今年は自然農に取り組む所存。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

年が明け、氣が付いたらはや月末に突入。
光陰矢の如しとはよく言ったもの。
「このままじゃあっという間に老婆になってしまう。」と危惧する今日この頃・・。

マキオカは春になるまで活動休止なので、その間「なんかオモシロイごとはねえがぁ!」とナマハゲのごとく興味の赴くままウロウロしています。

で、近頃そのナマハゲセンサーが「自然農法」に照準が合い、いくつかのイベントに申し込みをさせて頂いた。

「自然農法(しぜんのうほう)」
『自然農法(しぜんのうほう)とは、不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴とする農法。』

20年以上前、当時やっていた学習塾の子ども達を連れてこようとマキオカを作り始めた頃、畑に取り組んだことがある。
が、素人の悲しさ。
無農薬野菜を作ることに憧れ、見よう見まねでやってみた結果、大量の虫にまみれた痩せ細ったホウレンソウがチョロチョロとできただけだった。

その時初めて「都会の人間が、やれ無農薬がいいとか安全な野菜がいいとかって簡単に言うけど、そんな甘いもんじゃないのね。」と実感したわたし。
ネットも普及していなかった時代、すっかり「素人には無農薬の野菜を作るのなんて無理。」と諦めていた。

専業農家の熊男の畑を見ても、しょっちゅう手入れをしなければならず、草むしりも大変そう。
いろいろなテクニックも必要みたいだし。
しかも肥料や農薬って意外にお高いらしい。

さらに言えば、農家って「大変だけど体にはよさそう」というイメージだけど、実際は農薬・化学肥料を使った農業で心身を損ねる方も多いと聞く。

むう、なんとかならないものか。

自宅の近所のスーパーでは、いまや平氣で福島産の野菜を売っている。
そんな陳列棚を見ていると、「食べたい。」とか「料理したい。」とかいう氣持ちがシオシオとしぼんでいくわたし。

いや、決して怠ける口実を作っているワケじゃないですよ?
ホントですってば。

でも最近ご縁を戴いた方から自然農のお話を伺い「そのやり方は横着なわたしにぴったり!」と興奮した。

考えてみればほんの50年前の日本人は、農薬だの化学肥料だの除草剤だのは一切使っていなかった。
それなのに立派な作物を作って、丈夫でカシコイ人々を輩出してきたワケで。

「日本人の体力」
『明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。今回はその中の幾つかを紹介してみたい。
まずは、ドイツ帝国の医師・「お雇い外国人」の一人だったベルツの手による「ベルツの日記」から。
 
ベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。
当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。
しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。
しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。
普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆である。
この体力はいったいどこから来るのだろう。
ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。
聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。もちろん肉など食べない。
彼からみれば相当の粗食だった。
そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みた。
「ベルツの実験」である。

22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。
然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。
そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。
当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。』

あ、あんた、50キロって・・。
東京から茅ヶ崎まで毎日走るってことですよね?
スゴイじゃないですかぁ!

昔できて、今できないはずはないっ!

『人間が余計なことをしないで自然の営みに任せれば、自ずから豊かになっていくのだ。
機械を使えば自分の作業は楽だが、その機械を生産したり燃料を調達したりする労力を考えると、実は手作業がいちばん効率がいい。
鎌が一本あればだれでもでき、命の営みに寄り添う自然農は、永続可能な農のあり方として注目されている。』

自家採取を繰り返して、大型の機械類は全く使用せず、使用する道具はのこぎり鎌やくわなどで。
草は生えていても作物の背丈以下であればそのままにしておく。
虫の食物連鎖を利用する害虫、益虫を住まわせることにより、害虫の極端な発生を回避する。

こんな経済的な農法、まさにケチで機械オンチなわたしにぴったり!
さっそく熊男に使っていない土地を借りることにした。

自分の作った安心、安全なものを食す。
そして大事な家族、友人にも食べてもらう。
できたらマキオカにいらして下さった皆さんの朝食にも出せたらいいな。

さあ、春から始動するぞ。
それまでにオモシロで英氣を養おう。

あー、夢は広がる。

やるよ、あたしゃ!
頑張るよ!!

つづく
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「アワのうた」勉強会に行ってきた。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、ひょんなご縁から「アワのうた」の勉強会に行ってきました。

「またこのおばさんはどこへでものこのこ出かけて行って。」という罵り声が聞こえてきそう・・。

んが、いいんだもんね!
聞こえないってことは、わたしにとっては「ない」ってことなんだからして、氣にしないもんねっ。
(と書いているところが少し氣にしている証拠)

で、どんなご縁で行ってきたかというと。

わたしも「アワのうた」については、小耳にはさむ程度では知っていた。
でも「ふーん、そんなものがあるのね。もっと知りたい氣もするが難しそう。」といった程度のもの。

ところが先日FBで「アワのうた」の勉強会が中目黒の「ナ・ムー」で行われる、との記事を発見。

「ナ・ムー」といったら、わたしが去年靈氣の伝授を受けた「日本靈氣会」が運営しているパワーストーンのお店。
そしてわたしはここのところ暇に任せて毎週勉強会に通っている。

あの「ナ・ムー」の名前が、何でこんなところに?

思い込みの強いわたしのこと、「こ、これは神様がわたしに行けと仰っているにちがいないっ。」と早速申し込みをさせて頂きました。

ほとんど何の予備知識もなく(いつものことですが)のこのこと出かけて行ったのですが、これが予想外に楽しく面白かった。

「アワの歌」

アカハナマ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ

モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ

そもそも「アワのうた」が世に出るきっかけが面白い。

『1966年に松本善之助氏が東京の古本屋で偶然発見した「ホツマツタヱ」は見たことのない不思議な文字で記されていた。
松本氏はその不思議な文字ヲシテ(神代文字のひとつとされる)を約10万文字、1万行を研究し、古事記・日本書紀でいう神代〜景行天皇までの御世について『ホツマツタヱ』が豊かな記述を残しているということなどを明らかにした。

「ヲシテ」は漢字伝来前の日本固有の古代文字であり、「ヲシテ」で書かれた「ホツマツタヱ」は古事記や日本書紀よりも古い時代の成立であるともいわれている。』

もちろん「ヲシテ」には例によって後代の創作だという評価もあり、松本善之助氏が秀真伝(ホツマツタヱ)40アヤを再発見して解読を進めたものの、学会からは相手にされなかったんだそう。

でも後に『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。
この3書に使われている文字は同一で、文書の中ではやはり「ヲシテ」と呼ばれている。

『これら「ホツマツタヱ」などの文書は、奈良時代の壬申の乱(西暦六七二年)の後、「古事記」「日本書紀」の編纂による歴史改ざんの折、禁制の書として隠されてしまった。
この時、三輪氏はこの歴史改ざんに反対して野に下ったものと考えられる。
三輪氏の名はこの後、ふたたび歴史の表舞台に登場することはなかった。
しかし、その子孫たちはひそかに「ホツマツタヱ」を書き継ぎ後の世のため残してきた。
それが江戸時代末期、三輪氏七八世の裔孫という和仁估安聰(わにこやすとし)によって書き記された「秀真政伝紀」(ほつまつたゑ)を筆写した四国宇和島の住人小笠原通当(みちまさ)や一族の長弘、長武らによって世に出そうと図られたのであるが受け入れられなかった。』

こ、これってもしやスゴイことなのでは?
わたし達は学校で、「日本人は漢字が渡来して来るまでは文字を持っていなかった」と、教わってきた。
それなのに現実はそれよりもっと昔、日本には素晴らしい言語があった、ということなワケで。

最近いろいろなことに関わってみるとそんなのばっかり、という氣がする。
日本の教育、いったいどうなっとるんだ!?
そりゃ昔のことだし急な路線変更も難しいだろうけど「こんな可能性もある」くらいな話はできんのか?
なんでも「大陸から伝わってきました」と言えば済むと思ってからに。

「あの勉強に費やした時間を返せ。」と言いたいっ!
そんなに費やしてないけど。

それはともかく。

「アワのうた」についてはホツマツタヱの第5章である「わかのまくらことはのあや」に述べられているんだそう。

『イサナギとイサナミとがオキツボの地にて国生みをなされたわけですが、それが一段落した時、民衆の言葉がまちまちに乱れていることに気づかれ、これをきちんとしたものに正そうとお考えになり、五七調の「アワうた」をお作りになられたのです。
その上(かみ)、つまり前半の24音をイサナギが歌い、下(しも)、つまり後半の24音をイサナミが続いて歌うという形で民衆に教えられたのです。
これを歌うことで自然と声もはっきりと出るようになり、体のはたらきも魂のはたらきも、天地自然を構成する48の要素に通じるようになって、民衆は言葉が統一されただけでなく、健康にもなったのでした。
これを記念して国の中心となっていた地域の名も「アワの国」と名付けたのです。
この成功を受けてイサナギ、イサナミの両神(ふたがみ)は、今度は「ツクシの国」に行幸され、橘の木をお植えになりました。
橘の木は理想の国、永遠の国である「トコヨの国」の象徴です。
このイサナギ、イサナミの意志を受けて、ツクシを治めるカミたちは、この地方の民を平和に治めることとなりました。』

ふーむ、「アワのうた」をイサナギとイサナミとが各地で歌いながら教えていくことで、民が健康にもなり、言葉も統一され、国も安定していったというのね。
何とも素晴らしい話じゃないですかあ!

天地自然も、人間の体も48の要素で構成され、48の音韻を正しく発音することで体のはたらきが天地自然に通じ、一つとなるという考えがあり、これはいわゆる「言霊(ことだま)」という思想の原点であると言えるらしい。

五七調の長歌体で記されたこの歌を歌うことによって、慣れるにしたがって、一音一音みなハタラキの違う神々であることを体感できるようになり、四十八音の言霊が、それぞれの振動(バイブレーション)作用で、血液や体液や細胞を構成している原子に作用して活力を授け、組織の“氣”を賦活しはじめるんだそう。

さらに言えば、これを半年、一年、二年と励行するうちに、生氣は高められ、宇宙の“氣”と共振しあって生命のリズムは整って、健康度は高まり、心身は爽快になるらしい。

ま、マジすか?
そんならわたし、思いっきり歌っちゃいますけど。

勉強会に参加されてる方も「周囲の氣が変わってきます!」と断言されていた。

勉強会の帰り道、早速戴いた紙を見ながら「アワの歌」を暗記してみる。

・・・あれ?
頭に入らない。

「ヲテレセヱツル」と「ヘネメオコホノ」が逆になってしまう。
「フヌムエケ」が「フムヌエケ」になってしまう。
覚えられたと思って、再び歌ってみると途中で何を言っているのか分からない状態に。

ああー、△×%※・・・。

四十八音の言霊の振動(バイブレーション)作用を体感するには、まず暗記という難問をクリアしなければ。
そして宇宙の“氣”との共振によって、まずはこのボケ症状を治したいと切望するわたしなのでした。


つづく

前世療法をやってみた(おまけ)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あけましておめでとうございます。
数少ない読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

三が日も終わり、日常に戻る直前の間の抜けた(?)日曜日の今日、いかがお過ごしですか?

わたしは去年から今年にかけて、日本人の意識の変化に驚かされることがままあった。

大晦日の鶴岡八幡宮での大祓は、いつにないたくさんの参列者で賑わっていた。
お清めのお酒を戴くのに40分くらい待たされたほど。
たぶんいつもの3割増しくらいはいたように思う。

新年になり、例年のように菩提寺である建長寺の半僧坊にのんびり歩いて行ってみると、ご祈祷所は座る場所もなくなるほどの信者さんで埋まっていて驚いた。

2日は毎年ふんどし息子と一緒に一般参賀に行っているのだが、今年はヤツが女の子と行くというので遠慮した。
なんといっても息子の人生がかかっておる。(知らないけど)
少しでも協力しなければ。
帰宅したふんどし息子によると、皇居に向かう行列がたくさんの人で動かず、予定していた次の回のお目見えになってしまったが、それでも前の方には行けなかったという。

これだけ立て続けに世間の変化を見聞きすると「やはり何かが動いているのではないか」という氣がしてしまう。
我が愛する日本にとって今年はどんな年になるのか、ワクワクしながら過ごしていきたいと思う。

それはともかく。

「前世療法をやってみた」って、あれで終わりじゃないの?と思われた皆さん。
わたしも「はー、年内で完結できてよかった!」って思ってました。
そのためにやることがてんこ盛りの年末に、後ろめたさを感じつつ合間を見てはパソコンに向かっていたはずだったんですが。

前世療法をやってみた(4)
で、わたしは
『今日、主人が亡くなる直前に撮影し、一度も見ていないビデオを押し入れから出してきた。
お正月に皆で見てみよう。
時期が来たんだと素直に思えたから。』
と書いた。

前世療法をした後、天袋に入っているビデオが目に入ってきて仕方がなかった。
そのビデオは15年間「封印されたものだったのに。

機械が大好きだった主人は、当時にしては画像が綺麗で高価なビデオを買い、子供の成長を写すのが趣味だった。
体調が悪くなったと氣が付いたのが2000年6月頃。
病院に行って精密検査をやるように言われ、8月に検査入院し「経緯の分からない難病です。何時亡くなるか分かりません。明日になるか、10年後になるか・・。」と告げられた。

夫婦で話し合って決めたことは「その日が来るまで後悔しないようにやりたいことをやる。」ということと、主人のたっての希望で「子ども達には病のことは話さず、いつもと同じ日常を暮らさせる。」ということだった。
娘は高校1年生、息子は小学5年生だった。

それからすぐに家族で何回も訪れ楽しい思い出を作ったサイパンに、「万が一のことがあった時はどんなにお金がかかっても何とかする。」という強い決意のもと、旅行の申し込みをした。

主人は時々一時退院をし、鎌倉の自宅に帰ったり、大好きだったマキオカに行ったりしていた。
そしてギリギリまで病のことは周囲に隠していた。
実の母にさえも。

そして11月5日成田を立ち、サイパンに無事到着することができた。
流石に浜辺で日光浴をして過ごすことが大半だったが、子ども達とボート遊びをしたり、笑い興じて過ごした。

9日に帰国し、翌日の夜救急搬送され、11日23時25分あの世に旅立った。
あまりの急な展開に、集中治療室に入り酸素マスクを付けている主人を見ても、息子はまったく状況を掴めていないくらいだった。

葬儀が終わり日常が戻ってきたけれど、あのビデオを観る氣にはなれなかった。
三回忌が過ぎ、七回忌が終わり、成人した娘から「あのビデオを観てみようよ。」と言われてもそんな氣になることはなかった。
主人が亡くなった前後の苦労話も、笑って話せるようになっていたのに。

機械が苦手なわたしには旧式で高価なビデオはハードルが高かったこともあるけれど、それ以上に「とにかくそんな氣持ちになれない」ということが大きかった。
忘れていたけれど、どうやらわたしは娘にビデオテープさえ預けてしまっていたらしい。

それが前世療法で主人と会うことができ(たような氣がし)、泣き笑いをしていた主人が「感謝」という文字を伝えてくれた後、突然「ビデオを観なければ。」という氣持ちが湧きあがってきた。

わたしの実家では、毎年1月2日に親族が集まって新年会をする。
そこにビデオを持ち込み、上映会をすることにした。
娘の夫と孫は動いている主人を観るのは初めてのこと。

甥が頑張ってくれ、なんとかビデオが動き出す。
そこには15年前の幸せそうなわたし達がいた。

何も知らず、屈託なく笑う小5の息子と楽しそうな高1の娘。
抜けるような青空とコバルトブルーの海を背に、明るく笑う主人。

傍から見たら何の問題もなさそうな家族だったろうが、この時わたし達夫婦は主人の死という大きな問題に背水の陣で向き合っていた。

あの経験以来、わたしは幸せそうに見える人々を見ても羨むことはなくなった。

そうそう、ビデオ上映会の翌日の帰宅途中、たまたまカメラの量販店に寄ったら、年末他店で注文したのと同じカメラがもっと安くケースやUHSカードまで付けて売っていた。
早速注文をキャンセルし、そのお店でカメラを買ったところ、ビデオをDVDにダビングする割引チケットをくれた。
その場で持っていたビデオテープを渡し、ふと思う。

むう、流石だぜ、亡き夫よ。
我が家の経済状態を把握し、わたしの倹約精神(いわゆるケチ)を見抜いている。
お蔭で思い立ってからあっという間に長年の懸案が解決した。
植物が枯れて風雨にさらされて時期が来ると種がポロっと採れる様に、その時を待つというのは大切なことなのだ。

それにしても、いったいこの流れはなんだろう。
まるで目に見えないものに「こっちだよ。」と指をさされているような。

この年まで生きていると「物事には潮目や流れがある。」ということを実感する。
ただわたしは流れに身を任せてさえいればいいとは思わない。

流れに身を任せながらも、微力であっても自分が向かいたい方向に一生懸命自分の手で水をかいていくことが大事なのだ、きっと。
そちらに行けようが、行けまいが。

だからわたしは今日も流れに水をかく。
必死に。
髪を振り乱して。


つづく




プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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