母、奇跡の復活!(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

親切な皆さんのお蔭で京都の病院からなんとか横浜の脳外科の専門病院に入院できた母。
驚いたことに母は怪我をした時から横浜に入院した最初の頃の記憶がすっぽりと抜け落ちている。

が、全てを忘れているという訳でもなく「言われてみればそんなこともあったかも。」という部分もあるらしい。
だからわたしに「あんなことを言った」とか「こんな状態だった」と言われると、怖くて信じたくないという氣持ちともっと聞いてみたい氣持ちがせめぎ合うようだ。

そんな氣持ち、わたしにも経験あります。
酔っぱらって記憶をなくし、後から「あんなこと言ってたよ」とか「あんなかっこで寝てたよ」と半笑いで言われゾッとした時。
たぶんああいう氣持ちなんでしょうな。

母は京都の病院から退院する際の奇跡的なアゲアゲのテンションが収まると、その反動かグッタリしてしまった。
初めは立ち上がるのもやっとの状態だったのだが、時間の経過と共に氣力体力が回復してきたらしく「ご飯も美味しくないし、たいした治療をする訳でもないのに入院費を払うのはもったいない。この状態をとっとと克服せねばっ。」と思うようになったと見受けられる。

脳の右側頭部に水が多少溜まっており、治療といっても経過を見つつ短時間のリハビリをするだけなので、わたし同様無駄がキライな母は俄然やる氣が出たらしい。

さらに隣のベッドのばあさんが事あるごとに看護士さんを呼びつけて、やれ靴を履かせろだのご飯を食べさせろだのと言うのも氣に入らなかったようだ。
母にいわせると「あのばあさん、看護士さんが見ていないところではいろいろできるくせに甘えた声を出しちゃって。看護師さんもわたしには『〇〇さんはできますね』とか言って手伝ってくれない。わたしには冷たい。」ということらしい。

「わたしには冷たい。」って、あんた・・。
まるで幼稚園児が幼稚園の先生に「〇〇ちゃんに贔屓した!」とか「〇〇ちゃんばっかり可愛がって。」と言うのと同じ口ぶり。
「やはり人間、年寄りも幼稚園児も根っこは同じなんだなぁ。看護師さんも保母さんも忙しいのに大変なことよのう。」と実感した次第。

こんな一見くだらないことも、何事につけても負けず嫌いな母にとってはいい動機付けになり、密かに自主トレに励む決意をしたらしい。

病院の床のラインを真っ直ぐ歩くようにしたり、手すりはできるだけ使わないよう心がけたり、ベッドに寝ながら筋トレしたり。
暇に任せて、独自に編み出したリハビリに精を出し奮闘。
(ここはロッキーの顔をばーさんに変え♪『ロッキー』のテーマソング♪を流して下さい。・・・うげっ。)

涙ぐましい努力の結果、母はお医者様や看護師さんも驚くほどの回復をとげたのでした。

そしてお医者様が「大事をとってもう一回MRIを取ってから退院しましょう。」というのを「看病に来てくれる娘達にも迷惑を掛けますので一日も早く退院したいんです。」(ただ寝てるだけなのに、いつまでもこんなところにいられるかい!by心の声)と言い張り、予定よりだいぶ早く退院することができた。

いや、この世代の年寄り、ガッツあるわぁ。

それはそうと。

母が京都で頭蓋骨骨折をする2日ほど前、娘が「お友達の息子さんが頭に大怪我をする」という変な夢を見たそうです。
娘は夫に注意を促し、自分や子どもも怪我をしないように氣を付けよう、と思ったのだそう。
その直後の今回の事件だったので「一種の予知夢だったのかなあ。」と氣にしていました。

「そんなことぐらいで予知夢とか言っちゃって。」と、鼻で嗤ったあなた。
我が娘を侮るでないっ!

わたしは予知夢ってあると思います。

我が家で今も語り草となっている話がある。
今を去ること15年前のある朝、娘が起きてきて「変な夢を見ちゃった」と言う。
「小渕首相が死んじゃう夢」を見たという娘に「バッカだぁ!今日総理大臣が死んだ夢を見た人なんて日本中にあんただけだよ。」と家族で大笑いをした。

するとその3日ほど後、テレビから「小渕首相が倒れました」という緊急ニュースが流れてきて家族一同騒然となっった、という話。

政治にろくすっぽ興味のない中学生が、突然総理大臣が亡くなる夢なんて見ますか?
あれを予知夢といわず、何を予知夢というのか。

だから今回の夢も「予知夢もどき」だった可能性があると思っているの。

それはともかく。

母は今、以前と変わらない生活にほぼ戻っています。
周囲に住む身内に見守られながら、独り暮らしができるところまで回復しました。
これもご縁のあった方々のお蔭と感謝しています。

また目に見えない大きな存在にお力を頂いたのは間違いないと思っています。

何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる


母は最近「秋になったら京都にお礼参りに行く。死んでお金を持っていくわけじゃないから行きたいところに行こうと思う。」と宣言して周囲を慌てさせています。

いや、今までも行きたいところに行ってたし。
国交のなかった頃の中国にも行き、スイスを始めヨーロッパ各地を巡り、もちろん日本全国を旅行しまくってるじゃないですかぁ!
しかも「あの世」にも片足突っ込んできたばかりだし。

まだ「行きたいところ」ってどこですか?

どちらにしても、そんな氣持ちが出てきただけでもありがたい話。
周りに迷惑をかけず、無理をしない程度に楽しんでもらいたいと願うわたしなのでした。

つづく

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母、奇跡の復活!(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

脳挫傷になったにもかかわらず、奇跡的に立ち上がることまでできるようになり、京都の救急病院を退院できることになった母。
が、そんなアゲアゲのテンションがいつまでも続く訳もなく、退院の手続きを終え病院の玄関に着いた頃はぐったりし始めました。

や、やばい。
とっとと行かなければ何が起こるか分からない。

そういえば、以前「タイミングを見て、なんとか早く横浜に連れ帰りたい。」と言ったわたしに、主治医の先生は「そうした方がいいですね。こういったケースのお年寄りは初めのうちは元氣に見えて一週間くらいして急に状態が悪くなってしまう事がありますから。」と仰った。
そして今、入院してほぼ一週間経つ・・。

母をなんとかタクシーに乗せ、京都駅に一番近い降り口に着いたたものの、改札口まで10メートルほどの距離がある。

実はJRに車椅子をお借りする手続きをした際「改札の中から車椅子をお貸しすることになっています。」というのを、事情をお話してタクシーの降り口まで係りの方が車椅子を持って来てくださることになっていた。

息子を先に降ろし改札に走らせた後、タクシーの運転手さんに手を貸してもらい、母を降ろす。
やっとのことでタクシーから降りることができたが、青ざめた顔で柱に寄り掛かる母。

おかしい。
改札で息子が駅員さんに話しをしている姿は見えるのに、ちっとも車椅子を持ってくる氣配がない。
何をしとるんだ、息子よ。

やっと戻ってきた息子がいうには「窓口ときちんと連絡が取れていないらしく『決まりだから改札まで来てもらわないと車椅子は貸せない』と言われた。」とのこと。

ぐぬう・・。

10メートル先で、車椅子を誘導するために待機している駅員さん達がこちらの様子を窺うように見ている。
プチッとわたしの頭にの中で何かが切れる音が。
(切れたのが脳の血管じゃなくてよかった♡)

決まりを守らなければならないのは、分かります。
しかもわたしたちはタダで車椅子をお借りする身。
そんなエラそうなことを言える立場ではないことは承知しています。

んが!
あそこからは立つこともままならなず柱に寄り掛かっている真っ青な顔の母の姿がはっきりと見えているはず。
事情を話しているにも関わらず、数人で固まってぼんやりとこちらを見ていることしかしないって、どうなの?

母を息子に任せ、わたしが改札口に走り、再び事情を説明する。
怒りで目が三角になっていたに違いない。
わたしの鬼気迫る氣迫に押されのか、女性の駅員の方が急いで椅子を持って来て下さり、今にも崩れ落ちそうだった母は取りあえず座ることができた。

その後窓口と連絡がついたのか、無事車椅子をお借りでき、年配の駅員さんの誘導でエレベーターを使いながら車椅子がスムーズに通れるルートを歩く。
母は少しの振動でも辛いらしく吐き氣までしている様子。
仕方がないので、ビニール袋を片手に持たせ、ゆっくりと進む。

母の乗った車椅子と共に歩きながら、ふと思う。

わたしは今まで、こうやって別のルートを歩いている人々に心をかけることがあっただろうか。
目には入っていたのかもしれないけれど、その姿を脳が認識していなかったのかもしれない。

この年になって、結構いろいろなことを知ったような氣持ちになっていたが、とんでもない。
もしかしたら、これからの方がたくさんの痛みや辛さ、怖さを経験するのかもしれぬ。

構内に入ってきた新幹線の扉が開くと、すでに乗務員の方が二人待機して下さっていて、母は無事新幹線に乗ることができた。
多目的室の中は思ったより広く、座席2席分を手前に引き出せばベッドのようになる仕様になっている。

母はかなり疲れたようで、横になりぼんやりと車窓を眺めている。
食欲もないらしく、昼食用に買った駅弁に箸をつけない。

これでよかったのだろうか。
母のためと思い、無理やり連れ出してしまったけれど。

氣が付くと、車両は新横浜駅に滑り込んでいた。
やはり降り口に駅員の方がお二人待機してくれていた。

たった一人の老人の為に大事な仕事の時間を割いてくれるJRよ、ありがとう!
駅員の方に誘導されながら、姉の待っている改札に向かう。

誘導して下さっている駅員の方が、顔面蒼白な母を見て氣遣わしげに声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?もし具合が悪ければ救急車を呼んだらいかがですか?」

わたしの目がキラリーンと光る。

確かにわたしの目から見ても、母は相当具合が悪そう。
このまま自宅に帰っても救急車を呼ばざるを得ない状況になる可能性も高い。
そうでなくても、明日病院で受け付けをして、長い時間待ってからお医者様に診察してもらうよりも、今救急車を呼んでもらった方がよくはないか?
しかも明日行く予定の病院は、近所でもヤブと評判の〇〇病院・・。(姉に入院できる病院を探してもらったのだが、そこしか受け入れ先が見つからなかったらしい)

税金を使わせてしまい申し訳ないが、母は長年真面目に税金を納めてきた身。
ここはお許し願おう。

きっと薬師如来様が駅員さんに言わせてくださったに違いないっ!
(もしくは子狐が)

渡りに船とばかりに駅員さんに救急車の出動をの要請をお願いすることにした。

救急車に乗せて頂けたお蔭で、母は脳外科の専門病院にそのまま入院することができた。
なんだかとんとん拍子にあらゆることが進み過ぎて、不思議なくらい。

薬師如来様、子狐ちゃん、ありがとうございました。

そしてJRの駅員や職員の方々、ありがとうございました。
京都駅の改札で目を三角にして申し訳ありませんでしたっ。

それはそうと。

今回で「母、奇跡の復活!」を終わらせようと思ったけど、(4)だということに氣がついた。
ヨン、シ、死…。
扱っている話題が話題なだけに、なんか、ヤダ。

思いっきりゲン担ぎをするわたしとしてはここで終わらせるワケにはいかないじゃないですかぁ!

ということで、次回は最後に現在の母の様子をお伝えしたいと思います。

つづく

母、奇跡の復活!(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

明け方、一泊2500円の安宿の天井を見ながらぼんやり考える。
「やっぱりダメだ。母を置いていっちゃ・・。」

もしこのまま独りで京都の病院に入院させていたら、母は確実に呆けてしまう氣がする。
いかに親切な看護婦さんやお医者様に囲まれていたとしても、身内としょっちゅう過去の思い出話や日常の会話をするのとでは脳に対する働きかけは格段に違うのではないか。

ここで母の人生を変えてしまう訳にはいかない。
一緒に帰ろう。母と。
心は決まった。

それはそうと。

京都のナースって、いいですね。
殺伐としがちな病院で、「どうしてはるんですか~。」なんて京都弁の柔らかいイントネーションが聞こえてくると「京都オンナ、いい!」と思う。
できることならば、こんなナース達に癒されたい・・。
オッサンならずともそう思ってしまう。

まあ、「ぶぶ漬けでもいかがどすか?」に象徴されえるように、柔らかい言葉とは裏腹に結構キツイ方が多いとも聞くが、それもよし。
ただ優しいだけのオンナより、噛みごたえがあるというか芯があるくらいのオンナの方がわたしは好き。

それはともかく。

ふんどし息子と共に早朝の病院に急ぐ。

母に「お母さん、急だけど今日帰ることにするよ。ダメかもしれないけど今から先生に伺ってみるからそのつもりでね。」と言うと「うん、分かった。」と頷く。
力のなかった目が心なしかキラーンと光った氣がする。

とはいえ、母はベッドの角度を変えるだけでも一苦労の状態。
新幹線に乗せることなんてできるんだろうか。
いや、吐こうがつらかろうが、とにかく連れ帰るしか道はない。

ちょうど回診が始まり、運よく主治医の先生がいらした。

すっごく優しい先生なんだけど、突然今日退院させて欲しいなんて言い出したら怒らないかな。
土台無茶な話だよね。
しかも昨日「それでは動けるようになるまでこちらの病院に置いて頂きたいと思います。」とお願いしたばかり。

病院側の都合もあるだろうし。
退院の手続きだってそんなに急にできるはずはない。

が、そんな事は言っていられない。
無理を承知で一か八か切り出した。

「あのぉ、先日からご相談申し上げていた退院の件ですが、今日息子が横浜に帰りますので、できたら母も一緒に連れ帰りたいと思うのですが。」

「そうですか。分かりました。お母様お一人でこちらにいらっしゃるのも心細いでしょう。お母様を診察して、新幹線に乗れそうであれば急いで退院の手続きをしましょう。」

先生、あなた様はなんていいお方なんじゃぁ。
あ、あんたは生き神様じゃあ。

先生は母に「車椅子に座れるか診てみましょう。」と言い、ベッドの角度を変え始めた。

昨日はベッドの角度を60度に上げるのに「眩暈がして氣持ちが悪くなる。」と言って、3回くらいは休んでいた。
固唾を飲んで見守るわたし達。

が、今日の母は「まだ大丈夫。」と、一氣に70度まで上げさせた。
だ、大丈夫なのか?本当に。

どうやら母は「帰る」という目的が与えられ、テンションが上がり、体調も劇的に改善されたらしい。

「それでは立ち上がってみましょうか。」と先生。
いや、なんぼなんでもそれは無理でしょう。

ところが母はナースの首に手を回し、周りに支えられながらもひょいと立ち上がった。
周りにいたナースやドクターも「おー。」という驚きの歓声を上げる。

さらに支えられながらも二歩三歩と歩を進める母。
口をあんぐりと開け、顔を見合わせるわたしとふんどし息子。

ちょっ、テンション上げるにしても程があるでしょ。

もしや後ろから薬師如来様が支えているのでは?
いや、子狐か?
ホントはそんなに悪くなかったんだったりして。
いやいや、そんなハズはない。
だって脳挫傷だよ。
頭蓋骨骨折だよ?

いろいろな妄想が去来しているわたしの目の前で、先生が「これなら新幹線に乗れますね。ではすぐ退院の手続きをしましょう。」と言って下さった。

え?マジで?
自分で言い出したのに、退院できることに驚いたわたし。

でもいつまでも驚いている訳にはいかない。
そうと決まればやることが山ほどある。

横浜の姉に電話をし、とにかく一旦帰宅させてから入院できる病院を探してもらうようにする。
病院から病院への転院でなければそれほど難しくないはず。

母の荷物をまとめ、わたし達の荷物とともにゆうパックで送る。
京都駅まで歩いて3分程の病院だけれど、歩けない母の為にタクシーをお願いし、どの順路だと負担が少ないかを確認する。

わたしは今回初めて知ったのだけれど、新幹線には車イスに乗ったまま乗り込むことができる個室(多目的室というらしい)が1つ付いた車両があり、障害を持った人、事情があり必要と認められた人は、指定席特急券と乗車料金でこの個室を利用することができるとのこと。

JRに行き、切符の手配と多目的室の利用と案内のお願いをする。
車椅子の貸し出しもお願いするが、改札口からしか使えないんだそう。
タクシーを降りて改札までの移動はどうしたらいいんだ?

まあ、いい。
改札まで一番近くに行けるルートを探そう。

かなり時間がかかったが、次は病院で退院の手続きをする。
合間に姉と電話でやり取りをし、帰ってからかかる病院を決める。
心配してくれていた親戚にも事の成り行きを説明し、今日一緒に帰宅する旨伝える。

あれやこれやを走りながらこなし、やっと母の病室に着くと。

なんと朝会った時はぼんやりとした頼りない目をしてベッドに横になっていた母が、着替えをして居住まいを正し、化粧までしてベッドに座っていた。

そしてわたしの顔を見るや「わたしのブラシはどこにあるの?」と聞いてきた。
「ブ、ブラシ?さっき鞄に詰めてゆうパックで送っちゃったけど。」
「あれがないと髪がまとまらないじゃないの。それにこの服じゃなくてあっちの服の方がよかったのに。」

いや、あの、髪や服がどうのこうのというより帰れるだけでもめっけものというか。
手も動かしづらかったはずなのに、化粧、どうやってやったの?
っていうか、今朝まで起きていられなかったのに、そんなに長い時間座っていて大丈夫なの?

「お昼はわたしがご馳走するから、どこか美味しいところで食べましょ。病院の食事、不味かったから美味しいものが食べたいわ。」

不味いもなにもついこの間まで味覚障害を起こしていたし。
しかもこの状態で外食できるわけないでしょうがっ!

それにしても我が母の凄まじさよ。
80歳も半ばで脳挫傷を起こし昨日までぐったりしていた人間が、退院するからといってこの状態で身支度を整え、化粧をし、人目を氣にするとは。

凄過ぎる・・・。
が、オンナとして見習わなくては、と心から感心するわたしなのでした。


つづく

母、奇跡の復活!(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日自分が書いたブログの『(母が)「この子が死んだら、わたしも海に入って死のう。もし助かったら結婚生活を続けよう。」と覚悟をしたのだそう。』という下りを読んで「自業自得とはいえ、そんな覚悟をされた父も不憫なものよのう。」と、亡き父を偲びしみじみしたわたし。

まさか妻が(子どもが死ぬくらいイヤなこと≒自分との結婚生活)と思っていたとは。

・・いや、待てよ。
思い返してみれば母は父の目の前でこの話をしていたような氣が。

うーむ、それでも添い遂げたのだから、夫婦の機微というのは傍では分からないもの。
嫌で仕方のない相手でも、我慢して添い遂げると見えてくる世界があるものなのか?

それはともかく。

ぼんやりと宙を見据える母を前に、暗澹たる氣持ちを抱えながら京都の救急病院を後にする。

「一泊2500円の宿って、どんなところだ?」と思いながら行ってみると、部屋を簾で一畳半づつ区切り雑魚寝をするスタイル。
男女混合で、外国のバックパッカーが多いようだ。
もちろんわたしのようなおばさんはいない。

い、いいんだもんね。
年を取ったら豪華京都旅行をするんだもんね。

そして「今回のホテルはラグジュアリーで素敵だけど、以前泊まったお安い宿もそれなりに面白かったわあ。奥様、ああいうとこに泊まるのはお若いうちでないと経験できませんことよ。人生の引き出しを多くするのは何事も経験ねえ。」ってうそぶいてみせるもんね。
(奥さまって誰?)

翌朝、一日遅れでふんどし息子がやはり深夜バスで京都入りをする。
鍼灸師でおばあちゃん子の息子は「大変だから来なくていい。」というわたしに「一刻でも早くリハビリも兼ねて鍼治療をしてあげたい。」と言い、整骨院に休みをもらい駆けつけたのだ。

泣かせるじゃないか、ふんどし息子。
母は心強いぞ。

息子が今回の事故の話を周囲の人にしたら「東寺の薬師如来様が霊験あらたかだ。」と教えてくださったとか。
困ったときの神頼み。
病院に行く前に東寺にお参りすることにし、歩いて向かう。

東寺真言宗の総本山で国宝の金堂の拝観は8時半からなので、少し待つ。
早朝の人氣のない薄暗い広大な空間の中に、本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。

母の姿を思い浮かべながら、母の住所、氏名、事の成り行きを申し上げ、心から回復のお願いをする。

ふと見ると金堂の中の一隅で白髪のご老人が数珠を売っている。
「難が転じますように。」との願いを込め、南天の数珠を求めた。

病院に向かい、母の腕に南天の数珠をつける。
やはり反応が鈍い。
が、ぼんやりした表情ながら、ふんどし息子に会い嬉しそうな母。

リハビリも兼ね、話をしてみる。

「どうしてここにいるか、わかる?」
「分からない。」
「ホテルで転んだんでしょ。」
「誰が?」
「お母さんが。」
「モモ(ひ孫)を抱いて?」

食べたばかりのサンドイッチの具が分からない。
確認してしばらくしてから同じ質問すると、やはり分からない。

わたしの携帯を見て「リモコン持って来たの?電卓?」と聞く母を見て、流石のふんどし息子も愕然とした様子。

病院の治療は痙攣止めを飲ませるのみ。
とにかく時間薬ということらしい。
早速お医者様の許可を取って、鍼治療に取りかかる。

両手首、両足首に5分ずつ鍼を差し刺激を与える。
その後、鼻の下に鍼を差し(これは相当痛いらしい)3分間刺激を与える。

「痛い、痛い。」と辛そうな母を「もうちょっと!」「あと30秒だから頑張って!」と励ます。

何とか鍼治療を終えた母は心なしかスッキリしたように感じられる。

この治療を3日間続けた結果、母は驚くべき回復をとげる。
話の辻褄が合うようになり、目に力が付いてきた。
計算の問題を出してみると、かなり早くできるようになっている。

ただ三半規管を打っているため、ベッドを起こすだけで5~6回止めなければならない。
やっと起きたと思っても眩暈による吐き氣でフラフラになってしまう。
車椅子に座ることもままならない。

早く横浜に帰してあげたいが、これでは新幹線にも乗せられない。
レンタカーでワゴン車を借り、ゆっくり病院に運ぶしかないのか?

が、仮に何とか横浜に辿り着いたとしても、今度は引き受け手の病院が見つからない。
京都の病院のスタッフの方が一生懸命探して下さるが、難しいらしい。
以前硬膜下血腫で入院した救急総合病院は「帰って来られるくらい回復しているのであればうちの病院でなくてもいいのでは。」との返事だったらしい。
知り合いの病院は脳外科がない。

転院って、素人が考えるよりハードルが高い。
こんな状態の年寄りに、いったん帰宅してから病院に行き、普通に受付をし待合室で待ってから診察を受けろ、という事らしい。

そんなことできるかっ。
座ることすらできない年寄りに無茶を言うな!

たぶん点数とか病院特有の諸事情があるのだろう。

そうこうしているうちに息子が帰らなければならない日が刻々と近づいてくる。
わたしだってそういつまでもいる訳にはいかない。
この日を逃したら、わたし一人で母を連れ帰るのは絶望的。

やはり母一人を京都の病院に置くしかないのか?
話す相手もいない入院生活でボケちゃわないのか?

それでなくても氣になっている眉間の皺がいつも以上にくっきり目立ち出し、ストレスと寝不足でカサカサになったお肌はわたしを5歳以上老けさせる。

ま、ここは京都。
知り合いは誰もいないし、わたしになんかに興味を持つものもいないからいいけど。

いいんだもんね。
年を取ったら豪華エステ旅行をするんだもんね。

そして「今回のエステはラグジュアリーで素敵。昔母が怪我をした時は髪振り乱して我ながら凄まじかったわあ。奥様、ああいうことはお若いうちでないとしちゃダメね。人生の引き出しを多くするのは何事も経験ねえ。」ってうそぶいてみせるもんね。(だから奥さまって誰?)

そうこうしているうちに、いよいよ息子が帰る日がやってきたのでした。


つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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