マキオカに専念します

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日、今年初めてマキオカに行ってきました。

大雪の後ということもあり、「どんな状態になっているのか。」と心配で仕方がありませんでしたが。
実際行ってみると、センターハウスの裏にはまだ大きな雪の塊がありましたが、それ以外は特に被害もなくホッと胸を撫で下ろしました。

井戸水も無事出ることを確認しましたが、給湯器からお湯が出ない。
うぅ・・また修理を頼まねば。

去年センターハウスのトイレが水漏れしたので、工事会社に見積もりをしてもらった際、試しに値切ってみたら中々返事を貰えなかった。
「この辺じゃ値切るなんてこと、あんまりしないのかも。」と焦っていたら(鎌倉でも皆さんあまり値切りませんが)、かなりたってからやっと連絡が来た。

いちおう値引きはしてございますが
大変厳しいですが、税込11万円で承知いたしました。
(原文ママ)

ひゃっはー!やったね!!

工事は暖かくなる4月頃にお願いしていたのですが、今年に入って「あれ?消費税がアップするってことは値引きはどうなっちゃうの?」と不安になり「3月中に工事をして頂いた方がよろしいのでしょうか。」と連絡したら。

大変に申し訳ありませんが、弊社の都合で3月中の工事日を確保できませんので
工事は4月以降でも消費税5%で請求させていただきます。
(通常は3月中に機器を仕入れておいても4月1日以降工事完了のものは8%になります。)
(原文ママ)

ふんごーっ!
結局値引きはなしで、消費税3パーセント引いてくれるだけってことになってしまったじゃないですかぁ!!

ちっ、しくじったぜ。
まさかこんな落とし穴が待っていようとは。

でも冷静なわたしはこれからのお付き合いのことも考えて、工事会社の担当ににっこり微笑んで
「分かりました。こちらこそ勝手なお願いして申し訳ありませんでした。」なんてへりくだっちゃいましたよ。

ホントは「話が違うじゃないかあ!こっちにも予定ってもんがあるんだからねっ。」と恨みがましい目付きで愚痴の一つくらいはこぼしたかったんだけど。

そんな素振りはおくびにも出しませんよ。
ええ、出しませんとも。
大人ですから。
・・・くすん。

それはともかく。

わたしは今年から30年続けた学習塾を撤収し、本格的にマキオカネイチャークラブに専念することにしました。
娘が嫁ぎ、息子が就職した今がいいチャンス。

だから本腰を入れて整備をして、今まで以上に皆さんに喜んで頂ける施設にするつもり。
(いや、今までだって本氣でやってましたが)

チェックしてみると、サイトにあるトレーラーの前のベランダが相当傷んでいる。
これは主人が生前わたしと徹夜して作ったもの。もう15年以上経っているから無理もない。
さらにセンターハウスのベランダの手すりも修理が必要だったり、カマドもぐらついていたりと、いろいろな不備を発見。

こ、これはわたし一人で対応できるレベルではない・・。

そうだっ、以前知り合ってセンターハウスの薪ストーブをとてもかっこよく丁寧に仕上げてくれた山梨のFさんがいる。
何とかまたその方にお願いできないだろうか。

帰宅してFさんに連絡をしてみた。
時間を見つけて見に来てくれると言って下さった。
ありがたい!
そしてもしFさんに新生マキオカのお手伝いをして頂けたらとっても嬉しい。

母にそんな話をしていたらティピィも作り直して常設にするべきだとの意見を戴く。
来年あたりできればいいと思っていたんだけど。

でも「あと何年マキオカを続けられるのか」と考えると、今やるべきことをすべてやってしまったほうがいいのかも、と思い直した。
ここはひと踏ん張り頑張ってみるか!と決意する。

それにしても84歳の慧眼恐るべし。
娘の老後のことまで考えてくれるとは。
ありがたいことです。

それはそうと。

先日アニメ「ガラスの仮面」の話をふんどし息子としていた時のこと。
(なにゆえ56歳の母と24歳の息子がそんな話をしていたか、というのはともかくとして)

わたしが「月影千草って老後のこと、ぜんっぜん考えていないよね。
劇団を立ち上げて失敗してすっからかんになってアパートなんかに住んじゃってさぁ。
もちろん源造さんにお給料も出せるわけないし、それどころか源造さん、わからないようにこっそり貢いでくれてるんじゃないの?」と言ったら。

ふんどし息子のヤツ、すかさず言いました。
「あのさぁ、月影千草もお母さんにだけは言われたくないと思うよ。
後先のことを考えずマキオカに投資してさ。
お母さんだって老後のお金、みんなマキオカにつぎ込んでるんだろ?
まあお母さんはオレがいるからいいけどさぁ。」

お、恐ろしい子!
そんな触れられたくないわたしの秘密を平気で口にするなんて!!

よく北島マヤや姫川亜弓がショックを受けると白目を剥くけど、わたしもその言葉を聞き、白目の国の人になったのでした。

つづく
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断食をやってみた (おまけ)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

母の作ったきんぴらと揚げたての鳥の唐揚げの誘惑に打ち勝つことができず、40時間で断食を終了したわたし。
帰宅してFBをチェックしていたら「断食」について書いてあるウォールを発見。

なになに?

「今日は久しぶりに、一日断食をしている。すまし断食なのでこれから3日かけて戻します。」

三日?
コメント欄を読んでみる。

「断食後の戻しを丁寧にしないと、腸粘膜が傷ついてもっと病気になりやすくなるんですよ。 断食は本当に難しいです。」

げっ、も、戻しって何?

「普通に食事を摂っている状態の腸粘膜を、例えばコピー用紙としますね。それが断食直後の粘膜は、トイレットペーパーと同じぐらい、薄くてもろくなるんです。 
そこにいきなり普通食で負荷を掛けたら・・・びりびりになりますよね。つまり腸粘膜が細かい傷だらけになります。 その人の腸の質にもよりますが、病が悪化したりします。」

びりびり・・。

「腸内を簡単にお掃除するという意味合いと、食べ過ぎたりストレスなどで疲れた粘膜を休ませるという意味での断食です。
でも正確に戻さないと、取り返しの付かないことになるというお話でした。」

と、取り返しがつかなくなる?

「断食で胃腸を休めたら、戻しだけ丁寧にやってみてください。」

・・そうだったんだ。
消化にいいものから食べ始めようと思っていたけど、ついきんぴらと鳥の唐揚げの誘惑に負けて食べてしまったわたし。
あれ、どちらも明らかに消化、良くないよね?
そんでもってその後お酒まで飲んでしまった・・。

恐る恐るコメントを入れさせて頂いた。

「ちょうど昨日初めての断食をした所でした。「戻し」って初めて知りました。ありがとうございます。
うぅ・・すぐにキンピラと鳥の唐揚げを食べてしまった・・。」

そしたら優しいその方はすぐにコメ返しをして下さいました。

「あら;;きんぴらと唐揚げではちょっと怖いですね。 次回はお粥と梅干で戻してみてくださいね^^」

・・やっぱ、コワいのね。

そ、そうですよね。
よりによってきんぴらと唐揚げだもんね。

「生兵法は怪我のもと」とはまさにこのこと。
わたしのブログを読んで「そんじゃわたしも断食やってみようかな?」と思った方、お気を付け下さい。
そして自己責任でお願いします。

そんでもって「アホやな・・。」と思われた方。
思いっきりバカにして嗤ってくださいっ。



つづく

断食をやってみた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

子守の為に実家に行ったわたし。
さて、断食はどうなったでしょう。

もちろん・・撃沈しました。

ちょ、ちょっと。
そこでせせら嗤っているあなた。
わたしはあの母の「食べろ攻撃」を受けて見ろ、と言いたい。

わたしだって頑張りましたよ。
「お昼はそうめん作ろうか?」と聞いてくる母に、「断食してる。」なんて言うと返ってマズイと思い「あ、さっき食べてきたからお腹いっぱい。」と取り繕い、「蜜柑を食べたら?」と目の前に突き出されてもそっと隠し・・。

が。
ふんどし息子が勉強会から明日帰ってくると知り、きんぴらと鳥の唐揚げをいそいそと作る母を「ま、わたしが食べなければいいことなんだから。」と、止めることはしませんでした。

甘かったね。

暫くするときんぴらのいい匂いが。
ふと気が付くと、菜箸に挟んだきんぴらをにこにこ顔で鼻先に差し出す母。

「はい、味見して。」

あなた、これを断ることができますか?
・・わたしにはできませんでした。そんな不人情なこと。

料理が得意で、しかも自慢のきんぴらを大事な孫のために美味しく作ろうとしてくれている84歳の老婆に「断食中だから味見は無理!」なんて言えませんとも。

結果「毒を食らわば皿までも」と、熱々の鳥の唐揚げまで味見してしまいましたとも。
さらにそのあと出されたヤマザキ製の「みたらし団子」まで食べてしまいましたとも。

うぅ・・不甲斐ないわたしをお許しください。

それでも40時間の断食をしたことになる。
まあ、初めてだからこんなもんか、とも思う。

それはともかく。

今回初めて断食をやってみて氣が付いたことがありました。
それは「わたしたちはいかに思い込みによって支配されているか」ということ。

「一日3度の食事は当たり前」
「食べなければ体に悪い」
「食べないとお腹がすく」

こういった思い込みが執着を生み、食べられないと思うといつも以上に食べ物のことばかり考える原因になっているのではないか。

そりゃお腹は空くけれど、多分他のことに夢中になっていれば氣にするほどではないような感じ。
一番厄介なのは常に「食べ物」のことに支配されがちな頭だったりした。

でももし「食べない生き方」ができれば、食べ物が放射能に汚染されようが、食品添加物まみれであろうが、ほとんど影響を受けない。

可哀想な食肉用の家畜も必要なければ、魚を養殖する必要もない。
農薬を使わず少しの野菜を丁寧に育てていけばいい。
配送もそんなに必要なくなるから、エネルギー問題も解決し、排氣ガスも減る。
かえって健康になるから病院も必要なくなるし、時間もたっぷりあるからやりたいことを思う存分やれる。

おお、スゴイじゃありませんか!
まるでパラダイス!!

・・って、断食失敗したわたしが言うのもなんですが。

いいもんね。
その内マキオカに行った時再チャレンジしてみるもんね。

あそこはふんどし息子もいないし、余計な食べ物はないし。

もし皆さんがマキオカにいらした時、うつろな表情でお迎えするわたしがいたら、それ、断食中かもしれません。
半笑いで肩を叩いてくださいね。


つづく

断食をやっている

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと断食一日目が終了しました。
昨夜は食べ物のことばっかり考える自分と向き合うのが面倒なので、とっとと寝てしまいました。

でも食べ物を食べないと、時間に余裕ができるのは確か。
買い物に行く時間、食事を作り、片付ける手間。
これらが全部いらなくなるんだから、無駄がない。

でも、何というか、とっても口さみしいというか、華やぎがないというか。
生活がモノトーンになっちゃう感じ。
うぅ・・物足りないよう。

それはともかく。

わたしが「断食」を意識したきっかけは、去年森美智代さんの「食べない生き方」という講演会「に行ってから。

森美智代(もり・みちよ)
1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として大阪府で勤務中に難病の小脳脊髄変性症を発病。
以来、西式甲田療法を実践し、5年かけてみごとに難病を克服。
その後、鍼灸学校に入り、鍼灸師の免許を取得。現在、大阪府八尾市に「森鍼灸院」を開業。
1日に約50kcalの食事(青汁150ccと少量のサプリメント)だけの生活を18年以上続けている。

実はこの講演会に行ったのは森さんのお話を聞きたくて行ったというよりは、FBで知り合った広島の方が森さんと一緒に横浜に来られると知り「こんな機会じゃなければお会いできないだろう。」と思い、参加することにしたのでした。

講演会に行く直前、森さんについて調べ、その時初めてすっごい方のお話が聴けるのだということを知りました。

『今日は、この現代の仙人ともいえる森美智代さんの著作を紹介する。
『食べること、やめました~1日青汁1杯だけで元気に13年』という、衝撃的な題名だ。

不食になるまで森美智代さんは、1962年に東京で生まれた。現在は、大阪で鍼灸院を開業している。
森さんは、不食ということを意識して始めたわけではない。

21歳の時に、脊髄小脳変性症という難病を患った。
小脳と脳幹から脊髄にかけての神経細胞が徐々に破壊し、 消失していくという病気だ。
ひどいめまいやふらつきが起き、次第に歩けなくなっていく。余命は5年から10年…となるはずだった。
だが、森さんはあきらめなかった。
以前から知っていた、甲田光雄先生のことを思い出した。断食や生菜食を主体とする西式健康法の継承者だった。
甲田さんの診断を受けると、断食をすれば治ると言われた。

高校時代に、伯母さんの勧めで、甲田医院で断食をしたことがあった。
その後、甲田先生の指示通りに断食と生菜食を続けた。
すると、断食や少食療法を続けているのに、体重が増え続けた。
それで、食事の量をどんどん減らしていった。
その結果として、1日1杯青汁を飲むだけで、他には固形物を含めて何も口にしなくても良くなっていった。

不食に近い生活を続けていくうちに、 霊能力のようなものも発現していった。
人や動植物のオーラが見えるようになったのは、高校の時に断食をした時が始まりだった。
手当によって人の病気を癒したり、人体から気が出入りするのが見えたり。
自動書記や遠隔治療もできるようになり、自らを霊能者と呼んでいる。
不食によって、1日3~4時間の睡眠で十分になった。
肌がつやつやになり、冷え性や慢性頭痛もなくなった。

そして、もちろん難病を克服したことが、最大の神さまからの恩恵となった。
通常は発病から死亡まで5~10年ほどと言われる難病が、完治したのだ。

科学的根拠は? 通常、人間が食物をとらずに数ヶ月以上生き続けることは、科学的にはあり得ないとされる。
では、森さんのケースもまったく説明がつかないのかというと、そうでもない。
部分的には、説明がつけられている。

まず、理化学研究所辨野義己先生が森さんの腸内細菌を調査した。
その結果わかったのは、森さんの腸内細菌は、人間としてはかなり特殊なもので、「まるで牛のおなかのよう」だとう。
つまり、草食動物に近い細菌構成になっていた。
クロストリジウムという細菌がある。
この菌は、植物の繊維を分解して、アミノ酸を作り出してくれる。
ふつうの人間の腸内では0.1%しかいないのに、森さんの場合はその100倍近い9.8%も存在するという。
クロストリジウムを含めて植物繊維を分解できる菌が、人間の腸内には30%ぐらいいるのだが、森さんの場合は倍の60%もいるそうだ。
牛などの草食動物は、草ばっかり食べていても、クロストリジウムのような腸内細菌のおかげで、動物性のものを食べなくても必要なタンパク質を摂取できるのだろう。

クロストリジウムなどの、繊維を分解してタンパク質を作る細菌たちは、腸内のアンモニアからアミノ酸を作り出すという。
アンモニアは、体内でタンパク質が代謝されたあとに残る代謝産物であり、「カス」なのだ。
アンモニアのままでは有害なので、尿として排泄される。
だが、アンモニアの中には、タンパク質の材料となる窒素がかなり含まれる。
このことを読んで、飲尿療法のことを思い出した。
私の周囲でも、実践している人がいる。
ああなるほど、こういう効果があるのだなと、今更ながら思った。

京都のルイ・パストゥール医学研究センターでは、森さんの免疫力が調査された。
その結果わかったことは、免疫力の指標の一つであるインターフェロンα」が、普通の人の4倍以上もあることだった。
この免疫物質は、ウイルスやガンなどの腫瘍細胞に対する抑制作用が強いことが知られている。
断食や少食でガンや難病が治るのも、この免疫力の増強がものをいっているのだろうと森さんは書いている。

このように、森さんが不食でも生きていける謎については、部分的には説明がついているが、すべてが解明されているわけではない。
大阪教育大学の奥田豊子教授は、20年にもわたって、生菜食や少食実践者の栄養状態の調査をしてきた。
だが、森さんが食べなくても体重が減らず元気に過ごしている理由については、「現代栄養学的には説明がつきません」とのことだ。
                 【出典】『食べること、やめました』(森美智代)
                          http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20100715/mori』

講演会で演壇に上がった森さんを拝見してぶっとびました。
ふくよかで、肌もツヤツヤしていて、おっとりされていて「ほ、ほんとにこのヒトが青汁だけで生きているヒト?」と我が目を疑いたくなるような女性でした。
話し方もユーモアに溢れ、のんびりと楽しく、まるでムーミン谷にいるかのよう。

「売名」とか「お金目当て」という言葉とは一番遠くにいるようなタイプに見受けられました。

それ以来「既存の医学や栄養学って何だろう。カガクテキコンキョって何だろう。」と思うようになったわたし。

森さんは言う。
『私は少食で、命を救われました。少食は個人的な健康問題だけではなく、地球に住んでいる人・動物・植物みんなが助かる道なのです。
みんなが仲良くすることは、地球が一つになること、天の神様の一番の願いです。
神様がすべてをお作りになったのならば、みんなの父母が神様で、私たちはみな兄弟です。
お父さんお母さんが思うことは、兄弟が仲良くしてほしいということです。
今地球には、70億の人がいます。食べ物がなくて死んでいこうとする人が10億人くらいだとしたら、同じくらいの人が食べ過ぎて病気になって死んでいこうとしています。』

確かに「少食の時代」になれば、食料問題、健康問題はもとより、今地球が抱えている病巣はあらかた消えてしまうのではないか。

凄いぞ、すごい。

とは思うものの。

まずは煩悩まみれで執着心に溢れたわたしの食欲をなんとかせねば。
まるで「暴れん坊将軍」のようにのさばるわたしの食欲。

仕方がない。
氣を紛らわせたり、「将軍」の機嫌を取ったりしながらやりすごそう。

ただ問題は、今から孫の子守をしに実家に行くということ。
人に食べ物を作って食べさせるのが大好きな母が「これ食べろ、あれを飲め。」と言ってくることは必定。
その誘惑を払いきれるかどうかにこの断食の成否がかかっています。

皆さん、わたしの断食の成功を祈っててくださいね。

でも・・あー、正直自信がない。

つづく



断食をやってみる

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先ほどふんどし息子は二泊三日の勉強会に出かけて行きました。
どんな勉強会かというと、「氣」を動かし患者さんの痛みを和らげたり、症状を取ったりするという物凄くアヤシイ内容。
しかもとんでもなくお高い・・。

ここまでお読みになった方は「いつもどケチ自慢しているのに、何故そんなアヤシイところへ?」と思われたことでしょう。

そう。
確かに「無駄が大嫌い」と常々言っているわたし。
でも面白いモノには意外にお金を惜しまないんですね。
(その筆頭が「マキオカネイチャークラブ」です)

今回勉強会に行くことになったきっかけは、息子がお勤めのかたわら、週一回研修させて頂いている大学病院の教授が患者さんに氣で施術しているのを見たことから。
「なんか教授が氣を使うとホントに患者さんの痛みが無くなってる!」と驚き、自分もやりたくなりその教授に紹介して頂いたらしい。

「レイキ」やら「氣功」やらが大流行りで、講演会やセミナーで知り合う人の中には必ずセラピストがいる玉石混交のこのご時世。
さらにいろいろなトラップが張り巡らされていて、宗教がらみだったり、ねずみ講がらみだったりするとも聞く。

ついに我が家も食い物にされちゃう日が来たのか?とも思ったけど・・まあそれもよし
若いうちにやりたいことをやって、結果騙されたとしても、人生に無駄はない。

以前は「お金をそんなに取るところはアヤシイ」と単純に思っていたけれど、技術が欲しければそれなりの対価が必要だともいえる。

皆さんのお役に立つ治療家を目指す息子には、いろいろ試したり勉強したりする時間やお金は無駄ではないだろう。
お金は體に氣を付けて、これから時間をかけて稼げばいいんだし。
とにかく今のうちに何にでも一生懸命取り組んで、わたしの老後のためにも(?)頑張って頂きたい。

それはともかく。

息子が留守の間「断食」をすることにしました。
今は「ファスティング」っていうんですよね。
断食って音からしていかつい感じ。
四文字しかないのに濁音が二つも入ってるし。

実は「ファスティング」って「断食」よりイメージ柔らかくてかっこいいから、家で使ってたら息子に「しゃらくさい」と怒られた。
何故かヤツは「断食」という言葉が好きらしい・・。

まったくジジイのような24歳。
ふんどしも締めてるし。

で、何故断食をすることにしたかというと。

以前から断食は体にいいということは聞いていた。
でも直接のきっかけになったのは、先日知り合った方が三週間の断食をしたら「なんともいえない平和な気持ち」になったというのを聞いたから。

それは是非体験してみたいっ。

まあ、三週間は絶対無理だから一日だけでも、と思っていたが、息子がいるとそれも中々難しい。
ヤツは「自分ひとりで食べても美味しくない」というタイプ。
いくらわたしが「今日は食べない。」といっても「一緒!」と叫んで山ほど買いこんできた食料を目の前に突き出す。
すると生来ケチで食いしん坊のわたしはつい手を出してしまう・・というパターン。

息子のいない今日は断食のチャンス。
で、朝から食事をしていないんだけど、人間「食べちゃダメ」って思うと何で食べ物のことばっかり考えるようになっちゃうかね。
まだ「断食を始めるぞ。」と思ってから数時間しか経っていないのに。
さっきなんか仏壇から下ろしたご飯を知らないうちに口に運んでいた・・。

それはそうと。

断食の効用は凄いモノがあるらしい。

※大腸をキレイにする
「進行すると大腸ガンや過敏性腸症候群・痔などのリスクが高まります。断食にはそれらの生ゴミを掃除し、腸をキレイにする効果が期待できます。」

※ 毒素を排出する
「有害な化学物質・重金属・薬物など、身体の正常な機能を妨げる有害物質が予想以上に蓄積しています。神経系、免疫系、内分泌系などがそれらの有害物質の影響を受けやすく、痴呆・てんかん・自閉症・アレルギー・自律神経失調症・免疫不全・糖尿病などのリスクが原因となります。」

※病気を早く治す手助けをする
「臓器たちを休ませる代わりに、それに使うはずだった莫大なエネルギーを、病原菌と戦う免疫系や組織を再生させるためのプロセスに回します。そうなればそれまで手付かずだった部分を修復できたり、がん細胞やウイルスなどと戦う力も養われます。」

※精神が安定する
「断食中、脳への栄養素が絶たれる(正確には栄養補給をするので問題はない)と、脳のエネルギーと言われているブドウ糖の代わりに、脳は「ケトン体」という物質を出すことで安らげる。」

※ 脳の疲労を取る
「日頃ストレスを感じながら生きている人は、常に頭がその事を考えていて、脳の同じ場所ばかりを使っている。
 同じ所を使って疲労した脳では正常な判断は出来なくなり、うつ病などの精神疾患を患うこともある。断食は余計なことを考えなくなるので、脳を休ませる。 」

※ ショック療法の効果
「環境に適応し、変化に適応する。自律神経も良くなり、野生的な脳になり、脳の疲れが取れてきて、脳がいきいきと働いてたくましさが戻ってくる。」

※食べ物に対する感じが変わる
「普段何とも思わないで食べている状態を断ってみることで、食べるものがいかに大切かと言うことがわかる。」

※ 脳の活性化
「脳への改善効果もあり、脳の発達、知能の回復にも効果があることが分かっているのです。」

※血液がサラサラになる
「なぜ血液がサラサラになるかと言いますと、まずは食べることよりも飲むことが多くなるからです。プチ断食中は野菜ジュースとかお味噌汁とか、玄米がゆとか、水そのものとか、水分を多く含むものばかりを口にします。結果、自然と血液量が増すわけですね。」

※老化抑制遺伝子をONにする
「活性酸素は摂取したカロリーをエネルギーに変える際に発生するのですが、この活性酸素は老化促進物質とも言われ、細胞にダメージを与えてしまうのです。
大食をしたときに、この活性酸素は大量に発生し、細胞にダメージを与え、さらに老化促進遺伝子のスイッチをオンにして、老化や病気の原因を作っていくというのです。
それとは反対に、「小食・断食」によって活性酸素は抑制され、しかも老化抑制遺伝子(DNA)のスイッチをONにして、若返りの維持と促進が可能になるというのです。」

※ サーチュイン遺伝子活性化
「・しみやしわなどの防止効果
 ・認知症の予防効果
 ・細胞を修復する効果
 ・その他あらゆる老化要因を抑制する効果」

※ セロトニンが出る
「人間とはそんなに強い「種」ではなくいつも沢山食べる事はできなかった。 絶食をすると人間本来の免疫システムにゴーサインが出て様々な病気の原因に対して効果があると、特に「癌細胞」の縮小が実証されたし、精神疾患の場合はセロトニンの増加が確認できた」

※体のエネルギー源である食べ物が入ってこないと、体は脂肪や肝臓に蓄積されているグリコーゲンをエネルギーとして利用するようになるため、脂肪の分解=燃焼が進みます。


凄いじゃないですかあ!!
これからわたしの「断食体験」を逐一ご報告していきたいと思います。

・・そうでもしないと挫折しちゃいそうだから。

そう、わたし、結構自分のこと、わかってるの。


つづく

漢字の話

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと春めいてきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

それにつけても、かつて現代ほど人によって見えるものが違う時代ってあったのでしょうか。

例えば、このうららかな今日という日を、いつもと変わりない日常ととらえる人もいれば、高濃度の放射能、PM2.5とその他もろもろが高い数値が出ていると絶望的な思いで心配する人もいれば、「銀河連合の宇宙船が、大編隊を組んで地球を取り囲んでいる」「その存在が地球が抱えている問題をあっという間に解決してくれる」と信じている人もいる・・。

よく「引き寄せの法則」とか言うけど、あれは真実ですな。
その人が好きな情報は目に飛び込んでくるけれど、気に入らない情報は「あれは嘘」と思い込むわけだから。
そしてその「人によって異なる世界の様相」の違いは、年を追うごとにどんどん広がっているような気がする。

わたしが中学3年の時に「ノストラダムスの大予言」が流行った。
友人と一緒に貪るように読み、自分たちが迎えるであろう未来に絶望し「あと26年したら人類は滅んじゃうんだ。だったら今の内に美味しいモノをたらふく食べよう。(え、そこ?)」と今のわたしに通じるサモシサと短絡的思考で、学校帰りに寄り道しては、食べ歩きをしたものだった・・。

が。
現在のわたし達が置かれている状況を鑑みるとカワイイものですな、あの頃の「絶望」なんて。
まさかこんなSFチックな世界になるとはあの頃誰が想像しただろうか・・。

それはともかく。

2月5日の「いわゆる陰謀論(1)」の中で、漢字の「氣」について触れました。

FBで教えてもらった「GHQの占領政策の際に「氣→気」に変えて日本人の精神性を劣化させた。气にメというのは、天地のエネルギーを閉じ込める意味があり、人間に備わった潜在能力の封印という意味もある。」という説を載せ「これから気ではなく氣を使いまくるぞ、と固く心に誓った」はずなのに。

その後のブログを読むと「気」を使いまくり「氣」に変換していないじゃないですかあ。

その事実に氣が付き、うな垂れるわたし。

これをお読みになった方はさぞかし「忘れっぽくボケたおばさん」に苦笑されたことだろう。
せっかくのイイ話も豚に真珠、 馬の耳に念仏 。

しかも『「気」という漢字を使っていたら、知らず知らずの内に自らの才能や可能性を閉じ込めてしまう恐ろしい文字』とも書いた。

道理で才能、開花しないはずだよ。
っつうか、才能以前に、ちょっと前に自分が書いた文章も忘れてしまうボケた脳がコワい。

「氣」について教えてくれた方のFBのウォールでは、別の漢字についても言及していた。

特に氣になった漢字が「體」。
『「体」の本来の漢字は「體」であり、漢字の簡略化による日本人の肉体の弱体化を狙った曰く付きの漢字であり、見事に成功している事実がある。
なのでわたしは本来の漢字である體を使うように心がけている。體は本来、体で訳せるほど単純ではない。』
とある。

「語彙辞典」で調べてみると
『「骨」は上部の骨格を示す象形文字に肉を下に加えたもので、なおも芯の存すること。
「豊」は器に穀物を盛った象形文字で、供え物が豊穣な様を示す。
「體」は全体を自然なる形として成立させる根本であり、かつ、形として生じている様を示すことになる。
故に使い方によって表面的な意味と本質・本体を示す意味の二通りを取ることができる。』
と書いてあった。

で、ちょっとオソロシイと思ったのはYahoo知恵袋にあったこの文章。

『手許の『新字源』には、「体」について「人と音符本(ホン)とから成り、そまつの意をあらわす。俗に體の略字として誤用されていた。
もともとあった、全く違う意味の「体」という字を、間違って略字として使っていたことによるみたいです。』

間違って略字として使ったって・・。
「そまつの意」の字をわざわざ?

むう、期せずしてまたもやインボーの臭いが。

はっ、いかん、いかん。
世間の常識ある方々に「またそんなこと言い出して。」と呆れられてしまう。

さらに「子供」という漢字についてもこんな話が。

『子どもを漢字で子供と書く人間は即刻やめてほしい。
「供」という漢字がふさわしくないとする理由は、お供(とも)」「供奉(グブ)」などというように、従属や隷属を意味するから、あるいは「○○ども」と複数の集団をさげすんで呼ぶいい方に使うからであるのも理由だが、供には供養の意味があり、逆さ仏の意味があるからである。』

な、なんですか。「ぐぶ」って。「逆さ仏」って。
コワいじゃないですかあ!

えーと、「氣」と「體」と「子ども」、ですね。

これぐらいにしておこう。
たった一つの漢字さえ変換できていなかった「忘れっぽくボケたおばさん」にはこれ以上は荷が重い。

「漢字には言霊というエネルギーが宿り、知らず知らずの内にそうした意味に引っ張られて生活をすることになる。」という話は何やら説得力がありオソロシイ。

わたしのことだから、これからも変換し忘れてしまうことが多々あるかもしれないけど、できるだけ変えていこう。

「意識する」ということが大事なのではないか、と思うから。


つづく

3・11と日月神示

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あの日から3年。

震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げますと共に
被災された皆様に心から御見舞い申し上げます。


今日は3月11日。
日本中があの日のことを振り返り、それぞれ祈ったり怒ったりしながら、その人なりの弔いをしている。

今振り返ると、わたしの人生もあの日を境に大きく変わったと思う。

テレビに映し出される信じられない映像の数々。
ありえない事態に血の氣が引き、言葉が出てこない。

ちょうどネットをやり出したころだったので、日常が戻った頃、自分なりにいろいろ調べてみた。

「人工地震」という言葉をきっかけに、いろいろな事実がするすると、まるで毛糸玉がほぐれるように出てきて、わたしが今まで当たり前と思っていた世界が、足元から音を立てて崩れ落ちていくのを感じ、呆然と立ち尽くしていた・・。

が。
人間慣れってオソロシイ。

暫くすると「んで?そんならわたしはどうすれば?」とヤケクソ氣味に立ち直るオンナの修復力の速さ。

この調子だと、目の前に宇宙人が現れて5~6時間はビックリ仰天していても、すぐ「んで?そんならわたしはどうすれば?」と言ってしまいそうな氣がしてコワい。

それはともかく。

その頃に出会ったのが「日月神示」だった。

日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)
『神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示』

知っている人にはあまりにも有名らしいが、わたしはこの頃まで全く知らなかった。
第一人者といわれる中矢伸一さんの講演会に行き、日月神示の完訳本を手に入れ読んでみたが、恐ろしい内容に反して、「日本の神様」らしい大らかでユーモアさえ感じられる温かい語り口に魅了された。

原文は、一から十、百、千、万といった漢数字と、かな、記号のようなものが混じった特異な文体で構成されていて、『地震の巻』のようにすべて抽象的な絵だけで書記されたものもあり「何故このような訳に?」と首を傾げることもしばしば。

ぱっと見た限りでは、くねくねとした筆文字で綴られている原文は、素人目には全くと言っていいほど読むことはできず、書記した天明自身も当初はほとんど読むことが出来なかったというのも頷ける。
仲間の神典研究家や霊能者の協力などで少しずつ解読が進んだというが、その苦労たるや、さぞや、と偲ばれる。

麻賀多神社の社務所で天明が最初に自動書記で書かされた原文は下のようなものであったと言われている。

「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」  
これは次の通りに読めると言われている。

「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」

わたしはこの文章が大好き。
富士山を眺めると自然にこの言葉が出てきてしまう。

日月神示はいう。

「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」

身魂磨きに関連して「正しい食生活について」語っている。

「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。
運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。
低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」(冬の巻捕帖)

「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ。」(碧玉の巻第八帖)

そして繰り返し「よく噛め。」と諭している。

神示の中で、この教えは宗教でもなく教えでもなく「三千世界の大道」だと語っている。
だから物の見方が既成宗教とは相入れず、それらを否定している記述も随所に見られる。

『例えば既成宗教では有名な教えのひとつとされる「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」と言う教えについてでは日月神示を書記させたこの神霊は次のように述べられている。

「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。
マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけてくだされよ。
笑って来る赤子の無邪氣は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。
世界一家天下太平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ」(極め之巻第十五帖)

「そなたは無抵抗主義が平和の基だと申して、右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵抗ではないぞ。
よく聞きなされ、打たれるようなものをそなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ。
まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲氣は生れないのであるぞ。
頬をうたれて下さるなよ。生れ赤児見よと知らしてあろうが。」(月光の巻第五十三帖)』

深く納得。
理屈では立ちいかない道理。

また云う。

「逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にいては足も苦しかろうがな。上下逆さまと申してあるが、これでよく分かるであろう。

足はやはり下の方が氣楽ぞ。あたま上でないと逆さに見えて、苦しくて逆さまばかりうつるぞ。この道理わかりたか。岩戸開くとは元の姿に戻すことぞ。神の姿に返すことぞ。」 (下つ巻・第十三帖)

まるで今の世の中を見ているかの如く、言い当てる。
辛辣に、温かく。

そして最も印象的に残る言葉の1つに「神一厘の仕組み」がある。

『「世界一度にキの国(=日本)にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の世近づいたのぞ。

メリカ(=アメリカ)、キリス(=イギリス)は更なり、ドイツもイタリーもオロシア(=ロシア)も、外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。
神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ。八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。」
(日月神示 下つ巻 第14帖)

「外国から攻めて来て、日本の国丸つぶれというところで、元の神の神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ。」(上つ巻 第21帖)
「日本真ん中、ボタン1つで世界動くぞ」(マツリの巻 第14帖)』

日月神示の記述では、日本が世界中から攻められて、ほぼ国が滅ぶというところまで追いやられた時、神一厘の仕組みが発動され、真の天の岩戸が開くと読み取れるという。

願わくば「神一厘の仕組み」が発動された後の世をこの目で見てみたい。
その為にはまず身魂を磨いて大峠を越えなければならない。
相当難しそうだけど。

むう。
一番ハードルが低い「よく噛む」ということすら疎かにしてしまいがちなわたし。

いかん、いかん。
今日から心を入れ替えねば。
そしてこれから迎えるかもしれない大峠に備えなければ。

岡本天明に予期しない自動書記現象が起こったという麻賀多神社の社務所も取り壊されてしまうという。

時代は変わる。
そして世界は動いている。

「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり。
三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」
( んめの巻(梅の巻?運命の巻?)第十七帖)


つづく







息子の失敗

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ここの所、孫の子守りに忙しくご無沙汰しておりました。
おまけに風邪まで引いてしまったものだから、もう大変。

「一匹狂えば百匹狂う」とはよくいったもの。
スケジュールが狂ってしまい周りの人に迷惑を掛けてしまいました。

それはそうと。

昨日、息子が勤めている整骨院の院長にお酒を御馳走になると朝からウキウキしながら出掛けて行きました。
ついこの間まで、修行中だからとあまり外でお酒を飲むことのなかったふんどし息子。

よかったね、息子よ。
お金の心配をせずに飲める院長のオゴリ飲み会。
甘えさせて頂き、といって図々しくならないように社会人としてのマナーを身に着けて、ご馳走になっておいで。

と、菩薩のような微笑みを浮かべ息子を送り出したわたし。

ただいつもは駅まで自転車で行くのだが、昨日は雨の為、車を出したので帰りも迎えに行かねばならない。

面倒だが仕方がないか。

過保護だけど迎えに行ってやっか。
・・って、ホントはタクシー代がもったいないだけなんだけど。

が、待てど暮らせど全く連絡がない。

横になって待っていると、やっと11時23分頃電話が鳴った。
「今根岸。大船に迎えに来て。」
「何時になるの?」
「わかんない。迎えに来て。」

むう、この喋り方は危険信号。
過去に息子はへべれけになって、電車の中で眠ってしまいあっちこっちをぐるぐる回り朝帰りしたことが何回かある。
または何故か京浜急行に乗り換え終点の「金沢八景」まで行ってしまい、迎えに行ったことも。

過去の忌まわしい記憶が蘇る。
とにかく出よう。
ベットから飛び起き大船に向かう。

すると途中またしても息子から電話。
「今磯子。終電を待ってる。」
「え?さっきの電車は?」
「わかんない。とにかく待ってる。」

どうやら磯子止まりに乗り、最終の大船行を待っているらしい。
すると電話の中で電車の来る音が。

「ちょっと、方向分かってんの?電車、間違いなく大船行きに乗ってよ。」
「乗ったよ、乗った。50分ごろ着くから。」

シュー、ガタンと電車の閉まる音。

ふう。これで一安心。
この間は反対方向に乗ってしまい、またしても大変なことになったからな。
万が一寝過ごしたとしても大船止まりだから駅員さんが起こしてくれるに違いない。

男の子だし、朝帰りしようがどうでもいいけど、眠いのを我慢してわざわざ迎えに来ちゃってるし、明日仕事があるからどうしても帰って来てくれないと困る。

駅に着き、ぼんやりとタクシーに乗る人たちの流れを見ている。

景気って本当に上向いているのかな。
タクシーの運転手さん、大変だよね。

などと考えている内に54分になっている。

が、息子の姿は影も形も見えない。

いやーな予感。

取りあえず電話してみる。

やっと息子が電話に出た。
「ちょっと、今どこ?」
「今?磯子。」

???!!!!

「磯子って、あんたさっき磯子を出た電車に乗ったじゃん!」
「わかんないっ!!磯子に迎えに来て。」

わたしの中でぷちっと何かが切れる音がした。

一呼吸置き車内にわたしの絶叫がこだまする。

「ふざけんなっ!!!!!!しっかりしろっ!こっちは寒空の下大船で待ってんだっ。いいかげんにしろーーー!」

息子はどうやら酔っぱらいながらも少しヤバいと思ったのか、電話越しに近くにいる人に尋ねているのが聞こえる。

「あのー、大船にはどう行ったらいいですか?」
「あ、ここ大船ですよ。」

力、抜けた。
もう、どあほうとしか言いようがない。
こいつは字も読めんのか。

とにかくいつも車を停める所に来るように指示し、ふつふつとハラワタが煮えくり返るのを我慢する。

暫くすると見覚えのあるダウンを着た人影が。

が。

セーターの下からは白いシャツが見え、傘を引きずりながら千鳥足でふらふらしている。
車に乗せ叱り飛ばすと、「謝ったじゃないかっ。どうしろっつーんじゃっっ!!」と逆切れ。

どうしろもこうしろもない。
ただひたすら謝り頭を垂れて居ろと言いたい。

昔は親にこんな言い方できなかったよなあ。
特に我が家は父が歳を取っていたから少しでも反抗する素振りを見せると「親にうて返しをする。」と言って手が飛んで来たものだった。
考えてみると、あの頃の大人は気持ち良く怒らせてもらっていたなぁ。

今みたいに「謝ったじゃん。」なんていう子供はいなかったし、正座で説教を聞いてくれた。
ほとぼりが冷めたころ「じゃ、行ってよし。」なんて解放してあげるとメソメソと泣きながら謝ったものだった・・。
時代と言ってしまえばその通りだが。
昭和は遠くなりにけり。

それはともかく。

今朝、反省した息子はかなり本気で謝って来ました。
が、大変なことが発覚。
定期とタブレットがどこを探してもない。

駅と交番に行ってみたけど、見つからず息子は相当落ち込んでいました。

おっかしいなあ。
タブレットはともかく、定期券は改札を通るとき使ったという。
それから車に乗るまでの2~3分でどこにいくというのか。

ん?待てよ。
もしかしたら・・。

さて、皆さん。定期券、どこにあったと思いますか?

当てた人はスゴイです。

ふっふっふ。

わたし、とんでもないところで見つけちゃったもんね。

実は。

答えは傘の中でした。

どうやら傘を持って歩きながら定期券がその中に落ちてしまったらしい。
あまり使ってない傘だったから今回見つけられなかったら当分出てこなかった可能性があります。

まったく我ながらケチの能力を出し切ったぜ。

そんなこんなで息子の酔っ払い伝説はまたしても華々しい一ページを加えたのでした。

あー、大変だった。

いいよ、いいよ。
この間わたしが風邪の時「桃缶」買ってきてくれたしね。
そんでもってマッサージもしてくれたりしたしね。

「してもらったことは石に刻め。してあげたことは水に流せ」って言うしね。

今度また美味しいふぐを御馳走してくれなんて言いませんよ。
そんなイヤシイこと、言いませんとも。
ええ。


つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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