今日は旧正月

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は旧正月らしい。

日本の洗脳教育真っただ中で育ったわたしは「旧正月」というと「あ、中国で爆竹でお祝いするアレね。」ぐらいの認識しかなかった。

日本では、古来から太陽太陰暦を大切にされてきたらしい、と知ったのはかなり歳を取ってから。
本来旧正月(春節)にあたる今日が新しい年の正しいスタートなんですね。

ここの所わたしの世界を広げてくれているFB。
いい面だけではないのは百も承知だけれど、いろいろな事を教えてくれる。

ある方のウォールから。
『日本で1月1日が正月とされてしまったのは、明治5年からです。
それまでの暦(太陽太陰暦)は、長い歳月、日本の歴史と文化を育んできた大切なもので、自然と共生してきた日本人にとっては尚更深い意味があります。

いずれにしても、現在の誤った暦の運用は、142年の歴史しかありません。
暦は「時代とともに変化するものでは決してない」のです。』

たったの142年。
長い歴史の上ではほんのちょっと前。
あまり考えたことなかったけど、学校の歴史の授業で明治維新で行われたことの中に「太陽暦」も入っていた。
その取り上げられ方ってあたかも「これでやっと文明国の仲間入りができたんですよ。」みたいな感じだったけど、文化の破壊のされ方としては生活に直結しているだけに凄まじかったに違いない。

『日本にとって重要な意味を持つ暦は、日本の歴史と伝統文化を壊し、白人達の支配下に置くために仕掛けられた「罠(欧米の日本分断・内紛・クーデター)」に掛かった方々により、いとも簡単に改変(グレゴリオ暦:太陽暦に)させられてしまいました。

日本の西洋諸国化(売国政策)は、それ以前にも散見されていましたが、総合的に開始されたのはここ(明治維新)に端を発します。暦の改悪は、その手段のひとつに過ぎません。』

『日本の歴史ひとつをとっても、例えば、「縄文時代は狩猟採集民族をしていて、毛皮を着て、ウホウホやっていた」などというのは真っ赤なウソです。
欧米が旧石器時代後期だった時代に、日本では高度な文明と、平和な社会という世界が未(いま)だに成し得ていない国を完成させていました。

つまり定住社会が確立され、農耕社会を築き、織物や漆塗りなど、現在にいたる日本文化の礎は、考えている以上に早い段階で完成をみているのです。
しかも、世界のどの遺跡で発掘されることはあっても、日本の縄文時代の遺跡から発掘されることのない「対人用武器・兵器」の事実からも想像できることは多いはずです。

誤った歴史をいくら学習しても、そこから得られるのは「誤った判断」に過ぎません。先住民族食や米を含む糖質制限食が話題になっている昨今ですが、それを語り、判断し、導入する前に、「本当の歴史」に辿り着いてみてください。』

偏った見方だ、と反発を覚える方もいらっしゃるでしょうが、わたしはいろいろな角度からの物の見方を教えて頂いているようで、時には目からウロコが落ちる音まで聞こえる時がある。

特に歴史については見る角度によって全く様相が違うものになってしまう。
教科書では英雄扱いの明治維新の立役者たちは、見方を変えると皆売国奴。

うぅ・・何だか受け入れがたい。

そうしてみると教育ってコワい。
むしろ歴史の表舞台に立っていない人の中に、本当に有能で日本を想い、無念の思いを抱えながら死んでいった人たちがたくさんいたはず。

洗脳と言えばその最たるものはテレビ。
子供の頃「ローンレンジャー」とか「ローハイド」「ララミー牧場」とか喜んで観ていたけど、随分インディアンを酷く扱っていたような気がする。
あれもインディアンからしたら、ホント、迷惑な話。
全く知らない東洋の子供たちが「インディアンは頭の皮をむく」とか「コワい野蛮な人たち」って刷り込まれていたわけだから。

何をもって「本当の歴史」というのか。

「時代とともに変化するものでは決してない」はずの暦ですら変わり、意味するものも形骸化してしまう位なのだから、時代と立場によって全く様相を異にする歴史の認識は本当に難しい。

それはともかく。

旧暦の正月は必ず新月とのこと。
新月の月齢はゼロ、つまり新しいスタートを意味し、新月は心も身体もリセットし新しいことを始めるのに最も適した日らしい。
新月に願いをかけると叶うと言われているのも、そういうことだったのね。

「生のある限り楽しいことを見つけていこう。そしてわたしにできることを精いっぱいやっていこう。」と心に誓うわたしなのでした。

最後になりましたが、謹んで新春の御祝いを申し上げます。


つづく
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誕生日に「死」を想う

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日はわたしの誕生日。
この歳になると(56歳)めでたいんだか、めでたくないんだか判然としなくなる。

ま、少なくとも誕生日自体はそんなに嬉しくはない。
ただ今の自分の置かれている環境に対する感謝あるのみ、という所ですかな。

家族皆が病むことなく、雨露をしのげる家もある。
親しい友も少数ながらいて、今日明日食べるものにも困らない。

あ、マキオカの今年のご予約も戴きましたしね。
これ以上の幸せがありましょうか。

いかに白髪が増えようが、皺が増えようが、今さらわたしの容姿を気に掛けるヒトなんている訳じゃなし。

わたしが「まだオンナを捨てたくないの。生涯現役!」なんて鼻の穴を膨らませて、必死に化粧品やエステに大金を掛け、皺の二本や三本消えたとして一体誰が喜ぶというのか。(あ、そもそも大金なんてなかった。)

先日FBである方がアップしていた記事が心に残りました。

『先住民族の生活を調べていると、その死生観も見えてきます。
生きとし生けるもの、必ず死を迎えます。これはもう、全ての生命体にとって逃れようのないものです。
僕もあなたもいつか死ぬでしょう、それが遅いか早いかの違いはあるにせよ。

先住民族はアニミズム的宗教観から、「人は土から生まれ、土へと帰る」と考えていました。人間は自然界の中で自然界の掟に従って生き、子孫を残し、世代を経て自分たち民族の文化や伝統をつなげていくことが、人間の生きる目的だと考えていました。インディアンの有名な言葉に、「自分の7代先の子孫が、今よりも幸せに暮らせるような世界を作るように行動しろ」というのがあります。自分よりも子供や孫の代が幸せになるように願うことが、彼らの生き方なのです 。』

でも土へ還るって理想だけど、現代ではなかなか難しい。
場所も取るし。

そういえば熊男は先代と同じように土葬にして欲しいと言い張って、家族に迷惑がられている・・。

『 先住民の人は齢を取り、体が衰えたらどうするのでしょうか。まず、先住民族は病人や介護を必要とする人に手を貸す際、回復し、自立して生活できる見込みのある人しか助けようとしないというのがあります。齢を取り、衰弱している老人を助けようとは誰もしません。そんなことをすれば、死までの苦しみを長引かせるだけだと考えるからです。先住民にとっては死は恐れるものではなく、足元から子孫の繁栄を願う守護霊の一員に加わることなのです。』

「死までの苦しみを長引かせない」「子孫の繁栄を願う守護霊の一員に加わる」っていうのはとってもいいけど、現実にその立場になったら「死は恐れるものではない」と本気で思えるだろうか、という所が問題。

近くに来た人に恨みがましい目つきで「何でもっと優しくしてくれないの?年寄りを邪険に扱ったら罰があたるよっ。」なんて言って嫌われないとも限らない。

『老人たちは、自分が衰弱してきたことを悟ると、自ら食を断ちます。そうして衰弱して死んでいくのです。そうやって衰弱していく老人を、周りの人間たちは放っておきます。誰も介護などしませんし、老人も介護など望みません。』

要は「枯れていく」ってことだよね。

今は食い意地が張っているから「大丈夫か?」と思うけど、衰弱してくれば食欲も落ちるだろうし。
「回復しなければっ。」なんて無理して食べる必要はないっていうのはとっても腑に落ちる。

「するも地獄、されるも地獄」の老々介護なんて無縁の世界なんだね。

ただ残された家族が虐待の汚名を着せられないようにしなきゃならない。
あー、面倒臭い社会ですな。

『実は日本でも江戸時代までは、こういうことは一般的に行われていました。
それが戦後人間中心主義や生命至上主義が入り込んできて、今の状況となっているのです。
それが延命治療であり、胃ろうや人工心肺などで、無理やり命を伸ばすだけの行為を社会に蔓延させているのです。
そこに救いは無く、家族は疲労し、老人は苦痛の期間が無駄に引き延ばされ、医療機関だけが儲かるという構造を作っているのです。人間中心主義が、人の命を商品化したのだということでしょう。』

わたしの祖母も胃瘻を医者に勧められ、その後10年近く植物人間のように過ごさなければならなくなった。
そして母は毎月20万円近くの出費を捻出し、同じ病院に長くいられないという制度のため次の病院探しに奔走しなければならなかった。
あの時もっといろいろ調べておいてあげればよかったと、未だに後悔することがある。

でも担当医に「胃瘻にしなければすぐ亡くなる可能性があります。今判断して下さい。」と迫られてノーと言える人間がどれだけいるんだろうか?

死に時を選べなかった祖母には可哀想なことをした、と思う。


それはともかく。

若い頃は誕生日に自らの死を考えるなんて夢にも思わなかった。
いやはや、人生は面白い。


有名なネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民・インディアン)の名言。

「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」
〜作者不詳

「よし、これからも老体に鞭打ち頑張るぞっ!」と誓いも新たに楽しい老後に思いを馳せるわたしなのでした。

つづく




モモの初めての誕生日

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

18日は初孫モモ(仮名)の一歳のお誕生日でした。

いやー、時の経つのは早いですね。
これじゃあっという間にばーさんになるはず、っていうかホントのばーさんだし。

最近はよちよち歩きながら15歩近く歩けるようになり、「抱いてくれ!」とか「さっさと食べさせんかい!」とか「眠いんじゃ!」とか「お前、誰?あっち行ってくれる?」などの意志表示がしっかりできるようになってきている。

とにかく小さいというだけでイキモノは可愛いのに、血が繋がっているという大きな特典(?)が付いているので、とっても可愛い。

どんな不細工であったとしても可愛いに決まっていると思うんだけど、家の孫、贔屓目抜きに(?)すっごく可愛いの。

ほらぁ、ね?!

                 るい誕生日 るいアップ


婆馬鹿全開が我ながら気持ちいい。(そうか?)

が、わたしは知っている。
小さい時可愛かった子供ほど、中学生や高校生になった時、キモチ悪くなっちゃう確率が高いことを。

今は中年になっている親戚のオトコも、幼児期あまりの可愛さにモデルに抜擢され(その頃はモデルクラブなどなかった)大きなポスターに映って笑顔で愛嬌を振りまいていた。

中学生になった頃、法事で見かけるとニキビ面の小男になっていて驚いた。

また将来はさぞやと思うくらい大層可愛かった女の子も、久し振りに会ってみるとぶくぶくと太って顔のパーツのバランスが崩れていてびっくりした。

逆に小さい時はそんなに目立つ顔立ちじゃないな、と思った子が年頃になって大輪の花が咲いたようにキレイになっていたりする。

こんな経験が山ほどあると、人間小さい頃の美醜なんてホントにあてにならないと分かってくる。

・・あ、そういやふんどし息子も小さい頃はすっごく可愛かった。
今は彼女いない歴24年だけど。

ま、そうは言ってもうちのモモは絶対にハンサムになるって信じてるけどねっ。
(真正の婆馬鹿ですな)

それはともかく。

当日モモがいるアパートの一階に住むわたしの母(モモにとっては曾祖母)の家に行くと、お赤飯作りに奮戦中だった。

一体こんなたくさんのお赤飯をどうするんだ?と思うほど大量のお赤飯。

                     るい誕生日 赤飯

いつもはあっちが痛い、こっちが具合悪いとか言いながら、孫やひ孫の祝い事があるとせいろでお赤飯を拵えてくれる。
有難いことです。

娘はバースディケーキとして安納芋、お豆腐、玄米粉、玄米甘酒、オリーブオイルを混ぜて、炊飯器で焼いたとのこと。
トッピングは、煮りんごと、いちご。
一体どんなお味?と思ったら甘い胡麻豆腐だった・・。


        るい誕生日 ケーキ


夕方仕事が終わったふんどし息子が来てからお祝いの宴が始まりました。

わたしからはファーストシューズ、息子からはベストのプレゼント。

んま!かっわいい!!
そしてお高い(定価は)。

わたしのことだからもちろんバーゲン品を買いました。
子供の物って驚くほどお高い。
わたしのポリシーは「よいモノをより安く買い、より長く使う」。
ベビーの物なんてあっという間に使えなくなるんだから、お古やバーゲン品でたくさん。

ただし長く残るモノ(五月人形とか)は奮発しますよ、死ぬ気で。
(もちろんできる範囲で、ですが)
だってわたしが死んだあと「あのばーさん、こんな安物持たせやがって。」なんて陰口叩かれたらすっごくイヤ。
幽霊になってそんな会話を耳にした日には、うな垂れて赤面してしまうと思うの。

わたしの姉からは知育遊具を戴きました。
モモは一緒にお祝いしてくれた幼稚園児のまたいとこのお姉さんと一緒に遊び始めたので、もう人と一緒に遊べるんだ、ということにも感動。

その後1キロのお餅を背負って歩かせてみたら、2,3歩歩いて思いっきりのけぞって尻餅をついていました。
「オ、オレにいったい何が起こったんだ?!」とでも言いたげなモモの表情に皆で大爆笑。

こうして親族で子孫の成長を寿ぐ時間を持てる幸せ。
いつもは憎まれ口をききあったり、喧嘩したりしていても何かあった時は心配し合い、代わりに怒ったりする。
普通に見えるけど、普通ではない幸せに気が付かせてくれたモモや周りの家族、親族に心から感謝するわたしなのでした。



つづく

どんど焼きに行ってきた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一昨日、久し振りにマキオカに行き、どんど焼きに参加してきました。

この時期マキオカはとても寒く、凍結の可能性もあり、わたしはここ十数年冬場は行ったことがない。
ところが先日、知り合いの写真家Mさんから、牧丘に伝わるどんど焼きを見たいという連絡があり、急遽行くことにしたのでした。

「道の駅」で待ち合わせMさんと落ち合う。
Mさんは穏やかで静かな語り口が魅力的な方。袴にマントを羽織り、個性的なファッションはさながら吟遊詩人のよう。
古武術の先生でもあり、いつも素敵な写真を撮って感動を与えてくれる。

今回はMさんの弟子でもあるIさんもご一緒した。
Iさんはネパールに留学されたり、インドにいらした方らしく、やはり民族調の腰巻とマントのファッションがとてもお似合い。
純粋そうなまなざしの素敵な女性。

着ぶくれたおばさん、吟遊詩人、腰巻マントの3人で車一台に乗り込み、マキオカに向かう。

まず熊男の家に挨拶に行き、熊男から昔話などを聞く。
自家製の干し柿や甘酒に漬物、昼食もご馳走になるが、特に干し柿は本当に美味しい。

ふっくらとしていてキレイに粉がふいている。
まるで和三盆のような上品な甘さ。
口に含むとねっとりとしていて、それでいてさっぱりとした後味。
この地方の木枯らしと朝夕の寒暖の差が激しさが、とても干し柿に合うらしい。

熊男宅を辞し、まず「どんど焼き」で有名な塩平に向かう。

「どんど焼き」
『1月14,15日の小正月の道祖神祭行事をいう。中世の宮中行事左義長が起源と云われる。地域の各戸から、正月の門松、ササ竹、しめ飾りなどを集め、14日夜、道祖神場で燃す。その燃える火を形容してどんど焼き、どんどん焼きとも地方的に呼び方がある。
火は古代から神聖視され、その威力に神力を信じてきたので、今でもどんど焼きの火で、上新粉(米の粉)で作った団子を焼いて食べるとかぜをひかないと言われる。またこの火のあおりで、子供たちは書きぞめの紙を空へ上げるが、高く上がれば書道の手が上がる-というならわしが各地で続けられている。』

山梨市牧丘町塩平(しおだいら)地区の獅子舞は、山梨市の無形民俗文化財として300年以上前から伝わる伝統芸能で、よくテレビにも出ている。
過疎化に伴う伝承者の減少や高齢化で多くの地域がやめてしまっている中、この地域では保存会を立ち上げて、今もしっかり行われている。

この地域では「どんどん焼き」と呼ばれ、毎年小正月に当たる1月14日に行われるらしい。

山梨のどんどん焼き
『どんどん焼きは、山梨市内では、道祖神場に子供たちが作ったわら小屋を焼く、火の祭典として行われるのが通例である。昭和30年代までは、小屋の内部に囲炉裏を切って、餅を焼いて食べたり、甘酒を飲んだりする遊びの部屋でもあった。
しかし、昭和50年代以降の稲作転換でわらの確保が難しく,その形態は変化している。
地縁集団である組を単位として、どんど焼きの直前1年以内に生まれた子供が仲間入り(あるいは氏子入り)する最初の行事としてどんど焼きを行う地域もある。
山梨市では、道祖神祭りの一環として、旧正月に氏子入りから14歳までの子供たちが当番の家に集まり,食事をともにする。』

青竹に飾りつけをした「おやなぎ」は、扇を使って太陽と月を表わし、日用雑貨を戸数分吊るし、その下に男女を表す「お山・お庁屋」がある。
                      どんど焼き お飾り


特に目を引くのは、大きな男根に見立てた柱状の藁を突き立てたモノ。
先端にミカンを刺し、檜の葉で覆われた中には藁で編んだ玉が二つ隠されている。

うぅ・・なんだかミカンは尿管結石のようで痛そう(?)だけど。
大らかな性の描写は、古代日本人の愉快であっけらかんとした感覚がうかがえ、楽しい。

ふむふむ、こんな大きなモノ、よく作ったなぁ、と感心するわたし。
が、こういうモノを見て「きゃっ、何これ。ヤダ、恥ずかしい!」という感性が全くなくなっている自分にふと気が付き、ちょっと寂しい気が。

道祖神まつりは、材料集めから、お飾りの製作、設置まで各部落の総力戦らしく、当日の午前中に皆で頑張って作るとのこと。

獅子舞が4時半から始まると聞き、周辺の様子を見て歩くことにする。

牧丘町教育委員会の解説パネルがあり、読んでみると。
「‥‥塩平集落は昔、公卿の落人により開拓された所といわれ、公卿平、公卿の墓等の遺跡がある。‥‥獅子舞の種類には三番叟、ご幣の舞、剣の舞、狂の舞、幕の舞がある。昔はこの外に鳥刺踊り、七福神、たたら万歳や歌舞伎狂言などもあり、素朴な山村の民俗芸能として親しまれている。‥‥」

公卿の落人?
知らなかった。

そういえばこの集落には藤原、宮原という苗字が多いらしい。
下の集落には三枝、日原などといった姓が多いのに。
確かに独自性を感じる。

塩平(しおだいら)から焼山林道を4キロほど入った左手に,地元の人たちが『お公家さんのお墓』と呼んでいる石碑があるらしい。
石碑の上部に菊の紋章が彫られていて、年号が江戸期の天保年間のものが刻まれているとしか分からないとのこと。

集会所の上の崩れそうな階段を上り、神社を拝ませて頂くと、中に雅な雰囲気の小さな擬宝珠まであるお宮が祀られていた。

なんとも不思議な感覚。

塩平は見事な富士山が望める。
この日も富士は辺りを寄せ付けない圧倒的な美しさで、孤高を楽しむがごとく、静かに佇んでいた。

この富士を都落ちしてきた公卿達はどのような気持ちで眺めたのだろうか。
美しい景色は寂しい落人の生活を、慰めてくれたのだろうか。

そういう思いで「おやなぎ」を見てみると、意外なほど雅な感じがする。

この辺りにある「鼓川」「笛吹川」「琴川」も公卿の落人達によって付けられたと思うと、腑に落ちる。
日々の手すさびに、都を想いつつ楽器を弾くこともあったのかもしれない。

そんな想像をしながら、いったん道の駅に戻り、コーヒーブレイク。
時間調整し再び塩平へ。

集落の顔役による御祈念の後、獅子舞が披露される。
笛、太鼓の演奏に合わせ、男女性を表す「お山・お庁屋」の前で獅子が伸びやかに舞い、1年の安全、子孫の繁栄を祈願する。

どんど焼き 獅子舞

その後いよいよ「どんど焼き」が始まる。
「お山・お庁屋」も燃やし、4メートルほどの藁で作った男根も一緒に燃やされる。
皆、枝に刺した白やピンクのお餅をその炎で焼き、分け合って戴き、蜜柑、お神酒が振る舞われる。

和やかな中にも厳粛に執り行われる道祖神祭りは、この後、公民館で三番斐、御幣の舞、剣の舞い、狂の舞、幕の舞全てが行われるとのことだが、熊男の家のある生捕、漆川地区の「どんど焼き」も観に行かせてもらいたかったので、五時過ぎに向かった。

暮れなずむ山の麓の公民館は明かりが灯り、大勢の人の気配がする。
宴もたけなわで、どうやら中で獅子舞もしている様子。
まだ「どんど焼き」をやる気配はない。


塩平の獅子舞はすっかり有名になり、今では観光客もたくさん来るが、集落の人間だけで寿ぐ獅子舞も観てみたい。

恐る恐る扉を開け、傍にいた人に写真撮影の許可を戴きたい旨伝え、快諾頂いた。
突然の珍客にもかかわらず、皆さん、嫌な顔一つせず、豚汁やお菓子、漬物を勧めて下さる。

実はマキオカネイチャークラブもこの地区に所属してるのだが、お祭りや草刈りなどの地域の行事にわたしは全く参加できていない。
夏はちょうどハイシーズンで忙しく、普段は鎌倉の自宅で仕事をしているので、申し訳ないが色々な行事は失礼させて頂いている。
そんなわたしを皆さんは優しく黙認して下さっている

味噌っかす状態にさせて頂いているのに、こんな時だけのこのこやって来てご馳走になるとは。

皆さん、申し訳ありません。
どんど焼きを見せて頂くだけのつもりだったんです。
ホントですっ。
うぅ・・。

小さくなっていると、集落の皆さんはどうやら吟遊詩人のような出で立ちのMさん達に興味を持たれたらしく、紹介するように言われ、皆さんの前でご紹介させて頂く。

Mさんが自己紹介中、「聞こえないぞ!」との檄が飛ぶ。

ホント、この辺のお年寄りは耳は遠いけど、とっても元気。
限界集落だけに「若い衆」と言われているヒトだって、60代。
老老介護ならぬ老々行事(?)を頑張ってされている。

5時半になったので塩平の公民館に舞を見に行くことにし、夜道を急いだ。

既に公民館では舞が始まっていた。
山家に似合わぬ典雅な舞。

              どんど焼き 公民館にて


ふと見ると、句が読まれていて、達筆で短冊に書かれ、飾られている。
やはりここの方々はやんごとなき方々の末裔では?と些細なことにも想像が膨らむ。

幕間に辞し、再び元来た道を戻り、生捕、漆川地区の「どんど焼き」を見に行く。

真っ暗な闇の中、天空に向かい炎が勢いよく火の粉を上げているのが遠目からも分かる。

皆、身内の気安さも相まってか、陽気に「どんど焼き」を楽しんでいる。
MさんやIさんも集落の皆さんにすっかり溶け込み楽しそう。

写真家のMさんの為に、「どんど焼き」の前で獅子舞を舞って下さった。

どんど焼き 生捕地区


この獅子舞、どうやらかなり体力を使うらしく、踊り終わったオジサンは苦しそうに肩で息をし、ゼイゼイ言っている。
いつもはやらない舞までやって頂いて、ホント、ありがとうございます。


                          どんど焼き 月光の下

月光と炎の下、乱舞する獅子。

漆黒の夢幻の世界。

普段見慣れているはずの風景が違う顔を覗かせ、まるで時空を超え何かに囚われてしまったような錯覚に陥る。

蒼い闇のしじまから古のやんごとなき方々の嘆きとため息が聞こえてくるかのような気がした。


つづく

「おまかせ呼吸と氣愛のおむすびワークショップ」に行ってきた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日料理勉強家 サトケンさんの 「おまかせ呼吸と氣愛のおむすびワークショップ」に行ってきました。

参加したきっかけは、いつものように全くの偶然から。

FBで繋がっている広島の方が、12月半ばにこちらで講演会のお手伝いをするために来るということを知り「こんな機会がなければ一生会えないかも。」と思い、その講演会に行くことにしました。

その前日にある集まりがあり、そこでその講演会の話をしていたら、なんとそこにいたEさんも行かれるというのでご一緒させて頂くことになりました。
当日Eさんが講演会の講師としていらしていたサトケンさんとお知り合いだということを聞き、ご紹介して頂きました。

サトケン(佐藤研一)
人生相談・料理教室・出張料理・ 断食アドバイス・呼吸法/瞑想法指導・講演(生き方、心理学、食事、健康、美容)・イベント・企業研修・各種プロデュースなど、「心・食・健・美」を中心としたトータルライフコーディネーターとして幅広く活動

白状すると、面倒臭がりで横着なわたしは、いつものようにろくすっぽ講演内容を調べることもしていなかったので、サトケンさんのことはあまり存じ上げていませんでした。

でも講演内容がとても面白く、自由に生きている方特有の、いろいろなものを乗り越えてきた自信と力強さに満ちたオーラが魅力的だったので、Eさんに「1月5日にワークショップがあるから行ってみない?」と誘って頂いた時、二つ返事で「行く!」と答えてしまったのでした。

いつも好奇心と「面白そう!」という動物的な勘だけで動いているわたし。
自由にし過ぎて娘や息子に叱られちゃうから、最近はあまりわたしの行動の詳細は話さないようにしているの。

それはともかく。

1月5日10時、新杉田に集合。
Eさん以外全員女性で、直接会場に来られる方を入れ参加者は総勢7名とのこと。

主催される中野アンリさん運転のワゴン車で、会場となる中野さんのご自宅に向かいました。

中野アンリさんはスタイル抜群の素敵な美人。
今年、自宅サロンにゲストをお招きしてワークショップを開催するUWプロジェクトを発進したとのこと。
その第一弾が今日の「料理勉強家 サトケンさんの おまかせ呼吸と氣愛のおむすびワークショップ」だったらしい。

そんな記念すべきワークショップに、わたしのようなとんちんかんなおばさんが参加させて頂いてよかったんでしょうか。
ご縁を戴きありがとうございます。
これからも是非頑張って頂きたい。

会場の自宅サロンは高台にある海を見下ろす素敵なお家。
こだわりのあるシンプルな暮らしぶりがうかがえる居心地の良い室内で、帽子の似合う笑顔のサトケンさんが出迎えてくれました。

まずは呼吸法から教えて頂く。

いろいろな所で「瞑想は大事」「呼吸法は大切」と耳にタコができる程聞かされ、それなりに挑戦したが、雑念が多く煩悩まみれのわたしは「瞑想すると迷走する」自分を知っている。

が。
サトケンさんの仰る呼吸法、シンプルで、こんなわたしでもできそうな気が。
気持ちもいいし、ちょっと日々の生活に取り入れてみよう、とついその気にさせてくれる。

そして呼吸法をしている時ミラクルが。
肩が痛くて手が上がらなかった参加者の方が、バンザイしちゃったそうです。

す、素晴らしい。
奥が深いぜ、氣の世界。

その後いよいよ「氣愛のおむすび」の作り方。
サトケンさんのレクチャー後、皆さんでおむすびを握るらしい。

え?そうだったの?
とにかくなんか美味しいものを食べられるんだろうな、という程度の認識だった。
そういうワークショップだったということをこの時初めて知ったわたし。

うぅ・・こんな何も考えず、調べもしないわたしが30年も学習塾をして子供たちに「ちゃんと調べなきゃダメだよ」とか「予習も大事」と言っていたとは。
ホント、穴があったら入りたい・・。

とにかく「氣奥のやりとり」が大事という。
いろいろなキオクから良いキオクを取り出す、とのお話に深く感銘を受ける。

目からウロコだったのはラップは使わず掌に塩を付け「美味しくなーれ」と念ずると、あーら不思議。
掌の菌によっておむすびはすっごく美味しくなる。
掌の常在菌と腸の常在菌は同じといわれているらしい。

清潔のため、なんていう理由でラップを使うなんていうのは菌に対して失礼だったんですね。
菌の皆様、ホント、申しわけなかったです。
                    
                 氣愛のおむすび(1)

氣愛のおむすび(2)


でもちょっと心配なことが。
参加者が二つずつおむすびを作って一つは自分が食べ、もう一つはどなたかが食べるというやり方。

参加者の皆さんは一様に穏やかそうで、ココロのキレイな雰囲気を醸し出している。
そんな皆さんに煩悩だらけでヨゴレタわたしの作ったおむすびを召し上がっていただいてよいものだろうか?

しかも塩好きのわたしはいっぱい塩をつけちゃったし。

参加者の皆さん、「あれ?氣愛のおむすびなのにしょっぱいだけであんまり美味しくなかった。」と思ったのがあったら、それ、わたしの作ったおむすびです。

スミマセンでしたっ。

その後サトケンさんが作った氣愛のおむすびを一口ずつ戴く。

お米が呼吸しているようなやさしい味。
見る人が見るとサトケンさんの手のひらからは金色のビームが出てるのが見えるらしい。
その話が素直に信じられるほど美味しい。

それはそうと。

昨日早速ふんどし息子に氣愛のおむすびを作ってお弁当に持たせました。
帰宅した息子に感想を聞いてみると「明らかに味が違う。」とのこと。
「今までのと比べると格段に美味しい。」と大絶賛。

嬉しい!

・・・ん?
でもちょっと複雑な気持ちがしないでもない。

「今までのと比べると」ってさあ。
その言い方だと今までのおむすび、すっごく不味かったように聞こえますが。
「氣愛のおむすび、とっても美味しい。」でいいんじゃないの?

はっ、いかん、いかん。
おばさんになると僻みっぽくなって、ほんと、イヤ。

とにかく氣愛の奥深さと不思議なご縁に感謝し、これからも愛を込めて氣愛のおむすびを作っていこうと心に誓うわたしなのでした。

つづく



松の内に思う

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日でいよいよ松の内も終わり。

我が家は今年も2日は皇居に一般参賀に行ってきました。

それにしても今年の一般参賀はスゴイ人だった。

                 2014皇居

去年あたりから規制が厳しくなり、かなり早い段階で警察官が群衆を誘導していました。

早めに皇居に着き、孫へのお年玉として絵本を丸善で買い、午後1時30分の回のお出ましに行こうと思っていたのが、ボディチェックと荷物のチェックが終わっていたにもかかわらず、途中で止められ最後の回(午後2時20分)になってしまいました。

何だか日本人の意識が目に見えて変わってきていると思うのは気のせい?
でもお蔭でわたしのチャチなカメラでもお姿を撮ることができるくらい、近くで拝見させて頂けました。

80歳になった天皇陛下は「本年が国民一人一人にとり、安らかな、穏やかなものであることを心より願います」とご挨拶されました。

                   天皇ご夫妻
 
皇太子ご夫妻

皇后さまや皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と、ネット上そのお可愛らしいお姿からもてはやされているという佳子さまもいらして、ホント、国旗を振る手にもつい力が入る。

                   佳子さま


和服姿、外国からの方も多くて、にぎにぎしい感じ。

わたし達もこの日には無理をしてでも和服で行くと決めているの。
じゃないと着物を着る機会が全くなくなってしまうから。

我が息子は、去年までふんどし、着物だけだったのが、今年はさらにバージョンアップしてトンビコート(金田一 耕助や絶望先生が着てるヤツ)まで羽織る始末。

トンビコート


あー、なんだかどんどん斜め上の方向に行っている気が・・。

その後実家に行き、親戚一同といつものように酒盛りとなりました。

それはともかく。

年末に見ていた「ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル 2時間SP」の番組中、水木しげるさんの御親戚の武良信行氏という方がUFOを呼び、それに応えるように大編隊タイプUFOが現れたのは面白かったな。
その後それについて触れるマスコミはいなかったから「あんなの信じたと知られたら、馬鹿だと思われちゃう」という風潮なんでしょうね。

まあ、あれがホントはどうかはわからないけど、ネットで飛び交っている「アセンション」やら「チャネリング」やら「次元上昇」(老眼気味なので小さい字だと面倒臭くて読めない)とかの文章。

もし本当にそういうことがあるのならば、身贔屓だけど我が子孫達にも生き残ってもらいたいと思う。

わたし?
わたしはもう十分に楽しませて頂きました。
それに既に生殖能力もないと思われる。
なので、子や孫には何とかして生き残ってもらい、頑張って頂きたいの。

こういう発想って、歳のせいか?

神道の祝詞にも「子孫の弥継々に。家門高く広く弥栄に立栄しめ給へと」(出雲大社日拝詞)や「子孫(うみのこ)の弥栄(いやさかえ)を計(はか)るべきことを 誓い奉(まつ)る 」(越中一宮 高瀬神社誓いの詞)とかの文言があるところを見ると、いつの時代にも共通の感情らしい。

思い出すのは3・11の際、津波で亡くなったおばあさんの話。

『“それでも生きる”< NHKクローズアップ現代から>

被災地で暮らす人たちの、1年を迎えるにあたっての心の変化を、アンケートを通じて、見ると言うもので、二組の家族がクローズアップされていた。

大船渡で暮らしていた母親と娘、祖父母の話。

震災当日、母は仕事で家にいなかった。
津波警報を聞いた祖父母は、娘を連れて、車で避難しようとした。
娘は、ダウン症の上に、目が見えない。地震でパニックになったのか、なかなか車に乗ろうとしない。
祖母が苦労して、ようやく娘を車に乗せた。
運転席の祖父が、さぁ、出発と思った時、ドアを閉めた祖母が叫んだ。

「行きなさい。後ろを見るな。行きなさい。助かってよかった。がんばって生きろ」

波が来て、祖母は「バンザイ! バンザイ!」と言いながら、流されていった。
祖父はアクセルを踏んで、間一髪、波から逃れた。』

この話をネット上で読み、泣きました。

私は、ドアを閉めて「バンザイ!」と送りだせるだろうか。
死ぬ直前、誰かを祝福できるだろうか。

人はそうあれかし。
わたしも、そういう心構えで生きていきたい。

そう強烈に思いました。

が。

この出来事について調べていたら、知恵袋にこんな記事が。

『たいへん心ない下衆の勘繰りな質問をします。
NHKの3.11ドキュメントでダウン症の孫娘を津波から助けるために車に押し込んだおばあさんが、そこで
「生きろ、生きろ、ばんざい、ばんざい」
そう叫びながら流されていったという感動的な話がありました。
人並みに心打たれましたけれども、心打たれながらも同時に本当なのだろうか、という疑問も浮かんでいました。』

それに対する答えの一つ。

『本当は…
「待ってけろ、ばぁさんまだ(乗ってない)」って叫んで、バンザイじゃなくて、両手で「戻ってぇ」と手招いていたのかもな。
あまりの壮絶な体験に、あれはバンザイだ、と記憶が書き換えられ のかも?』

・・・・・。

そういえばわたしも「車に乗れないくらい人がいっぱいだったらともかく、じいさんと孫だけなら何で乗らなかったんだろ。」とチラッと思わなくもなかった。

でも感動し過ぎて忘れていた・・。

むう。

いいのっ!
真実なんていつの時代も分からないものなのっ!

とにかく今わたしが「死ぬ直前まで誰かを祝福できる心構えで生きていきたい。」と思っているのは確かなんだから。

「子孫の弥継々に。家門高く広く弥栄に立栄しめ給へ」という祝詞を小さく呟いてみるわたしなのでした。



つづく



あけましておめでとうございます。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年末から年始にかけ、怒涛のように過ぎていきましたが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

我が家にとって、昨年はいろいろ充実した年でした。
初孫は産まれたし、ふんどし息子は無事就職できたし、旅行は楽しかったし。

今年はマキオカネイチャークラブに専念するつもり。
今ブログを読み返してみると、神社仏閣の話ばっかりで、肝心のアウトドアの話は全く出てこない。

そもそもブログを始めたのもマキオカネイチャークラブのことを少しでも分かって頂けるといいな、と思ったのがきっかけだったのに。

いかん、いかん。
このままじゃ単なる「変わり者のスピ系おばさんのブログ」だと認知されてしまう。
何とか立て直さなければ。

それはともかく。

元旦は例年のごとくお節を戴いてから建長寺の半僧坊に歩いていき、新年のご祈祷をして頂いた後、地元の神社にお参りをし、おみくじを引きました。

結果はわたしが中吉。
息子は吉。

さて、どちらが運勢がいいかというと。
これが調べてみると一定じゃないんですね。

『神社本庁さんにお聞きすると、「各地域によって分かれていることもあり、どの順番が良いかという明言はできません」といわれるが、 実は神社本庁のホームページにはおみくじについての詳細が記載されている。
それによるとおみくじは「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断」との記載がある。分かりやすく並べると以下になる。

大吉―吉―中吉―小吉―末吉―凶

という具合のようだ。
さらに凶の下に大凶、末吉の前に半吉が加わったバージョンもあり神社によって様々だ。また神社やネットのニュースによっては上記ではなく

大吉-中吉-小吉-吉-半吉-末吉-末小吉-凶-小凶-半凶-末凶-大凶

という順序も存在するようだが、神社本庁をはじめとする多くの神社が最初の物を採用しているので、上記順序がオリジナルということで間違いないだろう。これにより吉の位置づけがまるで違うので、運命を分けることになりそうだ。』

要するに
【1】良いものから順に……大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶、大凶
【2】良いものから順に……大吉、中吉、小吉、吉、末吉、凶、大凶
吉の中では大吉が一番よく、末吉がそうでもないということは共通しつつも、どうやらそれ以外は各神社や地域によって違いがあるらしい。 

わたしとしては息子が主張した「大吉ー吉ー中吉ー小吉を言い換えると、 凄くかわいいーかわいいーまあまあかわいいー少しかわいいと言い換えることができるらしい。」という説に物凄い説得力を感じたのでこの説を採用することにしました。

良かったね、息子よ。
今年は結構いい年になりそうだね。

それにしても昔付き合っていた人が続けざまに3回大凶を引いたのを見て以来、コワくなって30年近くおみくじを引くのを止めたわたしが、宗旨替えをして毎年元旦におみくじを引くようになったのには訳がある。

息子や娘が引くおみくじに書いている文章が、見事にその時の状況を言い当てていることが多々あり「も、もしやどこからか見ているのでは?」とキョロキョロしたくなるような適切なものだったから。

考えてみれば、神様からのメッセージを伺えるスゴイ機会をむざむざ失うのはもったいない話。
本当であれば、「依坐」と「審神者(さにわ)」がいなければ聞けないような神の託宣を、とっても簡単な方法で伺えるんだもんね。

さすが簡略化の国、日本。
斎戒沐浴を手水舎で済ませることができるくらいなんだから、おみくじだって、ホント、侮れない。


って、気が付けば、またしても神社仏閣の話になっている。

違いますよ。
ここは「変わり者のスピ系おばさんのブログ」じゃないですよ。

ただ単に歳を取って、そういう所と縁が繋がりやすいだけ。
皆さんも歳を取ってみればわかります。

とにかく今年もいい年になりそうな予感。
改めまして、今年もよろしくお願いいたします。


つづく



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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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