古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(18)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

天照大御神のお生まれになった場所だという賀志波比賣(かしわひめ)神社を後にしたわたし達。

Mさんは、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)」に案内して下さると仰る。
え?祓祝詞に出てくるあの場所に?

古事記によると、黄泉の国を逃げだした後、イザナギは、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あわきがはら)」で禊ぎ祓いをすると、天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。

少し車を走らせると広々と農地が広がっている場所に出た。
このあたりが「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)」である、とMさんが仰る。

「竺紫の日向」といえば九州の日向(ひゅうが)と単純に宮崎県のことと考えてしまう。

『しかし,古事記をよく読むと,竺紫は「国生み」の箇所では,九州を筑紫国と書いている。
竺紫(つくし)と筑紫,あきらかに書き換えている。
「竺紫の日向」と続く時は,「竺」の文字を使っている。
「竺紫の日向」とは,九州の事ではない。
それでは,「竺紫の日向」とは,どこにあたるのだろうか。』

「筑紫」かと思ったら「竺紫」なんですね。

『古事記は,最初「国生み」から始まる。
「国生み」は,阿波から始まり,淡路島・四国・九州へと広がっていくのだが,神武天皇が畿内に入るまでは,四国が一番東の地域であった。
西につきた島を九州と呼んでいるのだから,「ツクシ」とは,つきるという意味である。』

つくし・・尽きる、ね。

『日向(ひむか)とは,ヒムカ・ヒムカシ・ヒンガシ・ヒガシと変化してきた言葉で,東という意味である。すると「竺紫の日向」とは,「東につきた所」という意味になる。
 神武天皇が畿内に入り,国の領域が広がる前の国の一番東につきた地域は,四国の最東端に位置する徳島県阿南市である。
その阿南市にある橘湾周辺は,イザナギのミソギをした「竺紫の日向の橘」と考えられる有力な所である。』

おお、そうなりますか。

『「小門(をど)」の「と」は,鳴門,瀬戸など「と」は,狭い地域を指す言葉である。つまり,古い時代は,55号バイパスの走る附近は,狭い海峡となっていた。
「小門(をど)」の「と」は,鳴門,瀬戸など「と」は,狭い地域を指す言葉である。』

そうだとすると、この辺りでイザナギの命が禊ぎ祓いをし、天照大御神と月読命と須佐之男命がお生まれになった?

神社でよく奏上される「祓祝詞」の舞台が目の前に広がっているのに感極まったのか、突然ふんどし息子が興奮した様子で「ここで禊ぐ!」と叫んだ。

禊ぐって、あんた・・。

近くには打樋川(うてびがわ)が流れている。
どうやらそこで禊をしたいと思ったらしい。

でもそこはのどかに農地が広がっているとはいえ、車も往来しているような場所。
こんなところで大の大人が裸になり川で水をバシャバシャやっていたら、確実に不審人物に思われるちゃうじゃないですかぁ!

「禊ぐのは止めないけど、やるんなら近くに海があるんだからそこでやればいいじゃん。」と、なんとか阻止しようとするわたし。
海なら変なオトコが裸になっていても、それほど驚くにあたらない。

「いや、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)」でやることに意味があるんだから、あそこでやる!」と、断固として言い張るふんどし息子。

ぬう、こいつは変なところで頑固だから、言っても聞かないに違いない。

Mさんの眼鏡の奥の目がキラリンとが光る。
表情に出さねど面白がっているのが分かる。

仕方がない。
しぶしぶ禊ができるところを探す。

工場の駐車場に車を停めさせてもらい、船着き場になっているらしい川岸に行く。

幸い辺りに人影はない。
あんなに「禊ぐ!」と言い切った割に、恥ずかしそうにコソコソと服を脱ぎだすふんどし息子。
見ているこちらの方が恥ずかしくなり、辺りをキョロキョロ見回してしまう。

別に悪いことをしている訳ではないのに、何故かコソ泥のような風情に。

ふんどし一丁になった息子が、恐る恐る川につま先を入れる。
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禊ぐ、と言ってもこの川、川幅は20メートルほどで川底が見えないくらい濁っている。
だから深さも分からないし、川底の状態も分からない。

Mさんが「この川、あんまり綺麗じゃないですからね。」と言うと、ふんどし息子は「インドに行ったときガンジス川に入りました。あそこに比べれば、全然大丈夫ですっ。」などと強がりを言う。

そうだった。
こいつはインドに行った時にも沐浴をすると言い張り、止めるのも聞かずにやった後、誇らしげに「なんともなかった。」とメールをよこしたんだった。
ガンジス川はその汚れのすさまじさに、入っただけで皮膚に異常が出てしまう人もいるというのに。

どんだけ禊ぐのが好きなんだ?
禊がなきゃいけないことがヤツの人生でどんだけあるんだ?

「あ、足元に何かいるっ。何かに肌をつつかれてるぅ!」と、不安げに叫ぶふんどし息子。
「何かいるんだけど。何かが足をつつくんだけど。何?何?・・あ、やだ。」と変な声を出し怯える。

・・それにしても、このシチュエーション、オモシロイ。
そう、いつもながら面白いことに目のないわたしは、さっきまで止めていたのがウソのようにテンションが上がりだした。

こんな面白いもの、写真を撮っておかねば。
バチバチと撮り、ダッシュで橋まで駆け上がり、再び写真を撮る。

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うひゃひゃ、こりゃ面白い。
ふんどし息子よ、悪魔に魂を売り渡したようなオモシロ好きの母を許せ。

Mさんも嬉しそうに写メを撮っている。
どうやらすぐにフェイスブックに載せた模様。

そんな自分の立場を知ってか知らずか、ふんどし息子は祓祝詞を奏上すると、體に水をバシャバシャと掛け出した。

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こんなに濁った水をかぶるとは、こいつもなかなかやるもんだわい。
二ヤつくわたし。

が、禊終わって川から上がった息子は、體を拭くタオルがない。
仕方なく下着のシャツで拭く。

ふと、剣山で出会った白装束に白い鉢巻姿のおばさま達を思い出す。
あの方たちも祝詞を読み上げていた。
白い鉢巻をしたおば様方を見たとき、ギョッとし遠巻きに見ていたのだが、今はまさに見られる立場。

「あんまり関わり合いにならない方がいい人達」って思われちゃうんだろうな。

ま、面白いから、いっか。
旅の恥はかき捨て。

そのままホテルに直行する。

このホテル、実はFBFのOさんのご親戚が経営しているところとのことで、予約もお願いした。
お部屋に行ってみると、クラシカルでとっても立派。

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ありがたし。

夕食はMさんとOさんもご一緒して頂くことになっている。
ラウンジで初めてお会いするOさんを待つ。
FBの写真を拝見すると、お着物をお召しになっていて、撫子のような風情の方と想像する。

自動ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
おお、あの方?

にこにこと素敵な笑顔で颯爽と現れたリアルOさんは、撫子というよりは向日葵のような雰囲気の方だった。

ホテルで4人でお食事をさせて頂いた。
Oさんは氣を遣って下さり「ここの鳥の唐揚げが美味しいんですよ。」と、別に注文して下さった上、お土産まで戴く。
なんて太っ腹で親切なんだ。

Oさん、その節は本当にありがとうございました!

お食事後、コーヒーを戴きながらMさんから古事記のレクチャーを受ける。
OさんとMさんのやり取りを拝見し、Oさんの人をそらさないお話の仕方や対応に「この方はきっと阿南市のおじ様方のアイドルに違いない。」と確信する。

こうして古事記に始まり古事記に終わった、長くて濃い一日が終わった。

ベッドに入り、ふと思う。
「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)」と意識して、あそこでふんどし姿で禊をした人間って、今まで何人いたのか?

古代はともかく近代はそんなにいないに違いない。
そうだとしたらあの禊、結構スゴイことだったかもしれぬ。

あー、わたしも男だったらふんどしで禊いでみたかったかも、と心から残念に思ったわたしなのでした。


つづく
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古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(17)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先程、前回の自分が書いたブログを読み返し「こ、こんなこと書いちゃって大丈夫なの?わたし・・。」と、ちょっと不安になる。

あんな下らないコト書いちゃったけど。
神様に怒られないよね?

いや、ただ古事記に書いてある文章を現代語訳にしただけなんですが。
そしてちょこっとわたしの率直な感想などを書いただけなんですが。
そんでもって「単純にお話として考えると」って前置きもさせて頂いているんですが。

ここは神の国、日本。
言霊の国。

八百万の神様がいらっしゃる場所なのだからして、ヘタなことを書いたら罰が当たるのは必定・・。
あわてて手直しをする。

あのぉ、違うんです。神様。
わたしの下らない雑文をたまたま読んだ若者が「ふーん、古事記って、こういうお話なんだ。」って興味を持ってくれるかもしれないと思って書いただけなんです。

・・いや、確かに読者なんてほとんどいないから、言い訳にしか聞こえないかもしれませんが。

ホントなんですっ。
これから心を入れ替えて、あまり下らないことを書かないように努力しますから、笑ってお許しください!

などと、かなり本氣でひとりブツブツ呟いておりました。
傍から見ると、相当ヤバいヒトですな。

それはそうと。

イザナギが妖怪達に追われた道筋をたどり終えたわたし達は、次に丹生谷地域にある「丹生(にゅう)八幡神社」に向かった。

『丹生とは,水銀鉱石の辰砂で赤色をしている。
「丹」は赤土の意味で,日本では古くは水銀鉱を丹や朱と呼び、辰砂の産するところは丹生谷と呼ばれてきた。
辰砂は,原始古代社会において炎や血と同色の赤色は呪術・霊力があるものと信じられ,古くから土器に塗られ,古墳の中にまかれ使われてきた。』
 
『史記』封禅書や『十八史略』に、次のような一説が記載されているという。

「灶(かまど=竈)の神を祀れば、丹沙(タンシャ=丹砂)を黄金に変えられ、その黄金でつくった容器から物を食せば寿命がのばせる。
それで長寿をえたなら伝説の蓬莱島(ホウライトウ)へ航海し、不死の神仙に会い、天地を祀って自ら不死になれる。」
 
さらに『魏志倭人伝』。

○ 倭の地は温暖、皆が裸足で歩いている。朱丹を身体に塗り、中国の白粉のように用いている。山には丹が有る。
○ 倭王は、奴隷・倭錦・綿衣・帛布・丹・木弣(弓柄)・短い弓矢を献上した。
○ 銅鏡を百枚、真珠、鉛丹各々五十斤を賜う。

地名には深い意味がある。
ふーむ、やはりこの辺りは古代から、かなり高度な文明があったに違いない。

幼児を連れたお父さんがのんびり散歩をしているこの神社の名が、そんな片鱗を窺わせているなど近隣の氏子すら知らないだろう。 

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その後、那賀町の「蛭子(ひるこ)神社」に向かう。

徳島に上陸、猛威を振るった台風11号は各地に災害をもたらし、那賀町でも床上浸水などの被害があり、境内は一時完全に水没したらしい。
入り口の神門に跡が付いていて、わたしが手を伸ばしたくらいまで水が来たことがわかる。

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この厳粛な雰囲気が漂う古社にそんな大変なことが起きていたとは。
境内には、樹齢1000年の夫婦杉の巨木がそびえ、社歴の長さを物語っている。

蛭子(ヒルコ)
『古事記において国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神。
しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。』

古事記では「水蛭子」と書き、「ヒルコ」と読ませている。

『オノコロ島に降りたイザナギとイザナミは,最初に水蛭子(ひるこ)と淡島を生んだと古事記に書かれている。
水蛭子は,不詳の子として通常考えられているが,後に続く淡島や淡路島,伊予二名島,筑紫島など島が続く文脈から考え,水蛭子だけを人と考えることは不自然である。
水蛭子は,土地を表しており,島と書かれていないのであるから,吉野川河岸の低湿地のことである。』

ふむ、なるほど。
そうだとすれば、この神社が水に浸かってしまう土地だということも納得がいく。

閑静な蛭子神社を後に、町中に入る。
小さな鳥居のある「賀志波比売神社」が、家々の間にぽつりと佇んでいた。

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Mさんによると「賀志波比賣(かしわひめ)神は天照大御神の幼名と考えられる。」という。、

社伝では、賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝え、ここが「津峯神社の本宮」であるとしている。

普通に歩いていたら見落としてしまいそうなこの小さな神社が、天照大御神のお生まれになった場所だとしたら、本当にスゴイ。

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『古事記の舞台は阿波だったと主張する「阿波古事記研究会」が、当社を天照大神の誕生の地としている。
即ち伊弉諾神が禊ぎをした「竺紫の日向の橘の阿波岐原」とは、阿南市の橘湾とこととしているのである。
亡くなった伊弉册神を黄泉の国に訪ねて行き、死体を見ないとの約束を破って追われて逃げた道筋を示す地名が阿波にうまくあり、その終点が当地と言うわけである。』 

聞けば看板や鳥居の設置なども阿波古事記研究会の尽力によるものという。

本当に阿波古事記研究会の方々のパワーと実績には舌を巻く。
ネット上はもちろんのこと、看板の設置から地元の人々への啓蒙活動等、こういった方々が核になり歴史を変えていくのかと、感動すら覚える。

古事記は今では誰でも目にすることの出来る現存する最も古い書物となっているが、江戸時代に本居宣長が古事記に解釈を施すまでの間、長く皇室の中に仕舞われて一般には目にすることが出来なかった秘蔵の書物であったという。

特別な学者ではなく、市井の人々のフィールドワークによって明らかになっていく古事記。
こうしてお話を伺いながら歩いていると、わたしのような門外漢ですら、、舗装された道が古代の草原に見える時がある。

ここは神の国。そして言霊の国。

今まで隠されていた真実の歴史が現れる時が、きっと来る。
もう、すぐそこに。


つづく


古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(16)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

美味しい昼食を戴いた後、イザナギが「見てはいけない」と言われた妻であるイザナミの醜い亡骸を見てしまい、妖怪達に追われた道筋をたどる。

古事記にはいろいろな寓意が込められていると言われるのだが、単純にお話として考えると、ほんと、イザナミは可哀想。

亡くなった後、やっと諦めて黄泉の国で過ごす覚悟ができたと思ったら、夫が妻恋しさに、禁忌を犯し黄泉の国までのこのこ現れて「愛してるんだよぉ。まだ国作りも途中じゃん?戻ってきてよぅ。」と懇願。
「遅いし!あんたがなかなか来てくれないから、ここの食べ物食べちゃったし。
・・でもそんなに言うならちょっと黄泉の国の神様に相談してくるから待っててね。でも、マジ見ないでよ。見ちゃダメだからね!」と情にほだされたイザナミが念を押したにもかかわらず、待ちきれずに覗いちゃう夫。

なぜ待てないっ!
きっとイザナミの心は天国から地獄。
「見ないでって言ったのに!こんな姿見られて、アタシ死にたいっ(死んでるけど)。」と、泣きそうな気持ちだったに違いない。

そして待てないだけならまだしも、見るも無残に変わり果ててしまったイザナミを見て、何故逃げた?
人間(じゃないけど)、逃げられれば追うものと相場は決まっておる。

安珍清姫を見よ。
トムとジェリーを見よ。
(あれ?違うか)

動物(じゃないけど)は、逃げられれば本能として追ってしまうもの。

だからイザナギもあそこで踏ん張って欲しかった。

おもらしをするくらいコワかろうが「だ、大丈夫だぜ。マイハニー!」と震える声とガクガクする足を隠しながらイザナミを抱きしめなきゃいけなかった。

おもらしした結果のおしっこやウンチだって愛に満ちた神様になったはず。

そしたらイザナミだって目に涙を浮かべながら「こんな姿になってしまったわたしなんかを抱きしめてくれるなんて!イザナギちゃん、ありがとう!!
やっぱ愛は強く、人間(神様だけど)見た目じゃないのね。あたし、頑張っていい国作りするっ。」と叫び、お風呂に入って蛆虫を退治し体を磨き、雷を飼い慣らして新しい国作りに邁進した、かもしれない。

それにしても。

もしあそこでイザナギが、黄泉の国の神様に相談するイザナミを待てたとしたらどうなっていたのだろう。
相談するってことは可能性があるってことで。

イザナミに相談された黄泉の国の神様が「うーん、本当はダメなんだけどイザナミちゃんがそこまで言うなら仕方ないなあ。
んじゃ、取りあえず下剤飲んでおいて。三日間は断食してよ。」と、親身に相談に乗ってくれ、イザナミが無事元の姿でイザナギのもとへ帰れたら。

めでたしめでたし、で終わっちゃうのか?
この続きも知りたい氣がする・・。

はっ、いかん、いかん。
またいつもの下らない妄想癖が出てしまった。

逃げるイザナギを追うイザナミ。

イザナミは醜い化け女を使い後を追わせる。
イザナギは、頭に付けていたカズラを化け女に投げつけると、山ぶどうの木が生え、化け女が山ぶどうを食べているすきに逃げる。

『徳島県勝浦郡上勝町には雄中面(おなかづら)・生実(いくみ)・喰田(しょくた)という地名がある。
イザナギが「頭の髪を束ねていたカズラをほどいて投げる」に該当する雄中面(おなかづら)。
 「そのカズラに山葡萄の実が生り」に該当する,生実(いくみ)。
 「追っ手がそれを食べている」に該当する喰田(しょくた)。
喰田は「くった」と読める。』

再び化け女は追いかけてくる。
そこでイザナギは、右がわの髪に付けていた櫛の歯を折り投げつけると、今度はタケノコが生える。

わたし達が向かったのは竹ケ谷の旧八面(きゅうやつら)神社。

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竹を型取った燈籠(とうろう)があるとのこと。

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うん、確かに竹と言われれば竹ですな。
言われないと氣が付かないけど。

追っ手達がタケノコを食べている間に逃げるイザナギ。
今度は黄泉軍団までが加わって黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本まで追ってきた。
イザナギは坂本に生っていた桃に実を3個取り投げつけると黄泉軍団はことごとく逃げ失せる。

那賀町の蔭宮八幡神社に桃を型取った木彫りや瓦があったとのことで、行ってみる。
橋を渡って神社に入るのだが、その佇まいが美しい。

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村の方々に大切に守られているのが、旅行者のわたしにもよく分かる。
心が洗われるような神社だった。

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この辺りには,百合(もあい)や百付(ももつき)の桃のつく地名や,神社には桃を型取った木彫りや瓦が点在するらしい。

イザナギが黄泉の国から逃げてくる道を,古事記は「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と書き、それは「今の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書かれている。

 以下、Mさんの文章。
『古事記に導かれ,徳島県那賀町の山深く曲がりくねった細い道を登り,たどり着いた淡水荘で「今登ってきた坂は,昔からヨミ坂といようでよ…」と若社長に教えられた時は,驚いた。
 地図上にある地名をたどるだけと思い調査にきたが,地元に奥深く入れば入るほど,これまで書いてきたように次々と出てくる古事記に符合する事実に出逢うと驚きは隠せなかった。ヨミ坂まであるとは…。
 何げなく走ってきた山道の道路標識に「四方見坂」と書かれ,通り抜けたトンネルのある坂道がヨミ坂であったことは後になって気付いた。

 道路標識のあるヨミ坂近くには「ユヤノ坂」という地名もあり,湯谷神社がある。
この神社の手水鉢には,「桃木尊」と彫ってあるから,また驚いた。
「古事記」に書かれる「今の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」は,「ユヤノ坂」のことであろう。』

確かに標識がありました。

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そしてこのトンネルが妙に怖い。

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ここまで辿ってくると、まるでわたし達も黄泉の国からの追っ手に追われているような氣分に。

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は、早く行かねば。
なんか、コワい。

さっきはイザナミの立場で書いていたけど、ここに来ると追われるイザナギの氣持ちになってしまう。

ふと、ふんどし息子と顔を見合わせる。
ヤツも怯えた目をしている。

どちらともなく早足になる。
我先に走り出したい衝動を抑えつつ、鼻息荒く湯谷神社を後にしたわたし達なのでした。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(15)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、天津麻羅のミコトモチ、もといMさんからお電話を戴きました。
先日書いたわたしのブログの間違っている部分をご指摘頂く。

「あの出典はどこですか?」などと、大学の先生のような口調で聞かれると、元来勉強嫌いだったわたしはそれだけでドギマギしてしまい、直立不動で「はいっ、ネット情報の切り張りですっ!!」などと訳の分からない返事をしてしまう。

「他にも言いたいことはあるんですけどね。」と、静かに仰られて電話を切った。

動揺するわたし。

先程もお電話いただき、わたしの勘違いやその他あれこれを教えて頂いた。

ありがたい。
監修としてブログの最後にMさんのお名前を載せなければ申し訳ないほど、わたしの雑文をしっかり読んでくださっている。

善は急げ。
早速御指摘頂いた箇所を大幅に修正する。
なんだか指導教授の元、卒論を書く学生のような雰囲氣に。

だいたいから言って、わたしなぞ人様のお話を伺い「ふむ、なるほど。それはスゴイ!」と思うと、ネットで検索して自分にとって面白いと感じたものを切り張りして楽しんでいるだけなのだからして、修正に何の頓着もない。

ネットというのは壮大な伝言ゲームだ。
最初は正しいことが書かれていても、途中誰かが改ざんしたり思い入れを交えて書いたりすると、どんどん最初に書かれたことから離れていってしまう。

考えてみればオソロシイ。
現代社会は、情報の操作や修正がいとも簡単にできてしまう。

Mさんとお付き合いさせて頂くようになって、子どものころから邪馬台国を「やまたいこく」と読むように習ったが、実は邪馬壹国と書き「やまとこく」と読むのが正しいというお話を伺った。
卑弥呼の後継者の名前が「壹与」と書き「とよ」と読むんだそうな。

すっごい説得力のある話じゃないですかぁ!

で、「やまたいこく」と読むのが間違いだったとしたら、最初に「やまたいこく」と読んじゃった人のせいで、日本の小学生達は全員学校で社会の時間「やまたいこく」と習うようになっちゃったワケで。

誰だ?最初に言い出したヤツ。

こうなってしまったら元に戻すのは至難の技。

そして学者のセンセイ方はいくら説得力のある話であっても、けっして認めないんだそうな。
学説で地位や名誉を築いている方々にとっては死活問題にさえなってしまう訳だから、なかなか難しいのだろう。

そこでわたしは声を大にして言いたい!

歴史学者の方々の論文の最後は「だったりして」もしくは「かもね」という言葉を付けるのを義務化するべきだと!!

たとえば「邪馬台国は九州にあった」(んだったりして)というような使い方ですな。
わたしのような一般庶民は「エライ人が言うんなら間違いなかろう。」と思っちゃいがちなので、この「だったりして」の一言があるのとないのとでは大違い。
「そっか。昔のことなんだから百パーセント分かっている訳じゃないもんね。」と、別の説に対しても聞く耳を持つようになるはず。

学校の歴史の時間に、邪馬壹国のあった場所として九州説か近畿説のどちらかであると学習するけど、魏志倭人伝の記述をグーグルアースに照らし合わすと、邪馬壹国は徳島になるらしい。

グーグルアースで 邪馬壹国を知る!

面白い。
邪馬壹国は徳島にあった(かもね)。

・・ま、このように使って頂ければ、と。

それはともかく。

生夷神社を後に、どんどん山の中に入っていく。
山の中に、仙人のような方がお一人で住んでいるという「ナヤハウス」にお邪魔させて頂く。

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ここの主の方はネパールに長くいらしたということで、仙人のお宅というよりはおしゃれなカフェのような佇まい。
お話をさせて頂いていると、配水と黒パイの話になり盛り上がる。

わたしはキャンプ場を作った時に、水でとっても苦労した。
黒パイと配水のテクニックについて語らせたら、日本のおばさんの中では200人のうちに入ると思うんだが。

質素ながらもきちんとした暮らしぶりが窺え、とても素敵だ。

暇乞いをし、さらに山の奥に車を走らせる。
しばらくして「千曳の岩」の看板があるところに車を停める。

『古事記』によると、妻のイザナミに会いに黄泉の国へ訪れたイザナギは、約束を破ったために腐り果てた死体のイザナミを見てしまう。
怒ったイザナミはイザナギを追いかけ、イザナギは命からがら黄泉の国を脱出する。
そしてこの世とあの世の境界線に大岩(千曳の岩)を置き、行き来出来ないようにしたという。

千人で引くような大岩。

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これによって現世と冥界との境界線が引かれ、伊邪那岐命は黄泉(よみ)の国から逃げ帰ることができた。

イザナミとイザナギに思いを馳せつつ、再び車を走らせる。

マスの養殖をしているお店に案内して頂き、昼食を戴く。
マスの卵とお刺身を初めて食べたが、新鮮で美味しい。

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あー、シアワセ。
美味しい食事と、謎解きのような旅。

人生の醍醐味ここにあり、ですな。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(14)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

謎に満ちた八鉾神社を後にしたわたし達。
15分程車を走らせると、民家に囲まれた小さな公園のような雰囲気の神社に着いた。

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そこは「ゑびす誕生有しと也。故に生夷と書きて‘いくいな’と唱へ来る。」(阿波郡庄記)と言われた生夷神社(いくいじんじゃ)だった。

「生夷神社」
『祭神・事代主命
延喜式内社で事代主命が祭ってあるのは、この生夷神社と阿波郡の事代主神社のみ。
生夷は「いくい」と読むが、意味は「えびすが生まれたところ」ということである。
祭神・事代主命の俗称は夷(エビス)。
通称はエベッサンという。』

徳島藩の礎を築いた戦国武将蜂須賀氏が、初めて阿波に来たとき「阿波には夷(えびす)が生まれたところがある。」と日誌に書き、参拝したと言われているらしい。

「えびす」って言うと、酒飲みのわたしが真っ先に浮かべるのは「エビスビール」。
あのラベルの「えびす顔」の神様がここでお生まれになった?

「えびす」
『「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
また、外来の神とされることもある。
このように多種多様の側面があるため、えびすを祀る神社でも祭神が異なることがある。』

ふーむ、いろいろな説があるんですな。

とにかく海の幸をもたらす神様として漁業関係者の信仰を集めているばかりでなく、商売繁盛の神様としても知られている。

で、「えびす」と「事代主神」の関係は?

『事代主神は託宣の神といわれ、記紀神話においても直接に水との関連はない。
しかし、記紀神話の中の国譲りの項で、天津神からの国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主神の使者が事代主に聞きに行ったとき、事代主は釣りをしていたとされ、その海で釣りをする姿と「えびす」の海の神であることが結びつき、同一の神とされるようになったといわれる。』

だから「えびすが生まれたところ」(生夷)の祭神が「事代主神」というワケなんですね。

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Mさんは「託宣神がいらっしゃるこの地の名称が‘勝浦町’というのにも意味があるのでは。」と仰る。
勝つ占!
なるほど。

うん、分かった・・ような氣がする。

が、一昨日食べたおかずも覚えていない昨今。
今は分かったような氣がしてるけど、一か月後に覚えている氣がしない。
たくさんいらっしゃる神様に、さらに複数のお名前があるなんて、わたしのような能力のものにはちとツライ。

自慢じゃないが、お酒を飲んだ後にラーメンを食べたことも忘れてしまう人間ですよ、わたしは。

とにかくお参りさせていただく。

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境内の前には集会所がある。
戦前、この集会所は神社の舞台であったらしい。

昔は皆、こういう場所で寄り合いしていたのだろう。
村の話し合いや、決め事も全て神前で行い、常に神とともにあったであろうかつての日本人。

先日ある方がFBで「そういうこと(神前で寄り合いをすること)ひとつとっても、占領国には怖過ぎたようで、日本人が神社で寄り合いをしないように民主主義のもと、公民館ができた。」と書いていたが。

今の日本人は、神様の元、きっちりと絞められ強固につながっていたしめ縄がほどかれ、それぞれが一本の藁になってしまったようでとても心もとない。

横浜の実家のお祭りでは、去年まで八幡神社でご祈祷を受けて出発し神社に戻ることになっていたお神輿が、なぜか町内会の役員の多数決により、公園を起点としで回るだけになった。
もはや神事ではなく、ただの「お祭り騒ぎ」に成り果ててしまった。

こうやって阿波の村々を歩いていると、ついこの間まで日本人にとって当たり前だったことがそこここに生きているような氣がする。
やがてここにも日本を浸食するうねりがやってくるのだろうか。

今や神社でさえ土地の買収が働きかけられる時代。
一木一草に神が宿っているとする古代からの神道の考えは、ご都合主義の政治の前に風前の灯のよう。

故林春彦宮司『人間・自然破壊の原発に神の地は売らず』

なんか難しいことはわかんないけど、ダメ、絶対!!

明治維新、大東話戦争敗戦で打ちのめされてしまったこの日本。
今また最後の総仕上げをされているような氣がしちゃうのは、わたしだけなのでしょうか。

ああ、また陰謀論好きのおばさんってワルグチ言われちゃうんでしょうね・・。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(13)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前回Mさんは「天津麻羅」のミコトモチではないか、と書きましたが、神様のミコトモチになれるのはとっても羨ましいことだと思う。
そして誰もがミコトモチである、ともいえる。

「みこと(命)」とは、使命のことで、御言・御事(みこと)にも通じ、言霊に通じる。
自分の命(みこと)は何であるのかそれぞれが考えて生きていくと、世界も変わるのではないか?

わたしも考えてみる。

・・むう、わからない。

で、わたしはどなたのミコトモチになりたいか、考えてみた。

古事記を調べるようになってから、わたしは改めて「アメノウズメ」の果たした役割りの大きさを再認識することとなった。

「アメノウズメ」
『日本神話に登場する女神。一説に別名「宮比神」(ミヤビノカミ)、「大宮能売命 」(オホミヤノメノミコト)。
「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。』

神話中のもっとも有名な場面に登場するアメノウズメ。

岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をし、思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行う。

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」
つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせる。

その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った、という話。

神話の漫画などでは、必ずと言ってよいほど「アメノウズメ」は不細工に描かれている。
それは「八百万の神々を大笑いさせた」からなんでしょうが。

わたしの想像するアメノウズメは、ふっくらした中年で、美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ち。

何故「中年」か。
若いお姉ちゃんが「背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし」ていたら、大笑いなんかできますか?

例えば浅田真央ちゃんがそんな踊りを踊ったら、笑うどころか生唾を飲み込んでしまうに違いない。
顔の美醜は関係ないような氣がする。

そしてあんまり年を取り過ぎていても、痛々しすぎて目を背けてしまうからダメ。
90歳近いツルのようなばーさんが踊っていても笑えないもんね。

そんでもって「ぽっちゃり」というのは必須だな。
いくら踊りが上手でも、痩せている宮沢りえちゃんのようなアメノウズメだったら「・・もう、いいよ。寒いでしょ?」と言って、服を肩にかけてあげたくなっちゃうもんね。

さらに「美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ち」も大事。
デビィ夫人みたいななアメノウズメだったら、笑うと怒られちゃいそうなので、シーンとしちゃいそうだし。
ゲラゲラ笑えるってことは、そんなに不細工ではないという証。
だってあまりに残念な顔立ちだったら、笑えないよ。むしろ。

ふっくらした中年で、美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ち?

はっ、わたし、その条件けっこう満たしているじゃないですかぁっ。

でもアメノウズメは機転がきき、かつ度胸もある神様。

『天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われたアメノウズメが名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。』

「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)」って他の神様から評価されているアメノウズメ。

か、かっこいい。
これはもうアメノウズメのミコトモチにならなければ。

踊りは全く駄目だけれど、人様の目にさらせるようなカラダは持っていないけれど、度胸があるというよりは考えなしだけど、頑張りますっ。

・・・って、ミコトモチの意味から大きく外れている氣が。

それはともかく。

二日目もMさんにお付き合い頂くことができたわたし達。
まず向かったのは八鉾神社。

徳島市からも30分以上車を走らせて到着する小さな神社。

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が、実は凄い神社らしい。
八鉾神社には地中に鳥居の跡があり、柱の太さが周囲一丈五尺、二柱の間が二十間余りあったという。
祭神は大国主命。

「八鉾神社」に平成3年、現役の皇太子がお忍びでお参りされているらしい。
さらに中国雲南省の公式使節団も。

Mさんは、徳島の方もご存じないようなこの神社が「出雲大社の元宮かもしれない」と仰る。
 
とにかくお参りをさせていただく。

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拝殿のところに金属でできた箱があるのに氣が付いた。

これはおみくじとのこと。
その箱を振ってみると中から数字の書いた金属の棒が出てきた。
皆で引いてみる。

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わたしが引いたのは「八」。
おお、「八鉾神社」の「八」ですな。

きっと「八鉾神社」の神様が寿いでくださっているに違いない!

でもこのおみくじのシステム、よく聞いてみると、表があって出した数字を当てはめて卦を占うらしい。
「八」は・・「凶」?

…信じないもんね。
わたしが引いた「八」は「八鉾神社」の「八」。

末広がりのめでたい数字なんだもんね。

なんでも自分に都合よく解釈するというスピ系のおばさん特有のメンタリティをいかんなく発揮し、機嫌よく八鉾神社を後にしたわたしなのでした。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(12)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「天岩戸立岩神社」を後に、山道を一挙に下り里に入ると、もう夕闇が背後に迫っている。

細い道を何回か曲がり、寂れた道路のわきに車を停める。
薄暗い竹林を抜けたところに石段があり、阿波の青石で築いた素朴な階段を上っていくと、小さな祠が祀られている。

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その後ろに、巨石が斜めにそそり立っている。

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実はここも「立岩神社」と言う。
先程訪れた神山町の「立岩神社」は女性を意味する陰石で、ここ多家良町の「立岩神社」は男性を意味する陽石であるといわれているらしい。

祭神は「天津麻羅」といわれ、正面にある巨大な陽石の根元には、2つの玉石もあり、まさに男根。

「天津麻羅」
『天津麻羅(あまつまら)は、日本神話に登場する鍛冶の神である。
古事記にのみ登場し、日本書紀には登場しない。
古事記では岩戸隠れの段に登場する。』

この「天津麻羅」は面白いことに「神」「命」などの神号はつけられていないし、古事記の中では何をしたのかは書かれていないらしい。
「マラ」という音の持つ男根のイメージや、この巨石の形状から、性的なものを連想してしまうが、「天津麻羅」は鍛冶を司る神であり、 立岩神社の陽石は、ちょうど、たたら跡の方向を向く形で立っているんだそう。

この巨石を見ながらMさんが、いろいろお話して下さる。

Mさんが「阿波古代史」に関わるようになったきっかけが、ここ多家良町の「立岩神社」だという。
それまであまり「阿波古代史」に関心のなかったMさんは、この巨大な陽石を見て突然「阿波が古事記の舞台である」ことを確信し、以来20年もの長きに渡って活動をするようになったとのこと。

うん、見えるよ、見える。
わたしにははっきり見えますとも。

「天津麻羅」の神様が、陽石の上から見下ろしている姿が。
そこにのこのこ現れるMさん。

「ふむ、なかなか見どころのありそうな男じゃわい。どれ、いっちょ乗っかってみるかの。」
身軽に衣を翻し、Mさんの肩に飛び乗る「天津麻羅」の神様。

Mさん「あれ?何か肩が重い氣が・・。いや、そんなことよりも。
こ、この巨石はなんじゃぁ!古事記の舞台は阿波にあり!!」
何かが取りついたように(いや、取りついているんですが)阿波の古代史に取り組むMさん。

「ふっふっふ。やはりわしが見込んだだけのことはあるわい。
どれ、お礼に少し元氣にしてやるかの。」

もはやMさんを誰にも止めることはできない・・。

こうしてMさんは「天津麻羅」のミコトモチになりました。
(ミコトモチとは、与えられたミコト(使命)を謹んで奉じること・奉じている人・その遂行に従事している人のこと)

なんちゃって。

Mさん、ごめんなさい。
悪氣はないです。
ホント、一切ないんですぅぅ!!

でも。
こうでも考えなきゃ、あのすんごいパワーの源の説明がつかないんだもんね。
やっぱ「天津麻羅」の神様が・・。

Mさんの背後にいらっしゃるに違いない「天津麻羅」の神様にそっとお辞儀をし、帰路についたわたし達なのでした。

つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(11)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日からお酒を飲む機会が立て続けにありました。
我ながら恐ろしいと思ったのは、山梨で飲んだ時に〆のラーメンを食べたのをすっかり忘れていたこと。

FBで「あそこのラーメン美味しいですよね。」と仰る方がいたので「教えてくれれば絶対食べたのに。」と言ったら「 最後に4人で、半ラーメン2個頼んで、半分こして食べていたでしょ!」と叱られました・・。

ああ、痴呆症の前症状がついに・・。
うなだれるわたし。

氣を付けよう、美味しいお酒とはしゃぎ過ぎ。

い、いいんだもんね。
お酒も飲まずはしゃぎもせず、百歳まで生きる人生よりも、記憶を失うぐらい楽しくお酒を飲む90歳の人生を選びたいっ!

って、どんだけ長生きするつもりなんだか・・。

それはともかく。

山道を慎重に走るわたし達。
薄暗くなった道は、かなり荒れている。

「阿波古事記研究会」の案内板が設置されている場所に車を停める。
レクチャーして下さるMさん。 

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こういった看板も、Mさん達の尽力で立てられているらしい。

「天岩戸立岩神社」
『立岩神社(たていわじんじゃ)は、徳島県名西郡神山町の神社。
標高650mの山の中腹にある。
中央が割れた2体の巨岩が御神体として祀られている。高さは20m、幅各々7~8mである。その右前方に高さ3mほどの岩石が2体、左側面に高さ2mほどの岩石が1体寄り添っている。
邪馬台国阿波説では古代遺跡ともいわれる。』

集落の方々が作られたという鳥居をくぐり

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細い山道を200メートルほど歩いていく。
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拝殿の後ろに巨大な磐座が鎮座している。
奥深い山中にこんなところがあったとは。

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真ん中に写っているふんどし息子から、大きさを感じてください。
(※注 心霊写真ではありません。)

圧倒的な存在感。
「畏れ」という言葉が浮かぶ。

この地は、記紀に記されている天岩戸の伝承の舞台として語り継がれているらしい。
「立岩神社由来記」に以下の文面が載っている。

『空よりふり下りたる山の
大きなるは阿波国にふり
下りたるを天の元山といい
その山のくだけて、
大和国にふりつきたるを
天香具山というなんともうす』
     「阿波の風土記」より

「この場所は元々、奈良の天香具山と一つで、天から降った際、割れた片方」とされているらしい。
Mさんは「阿波の元山が欠けてできた山が、奈良の天香具山(香久山)である。」と仰る。

現在行方不明といわれる、幻の古代書「阿波風土記」。
明治時代「阿波風土記考」を発行しようとして、発売禁止処分となったという話もある。
 
拝殿を抜けると、二つの巨岩がそそり立ち、その間に割れ目がある様子は、まさしく物語に綴られた岩戸を想起させる。

まさに「神がおわす場所」という雰囲氣。

言葉がない。

わたし達が訪れた時、すでに闇がその帳を下ろし始めていたせいか、本来この地が持っている「人が畏怖心を持つほどの凄味のある絶対的なエネルギー」が感じられた。

ここでは「いい氣を戴く」だの「浄化させてもらう」なんていう薄っぺらな言葉も行為もいらない。

ただひれ伏すのみ。

阿波は凄い。

日本の古文書といわれる「ホツマツタヱ」では
『「ア」は右巻きの渦、「ワ」は左巻きの渦で表し、宇宙原始の音アから始まって調和のワで終わる「アワ」が根源エネルギー』だと伝えている。
「アワ」とは、宇宙原始の音である「ア」から始まって、調和の「ワ」で結ぶ宇宙一切の循環法則を表している、という。

古代の人々はいったいどういう氣持ちでこの磐座を眺めたのだろう。
まさかこの国が現代のような姿になるとは、想像もしなかったに違いない。

いや、そうではないか。

古事記の序文に
「今の時に当たりて、その失(あやまり)を改めずは、いまだ幾年も経ずして、その旨滅びなむとす」という文言があるという。

我々が道を見失い、誤った歴史を信じてしまう事を、はるか昔の古代人は見通していたのかもしれない。

今こそ、古代人が残してくれた道しるべを頼りに、謙虚に、そして真摯に、歴史の真実へ近づく努力をしなければならないのではないだろうか。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(10)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「古事記古古道 体感ツアーに行ってきた」もう早や10回を迎えてしまいました。
それなのに、時間でいうとまだ旅行2日目の午後。
いったいいつになったら終わらせることができるのやら。

先の見えない様相を呈してまいりましたが、お暇な方、どうぞお付き合い下さいませ。

さて、Mさんのご案内で橋を渡り、車を停める。
正面には高越山。

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古事記に伊邪奈美命(いざなみのみこと)は「出雲国と伯伎国(ははぎのくに)との堺の比婆山に葬りき」と書かれている。
Mさんによると、その比婆山にあたるのは高越山であると読み解くことができるらしい。

『須佐之男命は,父のイザナギの大神に命じられた国を治めず泣き叫んだ。
イザナギの大神に「何故,国を治めずに泣くのか?」とたずねられると「母の国、根の堅州国に行きたいから泣く」と須佐之男命は答える。』

「母の国とは,須佐之男命の母イザナミが暮らし葬られた地。
つまり舞中島周辺であり、埋葬地の高越山である。」と仰る。

では「根の堅州国」とはどこか?

川を眺めると、ここ岩津を境に、下流は砂でできた洲があり、上流は川の中に岩盤でできた島が点在する。

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Mさんは「堅州とは、岩盤でできた島のことであり、岩津上流が「母国 根の堅州国」である。」と断言された。

「根の堅州国」は、大国主命が兄達に追われて、須佐之男命のいる根堅州国に向かう場面にも書かれている場所。

ふーむ。
ここでスサノオがねえ。
大国主命もねえ。

母恋し、と泣きわめく元祖マザコン男のスサノオ、兄ちゃん達に虐められてしょんぼりする元祖いじめられっ子大国主命に、ふんどし息子の姿が重なる。

なにやら感慨深い。

その後、石井町の「曽我氏神社」に向かう。
ここは「曽我氏神社古墳群」といい、古墳時代前期の円墳と方墳があるという。

円墳は全長14mで、墳丘中央には、結晶片岩で作られた2基の竪穴式石槨があり。石室内から銅鏡・鉄剣・刀子・石釧・勾玉・管玉・ガラス小玉などが出土しているらしい。

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「曽我氏神社」
『御祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)、五郎時致(ごろうときむね)の曽我兄弟を合祀となっている。』

何故ここに曽我兄弟が?
江戸時代の国学者、永井精古も「曽我兄弟(そがきょうだい)を祀るいわれはない」旨の発言をしているらしい。

同じ曽我でも蘇我氏の方じゃないか、という説もある。

「祀るいわれはないって言われてもねえ・・。」と、凛々しく鉢巻を付け、顔を見合わせる曽我兄弟の困った顔が浮かぶ。

草をかき分け、古墳の頂上まで行ってみるが、ただやぶ蚊に刺されるのみ。

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そそくさと撤収する。

そして、いよいよ高天原のある山間部へ。

ところが以前来た台風によって、いまだ道は寸断され、通行止めが続いている。
レンタカーを借りても、無駄なお金は使いたくないと保険をケチっているわたし。
運転は慎重にならざるを得ない。

辺りは夕方が近くになり暗くなりかけて、対向車は全くいない。
しかも近づいている台風のせいか、雲行きも怪しい。

道が荒れている上に、大雨のせいで道に大きな亀裂が走っている。
もし、車に傷を付けちゃったら相当な出費は明らか。

ダメ、絶対!

ふんどし息子を車から降ろし、道に飛び出している雑草を折ってもらい、亀裂を避けるべく誘導してもらう。
人生で未だかつてないほど慎重に車を進めるわたし。
人間、お金が絡むとなんでもできるようになるのね。

途中「天石戸別神社」の看板を通り、蛇行運転しながらも、なんとか目的地に着く。

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時間もないし道も荒れているので、「天石戸別神社」は行かず、奥宮といわれる「手力男神の塚」に直接連れてきてくださったらしい。

山道を下っていくと。
ありました、「手力男神の塚」。

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天手力男は「古事記」の「天の石屋戸」で、天照大御神が天の石屋戸に引きこもってしまった時、その石屋戸を引き開けた神様。

その「天手力男神」が、三つの大きな石に守られるように祀られている。

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古事記には『手力男神は佐那之縣に坐せり』と結ばれており、佐那の県(あがた)に祀られていることになっている。
「天石戸別神社」があるのは佐那河内(さなごうち)村。
この村が昔の町村合併によって現在の名前になる前が佐那という名前であり、さらに佐那の縣(あがた)との記録も残っているらしい。

ところどころに残る古事記の記述との一致。
その点と線を結んでいく先にあるものは、歴史の真実なのだろうか。

つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(9)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前回ザビエルについて書きましたが、日本について書かれた彼の書簡には以下のような文章があります。

2-1.書簡第90-12:1549年11月5日(鹿児島)
 この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
驚くほどの名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉を重んじます。
大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉だとは思っていません。

2-3.書簡第90-14(B):1549年11月5日(鹿児島)
 大部分の人は読み書きが出来ますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。
彼らは一人の妻しか持ちません。
この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰し、誰でも死刑にします。
盗みの悪習をたいへん憎んでいます。
彼らはたいへん善良な人々で、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です。

2-6.書簡第90-45:1549年11月5日(鹿児島)
 日本では飼っている家畜を殺したり食べたりせず、時々魚を食べ、少量ですが米と麦とを食べています。
彼らが食べる野菜はたくさんあり、少しですが幾種類かの果物もあります。
この地の人々は不思議なほど健康で、老人たちがたくさんいます。
たとえ満足ではないとしても自然のままに、わずかな食物で生きてゆけるものだということが、日本人の生活を見ているとよく分かります。

日本を去った後、ザビエルは布教の場を中国へ移そうとしますが、中国の地を踏むことなく広東の港の外にある上州島で、毒殺によって46歳という生涯の幕を閉じました。

ザビエルの残した書簡のお蔭で、当時の日本人の様子がよく分かります。

ありがとう、ザビエル!

禅宗のお蔭で屁理屈を捏ねるのは得意だったであろうご先祖様達。
ご苦労をおかけしちゃいましたね。

ごめんね。
今では男性型脱毛症の別名としてあなたの名前が使われています。

ザビエルがこれを知ったら「ハゲてるわけじゃないもんねっ。剃ってるんだもんね。トンスラっていうカトリック教会の修道士の髪型をしているだけなんだもんねっ!トンズラじゃねえし!!」と涙目になって訴えたに違いない。

それにしても。

学生の頃の歴史では、昔の民衆は常に虐げられていてカワイソウな存在だったと習った。
今にして思えば、現代のわたし達のほうがよっぽどカワイソウじゃないですかあ!

幕末、開国の使者として歴史を動かした米国総領事タウンゼント・ハリスが残した日本人を描いた文章にも以下の記述がある。

『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。
一見したところ、富者も貧者もない。
----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。』

 『私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。
生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。』

 『人々はいずれも、さっぱりしたよい身なりをし、栄養も良さそうだった。
実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない。』

『・・・婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である。
こうした光景すべてが陽気で美しい。
だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。』

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人がほとんど異口同音に語っているのは、日本人がいかにも幸福そうであったということ。

ジンルイ、進化してるんじゃなかったんですか?
ブンメイってなんですか?

いったいどういうことじゃぁぁ!

はっ、いかん、いかん。
古事記はどこへ行った、どこへ。

そうそう、芋焼酎「高志のを呂智」を作っている社長さんに別れを告げ、「天村雲(あめのむらくも)神社」に向かう。
曼珠沙華の咲き乱れる参道を歩いて行くと、のんびりした風情で境内はあった。

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「天村雲(あめのむらくも)神社」
『祭神は、天村雲命と伊自波夜比賣の二座。
忌部山にある忌部神社の境外摂社。
式内社「天村雲神社」は全国でも徳島のここだけにしかない。
ご祭神の天村雲命はスサノオノ命の息子である五十猛命(いだてのみこと)だといわれている。』

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つ。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草那芸之大刀(くさなぎのたち)の異名。

今回訪れた「天村雲神社」はスサノオノ命がヤマタノオロチを退治したときに出てきた天叢雲剣の名を冠している。

ここ「天村雲神社」の上流には銅や鉄などを産出する鉱山があり、戦前まで実際に採掘されていたらしい。
天皇家の祭事を上古の時代から司っている忌部一族が、ここで「天叢雲剣」を造り、天皇に献上していたのではないか、という説も。

さらに、スサノオノ命がクシナダヒメと新婚家庭を構えた地名は須賀なのだが、この神社の隣村に大須賀という地名があるとのこと。、

古事記に書かれている文言と実際に阿波に存在する地名との一致。
偶然と片付けるには、あまりに数が多い氣がする。

そして全国の式内社の中で「天村雲」を冠する神社は阿波国のみという事実は、何を語っているのだろう。

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ふんどし息子の吹く磐笛の音が、風に乗って田舎道に響き、曼珠沙華がそよぐ。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(8)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いつもは週に一回書けばいい方なのに、ここのところ鬼のようにブログを書いているわたし。
何故か。
「どうせ暇で仕方がないからだろ。」とお思いのあなた。

ちっがーーーう!

わたしだって、それなりに忙しい日々を送っています。
でも早いとこ書いておかないと、忘れちゃうの!
「記憶が霞のかなたに行ってしまう前に書いておかなければっ。」という切羽詰まったというか、哀しい切迫感に煽り立てられて、暇を見つけては書いているだけなの!

年を取るって、ホント、大変。

それはともかく。

次に向かったのは、王子神社(おうじじんじゃ)

「王子神社」
『主祭神 天津日子根命
祭神である天照大神の第三皇子・天津日子根命(アマツヒコネ)は太古より統治の根子神(土着神)として奉斎され社殿裏は命の御陵と伝承されている。神社名の「王子」は、天照大神の皇子(王子)に由来する尊称と伝えられる。』

一見ただの小さな村の神社のように見えるが、凄い巨木がある。

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面白いのは、正面の鳥居には「王子神社」と書かれているが、本殿右側の鳥居には「玉子神社」と書かれているところ。

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Mさんは「阿波の延喜式内社として和田都美豊玉比売神社があるが、それがここではないか。
だから「王」ではなく豊玉比売の「玉」になっているのではないか、と仰る。

先程調べていたら、ここは「心願成就の猫神さん」としても有名らしい。

「阿波の猫騒動」
『昔、那賀郡加茂村(現阿南市)の庄屋の娘・お松は身に覚えのない罪で捕らえられ、処刑されることになった。
お松は、自分に罪をかぶせた人に報復するようにと愛猫のお玉に言い聞かせ亡くなった。
お玉はお松に罪をかぶせた人々を祟ったため、長谷川奉行がこれを鎮めるべくお松とお玉の霊を祭った。
これがいつしか「心願成就の猫神さん」として捉えられるようになった。』

ちょっとお松、罪のない猫に変なこと頼むの止めなさいよね。
お玉、祟り神になっちゃったじゃないの。

素直なお玉、不憫なり。

・・って、この猫の名前がお玉。
もしかしたらこの猫の名前を彫った可能性も?

豊玉比売の「玉」と愛猫のお玉の「玉」。
あまりにかけ離れている二つの「玉」ですが、真相は闇の中、ですな。

感慨を胸に(なんのだ?)Mさんの指示に従い車を走らせると、ある工場に着いた。
社長さんを紹介して頂く。

こちらの社長さんも「阿波古事記研究会」の方だということで、お忙しい中お時間を割いて下さり、いろいろレクチャーして頂いた。
あの有名な 八俣(やまた )の 大蛇(おろち )は古代吉野川と考えると、ちょうどオロチの尻尾にあたる場所に剣山があるという。
「古事記」には、「高志の 八俣(やまた )の 大蛇(おろち ) 」と書かれ、高志(たかし) と書かれている。
 「高志」は徳島県板野郡上板町にあった古地名であるといい、この地名は国府の観音寺木簡の出土によって古くからあった事を知ることができるらしい。

古事記の原本を片手に、パソコンの画面を駆使しながら、熱のこもったお話をして下さるご様子は「こ、ここにも異能の志士が・・。」と阿波のパワー溢れるおじ様率の高さに感動するわたし。

こちらで作られている芋焼酎「高志のを呂智」を戴く。

綺麗な青い瓶に入った鳴門金時で作られた焼酎。

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これ、大きさといい、お土産にピッタリなのでは?と何本か購入させて頂くことに。

差し上げた皆さんに喜んでいただきました。
皆さんも、是非!
(いや、戴いたから言ってるワケじゃないですよ。ホントですってば)

それにしても。

Mさんや、こちらの社長さんを見ていると、かつて宣教師を論破した日本の庶民の話を思い出す。

『日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事がある。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということだった。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えた。
すると日本人が追求する。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」

ザビエルは困ってしまい、本国への手紙に次のように書いた。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。
当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかった。
ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国するが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白している。』

キリスト教の宣教師が神について説明したら、「ああ、そいつは大日如来様のことだろう。マリア様ってのは観音様にちがいない」って即答した日本人は、きっとMさん達のような人々だったんだろうと思う。

いいなぁ、阿波。
古事記について語りながら、個性的な面々と侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を戦わせ飲むお酒は、さぞかし美味しいに違いない。

古事記の本を片手に、美味しい海の幸を肴にして焼酎を戴く。

か、かっこいいじゃないですかぁ!

いつかボケる前に、一回でいいからまぜて頂きたいと心から願うわたしなのでした。


つづく


古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(7)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

なんと阿波の旅、一日目を書き終えるだけで6回もかかってしまいました。

でも、いいの。
ただ単に忘れっぽくなった自分への旅の記録として書いているだけなんだから。

あくまでも、わたしの目線から書いています。

だから登場人物の方、怒らないでくださいね。
悪氣はまったくありませんから。
・・いや、だからこそタチが悪いともいえるが。

とにかく苦情は一切受け付けませんからねっ。
そこんとこ、よろしくね。
・・ね?

それはそうと。

二日目から、北鎌倉の「古事記サミットin鎌倉」で講師をされていたMさんにご案内をお願いしました。

Mさんはわたしが阿波に興味を持つきっかけを作って下さった方。
お忙しい中、三日間もわたし達にお付き合い下さった。

お蔭で、とても充実した旅になりました。
本当にありがとうございました。

「阿波古事記研究会」の副会長で、精力的に活動されているMさんは、恰幅がよくダンディで優しそうな笑顔が素敵なおじ様。
例えて言うならば、俳優の平泉成と元衆議院議員の武村正義さんとちゃれんじのしまじろうを足して3で割った感じ?

でも、このおじ様、ただ者ではない。

20年も前から「古事記の舞台は阿波にあり!」と言い続け、広報活動を粘り強く続けることを可能にした常人離れした底知れないエネルギー。
優しげな笑顔の裏の、したたかでしぶとい強烈なオーラ。

そう、異能の志士と申しましょうか。
わたしはこういう強烈な個性の持ち主が大好き。

それはともかく。

そのMさんが、わたしの運転するレンタカーで直々に古事記古古道を案内して下さった。

まず向かったのは「天石門別八倉比賣神社」の鳥居。
す、すごい。
正一位、大神宮の文字が。

なのにその鳥居を塞ぐように、真ん前は駐車場になっている。

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これはいったいどういうこと?

うーむ・・。いかん、いかんだろう。

土地の権利とか登記上の持ち主とかって話は関係ない。
わたし達はこの地を神様からお借りしている身。
それなのに神様の玄関先に柵を作っちゃうなんて、どう考えてもいかん!

これは今の日本の現状を如実に顕わしておるっ!
あの土地をお持ちの方、是非考えて頂きたい!

はっ、いかん、いかん。
血圧が上がってしまうところだった。
氣を付けねば。

次に向かったのは大御和神社。

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「大御和神社」
『御祭神 大己貴命(大国主命)
延喜式内小社で「府中の宮」と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代 の祭政の中枢となり、その国府の鎮守として、 累代国司の崇敬が厚かった社である。
本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし 神徳により印鑰大明神とも称したと伝えられる。
「印鑰」即ち国司の宮印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。』

阿波国総社であったとも言われ、「府中宮(こうのみや)」とも呼ばれたのに、明治5年(1872年)に郷社にされてしまう。
また明治時代?

「大和国三輪神社から勧請されたと伝わる」という説もあるが、Mさんは「阿波の大御和神社から奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)に勧請されたのでは。」と仰る。

うーん、謎。
だけどとっても面白い。

その後、先程の鳥居の神社、八倉比売神社に向かう。

「天石門別八倉比賣神社」
『式内 正一位 八倉比賣神宮
 御祭神 大日孁女命(別名天照大神)
 御神格 正一位、延喜式に記録された式内名神大社である。当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。』

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も、もしやスゴイことが書いてあるのでは?
祭神の「大日霊尊(おおひるめ)」は別名「天照大神」。
お葬式の様子が詳細に書かれているって・・。

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天照大神がここに永眠されている?

この神社の周辺は古代における阿波国の中心地で、古墳も200ほど見つかっているらしい。
それらの墳墓の中でもひときわ大きいのが、この天石門別八倉比売神社を擁する陵墓とのこと。

そしてこの神社の背後の神陵の頂上には、五角形の青石で築かれた祭壇が設けられていて、ここに天照大神が葬られている、いう説もあるらしい。

これは見に行かねばっ。

草をかき分け進んでいくと。
ありました。

ふんどし息子が磐笛を奏上する。

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まあ、ここに天照大神がいらっしゃるかどうかは別として、古墳の上に建てられた神社なんて、スゴイじゃないですかぁ!
とにかく古墳が多過ぎて、全貌は掴めていないらしい。

凄いぞ、阿波。
神社と古墳がセットになっているなんて、まるで盆と正月がいっぺんに来たようで、にぎにぎしいというか、おめでたいというか(あれ?違うか)。

ミステリアスな阿波はとにかく凄い!

つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

剣山からリフトで下りると、車は一台も停まっていません。
でも辺りはまだ明るい。

そうなると、貧乏人根性というか、時間を目いっぱい使い、極限まで楽しみたいというかつてのエコノミックアニマルの一族の血が騒ぎ、まだ真っ直ぐに帰路に着く氣になれないわたし達。

パンフレットに載っていた「かずら橋」だったら、そう遠くないはず。

かずら橋
『三好市西祖谷山村にある「祖谷のかずら橋」は、日本三奇橋のひとつ。
冬場の厳寒な山野で採取した自生の「シラクチカズラ」を編み連ねて創られるかずら橋の由来は、祖谷に巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説や、追っ手から逃れる平家の落人が楽に切り落とせるようシラクチカズラで作ったという説等諸説が残っている。』

薄暗い山道を行くと、かずら橋の看板が。
受付で500円を払い下っていくと。

おお、かっこいい!
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渡ってみると、これが意外に高さがあってコワい。
しかも足元の木と木の間の隙間が広く、思わずへっぴり腰になる。

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2本並んで架かっている「男橋女橋(おばしめばし)」を両方とも渡ってみる。

女橋のすぐ側に架かる「野猿」は、駕籠に乗り人力で渓谷を渡るというもの。
これ、面白そう。

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面白いことに目のないわたしは、年甲斐もなく(って、年を考えたことあるのか?)ふんどし息子とともに乗り込んでみる。
もちろん力仕事はヤツの役目。
ふんどし息子は手でロープをたぐり寄せながら進み、渓谷を渡る。

楽しい!
もっと早く。
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もっと早くうぅ。

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あんた、顔怖いよ。

ゼエゼエと肩で息をするふんどし息子。

うっしっし。
今回は前回のお返しにふんどし息子の恥ずかしい写真をアップしてやったもんね。

何だって?!

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それはそうと。

受付で来た道を戻った方がいいと言われ、暗くなりかけた山道を全速力でかっ飛ばす。
この時間になると、対向車もあまりいない。

やっと国道に出たところで、ふんどし息子が「脇町でうだつがライトアップされているらしいから行こう。」と言い出す。

ふーむ。
徳島在住のFBFの方が、うだつのイラストを描かれているのをネットで見て「生うだつを見てみたい」と思っていたんだっけ。

へとへとではあるが、この機会を逃すとまたいつ来れるか分からない。行かねばっ。

いつもの貧乏人特有の貪欲さ、いじましさに引きずられて、脇町に立ち寄る。

「うだつ」
『「うだつ」とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、これを造るには相当の費用がかかったため、裕福な家しか設けることができなかった。
すなわち「うだつが上がる」ということは富の象徴であり、「うだつの町並み」は当時の繁栄を物語っている。
各家々のうだつには家紋や細工が施され、その豪華さが商人の権威を表している。』

しっとりとした情緒溢れる街並みは、まるで時代劇の舞台のよう。

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もう時間は7時半過ぎということで、どの家の扉も閉ざされている。

が、一軒の酒屋さんに明かりが灯っている。

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ほとほとと扉をたたく。

まるで童話「きつねの手袋」のきつねになったような氣持ちになる。
中からおばあさんが出てきて、招き入れてくれた。

いろいろお話を伺い、この町がかつてとても豊かで風雅だったことが実感できた。

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花嫁が来た時に、町の人々に配ったという甘いお菓子も戴き、食べてみる。
少し湿気っていたけど、柔らかく優しい味。

暇乞いをし、町並みを眺めると、虫籠窓(むしこまど)、格子造り(こうしづくり)、蔀戸(しとみど)など旧家ならではの風景が暗闇に浮かび上がる。

やはり地方は夜が早い。

・・・はっ!
そういやホテルのチェックインもまだだし、夕食を食べる場所も決まっていなかったんだ。

ま、まずい。
下手をすると夕食も食べられなくなってしまうかもしれないじゃないですかあっ。

こうしてはいられない。
とっとと帰らねばっ!

やっぱり貧乏人には「猫に小判」「花より団子」。
風雅を楽しむにはせかせかとした貧乏人根性を叩き直さねば、と自分に言い聞かせたわたしなのでした。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

こんどこそ剣山に向かって一直線に車をかっ飛ばすわたし達。
思った以上に遠い。
道はところどころ細く、山に入ると対向車に氣を使わなければならない。
ハンドルにしがみ付くわたしの横で、ふんどし息子が寝息を立てる。

剣山にまつわるオモシロ話は枚挙に暇がない。
古代イスラエル人が剣山のどこかに秘宝「アーク」を隠し、現在も眠っているということが、歴史ファンの間でまことしやかに語られている。
ハリソンフォードの映画「レイダース 失われたアーク」は剣山がモデルで、撮影も剣山でやろうとしたが止められてできなかったとか、空海が四国八十八箇所を定めたのも、聖域に近づけないための「結界」だとか。
昭和20年GHQの特命を受けて秘密裏に四国山地の最高峰・剣山の山頂から2百メートルほど下がった大剱(おおつるぎ)神社の辺りをアメリカ軍の発掘隊が調査したとか。

オモシロ好きのわたしの心は高鳴る。

何とか3時15分頃到着。
リフトが動いているのを見た息子は「ほらぁ、焦らなくても大丈夫じゃん。」と能天氣に呟いた。

わたしも一安心して切符売り場で[1,860円の往復チケットを買う。
結構お高い。

係のおじさんが「最終のリフトは4時45分ですよ。」と教えてくれた。

リフトに乗り、初めのうちははしゃいでいたが、このリフト、思いの外高さがありコワい。

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景色を眺めようと振り返るとお腹がワキワキする。

これ、下手なジェットコースターより怖いよ。
実際乗ってみると、料金は決してお高くなんかないです、はい。

15分ほどで西島駅に到着。
山頂までのルートを見て愕然とする。

リフト乗り場から山頂へのルートは、3ルート。
健脚向きの尾根道(40分)、大劒神社回りの大劒道(1時間)、遊歩道[行場を回る](1時間20分)って・・。

今すでに3時半。
リフトが4時45分に終了するってことは、あと1時間15分しかないってことじゃん。

健脚向きの尾根道(40分)を選んだとしても、大急ぎで行かなければならない。

が。
ふんどし息子は「大劒神社回りの大劒道(1時間)で行こうよ。でも行場も行きたい。」とのたまう。

バカなの?時間の計算ができないの?

「無理。」と言っても「行きたい。」の一点張り。
最終リフトに間に合わなければ歩けばいいと言う。

そ、そんな無駄なこと、我が家には許されないのっ。
ダメ、絶対!

でも言い争っている時間も惜しいので、一発勝負で大劒神社回りの大劒道(1時間)に向け走り出す。
・・まあ、息子が行きたいと言ったからってこういった選択をするわたしもわたしなんですが。

走るおばさんとふんどし息子。

意外に早く大劒神社に到着。

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おお、これだったら帰りのリフトに間に合うかもしれない。
「天地一切の悪縁を断ち」「現世最高の良縁を結ぶ」とある。ありがたや。
さっとお参りを済ませ、山頂を目指そうとすると。

「この下にすっごく霊験あらたかな水があるんだって。お水を戴いて来ようよ。」というふんどし息子の声。

え?空耳?
我が耳を疑う。

むう・・。
あきれてものが言えん。

「行きたければ自分だけ行けっ。」と捨て台詞を残し、山頂を目指して走り出すわたしの後を渋々ついてくるふんどし息子。
走り続けた甲斐もあり、何とか山頂に4時過ぎに到着。
剣山本宮宝蔵石神社でお参りをさせて頂く。

実は阿波に来ると決めてから、FBFの方に教えを乞うた。
皆さんにいろいろな情報を戴き、とても助かった。

皆様、その節はお世話になりました。
この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

その情報の一つが「山頂の神社に、そこにしかない祝詞があります。」というもの。
が、ちょっと前に神社の方は下られたとのこと。
残念・・。

さらに「左右に首がとれちゃったつる石と亀石があり、その奥の洞窟に隠されています。昔は鶴亀山でつるきさんと呼ばれていたのです。」などというお話も教えて頂いた。

つる石と亀石、是非見てみたい!
売店のおじさんに聞き、それらしき場所を目指そうとしたが、ロープで入れないようになっている。

ちぇっ。
いつものわたしならロープを乗り越えて行っちゃうところだが、なんせ時間がない。

山頂は平坦な草原となっており、登山者に踏み荒らされないように木道ができているので、とても歩きやすい。

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思ったより早く着けたので、少し氣が楽になり、山頂三角点まで走って行った。(どっちにしても走る)

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すると、三角点の前の木道に跪いている3人の人影が。
白装束に白い鉢巻姿のおばさん達。
祝詞を読み上げている。

ちょっとギョッとし、遠巻きに見ながら耳をそばだててみる。
なにやら儀式的なことをやり終えたと見え、真ん中にいらしたおばさま(50代前半つけ睫毛美人)が「大天使ミカエル様もお喜びになっております。」と仰った。

・・あのぉ、わたし達、磐笛を吹きたいんですけど。

この方たちの儀式の邪魔をしてしまうのは本意ではない。
ないが、せっかくここまで来て、やりたかったことができないのも残念だ。
そして時間がない。

空氣を読みながら、素知らぬ顔で磐笛を取り出し、そっと吹いてみる。
こちらをジッと見つめるおば様方。

時計を見るとすでに4時15分。
急いで下らなければっ。
リフト券を無駄にしないために!

3人のおば様方も急ぎがちに歩き始めた。
こういうおば様とお話しする機会も少ないので、早足で歩きながら話しかけてみる。

つけ睫毛のおば様は大阪から来ていて、あとのお二人は地元の方らしい。
「磐長姫様を目覚めさせるために来たんですよ。」「無事お目覚めになりました。」と仰る。

も、もしやわたし達はスゴイ場面に遭遇していたんですね?

心配になり「あのお、わたし達の磐笛、ご神事のお邪魔になりませんでしたか?」と聞くと「そんなことはありません。お喜びになっていました。」とのお言葉。

それはよかった。

その方も磐笛を持っていて、セドナの笛が凄いと仰り、磐笛の見せっこが始まる。

はっ!
こんなことをしている場合ではない。
リフトの時間が迫っている。

こんな場面にも関わらず、ふんどし息子は「行場コースで帰ろう。」と言い出す。

ええい、毒を喰らわば皿までも、だ!
ヤケクソになったわたしは、行場コースを駆け降りる。
鎖場を抜け、岩を飛び降り、リフト料金を無駄にしないために、走る、走る。

ぐぬう、こいつと旅行するといつもこんなだ。
山を駆けている記憶しかないぞ。

髪を振り乱し、息を切らしながら、ともかく走る。

やっとリフト乗り場に着いたのは4時40分でした。
はー、人間為せば成る。

リフトに乗る前、ふんどし息子が残念そうに「霊験あらたかな水、取りに行きたかったな。」と呟いた。
こ、こいつはぁ・・。

つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社を後に、再び剣山に向かって車を走らせるわたし達。

ふんどし息子が「この道沿いにいくつか行きたい神社があるんだよね。」と言う。
「いくつか」っていうけど、もう一時をとうに過ぎている。

「早めに剣山に行った方がいいんじゃないかな。行くのにどのくらいかかるか分からないし、明日は雨の予報だし。」
昼食のカレーうどんをすすりながら、何回か進言するが却下される。

ふんどし息子は国道沿いにある伊邪那美神社にどうしても行きたいらしい。

「伊邪那美神社」
祭神は、伊邪那美命、武甕槌命(たけみかつちのみこと) 経津主命(ふつぬしのみこと) 猿田彦命。
朝廷より幣帛を受ける全国の神社が記された927年の延喜式神名帳には 2861社3132座ある全国の式内社の中でも伊邪那美神社と名がつく神社は阿波国美馬郡に一社のみ。

古事記神話のうえで国生み神生みの重要な神である伊邪那美神を祀る神社。
平安時代、或いはそれ以前より全国でただ一社だけ阿波国に存在している伊邪那美神の名がつく神社となれば、わたしだって行きたい。

が、氣が付くともう2時近く。
時間がない。

「この辺なんだけどな。あれ?過ぎちゃったみたい。」などとのんびりした声を上げるふんどし息子にイラつき、だんだん目つきが険しくなってくるわたし。
そんな氣配を氣取られまいと声を押し殺しながら「じゃあ、あそこのガソリンスタンドで聞いてみよう。」と車を停める。

ガソリンスタンドのお兄さんは親切に教えてくれようとするが「伊邪那美神社」と言っても分からない様子。
すぐ近くにあるはずなのに?

しばらく考え「あぁ、十二所神社のことですね。」と言い、丁寧に教えてくださった。

ふーむ。どうやら地元の「伊邪那美神社」への認知度は相当低いらしい。

Uターンして集落に入るがが所々道がとても狭くなっている。
ナビなんて役に立たず、ふんどし息子はもっと役に立たない。
同じ所を何度も行ったり来たりしているうちに、ついにわたしのイラつきが頂点に達し、車内の空氣も刺々しくなってきた。

もういい。
ふんどしナビはいらんっ。

こんもりと繁る森の方に行けば神社に当たる、という鉄則に従い、適当に道を曲がると伊邪那美神社の駐車場だった。

記念碑を読むと、「伊邪那美(イザナミ)を祀る全国唯一で格式の最も高かったこの伊邪那美神社が明治維新以後は単なる村社に格下げにされ、1986年(昭和61年)には国が浸水被害を防ぐという名目で本殿などを用地買収し、村民も移動させられ立ち入らせないようにして、神社も新しく移築された」と書いてある。

                 IMG_3070_convert_20141003164417.jpg


ふーむ、意味ありげな感じ・・。
取りあえず、落ち着いた雰囲気の本殿にお参りさせて頂く。
 
                            IMG_3071_convert_20141003164439.jpg

さらに調べると以下の文章があった。
『藩政時代の阿波志によると「延喜式の伊射奈美神社とされる小社が口山村尾山に有り。古鏡、古陶器、勾玉、銀環などが蔵に有る。」とあるので古墳から出た宝物品を納めたと思われる。
尾山には現在十二所神社があり舞中島の伊邪那美神社の奥宮となっている。』

だからガソリンスタンドのお兄さんは「十二所神社」って言ったんだね。
でも「全国でただ一社の伊邪那美神の名がつく神社」なのに、なんだかもったいないなぁ・・。

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・・などと考えている場合ではないっ!
もうすでに2時半を回っている。

肝心の剣山はどうした、剣山はっ。

地図で見るとまだ時間がかかりそう。
もし今日行けなかったら、予定がすべて狂ってしまう。

せかせかと車に向かうわたしにふんどし息子が声をかける。
「神社であんまりイライラしない方がいいよ。まだ行きたいところがあるけど諦めるか。」

…ぬう。こいつが試験前にすっごく時間をかけて勉強する割に、最後にバタバタしている理由が分かった。
優先順位を付けるのが恐ろしく下手なのね。

っていうか、誰がイラつかせてるんじゃあっっ!

こめかみにサロンパスを張りたい衝動に駆られつつ、今度こそ本当に剣山を目指し、猛スピードで車を走らせたのでした。


つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いや、びっくりしました。

昨日ある方の『上一ノ宮大粟神社の口伝として「大宜都比売は国の危急の時に「黄金の狐」を呼び危機を救う・・・」という文章を引用させて頂き「な、なんだかわからないけど、コワいじゃないですかぁっ。その続き、ちゃんと文章にしてください!」なんて書いたら、その数時間後ご本人からコメントを戴きました。

『あはは、ごめんなさいね途中までしか書かなくて(笑)
要は
http://goutara.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html
こうゆう事を書きたかったのですよ。』

あ、ありがとうございますっ。

でも。
自慢じゃないけどわたしのブログは読者がとっても少ない。
コメントだって数えるほど。
なのに何でわたしが書いたこと、分かったんだろう。

口伝や予言よりむしろそっちの方がコワかった・・・。

それはともかく。

今回、車の運転はわたしが全てすることにしました。

何故か。
もちろんわたしの方が運転に慣れているからなんですが、レンタカーの保険をケチったため、もしもの時を考えるとふんどし息子に運転を任せるのはできるだけ避けたい。

という訳で、老体に鞭打ちふんどし息子にナビを任せて旅を続けました。

ふんどし息子が言うには、迂回路の途中、行きたい神社がいくつかあるので、寄りながら剣山に向かいたいとのこと。
しばらく車を走らせると石井町に入る。
ここには諏訪神社の元宮といわれる多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社があります。

「諏訪神社の元宮?、我国最古の神社の一つに数えられる諏訪大社の本宮が徳島にあるわけないじゃん。」と鼻でせせら笑ったあなた。
まあ、だまされたと思って最後まで読んでみてください。

ろくな知識もなく口下手なわたしが説明すると、どんな話もインチキ臭くなるらしい。
ふんどし息子も、わたしが初めてこの話を聴いて「こ、これは一緒に興奮を分かち合いたいっ。」と鼻の穴をふくらませて話した時、うさん臭そうな顔をしてこう言った。
「また何か変な話を仕込んできて。またトンデモ話なんじゃないの?」

むう。
キャラクターのせいか、日頃の行いのせいか、真面目に取り合ってくれない。

単なる町おこしではない貴重な話を、わたしのせいでトンデモ話と勘違いされてもなんなので、お時間のある方は以下の映像を見てください。

オキタ神社講義1
オキタ神社講義2

ここでお話されているオキタリュウイチさんは、そんじょそこらのイケメンのお兄さんじゃありません。
実はすっごいお方。

★オキタリュウイチ
1976年 徳島県生まれ 早稲田大学人間科学科中退。
美しいクリエイティブ手法と数字を追うマーケティング手法を巧みに融合させ、行動経済学に類した独自の行動心理学を用い、様々な企業のブランド化、事業再生に従事。多様なプロジェクトを成功に導く。
また、メディア戦略にも長けており、プロジェクトをメディアで話題にさせ、サーバーダウンする状態にまでさせる事は日常茶飯事。
1999年「キレる17歳」が消える仕組み「ヘブンズパスポート」を開発、15万人を参加させムーブメントを作る。
2006年からスタートさせた老舗米屋のブランディングでは、倒産寸前の状態からインターネットで毎年15億円売り続けるまで成長させる。
2008年、菅直人氏より招聘され、民主党政権交代のブランディングとメディア戦略を担当。翌年、政権交代を実現させる。
2008年より自殺者増加の問題解決のため「生きテク」を開発。生きテクを使って自殺を止めたとの報告が2万件を突破。

ふんどし息子も、オキタさんのお話を直に聴く機会を持ってから、この話を真剣に考えるようになったらしい。

失礼と言えば失礼な話ですが。
母を信じずして誰を信じるというのか!

・・ま、仕方がないですな。
我が身の徳のなさにうなだれるわたし。

それはそうと。

多祁御奈刀弥神社は驚くほど簡素な佇まいだった。

                            IMG_3066_convert_20141002144131.jpg


扁額には「式内郷社 多祁御奈刀弥神社」とあり、「諏訪本宮」の文字が見える。

IMG_3064_convert_20141002144041.jpg

御祭神は、諏訪大社と同じ「建御名方神」。

社伝では「信濃諏訪郡南方刀美神社」は宝亀10年(779年)当社より分祀された」とある。

                              IMG_3065_convert_20141002144203.jpg

多祁御奈刀弥神社の住所は石井町浦庄の諏訪。
また建御名方神の「名方」は、本居宣長「古事記伝」によると、 阿波の名方郡名方郷に由来するとあるそう。
石井町は、古く、名方郡が別れ名東・名西郡になったらしい。

「古事記」に書かれる大国主神の息子の名、建御名方神は、阿波の地名そのものだった。

昔この「多祁御奈刀弥神社」が、「諏訪大明神」と呼ばれていたとの話も妙に説得力を帯びる。

うーむ。
なんだかスゴイ。
この小さな神社から日本の歴史の奥深さが伝わって来る・・ような氣がする。

そして、このワクワク感は阿波の旅の間中ずっと、わたしの中で暴れまくるのでした。

つづく

古事記古古道 体感ツアーに行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

なんとか徳島空港に8時30分に到着したわたし達。
レンタカー会社に向かう。

レンタカーはこのご時世にもかかわらず電話で予約しました。

実はネットで一番安い軽自動車を予約しようとしたら「既に予約済み」になっていた。
以前旅行した際、レンタカー会社の手口をしっかり学習したわたし。
伊勢、京都、出雲に行ってきた!(16)

ふっふっふ。
そうはイカの塩辛。(古っ)
高い車に乗せようとしても、ケチ、もとい賢い消費者のわたしの目をごまかすことはできないんだよ。

先日電話して「4日間も借りるので、安い車がいいんですが。」と丁寧にお願いすると、あっさりと軽自動車を予約させてくれました。
もちろん「あるんならさっさと出せやぁ。」という心の叫びなどおくびにも出しませんとも。

それはともかく。

車に乗り込んだわたし達は、ナビに教えてもらいながら一路剣山に向かいます。
ナビによると2時間半くらいで到着するらしい。

台風が近づいているので明日、明後日は雨になる可能性が高いと天氣予報が言っていた。
まず「絶対ここは行きたい。」という場所は今日の内に行っておかねば。

大分剣山に近づいたし、一休みしようということで神山町の道の駅に車を停める。

待望の剣山までもう一息。
なんといっても旅行者のわたし達にとって時間はお宝のようなもの。
さっさと行きたいところに行ってからのんびりしよう。
あー、楽しみ。

ベンチで朝食のお弁当を広げていると、隣で女の子がチラシを書いている。
どうやら道の駅のスタッフらしい。
さっきナビで「上一ノ宮大粟神社」がこの近くにあると知ったので聞いてみた。

「上一ノ宮大粟神社にはどこから入ったらいいですか?」
「このすぐ上ですから歩いても行けますし、そこを入ると車でも行けますよ。」

おお、なんだか可愛くて感じのいいお姉ちゃんじゃないか。
こんな子がうちの嫁になってくれればいいんだが。

そんな邪念はもちろんおくびにも出さず会話をする。
「わたし達、これから剣山に行くんですよ。」
何氣なく言うと「あっ、剣山はこの道を行くと通行止めですよ。」と教えてくれた。

げげっ、ちょっとお。
ここまで来て?

地図で確認してもらうと、台風の影響でがけ崩れをしたため2か所通行止めになっていて、かなり戻って迂回しなければならないらしい。

ぐぬう、貴重な時間が・・。
が、ここでこのお姉さんに話しかけなければ、時間のロスは相当なものになっていたはず。
これは上一ノ宮大粟神社の神様が、参拝していくように招いて下さったに違いないっ。

「上一ノ宮大粟神社の神様、ありがとうございます。」とスピ系のおばさん特有の思考回路を発動させ、よく言えば前向き、普通に言えば自分中心主義の塊になって、お礼を申し上げる。

妄想上の嫁候補のお姉さんとお別れし「上一ノ宮大粟神社」に行く。

「上一ノ宮大粟神社」
通称は、大阿波さん。
御祭神・大宜都比売命が伊勢国丹生の郷より神馬に乗り八柱の供神を率いて阿波国に移られ国土を経営し、粟を蒔き、当地一帯にひろめられたという。
『中世諸国一宮制の基礎的研究』で阿波國一宮の候補として挙げられている。

早朝ということもあり、大粟神社は神秘的な静けさの中にあり、古代からの鼓動が直接伝わってくるような雰囲気。
鬱蒼とした木々に囲まれた社域は、まさに神域そのものだった。
木洩れ日までが、神々しい。

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調べてみると、「当社の宮司であった小笠原氏は姓を一宮と改めたとも言われているため、一宮家の私的な神社なのではないか」という説や、「最初はこの大粟神社が阿波の一宮として祀られていたが、その後徳島市一宮町に分祀されて下一宮とし、それが現在の「一宮神社」となっていった」という説もある。

が、ここに立っていると、そんなことはどうでもよくなってしまうほどのご神氣に溢れている。

右手にある結びの大御神社(おおみやしろ)に行ってみると、真名井宮へといたる参道が山道に続いていた。
かつて泉が沸いていた場所らしい。

ふんどし息子と磐笛を奏上する。
驚くほど笛の音が鳴る。

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大御神社の手前に石が置いてあり、水が湧き出ている。
磐笛を洗わせて頂くと、突然泡がボコボコと激しく出てきた。

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何か神様に語りかけて頂いたような心持ちになり、嬉しくなる。

・・思い込みの強さもここまで来ると天晴れですな。
善き哉。

こうしてわたし達は上一ノ宮大粟神社を後に、再び剣山を目指したのでした。

それはそうと。

先程調べていたらこんな文章を見つけました。

『上一ノ宮大粟神社の口伝として「大宜都比売は国の危急の時に「黄金の狐」を呼び危機を救う。」とあるそうです。
それと、知ってますか?弘法大師空海の予言。
「鉄の橋渡りて本土と阿波連なる時、本土を化かした狐たち今この時と逃げ戻る」
これが頭をよぎりました。
空海は狐を追い払ったんじゃない、四国が危機に陥った時の為に「狐」を四国の外にあえて送り出したんです。だから四国には狸ばっかり残ってるんですね。
もちろん比喩ですよ。
知ってる人は知ってるでしょう大宜都比売は豊宇気毘売神であり、稲荷神(倉稲魂尊)(うがのみたま)であることを。
だから大宜都比売が狐を・・・』

な、なんだかわからないけど、コワいじゃないですかぁっ。

その続き、ちゃんと文章にしてください!
予言なんて言えばノストラダムスしか知らない一般庶民のために。

とにかく大宜都比売といえば食を司る神様。
現代の、調べれば調べるほどオソロシイ「食」や「種」の問題を何とか解決して頂きたいと心から願うわたしなのでした。

つづく
プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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