いよいよ始まります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

日差しが柔らかく春らしい。
今日はいよいよマキオカにメンテナンスをしに行くのであれこれ忙しい。

明日の朝はまず大嶽山に行って、今年の順調な営業とお客様の無事と安全をご祈祷してもらわなければ。
その後もいろいろスケジュールが詰まっているから、実際の作業は明後日からになってしまう。

一番気になるのが井戸のモーターがきちんと作動するか。
そしてガスや水回りは大丈夫か、トレーラーハウスやセンターハウスや備品小屋のチェックをして。

毎年初めてマキオカに行くときはドキドキする。
あとはひたすら作業をするだけ。


そう、今年はもう貸切パーティキャンプのご予約を戴きました。
去年もご利用いただいた方でした。
とっても嬉しい。

貸切パーティキャンプって素敵な名前でしょ。
と、誰も褒めてくれないから自分で褒める。

これは9名様以上のお客様は2区画貸切でお楽しみ頂けるというもの。
そして10名以上のテント泊の方から料金が朝食付きで大人4000円子供2700円でご宿泊頂けるプラン。

だから人数が多いとかなり割安感があると思う。
手ぶらで来ていただけるので準備も楽だしね。

今までは何家族かで来ていただいたり、サークルの集まりやオフ会でのご利用が多かったんだけど、これからはセミナーやワークショップ、合コンなんかにも使って頂けると嬉しい。

そして今年からハイシーズン以外は7名様から貸切パーティキャンププランをご利用いただけることにしました。

他のキャンプ場では決してまねできないプランです。
何故かと言えば維持するのがやっとくらいで採算がとれないから。

ふっふっふ。
マネできるものならしてみるがいいわっ、と不遜な笑いを受かべるわたし。

ただうちの場合残念なのが、あまりたくさんの方に知っていただけないこと。
小さすぎて大手のところでは相手にしてくれない。
認知度がとっても低いの。自慢じゃないけど。

いいのっ。
どうせあんまりたくさんの人に知ってもらっても、キャパオーバーになっちゃうし。
知る人ぞ知るって方がかっこいいし(?)。
と強がるわたし。

それはともかく。

どうぞご縁のある皆様、是非マキオカネイチャークラブにお遊びにいらして下さい。


つづく
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花冷えのお酒

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は花冷えのよう。
「花冷え」は桜が咲くころの、一時的な冷え込みを言い、四月の時候の挨拶に使われるようですが、こんなに季節の変動が激しいと、その辺の区切りが曖昧になってしまう。
桜が散りかけてしまうと、冷えても「花冷え」ではないらしいので。

日本人は季節の移ろいに敏感で、それは様々な時候の言葉にも表れている。
木の芽時 花時 蛙の眼借時 苗代時 春深し 八十八夜 暮の春。

こうして並べてみると、不安定さ、揺らぎ、儚さ・・という共通点が。
とにかく春は変化の時ということは間違いないような気がする。

外では猫が赤子のような泣き声を上げている。
行く春を惜しんでいるのか、何かを嘆いているのか。

それはともかく。

今、息子の柔整の国家試験合格がわかりました。
よかった、よかった。
お祝いに今息子と二人でワインを飲んでいるところ。

なにかっちゃあ理由を付けてお酒を飲むわたし達。
息子はこれから大学に結果報告に行くんだけど大丈夫か? 
昨日も大学の先生にご馳走になってきた息子。

春はことほどかようにお酒を飲む機会が多いとも言える。
実は今日息子とお花見をする予定だったの。
雨が降ったので、仕方なく家の中でワインと日本酒をあり合わせのおつまみで戴いています。
何もない時はお醤油とチリメンジャコで卵焼きを焼き、固くなりかけのチーズ、缶詰のオイルサーディンなんかでも十分美味しい。

お酒を飲むとあまり食べないヒトと、なんだかいつもよりガッツリ食べるヒトと分かれるけど無論わたしは後者。
胃を守るには食べないとダメ、という思い込みがあり、やたらに食べる。

普段だったら「太ってしまう」という制御が効いているんだが、そんな意識はお酒の力で封印され、本能の赴くままに食べる。そして飲む。

あー、幸せ。
佳きかな、我が人生、と寿ぐ。

わたしは酔っぱらうと概ね陽気になる。
元気になって大笑いして楽しんでいたかと思うとパッタリ寝てしまう。
翌朝早く目が醒めてしまい、掃除をしたくなり一人でバタバタ気合いを入れ寝ているヒトの迷惑も考えず掃除機をかけまくる、というはた迷惑なタイプ。

そんな時、泣き上戸のヒトや辛気臭いヒトがそばにいるとちょっと大変。
笑い飛ばしたり(失礼)叱り飛ばしたり(迷惑)相手にしなかったり(酷い)するらしい。
さらに最近は記憶が無くなるなんて恐ろしいことも。

そこでお願いがあります。
わたしが酔っぱらっている時にやってしまったことは少し大目に見てね。

何年か前、パーティキャンプの皆さんとお酒を飲んでいて、とっても楽しんだのはいいんだけど、帰りに転んでしまい、トイレに入った時足元に血が落ちてきて「なんじゃ、こりゃあ。」(古い)と叫んだのはわたしです。
頭から流血しているのに気が付かず、その後絆創膏を貼ってくれた息子に超怒られました。

さらに翌朝気持ちが悪くなり「これは頭を打った後遺症では?」と恐怖に駆られ、免許を取ったばかりの息子に運転してもらい(その時息子もあわてていて車を凹ませた。とほほ)病院に連れて行ってもらったが、結局二日酔いだったのはわたしです。

情けない・・。

泣きっ面に蜂。
でも今思い出すとなんか可笑しい。

人生って案外こんなことが面白いのかも、と過去の自分を愛おしく思ってしまうわたしなのでした。

つづく

春の不安

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

もう3月も終わりに近づいています。
不安定な天気に不安定な血圧。

ほら、塾って春になると生徒が辞めたりするでしょ?
そのせいかどうかわからないけど、毎年春になると血圧が上がるの。
見た目よりナイーブなわたし。

塾を辞めたら辞めたで生活の不安からか、やっぱり血圧が上がる。
どうすりゃいいっちゅうんじゃ。

大体血圧ってちょっとしたことですぐ上がる。
そうそう、降圧剤は一度飲み出すと、よっぽど根性がないと止められなくなるから気を付けてね。
わたしも根性がなくて、また飲み始めてしまったの。
降圧剤を止めてから1~2か月ぐらいで血圧が急に上がるヒトが多いらしい。
わたしもそうだった。

それはともかく。

新たな道を進むわたし達家族。
不安と期待が交錯します。

息子は鍼灸師のスペシャリストとしての修行へ。
わたしはさらに皆さんに喜んで頂けるキャンプ場への再スタートへ。

先の事は誰にもわからない。
何が良くて何が悪かったか。

チャンスはピンチ。
ピンチはチャンス。

まあ、今の時代は、自分がやりたいことをやれる幸せって、噛みしめなければならないと思う。
面白いっていうのは裏を返せば安定がないってことにも通ずる。
だって小説だって先が分かってたら面白さが半減するもんね。

神のみぞ知る、の面白さと不安感。

まあ、立派な会社に入っていようが、親が金持ちだろうが、「先がわからない」というのは同じなんだけど、錯覚することはできる。

最終的には「ま、命を取られるわけじゃなし」と言って、寝てしまうわたし。
今日ももう寝てしまおう。
寝よう、と思ってすぐ寝れる幸せ。


このブログを始めてから早半年。
今数えたら125を超えていた。

凄い。
我ながらよくここまで下らない文章を延々と書いたもの。
初めの内は鼻歌交じりに面白がって書いていたけど、最近はまるでミキサーにかけた果物のカスを更に絞っている感じ。
何とかして夜中の12時前にアップしようと目の色を変えてたこともあった。
その割につまらないことしか書けていないんだが。

「何故そこまでして?それってもう趣味というより修行じゃん。」と息子にはさんざん馬鹿にされました。
でもなんかやりたかったの。

やり始めた時「春までできるだけ毎日書こう。そしてマキオカのこと知ってもらおう。」と思っていたけど、脱線しまくりでした。

それから学習塾も卒業し、マキオカに専念することに決めたわたし。
この訳の分からないことに費やしていた情熱と時間をマキオカの方に回さねば。

という訳で、マキオカの準備に行く今週末からペースダウンをすることにしました。
こんなこと、いちいち書く必要もないんだけど。
そして書いたところで誰も「え?いやん、寂しい。」なんて言ってくれないんだけど。

なんとか週一回位は書いていきたいと思います。
わたしの方が「いやん、寂しい。」となってしまう可能性が高いですが。

つづく

五月人形買いました

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は少し肌寒いくらいの曇り空。
花曇り、というんでしょうか。

満開の桜の中、初孫のモモの為に五月人形を買いに行ってきました。

今まで五月人形に全く縁がなかったので(息子の時は母が勝手に送ってきた)取りあえずネットであれこれチェックをしたのですが、どうもイメージが湧かない。
大きさも書いてはあるけど、なんだか分かるような、分からないような。

やっぱ、おばさんにはネット通販は不向き。
百聞は一見にしかず、ということで、友達にも一緒に行ってもらうことにし、友達の家のある西鎌倉から藤沢へ。

「そういえば途中に「雛人形」って大きな字が書いてあるビルがあったっけ。そこに寄ってから〇〇屋に行こう。」などという会話をしながら、そのビルへ。

いつも通っている道なのに、人間って興味のないものは目に入らないらしい。
そこは藤沢雛人形製作所という所でした。

正直あまり期待せずに入って行くと、あれ?
中々いい感じ。

ネットであれこれ見ているので大体の金額の相場は分かっているけど、金額の割にお品がとてもいい、ような気が。

金屏風は金沢箔本仕立てで正絹威紐も密でどっしりとした重量感。
品数は少ないけど、一つ一つが吟味されてる感じ。

・・・一応値切ってみようかな。(おばさんはダメもとで何でも値切ってみる)
雑談を交えながら値切ってみると、一切安くならないとのこと。
なるほど。

取りあえず予定していた〇〇屋にも行ってみました。
安い買い物じゃないから、おばさんは労を厭わず行くの。

でも店内に一歩入った時に、もう勝負あったって感じ。
やっぱり第一印象って大事。

値切ったら少し負けてくれるらしい。(ここでも一応値切るおばさん)
でも少しぐらい安くなってもなぁ。
実は安くしてくれればいいってもんでもないんだよね。
一生に一度の買い物なんだから、いいものが欲しいもんね。

ということで再び藤沢雛人形製作所に戻って見比べました。

うん、間違いない。
絶対にここはモノがいい。
決めた!もう買ってしまおう。

わたしが決めたのは、シンプルな金屏風に細密厚金小札(こざね)の清々しい兜飾り。

お店の方にお話を伺ったら、品質への自信の程がうかがえました。
少しでもいいものを提供するために、できるだけ金額を抑えて、カードも使えるようにせず、親しい方にも負けたりできないんだとか。
あまり宣伝しないで口コミが中心とのこと。

その志や、よし。

鎧や兜、刀や弓矢などの作り物は身体を守るものの象徴であり、また英雄豪傑の人形は魔除け・厄除けの願いを形にあらわしたものらしい。
五月人形は、男の子が無事に育つための「お守り」ともいうべきもの。

いかにケチなわたしでも奮発しないわけにはいかない。

それにこういうものって、ずうっと残るもの。
わたしが亡くなった後にも残ると思うとそうそう安っぽいモノを残すわけにはいかない。
ケチなばあさんがこんな安物買ってからに、なんてモモに言われたくないし。

頑張りましたよ。わたしなりに。

大体我が家の収入からいって、わたしの払うお金は他のお宅の5倍は価値がある、と思う。
要するに1万円のお祝いは5万円ぐらいの気持ちがこもってるんですナ。
もう清水の舞台からバンジージャンプする勢いで買っちゃいました。

帰宅して藤沢雛人形製作所のホームページを見てみると、やっぱりシンプルというか地味っていうか。
でも何か誠実さが伝わってくる感じ。

 藤沢雛人形製作所 
 ※現在廃業されたようです。残念!!
 
ホント、おススメです。

あ、ついでにお店から出るときマキオカネイチャークラブの宣伝をしてきちゃった。
おばさんってどこまでも図々しい。

つづく

「八重の桜」

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

このところの百花繚乱の開花のラッシュは一息ついたようで、咲き急いだ花達は早くも散る準備をしている様子。

名残惜しさを感じる風雅も、もはやない。
あっという間に満開になる桜は、当然あっという間に散ってしまうだろう。

それは人の人生にも通じるものがあるかもしれない。
若くして成功を収めた人たちにありがちな凋落と同じ雰囲気が漂う。

わたしはせっかくこの世に生を受けたのだから、そんなに生き急ぐことなくじっくり楽しみたい、などと思う今日この頃。

そんな咲き急ぐ花の中に八重桜もありました。
そういえば、撮りためたDVDにNHKの大河ドラマ「八重の桜」もあるんだけど、いまいち観る気がしないんだよね。

始まる前はちょっと楽しみにしていたのに。
最近のNHKのドラマはあまりに改変が多く、不愉快だから観ないようにしていたんだけど、新島八重のことは以前小説を読んでいて、日本にも凄いオンナがいたんだ!とビックリしていたから、どんな風に描かれるのか楽しみにしていたの。

『八重の桜』
「 会津藩(現在の福島県)の出身で、戊辰(ぼしん)戦争では銃を持って戦い、“幕末のジャンヌダルク”と呼ばれ、のちに同志社大学を創設した新島襄の妻となる
山本八重(1845~1932)の波乱に満ちた生涯を描く物語。時代の変化にも臆することなく、激動の幕末を勇ましくしなやかに生き抜いた八重を大河ドラマ初出演の綾瀬が演じる。」

東日本大震災を受け、被災地の復興を支援するドラマとして企画されたものらしいんだけど。
そんな「フッコウシエン」なんて関係なく素材としてはとても面白いと思う。

だいたい八重が綾瀬はるかってさあ。
全然イメージ違うじゃん。

新島八重って、悪妻、烈婦、元祖ハンサムウーマンなどと呼ばれるほど明治の時代にあってエネルギッシュに生き、皇族以外の女性としてはじめて政府より叙勲を受けたヒト。

会津戦争時には断髪・男装し、家芸であった砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃と刀を持って奮戦したんだよ。
欧米流のレディファーストが身に付いていた襄と、男勝りの性格だった八重は似合いの夫婦であったというけど、夫をかしずかせ、車にも夫より先に乗る姿を見て世間から悪妻と評された。

その割に、同志社英学校においても戊辰戦争の際、会津藩を攻めた薩摩長州出身の学生を冷遇したり、問題を起こした兄嫁を義兄や襄が許しても家から追い出したりと、西洋の感覚を身に着けながらも、武士の誇りと道徳にこだわったため、周囲と軋轢を生んだらしい。

このため、同志社英学校の学生達の演説会に夫婦で出席した際は、当時学生であった徳富蘇峰に演壇より「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺のような女性がいる」と強く非難された。
これに対し八重は全く動じなかったと伝わっている。

凄くないですか?
権太、というか、この強さ。
ただモノじゃないですよね。

しかし夫婦仲はとても良く、この時期夫の襄はアメリカの友人への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です」と書いている。

「見た目は決して美しくはありません。」ですよ?
惚れてたはず夫が言うのだから間違いない。
当時にしては大柄で、確かに写真を見ても、お世辞にもキレイとは言えない、ような気がする。
力持ちで強情で、ど根性があり腹が据わっている。

こんなキャラを綾瀬はるかができるはずないでしょ?
華奢で、儚い感じの可憐な美人。
どう考えても無理。
綾瀬はるかが重い銃なんか持ってたら、つい「おばちゃんに任せなっ。」といって銃を引ったくりたくなっちゃうよ。

わたしが配役するとしたら藤山直美(年齢的に無理か。でもピッタリ。)か田端智子、百歩譲って、貫地谷しほり。

視聴率もあの平清盛より低い12・6%を記録したっていうし。
残念だなあ。

藤山直美で作り直してくれないかな。

歳をとってからの新島八重が突然綾瀬はるかから藤山直美に代わるってのはどうですか?
すっごく新鮮だと思うんだけど。

朝ドラの「春よ、来い」で主演が安田成美から中田喜子に代わったっていう前例もあるし。
まあ、あれも橋田壽賀子の自伝小説作品のドラマ化なのに安田成美を主演にしたっていうのに相当無理があったんですが。

無理はいかん、無理は。

とかいって、おばさんの戯言自体が無理なんですけどね。

つづく

我が家の卒業式

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨夜は息子と二人でロイヤルパークホテルのスカイラウンジで、大学卒業のお祝いをしてきました。

横浜ランドマークタワーの最上階、70Fに位置するスカイラウンジだったので素敵な夜景を楽しみながら美味しいカクテルを戴きました。
レディースアフター5というプランは女性が¥3,200、男性が¥4,300でフリードリンク・オードブル付。

                  卒業お祝い ロイパ
                  
何度も言うけど、バイキングとかフリードリンクとかって、わたしのような意志の弱い人間には美容と健康の敵。
キール ロワイヤル なんて普通に飲むと¥2,100もするんだから、つい頼んじゃうの。
うぅ・・、いつもながらさもしい自分が悲しい。

初めはロングカクテルのキール ロワイヤル で乾杯。
サンセット ラグーン -70階からの夕日はパッションフルーツフレーバーでとっても美味しい。
アルテミス -月の女神- は洋ナシフレーバー。白いスムージーでさっぱりしている。

オードブルはブルサンのチーズとフランスパンの生ハム添え。
筍の土佐煮のような和風のおつまみも以外にカクテルには合う。
小魚のマリネは箸休めにちょうどいい感じ。

ベリーニ、ソルティ ドッグ、ミモザを飲んだ頃にはいい気持ちに。

切り上げようと思ったけど、息子が「もうちょっと。」というもんだからついもう一杯ビールを頼んだら、限界を超えたらしくそのまま怒涛のごとく飲み出してしまった・・。

ショートカクテルのマティーニ、マルガリータまで飲んじゃって。

毎日顔を突き合わせている親子が何をそんなに話すことがあるのか。
今思い出せるのは二人でげらげら笑ったり、何かで口喧嘩していたことだけ。
ちょっとだけ人生のようなモノを語っていたような気も。

さっきカメラをチェックしていたら見覚えのない写真も撮っていた。

だ、大丈夫かな?
ご一緒していた他のお客様にご迷惑をお掛けしていないでしょうか?
思い出せない自分がコワい。

確か帰る途中で「ラーメン、食べよう!」と騒いでいたのが、駅に着くころにはコロッと忘れて結局そのまま帰ってきた。
ボケ症状まで出てしまったらしい。

何故そこまでかっとんでしまったかというと、息子の卒業と共に、30年続けていた学習塾からの卒業でもあったせいかも。

いや、いろいろありました。
「面白いからやってみよう!」と主人と一緒に会社を辞め、始めた学習塾。(あれ?キャンプ場を始めるときも同じことを言っていた気が)
一人から始めた生徒は少しずつ増え、一時は生徒が百人を超えた時もあった。

たくさんの出会いと別れ。
面白かったなあ。

主人が亡くなった時は塾を畳むことになるのかと思ったけど、そこからさらに13年も続けることが出来た。
ほんと、ありがたい。

何といってももう学費のこと考えなくていいもんね。
これからはマキオカで、またたくさんの出会いをさせて頂けるよう頑張ろう。

それには体に気を付けねば。

とか言いながら昨夜山ほどカクテルを飲んでしまった・・。
カクテルなんて甘いものをあんなに飲んだら糖尿病まっしぐらじゃないかっ。

まず、さもしい自分から卒業することが先決だ、とうなだれたわたし。


でも、楽しい夜だったよ。
                               
つづく

「新世界より」

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

桜の花も咲き始め、百花繚乱の様子。
「今咲き遅れたらどうなるかわからない。」と思っているわけではないのでしょうが、いろいろな花が一斉に咲き始めました。
日本の春らしからぬその様子にちょっぴり不安を感じるわたし。

日差しだって「うららか」とは程遠い。
日陰は肌寒いのに日向に出るとまるで虫眼鏡を当てられているかのように熱い。

何年前の秋だったか「秋の日差しってこんなに強かったっけ?これじゃ真夏と同じじゃん。」と思ったけど今じゃ誰もそんなことを口に出さなくなってしまった。

考えてみれば今の若い子たちにとってみれば当たり前の風景。
だから飛行機雲のような線の浮かぶ空も、黄砂混じりの荒々しい春風も、今に「いつもの当たり前の風景」になっていくんだろうな。

今の子供たちにとってドラえもんは大山のぶ代さんの声ではなくなったのと同じだね。

昔はインタビューで「何をお祈りされましたか?」と聞かれた外国の方が「世界ノ人々ノ幸福デス。」と答えているのを聞いて「何言っちゃってんだか。」と思ってたけど(ひどい)、今はわたしも「世界の人たちが皆幸せになればいいのに。」と本気で祈るときがある。

いや、変な宗教に入ったとかじゃなくて。

たぶん目まぐるしく変化する世界の在り様が、あまりにわたしの「幸福」という概念からかけ離れてきてしまい本能的に不安が増してきているせいと思われる。

今までは「わたしごときものがそんなこと思う必要もないし、思わなくてもきっとどうにかなるに違いない。」と思えていた世界が「わたしごときものさえ祈らずにはおれない」世界へと、いつの間にか変貌してしまったような気がする。

それとも。

これは歳か?
じゃなきゃ、あなた、わたしのようなタイプが「世界の人たちが皆幸せになればいいのに。」なんて、ねえ?
こっぱずかしい。
どの口が言うんだか。

それはそうと。

我が家では今アニメ「新世界より」がマイブーム。
見始めたころは世界観が良く理解できずに途中放棄したりしてたんだけど、再チャレンジしたら、まあ、面白い。

DVDに撮りためていたのを一挙に観てしまいました。

もしまだご覧になっていなくて、興味のある方、おススメです。
でも怖いのが苦手なヒトはちょっとダメかも。

わたしが挫折しそうになった出だしの世界観だけちょっと書いておきます。

※ネタバレ注意
1000年後の日本。人類は「呪力」と呼ばれる超能力を身に着けていた。注連縄に囲まれた自然豊かな集落「神栖66町」では、人々はバケネズミと呼ばれる生物を使役し、平和な生活を送っていた。その町に生まれた12歳の少女・渡辺早季は、同級生たちと町の外へ出かけ、先史文明が遺した図書館の自走型端末「ミノシロモドキ」と出会う。そこから彼女たちは、1000年前の文明が崩壊した理由と、現在に至るまでの歴史を知ってしまう。禁断の知識を得て、早季たちを取り巻く仮初めの平和は少しずつ歪んでいく。

まあ騙されたと思って観て下さい。
「人間とは」「文明とは」「生きるとは」等、いろいろ考えさせられます。

バックに流れるドヴォルザークの第9番「新世界より」もせつない。
条件反射的に「帰らなきゃ。」と思わせる。
懐かしい家とか、故郷とか、時代とかに。

いい歳したおばさんが何故こんなアニメを知ったかというと、息子の影響です。
つい一緒に見ちゃうから、結構詳しくなっちゃうの。
たまに面白い作品に出くわすと「オタク気味な息子も役に立つわい。」なんて思う。

逆に息子もわたしの影響で再放送している「奥様は魔女」を時々一緒に観ています。

お互いに広がる「新世界」。

こういうの、世代間交流っていうんでしょうか?

つづく

おばさんのレ・ミゼラブル

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日話題の映画「レ・ミゼラブル」を観てきました。
息子が「とにかく観た方がいい!」と力説し、FBでも褒めている人がいたので。

で、見終わった感想。
・・わたしにはミュージカル仕立ては合わない、ということが分かりました。


※R指定…不快な表現または不可解な感想があります。
注;ネタバレ注意。ここから先は「レ・ミゼラブル」を純粋に観ようと思う方、観て感動した方、ミュージカルの好きな方はご遠慮下さい。

「レ・ミゼラブルは、1815年、ツーロンの徒刑場から話が始まります。
主人公の、ジャン・バルジャンが、パン一切れを盗んだ罪で、19年間も投獄された後、仮釈放されます。19年という長い期間は、バルジャンが脱獄を何度も企てたためです。
仮釈放となった後、バルジャンは、仕事をもらえない、宿屋からも宿泊を断られる等、世間の冷たい風にさらされます。泊まるところを探しあぐねていたところ、親切な司教様が、泊まるところを提供してくれたばかりかパンとワインまで与えてくれました。しかし、バルジャンは、司教様の善意を裏切り、銀の燭台を盗んで逃げ出しました。バルジャンはすぐに警察に捕まり、司教様のところに連れてこられました。司教様は、「銀の燭台は彼にさしあげたものだ。」と言い、さらに、別の燭台までも「忘れていったのであろう」とバルジャンに与えてくれるのでした。
バルジャンは、司教様の心に打たれ、生まれ変わることを誓います。」

わたしがレ・ミゼラブルの邦題「ああ無情」という本を読んだのは遠い昔。
読み終わった時は感動したのを覚えています。
だから薄れかけた記憶をなぞりながら映画を見始めました。

銀の燭台を盗んで逃げ出したバルジャンに別の燭台までも与えた司祭様のシーンはこの作品の見どころ。
わたし的には司祭様のイメージが若干違ったかな。
そして司祭様がありえないくらいいいヒト発言している横で聞いているおばさんたちがあきれたような顔をしていたのが印象的。(わたしにはそう見えた)
そう、他人にすっごくいいヒトって、身内には困った存在だったりする。
熊雄だって家族には疎まれてるし。(「熊男とジェイソン」参照)

「8年後、真人間として生まれ変わったバルジャンは、モンフェルメールで、工場を起こして成功し、市長にまでなっています。バルジャンは、工場で、騒ぎが起こっているのを見て、工場長に騒ぎを沈めるように命じます。騒ぎの原因は、工場で働いていたファンティーヌという女性に私生児(コゼット)がいるのが分かり、労働者達がののしったことでした。ファンテーヌに下心を抱いていた工場長は、騒ぎの責任を取らせて、ファンティーヌを首にします。」

ここだよ、ここ。
あまりにリアリティがないのは。
子供の時は世間を知らなかったから「そういうこともあるかも。」なんて思ってたけど。
どうやって無一文で学も人脈もないバルジャンが工場を起こし、市長にまでなれたのか。
8年じゃいくらなんでも市長は無理でしょ。
仮に司祭様が保証人になってくれたって職を得るだけで精一杯。
銀食器を元手にしたってたかがしれてる。
わたしが想像できる唯一の方法はお金持ちの婿養子になるか愛人になるか。
でもオンナの影はないし。
だって8年でのし上がるってそれしかないでしょ。
人の信用ってそんなに簡単には作れない。

それからファンティーヌ。
正に掃き溜めに鶴。(だってアン・ハサウェイだもん)
貧乏な女工の設定なのにピンクの服着てネックレスまでしちゃってさ。
女工達の中で一人だけ悪目立ちしてるから嫌われてハブられた、って感じ?
下心を抱いた工場長は悪くないのでは?
だって成長したコゼットより全然きれいなんだよ。
コゼットは父親似だな。

「ファンティーヌの娘のコゼットは、うさんくさい宿屋を営むテナルディエ夫妻に預けられています。テナルディエ家には、娘のエポニーヌもいました。ファンテーヌは養育費を稼ぐために娼婦に身を落とします。しかし、すぐに病の床に伏すことになります。」

またなんで見るからに怪しいテナルディエ夫妻に我が子を預けたんだか。
判断力なさすぎだろ、ファンティーヌ!
ほんでもってあんだけきれいだったら、娼婦になるより愛人とか他に生活の方法はあるはず。
しかも工場の経営者のバルジャンに逆恨みしてるし。
それ、お門違いでしょ。
ちょっとハブられても仕方ないタイプかも。

「バルジャンは、テナルディエからコゼットを引き取り、パリに移り住んだ。
美しく成長したコゼットは、学生のマリウスと恋に落ちた。
一方テナルディエの娘エポニーヌは、食べるものにも困るありさまで、エポニーヌが見つめる目線にマリウスは気がつきもしなかった。」

またこのマリウスが金持ちのボンボンの癖に革命運動なんかに首を突っ込んじゃう典型的な坊ちゃんタイプ。
目の前にいたら首根っこをひっつかまえて説教してあげたくなるヤツ。
悪党の親を持つエポニーヌにも愛され、コゼットにも一目惚れされるマリウスは育ち方にコンプレックスのある女の子たちを惹きつける何かがあると思われる。

「バルジャンは、コゼットに届いた手紙で恋人マリウスの存在を知り、バリケードに向かった。
エポニーヌは、マリウスの後追って暴動に参加したが、政府軍に撃たれて亡くなった。
バリケードには、ジャベール警部が密偵として参加していた。
密偵であることが学生たちにばれ、危うく処刑されようとしているところを、バルジャンが助け逃がした。」

よくいるよね。保護欲をそそられてしょうもないボンクラを好きになっちゃう「だめんず」。
正にエポニーヌがそれ。
マリウスを庇って死にそうになっているエポニーヌにマリウスは「どうしたんだ。」って叫ぶ。

こらあ、今あんたの目の前であんたを庇って銃で撃たれたろうがっ。
何寝ぼけたこと言ってんだ。
このボンクラがっ。
挙句は「愛してるって言ったら助かるのか」的な歌まで歌う。
あんたはコゼットが好きなんでしょ?
いくらもうすぐ死に逝くオンナだからってミエミエの不誠実なことを言うのはやめなさい。

さらに死に掛けているエポニーヌまでが突然でかい声で朗々と歌う不自然さ。
この権太な子はまだ全然死なないのでは?と思わせる。

「バリケードは政府軍に落ちた。
バルジャンは、重症を追ったマリウスを背負い、バリケードから逃げ出した。
ジャベール警部は、悪人だと重い追い続けてきたバルジャンに救われたことに困惑し、セーヌ川に身を投げた。」

マリウスを助けるときバルジャンは地下の排水溝から脱出する。
けがをしたマリウスをバルジャンが汚い排水の中で沈まない程度に連れ歩くんだけど泥まみれ。
絶対破傷風菌が入るよ。
そしてジャベール警部はこれだけ見ていると何故死ななくてはならないか、全然わからない。
いい人そうだし、ジャベール警部。

このジャベール警部、ぽっちゃりしてネアカなボクちゃんタイプ。
わたしのイメージだともっと蛇のように執拗で陰湿で暗い影があるイメージ。
ジャベール警部の迫力が物語の核になるのに。
どう見てもミスキャストなのでは?

「バルジャンは、マリウスに自分がかつて徒刑囚であったことをつげ、コゼットをゆだねた。
マリウスとコゼットの結婚式。
テナルディエ夫婦が結婚式に現れ、「コゼットの父親が暴動のあった日に、殺害した人間を背負っていたのを見た」とマリウスに金をせがんだ。
しかし、背負われていたのは、殺害された人ではなくマリウス自身だ。
マリウスは初めて自分を救ったのがバルジャンだったと知った。
マリウスがコゼットを伴って、バルジャンの元を訪れたとき、バルジャンは臥せっていた。
マリウスとコゼットが見守る中、バルジャンは永遠の眠りについた。」

最終的には仲間は皆死んじゃって、自分だけお金持ちのじいさんのところに戻ってコゼットとの結婚式代もってもらうマリウス。
甲斐性がなさそうだから没落するのは目に見えているな。
コゼットもバルジャンに守られ過ぎてぼーっとしてるし。
子供の頃の苦労が全然身についていないのは何故?

しかし見るからに下品なテナルディエ夫婦をお式に入れちゃうなんて、何してるんだ。召使たち。
危機管理なってないな。

バルジャンが亡くなるとき唐突にファンティーヌが出てくるんだけど、顔が目立ちすぎてなんだか不自然。
髪を売るため切られた髪型もイカシテルし。
あの役は「よく見るときれいなんだけど、目立たず地味で慎ましやか」って感じの人がいいのでは。

とにかく一番の謎は「バルジャンは逃亡生活中どうやって暮らしを立てていたのか」ということ。
結構贅沢な暮らし振りだったからいくら市長や工場経営していてもあんなに長く生活を維持できるとは思えない。
バックに組織が付いているわけでもないのに。
オウム真理教の菊池直子や高橋 克也だってそれほど生活資金は潤沢じゃなかったらしいし。

何故息子はわたしにこの映画を観るようあれほど勧めたのか?
つっこみどころ満載にしか感じなかったわたし。
でも一緒に行った同年代の友達は泣いていた。

何故だ?
わたしから出てくるのは花粉症の鼻水くらい。
どうやらわたしの感性は波風にさらされてしょっぱくなってしまっているらしい。
人間って変わるんだよね。
ああ、無常。

ちぇっ、久し振りに感動しに行ったのにさぁ。
ま、レディスデイで1000円で観たからいいんだけどね。

改めて自分がミュージカルには向かない人間だったと再確認したわたしなのでした。

つづく

春彼岸

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日はまるで初夏を思わせるお天気。
鎌倉の街を真夏のようなノースリーブで闊歩する御嬢さんを見かけました。

ここのところの天候、確かにオカシイ。
皆、異常気象には慣れっこになってしまって、「言ったところでどうしようもないし。なんとかやり過ごすより仕方がないじゃん。」と思っているよう。

そうなんだけど、わたしはいつ天災が起こっても「ああ、やっぱり・・。」と思うんじゃないか、と思う。

この間の東日本大震災と同じクラスの津波が来たらどこまで波が来るのか、と思って地図で見てみたら小袋谷の交差点まで全て流されてしまうようだった。
恐ろしや。

「彼岸」と「此岸」。
現代は一見「あの世」と「この世」が隔絶されているように見える。
が、見方を変えると今ほどこの二つの世界の境界が曖昧な時代もないかもしれない、と思う。

で、今日はお彼岸ということもあり、いつ行くかもしれないあちらの世界にもご挨拶をせねば、ということで建長寺にお墓参りに行ってきました。

「建長寺のある谷は地獄谷と呼ばれ、処刑場であって伽羅陀山心平寺という寺があり、当時は地蔵堂が残っていたという。仏殿の本尊が地蔵菩薩であるのはこの因縁による。」

そう、墓所のあるところはその処刑場の辺りらしい。
やだ、コワい。
ま、そんなこといったら鎌倉はそんなところだらけ。
由比ヶ浜だって処刑場で死体がいっぱいだったっていう話もある。

そう考えると、御本尊が地蔵菩薩というのはありがたい。

「子供と関わり深く、お地蔵さまと親しまれている地蔵菩薩は、「釈尊入滅後、次代の仏たる弥勒仏が五十六億七千万年の後に出世するまでの無仏の間、この五濁の世に出現して六道の衆生を救済する菩薩」と定義付けされている。
 即ち、地蔵菩薩は、来世で浄土を約束する阿弥陀如来や、将来ずっと先に我々を導いてくれる弥勒菩薩と違って、今この世界(娑婆世界)でもだえ苦しんでいる非力な我々を助けてくれる仏である。」

まずご本尊にご挨拶してから墓所に向かいます。
三門の右手にある嵩山門(すうざんもん)が入口なのですが、今は工事中で門を移動してありました。
これ、工事が終わったらまた戻すんだろうな。
                       
その奥に開山蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院である西来庵があり、嵩山門の先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されています。

ここも現在工事中でした。
むしろ工事中の方が貴重かも、と思い写真に収める。
                     建長寺 西来庵 工事中

建長寺は現在の管長の吉田正道猊下がとても積極的にいろいろな所を素晴らしく整えて下さっている。
だから最近見違えるようにきれいになっています。
鎌倉五山第一位の面目躍如って感じ。

我が家のお墓があるのはその奥になります。

近くに、建長寺の法堂天井に約80畳の雲龍図を書かれた十二所の画家で2012年1月に亡くなった小泉淳作氏のお墓があります。
比較にならないほど小さな我が家のお墓。
でも掃除もとっても楽だからいいんだもんね。

お墓を水できれいにしてお花を飾る。
わたしは建長寺の売店で売ってるお線香、「建長」が好き。
上品なお香の匂いに包まれてご先祖、主人も喜んでいる、ような気がする。

ほんと、お墓参りを済ませると何でこんなにさっぱりするんだろう。

鶯の声に送られながら墓所を後にしたわたしなのでした。

つづく

幼馴染たちへ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は朝から風が強く、春の嵐再来。
そんな中、わたしは息子の幼馴染のお友達のお母さんたち二人と、会食をしてきました。

菜食を中心としたバイキングのお店でランチを戴いたんだけど、おばさんたちって、3人揃うとよりパワフルになる。
わたしも「今日のランチ、バイキングだから朝食を抜こうと思ったけど(さもしい)、昨夜のカレーの残りが美味しそうだったのでつい食べちゃったから(これまたさもしい)そんなに食べられない。」なんて思ったけど、そんなことは全くなかった。
いったいどこに入ったのかと思えるほどたくさん戴きました。
だって野菜中心だから、体にいいもんね。

が、食べ終わってから膨れ上がったお腹を見て「歳をとってのバイキングは自制心に自信のあるヒト以外、美容と健康に良くないのではなかろうか?」と少し不安になる。
野菜中心といっても物には限度がある、と遅まきながら気が付くわたし。

でも膨れているのが自分のお腹だけじゃないことに少し安心して、またデザートの杏仁豆腐を頬張りました。

このお友達二人は息子が産まれた横浜のマンションでに住んでいた時からのお付き合い。
だから知り合ってもうかれこれ25年くらいになります。

赤ちゃんだったあの子たちが成人して社会に巣立つ日が来ようとは。

K君は一流の銀行マンに。
H君は手堅い会社の研究職に。

鼻水垂らして駆けずり回っていたあの子達がねえ。
幼稚園カバンを肩からかけて、黄色い帽子をかぶって手をつないで帰ってきたあの子達がねえ。

やれ苛めた、苛められたと喧嘩して泣いてたあの子達が一人前のオトコになるとは。
月日の経つのは早いもの。

そりゃ、わたし達も歳をとる訳だよ。
思わず養分を吸い取られたシワシワの種芋を連想してしまうわたし。

でも思い返してみれば、大人になった彼らの片鱗は幼い時にも見えていた。

K君は泣き虫だったけど華やかさがあって人を逸らさないところがあった。
H君はマイペースで客観的に周りを観察できるところがあった。

そうか、やっぱ三つ子の魂百までっていうのは本当だな。
我が息子、あの頃からちょっと変わってたもんな。
ふんどしを履く片鱗は確かにあの頃からあったのかも。

ランチの後、我が家でお茶を飲みながらいろいろなお話をしました。
同じマンションに住んでいる他の幼馴染たちの来し方行く末はとても興味深かった。
人生の交差点を見るようで。

順風満帆な子もいれば、人生の苦闘中と思われる子もいる。
でも、どの子の話を聞いてもまるで親戚の甥や姪の話を聞いているかのような感じがしてしまうのは不思議。

赤ちゃんの時から知っているから、頑張っている子の話を聞くと嬉しくなり、あまり上手くいってない子の話を聞くと胸が塞がる。

でも彼らはまだ人生をスタートしたばかり。
これからも波あり風ありなんだろうなあ。
我が子も含めて。

わたしは夫を亡くしているけれど、お友達二人は今でもとても仲良しなご夫婦。
のろける二人は幸せが服を着て歩いているように見える。

わたしたちおばさんも人生の波風を乗り越えてきた。
波風を乗り越える時一番力になったもの。
それは自分の片割れと信じられるパートナーの存在じゃないでしょうか。

一人ぼっちで荒波に立ち向かうよりは、大好きな人と手を携え呼吸を合わせて乗り越えたい。

おばさんの持つ一見幸せそうな雰囲気は、いろいろなものを乗り越えたからこそ出てくるもの。
緩んできた顎の肉や弛んできた体の線はその勲章とも思える。

息子はもちろんのこと、たくさんの幼馴染達も運命の同士と共に人生の荒波を乗り越え、幸せになって欲しいと心から願うわたしなのでした。

あ、そうそう。
昨日書いた息子の初合コン。
気にされている方にご報告。
大方の予想を裏切らず、見事撃沈したそうです。

これをお読みの若い御嬢さんで、将来もしかしたら名鍼灸師になる可能性がなくもない、かもしれない(?)ふんどし息子と合コンしてもいいよ、という気立てのいい方がいらっしゃったら是非ご連絡下さい。

つづく

枇杷のチカラ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日、庭掃除をしていてびっくりしました。
去年の秋植えた枇杷の苗から芽が出ていたから。

枇杷の苗

移植した時ろくに調べないで適当にやったので(水はあまりあげたらいけないらしい)、しばらくして葉が落ち枝も枯れてきてしまい、がっかりしていたんだけど。
まるで割りばしが突き刺さってるような感じだったのに可愛い若草色の新芽が!

枯れたのを見て抜こうとしたんだけど「ま、いっか。」と思ってそのままにしていたんだよね。
あー、引っこ抜かなくてよかった。

・・こ、これはもしや吉兆?

そういえば今年孫も産まれたし、息子も就職決まりそうだし、昨日初予約も入ったし。

今日息子は生まれて初めて合コンなんだけど、もしや彼女ができるかも。
この際だから勢いに乗って、嫁になる人を連れてきてもいいよ。
お金全然ないけど。

何故枇杷の木の苗を植えたかというと、息子のため。
以前にも書きましたが、息子は鍼灸師です。
若い女の子には相手にされない息子は、お年寄りに何故か好かれる。
近所のお年寄りのご夫婦なんか、わたしの顔を見れば必ず息子のことをあれこれ聞いて下さり、最後には「本当にいい息子さん。」と褒めて下さる。
何故だ?
不思議に思い、本人に何があったか聞いても「わからない。」との返事。
たぶん隙だらけの間抜けな感じがお年寄りの保護欲をくすぐるのかも。

この特質を生かさない手はない、ということでお年寄りをお相手することが多いと思われる鍼灸師を勧めた、という訳です。
息子は馬鹿がつくほど真面目で正義感が強く、不器用なタイプ。
本人の「人の役に立つ仕事をしたい」という希望ともちょうどぴったり合ったので、高3の一月末急遽進路を変更しました。
最近は正に天職、とも思えるほど。

それで、わたしもお灸のことを調べ「枇杷灸」というものがあるのを知りました。

「枇杷は、樹は薬王樹、葉はどんな難病奇病でもたちどころに治す無憂扇であるといわれた。
ビワの葉を熱するとその部分に変化を起こして、非常に有効なガスを放出する。これには他のいろいろな成分と共に超微量の青酸ガスが含まれていると考えられる。その浸透力、殺菌力は大変なもので僅か5分足らずで汚れた酸性の血液を正常な弱アルカリに急変する。」

「 葉はアミグダリンやクエン酸などを多く含み、乾燥させてビワ茶とされる他、直接患部に貼るなど生薬(枇杷葉(びわよう))として用いられる。葉の上にお灸を乗せる(温圧療法)とアミグダリンの鎮痛作用により神経痛に効果があるとされる。」

凄いぞ、枇杷の木!

「ビワの葉にはガン細胞を正常細胞に変えるアミグダリンが多量に含まれガンに凄い効果があります。いろいろな痛みとか慢性化した病気、ヒフ病、喘息、アレルギー等身体全般の助けをします。」

アレルギーや癌細胞にまで効果があるとは。
正にオールマイティ。

「中国では、すべての病気を枇杷の葉に頼っていた時代がある。枇杷の木があると、病人たちが「その葉っぱをください!」「私にもください・・・」と集まってきて、しまいには長い行列ができたと言われる。そんなことから枇杷の木があると「ろくでもない病人ばかりが集まってきて、縁起が悪い!」・・・と心の狭い人たちは考え,枇杷の木を植えることを嫌い“縁起の悪い木” となったのである。3000年も昔からお釈迦様の経典に出ています。」

そういえばわたしも枇杷の木が縁起が悪いって聞いたことがある。
そういう訳だったんですね。

「日本においては、時の天皇、聖武天皇のお妃、光明皇后が天平二年(730年)に「施薬院」(現在の病院の原型)を創設されたことが仏教医学に基づく治療所の始まりとされています。
そして、仏教に帰依された光明皇后は病で苦しむ人々の救済のために私財を投げ打って施薬院を創り、無償で治療を行ったのです。
「施薬院」での治療には、ビワ葉療法が用いられていました。

施薬院でのビワ療法と前後して全国のお寺にもビワ療法が広まり、お寺の僧侶が寺の境内にビワの木を植えて村人にビワ葉療法を行い、病人を救ってきました。
その効果に絶大な信頼がよせられ、民間へと広がっていったのです。」

好奇心の強いわたし。
これは是非やってみなければ、と思い、早速やってみました。
親戚からもらった枇杷の葉を肌に当て、お灸で温めてみた。

これがなかなかいい気持ち。
なんかすっごく効く気が。(またいつもの思い込みの強さが)

でも枇杷の葉をいつも山梨まで貰いに行く訳にもいかないし、買ったら結構お高そう。

という訳で、去年山に自生している枇杷の苗があったのを目敏く見つけて、引っこ抜いてうちの庭に植えたって訳です。

よし、これで息子が開業する頃にはタダで枇杷の葉が手に入るぞ。
ふっふっふ・・。

がっ。
わたしは知りませんでした。

「桃栗三年柿八年」という諺は知っていたけど、この諺には「枇杷(は早くて)十三年」っていう続きがあったことを。

じゅ、十三年?

長いよ。
そんな先の話、どうなってるかわからないじゃん。
その頃には、わたし、アセンションしちゃってるかもしれないし。
別の意味で。

でもいいや。タダの苗だし。

・・・ということで去年の秋、枇杷の苗を庭に植えたのでした。

その枇杷の苗から芽が出るってことは、もしや息子が名鍼灸師になるお知らせでは?
そうだっ、やっぱ息子、琵琶丸ならぬ枇杷丸って改名させたらどうだろう?(「息子のこと」参照」) 

つまらないことを言っていつも息子に怒られているのに、懲りずに下らないことを考えてしまうわたしなのでした。

つづく

初ご予約いただきました

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は青空が広がり気持ちのいいお天気。
鶯の声も聞こえて、久しぶりに庭のお手入れをしました。

それはそうと。
昨日今年初めてのマキオカの御予約を戴きました。
ありがとうございます。
例年3月末位からご予約を戴くんですが、今年はいつもより早く戴いたのでなんだか嬉しい。

今年も老体に鞭打ち、皆様に喜んで頂けるよう頑張らねば!と心に誓うわたし。

で、思ったんですが、わたしがこのブログを始めたのが去年の10月から。
ということはわたしの雑文をご覧になった方と初めてお会いすることになるのか。

ど、どうしよう?

人見知りで(ほんとです)お電話の対応の際つい気取った声を出してしまうというのに、「ぷぷぷっ、いつもあんなおバカなこと書いてるくせに気取った声だしちゃってる。受ける~。」なんて思われてしまうの?

マキオカで、少し距離感のある対応を心掛けているのに「怒りんぼうの思い込みの激しいおばさんのくせに、距離なんか置いちゃってる。受ける~。」なんて思われてしまうってこと?

激しく動揺するわたし。

・・・だ、だいじょうぶ。
きっと皆さん、そこは大人の対応をして下さるはず。
見て見ない振り、というか、そうっとして下さるというか。

大丈夫、だよね?

うん、陰で半笑いされるより正面切って笑っていただいた方がなんぼかまし。

もしこのブログをご覧になって、ご予約をして下さる方はお電話の際、是非一言お声掛け下さい。
今想像しても、自分がどんな声でお答えするかわかりませんが。
嬉し恥ずかしという感じで。
声が裏返ってしまうかも、もしくは緊張して事務的な声になっちゃうかも知れませんが、心の中では長年のお友達が来て下さるような気がしてとても喜んでおります。

だから少しぶっきらぼうでも許してね。

あと気を付けて頂きたいことが。
マキオカではわたしがキライだと思うことはしない方針です。
で、ハイシーズン料金や備品のレンタル料も戴かないことにしています。
ただキャンセル料だけはマキオカが2区画だけの特殊なキャンプ場という性格上、戴かざるを得ませんでした。
3日前からキャンセル料が発生してしまいますので、もしご都合が悪くなった場合、できるだけ早くご連絡下さいね。

5月の連休くらいだとまだティピィの中の薪ストーブが使えるので、火を囲んでお酒を召し上がれます。

わたしは母に似てお酒を戴くとかっとんじゃうタイプ。
ご迷惑をおかけしちゃうのは明白なのでご一緒できないのは残念ですが、皆さんの楽しまれている声を聞いているのがわたしの生きがい。

今から皆さんにお会いできるのがとっても楽しみ。

是非マキオカにお遊びにいらしてください。

つづく

不思議な夢の話

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今朝散歩がてら鶴岡八幡宮に行ってきました。
途中のお家の庭先には、早くも沈丁花の匂いがして、木蓮の花も咲き始めていました。

朝7時半位だったので宮司さん方がお掃除をされていて、参詣客は一人もいませんでした。
(宮司さん達がお掃除の時ダスキンのモップみたいなのを使ってるのを目撃。こんなところにも文明の影が)
いつもの賑やかな風景を見慣れた目には新鮮に映りました。
             早朝の鶴岡八幡宮

なぜ鶴岡八幡宮にお参りに行くことになったかというと、息子の夢が発端です。
3日ほど前、息子が急に「あ、夢を見たのを思い出した。」と言い出しました。

どんな夢かというと・・。

息子が誰かと鶴岡八幡宮にお参りに来ている。
いつもの八幡宮より木が鬱蒼と茂っている。
誰かが「ここの八幡神は本当は木の神様で、木々を守護している。木のネットワークは凄く、いろいろな所と繋がっている。
いわゆる八幡神は他にいるのでその神様に仕事のことを頼むとよい。」と言う。
気が付くと目の前に黒い小さなおばあさんがいて息子は驚いて腰を抜かす。

ってな夢だったそうな。

初めは面白がっていただけだったんだけど、その日バイトから帰ってきた息子の話を聞いて驚きました。
バイト2日目の息子に院長がとてもいい待遇で正社員になるよう勧めて下さったとのこと。
実は息子は修行しやすくするため、お金は入らず保証もない代わりに時間が自由に使えるバイトという立場を選択したのでした。
お話を聞くと日曜日以外にもお休みを一日戴けるとのこと。
ってことは修行との両立が可能ってこと?

スゴイじゃないか!
暫くは経済的にまだ苦しいと思っていたけど、これでわたしも左団扇?

それにしても何故そんな願ってもないお話が突然?
・・・

こ、これは八幡様にお参りに行った方がいいのでは?
もしやバイト先とご縁があったのも八幡大菩薩様のお蔭?

やった方がいいと思うことは即実行に移すわたし。
そんな訳で早速今日お参りに伺いました。

お礼を申し上げた後、主人のお墓がある建長寺に行きお墓参り。
半僧坊から眺めた鎌倉の町並みは穏やかできれいでした。
                   早朝の半僧坊

わたしも不思議な夢を見たことがあります。
主人が亡くなってからしばらくしてやけにリアルな主人の夢を何度か見ました。
いつも使っているカバンを探していたり、黙って悲しそうにしていたり。
初めの内は黙ったままでした。でも何か月かすると口をきいてくれるようになりました。

以前母に「亡くなったばかりの人は夢の中で話さないものだよ。」と聞いたことがあるのですが、今ではあれは本当のことかもしれない、と思っています。

わたしが主人が亡くしたのと同じ頃ご主人を亡くした方と知り合いました。
その方のお家に招かれて伺うと、猫がたくさんいて家の中が雑然としていました。
帰りがけ「あれ?何となく肩が重く疲れた気が。」と思いましたが気にも留めず帰宅しました。
その夜主人の夢を見ました。
「つかれる所には行ってはいけない。」と言っていました。
娘に「パパったら疲れる所には行っちゃいけないって言ってたんだよ。」と話すと「それって疲れる所じゃなくて憑りつかれる所っていう意味じゃないの?」と言われぎょっとしました。
そういえばあれから肩がずっと重い気が・・。
それ以来その方とは疎遠になりました。

そんな中で主人が教えてくれた言葉で今も守っていることがあります。
「お線香は3本あげるんだよ。」
どういうシチュエーションだったか忘れてしまいましたが、そうはっきり教えてくれたのを目が覚めてからもはっきり覚えていました。
それまでは適当にあげていましたが、それ以来お線香は必ず3本上げることにしています。

そういうことは素直に守るわたし。

昔、娘が朝起きてきて「変な夢見ちゃった。小渕首相が死んじゃった夢。」と言ったので「政治家の夢を見るなんておバカ。」と皆で笑っていたら、それから一週間ぐらいで小渕首相が突然亡くなったので仰天したこともあったっけ。

それからモモが産まれそうになって産院に向かう車の中で「パパも応援してるよ。」と言ったら、娘が陣痛に苦しみながら突然「パパは数を司る仕事をしているよ。烏帽子を被ってるのが見えた。」と言い出したのにも驚かされた。
確かに似合いそうではあるが。
・・そんな、まさか。

こんなことを書き連ねていくと、いったいどんな一家か、と思うかもしれませんが、ごく普通の家族です。
思い出していくと、どのお宅にも不思議な話の一つや二つはあるんじゃないでしょうか。

ただそれを見落として忘れてしまうか、面白がって信じるかの違い、かと思います。

もちろんわたしは面白がる方。
その方がなんだか人生が奥深く楽しく感じられるような気がするから。

以前も書きましたが、わたしの目標は死ぬとき「あー、面白かった!」と思える生き方をすること。
一見馬鹿馬鹿しいと思える夢にも面白いことがいっぱい。

夢に振り回されるというより、楽しみたいわたしなのでした。

つづく



息子のこと

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日の春の嵐の余韻が朝まで続いていましたが、昼近くになってやっと穏やかな曇り空になりました。
一転してまた寒くなったので息子に「せっかちすぎる。」と叱られ 、仕舞ったストーブをまた出してきました。

確かに歳をとって以前に比べるとさらにせっかちになった気が・・。
やはり残された時間が少なくなったからか?と遠い目をするわたし。

それはそうと、この春息子がやっと働き始めました。
息子は去年大学を卒業し鍼灸師の国家試験を合格し、今年ダブルスクールで通っていた短大を終わらせ柔道整復師の国家試験を受験したところ(3月末結果発表)です。
本人は鍼灸のスペシャリストになりたいらしく修行中です。

鍼灸のスペシャリストといえば手塚治虫の「ブラックジャック」に登場した琵琶丸。
とにかくなんでもかんでも、鍼で治してしまうという天才鍼師だったな。
盲目の鍼師で病人に対し無料で治療を行う。

道でブラックジャックとすれ違った琵琶丸はブラックジャックが外科医であることを見抜き、こう言う。

「手術だの薬だのに頼んなさんなー。くだらねえこったあー。
体なんてものはもともと切ったり張ったり出来る代物じゃーないー。
けものや鳥を見なー、病気になったって手術なんかしないよー。
みんな自分の力で治すんだー。そういうものさー・・・」

か、かっこいい。

さらに『座頭医師』のエピソードでは、針に恐怖心を持つ子供の患者に鍼を打ったことでショック症状を引き起こしてしまい、駆け付けたBJに助けられたが、直後にBJの何回も手術で治療している胃腸虚弱を鍼で治して借りを返す。

あのBJを治しちゃうんだよ。
スゴイじゃないか!

そんな琵琶丸と我が息子との共通点。
そう、ふんどしです。

以前にも書きましたが(ふんどしのススメ)息子は去年からふんどしを愛用している。
だから琵琶丸のようなすっごい鍼師になるに違いないっ。

・・ってわたしは何を言っているのでしょうか?
息子がやっと卒業した嬉しさで、親馬鹿という定義からさえも外れている。
もしやPM2.5にやられてしまったのかもしれない。

この間遊びに来た息子の友達(E君)が、息子を合コンに誘ってくれていました。
その時のE君から息子へのアドバイス。
「お前、ふんどし締めてること、女の子たちには言っちゃ駄目だぜ。引いちゃうから。」
E君、的確なアドバイス、どうもありがとう。
グッジョブだよ。

そう、このアドバイスから分かるように、息子は真面目で要領が悪い。どちらかといえば純粋真っ直ぐ君タイプ。
お年寄にばっかり愛されて同じ年頃の女子とはうまく付き合えない。

あー、せっかく松潤のような顔に産んであげたのになぁ。(眉毛と目だけは)
ほんっと、もったいない。(ここも親馬鹿)

息子の彼女になる子はきっといい子に違いない。
だってあの良さがわかるって、かなりのツワモノ(?)だよ。
うん、嫁いびりなんて息子が幸せそうだったら(ここ大事)絶対にしないから安心してね、と妄想するわたし。

あ、そういえば琵琶丸は無料で治療をしていたんだった。
ダメダメ、絶対ダメ。

貧乏な我が家が雑巾の水滴を最後の最後まで絞るようになんとか学費を絞り出してやっと卒業させたのに、無料で治療なんて無理。

琵琶丸、いったいどうやって生活していたんだ?
誰か知っていたら教えて欲しい。

とにかく琵琶丸のように、なんて高望みはしないから一歩一歩人様のお役に立てるよう技術を身に付けて欲しいと願うわたしなのでした。

つづく

お古考

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日も散歩に出ようとしたらあまりの風の強さにあきらめました。
何かが飛んできそうな勢いだったので。

で、帰り道はたと気が付いたんですが、わたしの散歩の時の服装、全部娘のお古。
Tシャツとパーカー、Gパン、靴、靴下に至るまで全部。

うぅ・・。なんだか情けないよう。

前から言っているようにわたしはケチ。
そして無駄が嫌い。
だから娘が気に入らないだけで着なくなって捨てようとする服を必ずチェック。
わたしが着れそうなものがあると引き取っていました。
(さすがに嫁に出してからはしていないが)
そうして着始めたものは何年も着ます。
捨てる基準は「どう考えても似合わない」「穴がどうしようもなく目立つ」「襟が擦り切れてきた」という感じ。

見回してみると我が家にはそうした他人からの貰い物がたくさん。

リビングのテレビ台は姪が引っ越しの時に処分しようとしていたローテーブル。
「え?こんないいもの捨てちゃうの?」と思ったわたしは迷わず戴きテレビ台にしました。
お部屋は以前よりお洒落になっていい感じ。

さらにソファの横に置いてあるクラシカルな素敵なテーブル。
これも友人がすっごく立派なテーブルセットを買って必要がなくなって処分されそうになったものを戴きました。
今ではすっかり納まって高級感を醸し出してくれています。

和室にあるお茶釜と民芸調の和ダンスも戴きものです。
息子さんたちと同居することになった知り合いのおば様が、家のものを全部処分することになり戴いたもの。
築40年近い我が家の和室にすっかり馴染んでいます。

とは言ってもいくらケチなわたしでも何でも貰う訳ではない。
気に入ったもの、長く使えそうなものだけ有難く戴きます。
新しく買うのはよっぽど気に入った物のみ。

思い出してみると、わたしの幼い頃近所の家同士で子供の洋服を回していた。
だから近所のお姉さんの来ていた服をわたしの姉が着、その後わたしが着た後、気が付くと近所の年下の子が同じ服を着ていたりしていた。
今では考えられないくらいの循環型社会だったんですね。

それがいつしかツギの当たった服なんか着る人がいなくなり、新品の服ばかり着るようになり、あっという間に大量消費の世の中に突っ走って行った。

今では「人の着たものなんか、気持ち悪い。」とか「なんか変な念がこもっちゃってるかもしれないし。」とか「ブランド物ならともかく普通の服なんて人にあげるなんて信じられない。」なんて言われてしまう。

かと思えばビンテージジーンズとかに物凄い大枚をはたいたりするらしい。

おばさんはついていけないよ。ホント。

今ネットでお古で調べていたら発言小町にこんな質問がありました。

Q.子供が小さい時用の洋服など、お下がりを頂いた時などは、皆さんどんな風にお礼のお返しをしていますか?
A.私の場合、お菓子やTシャツを買って渡しています。
とは言っても、頂くお下がりはどれもブランド物ばかりで、恐縮するんですが・・・
私も知合いにお下がりをあげますが、お礼に可愛い下着のセットをもらったことがあります。
とても有難かったですね~。

お、お返し?お菓子やTシャツ?可愛い下着のセット?
そんなの買ったらお金かかっちゃうじゃないですかぁ。

こんなのはわたしの言ってる「お古」ではないっ。
何ゆえお古を貰ってお返しをせねばならんのじゃ。

そんなことは考えず、「あ、ありがとね。」と言って貰っておけばいいんです。
そしてその家で醤油が足りなくなったとき「お返しはいらないよ。」と言って醤油を2~3日分上げればよし。

・・って今時醤油がなくなって、近所の家に借りに行く家なんてあるわけなかった。
借りに行ったとしても「コンビニで買えばいいのに、なんで?」とか怪訝な顔されちゃうし。

そう、時代は変わった。

老兵は去るのみ、ですな。

つづく

歯医者さん考

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日歯医者さんに行ってきました。

今の歯医者さんってホントに良くやって下さる。
削るだけですぐ麻酔を打ってくれるし、患者さんが出来るだけ不快な目に合わないように気を使ってくれる。

それに比べ、わたしが小さかった頃の歯医者さんはこわかったなぁ。
あのスゴイ音と痛み。
母に「明日は歯医者さんだよ。」と言われるともうそこからはまるでドナドナの牛のよう。
怖くて目の前が真っ暗になりました。
正に絶望のズンドコ、いやどん底。

その頃の歯医者さんは削るとき麻酔なんかしなかった。
気を失うほど痛くてもとにかく我慢。
麻酔は歯を抜くときだけと決まっていた。

調べてみたら、痲酔は、点数に入らなかった(つまり医者持ち)ので、ケチな歯医者はとことん使わなかったとのこと。
そ、そういうことだったのか!ぬう、あの歯医者のやつ。
でもどこもそんなものだったらしい。
とにかく凄まじく痛くて怖かった。

今なんか歯科衛生士のお姉さんもとっても優しく親切だし。

だいたいあのマスク、道行くヒトがマスクしててもなんとも思わないのに、歯医者さんや歯科衛生士の皆さんが付けると5割増し位素敵に見える、と思う。

そう、あと白衣効果もあるかもね。

街中でいつも憧れている私服の歯科衛生士さんにばったり会い挨拶されて「ちがうっ、このおばさんはオレが知っているあの方じゃない!」とショックを受けることもあるかも。

そしていつも医者さんに行くと思うのですが、歯医者さんや歯科衛生士と患者さんとの関係って、ちょっとエロチックじゃないですか?

あまり知りもしないオトコに自分の口の中を見せる。
何をされているかよく分からないけど、とにかく身を委ねる。

自分でも見えない深いところまで訳が分からずいじられるあの感じ。
「もうどうにでもしてっ!でも痛くしないでね。」とすがるような目つきで訴える。
そしてあんなことやこんなことをされた後「あなたを信じてよかった・・。このヒトがわたしをキレイにしてくれたのね。」と安心する。

だから聖子ちゃん、歯医者さんと結婚しちゃうんだね。

それから歯科衛生士のおねえさんがスクーリングをしてくれる時、微妙に体に当たる胸。
柔らかくていい気持ち。
これを男のヒトがやられたら、絶対歯科衛生士のおねえさんを好きになっちゃうんじゃないでしょうか。

ともかく歯の痛みはホント、つらい。

昔はどうしていたか想像しただけでわきわきする。

「江戸時代は歯医、歯医者、牙医、口中医師、歯薬師などと呼ばれる医師たちが、下級武士や一般庶民の歯の治療に当たっていました。
こういった医師とは別に全く医師でない香具師(歯抜師、入歯師)という人たちも歯の治療を行っていました。
木製入れ歯が登場しましたが作ったのは入歯師と呼ばれる人々でした。日本では江戸時代には民間では歯抜き師と入れ歯師がいました。
痛い歯は抜いてしまうという考えです。
江戸時代の抜歯風景の絵が残っていますがご想像通り大変だったようです。」

大変だったろうなあ。
でもあの凄まじい痛みとの戦いを考えるといっそ抜いてもらう方がいいかも。
でも抜いた後が大変。

「徳川家康が入れ歯をしていたことは歴史書にも記載がありよく知られています。
そのころの入れ歯は、木ロウで型を取り、ツゲの木を削って作っていました。
ツゲの木は緻密で硬く、また抗菌作用があって不潔になりにくく、入れ歯の台として最適な材料でした。前歯には自分の歯かあるいは他人の歯を絹糸で台にくくり付け、奥歯は金属の釘を何本も打ち付け、よく噛めるようにしてありました。
入れ歯師はその技術は凄まじく手掘りの木製の入れ歯ながらきちんと吸着する (上の入れ歯が落ちてこず物が噛める)レベルのものだったようです。」

真偽の程は知りませんがアメリカ人であまりの虫歯の痛みに耐えきれずピストルで自分のアゴごと撃ち飛ばした人がいたそうな。

それから東京都荒川区南千住に山王清兵衛(さんのうせいべい)と呼ばれる神社があり、「歯神清兵衛」(はがみ せいべい)という、虫歯のあまりの痛みに耐え切れず切腹した侍が祭られているそうです。

うぅ・・恐ろしいよう。

まあ、江戸時代は歯磨きの習慣も定着していたようですし、女性の鉄漿(おはぐろ)は虫歯予防でもありましたから、それほど虫歯は多くなかったと思いますが。

わたしはこのブログでよく「昔はよかった。」と書いていますが、こと歯医者さんに関しては現代に生まれたことを心から感謝しています。


でも治療中、口の中に水が溜まっているのに見当違いのところにバキュームされて、大量に金属片だらけの水を飲みこんでしまい「いつもオーガニックだの添加物だのにこだわっていても今の一口で台無し・・。」とうなだれてしまったわたし。

いつもは図々しいくせに「うがいは頻繁にさせて欲しい」というささやかなお願いも、いざ歯医者さんの前に行くと遠慮してなかなか言い出せないわたしなのでした。

あー、つくづく日本人。

つづく

いつも何度でも

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。



僕たちの失敗

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

もうすぐあの3・11がやってくる。
あれからもう2年経つんですね。

あの日の出来事は、日本人一人一人に今までの、そしてこれからの生き方を突き付けた出来事だった、と思います。

わたしももちろん例外ではありません。
あの日から確かにものの見方や価値観が変わったような気がする。

地震や原発に対する情報や意見は巷に山ほど流れているので、わたしは、わたしに起こったあの日の出来事を振り返ってみたいと思います。
ボケたら忘れちゃうかもしれないし。

あの日、西鎌倉で友達とのお食事会を済ませたわたしは、息子と待ち合わせをした大船駅近くの図書館が併設されている支所へ向かいました。
図書館がある2階で息子に電話をし、息子が既に駅に到着していることを確認しました。
息子はお蕎麦を食べてから商店街を通って図書館に向かうところでした。

電話を切ってしばらくすると眩暈がした感じがしました。
「立ちくらみ?」と思い立ち止まっていると、それは大きな横揺れの地震でした。

ゆらゆら揺れる本棚。
様子を窺う人々。

暫くして年配の職員の方が「危ないですから外に出て下さい。」と叫びました。
皆素早く、でも落ち着いた様子で駐車場に出ました。
車がギシギシ音を立てて揺れ、電線が縄跳びの縄のように揺れている。
商店街の方では小さな叫び声が聞こえてきました。

呆然と立ち尽くす人々。

わたしは駐車場に出てすぐ息子に電話をかけましたが一切つながらない。
気を揉んでいると、ちょうど来た息子と出逢えました。
これぞ天のお導き!

少しするとやっと揺れが治まり、皆の顔に安どの表情が。

まだことの事態が呑み込めていないわたし達。
「よっしゃ、地震も治まったしルミネに靴でも見に行こうか。」と車を出しました。(なんと能天気な)
ところが少し行くと、信号が点いていない。
「あれ・・?どうしたんだろ?」
よく見てみると信号という信号が全部消えている。

「そ、そうだよね。結構大きな地震だったもんね。今日は買い物止めて家に帰ろうか。」
冷静を装いながらも、動揺するわたし。
大きな通りに出るといつもの見慣れた風景が、停電した、というだけで印象が全く違う。

「町中が停電になってる。でも信号って停電になっても作動するように出来てんじゃないの?」なんて非日常の世界にちょっとわくわくしながら(不謹慎です)徐行運転で帰宅しました。

住宅街ではいつもは井戸端会議なんかしていない奥様方が道路に出て不安そうに話し合っていました。
わたしもその奥様方の会話で「どうやらディズニーランドが大変らしい。」「思ったより被害が大きいらしい。」ということを聞きました。
停電が直らず家のテレビが見られないので車のワンセグを付けてみるました。

岩手の大船渡の大津波の映像が流れてきたときの衝撃。

これは大変なことになったと顔から血が引く思いがしました。
とにかく停電が復旧しない前提で行動することにしました。
灯油のストーブを出し、ローソクを準備。
そして母や娘と連絡を取ろうと携帯をかけ続けるももちろん繋がらず。

外を見るといつもは家々の灯りが灯るはずの街が深い暗闇に沈んでいました。


わたしの3・11はこうして終わりました。
大きな不安を抱え、まだこれから起こる原発事故も知らずに。


あの頃「国家存亡の危機!」と真剣に思いました。
でも。

あの地震が起こった直後、道路に出たわたしは道路工事のおじさんたちが「ま、とにかくこの仕事仕上げちゃうべ。」って感じですぐにドリルの音を響かせているのを目撃している。
翌12日、息子は引っ越しのアルバイトだったんだけど、早朝からしっかり働きました。

これが日本人の底力。
日本人は怯まず弛まず歩き続ける。
動揺や恐怖心を、勤勉に歩を進めることによって抑え込み、歩き続ける。

わたし達は確かに失敗をした。
そして手酷く傷ついた。

でも日本人はそこから立ち直る術を知っている、とわたしは確信しています。

「国生み神話」で女神であるイザナミから声をかけた事が原因ヒルコとアハシマを産んで失望し、天地開闢の神々に問い、やり直しをし、日本列島を次々と生んだイザナギ、イザナミのように。

火之神を生んだ為、焼かれこの世を去ってしまった妻を追って黄泉の国に行き、タブ-を破って醜い妻の姿を見てしまい、この世に逃げ帰って穢れを祓い 三貴神を誕生させたように。

太古の時代から日本人は智慧を重ね様々な苦難を乗り越えてきました。

世界の雛型といわれる国、日本。

わたし達が今、この時代、この国に生まれたことには、必ず何か意味があるに違いない、と確信するわたしなのでした。

つづく

母の人生

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日はもうすっかり春本番。
うちの梅の花もやっと咲き始めました。

近所のお庭の桃の花も水仙も、この暖かさで一斉に満開になっていました。
つい4~5日前あんなに寒かったのが嘘のよう。

季節は確実に廻る。
毎年この時期になると実感します。

3月はいろいろなセレモニーの多い時期ですが、我が家も先日のお宮参りを始めとして行事が目白押しです。

それにつけてもお宮参りの時のわたしの母の張り切りぶりは凄かった。

元気すぎるお年寄りの特徴。
声がでかい。
話の中心は自分。
足腰が弱っていても人前では決して弱みは見せない。
料理自慢で世話好き。

うん、母は全てに当てはまるな。

この間は我が母ながら「ちょっ、ちょっと、いくらなんでもダイジョブですか?」と目を塞ぎたくなるほどだった。
年寄りの冷や水なんて一瞬の内に蒸発する勢い。

よほどモモのお宮参りが嬉しかったのか、いつもはそんなにお酒は弱くないのに酔っ払い、はしゃぐわ喋るわ泣くわ。

ちなみにお宮参りの時のかっとんだ母の姿は「天空の城ラピュタ」のドーラに着物を着せた感じ。

あまりの母の独壇場に「助けてぇ!」とモモを抱いた娘の目が訴えていたけど、ごめん、娘よ。
ああなったら誰も止めれないんだよ。
途中まで何とかしようと頑張ったけど無理だった。
暴走列車は下手に止めると大惨事になっちゃうから、と心の中で手を合わせるわたし。

母は今年84歳になるんですが、本当に波乱万丈な人生を送ってきました。
この年代の方たちって多感な時期が戦争真っただ中だったんですよね。
母もご多分に漏れずかなり苦労したようです。

幼いころは、技術職だった祖父の住み込みのお弟子さんたちに蝶よ花よ、とかしずかれ、何不自由なく暮らしていたのが、戦争によって許婚は亡くなってしまうわ、祖父は職を失いお酒に溺れるわ、祖母は生活力がないわで「ここはわたしが長女として家族全員を支えねば!」と一念発起。
闇市から食料を調達したり、東北まで買い出しに行ったり、自分で行商をしたりと獅子奮迅の働きをしたらしい。

そんな中、妻2人に先立たれ(!)子供8人を抱え(!!)困っていた、20歳も年上の(!!!)、会社を興してブイブイいわせていた父と知り合い、騙されて(本人談)結婚した、というわけです。

だからわたしには腹違いの兄姉が8人います。

子供の頃はこの環境が理解できず「一番上のお兄ちゃん、普通おじさんって呼ぶくらいの歳だなあ。」なんてのんきに思っていました。

小学3年生の時、姉からうちの家族事情を説明されてびっくり。
「そうだったんだぁ。なるほど。」と今までのあれやこれやがやっと理解できた、という感じ。

童話や漫画に出てくる意地悪な継母が、なんとこんなにも身近にいたとは。
シンデレラや白雪姫、その他もろもろの継母を思い出し、自分の母の顔を見比べて「ママハハが我が母とは。イメージと違う・・。」と思ったりしていた時期もあった。
この頃からすでにわたしは物事をちょっと斜め横に見る癖があったのかも。

実は母が結婚を決めた一番の理由は、父の連れ子だった兄たちが母に懐いて不憫で結婚せざるを得なかった、とか。(本人談)

ところが暫くして父の事業が失敗して母はまた辛酸を舐めることになります。
どこまでもついていない母。

なんども死にかけ、自殺を考えたこともあったというほど過酷な日々を送ったこともあったらしい。
連れ子だった兄たちと共に苦労を乗り切り、今も戦友ともいえる良好な関係を保っています。
いまだに亡くなった父の悪口を言ってますけど。

複雑な人間関係も、持ち前のバイタリティと親切心、ど根性で乗り切ってきた母。
今若かった母を想像すると、なんかドラマチックですね。

わたしは母の前向きな生き方を尊敬しています。
母の周りの人間関係は、今までの母の生き方の証明だと思います。
皆とても母を大事にしてくれている。

母は「今が一番幸せ。」「ありがたい。」が口癖です。

そんな人がわたしの母でよかった、と心から思います。
いつでもわたしの味方でいてくれる人がいる、と無条件でと信じられる人生は今のわたしの土台になっています。

いまだにパワフルで愛情深く、皆に料理を振る舞う母。
でも元気な母ももう84歳。いつボケてもおかしくない。
お宮参りの時のかっとんだ母の姿もそう考えればありがたい、と思える。

ねえ、モモ。
あと10年もしたら、モモにお宮参りの様子を聞かせてあげよう。
おばあちゃんのかっとび振りも。
きっと楽しい笑い話になるね。
そしてみんながどんなに君のことを大事に思っていたかということも。

つづく

常識が変わるとき

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

50歳も半ばになり、この歳になっていろいろ気付かされる時があります。

「常識」と呼ばれる概念の何と頼りないことか。

わたしの若い時フロンガスは人畜無害でとても便利なものと教わった。
それが今ではオゾンホールを作ってしまう元凶といわれている。

人口は増え続け土地が足りなくなる、といわれた。
それが今では少子化が叫ばれ老人ばかりになり、空き家も目立ってきている。

温暖化が叫ばれて久しいが、それも怪しい。むしろ寒冷化が進んでる、なんて声もある。

もっと身近にもひっくり返った常識がいっぱい。

わたしの学生時代、部活の練習の合間の水分補給は止められていて、どんなに喉が渇いても水を飲むことは禁止されていた。
今なんか授業中だって水筒の水を飲んでも叱られない。
脱水症状が怖いから、という理由で。

うさぎ跳びなんかその最たるもの。
練習に組み込まれるうさぎ跳びはとても苦しくつらいものだったと記憶している。

でも「これで脚力がつくんだろうな。」と思い一生懸命頑張り、友達と筋肉痛自慢をし合ったもんです。

が、後に知らされた驚愕の事実。

「ウサギ跳びは、とても危険で間違ったトレーニング方法だったことが、科学的に明らかになった。この運動はアキレス腱を鍛える効果があると信じられていたが、この種のエクササイズで腱を強化することは不可能である。
従って、トレーニングとしての効果は期待できず、むしろ関節や筋肉を傷めるスポーツ傷害を引き起こす可能性が高い。特に成長期の子供は避けなければならない。」

危険って・・。
ちょっとぉ、って感じ。
あの頑張りは無駄どころか、ただの自虐行為に近いものがあったんだね。
「アタックナンバー1」の鮎原こずえだって、本郷コーチの熱血指導のうさぎ跳びに耐えてたから、膝を悪くしている可能性がある。
もし今いたら、鍼灸院に通っているかも。

昔は家に電話がかかってきたときには「はい、○○です」ときちんと名乗って応対しなさい、と厳しく言われた。
今は名乗ったら何が起こるかわからないから「はい」としか言えない。
近頃の「おれおれ詐欺」なんか実に巧妙だから、すぐ餌食になっちゃうよ。

昔は「子供は日光をたくさん浴びて、夏はまっ黒に日焼けしておけば冬に風邪を引かない」といったもの。
今ではそんなことしたら皮膚癌になるとかシミ・ソバカスの原因だとかいわれている。
「浅黒い健康的な肌」っていう表現はいまや死語。ただの色黒ですな。

それから漫画やドラマに欠かせなかった「マウストゥマウス」の人工呼吸。
主人公が溺れたりしてピンチに陥った時、最終的に恋人になるオトコがしてくれる「マウストゥマウス」。
憧れました。
でも今では基本「マウストゥマウス」の人工呼吸をしてはならないんだとか。
事故などでは口中を怪我して出血している可能性もあり、この状態でマウストゥマウスの人工呼吸をおこなうのは病気の感染リスクを伴うとのこと。
心臓マッサージだけでも十分な救命効果があることなどが理由だそうで、感染を防止する器具などがそろっているときだけ、人工呼吸も併用するんだそう。

ちっ、なんだよ。
そこから生まれるラブロマンスなんて、なくなっちゃってるんだね。
まぁ、どっちにしてもわたしにはそんなチャンスは死ぬまでなさそうだからいいけど。
虫歯菌がうつっちゃうかもしれないし。

ことほどかように常識ってやつは変化していくもんです。

だからわたしはいま喧伝されているいろいろな情報も、ちょっと斜め横から見ているところがあります。
「そうは言ってるけど、どうなるかわからないじゃん。」
「今はそうでも、先に行ったらひっくり返ることがあるかも。」

だって過去のわたし達だって、当時最先端の情報を教えられている、と聞かされていたんだから。
そしていとも容易くその最先端の情報ってやつが変わっていったんだから。

もちろん一般庶民にはいわゆる本当のことなんて知らされない。
それは今も昔も同じだと思う。

あの頃、世界は常に前に向かって進んでいると思っていた。
人は良い方向に向かおうとするものだと思っていた。

でも、だからこそあの頃、皆何も疑わず進んで行けた気もする。

ネットという媒体によって膨大な量の情報がもたらされているように見えるこの時代。
むしろ気を付けなければいけないと思う。
たくさんのコミュニティができ、たくさんの常識が生まれている。

常識って、こういうものだったんですね。
知らなかった。

要するに、常識って「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観」だとばっかり思ていたけど、その「価値観」が常に変化するものだと知らなかっただけだったのね、と納得するわたし。


かつてマキオカを作るとき、周囲の皆から「そんなもの、作れるの?(半笑い)」といわれたものです。
でも常識のないわたしは「うん!できる、様な気がするっ。」と突っ走っていったのでした。

まあ、知らないもの勝ち、とでも申しましょうか。


あー、常識がなくてよかった。


つづく

そろそろ・・。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いよいよ本格的な春ですね。
風は冷たいものの、景色のあちらこちらに春の息吹が。

暖かくなってくると我がマキオカネイチャークラブもそろそろ始動となります。
嬉しいような、メンドクサイ様な。

冬の朝、温かく肌に馴染んだ布団から出るのに思い切りが必要なあの感じ・・。
もしくは子供が夏休み明けを想像してちょっと憂鬱になるあの感じ、と言えばいいのでしょうか。

「仕事なのにメンドクサイとは何事か。」とおっしゃるかもしれませんが、実際やることがてんこ盛り。
もう3か月以上行ってないので「どこか異常はないか?」「もしや井戸のポンプ、壊れてたりして。」とか、「水抜きした水道管、この間みたいに水が抜き切れていなくて破裂していないでしょうね。」「ガス給湯器は大丈夫か?」と心配すればきりがない。

そして行ったら行ったで、ススキの穂を刈ったり、荒れ放題になっている土手をきれいにしなきゃならない。
そしてベランダのペンキ塗り、補修をして。
林のヒノキの枝打ちも待っている。
薪も作っておかなきゃならないし。

気が付くとお肌はカサカサ、手はシワシワ、髪はクチャクチャ・・。
あっという間にわたしは老婆と化す。

はぁ、とため息をつくわたし。

・・でも、そろそろ水仙の花が芽を出し、土の匂いが気持ちよく漂ってくる頃。
刈り取った枯草を焚火にし、きれいに仕上がったマキオカを見渡せば空が高いだろうな。

汚れて疲れた体は温泉に入ってゆっくり温めよう。
夜はまだ寒いから、薪ストーブに火を入れてポトフでも作ろう。

そうそう、熊雄との酒盛りも楽しみ。
お土産にいつも熊雄が飲む宝焼酎を持って行こう。
久し振りにいろいろな話をして、熊雄と一緒に夜更けまで笑い合おう。

きっともうヤマガラやミソサザイも鳴いている。

ああ、マキオカに行くの、なんだか楽しみになってきた。
なんて単純なわたし。

そう、この単純さで今まであらゆる困難を乗り切ってきたの。
よし、3月後半にマキオカに行くまで、できるだけ頑張ってブログ更新するぞ。

今まで息子や娘に「読んでくれるヒトもそんなにいないのに、何をむきになってそんなに更新しているのか。」と馬鹿にされていたわたし。
でも、いいの。
わたしは単純にマキオカが大好きでその良さを皆に知ってもらいたくて、できるだけ3月までは毎日書こうって決めているだけなんだから。

・・て、あれ?
思い返してみれば、ここのところマキオカのことなんか、ぜんっぜん書いていなかった。
ただ暇に任せてつまらないことを書き散らしているだけだった。

・・・・・
いいのっ。
続けることが大事なんだからっ!

開き直りはおばさんの特技。

とにかくこれで心の準備はバッチリ。
後は本格的に喜んでいただけるキャンプ場を目指し頑張るだけ。

これから「お客様がたくさんいらしてくれて忙しくなったからあんまりブログ書けなくなっちゃった。」と書ける日がくればいいな、と心から願うわたしなのでした。

つづく

啓蟄と始まりと終わり

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は啓蟄。
「啓蟄」とは、大地が暖まって、冬の間地中にいた虫が這い出てくる頃、という意味で毎年3月5~6日頃なのだそう。
で、今年は今日なんですね。

Wikiでは
「春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことである。「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味がある。」と書いてある。

なるほど。
閉じこもっていた虫や何かが解放される頃っていう意味か。

アマテラスに代表される引きこもりの体質が脈々と現代まで受け継がれている日本。
この日本ほど啓蟄が似合う国もないのでは?

「もともとは、陰暦(太陰太陽暦)で用いられていた二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ。陰暦では、毎年の日数が違い、暦と季節がずれていたため、これを調整するために工夫されたものが二十四節気である。」

調整、なのか。
だから年によって日にちが違うんですね。

這い出し、新しいスタートを切るためには準備が必要。
わたしも今日、いろいろ新たなスタートを切るため、やらなければならないことをしました。

まずは昨日のお宮参りの後片付け。
わたしはお宮参りに行った時着物を着たんだけど、その着物の片付けも大変。
着物って贅沢なだけじゃなくて、着た後始末も手がかかる。

汗を吸った着物や帯は、着物ハンガーにかけて陰干しをする。
襦袢から襟心を外して長じゅばん・帯・帯締め・帯揚げも風を通し、湿気をとる。
足袋はブラシを使い、つま先・裏側の汚れを落としてから、洗濯機で洗う。
草履は一晩立てかけて湿気をとる。

こう書いただけでも、今の人たちが着物離れをするって、仕方がないと思うよね。

次にお雛様を片付けました。
いつまでも片付けないと女の子がなかなか嫁げないというので、我が家では毎年3月3日過ぎるとあっという間に片付けていました。
不良債権を作ったら困るでしょ。
そのお蔭かどうか知らないけど、娘は今時の子にしては早く嫁に行った。
もういいじゃないか、と思うかもしれませんが、我が家にはまだ息子がいる。
男女同権のこの世の中、一応注意しておかねば、ということで、今年もとっととお雛様を片付けました。
嫁の来手がなかったら困るもん。
親として、できることは何でもしておこう。
どんくさい息子のために。
結婚が出来ない男があふれているこの時代。
23歳の息子のためにすぐに結婚相談所に申し込みたいくらい、陰ながら心配しているわたし。

それから先日スピード違反で捕まった際の罰金15000円を郵便局で支払ってきたの。
うう・・、つらかったよぅ。
勉強代とわかってても痛いものは痛いんだよぉ。

そんな中、一番の大きな片付けは30年続けてきた学習塾を整理すること。
主人と一緒に塾を作って、今までたくさんの卒業生を出してきた。
主人が亡くなった後も、何とか一人で続けてきました。
でもいろいろな状況が、マキオカに専念するように、と言っているような気がして、思い切って学習塾をこの春で終わらせる決心をしました。

長かったような、短かったような。
よくここまで続いた、と我ながら感心する。
継続は力なりっていうけど、何か残せたか、自分でもわからない。
何も残せなくても、生きてこれただけでもありがたいんだけどね。

始まりがあれば終わりがある。
長く生きていると、始めるより終わらせることの方が難しい、ということに気が付いてくる。

着物を着る時より、帯を解いてからの方が大変なように。
お雛様を出す時より、仕舞う時の方が淋しいように。
罰金を言い渡された時より支払う時の方が泣きたくなるように。(あれ?違うか)

これからマキオカをより良いキャンプ場に育てていくためには、今は大変でも、踏ん切りをつけることは絶対に必要。
やっと息子が大学を卒業し、娘に子供が産まれたこの春が大きなチャンスだと思う。
第二の人生は今、ここから。

マキオカにいらして下さるご縁のある方々に喜んでいただけるよう、できることをしていこう。

冬の間地中にいた虫が這い出てくるように、まぶしい光に目を細めながら、春の空気を胸いっぱい吸おう。

アメノウズメの踊りと、アメノタヂカラオに後押しされたアマテラスのように、怖がったり拗ねたりせずに外に出よう。

引きこもりも時にはいいけれど、せっかく受けたこの生を人様の為に使える幸せをしっかり噛みしめるために頑張るぞ、と決心したわたしなのでした。

つづく

お宮参り

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日はモモのお宮参りでした。

青森から婿のお父さんとお婆さんが来てくださいました。
さらにおじさんもお祝いに駆けつけて下さった。
うちは息子とわたしの母、そしてわたし。
総勢8名がモモのお祝いのために鎌倉で集い、一日を過ごしました。
やれ、めでたや。

いや、いいもんですね。おめでたは。
なんといっても笑顔がある。
産まれてまだ2か月にも満たない赤子が爺婆を笑顔にしてしまうって、考えてみればすごいこと。
そして赤の他人だった人たちを「親戚」にしてしまうんですね。

血の力って凄い。

お宮参りとは、こどもが生まれて初めて産土神〔うぶすながみ〕に参詣し、その土地の一員になったことを認めてもらい、こどもの健康と長寿を祈る行事です。
お産後に神様に挨拶する行事は、古来からあり「産土〔うぶすな〕詣」といわれていて、現在のように「お宮参り」と呼ばれ一般化されたのは室町時代頃からだといわれているそうです。

ですので、娘の住んでる場所の近所の神社にまずお参りしてから、ご縁のある鶴岡八幡宮にお参りしました。

今日は大安だったので、他にもお宮参りに来ている赤ちゃんがいてとても賑やか。
宮司さんの振る鈴の音が赤ちゃんを包むと、本当に神様に寿がれているようで、とってもありがたい。

赤ちゃんたちもいつもと雰囲気の違うところにいると感じるのか、時折小さな泣き声は上げるものの、皆大人しくお祓いをうけ、祝詞を上げて頂いていました。

和やかな内にお宮参りが終わり、会食の予約をしてある「鎌倉山倶楽部」へ。

ここは鎌倉山の一昔前の気品のある別荘をそのまま料亭としてご日本料理店に改装したお店。
古き良き時代の日本の伝統や食文化を堪能できるおもてなしの和食懐石が戴けます。

ふきのとう、たらのめ、つぼみなの天ぷら、空豆とユリネのしんじょなど、皆で和気あいあいとお料理を堪能しました。
デザートのプリンもとっても美味しいかった。

遠く相模湾が見え、お庭には離れがあり、とても風雅。
お庭には寒桜が咲き、馬酔木が花をつけていました。

あー、幸せってこういう時間の積み重ねなんだな、と実感。

あ、あと一つ勉強したことが。

87歳、84歳の両家のお年寄り二人が出席した今日のお祝い。
赤ちゃんって、何とお年寄りを元気にすることか。

まあ、声は大きいわ、よく喋るわ、よく泣くわ笑うわ。
ついこの間、「あんまり先は長くないかもしれない。」と思わせたことなんて微塵も感じさせない健啖ぶり。

この際、お年寄りビューティペアと名付けたい。
ほうっておいたら踊りながら歌でも歌いそう。

♪ビューティー ビューティー ビューティーペア
ビューティー ビューティー ビューティーペア

踏まれても汚れても 野に咲く白い花が好き
嵐にも耐えてきた リングに開く花ふたつ

あなたから私へ 私からあなたへ
送る言葉は 悔いのない 青春
かけめぐる 青春♪

どちらがジャッキー佐藤で、どちらがマキ上田なのか。

誰も止められないかっとび振り。
いや、止める必要はない。
止めたらかえって危ない感じ。

そして、全く違う土地に生まれ、育ち、違う苦労を重ね、乗り越えて来た二人のお年寄りが一人の赤ん坊のおかげで、ここで集う不思議。


「いつか来た道、いつか行く道」って言葉、前も書いたけど、これから行く道も案外楽しそう。
そんなことを思わせてくれた一日でした。
           お宮参り 会食

つづく



散歩のススメ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日のテレビ体操の文章を読んでいたら、わたしってホント、ただの健康オタクのおばさんのよう。
いや、確かに健康おばさんと言われても否定はできないんですけどね・・。

ま、モノはついでと言っては何ですが、「散歩のススメ」もしてみたいと思います。
もちろん散歩の良さはあちこちで喧伝されていることなので、ここでわたしがあえて書くことは釈迦に説法、馬の耳に念仏。(あれ、違うか)

ですので、わたし流の散歩の楽しみ方を書いていきたいと思います。

テレビ体操をした後、わたしは散歩に出かけます。
30~40分くらい、早歩きで腕を振りながら(変なヒトに見られる危険性あり)鼻息荒く歩きます。

その間何もしないともったいないので(またこれだ)わたしは観察眼と好奇心を全開にします。

観察眼といっても「あら、ここのお宅の紅梅がもう咲き始めたわ。」とか「まあ、フクジュソウの花がひらいて、セツブンソウが満開。」なんて雅なものでは全く、ない。

「ここの家、いつも迎車が来てるけど、重役か何かなんだろうな。玄関の傘立ても高そうだし。」とか「あ、壁のペンキ、塗り替えたんだね。でもちょっと下品な色になっちゃって。前の方が良かったのに。」とか「お、表札が増えてる。ここのおばあちゃん、娘と住むことになったんだね。よかった、よかった。」とかっていう、お家ウォッチングですな。

「こういうおばさんが道の途中や公園で井戸端会議して噂話を流すんだよな。」ってため息をついたあなた。
心配はご無用です。
何故かというと、わたしには近所に友達がいないから。(胸を反り返す)

・・って威張るところではなかった。
要するに社交性がないというか、ただの面倒臭がりなんですね。
だから一人で楽しんでいるだけ。

たぶん散歩している他の人も似たり寄ったりだと思います。
半眼で何も考えず散歩していると思いきや、あんなことやこんなこと、いろいろ頭の中では駆け巡っているんですね。

それはともかく。

わたしは散歩中に会う子供には、大きな声で挨拶するようにしています。
「おはようっ!」というときちんと「おはようございます。」と言ってくれる子もいれば、蚊の泣くような声で「おはょぅ・・」という子もいる。

もちろん無視されることもたまにはある。
以前はそんな子には余計嫌がらせのように「おっはようごっざっいっまっすっっ!!」と言ったもんだが、我ながら「これでは気味悪がられるだけなのでは?」と反省して普通に挨拶するだけにしています。

無視しても無視しても会う度に挨拶してくるおばさん。
・・果たしてあの子の脳内ではわたしはどんな風に映っているんだろうか?と、思わなくもない。

そんな挨拶を無視する子供の中に、イガグリ頭の3人兄弟がいます。
この子達、小学5・4・2年生くらいなんだけど、朝っぱらから公園でゲームをしています。
そして休日には、自転車に乗った父親が3兄弟にマラソンをさせている。
たぶん家ではゲーム、禁止なんだろうな。
そしてお父さん、自転車に乗って怒鳴っている。
大型犬を散歩させてるわけじゃあるまいし、どうせなら一緒に走ればいいのに。
ちょっと肉がたるんできてる感じだし。(余計なお世話だ)
そしてこのお父さん、息子たちが他人からの挨拶を返せない子供になっているなんてこと、全く気が付かないんだろうな。

・・なんて、偉そうに言ってるわたし。
実は子供の頃人見知りでホント、我ながら愛想のない子だった。
いちいち話しかけてくるおばさんや、説教を垂れたがるおじさんをうざがってました。
視線を逸らし「ほっといてくれ。話しかけないでくれ。そしてこっちを見ないでくれ。」と思っていた可愛げのない子だったので、まさか、自分がこんなおばさんになるなんて夢にも思わなかった。

「ふんどし」とか「テレビ体操」とか「散歩」について語るようになるなんて、子供の頃の自分が知ったら驚倒するだろうな。

今のわたしが子供の時のわたしに会ったら、「挨拶もろくにできないこの子に何とか挨拶をさせてやらねば!」なんて張り切ってしつこく声をかけ「なんじゃ、このおばさん。」と子供のわたしに嫌わらているに違いない、と反省するわたしなのでした。

つづく









テレビ体操のススメ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今朝はいつもより暖かい朝でした。

わたしはストレッチの後、6時25分から35分の10分間、できるだけテレビ体操をするようにしているの。
もうかれこれ7年近く続いています。

きっかけは「死」の恐怖から。

っていうと大袈裟だけど、主人が亡くなり、一人で子供を抱えながら現実と戦っていると、「もし私がここで死んだら子供たちはどうなるんだろう?」という取り越し苦労とも、妄想ともつかぬ不安がこみあげてきて「んじゃ、取りあえずお金がかからず(またこれだ)できることからやってみよう!」と、以前から良さそうだと思っていたラジオ体操を始めたってわけです。

ところがこれが・・すっごくいい!

ラジオ体操をやっているというと、半笑いするヒトがいるけど、一回真剣にやってみて下さい。

かかとをしっかり上げる。
腕をしっかり伸ばす。
緊張と弛緩を取り入れ、呼吸法もやる。

ほんと、夏場なんて10分で結構な汗が出てきます。
筋肉痛になるくらい、運動量、ありますよ。

車で言うとチューニングですね。
やっぱりやっているとやっていないでは、長い間にはかなり違いが出てくる、と思われる。

あと忘れてはならないのが体操のお姉さんたち。
アシスタント(体操のお姉さん)は番組では5名(最初は3名)出てきます。
そして、3人のフォーメーションも微妙に変わったりします。
椅子にすわる人、斜め向きの人などの型のバリエーションがあります。

全員で6名在籍しているようですが、この6名が日によって入れ替わりながら体操をしてくれます。
(去年大幅なメンバーチェンジと改正があった模様。結婚による引退か?就職による引退?妄想は膨らむ。)

アシスタントにはメイン・サブの役割があり、メイン役のお姉さんにはカメラがもれなくズームします。
このメイン役も日替わりですので、今日はどのお姉さんが主役なのかを予想してみるのもいいかも。

また、お姉さんのレオタードも毎日変わります。
「うむ、今日はなかなか大胆なデザイン。」「お、今日はおニューか?」なんてテレビに向かってつぶやくわたし。

そしてこのお姉さんたち、いろいろなタイプがいて楽しい。

すらっとした美人の金子梨沙さん。どうやらネットに隠れファンがたくさん生息している模様。(今調べていて知った)リサたん、なんて呼ばれていてびっくり。
純日本風の体型で、ほっとさせてくれるのが有賀暁子さん。年配の方に人気があると思われる。
このお二人は10年の古株らしい。

また、いかにも体操の選手です、という体型の押味愛里沙さん。きれいな顔立ちと筋肉質の逆三角形の体とのギャップはちょっと萌える。
五日市祐子さんはテレビに出演し始めてからあれよあれよという間にきれいになった。ホント、驚くほど。

で、歳のせいか、新人の松下亜実さんと稲垣早織さんの区別がなかなかつかないわたし。
お顔を見るたびに「松下亜実さん!」「稲垣早織さん!」と反射的にフルネームが出るように特訓中。
思い出す、覚える、というボケ防止にもなっている、と思われる。

ピアノは日替わり奏者の生演奏。3人の方が日替わりでチェンジ。加藤由美子さんの二の腕のたるみに親しみを覚える。

指導者の方も3人いらっしゃいますが、紅一点の岡本美佳さん。キュートなお顔でおいくつかな、と思っていたのですが、もう37歳なんですね。お若い!
1996年日本女子体育大学体育学部を卒業してその年アシスタントになり2003年指導者になったというんだから、もう17年もやってるんですね。
テレビ体操界のアイドルから女王へ。
正にテレビ体操界の純血サラブレッド。

以前、マキオカの葡萄農家のテレビ体操の愛好家の方とお話をしたことがあります。
もう75歳くらいの方だったんだけど、アシスタントのお姉さんたちを観ると、元気になって、あれこれ妄想するらしい。
そして自分はあの子が好みだ、とか、女の子達の体型について語っていました。

田舎の爺さままで虜にするテレビ体操、恐るべし。
こうやって、地方を元気にする壮大な計画があるのかもしれん。

それはともかく。

早起きが苦手な人もテレビ体操をきっかけに規則正しい生活を送れるのではないでしょうか?

是非お試しあれ。

つづく

春の嵐とスピード違反

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は春の嵐。
夕方から雨が降り出し、急に風が強くなってきました。
そしてわたしのココロも嵐。

今日、環状2号線でスピ-ド違反で切符を切られたの。
ちょっと太り気味の白バイのお兄さんに、22キロオーバーで。

おかしいと思ったんだよね。3車線もある広い道路で、さっきまで横に走っていたトラックが急にスピードを落とすからさぁ。
空いてたから、いつの間にかわたし一人だけ走ることになっちゃったんだけど、それもほんの1~2分のこと。
なんか目の端に青いものが目に入ったと思ったら、制服を着た白バイのお兄さんで、路肩に止めさせられ「22キロオーバーです。80キロまでは取らないんだけど、82キロ出してたんですよ。」って言われました。

ちょ、ちょっとぉ、それ、どうなの?その発言。
余計なこと、言わなくていいよ。
2キロだけオーバーして捕まっちゃうってさぁ。
余計悲しくなっちゃうじゃん。
嫌がらせか?と恨めし気に白バイのお兄さんを見るわたし。

今日わたしはシマウマの気持ちがよく分かりました。
群れてなきゃダメなんだよね。
一匹飛び出すとチータに狙われちゃう。
群れるって大事・・。

で、群れから飛び出していたわたしは、ぼんやりと7o年代の洋楽を聞いていたら、喉笛を噛みつかれ、もとい、違反切符を切られちゃったんですね。

いや、交通警察の方々をチータと言ってるわけではないですよ。(言ってるけど)
皆さん、日本の皆さんの安全のために頑張って下さっている。
ほんと、ありがたいことです。
・・ほんとです。

で、15000円の罰金だって。

仕事の帰りにスーパーに寄って30%OFFになったお魚買って、すっごく得した気持ちになってるわたしが、駐車料金を払いたくなくて、髪振り乱して走っているわたしが、いちまんごせんえん・・・。

しくしくしくしく。
わたしは心の中で泣きました。

そしてアメリカの精神科医師であるキューブラー・ロスが、著書『死ぬ瞬間』の中で、余命を知った多くの患者たちが、『受容のプロセス』と呼ばれる5つの心理的プロセスをたどると書いていたことを思い出しました。

1.否認と隔離
死が近いと知ると非常に大きなショックを受け、「そんなことありえない!」 「何かの間違いに決まっている」と否認する。
(ありえない!なんで白バイが横にいるの?こ、これは目の錯覚なのでは?いや、錯覚であってくれ!)

2.怒り
「どうして私だけがこんな目にあわなければならないの!」「なぜあの人は元気なのに、私だけが!」というように怒りの感情が噴出する。
(なんでよ!皆80キロ以上で走ってるじゃん。第一こんな道路、60キロなんかで走ってたら舌打ちされちゃうよ。ほれ、あの車、90キロ近くで走ってるよ。お金持ちそうだし。わたしを止めて、あっちのヒトにしてくれぇ!)

3.取引
何かを条件にすることで、延命や回復の奇跡を期待する。
(この白バイのお兄さんの気持ちを何とか変えることはできないだろうか?泣き落としも効きそうもない。おべんちゃら云っても無視されそうだし。色仕掛けは・・怒られそうだし。なんかないか?考えろ、わたし!)

4.抑うつ
死を避けることができないと知り、さらに病気の症状が悪化して衰弱してくると、絶望的になって非常に強く落ち込む。
(駄目だよね。なんか機械に書き込んじゃってるしね。そもそもスピード測られた時点でもうダメなんだよね。あー・・15000円。どうやって調達したらいいんだ・・。しかも減点2点って。)

5.受容
体は衰弱しきり、感情はほとんどなくなる。誰かと話したいという気持ちもなくなり、自らの死の運命をそっと静かに受け入れ最後のときを穏やかに過ごそうとする。
( もうどうしようもないんだね。人身事故起こしたと思えば安いもんだよ。そう、きっと神様が気をつけろって言って下さったんだよ。ここで捕まらなかったら、きっとなんか大変なことが起こってたんだよ。お金は天下の回りもの。何とかなるよ。そうだよ、うん、そうだよね。)

って感じ。
でも、でも。

やっぱ。受け入れがたいよおぉぉぉ!!!いちまん ご せ ん え ん!!!

・・・・


それはそうと。

こちらを見ながら横を走り去っていったみなさん。
車の中の半笑いは止めて。
傷ついた心が余計に血を流すから。

ま、ついこの間、同じところで捕まっている車を見て、ちょっと半笑いしちゃったのは、このわたしなんですけど。

人の不幸は蜜の味。因果は巡る。

実感しました。

とほほ。

つづく

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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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