赤城龍神祭に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

赤城山の小沼に着いた途端腹痛にみまわれ、集合時間の直前まで何度もトイレに通い詰めたわたし。
それなのに赤城龍神祭は山の中で行われるという。

どうする?どうするんだ、オレ!!(古い)

こ、これはいざとなったら紙を握りしめ、人氣のない場所を探すしかないのか?
いや、しかしあんた、子どもならともかく、いい年したおばさんが。
しかも龍神祭をやる聖なる山で、それは・・。
ダメ、絶対!!

エベレストの登頂直前で下山するパーティの氣持ちが分かる・・氣がする。

そんなことを思っている間に、赤城龍神祭に参加する方達は登山道に向かって歩き出しました。
迷いつつもそっとティッシュを握りしめ、覚悟を決めてわたしも歩き出すと。

あーら、不思議。
さっきまでの腹痛が嘘のように鎮まりました。

なんでだ?
出尽くしたのか?このタイミングで。

いや、覚悟とはスゴイもの。
身体って、こんなにもココロに反応するんですね。

それはともかく。

散策路を10分ほど行くと、黒川さんが「この辺かな。」と呟き、道なき道を熊笹をかき分け歩き出した。
どんどん進んでいくが、どうやら途中でわからなくなってしまった様子。
残りの4人は熊笹に摑まりながらへっぴり腰で、ただひたすらカルガモの雛のようについていくのみ。

「♪雪の進軍 氷を踏んで どれが河やら 道さえ知れず♪」という映画『八甲田山』の有名な歌が頭の中に去来する。
黒川さんが皆に「ここで待っていてください。」と言い残し、湖畔に下って行った。
どうやら小沼湖畔で、大本の信者の方々も赤城龍神祭をやっていて、祝詞をあげている声が聞えたらしい。

カルガモの雛が母ガモを待つように、熊笹の中でしゃがみこみ、おとなしく待つ大人4人。
しばらくすると母ガモ、もとい黒川さんが急な山道を息を切らせながら登ってきた。
大本の方に場所を教えて頂いたとのことで、その後無事赤城龍神の祠に到着。

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盛り土がしてあり、簡素な祠は清々しい氣に溢れている。
皆で祝詞を奏上し、赤城龍神祭を終えることができた。

今回黒川さんに案内して頂き来ることができたが、ここは個人で来るのはとても難しい場所に思える。
以前ここに来ようとして行方知れずになった方がいるらしい。
いくら探しても、遺品一つ見つからなかったんだとか。
何の目印もない山中の傾斜地にあり、目印をつけようにも自然環境が厳しく、小沼の周辺は地形が一変するので難しいとのこと。

来させて頂き、ありがとうございます。
ご縁に感謝いたします。

さっきティッシュを握りしめたことなどなかったかのように、晴れ晴れとお礼を申し上げる。

榛名山、赤城山に妙義山を加えて、上毛三山(じょうもうさんざん)と呼ばれ、これら三つの山は霊的に言っても一つととらえるものだそうで、この上毛三山に棲み給うのが大龍神の赤城龍神であるらしい。
そして赤城龍神は関東を守護する御役であるそうな。

『日月神示には具体的には出て来ませんが、赤城山もじつは岡本天明さんと縁があり、大本の時代から縁が深いところなのです。
大本では「赤城小沼龍神」と言い、二代すみ教祖がそれを「龍宮の乙姫」としてお祭りされています。

実際の赤城龍神は、赤城小沼が御神体になります。 地理風水では“天池”といいます。 』

ここから眺める景色は昔とはかなり違っているのだろう。
戦前はここから御神体の赤城小沼が一面に見渡せたのではないだろうか。

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こんな時代であればこそ、赤城龍神に頑張って頂き、関東を守護して頂かねば。
そしてせっかくご縁を戴いたわたし自身も、何かできることをしなければ。

わたしがここに来させて頂いたのも偶然ではないだろう。。

「上の、より高いところから来るから奇蹟と見え、偶然と見えるのぢゃ。
神からの現われであるから、その手順がわからんから偶然と見えるのぢゃぞ。
偶然の真理、悟れと申してあろう。これがわかれば大安心、立命」(『春の巻』第15帖)

頑張りますっ。

つづく
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赤城龍神祭に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先週末はひょんなことから赤城龍神祭に参加してきました。

きっかけは牧丘に住む女性たちがマキオカで無尽(月1回程度、特定の メンバーで集まって食事や飲み会をすること。山梨の独特のシステムらしい)をすることに決まったこと。

わたしはマキオカをやりだしてから20年以上経っているが、熊男と親戚というだけでなんとなくお付き合いさせて頂き、忙しさにかまけてきちんと地元の方々と向き合ってこなかったように思う。
これじゃいかん、と思っていた矢先、先週の水曜日熊男の妻(わたしの異母姉妹)から連絡が入り、土曜日の夜マキオカで急遽無尽をやる運びとなった。

そういえばFBで、『岡本天明伝』著者の黒川柚月さんが、25日にやる赤城龍神祭の参加者を募集していたな。
去年、赤城龍神祭のお話を聞いた時「行ってみたい」と思ったんだっけ。

赤城山といえば群馬。
群馬といえば埼玉の隣。
埼玉といえばマキオカから雁坂トンネルを通ればそんなに遠くない。(アホか、の声あり)
「よし、行ってみよう。」ということで赤城龍神祭に参加させて頂くことにしたのでした。

土曜日マキオカに到着してナビで赤城山を検索してみると、推奨ルートは東京にいったん戻り、関越に乗っていくルートが出てきた。
それでも3時間半以上かかる。

わたしが行こうと思っていたのは雁坂トンネルを通って行く最短距離のコース。
それで検索すると・・4時間半?!

・・・え?ウソでしょ?
話が違うっていうか、勝手に思い込んでたっていうか。
これだから物知らずの方向オンチのおばさんってヤツは。

・・ま、いいですよ。
行きますよ。
早起きはキライじゃないもんね。
っていうか年を取ると早起きになるんだもんね。

そうこうしているうちに無尽が夜7時半から始まりました。
50代から70代の8人の女性の方々が各々料理やお酒を持ち寄って、飲むわ話すわ笑うわ。
蕪の漬物や蕗の煮物を勧め合ったり、日本酒やビール、ワインをつぎ合ったりし合う。
わたしはダッジオーブンでお肉やウィンナーやチーズを燻製にして振る舞い、喜んで頂きました。

驚いたのは、新年会などの行事で男性方と一緒の時と全く雰囲氣が違うこと。
声は大きくなり話す内容も、突っ込みあり笑い話あり打ち明け話あり。

いいなあ、こういう老後。
近所に、お互いの環境や生い立ちなど何でも分かっていて、相談できる仲間がいる人達がいるのは本当に心強い。
それはいいことばかりではないだろうけれど、いざという時、手を差し伸べてくれる。

よそよそしい家族やヘルパーに囲まれて暮らすよりよっぽどいい。
こういう関係を築くには何十年もかかるんだろうな。

結局11時頃まで女性たちの楽しい宴は続きました。

翌朝3時前に目が覚めてしまったわたし。
なんぼなんでも早過ぎだろう、と寝ようとするが、昨夜の片付けが氣になり、さらに赤城山の待ち合わせに遅れたらと思うともう寝られない。

時間がもったいないので(年寄りの特性)起きることにし、4時前に出発。
ナビちゃんの言いなりに運転し、何とか赤城山の小沼駐車場に7時半に着きました。
まだ早いので周辺の見学をしようと大沼のビジターセンターまで足を延ばし、駐車場で一休み。

(以下、お食事中の方、潔癖症の方、ご注意ください)

意外に早く着いてよかった。
さあ、仮眠でもするか、と横になった途端。
あれ?お腹の調子が・・。
トイレに駆け込むわたし。
暫くしてまたお腹が痛くなる。
再びトイレに駆け込む。

うぅ・・つらいよう。
悪いものなんか何にも食べてないよね。
昨夜もしっかり火の入ったものしか食べていないし、今朝だって何も食べていない。
それが何で急に?

あー、トイレが近くにあってホントに助かった。
未だかつてこんなにトイレに通ったことがないくらいトイレに通いました。
もうあそこのトイレの壁のシミもしっかり覚えてしまったくらい。

よりによってなんで今なんだ?
待ち合わせは赤城山小沼に10時半。
ぎりぎりまでトイレに通うわたし。

だ、大丈夫。
赤城龍神祭ってどんなことをやるか知らないけど、どこでやるにしてもトイレくらいはあるはず。

10時半に参加者が全員揃いました。
黒川さんと、Hさん親娘、以前マキオカにもいらしてくれたMちゃんとわたしの5名です。

いったいどこに行ってお祭りするのかと思ったら。
どうやら登山道を歩いていき、さらに道なき道を笹をかき分けていった先の山中でお参りするらしい。

わたしの額にうっすらと冷や汗が浮かんだのは言うまでもありません。

つづく


松葉酒を作ってみた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

我がふんどし息子は松の効用を信じている。
で、時々ホントに松葉を口に入れたりしている。
大丈夫か?息子よ。

その息子が去年「松葉でお酒が作れるらしい」と言い出した。
松で酒が?
何やら面白そう。

マキオカには松が自生しているし、車もほとんど来ないから排氣ガスも心配いらない。
「これは試してみなければっ。」と作ってみたところ、これが意外に美味しかった。
しかも超簡単でほとんどタダ。

すっかり氣を良くして、今年は本氣で作ることにしました。

松葉酒
『中国や日本では古くから生の葉の煎じた汁、乾燥松葉の粉を飲んだりする民間療法が行われてきました。
松葉をとる血液の浄化をうながしうっ血を改善する働きが(駆瘀血作用)あると云われています。
こうした効果はあの細い葉に含まれているビタミンCや葉緑素、食物繊維、松特有の青臭さの元テルぺン類などの成分が相乗的に作用し効果をもたらすと考えられているようです。

<松葉酒の薬効>
 動脈硬化・高血圧・低血圧・脳出血・脳梗塞・血管性のボケ・心臓病・糖尿病・胃痛・神経痛・
 筋肉痛・せんそく・冷え症・便秘・かぜ・不眠症などの病気に効果があるようです』

古来には仙人は松の葉を食べて不老長寿を得ていたと伝えられ、松の持つ霊気のようなものが尊重されてきた時代もあったという。
息子よ、お前は仙人になりたいのか?

ちょうど先週マキオカに行くことになったので、時間を見つけて松葉を採りました。
何回も水洗いをしましたが、なかなか細かいゴミや古い松葉を取り除くのは大変。

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「ま、いっか。どうせ飲むのは自分たちだけだし。最後はさらしで漉すんだし。」ということで、いつものいい加減さから適当な所で終了。
ただ水にはこだわりたい。
この松の生えている場所の水で作るのが一番だろうと思うので、マキオカの井戸水を持って帰りました。

■レシピ
 ・松葉・・・適当
 ・三温糖・・・残り物。たぶん一瓶300gくらい。
 ・水(マキオカの井戸水)・・・1L~1.5L
 
■作り方
  1.松葉をよく水洗いする。
  2.透明な広口瓶に水と砂糖(三温糖など)を加え混ぜ合わせる。
  3.松葉を適当につっこむ。(1cm~1.5cm程度の大きさに刻む人もいるが面倒なので省略)
  4.布か新聞紙で蓋をして、日当たりの良い場所に置く。
   夏なら5日程度、冬なら10日程で泡が盛んに出て、発酵が始まる。
  5.泡が出るのが一段落したら、冷暗所か冷蔵庫に数日間保管して熟成させる。
  6.布またはガーゼでこせば、松葉酒の出来上がりです。
   ※材料が多くても瓶の8分目を超えないようにする。
    瓶の口までいっぱいにすると、発酵の際吹きこぼれてしまいます。

え?いい加減過ぎるって?
大丈夫。去年だってちゃんとできたもん。
こういうのは適当でいいんですっ。
ケーキ作りと訳が違うんだから。

あ、そうそう。
「酒」と言ってるけど、松葉酒は、ホワイトリカーなどで漬け込む果実酒と違います。

松葉は、糖(でんぷん)を含んでいて発酵を促す菌が付着しています。
だれでも水と砂糖だけで簡単に作れる発酵飲料です。

酸味のある薬のような不思議なお味。
体調の悪い時に飲むと美味しく感じるんだそうな。

■飲み方    
 1.1日3回、5ml(コップ4分の1程度)飲みます。
 2.アルコールに弱い人は、少量ずつ水か、お湯で薄めて飲む
 3.炭酸水やサイダーで割って飲んでも良い。

早い人で1~2週間ほどで体内の血行がよくなり、高血圧が下がるそうです。
また、冷えがとれてくるようです。

「そうです」というのは、わたしは去年は一瓶しか作らなかったこともあり、継続して飲むことができなかったから、松葉酒の効用を実感できるまでになりませんでした。
降圧剤代わりの玉ねぎスライスも食べてるし。

ふっふっふ。
今年は三瓶も作ったもんね。
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だからしばらくしたらちゃんとした感想もお伝えできると思います。
乞うご期待。

鎌倉か山梨で、玉ねぎと松葉の匂いを振りまくおばさんがいたら、それはわたしです。

つづく

有鹿(あるか)神社に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

奥宮のある勝坂遺跡に向かったわたし達。
奥宮は本宮から北に6キロメートル程離れている相模原市の磯辺にあるとのことで、またしてもナビちゃんのお世話になる。
ナビちゃん、ありがとね。

そういえばわたし、遺跡っていったことがない氣がする。
いや、小学校の時、登呂遺跡にいったのか・・?
でもほとんど記憶にない。
ちょっとワクワクしながら車を走らせる。

暫くすると、整備されていない駐車場発見。
何台か車が停まっている。
木道を歩いていくと、薄暗い山道に出たので、ゆっくり歩いていくと突然目の前が開けた。

うわ、広い。
想像以上に広くて氣持ちがいい。
背の低い草の間に道が作られているので、そこをぶらぶら歩いていく。

勝坂遺跡
『勝坂遺跡は日本における縄文時代中期(約5000年前頃)を代表する大集落跡で、中部地方・関東地方の「標識遺跡」になっている。
 遺跡からは多くの土器や打製石斧が発掘され、縄文時代にすでに農耕が開始されていた可能性も考えられている。
装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器には「勝坂式土器」と名づけられ、関東の多くの遺跡にて同様の土器も発見されている。』

勝坂遺跡は大正15年に発掘・調査が行われ、縄文時代の生活跡が広範囲で見つかったらしい。
平成21年度に「大自然の中の縄文時代」を体感できる遺跡公園として整備されたとのこと。

暫く歩くと、土葺きと笹葺きの竪穴住居2棟が復元されている広場に出た。

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おおー、これは入ってみなければ。
幸い辺りに人影はない。
「あのおばさん、いい年してすっごく嬉しそう。」なんて陰口をきかれる心配もないので、竪穴住居の枝で作った階段を嬉々として下りていく。

竪穴住居の中は、薄暗く、ひんやりと涼しい。
真ん中に炉が切ってあり、焚火の匂いがする。
うおー、なんか居心地がいいじゃないですかぁ。

確かに謳い文句の通りに縄文時代を体感できる。
なんでもここは日本における縄文時代中期(約5000年前頃)を代表する大集落跡だったらしい。
遠い昔、ここで生きていた人たちがいたかと思うと不思議な氣がする。

・・・はっ、いかんいかん。
そういえばわたし達は有賀神社の奥宮にお参りに来たんだった。
すっかり忘れていた。

『勝坂には、「有鹿谷」という樹木の茂る谷がある。その奥には、「有鹿泉」があり、こんこんと清水が湧き出している。 これが、有鹿信仰の源である。この水が鳩川に流れ落ち、海老名耕地をうるおす用水となっている。そのかたわらには、石の鳥居があり、 その正面に古い石祠(明治十九年建立)と新しい石祠(昭和四十年建立)が建てられている。これが「奥宮」である。』

遺跡公園の地図があったので有賀神社の奥宮の場所をチェックする。
道があったので下りてみると「有鹿谷」という名にふさわしい樹木に覆われた鳥居があった。
祀られている有鹿比女命(ありかひめのみこと)は、水の女神といわれているだけあって、辺りは湿地になっている。
また、この奥宮の近く には、四世紀頃の祭祀遺構もあるらしい。

お参りをし、磐笛を奏上。

かなり足元の悪い中、木道に沿って歩いていくと趣のある谷戸があった。
ふと前を見ると、道がない。
あれ?いったいどこで間違えたんだ?

十数メートル先で地元の方が農作業に来ているらしく、数人の老若男女がこちらに不審げな眼差しを送ってくる。
いや、、あの、その・・、決して怪しいものではないんですよ。
心の中で言い訳をしながら道なき道を通ってやっと駐車場に辿り着きました。

帰りに藤沢の「へっころ谷」で二日酔いでヘロヘロの体を労わるためのほうとうを食べながら、長かった今日を振り返ったのでした。
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あー、面白かった!

つづく

有鹿(あるか)神社に行ってきた(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先週末は、久しぶりにふんどし息子と休みらしい休みが取れました。

土曜日は、中目黒でワイン1480円で飲み放題という我が家にとっては嬉しいイタリアンのお店を見つけてしまい、あまり記憶が定かではないくらい飲んでしまいました。

あー、いい歳して浅ましい。

だから「飲み放題」ってイヤ。
人のイヤシサが思いっきり出てしまう。(お前が言うな、の声あり)

あんなに飲んだら、お店の儲けがなくなってしまう・・。
ア・ラ・カルトをたらふく食べたから、お店の方、許してね。

二日酔い状態で日曜日を迎えたわたし達。
でも以前から行ってみたい神社があったので、早起きをして車に乗り込みました。

目的地は海老名市の有鹿神社(あるかじんじゃ)。
ここは以前FBで相模国最古級の神社だと知り、機会があったら行ってみたいと思っていました。
ナビに住所を設定し、7時に出発。

ホント、ナビって便利ですな。
でも我が家のナビはとってもマニアックな道を通る。
な、何故こんな細い裏道を?メイン通りの方がスピードも出せて早いのでは?と首を傾げることもしばしば。

ま、せっかく教えてくれているのに逆らうのもなんだし、従ってますよ。
方向オンチのわたしは従わざるを得ないというか・・。
ええ、従いますとも。

ナビちゃん、いつも知らないところに連れて行ってくれてありがとう。

それはともかく。

有鹿神社
『有鹿神社(あるかじんじゃ)は神奈川県県央に流れる鳩川(有鹿河)沿いに形成された地域(有鹿郷)に鎮座する神社であり、本宮は神奈川県のヘソ(中央)、海老名市上郷に鎮座し、有鹿比古命を祀る。
本宮、奥宮、中宮の三社からなり、「お有鹿様」とも呼ばれる。
中世までは広大な境内と神領を誇っていた神社で、当時としては、まだ貴重な『正一位』を朝廷より賜っている。

奥宮のある地域周辺は、国の史跡に指定されている勝坂遺跡であり、縄文時代中期より祭祀が行われていた有鹿祭祀遺跡からは、銅鏡、鉄鏡、勾玉などが出土している。
また、本宮の方も神社すぐ裏手で弥生時代の甕、土器類、祭器類が大量に出土しており、同じく祭祀が行われていたものと思われる。』

なんてったって「縄文の頃より有鹿の泉は水神信仰され、弥生の頃、農耕の発展と共に有鹿大明神と称え、有鹿神社を創建した」って言われているんだからスゴイ。

日本で一番由緒ある伊勢神宮でも、その起源は約2000年。
有鹿神社は約5000年というからその凄さが分かるというもの。

だから本宮と中宮で祀られている祭神の有鹿比古命(ありかひこのみこと)も、古事記・日本書紀にはその名がみえない神様。
(日本書紀は西暦720年完成。有鹿神社は天智天皇3年(664年)5月に、国家的な祭礼を行った記録があるくらい古い)
なんでも太陽の男神だそうです。

鎌倉時代には、神社界の最高位である正一位を朝廷より賜ったというのも納得。
海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として崇められてきたらしい。

か、かっこいい・・。

ナビに案内してもらった有鹿神社は、住宅街の中に意外なほどひっそりと佇む。
ごく普通の神社のように庶民的な感じ。

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参拝を済ませ、磐笛を奏上させて頂く。

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せっかくここまで来たのだから、中宮にも行ってみたい。

中宮は「有鹿の池(影向の池)」とも呼ばれ、本宮から約600メートル(徒歩5分程)の位置に鎮座しており、有鹿比古命・有鹿比女命の2柱を祀っているらしい。
境内にいらっしゃった大工さんや農作業をしていた方に、中宮の行き方を聞いてみてもわからないとのこと。

うろうろしていると、境内の外側に近隣の地図発見。
散歩がてら、歩いてみることにする。

この辺りは、裕福な農家が多いことが分かる。
どの家も土地が広く、庭の手入れも行き届いている。
これも有鹿比古命のご威光か?

まず有鹿神社の摂社の「三王三柱神社」が現れた。
狭い境内には、ひっそりと鳥居と祠があり、有鹿の井戸(化粧井戸)がある。

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手を合わせた後、中宮に向かう。
少し進むと、有鹿之池と書かれたお宮がありました。

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鎮座地には太鼓橋がかかっている小さい池(現在は水が張られていない。池??)と小祠、鳥居がある。
この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝承がある。

有鹿比女命(ありかひめのみこと)
水の女神といわれている。主な神徳は安産、育児などで奥宮と中宮で祀られている

この地に伝わる有鹿比女の悲恋伝説があります。

(以下、海老名市のHPより)
 今から約五百年前、愛川の小沢というところに金子掃部助(かねこかもんのすけ)という武将がいました。
金子掃部助は、関東管領山ノ内上杉家の家来、長尾景春が起こした戦に加わりましたが、武運つたなく破れ、小沢城を捨てて敗走しました。
 この掃部助と奥方の間には、美しい姫君がいました。
姫は早くから有鹿の地、すなわち海老名の河原口に住んでいた郷士の青年と婚約中で河原口にある海老名館に来ていましたが、「小沢城危うし!」といううわさに、急いで小沢に戻りました。
 しかし、時すでに遅く父は戦死、母は行方知れずと聞き、すっかり生きる望みを失いました。
覚悟を決めた姫は、見苦しい姿を人目にさらしたくないと、薄化粧をして、まだ燃えている小沢城を後に天に向かって手を合わせると、ざぶん!と相模川に身を投げたのでした。
 するとどうでしょう。美しかった姫の体は、たちまち恐ろしい大蛇に変わり、大きくうねりながら下流に向かって泳ぎ出しました。
途中、六倉という所で大きく身震いすると、相模川の水が舞い上がり、中津の原に大きな水たまりができました。
 さらに水しぶきを上げながら進み、河原口に近ずくと、姫は再び人間の姿に戻り、息絶えて有鹿神社の裏の河原に打ち上げられました。
 神社の氏子らは、海老名の地に嫁ぐ日を夢みていた姫の死を悲しみ、せめてもにと「有鹿姫」の名を贈り、神社の片隅に、その亡きがらを葬りました。
現在、有鹿神社と有鹿小学校の間には、若くして散った有鹿姫をしのぶ碑が建てられています。

哀れなり、有鹿姫・・。
お姫様も大変ね。

座間市の鈴鹿明神社には下記のような由緒書があるようです。

『創建年代は不明だが、鈴鹿神と有鹿神が争った説話縁起で知られるとある。
この神社の縁起によると、欽明天皇の御代(539~571)のこと、伊勢国鈴鹿から座間に移られた鈴鹿神は多くの財宝を持ち、豊かな暮らしを送っていた。
当時、相模国勝坂にいた有鹿神はそれを聞いて、横取りしようとしてやってきた。
これがもとで争いとなり、急を聞いて駆け付けた諏訪明神と弁財天の応援で鈴鹿神が勝ち、有鹿神を海老名の上郷へ追い払った。
このため、有鹿神は勝坂へ帰ることができず、やむなく上郷に住み着くことになったと言う。』

この縁起も何かいわくありげ。
部族同士の争いがあったことを窺わせる。

盛者必衰、栄枯盛衰。
永い永い歴史の中で、この地にもたくさんのドラマがあったに違いない。

神社のすぐ前にある小学校でバスケの試合があるらしく、有為転変があったのも知らず、子どもたちが笑いながら歩いている。

学校から響く歓声を背に、わたし達は奥宮のある勝坂遺跡に向かったのでした。


つづく

5月のマキオカ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

連休も終わりやっと日常が戻ってきましたが、皆さんいかがお過ごしですか?
お蔭様でマキオカはたくさんのお客様の笑い声と歓声に包まれました。

5月のこの時期、マキオカはワラビの収穫が始まり、リンゴの花が可憐に咲き始めます。

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もちろん動物達も活動を活発にします。
今年は鹿の被害がここマキオカでも出ているようで、大雪の影響か、いつもは食べないホウレンソウやタラの芽も食害にあっているようです。
丹精込めて育てた野菜が、収穫間際に出荷できなくなる農家の方の悔しさはいかばかりかと思います。

さらに蜂の姿も見かけるようになりました。
特にスズメバチには注意が必要なので、今年は早めに『ハチ激取れ』を設置しました。

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「庭木に吊るすだけ! 春先に飛び始める女王バチを捕獲すれば巣づくりも予防」が謳い文句の『ハチ激取れ』、スゴイ威力を発揮します。
名付けて女王バチ捕獲大作戦!
マキオカのまわりに巣なんて作られたらたまらないですからね。

うちの大事なお客様を恐怖に陥れる蜂どもめ。
やらせはせんっ。

それはそうと。

連休中はお客様以外にも、熊男の長男の熊四郎家族がお友達の家族と一緒にバーベキューをやりに来ました。

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いつも忙しくしている熊四郎夫婦が、たまのお休みに子ども達やお友達とのんびり楽しんでいる姿を見るのは珍しい。
熊四郎の子ども達の歓声を聞きながら、人生の大切な一ページが作られているのを感じる。
マキオカが思い出を作るお手伝いをしているのだとしたら嬉しい。

わたしは人の想いは目には見えなくても存在すると信じている。
それは微かではあるけれど重さや質量も伴い、空氣に溶け込んでいることが肌で感じられる。

お客様の楽しさや嬉しさが、ここマキオカの地にどんどん降り積もる。
それは来た人たちが何故か笑顔になってしまうほどに。

その想いは土に溶け込み水に染み込み、いつか鮮やかな緑となって、さらに地上へと還元していく。

幸せな気持ちは伝わる。

ここに来てよかった。
この日本に生まれてよかった。
地球の一員でよかった。

わたしがそう思っているように、ここに来て下さった皆さんが同じような氣持ちになってくれたらこんな嬉しいことはない。


つづく






プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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