伊勢、京都、出雲に行ってきた!(28 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

とにかくレンタカ-の会社の人にも嫌な顔をされるくらい、鬼のように走り回ったわたし達。
なんとかぎりぎり18時55分の寝台特急「サンライズ出雲」に乗り込むことができました。

それにしても、これに間に合わなかったら大変なことになっていた。
もし予想外に道が混んでいたり、アクシデントがあったらどうするつもりだったんだ。
まったくもう!
と、出たとこ勝負で考えなしの自分達を叱ってやりたいよ。

とか言いながら嬉しさでつい顔がほころんじゃう。
うっしっし。

今回、わたし達が泊まったのはB寝台1人用個室シングル。

「サンライズ出雲」B寝台1人用個室シングル
『編成中もっとも多く用意されているのが、コンパクトな空間にベッドやテーブル、オーディオのコントロールパネルなどが使いやすくまとめられた1人用個室のシングルです。
ベッドの大きさは1960mm × 700mmでシングルデラックスにも肉薄。1・2階とも十分な天井高も確保され、快適な一夜を過ごせます。
個室の195×87高さは約1800mm。大人でも無理なく立ち上がることができます。
B寝台個室(シングル):22160円(乗車券11660円+特急・寝台料金10500円)』

憧れの寝台特急。
まあ、一緒に乗るのがふんどし息子ってのがちょっとなんだけど、それは仕方がない。

でも誤算だったのは「サンライズ出雲」に車内販売がないということ。
慌てて売店に買いに走ったが、駅弁は既に全て売り切れ。

ど、どうすんの?
車内でワイン片手に美味しい駅弁や地の物を戴くという構想が、最初の段階で崩れちゃうじゃないか!

やっと買えたたこ焼きとコンビニ弁当を携え、滑りこんできた「サンライズ出雲」に嬉々として乗り込む。

               サンライズ出雲 乗車前

室内はほぼベッドで埋まっていて、壁際に小さなカウンターデスクとカップホルダー、姿見鏡を装備されている。
中に入ると木目が優しい落ち着いた雰囲気。
さすが住宅会社とコラボし、グッドデザイン賞を得ているだけある。

確かに狭いけど、わたしのような庶民はこの狭い空間が意外に落ち着く。
荷物を入れると満杯状態だけど、車内ということを考えると十分なスペース。
4ケタの暗証番号でロックがかかるので、セキュリティ面も安心。備品は、枕・パジャマ・スリッパ・ 毛布 が用意されている。

それぞれの個室に入り、落ち着いたところで息子の個室に行って、打ち上げの酒盛りを始める。
「島根ワイナリー」で買ったワイン「神在月」やおつまみを出し、まずビールを飲みながらたこ焼きを頬張る。

        サンライズ出雲 ワイン


うーん、沁みる。
ふっふっふ、すっごく幸せ。

そうこうしている内に「サンライズ出雲」は出雲市駅を出発。
一階にあるわたし達の個室の部屋の大きな窓はホームより低いので、見送りの人の足元を見上げることになる。

                      サンライズ出雲 ママ

ホームがちょうど目の高さにある不思議な世界。

モノを見る角度が少し違っただけでこんなにも変わるならば、わたし達はもっとたくさんの見方を手に入れなければ、とぼんやり考える。
今回の旅によって、わたしも少しは自分の違う角度を見つけることができたのだろうか。

この旅はまさしくわたしにとって特別な巡礼だった。

伊勢の空に浮かぶ虹、出雲の瑞雲に迎えて頂いた。
日御碕神社の、この世のものとは思えないくらいの崇高な美しさを湛えた夕日と、どこからか落ちてきた白い鳥の羽のことは絶対に忘れない。
さらに無理だと思われた遷宮後の内宮に連れて行って下さったカップルとの出会い。
不思議な偶然によって貴重な参拝をさせて頂き、古式床しい「大御饌(おおみけ)」の儀式も拝見できた。

息子と笑いあったことも、罵り合ったことも、あと20年も経てば忘れてしまうかもしれないけど。

                        サンライズ出雲 車内


そんなことを思いながら息子と思い出話をしていると、結構酔いが回るのが速い。
轍の響きを聴きながら深い眠りについたわたしなのでした。


・・・・・・・・・・

それにしても9月30日の深夜24時YCATから始まり一週間続いたこの旅。
まさかこんなに書くことがあると思わなかった。
長々とお付き合い頂きありがとうございました。

何といってもボケやすい昨今、しっかり書き留めておかなければ全部まるっと忘れてしまう。
楽しかった旅をできるだけ記憶に留めておきたい、と思って書いていたらこんなに長くなっちゃいました。

書いてる本人でさえ「あー・・、まだ京都?」なんて息も絶え絶えだったんだから、お付き合い下さった皆様はどんなにか「おい、長過ぎ!いいかげんにしろよっ。」と怒鳴りたい気持ちがふつふつと沸いてきたことでしょう。

ホント、申しわけありません。

ましてやアウトドアが好きで読み始めたのに「キャンプのことが書いてあるんだよね?・・あれ?違う?」と思われた方。

許してね。

とにかく年内に「伊勢、京都、出雲に行ってきた!」を終わらせることができてホント、良かった。

はー、肩の荷が下りました。
(謎の使命感・・。「誰が書けって言ったんだ。頼みも期待もしてないっつうの!」という突込みが聞こえる・・)

つづく



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伊勢、京都、出雲に行ってきた!(27 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「絶対に黄泉比良坂(よもつひらさか)に行きたい。」と言い張っていたにもかかわらず、あまりの禍々しさに断念せざるを得なくなり、不機嫌になった息子を乗せ、出雲方面に車を走らせる。

とにかく18時55分の寝台特急「サンライズ出雲」に乗るためには、遅くとも18時半位には出雲駅に着かなければ。
しかもその前にガソリンを満タンにしてレンタカーを返さなきゃならない。

でももう既に17時20分。
ナビで見ると出雲市まで意外に遠い・・。

そんなことを考えながら運転していると、隣で息子がぶつぶつと文句を言っている。

「何で一緒に行ってくれなかったんだ。」
「ボクは本当に行きたかったのに。」
「この機会を逃したらもう行ける機会はない。」

初めの内こそ「仕方がないでしょ。」とか「そんなに行きたかったら、一人で行けばよかったじゃん。」とか「また来ればいいでしょ。」とか言っていたが、いつまでも不満そうにぶつぶつ言っているのを聞いている内にだんだん腹が立ってきた。

ホントに腹が立つと無口になるわたし。

今日一日あっちこっち駆けずり回りクタクタになっている上に、今も小雨の中、急いで運転しているこっちの気も知らずにいつまでもグダグダと・・。

そんなわたしのサインに気付かないのか、気付いても一回出てしまった文句のスパイラルは止めようがないのか、更に文句を言い募る。
ダメ出しをするように「ねえ、聞いてんの?」と話しかける鈍感な息子。

「うるさいっ!いい加減にしろっ!!」
突然怒鳴ったわたしの様子を見て、やっと「こりゃマズい。」と気が付いたらしく、息子も沈黙する。

車内に流れる不穏な沈黙。

普段はなんだかんだ言いながら、まったくもって子供に甘く温厚な(いや、ホントに)わたし。
このわたしがこういう怒り方をするって、あまりない。(年に2~3回。あれ?結構ある?)
よっぽどヒドイ時ですよ。

感情を爆発させながらも、一方頭の片隅で冷静に「親としてここは怒っとかなきゃならん」って感じる時は、しっかり怒らなきゃいけないと思う。
成人した人間に、関係性を慮らず嫌なことを言えるって、親くらいだもんね。

他人だったら「こんなこと言ったら後が面倒。」とか「付き合いづらくなる。」とか考えて、言いたいことがあっても飲みこんじゃうもんだけど。
ある意味大人になって真正面から耳に痛いことを言ってもらえるって有難いことだ、と心の底から思えるようになったのは結構歳を取ってから。
だから子供に嫌われようとも、どしどし嫌なことを言っていく所存。

それはともかく。
お互い口を利かぬまま、真っ直ぐ前を見て黙りこくる親子。

まったく長い旅行の最終日の、最後の最後にこんな険悪な雰囲気になるとは。
いったいどういうこと?

暫くして沈黙に耐えられなくなったのか、息子がボソッと「悪かったよ。」と言い出した。
わかりゃいいんだ、わかりゃ。

車内の空気が途端に柔らかくなる。
和解成立。
それにしても、これは黄泉比良坂の禍々の呪いなのか?

とにかくこんな終わり方はイヤだ、ということで意見が一致。
どこかで口直しならぬ厄払いをしよう、ということになる。

それにしても時間がない。
でもでも、どうしたら?

タブレットで調べていた息子が「須佐神社は厄除けの神様らしいよ。」と言い出した。
ナビで見てみたら出雲市から30分くらいらしい。
到着予定時刻は18時05分。

いや、無理でしょう。
リスクが大きすぎる。
途中何があるかわからないし。

と、普通は大人の判断をするところですが。

あの親子喧嘩がどうしても「黄泉比良坂の禍々」のせいのような気がしているおバカな親子は、何と須佐神社に行くことにしてしまうのでした。

暮れなずむ道をレンタカーでかっとばすわたし。
もう辺りの景色なんかを楽しむ余裕なんかあるはずもない。

山また山の、そのまた奥にある聖域といわれる奥出雲までの道のりは一方通行あり、トンネルありの寂しく険しい道。
でもそんなことは言ってられない。
目を血走らせて、何かに憑りつかれたようにハンドルにしがみつく。

今にして思えば、何故そこまでして?と肩を叩いてあげたくなる感じ。
我ながらアホですな。

そぼ降る雨の中、須佐神社に着いたのは、18時過ぎ。
駐車場に車を入れると同時に駆けだすわたし達。
辺りは既に暗闇に包まれている。

とにかく本殿に参拝させて頂く。

                 須佐神社

須佐神社
『「出雲国風土記」に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。
全国に数多くある須佐之男命(すさのおのみこと)ゆかりの神社の中で、唯一御魂を祭る由緒正しい古社。』

どうやらスピリチュアルカウンセラーの江原さんが「最強のパワースポット」として紹介したのと、今年に入ってからは遷宮効果で更に参拝者が増えているらしいが、こんな時間に来ている参拝客はわたし達だけ。
一度一人旅でここに来たことのある息子が「ここだけは。」と本殿の裏にある樹齢が1300年を超えるとも言われている杉の木に連れて行ってくれた。

『須佐神社の神域の中で、とりわけ強烈なパワースポットになっているのが本殿の裏手側にある樹齢1300年を超えるこの御神木の周りだと言われています。
この大杉は幹の周囲が6メートル、根の回り9メートル、樹高約21メートルの大木です。
また、このご神木は昔、加賀藩から帆柱にと、金八百両で所望があった時、須佐国造がこれをことわったと伝えられています。 』

このご神木の周りに大きなパワーが流れていると言われているらしく人気が高いらしいが、この時のわたしはパワーなんか二の次。
取りあえず手だけ合わせて、脱兎のごとく駐車場に駆け戻り、あっという間にエンジンを掛け出発する。

後はとにかく出雲駅に一刻でも早く着くよう祈るのみ。
真っ暗い道をひたすら走る。

もう無駄口を利いている暇はない。
でも不思議なもので、行きはあれほど遠く感じた道が帰りは意外に近く感じる。
須佐神社のお蔭か、心なしか気持ちもすっきりし、車の流れも順調。

そしてなんとか出雲市に18時20分過ぎに到着。
ガソリンを入れ、レンタカーを返し(あまりに長距離を走ったので嫌な顔されました)出雲市駅に着いたのが18時35分。
慌ててお弁当を買いに走るも、当然売り切れている。
仕方なくたこ焼きと、売れ残ったコンビニ弁当を買う。

ふー・・。
ありがとうございます。
何とか無事帰れそうです。

今調べたら出雲市から25キロの道のりで、バスだと40分かかるらしい。
何だってこんな無茶な旅を最後の最後までしなきゃならなかったんじゃ。

でも須佐神社に参拝すると、「魔を断ち切る」という神佑があるとか。
してみると行かなければならない場所だったのではあるまいか。

須佐神社は「特別な神秘の力」があると言われているらしい。
思い返してみれば境内は凛とした気が漂っていて、髪を振り乱して走りながらも、心も洗われるような清々しさを感じたような気がする。
神様がおられる気配が漂っていたけど、あんな時間に駆け込んできた必死な面持ちの親子を、どのようなお気持ちでご覧になっておられたのだろうか。

そう想像すると申し訳なく恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。

いまだに古式ゆかしい格式を保っておられるという須佐神社。
今度は居住まいを正し、ゆったりとした気持ちで、きちんと御神気を感じさせて頂けるように伺わせて頂こう、と心に誓うわたしなのでした。


つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(26 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

機嫌よく八重垣神社を後にしたわたし達。
もう時間は4時20分を回って、小雨も降ってきた。

ところが息子は「絶対に黄泉比良坂(よもつひらさか)に行きたい。」と言い張る。
どうせアニメか何かの影響に違いないだろうけど、そんなことを言ってまた言い争いになっても面倒なので、急いで向かうことにする。

「黄泉比良坂」は「揖夜神社(いやじんじゃ)」のそばにあるらしい。
どちらも名前だけで既に迫力があるというか、ちとコワい。

町内の旧道沿いのさびれた商店街を抜け、何とか5時前に到着。
揖屋神社は町の少し東に外れた所に杉の大木に囲まれ、実に荘厳に鎮座していた。

階段を上って行くと、外から見るよりもはるかに大きな境内は静けさに包まれ、少し恐ろしいくらい。

               揖夜神社

もう日暮れが間近なせいか、人っ子一人いない・・と思いきや、社務所に男性がお一人座っていた。

揖夜神社(いやじんじゃ)
『意宇六社の一社で 熊野大社とともにもっとも古い神社の一つとされている。
当社の創建時期などは不明となっているが、かつて、黄泉比良坂(よもつひらさか:黄泉の国への入り口)がこの付近とされており、当社社名にもみられる「いや」という響きには、死のイメージがあると指摘するものもいる。
ただ、具体的なことは、ほとんど分かっておらず、式内社にある揖屋神社に比定される。
「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」ともいわれ、このあたりを指したと言われている。
大和朝廷は伊布夜社を「黄泉国」への入り口と位置付けていたようだ。』

イザナギノミコトは死んでしまったイザナミノミコトに会いたくて、黄泉の国に行くが、変わり果てた姿におののき走って逃げ帰る。
追っ手が来る中やっとの思いで脱出し、ちびきの岩で封印をしたという、その場所が「黄泉比良坂」とのこと。

この話は古代の神話として、知らない人はいないくらい有名な話。
確かに黄泉の国とのつながりが深いここは「死」のイメージがつきまとう。

さらに日本書紀は「斉明天皇の時代、犬が死人の手を言屋社(いうやのやしろ)に置いた。天皇崩御の前兆だ」と記している。
この犬が死人の腕を置いた言屋社こそがこの揖夜神社であるとされている。

数々の怖い神話にビビるわたし。

が、ここの凛とした空気はそんなイメージを全く受け付けない。
静かで厳かで、引き締まったような気が横溢と流れている。

どう見ても社格が高く気品がある。
由緒書のよると、平安朝以前より広く知られていた古社で古より朝廷の崇敬が篤かったとのこと。

まるで噂に惑わされて、高貴な方を貶めていた気分。
何だか申し訳ない・・。

とにかく時間もないことだし、参拝させて頂き、周辺を歩く。

本殿の向かい辺りを見回すと、見慣れないものが目に飛び込んできた。
いくつかの社があり、その中に極めて多数の幣が地面に突き立てられ、その四方を竹と注連縄とで囲むようにしているものがある。

本殿側とは明らかに空気が違う。
鬱蒼とした木々の中、何やら恐ろしげな雰囲気は、むしろこちらの方から感じるのは気のせい?

近寄るのも躊躇われ、社務所にいた年配の男性に声をかけてみる。
お話してみるとこの方は崇敬会に方のようで、いろいろ聞かせて下さった。

本殿の前のたくさんの社は、近隣の集落が作ったもので、まだ農村が貧しかった時代、これほどの社を造れるほど、この辺は豊かだった、とのお話。
ということは、幣が地面に突き立てられているのもこの辺りの風習なんですかね。

どちらにしても、もう暗くなりかけている。
御礼を言い、何かに追われるように揖夜神社を後にする。

いよいよ息子が行きたがっていた黄泉比良坂に向かう。
あの世とこの世の境にある「イザナギ、イザナミ最後の通い路」黄泉比良坂は、揖夜神社から直線距離で700m位らしい。

途中間抜けな感じの看板が国道沿いにある。

                    黄泉比良坂 看板
「黄泉の国への入り口」って・・。
まるでローカルな遊園地の標識のようなお安く楽しい雰囲気。

道を進んでいくと、小さな駐車場があり、横には沼のような淀んだ池がある。
石版があり、以下の文面が。

黄泉の國の醜女達に追われ
ここに逃れてきたイザナギ命は
桃の実を投げつけ退散させた
最後にイザナミ命自ら追いきたり
大岩をもちて塞ぎ
生の國と死の國の境となせり
千引の大岩なり
これより西二百米に道祖神あり
追谷坂と呼ぶ急坂を下れば
揖屋村谷に通ず
又東四百米に峠あり
夜見路超えとて
中意東馬場に通ずる古道あり
ここの神を
塞坐黄泉戸大神なり

むう。
何やら気のせいか冷気まで漂ってくる感じ。

車を降りて近くに行ってみると、石柱が2本、まるで鳥居のように立っていた。
2本の石柱には細いしめ縄が結ばれ、結界を示している。
石柱の先には、石組みの台座の上に石碑が鎮座している。

さらに、裏山の茂みの陰に2つの大きな石が置かれている。
ひっそりと、こちらをうかがっているような表情で、物言わぬが故にかえって恐ろしい。
今ここで写真をとったら8割の確率で心霊写真が撮れると思う。

小雨の中、もうすでに暗くなりかけている山道を恐る恐る進む。
すると「黄泉比良坂 徒歩3分」という小さな標識を発見。

息子が「登ってみよう。」という。

え?
無理無理、絶対無理。

「あの世との境界線」とか「黄泉國の入り口」とか、そんな話はどうでもいい。
そんなことより、変態や殺人犯が潜んでいても不思議じゃない禍々しい暗闇が大きな口を開けている。
何が哀しくてはるばるこんな所まで来て、そんな山道を登って行かなきゃならんのじゃ。

「そんなに行きたきゃ一人で行け。」というと、それも嫌だと言い張る。
優しいわたしは、たいがいのことはお付き合いするんだけど(逆らうとかえって面倒なので)こればっかりは無理。
それでもしつこく追いすがる息子に「フザケンナ。」と言い残し、一人でとっとと駐車場に帰ってきた。

ったく、冗談じゃないよ。
それでなくても禍々しい所を、夕暮れ時のそぼ降る雨の中、携帯の灯り頼りに真っ暗な山道を歩けるかっつうの!
自分ひとりじゃコワいからといって、人を巻き込むのは止めて欲しい。

そこにちょうどタイミングよく一台の車が駐車場に入ってきた。
中年の男性が何故か一人で見学に来たらしい。

こちらに気付き、一瞬ビクッとなったのが分かる。
このヒトもちょっとびびっている様子。

暫くすると息子が青い顔で戻ってきた。
聞くと、コワくて目的の道祖神の所まで行けなかったらしい。

そりゃそうだ。
いくらなんでもあそこはヤバすぎる。
わたしのハザードランプはとうに点滅を過ぎて焦げ臭い煙が出てる。
後から来たオジサンも、わたし達が車のエンジンをかけると慌てて戻ってきた。

一目散に駐車場を後にする。

この後不機嫌になった息子と言い合いになり、長かった旅の最後の最後というのに大変なことになっていくのでした。


つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(25 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

鄙びた雰囲気の御井神社を後に、わたし達は八重垣神社に向かいます。
早く行って息子の恋愛成就の為にお参りしなければ。

が、息子は己の恋路の険しさが分かっているかのように「トイレに行きたくなった。」と言い出した。

ちっ、仕方がない。
先を急いでいるのでスルーしようとした「荒神谷遺跡公園」がすぐ近くにあるから、そこでトイレを借りるとするか。

せっかくだからと荒神谷遺跡にも行ってみた。

荒神谷遺跡
『昭和58年に広域農道の建設の調査で、一片の土器が見つかった。
それは古墳時代の須恵器で、それをきっかけに発掘調査が始まった。
そこからそれほど離れていない山の斜面から385本の銅剣が出土。そして7mしか離れていない場所で銅鐸(6個)と銅矛(16本)が出土した。
その当時調査に関わった人からの話では、銅剣が見つかった場所は明らかに土が盛られていた形跡があったとのことである。
今まで日本で発見された銅剣の総数より、ここ一箇所で発見された銅剣の数の方がはるかに多い。』

『斐川町の荒神谷遺跡から358本の銅剣が発見されたことは、全国の人を驚かせました。なぜなら、それまで全国から出土した銅剣の総数約300本を、一ヶ所からの出土でありながら、はるかに上回ったからです。
 しかし、358本という銅剣の数は何かを意味するものでしょうか。

この点につき、興味深い指摘があります。古い記録に載っている神社数が399社なので、358本は埋められたときの出雲の神社数ではないかというのです。

しかも、銅剣は四列に並べられ、一列目は34本、二列目は111本、三列目は120本、四列目は93本ですが、一列目は意宇郡の神社数に、2列目は島根・秋鹿・楯縫三郡の113社に、3列目は出雲郡の120社に、4列目は神門・飯石・仁多・大原四郡の97社に、それぞれ応じているのではないかというのです。

なぜ埋められたかについて、「土中保管説」(次にお祭りをする時まで地中に保管しておく)や「土中隠匿説」(緊急事態が起こったので急いで隠した)などがありますが、そうであるなら、ばらばらの数で四列にする必要はあまりないようですね。
こうした考え方から、出雲のそれぞれの神社を中心とした集落に銅剣が配られていて、荒神谷でお祭りをするときに、地区ごとに持ち寄り四列のまとまりにしたとして、358本という数は、意味を持つものだとされるのです。』

ホント、古代の浪漫満載ですな。
いや、思ったよりスゴイところでした。

発掘現場がきれいに保存され、見学できるようになっているのですが、なんだか空気感が違う。

荒神谷遺跡

古代の祭祀が行われていたからか、小雨降る中誰もいなかったからなのか、真昼間というのに空気が重い。
長居は無用とわたしのセンサーがハザードランプを点滅させている。

しかも今日は出雲大社の早朝参拝に始まり、「稲佐の浜」「命主社」「真名井の清水」「御井神社」「三井戸」「実巽(じっそん)神社」と息つく間もなく駆けずり回り、時間がない。
行き当たりばったりに行動しているにしても、今日は旅行の最終日。
万が一、奮発した「サンライズ出雲」に乗り遅れたら大変。

とにかく先を急がねば、と走り出すわたし達。

途中お昼を食べたりしていたら、結局八重垣神社に着いたのは3時過ぎ。
それでも駐車場は車で一杯だった。
さすが恋愛成就の大神として知られるパワースポット、人気があるんですね。

八重垣神社
『社伝によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。佐久佐神社という名前は延喜式神名帳に記載されているが、式内・佐久佐神社は当社の他、同市大草町の六所神社も論社となっている。元慶2年(878年)に正五位上の神階を授かった。佐草氏が神職として奉仕し、近世には八重垣大明神と称された。』

え?
ホントは佐久佐神社っていうの?
八重垣神社っていうのは近世になってからのものなんですね。

「石神国子」っていう、固いけどスバラシイ親がつけてくれた名前を、芸能界デビューする際、わかりやすく親しみやすい芸名に変えた「石原さとみ」みたいな?(違うか)

ってことは『ヤマタノオロチを退治するときスサノヲノミコトがクシナダヒメを佐草の里の大杉(奥の院)を中心に八重垣を造って隠しました。』とか『「鏡の池」はクシナダヒメが、に勧められ、この社でヤマタノオロチから身を隠している間、鏡代わりに姿を映したと伝えられる』なんていうのも、伝説以前の問題なの?

ふーん。
・・まぁ、いいや。

そんなこと言ってたらつまんないし。
伝説を信じる人達が集まっていれば、物事ってそういう方向に動くようになるのは本当だと思うし。
ネットには八重垣神社の恋占いがいかに当たるか、という話が満載。

うん、あたしゃ信じることにするよ。

だってせっかくここまで来たんだから、クシナダヒメが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の難を避けるために、ここに避難したと思った方が楽しい。

八岐大蛇に怯えながらも、逞しいスサノヲノミコトに恋をし、儚げなその身を隠す美しいクシナダヒメ。
 
そして大蛇を退治したスサノヲノミコトが、ここで日本最古の和歌といわれる「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」という喜びの歌を詠ったと思ったほうが格段にオモシロイ。

恋に身を焦がすスサノヲノミコトのクシナダヒメを見つめる目は、高貴な光を湛えつつ欲望に燃えていたかも。

あ、そうそう、古事記では櫛名田比売(くしなだひめ)、日本書紀では奇稲田姫(くしいなだひめ)と表記されているらしい。

それはともかく。

ここは着物を着た「縁結び娘」が、無料でガイドしてくれるという。
集合場所に行ってみると「なんちゃって着物」を着た、娘というには薹が立った感じの方が(失礼)元気に案内してくれた。

本殿をお参りして夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉「連理の椿」や、素盞鳴尊が稲田姫を大蛇からかくまった場所といわれる八重垣を造った大杉の跡などを案内してくれる。

社務所で売られている薄い半紙を買ってから、いよいよ社殿後方の「奥の院」に向かう。

ここ八重垣神社の一番のウリは「鏡の池」と呼ばれる神池でできる良縁占い。
「半紙のの中央に、小銭を乗せて池に浮かべると、お告げの文字が浮かびます。
紙が遠くの方へ流れていけば、遠くの人と縁があり、早く沈めば、早く縁づくといわれています。このため、軽い1円玉を使うのを避けて、10円もしくは100円で占いを行うといいかもしれません。
また、紙の上をイモリが横切って泳いでいくと、大変な吉縁に恵まれるそうです。」
と「縁結び娘」が説明してくれる。

むう。
1円なんか沈められてもやだもんね。
できたら重い硬貨(500円玉とか)の方がいいに決まってる。
それをさりげなく商売を感じさせずに結びつけるとは。
やりおる。

それにしても、ここはたくさんの女子が半紙を手に、真剣な表情でしゃがんでいる。。
池はどろどろの半紙が底に溜まり、人々の欲望や情念と溶け合って、もはや糊状になっている。

まず息子が半紙を浮かべ10円玉を載せてみる。 

                       八重垣神社

半紙は水の上に浮かび、なかなか沈まない。
こりゃやっぱりダメか、と思いきや。
しばらくしてあっという間に沈んでいった。
ちょっと歳を取ってから激しい恋に落ちる予感。

次はわたしの番。
やはり半紙に10円玉を載せる。

いい歳をしてと思われると恥ずかしいので「馬鹿馬鹿しい」という顔をしながら、結構真剣に見入ってしまう。
もはや沈むのが早かろうが遅かろうが関係ないのに、何ででしょうね。

ふと見ると、「縁結び娘」が言っていたイモリがどこからともなく出てきた。

おっ、スゴイぞ、スゴイ。
残念ながら紙の上は横切らなかったけど、すぐそばには来てくれた。
そして半紙はあっという間に沈んでいった。

こりゃすごい良縁が期待できそう!

縁は男女の縁のみにあらず。
仕事にしても、友人にしても全ての森羅万象は縁にて繋がっているのだからして、これは吉兆ですな。

ありがたし!

ちょっと悔しそうな息子を尻目に、一人悦に入るわたしなのでした。

つづく


伊勢、京都、出雲に行ってきた!(24)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

レンタカーでまず向かったのは「島根ワイナリー」。
ここで「神在月」というワイン、おつまみを買う。

ふっふっふ。
これ、今日乗る予定の寝台特急「サンライズ出雲」で飲むんだもんね。

今日はとにかく恋愛成就の大神として知られるパワースポットの「八重垣神社」に行こうと思う。
なんといっても神様に、うちのふんどし息子の為にいいパートナーを見繕ってもらわなければっ。

一生結婚できない不良債権になられたら困るもんね。
わたしの老後にもかかわってきちゃうことだし。
歳を取ってよれよれになりながら息子のふんどし洗うなんて絶対ヤダ。

車を走らせながら息子に調べてもらい、途中にある神社にも寄ることにする。
まず立ち寄ったのは御井神社(みいじんじゃ)。

御井神社
『大国主の神話に登場する八上比売(やがみひめ)とその子である木俣神(このまたのかみ)にまつわる伝承のある神社で、安産の神、母子の生々発展の神様でもあるとして信仰されている。』

御井神社は田舎の景色に溶け込んでいる。
ここは観光客の姿は全く見えず、村の鎮守様といった風情。
階段を上って行くと、狛犬が鎮座している。
安産の神として信仰されているだけあって、狛犬も珍しく母子一緒。

              御井神社 狛犬


祭神の木俣神は大国主神(オオクニヌシノカミ)の最初の妻、八上比売命(ヤガミヒメノミコト)の子。
大穴牟遅神(オオムナチノミコト…オオクニヌシノカミ)が兄弟神様と一緒にヤガミヒメノミコトに求婚に行ったとき、兄弟達ではなく、オオクニヌシノカミに心奪われ結婚する。

さすがモテモテの大国主神。

そして出雲の国に来たけれど正妻の嫉妬深い須勢理毘売命(スセリビメノミコト)がいるということを聞き、畏れた八上比売命は引き返したが、途中、産気づき出産。
そして三つの井戸の水で産湯につからせてから、木の俣に預けて因幡の国に帰ったそう。
そのためにその子は木俣神と名づけられたんだとか。

大国主命は奥さんも沢山いたし、御子神においては古事記では180人、日本書紀では181人もいたという説もあるのだから、そんなに怖がらなくても大丈夫だったのでは?とも思う。
いや、若いころは元気で激しいヤキモチヤキだった須勢理毘売命も、歳を取って面倒臭くなりオットの浮気を諦めるようになってから、急激に妻が増えたとも考えられる。

それにしても木俣神って・・。
ひ、ひどい。
そんな名前の付けられ方ってどうなの?

母に置いていかれた赤子が成長して、自分の名前の謂れを聞いた時受けるだろう衝撃を気をかけつつ(余計なお世話です)参拝を済ませ、神社の近くにある八上比売が出産の時に産湯を使ったという伝承がある井戸に行ってみる。

三井戸
•生井(いくい)安産と子育ての水神
•福井(さくい)母子の幸せを司る水神
•綱長井(つながい)母子の寿命を司る水神。

三井戸の霊水を含んだお洗米を、産湯の中に二、三粒入れると、子どもが難なく育つと言い伝えられている。

『島根県歴史名水に選ばれている。元来この3つの井戸に対する信仰が神社に発展したものと考えられる。社地の近くにはかつての大社造の社殿の遺構と考えられる9本柱の柱穴がある杉沢遺跡が発掘されており、初期の社地と推定されている。』

専門家によると御井は三井であり、井戸があったところに物語がくっついたと考えられているらしい。
御井神社の解説板には「日本最古の井戸で宮中にも御分霊して祭られている。」とも書かれている。

取りあえず今のわたしには「生井」はあまり関係ないな。
・・いやいや、待てよ。人生は死ぬまで子育ては終わらないともいえる。
やっぱり3つともお参りしておこう。
                    御井神社 生井

農道のそばにひっそりとある三つの井戸はどれもそんな歴史的な背景があると思われないような佇まい。
清楚な田園風景になじんでいる。
50年前までは滾々と水が湧き出ていて、掘りぬき井戸としては日本最古ともいわれているらしい。
 
それぞれ100メートルほどの間に点在していて、違った趣きがある。
このご時世、特に「綱長井」(母子の寿命を司る水神)でのお祈りは力が入る。
いやいや、長生きするだけじゃダメ。
やっぱり「福井」(母子の幸せを司る水神 )にもしっかりとお願いする。

ネットで調べていたら、近くに八上姫を祀った実巽(じっそん)神社があるという。どうせならそこも行ってみようと思い探したが、なかなか見つからない。
それもその筈、工事中の道路の向こうの、田んぼの際にあった。

畦道を歩き、用水路を跨ぎ、不審げにこちらを見ている農作業中のじいさんの視線を気にしながら小山を上ってみた。

実巽神社 は鳥居も狛犬もない簡素な造りで、本殿は村の集会所を小さくしたような味のない造り。
でも丁寧にお祀りされていることが分かる。

実巽神社


巽(そん)という文字は、股とか縁談とかの意味があり、占いの易経の八卦の一つで、方角は南東らしい。
確かに御井神社の南東に位置している。

御井神社の社地は1キロ四方に及んでいたとも言われているので、ここもおそらくかつては広大な敷地を有していた御井神社の境内だったのではないかと思われる。

「この辺りは、大昔は地の底から湧き出る三つの泉を祀った聖地だったのかもしれない。」などと古の神々と人々に心を馳せながら歩いていると、用水路を跨ぎ損ねて転び腰をしたたか打ってしまった。

不審げにこちらを見ていたじいさんが半笑いになる。
仕方なくわたしも痛みを我慢して涙目になりながら、にっこり会釈する。

こういう時、しみじみ「わたしって日本人だなぁ。」と実感する。

太古の人々も、きっとこうやって目と目で会話していたに違いない。
だってそれが日本人だから、と腰をさすりながら呟くわたしなのでした。


つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(23)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

早朝参拝を終え、朝食を済ませたわたし達。
いよいよ「伊勢、京都、出雲の旅」も最終日です。

18時55分の寝台特急「サンライズ出雲」で帰ることになっているので、出発までの時間をレンタカーで回ることにしました。

チェックアウトを済ませ、「稲佐の浜」に向かいます。
気を付けていないと、見落としてしまいそうになるくらい近い。
海岸線に丸い島があり、鳥居が立っている。

                   
「稲佐の浜」は国譲り神話の舞台。
古事記の中でも「伊那佐の小濱」として登場し、旧暦の10月神在月(かみありづき)には、ここの浜から八百万の神々が上陸、「神迎神事(かみむかえしんじ)」が執り行われるという。

全国の八百万の神々をお迎えする浜であり、出雲の歴史を語る上で非常に重要な場所らしい。

神話では、高天原から下った建御雷命と、出雲を支配していた大国主神が、砂に太刀を立て、国譲りの相談をしたといわれる浜で有名とのこと。

海岸にある鳥居のある島は弁天島といい、昔は遥か沖にあったらしいが、近年急に砂浜が広がり陸続きになっている。
                    稲佐の浜


弁天島に向かって、磐笛を奏上させて頂く。

出雲大社が祀る大黒様、別名大国主神(オオクニヌシノミコト)は、国引き神話の中心人物として、さらに因幡の白ウサギを救ったことでも有名だけど、ここで白ウサギが泣いていたと思うと何だか面白い。

以前、擬人化した白ウサギは実は若いオンナのことを言っている、と聞いたことがあるけど、そう考えると何やらエロチックな話と思えなくもない・・などとしょうもないことを想像するわたし。

出雲のパンフレットを読んでいて、行きたいと思った命主社(いのちぬしのやしろ)。
どこかと思って調べたら、意外にすぐ近くにあるということが分かり、また出雲大社方面に戻り、駐車場に車を停めて歩いていく。

人家を通って行くと、何やらおじさん達がワイワイやっている。
何かと思ったら、猟をしたらしく鹿肉を切り分けている最中だった。
そのおじさんに聞いてみると、すぐ裏手にあるブランコが置いてある小さな広場の地続きにあるという。

民家のわきをすり抜けると、巨木があり、息を飲む。

               命主社


推定樹齢1000年といわれ、高さ17m、根本回り12mもあり、板状の根が発達し、2m近くも根上りした見事なムクの巨木は、その向こうにある命主社(いのちぬしのやしろ)をお守りするかのような佇まいで聳えていた。

命主社(いのちぬしのやしろ)
『正式な名称は「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」で天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られている。
巨岩の前に建てられていることから、古代の磐座(いわくら。神の御座所。自然の巨石をさす場合が多い)が神社に発展した例として貴重な神社です。』

鳥居もなく、狛犬もない。
どこからが神社の敷地なのか、よくわからないような、なんとも自由な神社。
村の小さな氏神様のような感じですが、さにあらず。

ご祭神の神皇産霊神(かみむすびのかみ)は、天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、『古事記』で、最初に現れる神様のうちの一柱。
つまり、日本の最高神である天照大御神よりもずっと古い神様が祀られているということ。

神皇産霊神は大国主に”国造りの大業”を授けた神であり、大国主の知恵の源である。
そして大国主が死にかけた際に何度も命を救った事から、別名「命主」とも呼ばれているらしい。

なるほど、それで「命主」。
正に知恵と蘇りのエネルギーを持った神様なんですね。

さらに本殿裏にある真名井遺跡。

                              命主社 遺跡

江戸時代にここから銅矛と翡翠の勾玉が出土し、少なくとも弥生時代から何らかの祭祀が行われていたと言われています。

『寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
銅戈は銅鉾(どうほこ)、銅鐸(どうたく)と並んで弥生時代を代表する青銅器ですが、勾玉と一緒に発見されたことは注目されます。
銅戈は北部九州産、硬玉製勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、この時代に北部九州、北陸と交流があったことを物語っています。
2つの遺物は、天孫系三種の神器のうち、剣と玉にあたり(あと1つは鏡)、これが出雲大社の近くから出土したこともあって昭和28年(1953)に重要文化財に指定されました』

なんと銅戈と勾玉が同時に見つかったのは全国でここだけだそう。

スゴいぞ、スゴい。

地元の方は「いのっつぁん」と呼んで親しんでいるというが、これってもしやすっごく身分の高い方が市井の人となって、地元に溶け込んでいる、みたいな?

ここは古代の祈りの場として、神様をお迎えするとても神聖な場所、要するに神籬(ひもろぎ)だったのでは?
なんとも言えない空間の空気感にぞくぞくするわたし達。

ここの近くにあるという「真名井の清水」に行くために、さらに住宅街を歩く。

「真名井の清水」へ行く通りを「社家通り」といい、神官の住宅があるらしい。
瀟洒な屋敷が並んでいて、ひっそりとしている。

「真名井の清水」は、出雲大社の神事に関わる神聖な清水で、出雲大社のそばにある榎の木の根元から湧くご神水とのこと。

真名井の清水

入り口に立っている立て看板には
『真名井の清水は昔から出雲大社の神事に関わる神聖な清水とされてきました。
とくに十一月二十三日の古伝新掌祭の祭事中、国造の寿齢を延ばす「歯固めの神事」には、この真名井の清水が用いられる習わしになっています。「神水」として遠くからこの清水を汲みに来る人も多く、島根の名水百選にも選ばれています。』     
と書かれている。

ここまで整備されると神様も居心地が悪いのではないか、と思うほどのとても立派な造り。
見方によっては足湯に見えなくもない。

有難く持っている水晶と磐笛を洗わせて頂く。
何やら輝きが増したような気がするのは気のせい?
(うん、明らかに気のせいですね。)

ゆっくりと「社家通り」を戻り北島国造館に着くと、結婚式をやっていた。

うれしそうな紋付き袴の新郎と綿帽子姿の新婦を、出雲の神々が寿いでいるお姿が見えたような気がしたのは、やっぱりわたしの気のせいなんでしょうか。


つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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