伊勢、京都、出雲に行ってくる!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いや、ご無沙汰しておりました。
ここの所、何だかいろいろ忙しく、ちょっとサボっていました。

何だかこういうのって家事と同じで、怠けようと思えばいくらでも怠けられてしまうんですね。
お料理とか、掃除とかも「面倒だから手を抜いちゃおう」と思うと、どんどん億劫になって、そうすると手順も下手になって、余計にやるのが面倒になってくる、という悪循環・・。

こうやってキタナイぼけ老人が出来上がっていくのね、と実感。

いかん、いかん。
まだ年寄り臭くなるわけにはいかないんだよ。
わたしにはまだやりたいことが沢山あるんだから。

ということで、今日からふんどし息子と二人で伊勢に行ってきます。

今年は伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が重なるというので、思い切って出雲にも行くことにしました。
旅行の計画中、内宮の式年遷宮が10月2日に行われるということを知り、日程を調整している内に、一週間も行くことになってしまいました。

いつも貧乏自慢しているわたしのどこにそんなお金があるかって?

(キッパリと)ないです!
ただ節約あるのみです!!
貧乏人だけど、自由になる時間があるだけです!!!

こんないい歳したおばさんが深夜バスを駆使して、伊勢、京都、出雲を駆けずりまわります。

あー、疲れるだろうなぁ。
血圧、上がるかなあ。

でも、いいんだもんね。
玉ねぎとスライサーと酢醤油も持ったもんね。

いっひっひっ。
こうなったら後は野となれ山となれ。
毒を食らわば皿までも。

老後の金なんかびっくりするほどないので、子供たちよ、頼んだぞ。

病気にならないように気を付けて、医者にはできるだけかからず、薬を飲まず。
もちろん入院なんかせず、這ってでも頑張って自宅で暮らす。
葬式は身の丈に合った質素なものにして。
そう考えれば老後のお金を貯めなきゃ、という呪縛から逃れられることに気が付いた。

すでにヤケクソ気味なわたしなのでした。

では、行ってきます!

つづく




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火祭りに行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

松明に火がつけられると、富士の麓の街は炎の中に浮かび上がります。

立ち上る火の粉。
人々の喧騒。
揺らめく炎の熱気と光と緊張感。

暗闇の中、富士山にも火の帯が現れる。

ある松明の前で白い斎服姿の集団が、観光客にご祈祷をしている。
同行したKさんが「あれは最後の御師さん達です。」と教えてくれた。

御師さん?

『「御師」とは、富士山へ登拝するドウシャ(道者)にヤド(宿坊)と食事を提供し、登山の案内全般の便宜を図ることや、檀家廻りをして神札を配り、祈祷や祓いをする。』

どうやら御師さんは富士信仰にとって重要な位置にいたらしい。

『1964年(昭和39年)に開通した富士スバルラインによって登山経路が変化したことなどにより、宿泊者が減少し廃業した御師家は多い。』

ふむ。それで「最後の」御師さん、という訳ね。

Kさんは去年御師さんに「塩加持」をやって頂いたらしい。

『「塩加持」とは、松明の前に白い布を広げ、約2キログラムもの塩を円錐形に盛り、その盛り塩に多数の線香を立てて火をつけ、大祓えを唱えて諸神を呼び神徳経を唱えるものである。
「参明藤開山」(さんみょうとうかいざん)と書いた焚き符の半紙を線香の火で焚いて「コウクウタイソクミョウオウソクタイジン」の御身抜きを唱える。
その後、線香と符の灰が混ざった塩を白い布に包み、それを信者の体に擦り健康を祈願する。また、この塩を翌朝の加持に用いたり信者に分けたりする。』

残念ながら今年は「塩加持」はやっていない模様。
Kさんがわたしにも御師さんのご祈祷を受けることを勧めてくれた。

初めは躊躇していたけど、そこは生来好奇心の強いわたし。
さらに「最後の」というフレーズがわたしの心を鷲掴む。

「お、お願いします。」とわたしも御師さんにお願いしてみた。
人の良さそうな御師さんが「もう疲れたけど、頼まれたからにはやってやらなきゃいかんずら。」という表情をしたのは見なかったことにして、図々しく前の観光客のご祈祷が終わるのを待つ。

いよいよわたしの番。

松明の前で、御師さんは数珠で背中を撫で付けてくれる。
御師さん、何だかお疲れのご様子。
                    火祭り ご祈祷

ちょっとおざなりな感じだけど、何といっても「最後の御師さん」だから、ま、いいか、と思う。

後から聞くと、ありがたいことに火祭りの時はお礼は差し上げなくてもいいとのこと。

え?そうなの?
・・・
あんな感想を抱いて申し訳ありません。
バチだけは当てないでくださいっ。

見た目と違って小心なわたし。
深く反省する。

御師さんがいて、露天商がいて、神主、僧侶がいて。
聖と俗の入り混じる不思議な空間。

「火祭り」は「日本三奇祭の一つ」といわれるだけあって、調べれば調べるほど面白い。

『火を使用する祭りであるが雨天や台風であっても延期や中止にはならず、必ず8月26日・27日の両日に催行され、松明の火を火元とする延焼などの火災は一度も起きていないという』

実際の火祭りを見ると、これは信じがたいこと。
沿道のテキヤのおじさん達の顔が赤くなるくらい、松明の火勢は強い。
街の人達がいかに緊張感をもって火祭りに挑んでいるか分かる。

そして火祭りは現代にも過去が生きている。

『吉田の火祭は浅間神社側にとっても氏子側にとっても、最上級に神聖な祭りである。
一切の不浄を排除しなければならず、とりわけ人間の死にかかわるブク(忌服)と呼ばれるものは徹底的に忌避されている。
上吉田の住人は前年の祭りから1年間の間に身内に不幸のあった者を「ブクがかかる」と表現し、ブクのかかった者は祭礼の期間中、上吉田地区以外へ出ることになっており、これを「テマ(手間)に出る」と言う。
身内、正確には血縁者に不幸があった者は不浄であり、世話人やセコを務めることはもちろん、祭事の一切に関わることはできない。
そればかりか、火祭の火を見ることすら許されないという厳しいものである。』

『上吉田から逃げずに玄関を閉ざし家に閉じこもって火祭をやり過ごし、その旨の張り紙をして祭りの2日間は一種の謹慎生活を送る場合もある。
これを俗にクイコミ(食い込み)と言う。これらのしきたりは2012年現在も厳格に守られている。
ブクのかかった者が、それを隠してセコ(神輿の担ぎ手)となり、神輿を担いだなら必ず事故に遭い大怪我をすると言われており、実際にそのようなことが何度か起きているという』

慣例を破って痛い目を見た人がいて、結果的に過去を現代につなぐ役目を担っているとは。
むう、世の習いの不思議さよ。

夜も更けて、燃え尽き崩れる松明は、ますます火の粉を舞い上げる。

神楽殿では神楽講による太々神楽の舞いが行われ、安置された明神、御山の神輿に参拝する人々の列で賑わい、夏の終わりを惜しむかのように、美しい時間が過ぎていくのでした。

               火祭り 御神楽


つづく

火祭りに行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

御神輿に付いていくわたし達。

大きな明神神輿、御山神輿以外にも、小さな赤富士の乗った子供神輿もいくつかあるんだけど、今時の子供たちは恥ずかしがって声を出さない。
周りにいる大人たちが「ほら、声を出してっ。わっしょい、わっしょいっ!」と煽るものの反応は薄く、恥ずかしそうに黙々と歩いている。

笛吹けど踊らず。
掛け声のない御神輿って、何だか淋しい。

「ごらあ!神様をお乗せしているんだから、もっと腹から声を出せやあっ。もし富士山が噴火したらどうするんじゃあっ。」と叱る。(もちろん心の中で)

掛け声といえば、わたしの見たところ、団体ごとに揃いの半被に身を固めた有志団体(職場仲間であったり、行きつけの飲食店に集う仲間などらしい)が担ぐ御山神輿は密かな抗争(?)があるみたい。(あくまでも個人の感想です)

いろいろな半被の人達に担がれている御山神輿の掛け声は「わっしょい」と「せいや」が入り混じっている。
どうやら青い半被の真面目そうなグループは「わっしょい」派、オレンジや白のその筋グループは「せいや」派らしい。

一生懸命「わっしょい」と叫ぶおじさんたちの声は次第にドスのきいた「せいや」の声にかき消されていく・・。

こんなところにも勢力争いってあるものなのね。
動物も植物もみんな一緒。
生きていくって、なんか大変。

町内会によって違う半被を着ていると思っていたので「何故お祭りの前に意志の統一をしておかないのか」と思っていたのだけれど、そういう訳だったのね。

それはともかく。

吉田の火祭の起源は、記した文献が存在しないため実際には不明らしいのですが、一般的には燃えさかる炎の中で出産した木花開耶姫命の神話になぞらえられているらしい。

『現在の吉田の火祭は、木花開耶姫命を祭神とする浅間明神(北口本宮冨士浅間神社)と、建御名方神を祭神とする諏訪明神社(諏訪神社)の、両社の祭典として、浅間社宮司が主宰して執行されている。

だが元々は諏訪明神(諏訪神社)の旧暦7月23日の祭典であった。
長野県の諏訪大社では諏訪明神は蛇体になって現れるとされるが、上吉田にも諏訪明神と蛇に関する伝承が残されている。』

『長野県の諏訪大社では諏訪明神は蛇体になって現れるとされるが、上吉田にも諏訪明神と蛇に関する伝承が残されている。
火祭の神輿は後述するように浅間神社を出発して上町から金鳥居のある下町へと下っていく。
このとき神輿と一緒に白い蛇が上吉田の町を上から下へと下っていくという。
そのため御師家では火祭の当日に、屋敷内を流れる川沿いの草刈を行うなど水路を掃除し、蛇神の通り道を迎える。
これを「白蛇様のお下り」と言う。』

え?
ちょうど2日前に諏訪大社とその周辺を一日かけて案内してもらったばかり。
守屋山にも登ったし。
これも何かのご縁かも。

『浅間神社を出発した神輿行列は、本町通り中程に設けられた御旅所(上吉田コミュニティセンター)を目指して進んでいく。
この際、赤富士をかたどった御山神輿を数回、どすんどすんと路上に投げ落とす。
これは御山神輿(おやまさん)を富士山になぞらえ、代わりに噴火させているものだといわれている。』

              火祭り 明神神輿

                    火祭り 御山神輿

この「御山神輿を数回、どすんどすんと路上に投げ落とす」というのが、前半の山場らしい。
車両通行止めになった国道138号線に御山神輿が落とされると、地響きと共に歓声が上がる。

おお、すごい!
そっか、確かに重くなきゃ迫力が出ないよね。
どんどん落として、噴火の代わりをして下さい。

でも御神輿を投げ落として噴火の代わりにするなんて凄い発想。
最初に始めたのはいったい誰なんだろう。

日が沈んだ午後6時を過ぎた頃、2台の神輿を従えた神輿行列は御旅所に入る。
御旅所は御神輿が一晩安置され、お休み頂くところ。
今御旅所になっている上吉田コミュニティセンターは、最初から御旅所としての利用を考慮して設計されているらしい。

『御旅所の入口には火の見櫓があり、その両側には世話人によって立てられた2本のモミの木による御神木があり、注連縄が張られている。
神輿行列はこの火の見櫓の下を潜って御旅所入りをする。
最初に入る明神神輿の屋根に立つ鳳凰のくちばしで、その注連縄を切り落としていくことになっている。
セコたちの掛け声は最高潮に達し、見事に鳳凰のくちばしで注連縄が切り落とされると、群集から大きな拍手喝采が起き、それに続く御山神輿とともに神輿行列は御旅所になだれ込んでいく。』

そうだったのね。
わたしはそうとも知らず、沿道の家々の前の積み上げられた井桁タイマツの間を、屋台を見ながら「何食べよっかなあ。」などとのんびり歩いていた。
ちぇっ、鳳凰のくちばしで、注連縄を切り落とすの、見たかったなあ。

そんなこんなしているうちに夕刻から夜になる時間帯。

御旅所に寝かされている大松明が数人がかりで起こされ、竹竿の先端に付けた火の点いた松脂の束が大松明のてっぺんに乗せられると、大松明はメラメラと燃え始める。

群集から巻き起こる拍手。

それを合図に町中の松明に火がつけられ、火祭りはいよいよ佳境に入って行くのでした。

つづく

火祭りに行ってきた

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いや、ここのところの天候の荒々しさ、スゴイですね。
地震もあったし、これは巷間言われているような富士山の噴火もあり得るかも、とドキドキしてしまう今日この頃。

でも大丈夫。
わたし、「鎮火大祭」「吉田の火祭り」と呼ばれるお祭りが、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社で8月26日に行われると知り、行ってきたもんね。

スケジュールから考えて無理だと思っていたんだけど、直前に行けることになり「これは神様が取り計らって下さったに違いないっ。」と、いつもの強い思い込みを胸に、ふんどし息子と共に行ってきました。

だからきっと、いや、多分、なんとなく、もしかしたら大丈夫・・のような気がするの。

それはともかく。

道の駅でパンフレットをもらい、午後3時から始まる浅間神社拝殿内で行われる本殿祭を見るべく、北口本宮冨士浅間神社に向かう。

いつものように大鳥居をくぐっていくと。
いろいろな半被を纏った強面のオニイサンやオジサン達で境内はあふれかえっている。

ぎょっ、コワそうな人がたくさん。
坊主だったり、金髪だったり、眉毛を剃り上げてたり。
皆興奮気味で、抱き合ったり、ちょっと躁状態。
徒党を組んで歩く様は、まるでこれから組の抗争に行くかのよう。

でもその後、諏訪神社本殿前に鎮座している2つの御神輿を見て納得。  

          火祭り 富士山のお神輿


一つは普通の明神神輿で、もう一つは赤いプラスチックでできているような富士山を模った御神輿。
この御山神輿は一見軽そうに見えるけど、なんと1トンもあるんだそう。
これを担いで練り歩くというのは、確かに抗争に行くぐらいの気構えが必要かも。

『明神神輿を担ぐのは、世話人経験者からなるセコ団体とほぼ決まっているのに対し、御山神輿を担ぐのは、有志団体である。
有志団体セコの職業は建設業や飲食業関係者が多い。』

むう、更に納得。
富士吉田ってヤンキー率が異様に高いのかと思ったら、そういうことだったのね。
揃いの法被を着てやたら睨みを利かせているおっさん達の多くが、その筋の人に見えたのは気のせいじゃなかったのかも。

そして観客は外人率が異様に高い。
これは富士山が世界遺産になったせい?
そしてその外国人の目を意識してさらにセコ(御神輿の担ぎ手)のテンションが上がる。

一時間ほど境内で待っていると、やっと本殿祭が終わったらしく、浅間神社の方から白衣・青袴姿の宮司さん達が現れ、神輿に浅間神社と諏訪神社の分霊を移す御霊移しの儀式が始まる。

薄暗くなった浅間神社拝殿奥から神職による「オーッ」という低い声が響き渡ると、純白の布で覆われた御絹垣(おきぬがき)が拝殿内から現れる。
                火祭り 御霊移し

「頭をお下げくださーい!帽子をお脱ぎくださーい!」と叫ぶ氏子達。

「か、神様がお通りになる?!」
頭を下げるわたしたちの前を御絹垣が通る。

緊張するわたし。

ひー、なんか鳥肌が立ったよお。
警蹕(けいひつ)といわれるあの低い声のせい?

後で息子に話すと、息子も鳥肌が立ったらしい。
やっぱり神様の気配って、鈍感な下々の者にも分かるのね。

御絹垣は諏訪神社に着くと拝殿上にのぼり、そのまま本殿内に納めて安置する。
しばらくして御霊移しが済んだらしく、御絹垣は取り払われるが、どうやって神様をお移ししたのかは謎。
(神聖な御神体は人目にさらしてはならず、幕で隠しながら宮司は袖の中に御神体(御霊)を抱えながら、諏訪神社へ運ばれるらしい)

その後、諏訪神社の祭神に対し、神輿への動座を乞うための神事である諏訪神社祭が行われる。
諏訪神社と浅間神社の御神体を取り出して両社の分霊を明神神輿に移動する。
(2社の御霊は2つとも明神神輿に分霊され御山神輿に御霊は移されない)

明神神輿

                        御山神輿


『このうち重要なのは2台の神輿の先頭を行くのは明神神輿であって、御山神輿はどのようなことがあっても明神神輿を追い抜いてはならないとされている。』とある。
どうやら神様は明神神輿のみにいらっしゃるらしい。

神事の途中、ヤンキー系のセコがだらしなくしていると「今年に限っては真面目にやれっ。真剣に神に祈れないならセコになんかなるなっ。富士山が噴火したらどうするっ。」と叱る。(もちろん心の中で)

境内の高天原と呼ばれる四方を注連縄で張られた方形の祭場で神事が行われると、セコたちは再び一斉に2台の神輿しに取り付いて担ぎ出し、浅間神社境内を土埃を上げながら勢いよく上吉田の町中へ繰り出していく。

             お神輿 オーブ

おお、巨大なオーブが!
きっと神様が寿いで下っているに違いない、とまたしても自分に都合よく解釈して御神輿の後についていくわたしなのでした。

つづく

夏の終わりに

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

9月になってもまだまだ暑いですね。
今日から2学期を迎える子供たちも多いと思います。
横浜辺りだと二学期制の所もあるので「もう8月の後半から学校、普通にあるよ。」というご家庭もあるのでは。

わたしの個人的な感想ですが、あの二学期制、要するに一年を前期と後期に分けてやるというあのやり方、ホント、けじめがつかなくてヤダ。
一学期の通信簿を貰って「あー、明日から夏休み!夏休みの宿題はあるけど、当分学校のこと考えなくていいんだもんね」という晴れ晴れとした解放感はなくなって、「一応夏休みだけど、8月の終わりから普通にこの続きの授業やるからね。忘れないようにね。」なんていわれてテンションは下がる一方。
そしてまだ残暑厳しい8月の後半、始業式をやる訳でもなく、夏の余韻に浸る訳でもなく、何気なく7月の終わりにやった授業の続きが始まる。

これって別れ話をしていたのに離婚届も出さず、いったん別居したもののある日ふらりと帰って来たオトコとまた何事もなかったように、以前と同じ生活を始めてしまったみたいな感じ。
(ちょっと、いや、大分違うか)

秋休みがあるなんて言っても連休に毛の生えたようなものでお茶を濁されてしまう。

年末だってそう。
二学期が終わって「クリスマスの後は大晦日で今年も終わり。一年の計は元旦にあり。二学期の成績はあんまりよくなかったけど、来年は心機一転頑張るぞ!、と思うもの。
ところが二学期制だと「心機一転っていっても後期の半分以上は終わっちゃってるし、今さら頑張っても、ねえ。」となってしまう。

リセットの爽快感、と申しますか、トイレに行って全部を出しきった時の達成感は全くなくなってしまい、何やらまだ便意が残っているような嫌な感じ・・。

二学期制って、いろいろ能書きはあるだろうけど、ひとえに先生方が楽をする為なのではなかろうか。
と思って調べてみたら、やっぱりねえ。

要は1つの学期がなくなる事で、始業式と終業式が減ったり、当日の時数カットがなくなる事や、評価週間が1回減る事で、年間の授業時数を増やす事ができる、ということらしい。

3回通信簿を付けなきゃならないところが2回になる。
これって事務の煩雑さを考えるとかなりのことなんでしょうね。

先生方もいろいろ大変だと思いますが、何とかならないのでしょうか。
子供たちの特権ともいえる、お休み前のあのワクワクした感じが目減りしてしまうのは何とも可哀想。

我が家にはもう学齢期の子供はいません。
いるのは図体のでかい24歳のおっさんじみた息子だけ。
だから関係ないと言われればそうなんだけど。

でもマキオカに来た子供たちが目を輝かせて虫取りをしたり、川にスイカを冷やしに行ったり、星空に歓声を上げたりしているのを見ていると、「今、心にいっぱいの思い出を詰め込んで、大人になった時の生きるエネルギーを蓄えておいてね。」と願ってしまうわたしなのでした。





つづく

プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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