伊勢、京都、出雲に行ってきた!(16)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

出雲大社の参拝を済ませた後、一旦「竹野屋」に戻りました。
レンタカーの予約をするためです。
どうやら出雲を回るには、バス代も意外に高いし時間もかかるので、レンタカーの方が便利な様子。

いろいろ調べてみると、タイムズのレンタカーが安かったので電話してみる。
もちろん貧乏旅行中のわたし達は一番安い6時間まで3,276円の車種を希望していたんだけど、全部予約されているということで5,292円の車しか借りられないらしい。

ちっ、仕方ない。
借りられないと困るので、予約して電話を切る。

とにかくお腹が空いた。
出雲と言えばお蕎麦。

宿の人に聞くと、近くの「かねや」さんは一時間待ちが当たり前くらい人気があるという。
それは行ってみなければ。
でもまだ9時半。お店、やってるのか?

出雲大社の前を通り過ぎ、小道を入って行くと、昔ながらの住宅が並んでいる。
しっとりとしたいい感じ。
しもた屋風のお家の前で、植木に水を上げている上品そうなおばさんがいたので「かねや」さんの場所を聞いてみた。

「この正面にあるのが「かねや」さんですけど。その手前にある「荒木屋」さんも人気ですよ。」と仰る。
「どちらがおススメですか?」と伺うと
「いや、どちらも人気ですけど、どちらとも言えません。わたしは孫と「荒木屋」さんに行きすけど。」

・・言ってるけど?

何だか奥歯に物が挟まった口ぶり。
「荒木屋」さんがおススメなのはわかったけど、さすが品のいい出雲の旧家の方は言い方もお上品で、悪し様には言わないのね。

お礼を言って、歩き出す。
どちらに行こうかと迷っていたが「荒木屋」さんを覗いてみると、まだお店が開いていない。
宿の方おススメの「かねや」さんはもう開店していて、既にお客さんも7~8人いた。

わたし達も入り、一番人気と店員さんが言っていた三色割子3段1000円 を注文。

あー、楽しみ。
そして皆が一時間も待っても食べたいお蕎麦って、どんなお味?

しばらくして三色割子3段蕎麦が来た。

                出雲蕎麦

三色そばは三段重ねの丸いお重にそれぞれ、生卵、山芋とろろ、紅葉おろしの薬味が付いていて、ちょっと甘めのタレを上から注いでいただく。
江戸前のそば切りとは趣を異にした美味しさで、野趣というより上品さが漂っている。
蕎麦は黒目の田舎そばで、薄く延ばして割と太めに裁っている。
これが独特の食感と喉越しを生んでいるのであろう。

なんちゃって。

お味はともかく。
ぜんっぜんお腹満たされない。

だって一段二口で食べれちゃうんだよ。
ってことは三段を六口。
腹八分目というよりは腹三分目くらい?

息子なんてすぐさま「次、何食べようか。」とかいう有様。
「んもう!全くこれだから大食らいって下品でイヤ。もっとしっかり味わって食べてよねっ。」と言うが、わたしも実は物足りない。
ホントは「千円も出したんだから何とか我慢しろっ。」と心の中で叫ぶ。

出雲蕎麦ってこういうものなのね。

出雲の方々はきっと小食なんですね。
そして滋味や食感、香りなんかを味わいながら戴くんでしょうね。
きっとこの辺にはデブはあまりいないに違いない。

それはともかく。

とにかく予約したレンタカーを取りにいかなければ。
朝はバスできたので、今度は一畑電車大社線に乗ってみよう。

白いドーム天井とステンドグラスがはめ込まれた西洋風の駅舎が素敵な出雲大社前駅から電車に乗り、川跡で乗り換え出雲市駅に着く。
駅から歩いて3分ほどの所にタイムズレンタカーがあった。

ん?
軽自動車が5~6台並んでいる。

今日は平日。
こんなにたくさん予約が入っている訳がない。

タイムズの社員のおばさんが来たので「先ほど予約したものですが。」と伝えると「こちらにご用意が出来ております。」と、にこやかに駐車場に停めてある「アクセラ 1500」を示す。

雑談を交え(ここ、大事)微笑みながら「あのぉ、こっちの軽自動車は借りられないんでしょうか?」(遠慮がちに。これも大事)と聞くと「あ、こちらは予約が入っておりまして。」と言う。

「え、(心底驚いた感じで。嫌味にならないように注意)全部予約が入っているんですか?」
「あの、いや・・。」
「できたら二日間お借りしたいので、何とかこちらに変えて頂けないでしょうか。二日分でこの差額は大きいので。」
「いや、ちょっと立て込んでおりまして・・。」
「立て込んでる、と申しますと?」(ここ、強気)
「・・・」
「何とかならないでしょうか?・・なってくれるととっても嬉しい・・。」(ここ、哀願調で)

恐る恐る(?)ゴリ押ししてみる。
いい歳した大人がどうかと思うけど、ここはほれ、金額が全然違うから頑張らざるを得ない。

しばし動揺していた様子のレンタカー会社のおばさんは諦めたように「・・上の者に聞いてきます。」と渋々言って出て行った。

ガッツポーズをするわたし達親子。

ま、人生自分で何とかしようとしないと、まんまとしてやられちゃうってことですね。

こうして一番安い(もちろん保険もつけない)レンタカーを借りて、わたし達は出雲の街に繰り出したのでした。


つづく
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伊勢、京都、出雲に行ってきた!(15)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

伊勢では虹、出雲では瑞雲(と勝手に思い込んでいる)に迎えられたわたし達。
まずは出雲大社にお参りさせて頂きました。

松林の並木道を過ぎ、拝殿へ。

           出雲大社 本殿


まだ人影が少ないのをいいことに、二拝四拍手一拝の作法で拝礼した後、磐笛を奏上。
こちらでも「国家安泰」「国民のご守護」を祈念する。

なんとも気持ちがいい。

周辺をゆっくりと回ってみる。
平成21年から進められてきたという御本殿の修造工事も終わっていて、とても素敵。

                       出雲大社 本殿奥


その本殿の真裏に素戔鳴尊をおまつりする『素鵞社(そがのやしろ)』が鎮座している。

   素鵞社(そがのやしろ)

ここは「清々しい気が流れており負の感情を浄化できる」とか「出雲大社では巨大な龍神の姿を見かけるが、この素鵞社のご神霊かもしれない」とかいう人もいる、いわゆるパワースポット(まただよ)。
とにかく、人によってはかなり強力なエネルギーを感じるらしい。

もちろん鈍感なわたしにはわかるべくもない。

それにしても、以前母と団体ツアーで来た時とは、違う場所かと思うくらい印象が違っていました。
あの時は、よくテレビや写真で見かける大注連縄のあるところをお参りして、皆大急ぎで観光バスに乗り込んだっけ。

あれ?
大注連縄のある建物は、こうして見ると結構新しい。コンクリート造りだし。

ここって神楽殿だったのね。
ここだけお参りして終わらせていた人も結構いたっけ。
肝心の本殿に行かずに。

「出雲の参拝ツアー」だったのに、参拝してないじゃん。
「安物買いの銭失い」の言葉が頭に浮かぶ。

『神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来します。
現在の建築は昭和56年。大広間は270畳敷きの広さを誇ります。』

出雲大社教?

『出雲大社には、千家国造家の「出雲大社教」と北島国造家の「出雲教」というふたつの宗教法人があります。
出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は、出雲国造千家家の当主で、東京府知事や司法大臣も務めた千家尊福が明治時代に創設した教団です。』

明治っていえば結構最近。昭和56年ったらついこの間。
ど素人のわたしは270畳敷きの大広間なんかより、やっぱり由緒ありげな古い社の方が霊験あらたか(?)な気がしてしまうけど、ここで結婚式もやるそうだし、必要なんでしょうね。

あれ?
ということは、あの話もこの辺と関係があるのかも。

最近いろいろな所に首を突っ込んでいるわたしは、「阿波古事記研究会」の方に「『出雲』は島根県ではなく徳島県である」というお話を伺ったばかり。 

古事記に伝えられる神話とその舞台を、実際に繰り広げられた出来事を暗示させた物語だと考えるならば、阿波ほどその痕跡を濃密に見いだせる場所は他にないという話はとても説得力があり、引き込まれてしまった。

その中で、「出雲大社は明治時代まで杵築大社と呼ばれていた。」ということも教えて頂いた。

調べてみると「出雲大社」となったのは明治4年(1871年)。
杵築というのはこのあたりの昔の地名らしい。
古くは「出雲神社」といえば丹波の出雲神社を指したのだそう。

でも何故「杵築大社」を「出雲大社」に変えたかということはどこにも書いていなかった。
(わたしの調べた浅い範囲では、ということですが)

以前も書いたけど、名前ってとても深い意味が込められていると思う。
あえて改名するには相当な深い理由があったと思うのに、そのことが一般に知られることがないのは何故?

ふむ。
現代とは比べ物にならないくらい政治家に力があった時代に、東京府知事や司法大臣も務めたという出雲大社教の出雲国造千家家の当主、千家尊福氏。
その辺に何か鍵があると思うのは穿った見方か?

どなたかご存知の方がいらっしゃったらお教えください。

それはともかく。
よく見ると、日本一の大注連縄に小銭が沢山刺さっている。

ちょっとぉ、これ、どう見ても失礼極まりない感じなんですけど。

いつの頃からか、注連縄に向って下からお賽銭を投げ上手くささるとご利益があるとして注連縄に小銭を投げる人が増えたっていうけど。

「いくら御利益があるって聞いたか知らないけど、お願いする立場で注連縄にお賽銭を投げつけるたぁ、どういう了見だっ。」と腹を立てるわたし。

もし自分が神様で(いや、それも相当不敬ですが)お賽銭を注連縄に投げつけられて、いい気持ちするだろうか?
我が家の玄関の表札をダーツ代わりにされてるみたいな感じでなんかヤダ。

最初にやったヤツ、ちょっと出てこいっ!
・・と言いたいところですが。

わたし、反省しました。
忘れてたけど、貴船神社のおみくじで「人の無駄口より口舌起こる 何も云うな」と神様に言われていた。
(「伊勢、京都、出雲に行ってきた!(11)」参照)
そう、言っちゃいけないんです。
ましてや、人の悪口なんか。

とてもお心の広い日本の神々は、もちろんそんなことを言う訳もなく。
ゆったりと我々を見つめ、導いて下さっているんですね。
有難いことです。

「人のふり見てわがふり直せ」と神様から言われたような気がして、うな垂れるわたしなのでした。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(14)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

貞操を死守した息子と乗った深夜バス「出雲エクスプレス京都号」で、不思議な夢を見た。

実は主人が亡くなった後、我が家は身内のトラブルに巻き込まれ、わたしは高血圧に、高1の娘は過呼吸に、小5だった息子は痔になってしまうくらいてんやわんやの日々だった。
(ああ、どこまでも笑わせてくれるぜ、息子よ)

今振り返ると、それなりにそれぞれの成長を促してくれるものであったと思えるが、当時はそれどころではなく、正に家族3人、手に手を取り合って、背水の陣ともいえる闘いの日々を送ったものだった。

その夜、何故かそのトラブルの原因になった人たちが夢に出てきた。
彼らとはあれ以来十数年会ったこともなく、最近では思い出すこともなくなっていた。

わたしは引っ越しの準備をしている。
いろいろ片付けると荷物はほんの少しだけになり「後は処分してください。」と言い残し、わたし達がその家から出て行く、というなんとも変な夢。

目が覚めると、明け方の出雲の街の景色が車窓に広がっていた。

息子に昨夜見た夢の話をする。
彼曰く「貴船神社は縁を結ぶだけでなく、縁を切る神社でもあるらしいよ。だから縁が完全に切れたんじゃないか。」

6時36分に出雲市駅に到着。
空を見ると、見たこともないような雲が空いっぱいに浮かんでいる。
孫悟空の乗った筋斗雲のような、仙人が描かれた中国絵に出てくるような不思議な雲。

                  出雲市駅 瑞雲


以前ネットで「瑞雲」と言われていた雲に似ているような気がする。

いや、これは間違いなく「瑞雲」。
誰が何と言ってもわたしの中では「瑞雲」に決定。

そうか。縁を切って頂いたのか。
ありがとうございます、と呟いてみる。

駅の待合室で、昨夜買ったおにぎりを食べ、身支度を整えパンフレットを集める。
どうやら出雲大社に行くにはバスか電車で行くらしい。
どうやって行ったらいいのか調べようと思い立ち上がった時、ちょうどバスが来て、5~6人が乗り込んでいく。
なんとなく後についていき、運転手さんに聞いてみると、出雲大社に行くというので乗り込んだ。

こんなことをダラダラ書いたのは、後から調べて驚いたから。
このバス、一時間に一本しか運行していなかった。

思い起こしてみれば、何故かこの旅、調べずに動いているにも関わらず、ほとんど乗り物を待つことがなかった。
「そんなの、思い込み。偶然に決まってる。」とお叱りを受けると思うけど、実際に経験してみるとなんとも不思議な感覚になった。
何かに背中を押して頂いているような、引っ張って頂いているような。

それはともかく。

この日の宿泊先は、FBのお友達が地元の方に聞いて下さった「竹野屋」。
車中泊と安宿だけでは悲しすぎるので「最後くらいは。」とよい宿を探していたのでした。
(いとうさん、その節はありがとうございました!)

創業130年を誇るその宿は、出雲大社の門前町であり島根県の出雲地方では「竹野屋」は格別に有名らしい。
地元が生んだ歌手であり山下達郎の奥様で自称「シンガーソング専業主婦」である「竹内まりや」さんの生家である「竹野屋」旅館は、出雲大社での神前結婚式を挙げた一族や出席者達の宿であり披露宴会場というのが生業であり役割だったそう。

バスに乗ってから30分位で大社前に着いた。
料金510円。結構お高い。
これは出雲はレンタカーで回った方がいいかも。

「竹野屋」さんはすぐわかった。
クラシカルで落ち着く純和風の旅館。

   竹野屋前

よく手入れされた植栽に囲まれた玄関先から中に入ると重厚な木造建築が目に飛び込む。
入って行くと畳敷きの広いロビーがあり、フロントの横に竹内まりやのグッズが置かれている。
忙しそうに仕事をしていらっしゃる男性は多分竹内まりやのお兄様。
そういえば目鼻立ちが似ている気が。

取りあえず荷物を置かせて頂き外に出る。

すぐそばに大鳥居があり、既に参拝客が一礼しくぐっていく。

                       出雲大社前

その向こうの神域には、森厳な空気が流れ、松林の並木道が人々を神殿に誘う。

神々の国、出雲。
この地の象徴であるかのようにそそりたつ出雲大社。

出雲の須賀に宮を造られた大国主命の御父神でもある素戔嗚尊(すさのおのみこと)が詠んだ歌に、その根拠を持つとも言われている。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る 其の八重垣を」

八岐大蛇を退治し、助けた稲田姫をめとり、出雲の地に新居を構えた幸福の時を詠ったものといわれ、日本最古の和歌といわれているこの歌を口ずさんでみる。

八雲立つ。

やっぱり出雲市駅に着いた時に現れた雲は瑞雲だったに違いない、と確信するわたしなのでした。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(13)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「清明神社」を後にして、またもやちょうど来たバスに飛び乗って、京都駅に向かいました。
今日は遅めの朝食にお蕎麦を食べただけで、それから何も食べていない。

喉も乾いたし、ビールが飲みたい。
ネットで良さそうなお店を見つけ捜し歩いていたら、京都タワーホテルアネックスの看板を見かける。

「秋の味覚満載!秋のエビ&カニバイキング 食べ放題、飲み放題4000円」

おお、いいじゃないか。

やっぱりネット情報より自分の勘を信じよう。
急遽予定を変更する。

伊勢参拝のため、お肉を断っていたわたし達は貪るように「ビーフステーキ 茸ソース」を頬張る。
茹でカニをせせりながらワインを飲む。
熱々の「海老、カニ、松茸の天ぷら」を塩で戴きながら、日本酒をちびりと戴く。

あー、満足。

今夜23時30分発の深夜バス「出雲エクスプレス京都号」に乗らなきゃいけないから、飲み過ぎに気を付けなければ。
でもまだ7時半。

タブレットで何やら調べていた息子が「京都駅のそばに銭湯があるから、そこに行こう。時間も潰せるし。」と言い出した。


銭湯か。
確かに今日は濃い一日だった。
汗を流すのもいいかもね。

しばらく歩くと京都駅の近くの、とある銭湯に到着。
珍しそうに周りを眺めながら、エレベーターに乗る。
扉が開くと、そこには番台とおぼしきものがあり、無表情のお姉さんが座っている。
410円を払い、息子に「何時に出る?」と聞くと「10時。」と言う。

え?2時間もあるじゃん。
「そんなに長くは無理。」と言っても「寝てればいい。」と言い張る。
渋々脱衣所に向かう。
裸になり、階段を上ると浴場に着く。

古いけど、それなりに情緒があるかも。

入り口の横の柱の陰に、浅く細長い変わった浴槽がある。
まるで足湯のよう。

体を洗い、浴槽に入る。
一人で入っていたお婆さんに話しかけて時間を潰すが、なかなか時間が過ぎない。
少しアルコールが入っていたので、脱衣所で体にタオルを巻き横になった。

暫くして、わたしのロッカーから携帯の着信音が鳴った。
出てみると、息子の声。

「もう出たいんだけど。」
え?まだ9時前だけど?

「何で?」
「いいから、もう出るから出てきて。」

ふーん。まあ、いいや。
急いで着替え、番台の所で落ち合う。

何故か息子はオドオドとして口数が少ない。

エレベーターで降り外に出ると、息子がボソッと何やら呟いた。
「何?」と聞き返す。

「・・ハッテン場だった。」
「は?」
「ハッテン場だった!」
「何が?」
「だ・か・ら!あそこ、ハッテン場だったのっ!!」

ま、まさか小耳に挟んだことがあるあのハッテン場?

『ハッテン場(発展場)とは、一部の男性同性愛者が不特定多数の性交相手を求めて集まり、性行為を行う場所である。
・公園のトイレ
・公園のベンチ
・公衆浴場
・映画館
・檀家の帰り道
・軍隊の基地
・柔道部の部室
これらの場所にノンケが迷い込むと、漏れなくいい男が誘惑をかけてくるので注意』

ほほう。
まさかそんな場所が身近にあるとは夢にも思わなかった。
そして紛れ込んでしまったのが、我がふんどし息子。

好奇心いっぱいのわたしは、息子から根掘り葉掘り聞いてみる。

息子が洗い場に入って行くと、3~4人の客が入っていたらしい。
やけにジロジロ見られたので、初め息子は「よそ者が来ることがないから珍しくて見ているのか?」と思っていたとのこと。
ところが、入り口の横の足湯のような浴槽に行くと、オトコが二人寝転がって絡み合っているのを目撃。

戦慄する息子。

呆然とする息子に、ケンコバによく似たオトコがねっとりとした視線を下半身に向けながら、話しかけてきたらしい。
全てを理解した息子は、恐怖にかられながらそそくさと浴槽を出て、わたしに電話をかけたんだとか。

いわれてみれば、あの変わった浴槽、照明の薄暗さといい、他に行き場のない閉塞的な雰囲気といい、妙にアダルトな空間だったような気もする。

そういう訳だったのね。
やけに息子からの着信が沢山あったと思ったよ。
そして声も心なしか切羽詰っていたな。

でも、ごめん、息子よ。
面白すぎる。
笑いを抑えきれない母を許せ。

大事な息子の貞操の危機だったというのについ笑ってしまう。

笑いをかみ殺していると、息子が怒りだした。
宥めながら、ロッカーで荷物を出し、喫茶店で時間を潰すことに。
が、息子はよっぽど怖かったらしい。
心なしか青ざめ、目が落ち着きなく泳ぎ、びくびくしている。

やっとわたしもホントにヤバかったんだということが分かってきた。
分かってきたけど、やっぱり笑ってしまう鬼畜な母。

息子はあれ以来ケンコバが嫌いになってしまったという。

でも、ホント、よかった。
もし呆然とした息子がボーっとして突っ立っていたら、禁断の扉が開いていたのかも。
そんな扉が開いちゃったら、人生変わっちゃうに違いない。

うっすらと顎髭をたくわえ、タンクトップを着たムキムキな息子なんて、ヤダ。

いつも思うんだけど、我が家の息子にはスゴイ才能がある。
本人にとってはシリアスな問題も、必ず「クスッ」と笑えるような状況になってしまうこと。

息子の、情けなかったり間抜けだったりどんくさかったりするエピソードは枚挙に暇がないが、それを聞くと必ず「馬鹿だなぁ。」と呟きながら笑ってしまう。

今回のことも、結構思い出し笑いさせてもらいました。

ありがとう!

そして、ホント、無事で良かった!!


つづく




伊勢、京都、出雲に行ってきた!(12)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「貴船口駅」に着いた途端滑り込んできた電車に乗り込んだわたし達。

は~、疲れた。
・・つかれた。
憑かれた?

んもう!
逢魔が時の貴船神社の特殊な雰囲気にのまれて、それでなくても思い込みが強いのに、余計変なことを考えてしまったじゃないかっ。

出町柳駅に着くと、さっきまでの暗い雰囲気が全く消え失せて、明るい街並みにほっとする。
もう5時20分近く。
でもまだ明るいし、何とか清明神社に行けるかも。

たまたま来たバスの運転手さんに聞いてみると、ちょうど清明神社に行くという。
この頃になると「待たなくても行きたいところに行ける」ことに何の疑問も持たなくなってくる。

清明神社は街のど真ん中にあり、小さな神社だった。
もう夕暮れ時なのに、意外に人がたくさんいる。
漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになったらしい。

                   清明神社


伝説ではここは安倍晴明屋敷跡といわれていて「晴明の父の保名が蘆屋道満(あしやどうまん)に殺害された場所であり、晴明が呪(しゅ)を使って保名を蘇生させた」といわれてる場所とのこと。

本殿左の壁に素人くさい絵が何枚か描かれていて、絵巻物のように清明の逸話が説明されている。
まるで小学校の卒業生が描いた卒業記念の絵みたいだけど。
これってどうなの?

更に入り口の近くには『一条戻橋』と書かれた、一人がようやく通れる程度の幅しかない小さな石の橋がある。
横の高札によるとたしかに本物だという。

死者が蘇生し鬼が現れる、数々の伝説が残るあの一条戻橋?

『「源氏物語」では”ゆくはかえるの橋”と詠われ、「平家物語」では鬼が現れる橋だと語り継がれ、さらに「撰集抄」では死者が蘇生したと詠われている。

戻橋は橋占(古い占いの一種)の名所でもあった。
晴明は式神を使役し家に置いていたが、彼の妻が恐がったため普段は戻橋の下に隠した。
とてつもなく不吉な橋なのである。』

こ、これ?
どっかの成金の庭にあるような、このちっこい橋が?

どうやら『一条』と『戻橋』と刻まれた欄干のみがオリジナルで、手すり部分や橋本体はここに移設してからのものらしい。
おまけに『戻橋』の横には、鉢巻をした式神が。
こ、これは式神というより、「千と千尋」の湯婆婆・・。
思いっきり観光用じゃないですかぁ!

・・もう、なんかいいや。

メル友が送ってきた写メを見てかっこいいと思っていたオトコに実際会ってみたら、趣味の悪さやチャライところが目について一気に熱が冷めた女子高校生のような気持ちになる。

『本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている。

伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたと伝えられている。』

               清明神社 井戸


と書かれた文章も、もはや心に届かない。

『晴明神社の神紋である”晴明桔梗印(五芒星)”は、天地五行を形どり、宇宙万物の除災清浄を表す魔除けの印とされています。』

なんて言われても「ふーん」という感じ。

境内の至る所にある五芒星すら、何だかウルトラマンに登場する科学特捜隊のシンボル、流星マークに見える。

社務所は「オリジナル陰陽師グッズ」という神社らしからぬ幟が立てられ、間口いっぱいに様々なお守りが並べられている。
用途・目的別にデザインが揃っていて、これはこれである意味肝が据わっている。

この神社、お土産屋を訴えるという訴訟騒ぎを起こしているらしいけど、さもありなん。
とても現世的な感じで、神社風テーマパークと思えばそれはそれで面白い。

とはいうものの。

実はお参りを済ませて帰ろうとしたら、本殿の横の建物から出てきた中年の男性が「本日の占いは終わりました 」という張り紙を出しているところでした。

占い?

更にその建物の前で、お父さんと小学生くらいの男の子が紙を見ながら「どの名前がいい?」とかいう会話をしていました。

もしやここで赤子の名前を付けて頂いたの?
・・
思わず怪訝な表情になってしまったわたし。
でも、調べてみると意外にこちらで名前を付けて頂いている人が多いことが判明。

そして皆さん、占いをしてもらうために4時間待ち、半日待ちは当たり前といいながら、結構喜んでいらっしゃることも分かった。

中には
『風情も何もない神社です。そして中にはブームにのせられた女の子がわんさか。雰囲気ゼロです。
それでも行きたい人だけにした方がいいですよ。
ケチつけて申し訳ないんだけど知らずに行ってがっかりさせたくないんで。』
と言いながら、
『晴明神社のお守りは効く。
魔除けなんだけど、これを付けて寝るようになってから金縛りに全く遭わなくなった。』
なんて書いていたりするヒトも。

むう。
これはもしや「虎の威を借る狐」ならぬ「猫の皮を被った虎」?

実は世を忍ぶ仮の姿やも知れぬ。

金のネックレスを胸元に光らせたチャラいニートと思っていたオトコが、実は空手7段の人気予備校講師だった、みたいな。

そう思って見ると、あの赤い鉢巻を締めた湯婆婆のような式神ですらいわくありげに見えてくる。


どっちにしても晴明様によって古代中国の陰陽五行説をもとにつくられた五芒星を「ウルトラマンに登場する科学特捜隊のシンボル、流星マーク」なんて言っちゃって、申しわけありませんでしたっ。

本当にこの世界は奥深い。
わたしのような外見に惑わされるど素人は、ただ小さくうな垂れるのみ。




つづく




伊勢、京都、出雲に行ってきた!(11)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いい歳をして、息子の後を必死に追いかけ、駆け通しでやっと鞍馬山を下りてきたわたし。
修験者の修行「山駆け」をしたような気分。
自分で自分を褒めてやりたい・・。

鞍馬寺西門貴船に着き、赤い橋を渡ると、本宮貴船神社への参道になる。
階段の両側には灯籠が並んでいて何だかにぎにぎしい感じ。
皆さん、忙しそうに掃除なんかしている。

時計を見ると、もう3時半。
「清明神社」に行けるのか?
神社巡りはできるだけ早い時間にした方が良いと聞く。
急がなければ。

階段の両側には灯籠が並んでいる道を進むと、本宮貴船神社に到着。

                  貴船神社 本宮


『貴船神社は水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。
縁結びの神としての信仰もあり、一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。』

ということで、こちらでは息子の良縁を祈願。
ふと見ると拝殿の前、広場の片隅に「神水」と呼ばれている湧き水があり、女の子たちが嬉しそうに水占いをしている。
ここは 水占斎庭(みずうらゆにわ)とよばれる場所で、水に浸すとおみくじにあぶり出しのように文字が現れる仕組みらしい。
 
さっそくやってみる。
巫女さんが差し出すおみくじを引き、それをこの神水に浸すと。
おみくじの紙面に徐々に字が浮き出てきました。

読んでみると驚きの文字が。

「人の無駄口より口舌起こる 何も云うな」

               貴船神社 おみくじ


ぐはっ。
ど、どこかでご覧になってたんですか?
わたしが伊勢神宮で風紀委員のようなキレイな巫女さんに叱られてたことを。(「伊勢、京都、出雲に行ってきた!(3)」参照)
あの時わたしは「言葉に気を付けなきゃいけないって神様に教えて頂いたのかも。」なんて思っていたけど。
あれはもしやマジだった・・?。

畏れ多いことです。
しかと承りました。
ホント、気をつけます。

気を取り直して、結社(ゆいのやしろ)に向かう。

右手には清流が流れていて、お店の人が何やら石を動かしている。
あれ?こちらでは竹を組んで何かを作っている。

左手を見ると、川床料理で有名なお店がほとんど休業中。

そういえば、この間の台風、京都を直撃してたっけ。
台風18号による大雨の影響観光名所の嵐山・渡月橋にも、橋脚が見えなくなる高さまで桂川の濁流が押し寄せていたけど。

もしやここもかなりの被害を受けたのでは?
気を付けて見てみると、川床の御座敷は一つもなく、お店の中もお店の方が一生懸命掃除をされていた。
そしてあちらこちらで工事をしている職人さんの姿が。

考えてみれば4時近くになるのにお店の掃除をしてるっておかしい話。
どうやら相当の被害だったらしい。
川床は全て濁流に流され、店内に流れ込んだ水は冷蔵庫等の電化製品、調度品も駄目になってしまったらしい。
垣間見れる様子から、さぞ凄まじかったろうと想像できる。
台風18号の被害から20日ほど過ぎているけど、完全に復旧するにはまだ時間がかかる様子。

すっかり失念していました。 
当事者じゃないって、こういうことなんですね。
何だか申し訳ない気持ちになる。

そんなことを考えながら歩いていると、結社に到着。
ここは古来から伝わる縁結びのパワースポットらしい。
あの紫式部が参ったほか、同時代に並び称せられた和泉式部もここに参り、夫との復縁を祈り成就したことで知られる。

『沙石集』には、このときの参拝の様子が詳しく書かれている。

和泉式部は巫女に縁結びの祭を行わせたが、その一環として巫女は、和泉式部の着物の裾をめくって陰部を露出させる作法をすることを迫った。
和泉式部はそれを拒否したが、その様子を夫の保昌が神社の陰から見ており、その態度に感じ入ってその後は夫婦円満になったという

ちょっ・・み、巫女さん?
当時ならではの風習とか、儀式があったんでしょうけど。
どんなお祭りのどんな作法か、ちょっと知りたい。

で、やっぱり恥じらいは大事ってことですね。
縁を取り戻したいからって、何でもやっちゃる!というはしたない女性には男性はドン引きになるかも。
いや、もしかしたらそこにもしたたかな計算があったりして。

だって当時の女性にとってお金持ちの夫と縁が切れるか切れないかは、本当に死活問題。
もちろん年金なんてない時代、親からの財産もなく容姿の衰えた女性が一芝居打つくらい当たり前だよね。

おばさんはそんな歴史的逸話でさえ疑いのまなざしで見てしまうの。
歳を取るって、そういうことなんですよ。若い御嬢さん方。

時刻はもう4時過ぎ。
周りは人影もまばら。
帰りのことを考え、急ぎ足になるわたし達。

暫く歩くと奥宮に到着。
清浄な雰囲気に包まれている。

奥宮境内には玉依姫命が乗ってきた黄船を石で覆ったとされる「御船型石」がある。
小石に覆われた船の形をしたものが本殿の横に鎮座している。
この「御船型石によって奥宮の力が守られているという。

また本殿の下には玉依姫命が発見した龍穴があるといわれているが、絶対に見てはならないとされている。
現在の本殿が建立されたのは1863年だが、その建立の際に大工がうっかり龍穴を見てしまい、その大工は間もなく亡くなってしまったんだとか。

またここは縁結びの神の反面、縁切りの神とも言われているらしい。
丑の刻参り発祥の地としても有名とのこと。

昔、夫を奪われて恨みを抱いた公家の娘である宇治の橋姫が、7日間篭って奥宮に参り、「願はくば生きながら鬼に成し給へ、妬ましと思はん女を取り殺さん」と祈っていると、貴船の神からお告げを受けて事が成就したという逸話が始まりらしい。

謡曲「鉄輪(かなわ)」でも、貴船神社が登場する。
後妻を娶った男を先妻が恨み、貴船神社に詣でたところ「赤い布を裁ち切り身にまとい、 顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ろうそくを灯せば鬼となる」とお告げを受ける。
男は悪夢に悩み安倍晴明の元を訪れ鬼となった先妻と対決して鬼は消え失せる、というもの。

そして現代でも、肝試しをしていたら丑の刻参りをしている人と遭遇して追いかけられた、などという話がネット上に溢れている。

こわっ。
いろいろコワい。

人を呪わば穴二つ。
肝に銘じよう。

それにしても、こんな夕暮れ時に神社に来ては良くないのでは?

とにかく早く帰りの電車に乗らなければ。
奥宮から、また駆け足で下る。

本宮の所に辿り着くと、路線バスが来ていた。
このバスはどこ行き?

何も考えず、調べもせずに来た悲しさ。
後から考えると、そこで飛び乗ればよかったのに、ぼんやりと路線バスを見送ってしまったわたし達。

あそこは叡山電鉄「貴船口」行しかないんですね。
そして歩くと駅まで30分近くかかってしまう。

知らなかったよ。
もう辺りは薄暗くなっている。
歩いている人なんて一人もいない。

清明神社にも行きたかったのに、それどころじゃなさそう。
心細くなり、またしても走る。

息が切れると歩き、また走る。
何台か車が通り過ぎるが、もちろん止まってくれるわけもない。

仕方なく恨めしそうな顔をして、また走る。

何だかこの旅、やたら走っている気が。

こいつのせいか?
そうか?そうなのか?
と、横目で息子を睨むわたし。

いかん、いかん。
人間つらくなるとつい人のせいにしてしまう傾向がある。

とにかく早く人のいる所に出たい。

じゃないと何だか怖いじゃないですかぁ!

やっとのことで貴船口駅に着いた途端、16時47分の電車が滑り込んできた。
20分に一本しかないのに、このタイミングの良さはスゴイ。

おみくじといい、今日一日バスも電車も全く待たずに乗れたことといい「・・なんだかやっぱりついてる?」と思うわたしなのでした。


※おまけ

いろいろ調べていたら『日本全国このパワースポットがすごい!』によると、貴船神社は
 •3月~12月に訪れると良い。10月も良い。
 •日没時に訪れると良い。
そうです。

は~、良かった・・。



伊勢、京都、出雲に行ってきた!(10)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

鞍馬寺で驚きのトンデモ話を知ったわたし。

サナトクマラだったんですね。
サナトクラマかと思ってたよ。

一字入れ違えただけでも意味は大違い。
「猫」と「コネ」、「旦那」と「何だ」、「アポ」と「ポア」。

全然違うのに、いつの間にか間違ったまま刷り込まれてしまっていた。
恐るべし、勘違い。

まあ、わたしのような毒にも薬にもならないような人間が勘違いしても別に実害はないけど、権力を持った人間が勘違いしちゃうといろいろ大変。
そういうヒトが政治力もあったりすると、周りの人間はおろか、後世の人にも多大な迷惑がかかる。

信楽香雲の顔が見てみたいと思って検索したけど、百歳になる弟子のおばあさんの顔しか出ていなかった。
ネットって、本当に見たいものは出ていなかったりする。

でも政治家にも勘違い人間はいっぱいいるな。
実害多数。

それはともかく。
妙に元気な息子の後をついていくと、しばらくして本殿に出た。

寺全体がパワースポットと言われる鞍馬寺で、最もパワーが強いと言われ評判になっているのが、本殿正面の石畳にある『六芒星』。
休日は行列ができ、六芒星前10分待ち、なんていうこともあるらしい。
(その辺にいたおばちゃん情報)

もちろんわたしも立ってみる。
ここでも「国家安泰」「国民の守護」を祈念する。

息子は磐笛も奏上。

              鞍馬寺 本堂

立ち去るとき振り向くと、トンデモの匂いをぷんぷんさせた若いお姉ちゃんが裸足で額ずいていた。
半笑いを浮かべかけたが、自分たちも傍から見ると確実に同じ人種に見えることに気が付き、ちょっと凍りつく。

本殿を後にしたわたし達。
息子はペースが益々ヒートアップ。
飛ぶような速さで階段を上って行く。

途中「源義経公背比石」と彫られた石碑のある場所に着く。
この石は牛若丸が16歳の時、藤原氏を頼って奥州に旅立つに際し背比べをしたと伝えられている石で、牛若丸の背はこの石と同じ高さだったという。

この石、結構低い。
130センチくらいか?
16歳でこの石と背比べしたってことは、牛若丸は想像以上に小柄で無邪気なヒトだったと思われる。

ここからあとは下り道。
息子のペースはとどまることを知らない。

5分ほど行くと「僧正ガ谷不動堂」がある。
鞍馬天狗が牛若丸と出会ったと言われる場所。
牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだのもこの辺りであるという。

ここにも「六芒星」があり、パワースポットとなっているらしい。

           鞍馬寺 不動尊


・・パワースポット、パワースポットって、たくさんあり過ぎてもうお腹いっぱい。
もういいです。勘弁してください。

この先の道は、杉の根が地表に露出した状態になっている。
ここで牛若丸が跳躍の練習をしたという言い伝えがあるらしいが、息子も飛び跳ねながら駆け下りていく。

「ちっ、お前は薹が立った牛若丸か。いや、牛馬鹿丸だな。」と息子の背中に向かって下らない憎まれ口をつぶやくわたし。
だってもう体力が限界なんだもん。くすん。

暫く歩くと「奥の院魔王殿」に着く。
「奥の院魔王殿」の「拝殿」でから奥の「本殿」を礼拝する。
奇岩の上にある小堂の本殿は、650万年前に人類救済の使命に帯び、金星から降臨した魔王尊が祀られている。

ここで再び「国家安泰」「国民の守護」を祈念し親子で磐笛奏上。

                      鞍馬山 魔王尊


その時一陣の突風が。
何、このタイミング。
何だかちょっと不思議な気持ちになり、思わず周囲を見回してしまった。

気が巡っているというか、もし今魔王が登場しても不思議はないような。
いや、腰を抜かしますが。

魔王殿をあとにして、貴船側の西門を目指す。
かなり急な下り坂の山道を下って行くと。
あれ?息子の様子に異変が。

さっきまでの元気はどこへやら。
突然足が痛いだの、疲れただの言い出した。

おっ、さっきの「奥の院魔王殿」で息子についていた魔王さまが離れてしまったか?
もしくは気を吸い取られたとか。

なんちゃって。
ま、普通に考えると、はしゃいで張り切っていた息子が下り坂で膝をやられたってことなんですが。

でも魔王につかれてたって考えた方が面白いから、そう思うことにしよう。

魔王殿から15分ほどで、鞍馬寺の西門に到着。
貴船川にかかる小橋を渡れば、川床の出る避暑地として、そして紅葉の名所としても有名な、観光地・貴船。

でもそこには思いもかけない光景が広がっていたのでした。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(9)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

何とか伊勢市駅に着いたわたし達。
7時9分発の京都行のバスに乗り込みました。

って、(9)でやっと伊勢が書き終わったんかいー!
という苛立ちの突っ込みが聞こえてきそうなこのブログ。
お時間のある方だけお付き合い下さい。

そもそもこの旅は「20年ぶりに行われるという式年遷宮に行ってみたいなぁ。」という極めてぼんやりした願望から始まり、「多分この辺りにやるらしいよ」という漠然とした情報から、「そこまで行くんなら交通費も安く済むだろうから、今年遷宮した出雲も行ってみっか。」という意地汚くも大雑把な予定を立て、出雲に行く一番安い行き方は、バスで京都を経由すればいいということを知り、「もったいないから早めに行って深夜バスを待っている間、観光しちゃおうか。」という貧乏人根性から出来上がったのでした。

走りながらどこに行くか決めていくという、杜撰というか、計画性のある真面目な方には耐えられないような旅。

ま、息子に「人生、案外何とかなる」「応用力は大事」ということを学ばせる母の深い愛っていうの?
真面目だけど不器用で頑固な息子に「臨機応変」を教えるのは大事だもんね。

なんちゃって。
嘘です。
単にいい加減なだけです。

故に事態が思わぬ方向に進んでいくことが、ままある。

いつもこんなだよ、わたしの人生。
そういや、マキオカを作った時もそうだった・・。

それはともかく。
前日「京都では、どこに行こうか」と息子と話していた時、「清明神社」を提案しました。
ミーハーなわたしは、映画『陰陽師』で、野村萬斎が演じる安倍晴明の立ち振る舞いの美しさと怪しげな魅力に感心し、さらに岡野玲子の漫画「陰陽師」を読み「行ってみたい。」と思っていたのでした。

予定では京都着が9時33分、出雲行のバスが烏丸口を出るのが23時30分。
「清明神社」は京都駅の近くらしいから、その前にあまり行けないところに行くのもいいな。

息子が「鞍馬寺」と「貴船神社」に行こうと言い出しました。

ふむ。
そういや昔大河ドラマ「義経」でタッキーが鞍馬山で天狗にシメられていたっけ。
「鞍馬寺」は交通の便があまり良くないって聞いたことがあるけど、今日なら行けるかも。

「貴船神社」はよく知らないけど、「貴船」なら聞いたことがある。
鴨川の川床に桟敷を設けて京料理を戴く、涼しげなお店のあるところでしょ?

どうやら「鞍馬寺」と「貴船神社」は近くにあるらしい。

そんな会話をしているうちに、バスは予定より遅れて10時頃京都に到着。
とにかく荷物をロッカーに入れ、昨夜からろくなものを食べていないわたし達は京都駅で「京都生そば もり平 」で湯葉つきのお蕎麦を戴く。

適当に入ったから期待していなかったのに、思った以上に美味しい。
空腹は最高の調味料というけど、それを抜きにしても美味しかった。
また来よう。

こんな些細なことでも「ついてる」って感じがして、ちょっと嬉しい。
単純な人間はすぐシアワセになれるからお得ですな。

観光案内で情報を仕入れる。
流石観光のメッカ京都だけあって、あちこちに観光案内がありパンフレットも豊富。

「鞍馬寺」には、京都駅から出町柳までバスで行き、出町柳駅から叡山電車に乗って約30分で着くらしい。
パンフレット片手にバスのロータリーに行くと、ちょうどバスが来ていたので乗り込む。
バス停の出町柳駅で降り、少し歩き、叡山電車の出町柳駅に着くとまたタイミングよく電車が来たので、乗り込む。

って、あれ?
何だか順調すぎる気が。
ま、いいか。

30分位するとクラシカルで素敵な駅舎の鞍馬駅に到着。
帰りの電車の時刻表を確認する。
20分に一本と少ない。

改札を出ると、茶屋のようなお店に「山椒まんじゅう」と看板が出ている。
お店で戴くとおばちゃんがお茶を出してくれた。
これまたとっても美味しい。

仁王門を抜け、息子の希望でケーブルには乗らずに歩くことに。
なんでもケーブルに乗ると「魔王乃滝」に行けないんだとか。

魔王乃滝?
お寺なのに、そのアニメのような現代的な響きは何?

わたしには義経に登場するお寺っていう認識しかなかったけど、鞍馬寺ってかなり個性的というか、ぶっ飛んだお寺のよう。
その筋の方々からは宇宙から飛来した魔王尊を祀るパワースポットとしても人気らしい。

『鞍馬寺は鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。
鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少であった。
宝亀3年(772年)のある夜、鑑禎は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。
霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。
その山が鞍馬山であった。
山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。
翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したという。』

ふむ。
女形の鬼って、「進撃の巨人」?

で、魔王って何?

『鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。
また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。
鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。
「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという』

そ、そうなんだ。
金星から地球に降り立った16歳の魔王尊・・。
六星占術の金星人ではない方の、金星人ね。
きっと、というか絶対美形。

それにしても、これを石碑や案内に書いちゃう辺りがスゴイ。

どうやら昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)が1947年に鞍馬弘教を開宗し、二年後に天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となったことが、鞍馬寺のターニングポイントだったと思われる。

鞍馬寺のサナトクマラ伝説なんていうのもあって、ネットにこんな書き込みがあった。

『何でも先代管長が、突然啓示を受けたとかで勝手に魔王尊伝説とサナトクマラ伝説を一緒にしてしまったとんでも話です。
この管長は神智学のブラバッキー夫人に傾倒していたそうで今や鞍馬寺の入り口にも看板があり、サナトクマラが降臨したと宣言してしまっています。
何でも650万年前に金星から飛来したとか・・・。
しかし鞍馬寺に元々伝わる魔王尊伝説には650万年前も金星も登場しません。
しかし多くの人々が鞍馬寺のは随分昔からサナトクマラ伝説があると信じ込んでいます。
これは問題です。』

啓示って・・。
誰も止めなかったのか?信楽香雲。
でも、現代のスピリチュアルブームが起こるはるか以前にこういうことを言いだす人は、何を言っても聞かないタイプに違いない。

今はまだ「何をバカな・・。」と半笑いで石碑を読んでいる人が大半でも、あと100年も経てば、歴史的な認識の一つになってしまう可能性も。
香雲、どうすんだっ、責任取れんのかぁ!

わたしがここで絶叫しても、香雲は「いいの。ホントのことだから。」と言うだろうな。

で、魔王乃滝。

               鞍馬寺 魔王の瀧


昼なお暗い所に石碑が立っていて、上から水が流れている。
はるか金星から650万年前に(!) 人類救済の使命を帯びて、この世界に降臨したとされてた「護摩魔王」。
今のアニメ界の、かっこよく頼りがいのあるナイスガイのイメージの魔王に限りなく近い。

少し行くと由岐神社が見えてくる。

                     由岐神社


由岐神社(ゆきじんじゃ)は「靫明神」ともいい、天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき)を献じて平穏を祈ったことに因むらしい。

正に国難が続いている我が国日本の為に、頑張って頂かねば。
「国家安泰」と「国民の守護」を祈念する。

ここを出ると『枕草子』で「近うて遠きもの」の例として挙げられた九十九(つづら)折りの参道に入る。

ふと気が付くと、息子がやけに楽しそうで元気がいい。
階段を二三段置きに登って行くし、わたしのカバンもずっと持ってくれている。

何なんだ?
訝しげに息子を見つめるわたし。

・・つ、ついてる?

そういやこいつに見せられたアニメは魔王モノが多かった。
「はたらく魔王さま!」しかり「まおゆう魔王勇者」しかり。

ちょっと不安になりながら、足に羽が生えたごとく階段を駆け上って行く魔王好きの息子の後を、ヨロヨロとついていくわたしなのでした。


つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(8)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

明け方、上の階の物音で目が覚める。
どうやら安普請の為、音が筒抜けらしい。

ぼんやりと今日のスケジュールを考えてみる。

ここ二見浦から内宮まで車で20分位かかるから、5時半にロビーで待ち合わせということは、内宮に着けるのはどんなに速くても6時前。
京都行のバスが伊勢市駅7時9分発だから、駅には何としても7時前には着かなきゃならない。
ということは、内宮6時半のバスに乗る必要がある。

荷物を内宮のロッカーに入れてから大急ぎで境内を歩いたとしても、30分で御正宮まで往復できるのだろうか?

むぅ・・。

そんなことを考えていたら、もう5時になってしまった。
急いで息子を起こして支度をし、チェックアウトをしてからロビーで待つ。

5時半に昨日のカップルが現れ、4人で内宮に向かう。
車中で伺ったところによると、このお二人は遷御の儀の為に秋田から来たんだとか。
わたし達と同様、2日に一般人は内宮に入れないのを知らなかったので、急遽「ホテル清海」に泊まることにして、たまたまロビーでわたし達の会話を聞いたらしい。

なんたる偶然。
これぞ神様のお導き。
ありがたや。

今日お参りをしてから秋田に帰るとのこと。
そんな会話をしている内に、車は内宮のそばに到着。
が、内宮近くの駐車場は全て満車になっているので、内宮から離れたところにしか駐車できないことが判明。

ど、どうしよう。

まさかこの状況で「時間がないので内宮前までわたし達だけ連れてって。お願い❤」なんて言える訳もない。

でも。
それでなくても時間がないのに、ここから内宮までは結構な距離・・。

焦る心を鎮めて、とにかく心からお礼を言う。
(この場を借りても言いたいです。本当にありがとうございました。)

車から降りると同時に荷物を引きずりながら、猛ダッシュで走り出す。
おはらい町は早朝というのに大勢の人が歩いている。
その人の波をかき分けて、目の色を変えて走る大荷物を持ったオバサンと顔の濃いオトコ。

やっと宇治橋前に到着。
鳥居の前には、遷宮後の朝の景色と参拝する人々を撮るために、たくさんのマスコミの人達がカメラを構えていた。
どこかのオジサンが嬉しそうに「俺、テレ朝にインタビューされちゃったよ。」と友達に自慢している。

が。
先を急ぐわたし達にとってそんなことはどうでもいい。
衛士見張所に隣接しているコインロッカーに荷物を放り込む。

肩で息を切らし、宇治橋を渡り始めたのが6時過ぎ。
早歩きで玉砂利を蹴散らし、手水舎で口を漱ぐ。

このまま一挙に御正宮に急ごうと思ったら。
息子が「五十鈴川で手を洗い口を漱ぐ」と言い出した。

一瞬わが耳を疑う。

こ、こいつは・・。

この状況ですよ?
ある意味流石だ。
スゴイよ、息子。脱帽だ。

もう逆らう気もしない。
言い争う時間も惜しいんじゃ。

もしかしたら現れるかもしれないこいつの将来の嫁に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
神妙な面持ちで五十鈴川で口を漱ぐ息子を、遠い目で見るわたし。

戻ってきた息子と一緒に、再び小走りに御正宮に向かう。

はっ、いかん、いかん。
焦るな、わたし。
そんな気持ちじゃせっかくのお参りが台無しになってしまう。
神様にも失礼だし。

大丈夫。
何とか間に合いそう。
歩を止め、深呼吸して静かに歩き出す。

ところが、少し行ったところで、禰宜の方が参拝の人の流れを止めている。

ちょ、ちょっとぉ。
時間がないんですけど。

あれ?
何やら前の方で何かをやっている。

覗いてみると、引っ越しを終えた神様に最初の食事を供える行事が行われている。

              内宮 3日(1)

おお、何だか凄いぞ。
皆さん、正装されて、まるで平安時代のよう。
何やら大きな櫃を運んでいる。

                         大御饌(2)


どうやら「大御饌(おおみけ)」という儀式らしい。

『儀式には、鷹司尚武大宮司ら神職約20人が奉仕。コメや魚介類など神様の食事が入った木製の辛櫃2台を担いで参進し、新社殿前の御贄調舎に入った。』(産経ニュースより)

やっと終わったと思い、進んで行くと、また止められた。
沢山の正装した方による式を奉納して、櫃を御正殿に運び込む。

 大御饌


『御贄調舎の中では、辛櫃を開けて中のアワビを取り出し、切る動作をして塩を振る御贄の儀を行い、再び辛櫃を担いで新正殿の敷地へと続く瑞垣南御門の前にお供えした。』

              
すごいぞ、すごい。
確かにすごいんだけど、わたし達には時間がない。

既に6時20分。

もう無理だったら、この儀式が見れたことに感謝して戻った方がいいかも、と弱気になるわたし。
あぁ・・ここまで来ているのに。

櫃が御正宮に入り、禰宜の方が先導して人々が動き出す。

 大御饌(3)

落ち着け、わたし。

人に気付かれないほどの早歩きで、素早く御正宮に辿り着き参拝。
真新しい御正殿は、凛とした佇まいでわたし達を迎えて下さっている。

ありがたし。

「何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」という歌が自然に浮かぶ。
西行が伊勢神宮にお参りした時の歌といわれているけれど、確かにこれほどここでしっくりくる歌は他にない。

まるでコマの早回しのような歩き方で、元来た道を引き返す。
宇治橋を渡り、ロッカーから荷物を取り出しバス停に向かうと、既にバスが来ていた。
大荷物と共に飛び乗るわたしと息子。

「はー・・」と大きなため息をつき、幸運だった今朝の出来事を思い出す。

なんたる幸せ。

後から聞いたところによると、宇治橋前は5時の時点でかなりの人出だったらしい。
でも、もしその時に来ていたら「大御饌」を拝見することはできなかった。

もしあの時、秋田から来たカップルと出会えなかったら。
もしホテルの迎えの車がちょっと遅れていたら。
もし・・。

人生に「もし」はないというけれど、不思議な偶然によって貴重な参拝をさせて頂くことが出来た。
本当にありがとうございました。

朝日に輝く神路山を眺めながら、心から感謝するわたしなのでした。

                内宮 3日(2)


つづく






伊勢、京都、出雲に行ってきた!(7)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

思いがけず親切なカップルに遷宮後の内宮に連れて行ってもらえることになったわたし達。
ホテルのおじさんに、わたし達が今晩泊まる部屋へ案内してもらう。

実はわたしは数年前、ここ「ホテル清海」に格安の伊勢ツアーで泊まったことがありました。
その時の印象としては「可もなく不可もなく」。

だから今回4000円の素泊まりでここに泊まることになった時も、あまり心配していなかった。

が。
わたしは甘かったね。

ホテルの中をぐるぐる回り、階段を下ったところにその部屋はありました。

薄暗い廊下に並ぶ部屋の一つの襖を開けると。
六畳間にテレビ、冷蔵庫のある部屋は、何だか湿った匂いがする。

窓を開けてみると、目の前はごちゃごちゃと住宅が並んでいる。
以前泊まった所は三階で、目の前に海が広がっていたけど。

お茶はあるけど、お菓子は付いていない。
もちろんバスなし、トイレは廊下を挟んだところの共有トイレを使用する。
コンセントはエアコン・冷蔵庫・テレビの電源を1ヶ所からたこ足配線しているので、充電も難しい。

なんだかうらぶれた木賃宿、といった風情。

「一泊温泉付き、4千円」、侮れん。

い、いいんだもんね。
面白いじゃん、と折れそうになる心を奮い立たせる。

取りあえず荷物を置き、歩いて5分ほどの二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)に向かう。

ここ二見浦一帯は、古来より禊浜と尊ばれ、伊勢参宮を間近に控えた人々がその浜辺で汐水を浴び、心身を清め、罪穢れを祓うべく、禊祓をされた場所。

明日、遷宮後の内宮にご招待いただいた(と勝手に思い込んでいる)わたし達にぴったりな場所。
しっかり禊がなければっ。

ホテルに近い方の鳥居をくぐると(普通は反対の鳥居から入るようです)、まず八大龍王をまつる龍宮社がある。
参拝し、ふと見るとお百度参りの説明書きがある。

どうやら鳥居の前にある2つの柱を10周 8の字に回ると百度参りと同じことになるんだそう。
授与所にいる巫女さんに言うと百度参り用の石を借りることが出来るらしい。

面白そうなので、息子とやってみる。
今回も「国家安泰」「国民の守護」をお祈りしつつ、グルグル回っていると、訝しげに見ていく人がいる。

ち、違うんですよっ。
変な宗教に入っている訳じゃないんです。
ただ面白そうだからちょっとやってみてるだけ!

と、心の中で言い訳をしつつ(誰にだ)実はかなり真剣に祈念してお百度参りを終える。
                 
                  百度石

風が強く、夫婦岩にも波が打ち付けている。

『沖合約700M先には猿田彦大神縁りの「興玉神石(おきたましんせき)」(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。
夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています』

『二見興玉神社のご祭神、猿田彦大神は善導の神として「開運招福、家内安全、交通安全」の守護神として信仰され、魂を導き甦(よみがえ)らせる御神威により「甦りの神」と称され、別名「興玉の神」とも称えられております。
古来より土地を領する地主神と云われ、土地の邪悪を祓い清め災厄を除く福寿の神として信仰されております』

今の日本には必要と思われる文言が並んでいる。

近くにいたカップルに写真を撮ってもらうと、満潮に近い上に風が強かったのでびしょ濡れに。

夫婦石

ひー!
吹きすさぶ風で髪はぐしゃぐしゃ。
更に波しぶきで靴もパンツもびしょびしょ。
うぅ・・強制的に禊をさせられたともいえる。

お参りを済ませ、夕暮れの海岸に出て貝拾いをする。
そういえば先日知り合った人が「探してみると意外に簡単に磐笛を見つけることが出来るよ」と言ってたっけ。
とっても素直なわたし。
早速穴のあいた石を探し、真剣に音が出るか試してみる。

暫くして息子が「これ、音が出る。」と白っぽい石を持ってきた。
おお、確かに音が出る!

有難く押し頂き、ホテルに帰る。

このホテルの売りである「蘇民の湯」に入り、夕日が夫婦岩の向こうに沈むのを湯船から眺める。

極楽、極楽。
あー、いい気持ち。

ほっこりとした体と心で部屋に帰る。
布団を敷いてくれていたが、これは40年前実家にあった化繊の布団と同じモノ・・。

あっという間に萎む体と心。

そういや、食事抜きなのにこの辺はレストランはおろかコンビニもなかったので、とりあえずビールだけ買ったんだっけ。
なんかおつまみはないかと鞄の中を探る。
出てきたのは湿気たおせんべいと柿の種と外宮で買った牡蠣の甘辛煮。

空腹を紛らわせるべく、ビールを飲みつつ牡蠣を頬張る。

テレビをつけると、ちょうど遷御の儀が行われていた。

おお、ネット上で日本の最終兵器といわれるサーヤ。
ご立派になられて。
このお歳で風格まで感じられる。

ふむ、「カケコー」ね。
暫くはマイブームになりそうな予感、「カケコー」。

世界に日本が誇る素晴らしい式なんだから正座して観たいところだが、疲れていて無理。
だらしなく化繊の布団に寝転がりながら、下らない感想を持つわたし。

・・あー、お腹すいた。
ビールとおつまみだけじゃ、空腹感は消えない。
牡蠣、買っておいてホントよかった。
でもその牡蠣もすでに食べ尽くした。

廊下からは、赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
多分従業員の赤ちゃんがぐずっている様子。

わたしの頭の中で「よーく考えよー、お金は大事だよー」という歌詞が鳴り響く。

昼食の「ボンヴィヴァン」での至福の時間と、水洗トイレの水が流れる音の響く部屋で、空腹を抱えているという、この格差。

正に人生の縮図。

大丈夫。
寝ちゃえば同じだもんね。
空腹だって、寝ちゃえば忘れちゃうし。

20年振りの遷御の儀が行われている時、内宮にほど近い二見浦のホテルで空腹を紛らわせながら寝たことを、20年後の遷宮の時、孫に聞かせてあげたいと思いつつ眠りにつくわたしなのでした。

つづく


伊勢、京都、出雲に行ってきた!(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと予定の電車に乗り、伊勢市駅に戻ったわたし達。

ランチの予約をした「ボンヴィヴァン」に向かいました。
ここはやはりアド街ック天国で紹介していたところ。

テレビではディナーの六千円のコースを紹介していたんだけど、わたし達はリーズナブルなランチを戴くことにしました。(我が家にとってはそれでも大奮発)
今回は平日だったから前日でも予約が取れたけど、週末はかなり混んでいるらしい。
この日も3時からテレビの撮影があると言っていたので、ご利用の際は早めの予約が必要かも。

外宮の真ん前にある「ボンヴィヴァン」は、逓信省の山田郵便局電話分室として大正12年に建造された、重厚な佇まいの建物の醸し出す雰囲気がとっても素敵。

               ボンビィアン


お食事の内容も素晴らしかった。
特に絶品だったのはスープとデザート。
スープはアワビの煮凝りを使ったというものだったんだけど、一口戴いてその美味しさにびっくり。
美味しくてびっくりしたなんて、初めての経験でした。

ボンビィアン デザート


素材にもかなりこだわっていると思われる。
従業員の方たちもとても感じが良く、東京でもここまでのお店はあまりないのでは?(知らないけど)

神様がくれたご褒美のようなご馳走を戴き、感謝しつつ至福の時間を過ごす。


意外なほど役に立つな。アド街ック天国。
大満足でお腹いっぱい。もう何も入りません。

が、外宮前を駅に向かって歩いていると。
牡蠣を甘辛く煮て売っているおばさんがいて、それがとても美味しそう。
これはビールのおつまみに良さそう。
味見をさせて頂き、二つ買うことに。

あー、更にお腹いっぱい。

でも、その先に。
地ビールの「飲み比べセット」が戴けるお店があり、おまけに、隣に揚げたてのさつま揚げやガンモを売っているお店があるじゃないですかぁ。

こ、これは何としても戴かなければっ。

やっぱりビールは別腹。
さっき買ったばかりの牡蠣も頬ばり、しっかり飲み、そして食べる。。

               外宮前 ビール飲み比べ

美味しい。
が、・・苦しい。
ホントにもう入らないよう。

はちきれんばかりのお腹を抱えて、伊勢市駅で荷物を出し、参宮線に乗り込む。
向かい合わせのボックス席に二人分空いてる席があるので、座って前を見ると。

じぇじぇじぇ!(古い)
どこかで見たと思ったら、前に座っている中年のカップルは昨夜「ダンケ」のおばちゃんに教えてもらった「向井酒の店」でお隣に座っていた北海道から来たという人達・・。

どうやらこの方たちも、2日に内宮が一般の人の参拝が出来ないことを知らずに来てしまい、予定を変更して二見浦に行くことにしたらしい。
それにしても偶然ってあるんですね。

二見浦駅に到着して、今日泊まる予定の「ホテル清海」に迎えに来てもらう。

今回、遷宮の前に内宮にお参りしたわたしは、何とか遷宮後にもお参りできないか、いつもはあまり使わない頭を思い切り絞りました。

出雲に行くために、まず京都にバスで行くのですが、どうせなら京都でもいろいろ回りたいと、明朝7時9分伊勢市駅発を予約してあります。

その前に内宮にお参りすればいいのでは?
「ダンケ」で見たポスターに5時からお参りできるって書いてあったし。
始発の電車もバスも間に合わないから、タクシーに5時頃来てもらえばなんとかなるんじゃなかろうか。

我ながらなんていい思いつき。
念ずれば通ず。
深夜バスでお肌を皺くちゃにしながら来た甲斐がありました。

いつもは普通のタクシーも、ましてや時間外料金がかかるタクシーなんて絶対に乗りたくないんだけど、背に腹は代えられぬ。
ここは奮発して遷宮後の内宮に何としてもお参りしたいっ。

でもわたしが考えているってことは、同じことを考えている人がいるはず。
ホテルに着いたら、すぐタクシーの予約をして貰おう。

ホテルで事情を話し、タクシー会社に電話をしてもらいました。

が。
何と明日タクシーは全車出せないとのこと。

何故かと言えば、式に列席された三千人の錚々たる方々をお送りしなければならないから。

がこーん・・。

考えてみればそうだよね。
式典に呼んで頂けるほどの方々が三千人もいるんだから、当然と言えば当然。

庶民はしょせん一泊4000円の安ホテルで遷宮のお式を見てるしかないってことなのね。

いいよ、いいよ、ここまで来れただけでも。
有難いよ、ホントに。
明日は始発の参宮線に乗って伊勢市駅に行き、京都行のバスに乗る前に、内宮の方角に向かって手を合わせることにしよう。

そう思って、ホテルの人にお礼を言っていると。

少し離れたところにいたカップルが「あの、もしよろしければ、僕たちも明日の朝内宮に行くので、一緒に乗って行ったらいかがですか?」と言ってくれたではありませんか。

うっそお、っていうか、まじでじま?

はっ、いかん、いかん。
何を言っているんだ、わたしは。

あまりの嬉しい申し出に取り乱してしまった。

ほ、ほんとに?

う、うれしいっ!
ありがたや!!

これは神様がご招待下さったに違いない。
じゃなきゃ、こんな有難い出来事がたまたま起こるはずはない。

ホテルの受付は閑散としてほとんど人がいない状態。
ちょっとタイミングが合わなければ、そのカップルはお部屋に行ってしまっていた。

そしてわたしのおばさん特有のでかい声も、神様の思し召しだったに違いない。(そうか?)

夢心地のわたし達は親切なカップルと明朝5時半に会うことを約束をして、嬉しさに思わずにやけてしまいそうな口元を抑えつつ、ロビーを後にしたのでした。


つづく








伊勢、京都、出雲に行ってきた!(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

事前リサーチの苦手なわたしは(横着ともいう)、10月2日の式年遷宮の際、内宮に一般人が入れないということを知りませんでした。

初めの計画では、10月2日の昼にバスで京都に向かう予定でしたが、遷宮が2日20時からあると知り、バスや列車をキャンセルして一日延ばしたのでした。
伊勢市内のホテルはどこも満室で、仕方なく二見浦のホテルを何とか予約したのですが。

出発直前、2日は13時から一般の人は内宮に入れないと知り愕然としました。

ま、当たり前と言えば当たり前ですよね。
20年に一度の遷宮に、日本中から人々が集まれば大変なことになってしまう。

「転んでもただで起きない」を座右の銘にしているわたしは、式年遷宮に参加できない代わりに、以前から行きたいと思っていた伊雑宮(いざわのみや)と、伊勢神宮に参詣する者が禊をし斎戒する場所でもあったという二見浦の二見興玉神社に行くことにしました。

伊勢市駅のロッカーに荷物を入れ近鉄志摩線に乗ると、一時間弱で無人駅の上之郷駅に着く。
無人駅って、どうやって切符を回収するのかと思っていたら、降車時は運転士さんがいる一番前だけドアが開きそこで切符を渡すんですね。

田舎の住宅街を少し歩くと伊雑宮に到着。
人がほとんどいず、閑散としている。

                       伊雑宮

ここはネット上でいろいろな事がささやかれている神社。
曰く「伊勢神宮における本来の本宮なのであり、天照大神の魂が祀られている宮だった」とか「古代ユダヤの預言者イザヤの意志を受け継ぐ御宮である」とか「江戸時代に伊雑宮の神職が中心となり伊雑宮を本来の内宮とする偽書が作成された」とか。

面白がりのわたしは、「へー」とか「ほー」とか思うけれど、最終的には「わたしのような下々の者には分かるべくもないので、とにかく日本と日本国民をお守りください。お導き下さい。」と祈念するのみ。

せっかくここまで足を延ばしたのだから、他にもいい神社がないかと息子がタブレットで調べたところ、佐美長神社(さみながじんじゃ)があるという。

上之郷駅は普通列車しか停まらないので一時間に二本しかない。
伊勢市駅の「ボンヴィヴァン」にランチを予約しているから11時半の電車に絶対に乗らなければならない。

田舎道を佐美長神社に向かい歩いていると、広々とした気持ちのいい所に出た。
鳥居があり、向こうは取り入れの終わった田んぼがある。
国の重要無形民俗文化財とされている御田植式が行われる伊雑宮の「御神田(おみた)」らしい。

そこに一組の男女が何やら不思議な動きをしている。
どうやら不思議の国の住人の方のようですね。

面白好きのわたしは、近くに寄って話しかけてみた。
ご夫婦で、裸足で御神田の気を戴いているらしい。
歩いたり、ヨガのような、インド舞踊のような、不思議な動きをしたりしている。

何だかつい一緒にやってみたくなり(何故だ)、わたし達も裸足になり、伊雑宮の森に向かい磐笛を奏上する。

            伊雑宮 御神田

お二人ともとっても喜んで下さった様子。
何かしらんが達成感。
傍から見たら、不審者が4人いるように見えたことでしょう。

不思議の国のご夫婦に別れを告げ、15分ほど歩くと佐美長神社に着く。
民家の間にひっそりと佇む。

佐美長神社


『佐美長神社は、かつて「真名鶴(まなづる)伝承」に登場する伝説にちなんだ神社で、伊雑宮誕生にまつわる「白真名鶴(しろまなづる)」の霊をまつった神社として知られ、別名を「穂落宮(ほおとしみや)」とも呼ばれています。』

『倭姫命が鳥が鳴きやまないので見に行かせると、一株の稲が生えていて根元は1本で穂が千穂にも別れていた穂をくわえて一羽の真名鶴が飛びながら鳴いていました。この鶴は大歳神であったということでお祀りしたのがこの神社であるといわれています。』

ここは江戸以前から「大歳社」と呼ばれ、明治以降は「佐美長神社」と称されているという。

最近知ったんだけど、明治以降に名称を変えた神社が結構あるようだけど、何故?
明治政府の方針である「神仏分離令」や神社合祀の影響とはいえ、名前には深い意味があると思うのに、変えなければならない理由は何?
そこには必ず何かしらの意図があるはず。

それはともかく。
佐美長神社は無人の小さな御宮ですが、とても清らかな場所に感じました。
誰もいないので、心置きなく息子と磐笛を奏上する。
朝日の中、磐笛の音が透明に澄んでいく気がする。

ああ、清浄な時間・・。

帰り道、時間を気にするわたしにまたもや息子が「近くだから磯部神社にもお参りする。」と言いだした。

こ、こいつはぁ、全く。
わたしをいくつだと思ってるんだ。
都合のいい時だけ年寄り扱いする癖に。

11時半の電車に絶対乗らなきゃいけないんだよ。
今もうすでに11時を回っている。
なんでそんなにギリギリまで回って歩かにゃならんのじゃ。
あたしゃもう体力の限界。

当然喧嘩になる。
でも一度思い込んだら頑固な息子。
またしても仕方なくわたしが折れる。

磯部神社は意外なほど立派で広々としていました。

磯部神社 社殿


『この辺りの神社は海の幸をもたらす神への祭祀が中心。南方熊楠は、「磯部大明神は、今も船夫海師に重く崇められる。
鮫を使者とし厚く信じる者、海に溺れんとする、鮫来たり負いて陸に達するといふ。(中略)
神使いの鮫は、長さ四五間、頭細長く、体に斑紋あり。「ゑびす」と名づくる種に限る。(中略)
毎年一定の海路を来るに無数の堅魚、これに随行するを捕らえ、利を得ること莫大なりと云ふ。
古老の漁人の話に、海浜にゑびすの祠多きは、実は此の「ゑびす鮫を齋き祀れるなりと云う」』

『磯部の地は伊雑宮御鎮座の地にして、伊雑神戸の郷として其の関係甚だ密接にして郷内各村々に大小の神社は恰も伊雑宮の摂末社の如く、歴代伊雑宮神人等によって其の氏神産土神として奉祀せられ、造営に当りても伊雑宮竝大歳社(佐美長神社)の古殿を拝領して、其の造修を営んで来たものである。』

とあるだけに、明治末期に創建されたとらしいが、それ以前からの神域であったのだろうと思わせる清々しさがある。

が。
電車の時間を気にしているわたしは、その清々しさをろくに味わう間もなく上之郷駅に小走りに向かう。
わたしのような一般人が「清浄な時間」を過ごし「謙虚な祈り」をするには、時間と心に余裕がないと無理ということが判明。

早足で不機嫌そうに歩くわたしに、息子もつられて無口になる。

上之郷駅にやっとたどり着いたのは11時25分。
何とか予定の電車に乗り込むことができました。

わたしは声を大にして言いたい。

なってはいけない「時間貧乏」、やってはいけない「時間泥棒」。
そして、女性を大事にしよう。
年寄りを労わろう。

ま、ホントに年寄り扱いされると、それはそれで腹が立つんですが。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前夜夜行バスで寝られなかったので、ダンケに戻ってから部屋飲みをしている内に気が付いたら爆睡していたわたし。
朝5時半に目が覚める。

最近実感するんだけど、歳を取ると早起きになるって、本当だね。
若いころはあんなにいつまでも寝ていられたのに、不思議。
今やそんなに眠くもないのに横になっていると、時間がもったいなく思えてくる。
こういうのも貧乏性というのであろうか・・。

それはともかく。
息子を起して、外宮に早朝参拝に出かける。
昨日に比べて人影のまばらで、一層神聖な感じ。
正宮をお参りした後、昨日と同じコースで「風宮」「土宮」「多賀宮」を参拝するべく歩き出す。

ふと見ると「土宮」に神官らしき方がいらっしゃる。

                    外宮 土宮

近くにいた禰宜の方の対応からすると、結構偉い方なのかも。
道をお譲りしたが、「多賀宮」に行く階段の途中で佇まれていたので、自然に追い越す形になった。

息子が大木に手を当てて、目を瞑り気を戴いていると、ちょうどその神官の方が通りかかり
「気分を壊してしまうと思いますが、そうやって手を当てると木が凄く嫌がると思いますよ。」と仰った。

「は、はい。」と言いながら、ちょっとショックを受けている息子。
声が上ずっている。

でも、確かに。
昨日も見かけたけど、日本中からたくさんの人が訪れて、べたべたと触っていく。
もし自分がこの木だったらすっごくイヤかも。

わたしの覚えている限りでは、大木から気を戴くといって木を抱きかかえるようにした映像を見たのは江原啓之さんの番組だった。
それを見て単純に「そうか。木が浄化してくれるのね。」なんて感心して、それ以来スピリチュアルに関心のある人たちの中に急速に広まっていったように思う。

木にしてみれば迷惑な話だよね。
「お前の変な気なんて、人に押し付けずに自分で何とかしろっつうのっ!やめれっつうのっ!!」と叫びたくなるよね。

ごめん、ごめんよ。
今まで触らせてもらった木達。

反省しました。

そして息子よ。
前日巫女さんに怒られたわたしを見て「ほら、神様がおかんに口に気を付けろって言ってくれてんだよ。余計なことを言うなってさぁ。おかん、口が悪い所があるから。」と説教じみた口調で上から言ってくれてたけど。

けっけっけっ。

有難いことに、君も神様からメッセージが戴けたんだね。
「相手の立場に立って考えなさい。」とか。
「人に依存してはいけない」とか。

しかもあんな偉そうな方に直々お声をかけて頂けるなんて、考え方によってはスゴイことだよ。
式年遷宮の当日に。

一緒に頑張ろうね、息子よ。

半笑いのわたしとショックを引きずる息子は、木に謝り御礼を言いながら、外宮を後にした。

神路通りを通り、月夜見宮に向かう。
「神路通り」は月夜見宮と外宮北御門を結ぶ直線道路で、月夜見尊が夜になると、この道路の真ん中を通り外宮に参るといわれる道。
この道を歩くときは、決して道の真中を歩いてはいけないらしい。

『この道は月夜見宮の神の月夜見尊(つきよみのみこと)が夜な夜な外宮へ通い給う、神の通い道であった。つまり御幸道であった。
月夜見宮の入口の正面に石垣があるが、夜になるとその石垣の石の一つが白馬と化して入口にたたずんでいる。
白馬は頭を社殿の方へ向けて、神が乗られるのを待っているのだ。
夜そこを通りかかった人はその馬を目撃することがあるという。
神の乗った白馬が路を通るとき、それにぶつからないように市民は恐れつつしんで、夜はこの路を通らないのだ。
どうしても用があって通らねばならぬ時は、神の馬にふれないように路の端を通るのである。』

『江戸の時代、神路通り真中を歩いてはいけないなんて馬鹿げている、と真夜中ふんどし一つで道の真中を歩いたものがいたそうだ。
その時は、何もなかったそうだが翌日になり「神さんを見た。神さんを見た。」と気が狂い、体の自由もきかなくなり、脚が萎えて終わった。』
なんていう逸話が残されているらしい。

正に神話の生きる街、伊勢。 

月夜見宮


月夜見宮参拝後、伊勢市駅に向かって歩いていると、立派な日本家屋に「畑肛門医院」の看板がかかっている。
               畑肛門医院

むう。
伊勢の人達は肛門が不調な時、こういう場所で診てもらうのね、と妙に感心するわたし。

伊勢市駅に着いたわたし達は、昨日贅沢をした反動で、昭和な感じの若草堂で400円の朝食定食を注文する。
ここはモヤさまが来たら大喜びしそうな場所。
謎な「パールの部屋」とか、わたし達が行ってから帰るまで全く動かないじいさんとか、飾ってあるのは仏花とか。

                         若草堂


とにかくわたしにはツボでした。
嬉しそうにキョロキョロしていたらまた息子に叱られましたが。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

雨がやっと止みかけたころ、内宮に着いたわたし達は自転車を止め、鳥居をくぐり宇治橋を渡る。

おお、五十鈴川が美しい!

               五十鈴川


遷宮を明日に控え、かなりの人が参拝に見えています。

手水舎で手を洗い、口を漱いだ後、五十鈴川でも手を洗う。
澄んだ水の中には大きな蟹が見え、小さな魚も泳いでいる。

清々しい気持ちで授与所に向かいます。

実は3年ほど前に式年遷宮の御造営資金の奉納をさせて頂いた折、特別参宮章を戴き、正装していれば特別参拝ができるということを教えて頂きました。
今回、もし機会があれば特別参拝できたらいいな、と息子と話していたので、時間を気にしながら授与所の周りに説明書きがないか探してみました。

が、どこにも特別参拝について書いていない。
仕方なく、そばにいた巫女さんにお聞きしようと話しかけました。

「あの、以前参拝した折、特別に奥の方でお参りできるものを戴いたんですが。それで、えーと、あの・・。」
疲れていた上、気が急いていたわたしは、とんちんかんな聞き方をしてしまったようです。

きりっとした巫女さんが、まるで風紀委員が廊下を走った生徒に叱るような口調で「特別参拝されたいから奉納するというのであれば、目的が違いますので、お断りしています。」
「あ、あの、そうじゃなくて、えーと。」と、若いキレイな巫女さんの前でへどもどしてしまうわたし。
「それから特別参拝はスーツの上下着用じゃないとしていただけません。」と、畳みかけるように仰る巫女さん。

そ、そうか。
息子はジャケットを着ているけどスーツではないし、わたしも雨の中自転車に乗って、きちんとした服装とは言い難い。
今回は諦めよう・・。

何だか膨らんでいた風船がしおしおとしぼんでいく感じ。
息子には「おかんの言い方が悪かったんだよ。」と叱られるし。

「そりゃ、わたしの言い方が悪かったんだろうけどさ。何もあんないい方しなくたってさぁ・・。」とつい逆切れしたくなりがちな気持ちがある一方で、「言葉に気を付けなきゃいけないって神様に教えて頂いたのかも。」と何とか前向きに今の出来事を消化しようとする健気な(?)わたし。

今にして思うと、特別参拝目当てで少額の御造営資金の奉納をされる方が毎日山ほどいるに違いない。
だからあえて特別参拝について授与所に何も書いてなかったのかも。
それであのキレイな巫女さんは、あんな感じの対応になったのか?

気を取り直して正宮に向かう。

遷宮をいよいよ明日に控え、会場となる正宮前は椅子が並べられている。

内宮 会場

日本を代表する錚々たる方々があそこに座るんだろうなぁ。

そして今は右の正宮にいらっしゃる天照坐皇大御神が、明日には檜の香り馥郁たる左の正宮にお引越しされるのね。

                 正宮 新

「国家安泰」「日本国民の守護」を祈念させて頂き、荒祭宮と風日祈宮も参拝。
ふと横をみると神官の方々が正装して記念写真を撮っている。

                    内宮 記念写真


そうだよね。一生の記念だもんね。
自分の神社に帰って、飾るんだろうなぁ。
信者さんの前でさぞ誇らしい気持ちになるに違いない、と微笑ましい気持ちになる。

今回の伊勢の旅ではもう一つの大きな目的があった。
遷宮を迎える伊勢神宮で、神棚をお受けし、我が家にも神棚をお祀りする、ということ。

わたし以外にも同じように考えている方がたくさんいるらしく、神棚を授ける所は行列が。

これは一生に一度の大きな買い物。
衝動的に、茅葺屋根の一番大きな神棚を求める。

驚く息子。

ん?
・・大丈夫かな。
我が家の和室は六畳間。
あそこに特大の茅葺の神棚。
むぅ。

いいのっ。
気にしないのっ。
返品不可だし(当たり前だ)、こんな機会またとないんだから。

貧乏な我が家に、伊勢神宮で一番の神棚。
いいじゃないか。

十日位して配送されるそうなんだけど、楽しみなような、コワいような。

何だかテンションが上がってくる。
その勢いのまま、おはらい町に繰り出す。
おかげ横丁の『海老丸』で漁師汁とてこね寿司を戴く。

海老丸


そういやここもアド街ック天国で出ていた。
ミーハーなわたしは伊勢エビが丸ごと入っているという漁師汁が食べたいと思っていたけど。
うぅ・・これは伊勢エビというよりザリガニ・・。

ま、いいか。
それなりに美味しかったし。

それよりレンタサイクルを返す時間が迫っている。
外宮の観光案内に5時までに着かなきゃいけないのにもう4時半過ぎ。
この疲れた体で間に合うのか?
また雨も降ってきたし。

そんなわたしの焦りをしり目に息子が「猿田彦神社」に寄り御富岐玉を受けてきたいと言い出す。
息子いわく「せっかく立派な神棚をお受けしたんだから」。
御富岐玉は方除の結界で四色の神玉を四隅につるすもの。

もう時間がないっつうのっ!
今日返せなかったら、延滞金が取られるばかりか、朝早くから動くという明日の予定がめちゃくちゃになっちゃうじゃないかっ!

当然喧嘩になる。
でも一度思い込んだら頑固な息子。
仕方なくわたしが折れる。

そこから猛ダッシュで外宮に向かう。
雨の中疾走するわたし達。
ペダルをこぎながら怒鳴り合う。

観光協会に着いたのは5時5分前。
ゼイゼイと肩で息を切りながら 「ダンケ」に戻る。

シャワーを浴びた後、またしてもおばさんに教えてもらった「向井酒の店」に行ってみる。
ここは地元の人の評判がとってもいいんだとか。

隣には北海道から来たという中年のカップルが。
やはりホテルの人に聞いてここに来たらしい。

メニューには金額表示がない。

え?なんで?
いくらか分かんないの?
ドキドキするが、ここはダンケのおばさんを信じよう。

なあに、伊勢神宮の一番の神棚をお受けしたわたしだよ。
もう矢でも鉄砲でも持ってこいってんだっ。
鼻の穴を膨らませるわたし。

とは言いつつも、お財布の中身を心配しながら恐る恐る注文する。

こうして長かった伊勢の初めての夜は更けていくのでした。

つづく



伊勢、京都、出雲に行ってきた!(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

伊勢の空に浮かぶ虹を見上げながら、期待に胸ふくらますわたしとふんどし息子。
とにかく大きな荷物を預ける為に、今日宿泊予定の「ダンケ」というビジネスホテルを探します。

ん?もしやあそこ?
外宮に向かう道に「ダンケ」の看板が古いビルにかかっている。

                        ダンケ


どうやらここの4階がホテルになっているらしい。
一泊3500円だけあって、なかなかの面構えのホテル。
入って行くと口コミに書かれていた「とても親切な受付のおばさん」がいる。
荷物を預け、朝食が美味しい所を聞くと「せきや」さんというお店を教えてくれました。

おっ、外宮の前にキレイでお洒落な「せきや」さん発見。

そういえばこの間わたしが伊勢に行くのを知っていた友達が、伊勢の「アド街ック天国」をDVDに撮っておいてくれたのを見せてもらった時、「せきや」が出ていたような気が。

朝かゆセット900円というメニューの横に、アワビ付3000円の文字。
どうやらここ「せきや」さんは「参宮あわび」を売りにしているらしい。

「伊勢神宮のご鎮座後2000年の長きにわたり神前にお供えしている「あわび」。その歴史は大変古く、今日でも「のしあわび」の言葉どおり、喜び事、祝い事の贈物に添えるありがたい寿の品として、本格的な祝儀物に用いられています。」とある。

こ、これは是非とも戴かねばっ。

普段だったら3000円もする朝食なんて絶対食べないけれど、ここは伊勢。
アワビなんて普通に買っても3000円位しちゃうもんね。

とは言っても所詮庶民のわたし。
アワビ付を二人前頼む勇気はなく、普通のおかゆセットと、一人前ずつ頼む。

              アワビ朝食

立派な箱膳をキレイなお姉さんが持って来てくれる。
中には食前酒やぜんざい、もずくなど、縁起の良いものがきれいに並んでいました。
御代わりもできるとのことで、それも嬉しい。

アワビは息子と半分ずつ戴く。
・・美味しい。
一口500円と思うと余計美味しく感じられるのは、わたしが貧乏性だからなの?

何か満ち足りた気分でお店を出る。
外宮の鳥居をくぐると、数年前来た時とは様子が違う。
どうやら10月5日に執り行われる遷御の儀の為の会場を設営している様子。

                      外宮 遷宮式場

とにかく「国家安泰」「日本国民の守護」を祈念させて頂き、「風宮」「土宮」「多賀宮」を参拝。

いや、人間って分からないものですな。
まさか自分が「国家安泰」「日本国民の守護」を神様に真面目にお祈りするとは思わなかったよ。
若いころは、自分のことや家族についてお願いするだけで精一杯で「国家」とか「国民」なんて意識することはなかった。
周りにもそんな人はいなかったし、仮にいたとしても半笑いで遠巻きにしていたような気もする。

これは歳のせい?
それとも3・11の影響?

外宮を出て、観光案内所でレンタサイクルを借りる。
その直後、小雨が降ってくる。

小雨の中、息子の自転車の後を必死でついていくわたし。
地図を見ながらまず最初に行ったのが「日蓮上人の誓の井戸」。

比叡山に登り天台教義を学び、12年間遍歴の旅を続けた日蓮はこの井戸で潔斎をし、「我、日本の柱にならん」、「我、日本の眼目とならん」、「我、日本の大船とならん」との三大誓願を皇大神宮に誓願したとのこと。

大宝塔と石積の枠に守られた井戸があるだけの所なのですが、掃除していた方とお坊さん(当番制でたまたま来ていたらしい)とお話しすることが出来、お札まで戴くことができました。

誓いの井戸

ありがたや!
母が日蓮宗の信者なので、お土産に決定。

そこから倭姫宮に向かう。
裏から近道があるかと思い進んでいくが迷ってしまい、近くで洗濯物を干していたおばあさんに道を尋ねた。

「あのぉ、倭姫宮はどうやって行けばいいですか?」
「・・・」
「すみませんっ、倭姫宮はどうやって行けばいいですかっ?」
「え?宗教の勧誘かいな?」
「違います。(大声で)倭姫宮はどうやって行けばいいですかぁ?」
「え?天理教のヒト?」
「・・・」

取りあえずこの辺りは宗教団体の勧誘が盛んらしいということはよくわかった。
諦めて元来た道に戻り、なんとか倭姫宮にたどり着く。

                     倭姫宮


倭姫命は十一代垂仁天皇の皇女で、十代崇神天皇の皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで「御杖代(みつえしろ)」として、天照大御神を背負って大和国から各地を転々として、現在の五十鈴川の川上の土地に皇大神宮を創建された方。
「御杖代(みつえしろ)」とは体に天照大御神を宿してその神意を受けて仕える方らしい。

倭姫宮は、伊勢神宮への多大な功績から大正時代に創立を許された比較的新しくできた神社なんだそう。
とても静寂で清々しい気に満ちている。

その倭姫命の言葉に「人は天下の神物(たまもの)なり。心神(たましい)を傷ましむることなかれ。」と続く文章があるとのこと。
今の時代、この言葉の意味は深くて重いと思う。

月讀宮に着いたころには、大分雨脚が強くなっていた。

伊勢神宮・内宮の別宮で夜の神として祀られる月読宮は、天照大神の弟神である月読命を祀るところ。
天照大神が太陽神(陽)に対し月読命は夜の神(陰)にあたる。また天照大神、月読の父母神でもあるイザナギ、イザナミも境内に祀られています。

                     月読宮


参拝を済ませて、しばらく木陰で雨宿りをする。
止みそうもないので、仕方なく雨の中に飛び出した。

江原啓之さんが「この月読宮はすごいパワースポットだ」と言ってから参拝客が激増したらしいが、濡れ鼠になった上にお腹が空いているわたし達はすっかり不機嫌に。

びしょ濡れで街を疾走するおばさんと濃い顔をした男の二人連れが黙々とペダルをこいでいる。
今思い返してみるとちとコワい光景かも。

やっと猿田彦神社に到着。

猿田彦宮

すっかり濡れたわたし達は禊をしたと思うしかない感じに濡れている。

猿田彦大神は「みちひらき」の神様として有名で、ものごとの最初にご出現になり、万事を最も良い方向へと「おみちびき」になる神様とのこと。
古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。

「万事を最も良い方向へとお導きになる神様」ってスゴイじゃないですか!
今の日本にとって、もっとも活躍して頂きたい神様の一柱かも。

いやいや、この困難な時代、わたし達一人一人が八百万の神々になったつもりで、日本の行く末を見据え、子々孫々のために行動していく必要があるのではないか、と真剣に思う。

「我、日本の柱にならん」、「我、日本の眼目とならん」、「我、日本の大船とならん」と誓った日蓮のように。
「人は天下の神物(たまもの)なり。心神(たましい)を傷ましむることなかれ。」と言った倭姫のように。

そんなことを考えている内に雨が上がり、わたしたちは内宮に着いていたのでした。

つづく

伊勢、京都、出雲に行ってきた!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今朝、一週間の長かった旅から帰って来ました。

いやぁ、楽しかった!
楽しいだけでなく、来し方行き方を考えさせられる旅でもありました。

そして不思議なことがてんこ盛りの旅でした。
間違いなく、わたしの人生の転換期に与えて頂いた時間だったと思います。

わたしにとっては、密度が濃すぎて書き終わるのにどのくらいかかるかわかりませんが、ボケ防止と記録のためにも旅のあれこれを少しずつ書いていきたいと思いますので、お暇な方、お付き合い下さいませ。

とにかく出だしから、かなりのハードスケジュールでした。

9月29日夕方マキオカから帰宅し、翌朝8時半から塾の仕事をする。
そこから旅行の準備。
息子もマキオカを手伝ってくれたので、へとへとになりながら朝仕事に出かけ、夜9時15分過ぎ帰宅し、急ぎ夕食をとり入浴。
駆け足で10時過ぎののバスに乗り込んだわたし達。
YCATについた時点でもうぐったり・・。

バスに乗る前に、オジサンたちがよくやっているビールとおつまみで一服。
以前からやってみたかったんだよね、これ。

ふっふっふ。
車の運転もないし、息子との旅行だからこんなことができちゃう。
幸せ❤

でも。
すでに深夜11時半を回っている。
更におつまみはコンビニのグラタンなんてカロリーがバカ高いもの。
最近子供たちには「コンビニの食べ物は体に良くないらしいよ。」とか「電子レンジはダメ。」とか言ってるのに。

いいのか?わたし。

いいのっ。
旅行中なんだから。
ちょっとくらい太ったって、体に悪くたって、わたしの体型に興味のあるヒトなんて世界中で自分くらいなんだし、今さら電磁波を気にしたって寿命は大して変わらないんだから。

それより楽しめるときに人生を楽しむのが大事だと思うの。

しょっぱなからほろ酔い気分のわたし達は24時発の伊勢行の深夜バスに乗り込みました。
深夜バス、初体験。
3列シートでトイレ付。ちゃんと毛布も貸してくれるのね。
横浜ー宇治山田間6800円。
初めの内こそウキウキしてたけど、だんだん辛くなってくる。
安いには安いだけの理由があるのね。
う、ぅ・・ね、寝られない。
夜の車窓は鏡のようになっているけれど、そこには寝不足で腫れた目をしたくたびれたおばさんの姿が・・。
やっぱ、おばさんには深夜バスはちと過酷かも。

バスは一日早朝の8時にクラシカルな宇治山田駅に到着。

                    伊勢旅行

ちょうど赤い羽根募金が始まった日で、たすき掛けした大勢のおじさんおばさんが大声で「赤い羽根募金お願いしまーす!」と叫んでいる。
「こちとら皺が増えるのも我慢して旅費をケチってるんじゃ。そんな金はないっ!」と心の中で毒づくわたし。

はっ!いかん、いかん。
心をキレイにしてお伊勢参りをしなければ、神様に申し訳ない。

反省しつつ、ちょうど来た近鉄山田線に乗る。

宇治山田駅

初めて見る伊勢の街の空。

あ、あれは・・虹!

                        虹

伊勢市駅の早朝の空にくっきりと浮かぶ虹は、この旅の楽しさを予感させてくれたのでした。

つづく





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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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