マキオカに自然農の畑を作ってみた(1)。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今年の一月にマキオカで自然農に取り組みたいという話を書いた。

今年は自然農に取り組む所存。

2月に入り、ふんどし息子と共に自然農の勉強会に参加させて頂き、「こ、これはなんとしてもやってみなければっ!」と決意を新たにしたわたし。

取りあえず行くまでに用意するものは、以下の3つ。
  ●酢 (市販の穀物酢)
  ●もみ殻くん炭 
  ●米ぬか

くん炭とはもみ殻をいぶし焼きして炭化させたもの。
用土に混ぜることで通気性や保水性が増すことができ、根ぐされ防止や、アルカリ性である特性を生かし酸性の土を中和させることができる優れもの。
微生物の棲家として、とても有効なものらしい。

ホームセンターにもあるというので、何件か廻ってみたが少量で高いものしかなかった。
ネットで電話番号を調べつつ探してみると、山梨のくろがねや一宮店で100リットルで1580円のくん炭を発見。
注文をして、行きがけに買っていくことにする。

次は米ぬか。
近所の米屋を探すも大量の米ぬかを扱っているところはない。
それならばこれもマキオカの近くならどうだろう?
山梨市のJAに電話すると1キロ60円との返事。
ネットで調べた相場よりずいぶんお高い・・。

結局横浜の米屋さんに30キロの米袋いっぱい入った米ぬかを250円で売って頂きました。
米ぬかは都会の方が需要が少ないのでお安いのかもしれません。

ぬう、それにしても山梨のJAめ。高過ぎるぞ。
足元見てからに。

やっぱ、こういうのって骨惜しみせず探さなきゃダメだね。
マメはケチの極意なり。

そして先週の土、日に、鼻息も荒くマキオカに向かいました。

早朝、鎌倉を出て予約しておいた燻炭を受け取り、まず熊男の家に寄る。

今回畑を作る土地は、熊男からお借りする予定なの。
去年のうちから「畑を作りたいから、どっか空いている土地を貸してください。」とお願いしておいた。
わたしの知る限り、「ヒトのいい人ランキング」1、2を争う熊男は「じゃ、キャンプ場の下にある60坪くらいのわしの土地でやってみろし。」と、快諾してくれた。
・・いや、快諾というより「どうせ無理だろうけど、遊ばせてやってもいいじゃろ。」という感じ。

熊男に同行してもらい、畑の予定地を教えてもらう。

マキオカネイチャークラブの下の原っぱになっている一角がその場所だった。
おー、ここなら近いし、いいじゃないか。
ずっと何も植えてなかったから、農薬や除草剤の影響もないし。
ここに沢山野菜植えちゃるもんね。

手伝いに来てくれた近所のKちゃん(38歳、男子)とふんどし息子が、畝を作る予定の場所にナイロンテープで印を付けていく。

                            畑作り1_convert_20150325205143


その間に、わたしとやはり手伝いに来てくれた犬キヨ夫妻とで、現地で用意する材料を運ぶ。

洋子草焼き_convert_20150326102051


現地で用意するのは以下のもの。
  ●枯れたススキ もしくはアシ、ヨシ
  ●枯れ葉

畝幅は120センチとり、幅50センチ×深さ50センチの溝を堀る。
今回は20メートルの畝を二畝作る予定。

テープと紐で印を付け終え、早速掘り始める。

                               畑作り5_convert_20150325205458


スコップと鍬でどんどん掘り進める。
どんどん、どんどん・・・どんどん・・ひっひっふー。

畑作り6_convert_20150325205312


・・ぬう。
なんだかこの土、やけに重くないかい?
そして思っていたよりやけに時間がかかるんでないかい?

時計を見るとすでに2時近く。
作業は遅々として進まない。

ま、まずい。
これは二畝は無理かもしれぬ。

急遽予定を変更し、一畝に総力を結集することにする。
初めのうちこそ軽口をたたいていたが、次第に無口になる。

うぅ・・腕が痛いよう。
やっぱわたしのようなか弱いオンナには畑作りは向いていないのかしらん。

皆そろそろ限界が近づいていたが、ここで止めては今までの苦労が水の泡と思い、何とか歯を食いしばって作業を進める。
そうこうしているうちに、なんとか一畝を掘り終えた。

畑作り9_convert_20150325205609

この溝にスコップを縦に刺して細かな刻みを付け、もみ殻くん炭を投入。 

                           畑作り10_convert_20150325205703

そこに100倍の穀物酢をふりかけて、ススキを敷き詰める。

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                            畑作り13_convert_20150325205901

その上に落葉を敷き詰め、米ぬかを撒き、歩いて踏む。

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                                畑作り17_convert_20150325210105

さらに再びもみ殻くん炭を振りまき、もう一度100倍の穀物酢を撒く。

あー、疲れた。
この時点ですでに4時を回っている。

すいません。
畑、なめてました。
二畝なんて、絶対無理でした。

これから更に通路を掘り、その土をかぶせていかねばならぬ。
もう、やだよぉ。(涙目)

けれども言いだしっぺのわたしは、そんなことは口が裂けても言えません。
Kちゃんにしても犬キヨにしても、ただ単にお手伝いに来てくれただけなのに、黙々とやってくれているんだから。
四捨五入すれば70歳の犬キヨなんて「オレ、具合悪くなりそう。」と言いながらも作業の手を休めることはしない。

うっうっう、みんな、ありがとう!!

體の節々の痛みと闘いながら、ラストスパートをかけるべく、狂ったように鍬を振り回す初老のわたしなのでした。


つづく
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子育ての落とし穴

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日、電車に乗った際、車両の端に赤ちゃんを抱いた30代前半と思しき女性が座っていて、隣が空席だったので座らせてもらった。

ぐずっていた赤ちゃんの機嫌が直り出すと、お母さんはさっそくスマホを取り出し、何やら操作し始めた。

見ようと思わなくてもわたしの視界に入ってくるお母さんのスマホをいじる素早い動き。
まるで熟練した手品師のようなその動きに、しばし見惚れる。

どうということのない日常の風景だが、横目で見ると赤ちゃんの丁度頭の真横で操作している。

以前読んだ記事が脳裏によぎる。

『スマートフォンの影響』
「携帯電話やスマートフォンをバッグに入れて妊婦がお腹の上に置くと、携帯電話とお腹の距離が10cm以内であれば胎児が浴びる電磁波は ICNIPRが定めたWHOの基準値を超え、携帯電話を赤ちゃんの頭の上で使うと、赤ちゃんの頭が浴びる電磁波は基準値を超えるそうです。
 スマートフォンはインターネットに接続し、情報検索などをしている間は、ほぼ電磁波をだし続けます。赤ちゃんの頭の上でスマートフォンを使う場合は、赤ちゃんが受ける電磁波の量は大幅に増えます。
また、使用者自身もICNIRPガイドライン値を超える強い被曝を手に受け続けるそうです。
新生児や幼児の頭蓋骨は薄く、脳は電磁波に強く影響を受けるので、細胞分裂が活発な乳幼児のそばでの使用はやめましょう。」

ちょっと、あんた、止めなさいよ。
そこ、赤ちゃんの頭蓋骨の真横だよ。
ほれ、大した用事じゃないんだったら・・っていうか、それ、ゲームじゃん?
何も我が子の薄い頭蓋骨の真横でスマホでゲームやらなくてもよくね?

もちろんわたしの心の叫びなど聞こえるワケもなく、お母さんは素早い手つきでゲームをやり続ける。
待てど暮らせど止める氣配はない。

以前のわたしだったら「ま、いっか。わたしの孫じゃないもんね。うるさいババアって思われるだけだし。」と、居眠りをしているフリをしていたに違いない。

でも、今のわたしはただのおばさんではない。
世紀末を迎えたおばさんです。
もう怖いものなんか、ないの。

「かわいい赤ちゃんですね。何ヶ月ですか?」と、赤ちゃん好きの優しそうなおば様の仮面をかぶって話しかける。
「7ヶ月です。」答えるスマホ母。
「今まだ大変な時期ですよね。」にっこりほほ笑むわたし。
「いや、そうでもないんですよ。うちの子、手がかからないんです。」
「まあ、お利口なんですね。」
などとたわいもない雑談をしつつ、何とか突破口を見つける。

「そういえば、わたしには2歳になった孫がいるんですけど、娘がスマホについていろいろ話していました。スマホって電磁波が強いから、子どもの近くではやらないほうがいいんですって。」
「え、そうなんですか?」
「特に赤ちゃんは頭蓋骨が薄いっていうから氣を付けた方がいいかもしれませんね。」
「電磁波・・。知りませんでした。氣をつけます。」
素直なスマホ母は、スマホをバッグにしまい、赤ちゃんをあやしだした。

もしかしたら、おせっかいでウザいおばさんの魂胆を承知の上で、上手にあしらわれたのかもしれない。
でも、他人の子と言えど、本当に影響があるかないかは分からねど、よくないと言われることは教えたくなっちゃうものなの。
それがおばさんっていうイキモノなんです。

この話を娘にしたら叱られた。
「またそんな余計なこと言って。産後一年くらいのお母さんは、普通の時は全然平気なことでも、すごくストレスに感じてしまうこともあるから、氣を付けた方がいいよ。それで傷つく人もいるんだから。」だって。

全く見ず知らずのおばさんと電車の中で世間話をし、赤子の頭の近くでスマホをやらない方がいいと言われた位で傷つくような人、この先、生きていけるんだろうか?
他人にそんなことを言うぐらいで氣を遣わなくちゃいけないとしたら、姑になったらどんだけ大変なんだ。

いいのっ。

おせっかいババアと嗤わば嗤え。
嫌わば嫌え。
わたしはわたしの道を行く。

それはそうと。

昨日FBFのブログですっごく怖い動画を観た。

どこにでもある風景、誰でもやっている子育てにも、一歩間違えるととんでもない落とし穴が待っている。




ここに出てくる子ども達のご両親は、とても教育熱心でよさそうな方ばかり。
子どもを心配して、このお医者様じゃなくて専門医と称するところに連れて行っていたらどうなっていたのか。
想像しただけでもオソロシイ。

自閉症だのADHDだのとレッテルを張られ、薬を飲まされ、本当に病氣になってしまうんじゃなかろうか。
もしかしたら、日本中にそんな子ども達がたくさんいるかもしれないと思うと・・。
うぅ・・怖い。

わたしだって子育て中は、テレビをつけっぱなしにしたりしていた。
今だって孫と遊びながら、「お母さんといっしょ」はつけっぱなしにしている。

でも、それってたまたま大丈夫だったって可能性もあるわけで。

つくづく「自分や大切な人の身は自分で守らねばっ。」と肝に銘じるわたしなのでした。


つづく

3・11と20世紀少年

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あの日から4年。
昨日はわたしなりに震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りさせていただきました。

たくさんの悲しみとともに、日本も世界も、あの日、どこかに向かい大きく舵を切った。
その行き先が、光に向かっていることを祈らずにはいられない。

わたしの人生もあの日を境に大きく変わった。
わたしの周りでも3・11で人生が変わったという人がたくさんいる。
そういう方たちとお話をしてみると、大体同じルートを辿っているようだ。

あの日を契機にあっちこっち調べまくった結果、日本や世界の置かれている現状に驚き、茫然となる。
今まで教えられていたことや信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていく感覚を覚える。
慌てふためいた挙句、何とかせねばとバタバタするも、理解のない周囲に失望感を味わい、空回りする。
時間の経過とともにやっと平常心を取り戻し、現実的な方向性を見つけることになる・・という感じ。

わたしなんか、どれだけふんどし息子や娘に心配かけたことか・・。(遠い目)
人間、年を取ってからあまりに沢山の情報を受け取ると、処理能力が追い付かず、ショートしちゃうんですね。

今にして思うと、ネット初心者のわたしは、たくさんのガセネタや釣りに引っかかり、とても「イタイ」状態だったに違いない。
(今もたいして変わらんだろ、の声あり)

免疫、なかったもんね。
うぶな男子中学生が突然女風呂に迷い込んじゃったようなものだよね。(あれ?違うか)

それはともかく。

先日、浦沢直樹の『20世紀少年』を読み返してみて驚いた。

以前読んだときは、わたしが主人公のケンヂたちと同年代ということもあり、懐かしさと共に物語の面白さ、謎解きに夢中になった。

でも、これって見方を変えて読んでみると、まったくの別物になるんですね。
この作品、1999年から2006年までに連載されたというのに、現代の日本をしっかり描いている。

マジである意味『よげんの書』じゃないですかぁぁ!

“ともだち”という組織が新興宗教のように信者を集め、政治政党を作る。
徐々に市民の支持を得て、連立内閣に組み入り、結果“ともだち”は政治的権力をも持つことになり、警察内部や政府の上層部にまで触手を伸ばしていく。
結果、徹底した言論統制が行われるようになり、巨大化した“ともだち”は次々とよげんの書通りに世界各地で多くの人類の命を奪っていく。

自作自演、 なりすまし、細菌研究所、ウィルスの開発。
薬物を使用した信者のマインドコントロール。

羨望と嫉妬。
強烈なコンプレックスと復讐心。
幼児性の自己顕示欲。
ニセモノのニセモノ。

刃向かう者を絶交と称し粛清する。
警察内部まで“ともだち”が牛耳り、不審な事故死が続く。

そして犯行の規模の大きさと凶悪さとは裏腹に、団体のトップの言動が極めて幼稚であり、子供の遊びのような感覚で大それたことを軽々とやってしまうというギャップがオソロシイ。

人々を恐怖に陥れ“血の大みそか”で東京を蹂躙した巨大な二足歩行ロボットは、内部に入ってみると「ロボットとも呼べないようなもの」であり、空気を詰めて巨大に見せているだけで、駆動機構も「二足歩行」とは名ばかりで、ブリキのおもちゃのようにすり足で動くだけという代物。

が、そんな張りぼてのようなロボットでも、下部にはウイルスの噴霧装置を備えており、これで一般人や出動したSAT及び陸上自衛隊の隊員を出血死させる。

“ともだち”の思いつきで狂わされていく世界。

そんな絶望的な世界に立ち向かっていくのは、冴えないサラリーマン生活を送っていたヨシツネ であり、食いしん坊で文房具屋を経営するマルオであり、店を放り出してクラブで遊んでいるダメ親父であったケロヨンであり、コンビニの店長として平凡な生活を営んでいたケンヂなのだ。

怖気づく自分自身を叱咤激励しながら、“ともだち”に立ち向かっていくケンヂ達。
市井の人々がいろいろなものを乗り越えヒーローになっていく。

結局、わたし達一人ひとりが立ち向かっていくしかないのだ。この世界は。
絶望せず、命あるわたし達が自分に恥じない生き方をしていくしかないのだ。

ケンヂが“血の大みそか”の際に、巨大な二足歩行ロボットに必死でしがみついたように。
ケンヂの作った歌が人々の希望となり、徐々に人々を変えていったように。


さあ、肩の力を抜いて、歌を歌おう。
そして先に逝った方々の分も頑張ろう。


つづく


ゴミのポイ捨てに物申す。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ここのところテレビを観ていて氣が付いたあれやこれやに噛みつきまくっているわたし。

先日FBでこんな記事を見つけた。

「必ず自分に返ってくる...人の悪口を言わない方がいい6つの理由」
1.ストレスが溜まる
2.脳が鈍くなる
3..自分の場所を失う
4..聞いてる方にも悪影響
5..育児にも影響がでる
6.老ける

・・ぐぬう。
絶対やだ。
特に2番と6番。

うな垂れるわたし。

その記事はいう。
「日頃何気なく使っている言葉が、脳と体に大きく影響しています。例えば、脳は主語を理解できないという性質を持っています。」
「主語が理解できないので、自分が発した言葉全てを自分のこととしてとらえてしまいます。」

ってことは、わたしが前回ルルロロに対して「憎たらしいクソガキ」と書いた言葉や、前々回「主治医が見つかる診療所」の番組に対し「いいコトしてる氣満々で、ウザいことこの上ない」と書いた言葉を、わたしの脳はわたし自身に言ったととらえてしまうってワケで。

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

そう、マイナスな言葉や悪い言葉は言わない方がいい。

わたしだって「カルマの法則」という言葉くらいは聞いたことがある。
そもそも日本では古来より「因果応報」という言葉で表されておる。

できるだけ言わないようにしますよ。ワルグチ。

でも。
最後にこれだけは言いたいっ!!

道路にゴミを撒き散らかすバカどもに『カルマの法則』発動せよ!!!

・・いや、唐突ですが。

皆さんは道路に落ちているゴミ、近年増えたと思いませんか?

わたしが特に氣になるのは幹線道路の中央分離帯に落ちている凄まじい量のゴミ。
運転をしながらこれが氣になって仕方がない。

ゴミ袋を担いでゴミ拾いをしたい衝動にかられてしまう。
そして「やっぱり〇ブン〇レブンのおでんのゴミが多い」だの「〇ッドブルは販売数の割にポイ捨て率が高い」とか、拾い集めたゴミを分析してみたい氣持ちがむくむく湧いてきちゃうの。

あのゴミの数々を見ていると、なんつーか、怒りと悲しみと諦めがごっちゃになったとっても不愉快な気持ちに襲われるのです。

家の近所や公園に落ちているゴミであれば、拾って持ち帰ることができるけれど、中央分離帯のゴミはただため息をつきながら眺めることしかできない。
そんなにイヤなら見なきゃいいんだけど、つい目が行ってしまうの。

もしかしたらわたしが氣が付いていなかっただけで、こんなたくさんのゴミ、以前から捨てられていたんですか?
これっておばさんになって、ゴミに敏感になっただけですか?

消費社会の縮図のようなゴミの数々に我が国の人心の荒廃を感じてしまうのはわたしだけか?

少し前になりますが、幹線道路を走っている時、前の乗用車の運転手が中央分離帯にコンビニの袋ごとゴミを窓からポイ捨てをした。

んもう、そん時にゃ「おいゴラァ、ちょっと待てやぁ!自分の車の中だけキレイになればいいと思っとるんかぁ!!」と運転手の胸倉をつかんで、そいつの車にその袋のみならずそこら辺のゴミをすべてかき集めて車の中にぎゅうぎゅうに詰め込んでやりたい衝動にかられましたよ。
そんでもって、車の後をつけて自宅を探りだし、ゴミの山を八畳間のリビングに(妄想中)撒き散らしてやりたくなりました。

できないけど。

わたしが小学生の頃、各家庭では朝晩家の前の清掃をするのが常識だったように思う。
天才バカボンのレレレのおじさんに象徴されるように、竹ぼうきを持ち自分の家の間口より広く掃き清め、町内はそれなりに小ざっぱりしていたような氣がする。

そう思ってしまうのは、過去という美化フィルターが掛かっているせいか。

まあ、エラそうに言ってるわたしだって小学生の頃にゴミを持っているのが嫌で、道端にゴミをそっと捨ててしまったこともあった。
あの時捨てたゴミたちは、当時の大人たちが拾ってくれていたのかなあ、とこの年になって思う。

それはともかく。

せっかく読んでくださっている数少ない読者への「.聞いてる方にも悪影響」を全力で阻止するべく、これでワルグチ、いいません。

きっと言いません。

たぶん、言いません。

・・言わないといいなぁ。


つづく



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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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