。
かっこいいぞ、ふんどし姿。

めでたく「ふんどし禊同盟」が結成された、記念すべき日となった。

後から息子に聞いたところによると「服を脱いだ時と、海から上がった時が半端なく寒かった。」と、うっすら唇を震わせる。
我が息子ながら、なかなか付き合いがよくって、いいねえ。なかなか見どころがあるよ、うん。
面白がる無責任な母。

皆は山に向かって、どんどん歩いていく。
道々お話を伺うと、ここは鶴先生のご先祖にご縁のある土地で、いろいろな不思議な経緯から、廃れてしまっていた神社を復興したとのこと。

奄美諸島には現在もユタやノロと呼ばれるシャーマンの方々がいらっしゃり、島の人々は何か問題があると相談をしに行くというくらい、神様という存在が身近なところだという。
だが、加計呂麻島は高齢化が進み、古くから大事にされていた神社が、手入れをされず廃れてしまっているところも少なくないらしい。

なんとか山の上まで登り切ると、「高千穂神社」と書かれた鳥居があり、境内に簡素な造りの社が鎮座している。
皆でお掃除をしてからご挨拶をする。

わたしは揺れる飛行機の中で、奄美の神々様に救いを求めたことを思い出し、心からお礼を申し上げた。

そして鶴先生の創設された「アマミ舞」の奉納が始まった。
鶴先生の鳴らす金と銀の鈴に合わせ、皆が舞った後、海老原よしえさんの歌に合わせ、鶴先生が舞う。

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このよしえさんという方もスゴイ方。
よしえさんは長野に移り住んでから、自然と曲が「降りてくる」ようになったらしい。

よしえさんは、40歳になるまでギターはおろか、まったく人前で歌を歌ったことなどなかったのに、その聴こえた曲を再現したりしているうちに、ギター一本を手に、全国にライブやコンサートをするようになったんだそう。

その歌声は、まさに天に届くほどの透明感と力強さに溢れている。

よしえさんの歌声に合わせて舞う鶴先生は,天女のように、凛として美しい。

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鶴先生は言う。
『天と地を感じて、自分の生命を感じて感謝致します。
天にのび、地に伏して舞うとき、アマミ舞はその場の気を体で受け取め、言霊、舞霊を神に捧げます。』
『一人でも多くの方が、このアワの唄を声に出し身体を動かし、宇宙へ地球へご先祖様へ、その一時を祈り、自分が今ここに居る事へ感謝する心を持ち、一緒に唄い舞う、この一瞬をともに致しましょう。 』

ここのところ、わたしは氣付き出している。
わたしが何故、こうした不思議な場に呼んで頂けるのか、ということを。

わたしは歌を清らかに歌い上げることも、輝くような舞いを舞う事なども、できはしない。
ましてや神様のお言葉を伝えたり、人様の身体を癒したりすることなど、望むべくもない。
そういったことは、わたしのすべきことではない。

素晴らしい出来事の場面に居合わせた時、わたしは目を輝かせて、興味深げにその場を脳に焼き付けようとする。
そして面白かったこと、楽しかったこと、驚いたことを楽しみながらブログに書いている。

もしかしたら、綾なるご縁を手繰り寄せ、こうした面白くも不思議な出来事に遭遇できるのは、皆様にお伝えするために呼んで頂いているのかもしれない、と思うようになった。

拙い文ではあるが、ご縁のある方、必要としてる方に、わたしが見聞きした出来事をお届けする必要があるのではないか、と。

もしそうであればとても嬉しいし「何故わたしのような凡庸なものが、この場にいさせて頂けるんだろう。」という、様々な場面での疑問も氷解する。
いやいや、それはあまりにも穿った見方だ、ともう一人のわたしが否定する。

天の理は分かるべくもないが、わたしはそういうお役目を戴けていると思いたい。

そうこう考えているうちにご神事は進み、ふんどし息子が法螺貝を奉納させて頂く場面になった。

おおー、いつになく立派な法螺貝の音。
意味もなくなんとなく持って来たんだけど、意味があったのかもしれぬ。

ん?
ふと息子のカーキ色のパンツに目をやれば、おもらしをしたかのような濃い色のシミができている。

これはもしや禊いだ時にふんどしをしっかり絞らなかったのか?
でも、事情を知らない人はそう思ってくれるわけがない。

きっと「おもらし息子」と思うに違いない。

そんな「おもらし息子」と磐笛を奉納させて頂きながら、奄美と加計呂麻の神様方に心から感謝するわたしなのでした。


つづく

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昭和な風情が色濃く残るホテルで目覚めたわたし。
とにかく、まず窓の外を見る。

雲の切れ間から青空が覗いている。
よかった!
これなら間違いなく加計呂麻へのフェリーや海上タクシーは出航できるだろう。

Mさんからも「今日は加計呂麻へ出航できるそうです。」との連絡が入り、朝一番の船に乗ろうと港に急いだが、乗り遅れてしまった。
ふと、空を見上げると虹が。

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おー、奄美の神様がわたし達を寿いでくださっている!
とても幸せな氣持ちになるわたし達。

待ち時間にコンビニで軽い朝食をとり、次の便の出発時間が近づいたので、再び船着き場へ。

息子が「また虹!」と叫んだので、振り向くと、先ほどよりもくっきりと鮮やかな虹。
紫の色がこんなにも濃い虹は初めて見た。

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きれいだなぁ。

ぽっかりと心に穴が開いたような氣持ちで、虹を見上げる。
ふと見回すと、船着き場にいる人は、皆、口を半開きにして虹を眺めている。

目を虹に戻すと、なんともう一本うっすらと虹が出始めている。

おおー、ダブルレインボ-じゃないですかぁ!

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虹は、不思議だ。
ほんの一瞬見せてくれる美しい姿は、目を離せない程、心を引きつける。
そして満たされた平和な氣持ちになる。

雨上がりによく出るという虹。
虹は、南の島にも、北の国にも、その姿を現す。
平和な国にも、そして戦場にだって、虹は出るに違いない。
いったい戦場の戦士達は、どんな氣持ちで虹を見るのだろう。

出航の時間になり、皆、名残惜しそうに船に乗り込む。

目を離した隙に、虹はもうその姿を消してしまっているが、空は天使の梯子と言われる光芒が美しい。
25分ほどで加計呂麻島に着く。

やっと来れた加計呂麻。
Mさんの車が、船着き場に置いてあり、宿泊予定だった「5マイル」というお宿まで乗せてもらう。

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おー、よさげなコテージの並んだ可愛らしい宿じゃないですかぁ!

中に入ると、薪ストーブが燃えており、窓からは真っ青な海が見える。
本当だったら、昨夜はこのお宿に泊まることができたのね。
くすん。

「5マイル」のブログには、こんなことが書いてある。
『おとうが海で漁をし、おかあが畑で無農薬で野菜を作り、自然の恵みをお裾分けしてもらっています。
お客さまのお食事も、海と大地の恵みを大いに感じていただけるメニューとなっております。』
『お食事の調味料は化学調味料をつかわない、本物にこだわっています。』

こうして旅をしていると、日本中に頑張っていい仕事をしている方々がいることを実感する。

懐かしい面々、初めてお会いする方々に、ご心配をおかけしたお詫びとともに、ご挨拶をする。
「5マイル」のオーナーご夫妻にもご挨拶をさせて頂き、キャンセル料のお支払いを申し出るが「大丈夫ですよ。」と言って下さる。

なんていい人達なんだ!
あんな時間に、急にキャンセルしてしまったのに。
今度また加計呂麻に来た時は、絶対にここに泊まろう。

外に出てみると、本当に目と鼻の先に海がある。
ふんどし息子は、荷物から法螺貝を取り出し(こんながさばるもの、何故持って来た?)海に向かって、大きく吹いた。

加計呂麻の海と法螺貝の音。
ミスマッチではあるが、妙に似合う。
「もしかしたら、法螺貝も故郷で音を出すことを喜んでいるのか?」と思いたくなるほど、大きく響く。

「あ、また虹。」と。ふんどし息子が呟いた。
振り返ると、またしても美しい虹の姿が。

                          IMG_1089_convert_20160203124732.jpg

小さいけれど、異次元を映しこむような、忘れられない虹。
こんなにも美しい虹の数々をいっぺんに見せてもらうと、いくら思い込みの強いわたしでも「神様が、わたし達を寿いでくださっている!」なんて図々しいことを思えないくらい、不思議な氣持ちになってくる。

奄美、加計呂麻の神様方。
来させて頂いたばかりか、素晴らしい虹の数々を見せて頂きありがとうございます。

奄美、加計呂麻の旅は始まったばかり。
これから何が起こるのか、虹をバックに法螺貝を吹くふんどし息子を見つめながら、ワクワクするわたしなのでした。

つづく

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

そもそもわたしが奄美に行くことになったのは、皇居の勤労奉仕団でご一緒させて頂いた、日本舞踊家でアマミ舞創始者、花柳鶴寿賀さんご夫妻との出会いがきっかけでした。

花柳鶴寿賀先生(以降、鶴先生とお呼びします)とは、こんな方。
 『花篝会」「アマミ舞」を主催。幼少より古典バレエと日本舞踊に親しむ。
19歳で沖縄へ渡り、琉球舞踊の大家、島袋光裕師に師事。
人間国宝の花柳寿南海師に師事し、日本舞踊協会大会では大会賞、奨励賞を受賞し、文化庁芸術祭にも参加。
平成8年より自身の父方のルーツである奄美大島の島唄、神唄に舞を導入した「アマミ舞」を創作。各地での奉納舞やワークショップを開催。』

そんなスゴイ方とは露知らず、休憩中やお掃除の合間に、鶴先生ご夫妻とお話させて頂く機会があり、しとやかな中にも可愛らしさの漂う鶴先生に、同性ながら憧れの眼差しを向けていたのでした。

そして菅原文太と竹内力を足して2で割って、さらに西郷隆盛をブレンドしたような、10歳年下のご主人のOさんとのロマンスやら、素晴らしい奄美のお写真などを拝見させて頂き、「奄美、行ってみたい。」という氣持ちがむくむくと湧き上がったわたし。

さらに「今ならふるさと割りというものがあり、条件にあえば旅費が半額になる」という話を聞くにつけ(ここ大事)、すっかり「奄美がわたしを呼んでいるっ!!」と思い込み、「是非、奄美に行きたいですっ!」と、叫んでいたのでした。

ま、「行きたいです。」とは言っても、普通はそれっきりになってしまうもの。
わたしとて、大人のわきまえとして「ちょっと知り合っただけのわたしなんかが、本当に行ったらご迷惑だろうなあ。」とか思わないでもなかった。

でも、それよりも「このチャンスを逃せば、一生行けない氣がする。なんだか知らないけど、とにかく行きたいっ。」という、オモシロ好きの衝動を抑えることができなかったの。
そして何よりも、鶴先生ご夫妻のお人柄に魅かれた、というのも大きな要因だったと思う。

それはともかく。

奄美空港で、Oさんから「もう少ししたら、空港にお客様を送り届けるために、Mさんという人が行きますから、一緒に古仁屋港まで乗せてもらって下さい。それまで珈琲でも飲んで待っていて下さい。」とのありがたいお電話がある。

2階のレストランに行ってメニューを見てみると、珈琲は400円近いのに、黒糖焼酎は280円。
これは、やっぱり黒糖焼酎を飲めってことでしょ。

ふっふっふ。
115年ぶりの雪の空港のレストランで、真昼間から焼酎を飲む母と息子。
ニンマリと笑いながら、ごぼうの唐揚げをつまみに、ちびちびと飲む。

あー、シアワセ。

しばらくするとMさんらしき方が、妙齢の女性と共にレストランに現れた。
16:55発のバニラ便に乗る女性を送るために、わたし達がこれから向かう加計呂麻島から来たらしい。

挨拶もそこそこに、出発ゲートに向かう二人。
わたしもお見送りをするために、後から付いていく。

ん?
二人は目と目をからませ「じゃ、またね。」「うん、待ってる。」と、切なそうに言葉を交わした。

こ、これはまさかの遠恋?
お二人から3メートルほど離れたところで、お二人の甘やかな雰囲気を感知し、氣配を消しつつ後ずさりするわたし。

のこのこお見送りになんか行くんじゃなかった。
とんだお邪魔虫になるところだった・・。
まあ、わたしなんぞは恋するお二人の瞳には、ロビーの自動販売機にしか映らなかったかもしれないが。

その後、恋人との別れを惜しみ終わったMさんの運転で、古仁屋港までひた走る。
聞けば、いろいろな事情で東京の住まいも仕事も捨て、加計呂麻に移り住んだのだそう。
辺りはすっかり暗くなり、南の国に似つかわしくない雪混じりのみぞれが、フロントガラスを打ち付ける。

Mさんは「今日、加計呂麻から奄美に来た時の海上タクシーに、帰りの足も頼んであります。フェリーが止まっても、海上タクシーは台風などのよっぽどひどい時以外は出航するから大丈夫ですよ。」と、仰ったので一安心。

1時間半ほどで古仁屋港に着いたが、辺りはもう夜の気配が漂っている。
コンビニで一休みしている間にMさんが海上タクシーに連絡を取ってくる、と言って出て行った。


しばらくして戻ってきたMさんが「今日は波が高すぎて出航はできないとのことです。」と悄然と仰る。

え?
今晩の宿は加計呂麻にお願いしている。
そして鶴先生ご夫妻や、勤労奉仕団でご一緒した方々と過ごす夜を楽しみにしていたのに。

船着き場まで行ってみると、停泊している船は上下に激しく揺れ、波は恐ろしい程にうねっている。
加計呂麻は海上タクシーで25分ほどの目と鼻の先にあるというが、荒れ狂う闇の中では、全くその影もない。
「よっぽどひどい」事態に呆然とする。

・・でも、ここまで来れただけでも、上出来か。
考えてみれば、大雪の予報だったのに欠航にもならず、肝を冷やしたけれど何とか奄美空港に着陸でき、今目の前に加計呂麻島がある。

しかも当初の予定通り、レンタカーで息子と二人でここに来ていたら、本当に途方に暮れていたに違いない。

Mさんはテキパキと港の近くの宿を探し予約を入れ、宿まで連れていってくれた。
ありがたしっ!

このホテル、昭和の風情があるといえばそうなのだが、とにかく寒い。

Mさんにお願いして、近くの銭湯の「嶽乃湯」に連れて行ってもらう。
雪のせいか、銭湯には番台のおばあちゃん以外、ひとりもいない。

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入ってみると、ここがまあ、なんとも昭和30年代なのだ。

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お釜のようなドライヤー。
体重計だって、昔ながらのハカリ。
真冬なのに扇風機もある。

あー、「おばちゃん、オレンジ牛乳ちょうだいっ!」と叫んでしまいそう。

カラカラと浴場の扉を開けてみる。

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おお、なんとも昭和チック。
湯船に浸かっていると、男湯に入っているMさんとふんどし息子の楽しそうな会話が聞こえてくる。

他に誰もいないので「あと10分で出るよー!」と、声を掛けてみる。
すると男湯から「分かったー。」との返事が。

いいねえ、この感じ。
ただ、南の島の銭湯のせいか、いくら出し続けてもお湯は出ず、温めのお水しか出ないのには参ったが。
(後から地元の人に聞いたら、そんなことはないらしい。客がわたし達だけだったので、ケチったか?)

銭湯から出たわたし達は、やはり雪で足止めをされているというMさんのお友達がいるという、地元の居酒屋さんへと向かったのでした。

バナナの芯だの、猪汁だの、パパイヤの漬物だの、ソテツの味噌だの。
地元ならではの食材をつまみに、四方山話に花を咲かせる。

115年ぶりの雪がもたらした、不思議な時間。

こうして初めての奄美の夜は、雪の降る音と共に更けていったのでした。


つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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