大嶽山那賀都神社と差出磯大嶽山神社との驚きの関係とは

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日はふんどし息子とともに大嶽山那賀都神社の大掃除に伺ってきました。
宮司の日原先生ご夫妻を含めた12名によって、社殿はお正月にいらっしゃる善男善女をお迎えする準備が整えられました。

以前も大嶽山那賀都神社との出会い等について書かせて頂きましたが、本当に素晴らしい神社です。
大嶽山那賀都神社ってすごい(2)

奥様手作りの昼食を戴いている最中に電話が鳴り、先生が対応されているお言葉を聞いていると、どうやらお札を受けた方がお子さんを授かったらしい。
とても喜ばれていて、漏れ聞いているわたし達も嬉しくなる。
さすが霊験あらたかな大嶽山那賀都神社、と改めて崇敬の念が湧きあがる。

大嶽山那賀都神社は、その昔、山岳信仰として至るところにこの神社の講社組織があり、山を越えて毎日のように沢山の信者が訪れ、拝殿や本殿に寝て帰ったという。。
春の例大祭には18キロほどある塩山までの道が人の途切れることがなかったといい、山梨県人で大嶽山を知らないのはモグリなんて言われた大嶽山。

丁度いい機会だったので、以前からわたしが疑問に思っていた、山梨市にある差出磯大嶽山神社との関係について質問をしてみた。

差出磯大嶽山神社は「大嶽山」という名前を使い、裏側には「大嶽山那賀都神社」との看板もあり、神社の御印まで同じものを使っている。
山梨市の差出磯大嶽山神社は、古今和歌集・関東の富士見百景「差出の磯」を謳っているが、その佇まい、雰囲気が三富村にある大嶽山那賀都神社とは全く異質なものでとても奇異に感じていた。

大嶽山那賀都神社のホームページには「※当神社(宗教法人)は、山梨市万力の大嶽山(個人)とは関係ありません。」との文言があるが、いったいどういうことなのか。
何も知らなかった頃は「山宮」と「里宮」の関係なのか、とか「本社」と「末社」「分社」の関係なのか、と思っていた。

日原先生に伺ってみたが「うちとは一切関係ありません」「とても迷惑している」というお言葉しか返ってこない。
どうやらこの件についてあまり語りたくないご様子。

そこで一緒にお掃除をしていた地元の情報に詳しい古老の方にお話を伺ってみた。
すると驚きのお話が。

山梨全土にその名をとどろかせた大嶽山は山梨県中に講社組織があり、大祭の際には当番制の世話人が代表で神社に来て、地域に持ち帰ったんだそう。
その頃山梨県下の多くの氏神様には、一角に大嶽山の碑やシンボルマークの剣、社が建てられており、大事にお祀りされていたが、時代が進むにつれ信仰心がすたれ、今では講社組織も数えるほどしかなくなってしまった。

昭和初期にある事件が起きた。
地域の信者さんに声をかけ皆を連れてくる今の山梨市の先達の一人が、神社に納めるべきお金を着服するということが起き、神社側はその先達を辞めさせた。

ところが昭和50年代に、信者さんから「山梨市に『大嶽山那賀都神社』という大きな看板を掲げ、神社のような振る舞いをしているところがある」というの知らせがあり、調べたところ無断で名前を騙っていることがわかり、申し入れをしてその看板を下ろさせた。
それが今の差出磯大嶽山神社とのこと。

しかし60年代に、再び同じ看板を掲げていることが判明し、怒った大嶽山那賀都神社が差出磯大嶽山神社側と話し合いをしたが、生活のたつきにしていると泣きつかれ、温情の処置として「大嶽山」という名前を使うのは仕方がないが「那賀都神社」という名前を使っては困るとしてその場は収まったのだという。

意外なことに差出磯大嶽山神社は宗教法人ではなく、全くの個人経営なのだそう。
(「神社」と名乗っても法律的には問題ないらしい)

まさかこんな関係だったとはだれが思うだろうか。
思ってもみなかった話に驚愕するわたし。

そんなバカなことってあるんだろうか?
まさに「なりすまし」。

先生がそういった経緯はを仰らないのは、神社という信仰の場において、このような不愉快なお話を皆さんの耳に触れさせたくないという神社を預かる者としての矜持なのか、とも推察された。
素晴らしい大人の対応だし、宗教者としてはかくあるべし、とも思う。

でも、本当にそれでいいのだろうか、と浅薄なわたしは考える。
今では山梨市の中では「大嶽山」というと「差出磯大嶽山神社」と信じられているという。

そしていろいろな公共施設にも差出磯大嶽山神社のイベントのチラシが置かれ、何も知らない善男善女が足を運んでいるらしい。
こんないきさつも知っている人はほとんどいない今、時代が進むにつれ全く違う歴史が語られるようになってしまうに違いない。

一時の情けや温情が歴史を変えてしまう可能性があるとは・・。
「ウソも百回言えば本当になる」は、ある意味真実だ。
恐るべし、時間の流れ。

「なりすまし」があらゆるところで跋扈するこの時代、情報の爪痕だけでも残しておくのは次世代に対するわたし達の責務だと思う。

幸いにも(?)わたしは宗教者でもなければ、体は老婆だが精神的には大人じゃない、ただのおばさん。
こ、これは書いておかなければっ!

そういった経緯から、わたしの独断でこのお話をブログに載せさせて頂くことに決めました。
これはあくまでも伝聞ですので、確かな証拠はありません。
もし「それは事実と違う」とか「こんな話を聞いた」という方がいらっしゃいましたら、是非ご一報くださいませ。

それはそうと。

昨日とても面白い話を聞いた。

社伝に「天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼び、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。」とある。

この「昼夜連日鳴動」が、あの3・11の前後続いたという。
下から突き上げるような鳴動が3・11の当日はピタリと納まったのは不思議だったと皆さん口をそろえた。

うーむ、「甲斐の御用」の「鳴門の仕組み」なのか?

とにかく凄いぞ、大嶽山那賀都神社!!

※追加情報頂きました。
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ご存知かと思いますが、差出磯は古くから景勝地として有名でした。
私は幼稚園時代は、バスがちょうど亀甲橋を渡って差出磯にぶつかり、万力公園方面に曲がるとすぐ、みずやという風情のあるお宿がありました。(明治時代のものだったでしょうか)
みずやが老朽化でなくなった…と思ったら、派手な建物が?!?!
1990年代?にひょっこりできたものです。
10年ほど前でしょうか、「なにこれ、こんなものあった?」と、親戚一同から言われるもので、私が近隣の友人知人・文献に調査を入れました。
文献に至っては何もなし。歴史もないことが証明されました。
差出磯大嶽山にも行ってみましたが、看板には差出磯自体の歴史しか書いてなく、肝心の神社の説明は何もないという意味のないものでした。

やはり最近は、あれが本気で歴史的神社だと思っている方は非常に多いですし、場所も目立ちますし、様々なイベントを行っているので勘違いされている方も多いです。
観光案内やパンフレットにもちゃっかり載っている有様です。
ホームページにも看板にも説明書きにも、ウィキペディ○から貼り付けたような差出磯」の説明しかなく、肝心の神社の由来は一言もなし。
呆れました。

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あの「お宮」ができたのは、私は1990年代前後と記憶しています(記憶が曖昧で申し訳ありません)。
バブルでお金でも入ったのでしょうか?!
以前は、本当に磯と、1980年代に解体されたみずや(亀甲亭)しかなく、まさか崖になっていると思っていた磯の上に登れるとは思っていなかった・しかも神社ができるとは!と驚きました。
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わたしの知人が、直接ご夫婦に伺ったお話です。

あるご夫婦が、山梨県では昔から有名な「大嶽山」に参拝したいと思い、差出磯大嶽山神社にお参りし始めた。
熱心に何回か通ったある日。
神殿に向かい手を合わせていると頭の中で「ここじゃないっ!」という怒気を含んだ声が聞こえた。
不思議に思ったご夫婦がその声を信じていろいろ調べ、三富村に大嶽山那賀都神社があるのを知った。
初めて大嶽山那賀都神社に参拝した時「わたし達が探していたのはここだった!」という確信に満ちた氣持ちが湧きあがり、以来熱心な信者になったという。

つづく
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いつの間にやらセラピスト

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ここのところ人生が新たに動き出している、ような氣がする。
オモシロを追求しているうちに知り合ったたくさんのスゴイ方々や出来事。
もしオモシロ道というものがあったら、たぶん三段くらいにはなっているに違いない、と確信する今日この頃。

そして今月。
うかうかと面白がっているうちに氣がついたら、いつの間にかわたしはセラピストになっていた。
いや、「いつの間にか」というと語弊があるが体感的にはそんな感じ。
一番驚いているのは、何を隠そうこのわたし。

つい最近まで学習塾の経営者兼先生で、キャンプ場のオーナー兼草むしりのおばさんと、二足のわらじを履いていて、今年やっとキャンプ場に本腰を入れ始めたばかりというのに。

しかもセラピストなんて、白魚のような手をした楚々とした落ち着いたヒト、というイメージがあるのに、わたしときたら「楚々とした」どころか、お酒を飲んではゴツイ手を振り上げながら「人生、楽しくって面白いっ!!」と叫んでいるおばさんなワケで。

我が身を鑑みると、胸を張って「わたしはセラピストをやっております。」と言える要素はひとっかけらも、ないっ!!(断言)

そもそもわたしがいろいろなモノに首を突っ込み始めたのはふんどし息子のせい。

我が息子は鍼灸師であり柔道整復師でもあるので、常日頃から人様の身体を治療させて頂いている。
多くの患者さんが治って喜んでいる姿を陰ながら拝見し、「よかった、よかった。」と思う反面、母としては我が息子の体調も氣になって仕方がない。(なんせわたしの老後がかかっておる。)

「わたしに何かできることはないか。」と思ってやり始めたのが「霊氣(レイキ)」であり「アクセスバーズ」だった。
家族、知人に施術して回り、喜んでもらえると氣をよくしてさらに施術しまくるわたし。
褒められると人間俄然やる氣が出るもの。(普段あまり褒められ慣れていない人間は特に)

調子に乗って次々と施術して結果を出していくうち、みち鍼灸治療院の院長でもあるふんどし息子に「うちの治療院でもアクセスバーズの施術をしてみたらどうか?」と持ちかけられたのだった。

わ、わたしが人様に施術を?
それでお金を戴く??

話はあれよあれよとまとまり、今月に入りすでに何人かに施術をさせて頂いた。

やっていくうちに分かったことがある。

アクセスバーズ自体はとてもシンプルなセラピーで、施術方法は一日で学ぶことができる。
だけれどシンプルなだけにとても奥が深い。
言葉の選び方ひとつひとつにセラピスト自身の生きてきた軌跡が出てしまう、と思う。

よく「人生に無駄はない」という言葉を聞くが、わたしの場合、今回ほど身に染みて実感したことはない。

学習塾を30年近く続けたことも、髪振り乱してマキオカネイチャークラブを作ったことも、主人が亡くなって辛酸を舐めたことも、悩みつつ子育てしたことも、。
面白がって枇杷の葉温灸をはじめとする自然療法を始めたことも、前世療法をしたことも、自然農法の畑を作り始めたことも、「あわの歌」を学び始めたことも。

泣いたことも笑ったことも怒ったことも。
全てが集約されてここに生かされている。

先日、施術を受けられた方に「頭を触ってもらいながらお話を聞いて頂くだけで不思議と氣持ちのモヤモヤが晴れました。カウンセリングを受けるよりずっとスッキリしてよくなったような氣がします。」という嬉しいお言葉を戴いた。

「わたしごときが」とか「わたしなんて」と思うのはもう止めよう。
「わたしだからこそ」できることがきっとある。

そしてそんな生き方こそ面白い。

やり始めにいつも言われてきた言葉。
「え?何で塾を始めたの?」
「え?キャンプ場なんて作れるの?」
そして今度は「え?いつの間にセラピスト?」
(正直、セラピストという言葉を使うとお尻のあたりがコソバユイ)

人生どこでどうなるか分からない。
だから面白い!!

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                  アクセスバーズとは

アクセスバーズは、「脳のデトックス」と言い表される「不要になった思い込み等を取り除く」セラピーです。
バー(ツボ)を軽くタッチする事で、抱え込んでる感情を解放し、深いリラックスを感じることができ、前向きなエナジーを促進することができるようになるといわれています。
頭部にある32のエネルギーポイントに軽く触れていくことで、心身をリラックスさせ、脳に溜めこんできた思考・感情などを次々と手放す事が可能です。
バーへのやさしいタッチで、あなたを制限している思い込みや信念を解放し、不要になったデータが消え、心が軽くなります。

アクセスバーズは1990年にアメリカでギャリー・ダグラス氏によって確立されたセラピー法で、現在世界150か国以上に伝えれられ、日本では「脳の断捨離」とも譬えられています。

「頭の中が思考でイッパイイッパイ。もうこれ以上何も考えられない!」というくらいせっぱつまった方は、脳のデトックスが必要です。
自分の力(思考)でどうすることも出来なくなったら、いったん脳を休ませ、スペースを空けましょう。空けることにより変化が可能になるのです。

アクセスバーズは「悪くても良いマッサージを受けたような深いリラックス感、良くてあなたの一生を変えるかもしれません」と言われています。
このシンプルな手法で、あなたを制限している思考、感情や不快な感覚を変え、自分と世界を変えられるかもしれません。
(とはいえ過剰な期待は結果を限定してしまいがちです。どうぞ楽な気持ちでお受け下さい!)

※みち鍼灸治療院では専任のセラピストによって、セラピーを行っております。

施術料金(90分) 10000円
※期間限定モニター料金(1月31日まで) 6000円

本田至恵(みち鍼灸治療院アクセスバーズセラピスト)                   
ご予約090-5433-2224

 みち鍼灸治療院
鎌倉市今泉台7-23-2
(JR大船駅より江ノ電バス鎌倉湖畔循環に乗り鎌倉湖畔下車徒歩1分)


つづく


皇居にて天皇皇后両陛下の御前で「あわの歌」響く(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

そもそも我々の団の名前に使われている「あわの歌」とは何なのか。

今年の1月に「あわの歌」のついてブログに書きました。
「アワのうた」勉強会に行ってきた。

そう、あの頃は「あわの歌」を暗記するのも一苦労だった。
それなのに、今やその名称の付いた皇居勤労奉仕団の一員として、天皇皇后両陛下の御前に立とうとしている・・。
考えてみればホント不思議なご縁です。

勤労奉仕の最終日、いよいよ待ちに待った天皇皇后両陛下のご会釈がある。
前日の皇太子殿下のご会釈と同じようなものかと思いきや、全く違っていました。

ご会釈の会場となるお部屋は、昨日の皇太子殿下のご会釈のお部屋より古く簡素な造り。
まるで公民館のような佇まい。

前日と同じように、部屋に入る前に金属探知機でボディーチェックを受け、宮内庁の年配の女性からご挨拶の仕方、ご下問があった際の受け答えの仕方等、細かく言い渡しがある。
受け答えは短めに.して天皇陛下の御質問に的確に短く答える、声は大きな声で私的なことは話さない等、お年を召した両陛下のご健康を氣遣われた内容でした。
昨日の皇太子殿下のご会釈の際とは、緊張の度合い、ご注意の際の口調、全てが「似て非なるもの」でした。

両陛下を待っている間からピリピリとした緊張感が部屋中に満ちているのが感じられました。

いよいよ黒い乗用車が車寄せに停まり、お車からお二人が降りられ部屋に入って来られると、不思議なことにピリピリとしたものが消え、空氣が柔らかく清らかに変わったのが分かりました。

陛下は黒のスーツ姿、皇后さまはすっきりとした黒のロングドレス。
お二人は手を携え、皇后陛下は天皇陛下をお守りするかのように寄り添われ、ゆっくりゆっくり奉仕団の方へ歩み寄られました。

最初にお声をかけられた団長の緊張は、離れたところに立っていたわたしにも伝わってくるようでした。
天皇陛下のお言葉の後、皇后陛下も微笑まれながらお言葉をかけられます。

驚いたのはそのお声の美しさ。
まるで神社の奉納舞などで巫女が手に持ち鳴らす鈴のような。

『鈴には鈴そのものにではなく、「鈴の音」に力があるといい「心を引きつける」力もあると考えられていたという。
澄んだ鈴の音で、邪なるものを祓い神様の御霊(みたま)を引きつけ、御霊の昂揚を期待し、より大きな御神徳を得られるという。』

そう、まさにあの鈴の音。

緊張しつつお二人を見つめていると、不思議と感謝の念が湧きあがり、目頭が熱くなったのは我ながら驚きでした。

両陛下は団長おひとりおひとりに丁寧にお声掛けなさいます。
お声をかけて頂いてから各団の団長が 何処から来たのか、総勢何人か、どんな活動をしているのか等お答えするのですが、お二人とも、通り一遍ではないご質問やお言葉をかけられ、その細かい心遣いに感動しました。

いよいよわたし達の団長の前にいらっしゃいました。
団長の緊張感が背中越しに感じられます。

両陛下は団長の名札に目を留められ、しばらくじっとご覧になっていました。
そしてお二人ともとても嬉しそうなお顔になりお顔を見合わせられました。

「どんな活動をしているの?」と天皇陛下がご質問になる。
「はい。我々は、自分の健康の為、家族の健康の為、日本の国が良き国であり続けるように心を込めてこの歌を歌っております。」と団長がお答えする。

次に皇后陛下が「あわ歌とはどんな歌ですか?」とお尋ねになった。
「日本の古代の歌で、生命の氣を活性化させ国を正すと言われております。わたし達は日本、日本国民の安寧を願い節をつけ皆で歌っております。」とお答えすると、お二方ともぱあっと光り輝くようなお顔に変わり、皇后陛下が「まあ、聴いてみたいわ。ね?」と天皇陛下に微笑まれた。
すると天皇陛下が「うん、そうだね。聴いてみたいね。」とお答えになり、お二人がにっこりとお顔を見合わせ、促すように団長をご覧になった。

天皇皇后両陛下が「あわの歌」をご所望になっている!

どうするんだろう。
ここで歌っていいのだろうか?
団員全員が思ったに違いない。

団長が心を決めて「あわの歌」を歌い出すと、自然発生的に団員皆が歌い出し、会場内が「あわの歌」に包まれました。
ひそやかで美しい歌声でした。

皇居の中で古代大和歌が鳴り響いている。
それも両陛下の御前で。

まるで目に見えずに繋がってきた多くの先人たちの思いも重なっていたような響きでした。...

厚く厚く封印されていたにもかかわらず、必然のように1966年に東京の古本屋で発見された「ホツマツタヱ」。
そして「あわの歌」。

それがこの困難な時代に、まるで封印が解かれたかのように、天皇皇后両陛下の御前で鳴り響いている。
それも皇居の真ん中で。

わたしはもしかしたら大変な場面に立ち会っているかもしれない。
心が震えました。

あの瞬間、両陛下のご尊顔の眉間の辺りが白くなり、まるで光を放っているように輝いたのを間近で拝見しました。

両陛下の嬉しそうな、慈愛と歓びに満ちた微笑み。
どこからともなく聞こえるすすり泣きの声。
わたしも目が潤み目頭を押さえました。
そして何故か辺りが汗ばむ程に暑くなりました。

両陛下のあわ歌をお聞きになっている時のお顔の輝きを拝見し、特別な瞬間には本当に面が白くなるということを実感しました。
面白とは、こういうことだったのか。

古事記には天照大御神が岩戸から出て来られて、今まで真っ暗だった世の中が急に明るくなり、神々は喜びのお言葉を発したと書かれています。

『天晴れ(あっぱれ)、あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あな清明(さやけ)おけ』

あの「両陛下の御前で「あわの歌」が鳴り響いた瞬間、現代の岩戸開きがなされたのではないでしょうか?
何かが解き放たれた、という感じがしました。

その場に立ち会えた奇跡に感謝します。

ご会釈を終えられた両陛下は、車の中からお姿が見えなくなるまで身を乗り出して御手をお振りになってくださいました。
ご奉仕に長年来ている男性も「こんなことは今までなかった」、「ありえないことだ」と話していました。

4日間の皇居ご奉仕が終わった今、わたしの心の中には国民の一人として両陛下に対する畏敬の念と、お二人を戴く国に生まれたことに対する誇らしい感謝の気持ちで満たされています。


つづく

皇居にて天皇皇后両陛下の御前で「あわの歌」響く(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

スペシャルにトンデモなメンバーで溢れた我が皇居勤労奉仕団。
他はと見れば、お揃いの派手な色のウィンドブレーカーを着た日本赤十字の支部やJAの支部のじい様ばあ様で溢れ返っている。

そして休憩時間ともなれば休憩所の売店は人で溢れかえる。
菊の御紋の入ったお饅頭やらチョコレートやら印鑑入れなど、ここでしか買えないお宝グッズばかり。
全て品質の割にお安い価格設定になっている。
さすが宮内庁御用達。

皆さん大量に購入すると、地方に宅急便で送る手続きに余念がない。
たぶんご近所や親戚に皇居勤労奉仕土産として、鼻の穴をふくらませながら自慢げに渡すのだろう。

もちろんわたしも買いましたとも。
菊の御紋入りのネクタイだの健康保険証入れだのお箸だの小風呂敷きだのチョコレートだの冷酒グラスだの。(多っ!)
そしてやはり鼻の穴をふくらませ、とーーっても自慢げに恭しく家族に渡しましたとも。

ことほどかように菊の御紋というのは我ら日本人にとって特別な意味を持つ物だといえる。

それはともかく。

3日目には皇太子殿下のご会釈がありました。
ご会釈を賜るというのはラッキーなことだそう。
ご公務で地方や海外に行かれているときは、当然お言葉を頂くことができませんから。

ご会釈の行われる部屋に入る前に、金属探知機でボディーチェックを受ける。
皇太子殿下がお目見えになる前には、宮内庁の若い女性の方から挨拶のタイミングや万歳三唱の手の向き、お見送りの際の体の向きまで細かいご指導がありました。

いよいよ皇太子殿下がお部屋にお入りになると、部屋の雰囲氣はきりりと引き締まる。
ブレザーにセーターを身に付けられた皇太子殿下は堂々としていて深みのある笑顔で団長に話しかけられていた。

ご会釈の後、一年前にやはり勤労奉仕をして皇太子殿下のご会釈を受けられた方達が「すっごくお変わりになった!驚いた!!」と興奮氣味に語る。

「前回の時と雰囲氣がまるで違う。何か御覚悟のようなものができたような感じにおなりになった。」
「そうそう、眉間の辺りが広くなられたような・・不思議なくらい変わられた。」
「すっごくハンサムになられた。」
などと口々にいう。

確かに皇太子殿下の雰囲氣はやはり一般人のそれとはまったく違っていた。
お優しそうな笑顔の中にも、しっかりとした芯のある強さ、茫洋とした大きさを感じられた。
流石に将来天皇陛下になられるお方、と自然に頭が下がるような方だった。

ちなみにご会釈の際は団長のみ皇太子殿下からお言葉がかけられる。
ご下問があってから団長はどのような団体かをご説明し、皇太子殿下がご質問されるとそれにお答えする。
団員はその会話を一言も聞き漏らすまいと緊張した面持ちで整列している。
最後は団長代表の音頭に合わせて皆で万歳三唱で皇太子殿下はご退出なさる。

今回驚いたのは皇室の方々の分刻みに管理されたご公務の大変さ。
本当に大げさでなく「分刻み」なんですね。
特にお年を召した天皇皇后両陛下には過酷なお暮らしなのではないかと庶民の浅慮で心配してしまう。

これは宮内庁の職員の方が案内して下さっている最中にお話しされたことなのだが、両陛下のご公務がお休みの際、皇居内のお庭をお二人でお散歩をされることがあるんだそう。
遠くにお姿が見えると、庭仕事をしている職人や職員は、蜘蛛の子を散らしたように隠れるらしい。
両陛下は働いている職人さん達のことも氣遣われ、お声掛けされたりご心配されたりしてしまうので、せめてお休みの時ぐらいゆっくり寛いで頂きたいからだという。

また、どんなに体調がお悪くても勤労奉仕団へのご会釈は欠かさないとのこと。
両陛下のご会釈を楽しみに、わざわざ遠くから勤労奉仕に来ているのだから、と多少の熱くらいでは無理を押してご会釈をなさってしまうらしい。

よくネット上で天皇家に対するあれやこれやが書かれているが、そういったことを喧伝される人たちは先入観を捨て、一度あのお姿を直に見て欲しいと思う。
私欲のため、我が事のためだけに人はあのような生活を続けることなどできない。
「私」を捨て「公」のために生きていられる方は、人品骨柄、立ち居振る舞い、全てにおいて本当に違う。

情報過多のこの時代、人はややもするとまるで自分だけが本当のことを知っていると錯覚してしまう。
自省も込め書くのだが、見ると聞くは大違い。
本当のことは一目見れば理屈抜きに伝わってくる。

4日目の最終日はいよいよ天皇皇后両陛下のご会釈がある。
日本人として生を受けたが、まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかった。

これもオモシロ道を追求しているお蔭ですな。

とはいえ、いかにオモシロ好きのわたしでもまさかあのような面白の展開が待っているとは・・。

ホント、人生面白い!!


つづく

皇居にて天皇皇后両陛下の御前で「あわの歌」響く(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

12月4日、4日間に渡った皇居の勤労奉仕が終わりました。

半年前、皇居の勤労奉仕なんてものがあるなんて知りもしなかったわたし。
不思議なご縁で参加させて頂くことになりました。

皇居勤労奉仕とは
『美しい皇居を守る力」-それが,皇居勤労奉仕です。
皇居勤労奉仕は,昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため,同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり,それ以降,今日まで奉仕を希望する方々をお受けしています。
現在の皇居勤労奉仕は,連続する平日の4日間,皇居と赤坂御用地で除草,清掃,庭園作業などを行います。』

皇居勤労奉仕に参加できる条件は意外に簡単。

※奉仕の参加資格
1.ご自分の健康に責任を持てる方。
2.奉仕に参加する期間中の年齢が,15歳から75歳までの方。

ただし本人確認はしっかり行われます。
奉仕を希望する月の6か月前から受け付けているのですが、希望者が多い日は抽選になるとのこと。

だからもちろんこれをお読みになっている皆様も、15人集めれば一般人が入ることができない皇居内をご案内して頂き、楽しく皇居内をお掃除できます。

しかも「除草,清掃,庭園作業」とはいっても、ほんの軽作業。
初日の午前中なんて30分程草を集めただけで、あとは麻生さん似の職員の方が綾小路きみまろに勝るとも劣らない名口調でご案内して下さる後を笑いながらゾロゾロついて歩いていただけ。

以前は本当に大変な作業をしていたらしいのだけれど、今やJAのじい様ばあ様の体力に合わせ「観光案内」+「大人の遠足」+「皇室の周知活動」+「清掃活動」になっている模様。

こんな素晴らしいシステムが世の中にあるなんて知らなかった・・。
ホント、知らないって損ですね。

わたしの参加した団体の名称は「あわ歌と古代史を楽しむ会」。
オモシロを追求している間にたどり着き、なんとなく紛れ込ませて頂きました。

ところがこの団体、4日間ご一緒させて頂いて分かったのだけれど、タダのおじさんおばさんの集まりかと思いきや、参加者の面々がモノスゴイ方々ばかりだった。
以前わたしのブログでご紹介した日本靈氣会の代表でありナ・ムーのオーナーであるNさんが副団長をされていたのだが
今年は靈氣(レイキ)をやってみた(3)l
そのNさんが普通に見えるぐらいトンデモなメンバーで溢れていたのだった。

自然と曲が「降りてくる」ようになり素晴らしいコンサートを各地で催されている方とか、植物や動物とコミュニケーションを取ったりスピリットガイドからメッセージを受け取ることができるスピリチュアルカウンセラーの方とか、天と地をつなぐ舞いのインスピレーションを受け、アマミ舞を完成された創始者の方とか。
極めつけは「天界の言葉を人界に伝える巫女」という使命を持って大学教授と共同研究されたり自ら作家活動をされている能力者の方とか。
(この方は脳や心臓の腫瘍も治してしまう。ご主人を治して頂いたという方もいらしていた。)

もう一生分のトンデモのご縁を使い果たしたかのような様相。

そんな中にぽっつりとオモシロ求道者というだけのわたしが紛れ込んでいたワケで。
いや、なんだかお恥ずかしい・・。

そんな面々で始まった皇居勤労奉仕、何も起こらないワケはないのでした。


つづく

ふんどし息子の講演会、無事終了いたしました。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日ふんどし息子主催の講演会が無事終了いたしました。

人が集まらなかったら「もう腹を搔っ捌くしかないっ!!(息子が)」と、あれほど心配していたお客様も、なんと60名を超える方々が来て下さり、盛況のうちに終わらせることができました。

一生懸命周囲に宣伝してくださりお一人で15人以上も動員して下さった方、わざわざ遠くからお祝いを持って駆け付けて下さった方、人集めに悩んでいたわたしのためにブログやFBで告知して下さった方、お友達にお声掛けして下さり電車やバスを乗り継いで予定外の渋滞をものともせずいらして下さった方、会場の準備から片づけまでお手伝い下さった町内の方や大学の後輩など、今回ほど人のご親切が身に染みたことはありませんでした。

今思い出すと、心がジンとして自然に目が潤んできます。
皆様、本当に、本当に、ありがとうございました。

息子の師匠であり、人生の恩師でもある高橋先生のお話はとても分かり易く、皆さんの心に届く内容でした。
さらに言えば「ですから本田先生のみち鍼灸治療院に行きましょう。」という、直截的で親心満載のゴリ押しともいえる営業トークで締めくくって下さり、実の親のわたしとしては笑いつつも目頭が熱くなるような講演会でした。

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そしてふんどし息子もハキハキと院長先生のように(当たり前か)質疑応答に答えている。

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講演後に高橋先生とお話させて頂いた際「本田先生は本当に技術がいいんです。大学病院でも人氣があるんです。」「本田先生に治せないなら他の鍼灸師にも治せません。」「れいちゃんは(息子のこと)息子のようなものです。」という有難いお言葉を戴いた。
(あ、「初め来た時はどうなることかと思いました。」ともおっしゃっていたが)

わたしも息子もこんなにも素晴らしい宝のような人たちに囲まれている。
ご縁で繋がらせて頂いている。
なんて幸せなんだろう。

たぶん亡き主人も嬉しそうに見ていたに違いない。

皆様、重ねて申し上げます。
本当にありがとうございました!
そしてこれからもよろしくお願いいたします!!

つづく
プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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