浅間神社巡り

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あー、「キャンプ場の作り方」を書くのは楽しいけれど、思い出す、という作業はおばさんにはちとしんどい。
そこでちょっとココアタイム。



「狼少年ケン」といえば、わたしの世代の方々は、ほとんど“パブロフの犬”のように森永まんがココアを連想しますよね。
ちょっとたらこ唇のケンがポッポとチッチと一緒にココアを飲んでるCM、美味しそうだったなぁ

って、知らない人の方が多い情報を垂れ流しにして何の意味があるのか、という事は後回しにして。


先日、鎌倉からマキオカに向かいながら浅間神社巡りをしてきました。

海岸沿いから富士山に向かい「富士浅間神社」に。

             富士浅間神社


おおー、凛とした佇まい。早朝だったので宮司さんが祝詞をあげていらっしゃいました。

その後、北口本宮冨士浅間神社に。拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木はいつ見ても素晴らしい。

北口本宮冨士浅間神社
                        
     
さらに今まで素通りしていた河口湖浅間神社にも。

    河口湖浅間神社
                                         
ここは初めて伺いましたが、温かくて、何か不思議な感じがしました。

そこから一宮に向かい一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)に伺いました。
                   
一宮浅間神社

神社を巡り終わってみると何かとってもすっきりしていい感じ。

とにかく、すごく霊験あらたかな神社がいっぱい。すごいぞ、山梨。

まだまだ調べてみるとたくさんあるんですね。

神の国、日本。

少しずつ、いろいろご紹介も兼ね行ってみたいと思います。


ところで出だしの「狼少年ケン」となんの関係があるか、とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが。
何の関係もありません。

人間、歳をとると昔を懐かしむ気持ちが強くなると言いますが、あれは本当です。しかも脈絡なく、急に音楽なり、映像が出てくる。

なんなんでしょうか。
それも一つの終着点への道しるべなのでしょうか。

それはそれで、よしとして。

これからも、ちょっととんちんかんに、同じ世代の方は懐かしく、関係のない世代の方はそれなりに楽しんで頂けたら嬉しいです。


つづく
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熊正、結婚おめでとう!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


先週マキオカに行ってきました。

山もすっかり色づいて、きれい。

        マキオカ秋景色

実は熊男の息子、熊正(仮名)の結婚式に列席するために行って来たのでした。

いやー、おめでたっていいですね。

にぎにぎしい、というか、晴れやか、というか。

今、結婚式をお金がかかるからしない、なんていう方もいるようですが、おばさんに言わせるとそんな発想は、だめ。人生の美味しい所をぶちゃってる(捨ててしまっている)ようなもの。

いつも言っているように、小金をけちっていいことなし!

それなりの人生になってしまうような気がする。(そのわりに学習せずいつも痛い目を見ているが)
いや、痛い目にあってきたわたし達おばさんだから言えるんですっ。

一度だけの人生、そういう時にお金を使わなくていつ使うんですか?
歳をとって、臨終の間際に「あぁぁ、やっておけばよかった・・(ガクッ)」ってなっても遅いんですよっ。
お金なんてそんなにかけなくていいから、人生を彩るイベント、けじめとしてやっておくべきだ、と思います。

ま、それはそうと。

親族が集まる場って、祝儀か不祝儀。
もちろん祝儀で集まる場の方が、場が華やいで楽しい。
ああいう場って、いろいろな人間関係が出て面白いし、わたしは好き。
是非、観察をお勧めします。人生が出るよ。
スタートがほぼ同じなのに、顔も環境も人によって、本当に違ってしまう。
人生の悲喜こもごもが出る場所、それが結婚式場の控室だったりするんですね。

ちがーう!そんなことを書こうと思ったんじゃない。

そうそう、結婚式、です。

今回の結婚式はレストランウエディングでした。甲府市内で行われたので、熊男は温泉をやっている友達からバスをチャーターして皆で乗り合わせて会場入りしました。

新郎の熊正は以前より15キロくらい痩せたんじゃないか、と思われる。
すっかり男っぷりを上げて、まるで少しぽっちゃりした郷ひろみのよう。
そして新婦は、若い時の相原勇のように(え?知りませんか?)チャーミングで可愛らしい。

とっても幸せそうな二人を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくるのでした。

留袖を着たおばあさんが転んでしまったり、わたしが突然のご指名でスピーチを頼まれ、あわあわしてしまったり(あの時笑ったヒト、覚えてるからねっ)、といろいろありましたが、それもご愛嬌。

お食事も美味しかったし、皆で楽しんで、よかった、よかった。

和正結婚式 グラス

お式が終わって、またバスで熊男の家に帰ってからまた宴会。

新郎、新婦の父親同士ががっちり握手し合って、また酒盛り。


こうしてマキオカの幸せな夜は更けていくのでした。



つづく



キャンプ場の作り方(36 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


初めてのお客様がいらっしゃる記念すべき日を明日に控えて、まだティピィの設営ができないわたし達。

何かあるはず。何か。

ケチるのを止めてポールを買いに行く選択肢も、もはや、ない。

もう、とにかくヒントを求めてきょろきょろ周りを見回しながら市内を車で走り回る。

ちょっと挙動不審。

職質されても仕方ない感じ。


もう、夕方近くになり、半分あきらめかけたその時。

なんだか長い金属の棒をを載せて停まっている車発見!

も、もしかしたら?

車を停め、運転手さんに聞いてみた。

「す、すみません。その金属の棒、何ですか?」
「これですか?これは葡萄の蔓を絡ませる棚に使うですよ。」
「い、いくらですか?」
「そんなに高いもんじゃないですよ。」


うおぉぉぉ!あった、ありました。

これですよ。私たちが求めていたのは!!

早速、JAで購入。軽トラを借りて運び、ティピィを設営してみました。

おおー!いいじゃないかっ。

すっごくいいじゃないかっ。

安いし。(そこだ)


念ずれば通ず。

なんとか間に合ったのでした。


なんだかわたしの人生、そんなのばっか。


とにかく徹夜ですのこを作り、その上にティピィを設営しました。

隣にはファイヤースペースを作り、なんとかお客様をお迎えしたのでした。


よかった、よかった。

ティピィとファイヤースペース

                   



つづく




キャンプ場の作り方(35)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


とにかく円錐形のティピィを雀の涙を振り絞って買ったわたし達。

知恵を絞って有効活用しなければなりません。


ケチって買わなかったポールの代用は、細いヒノキの丸太にするって決めたので、とりあえず試してみることに。

ヒノキの丸太なら、チェーンソーで切ったのがたくさんあるもんね。

あー、よかった。これならタダだし。

って、あれ?

丸太を九本円錐形にしてみると、一本一本は細くても、頂点はかなり太くなっちゃうじゃん。


入らないじゃん!


乙女高原で見たティピィはやっすいうちのティピィ(わたし達にとっては高価に感じましたが)より、かなり大きかったので、ヒノキの支柱でも可能だったのでした。

うおぉぉぉお!計算外じゃー!


その頃、知り合いの方の紹介で、お客様が来て下さることになりました。

鼻の穴がふくらむわたし達。

何としてでも、いいところを見せねば!

ところがまだ施設は完全にはできていません。

鎌倉から毎週通ってはいるものの、限界があります。

とにかく急ピッチで作業を進めなきゃ。

ブロックでかまどを作ったり、炊飯施設を整えたり。


ティピィは中で遊べるようにすのこの上に設営することにし、大急ぎで台を作り、ベニヤを張ることにしました。
でも、まだ未完成。

いよいよ初めてのお客様が来る日が近づいてくる。

でも、でも。

ポールの代わりになるのが見つからない。

ちょうど夏休みになったので、泊まり込みで夜中にライトをつけ、作業をしていきます。

でも!

ポールの代わりになるのが見つからないんだよぉぉぉお!


じゃ、買えばいいじゃん、と冷静にせせら笑っているあなた。

それはもったいない精神が骨の髄までしみ込んだ人間の精神構造がわかっていないっ。

もったいない精神!

アフリカの女性としても初めて、ノーベル平和賞を受賞したワンガリー・マータイさんも「MOTTAINAIにはリスペクトが込められている 。」とおっしゃっているんですよ!(だからどうした、の声あり)

とにかくいろいろ作業をしているうちに、初めてのお客様のいらっしゃる予定の前日になっていました。

どうしよう。

何とかなるかと思っていろいろほかの作業にかまけているうち、何ともならなくなってしまった。

まるで一夜漬けをしようと思ったら寝てしまい、何も試験準備ができていない中学生のような状況に。


どうする?どうするんだ、俺!(再びご一緒に「鈴木先生」風にご唱和下さい。)



つづく



キャンプ場の作り方(34)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

トレーラーを搬入してみると、何か物足りなく感じました。

都会的で、使い勝手はいいのですが、あまりにもスマートすぎてわたし達が目指す「楽しいキャンプ」には面白味が足りない気がしました。

いろいろ探してみると、その頃はまだ知られていなかったのですが、「ティピィ」というインディアンのテントのようなものがある、という事を知りました。

調べると、横浜の磯子のリバースチールという会社でティピィを販売していることが分かり、すぐに出かけて行きました。
(今は採算が取れないためか、販売停止)

テント地でできている初めて見るティピィは白地に赤い模様がありわたし達のイメージにぴったり。
わたし達にとっては高価だったのですが、早速二張り購入を決定しました。

ただし、少々ケチって(またか)、ティピィの柱となるスチールのポールは購入せず。

だって高かったんだもん。
(これがまた後になって、心胆寒からしめることになるのですが)

まず、ティピィのある施設を見学に行こうとしたら、偶然近くの乙女高原のそばでティピィを発見!

中を見てみると、ポールの代わりにヒノキの細い丸太を使っていました。

これでポール問題は解決!

あー、高いポール、買わなくてよかった。


わたしたちはアイデアを出し合い、トレーラーの前のベランダを作ったり、区画の間に門を作ったり、やることは山ほどありました。


これらの作業の中で、一番大変だったのは、浄化槽の設置でした。

いつものごとく何とか経費を抑えたいわたしは人脈があると思われる虎男に相談しました。

(そう、熊男には懲りてたからね。)

虎男はある業者を紹介してくれました。

でも、・・・やっぱりそれなりなんですよね。

わたし達は、ひとりで作業しているおじさんを見ていられず、一緒に作業する羽目に。

とほほ、なんでこんなことに。

重機で穴を掘った後、浄化槽のタンクに水を入れ、周りの土にも水をたっぷり含ませ泥状にしタンクをしっかり沈めます。わたしはその泥の中に入って、うまく沈める作業をおじさんの指示のもと、お手伝い。

虎男は熊男と違ってシビアな商売人です。だから紹介してくれた業者も、ものっすごく経費を抑えまくった人なのでした。

だから、最初のうちこそ遠慮気味だったけれど、そのうちアルバイトをこき使うかのような振る舞い。

そのうち雨まで降ってきて、もちろん泥だらけ。

まぁ、施主というよりは人足ですね。



はい、人生に甘いことなし!

勉強になりましたね。



小金をケチって、いいことなし!


そうはいっても、現実的にお金がないと、♪分かっちゃいるけどやめられない♪(古い!)んですよっ。



つづく

キャンプ場の作り方(33)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

さあ、いよいよトレーラーの搬入が終わりました。

            トレーラー搬入後

こののっぺらぼうの状態から、皆さんに喜んで頂ける夢のキャンプ場にしなければなりません。

まず、わたし達がしたことは、木を植えていくことでした。
植樹

初めて植えたのは、樅の木。
クリスマスに、本物の樅の木に飾りつけをしてサンタクロースを迎えたい、と思ったのです。

次に植えたのは白樺に木でした。
集落の方に頼んでおいて、苗木を取っておいてもらいました。

この頃は、住まいも鎌倉に越していたので、鎌倉から植木を運んだりしました。まぁ、資金難で、植木を買うお金もケチらざるを得ない、ということだったんですね。

この頃、まだ枕木は一般的ではなく売ってもいませんでした。箱根登山鉄道でただで譲ってくれる、という話を聞きつけ、箱根までもらいに行きましたが、腐りかけてぼろぼろの上、重くて参りました。
せっかく苦労して運んだ枕木も、結局使い物にならず、土止めに使うのみ、なんていう失敗談も。

休みのたびにマキオカに行き、夫婦で相談しながらだんだん形を作っていくのは、楽しい経験でした。

看板も小枝で字を書き、作りました。

                       マキオカ看板
   
こういった作業をしながら、心配だったこと。

資金も心細い限りでしたが、いいものを作っても、それをどうやって人に伝えるか、ということ。

まだこの頃は、今のようにネットは普及しておらず、どこかに出かけるときは雑誌を見て情報を探す、という方法が一般的でした。

そこでわたしは暇を見つけては、本屋さんで立読みをしつつ(そこまでケチるか)、雑誌社にキャンプ場の情報を発信し続けたのでした。


つづく

大嶽山那賀都神社ってすごい(4 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

どう見ても神域に来てしまったわたし達。

もちろん人の気配はおろか、ここ数年人が来たことはないのでは?と思われる。

その神聖で畏れ多い景色や空気に反応したのか、一緒に行った熊男の孫の中学生の女の子が「気持ち悪くなって、動けない。」と言い出しました。

ひえー、ここで立ち往生したら、大変なことに。

とりあえず母娘はその岩山から動かないようにして、わたしだけ巨石群を下っていく。

こ、こわい。そして意外と遠い。

でもせっかくここまで来たんだから。
もう二度と来れないかもしれないんだから。

という、キャンプ場を作りだした頃と同じ引き返せないスケベ心、というかもったいない精神というか、深みにはまるしつこさを発揮して、なんとか剣のある頂上までたどり着きました。

そこは一歩間違えれば、確実に命が危ない、と思われる高みにある巨石の頂上。

伺ったところによると、剣の下あたりに祠があり、修験者が修行をしたらしい。
でもこわくて探せない。足元を見るのもこわい。

何とかお参りを済ませ、母娘のところに戻り、命からがら帰ったのでした。


登山客のいる国師が岳の山頂に着いたときはうれしかったなぁ。


ところで、日原先生。
先生の謙虚さは素晴らしくて大好きなのですが、説明をして下さるときまで謙虚に過小に言わないでくださいね。

もしあの状態を正確に伺っていたら、わたしは決して行かなかったと思います。


つづく

大嶽山那賀都神社ってすごい(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

大嶽山の宮司の日原先生、とっても謙虚で素晴らしい方。
お付き合いさせて頂くようになってそのお人柄に感動することしきりでした。

ある時、お部屋に写真が飾ってあるのに気が付きました。
山に剣がそそり立っている美しい写真・・・。

「先生、こちらはどこの写真ですか?」
「ああ、これは奥宮。国師が岳の少し先に元はあって、そこからここに勧請したんですよ。」

素敵。行ってみたい。

「どうやって行けばいいんですか。」
「国師が岳に右に入る道があるから、そこを入って行けばあるよ。」

そっか。ちょっと暇なとき行ってみよっかな。

わたしは大学時代山に登っていたので、先生のお話を聞いて、軽い気持ちで奥宮に行くことを決めました。
熊男のうちでその話をすると、熊男の娘親子が行きたいと言ったので三人で行くことになり、とんとん拍子で話は進み当日になりました。

車でクリスタルラインの金峰牧場から北上して川上牧丘林道の『大弛峠』に行き、40分ほど歩き国師が岳に到着。

おー、素晴らしい景色。
で、大嶽山は?

先生のお話によると、右側に入る道があるはず。

あれ?

あるにはあったけど、なんだかとっても細い・・道?
進んでいくと・・道っていうか、ただ赤い紐を追っかけて巨石を滑り降りたりよじ登ったりするだけっていうか。
いつ熊に出くわしてもおかしくないっていうか。

やっと視界の開けるところにつくと。

うおー!

・・って。
うそ・・。

巨石群の向こうにオベリスクのような剣が小さく見える。

ま、まさに神域。
神のおわすところ。

ここはあんまり人が来てはいけないのでは?

せ、先生!こんな凄いとこって教えてくれなかったじゃないですかー!!



つづく

大嶽山那賀都神社ってすごい(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


宮司の日原先生と、マキオカの話や、息子の話をさせて頂きました。その際、「何かお手伝いできることがあったら、させて下さい。」とお願いしました。
すると年末ご連絡くださり、息子がお正月お手伝いさせて頂くことに。

それ以来、親しくお付き合いさせて頂くようになりました。
考えてみれば、不思議なご縁です。


先生の祝詞は、本当に気持ちがいい。
これは断言できますが、絶対天に届いてる、と思う。

そして、先生はとっても謙虚。
以前、お話している時に何気なく、17年不妊治療されてる方が、お医者様にあきらめるように言われ、最後に気持ちに踏ん切りをつけるため大嶽山にお参りして、すぐ妊娠したお話をされたので驚きました。さらに伺うと、そんな話はごろごろあるようでした。


ネットで調べてみてびっくり。
知る人ぞ知る、だったんですね。

「子宝ネット」
http://www.kodakara.jp/bbs3/spot/54.html


日原先生は鼻にかけるどころか、そんな奇跡を当たり前のように思われているようで、ご祈祷を受けた方おひとりおひとりに心をかけていました。


昔は山梨で大嶽山を知らない人はもぐり、と言われたそうです。
今でも石和に石でできた昔の道案内の標識があって、富士山と大嶽山が並んで彫られている、と聞きました。

大嶽山の概略を載せておきます。


大嶽山那賀都神社

御祭神
大山祇神 大雷神 高オカミ神
景行天皇の頃、日本武尊東征に際して甲武信越境の時に神助をうけ、日本武尊がその佩剣を国司ヶ岳(2159m)
にとどめて三神を祀った事にはじまる。(現 奥宮)
天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼び、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。
天平7年、行基が観世音菩薩を彫り「赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神の みゐづや高く 那賀都とは祈る」と神歌を奉じたことより当社を「大嶽山那賀都神社」と称した。養老年間に最澄、天長8年空海が来山してたとされいる。
江戸初期に大破し小祠となってしまったが、元文5年に再建のため羽黒派修験東叡山支配となり社殿再建。


と、とっても霊験あらたかな凄い神社なのでした。
まさに神がおわす、そんな感じがします。

そして日原先生の奥様もチャーミングで素敵。
謙虚な先生ととってもお似合い。

ところがその謙虚さが、わたしにとっての大ピンチに繋がるとは、誰が想像できたでしょうか。




つづく






大嶽山那賀都神社ってすごい(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今から5年ほど前のことです。

お客様にいろいろな周辺の観光地をご案内できたらと思い、夏のある日、ひとり西沢渓谷に向け車を走らせていました。

道路の上に「大嶽山那賀都神社」という標識が。
どんなとこ?好奇心があらゆることの原動力になっているわたしは、すぐ脇道に入っていきました。

駐車場までの道からして面白そう。そして駐車場も何も整備されていないただの空き地。
わたしの面白アンテナ(なんだそりゃ)は何かを受信します。

歩いていくと手書きの看板発見。「参道散策20分コース」って・・。
なんだ、これは。
さらに進んでいくと布団を干している人家の真ん前を通り抜ける。
うおー!面白アンテナが喜んでる!

ところがそこを過ぎると・・空気が変わった。

清浄な光の中、渓流に沿って山道が続いている。

                      大嶽山 参道

なんだか、感動。

灯篭が立っていて、かなり遠くから信者さんが来ているのがわかる。
左手には清流が流れ、右手には巨石を抱えた山。

静寂に包まれた山道を登っていくと、突然大きな鳥居と、赤い橋が現れた。

大嶽山 鳥居

                     大嶽山 橋

「千と千尋の神隠し」の舞台に迷い込んだよう。


隋神門はとにかく彫り物がすごい。
本気で感動。(後から伺ったことによると、ある有名な方が晩年籠って彫られたとか)

彫り物天女


本殿は階段のはるか上。カラス天狗がおわす。
                     下本殿階段

とにかくお参りをすませて帰ろうとすると、本殿の中にいらした方(女性の信者さんらしい)に声をかけられました。
お話をしていると「中に入ってお昼でもどうぞ。」とおっしゃるではありませんか。

おひる?お昼ご飯の事?
またまた好奇心がむくむくわいてきた私は、図々しく本殿に上がらせて頂きました。

中で宮司さんにご紹介いただき、宮司さんお手製の(!)煮物をごちそうになり、お蕎麦まで戴きました。

どうやら土、日はご祈祷を待っている間、控室でお手製の煮物を振る舞って下さるらしい。

日本中探してもこんな神社ってあるだろうか?

ちなみに下の写真はこの間伺ったときにご馳走になったものです。

大嶽山煮物

こんなこと、皆さんにやっていらっしゃるんだから、凄いとしか言いようがありません。

って、凄いって書きたいのはこんなことじゃないんですよっ。



つづく



キャンプ場の作り方(32 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

振動ローラーで砂利を固めたわたし達。

お蔭ですっかりおばさん化したわたし。(変わってないけど、との声あり)

いいんです。悲しむ人なんていないし。
おばさんになるといいこともあるよ。
若い子はやたら歳とることを怖がるけど、そんなことないよ。
シワができたって、腰痛があったって、意外と楽しいよ。
細かいことを気にしなくていいし、ちやほやはされないけど、その分やりたいことしても許されるよ。
そもそもシワを恥ずかしがってどうする!そう、シワに誇りを持つべし!

なんて、「おばさんのススメ」をしてる場合じゃなかった。

今度はいよいよトレーラーハウスの搬入です。
業者さんと打ち合わせをして、トレーラーの到着を待ちます。

おー!来たよ、来たよ。トレーラーが。
うー、わくわく。いよいよだよぅ。
わく、わく・・。あれ、

どうした?そこに見えてるのに。なかなか来ない。
心配になって行ってみると。

うちに来る途中のクランクで、立ち往生してました。トレーラーが。
にっちもさっちも行かない感じ。

角に廃屋があり、トレーラーはどうしても曲がれません。

プ、プロだもんね。業者さん。大丈夫だよね。
心配いらないよね。

でも、トレーラーは曲がれない。
行きつ戻りつして4時間経過。


ついに業者の方が言いました。

「この屋根、切らせてもらえませんか?」


え?人のうちの屋根を?
でも確かにそれ以外方法はないかも。

集落の顔役の方に相談し、なんとか了解を戴きました。
チェーンソーを渡し、人の家の屋根を・・切らせて頂きましたよ。はい、確かにね。
でも、そうしなきゃ、どうしようもなかったんだよ。

家の持ち主の方、ごめんなさい。

さらにユニックも借りてきて、トレーラーを動かし、なんとか事なきを得ました。

一時はどうなるかと思ったよ。
ふー・・・。

すったもんだありましたが、やっとトレーラーハウスがサイトに入りました。

よかった、よかった。

トレーラー搬入とれい


つづく




アルフ、ごめんね。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


マキオカが一段落したわたし達は、犬を飼うことにしました。

一番の理由は子供たちに犬と一緒に過ごす時間を作ってあげたかったからです。


知り合いの方から紹介して頂き、当時流行りだしたゴールデンレトリーバーを家族にすることができました。

アルフ子犬


名前はアルフと名付けました。

教育テレビでやっていた番組の宇宙人の「アルフ」に顔が似ていたので。


アルフが来たばっかりの頃、車に乗せて買い物に行き、5分ほどして戻ると、助手席におしっこ、運転席にうんちをして申し訳なさそうな顔をしていたのを見たときは、腹が立つやら、おかしいやら。

外を歩いていた人が、車の中を見た時どんな顔をしたか、と想像すると、ほんと、ツボにはまりました。

本当にかわいかったなぁ。


でも、大型犬ってあっという間に大きくなっちゃうんですよね。


ま、いいや。
憧れの大型犬だもん!

優雅にお利口な愛犬とお散歩しちゃうんだもんね。
みんなの羨望のまなざしの中、何でも言うことを聞く愛犬とアイコンタクト。

微笑みあう、愛情で結ばれたわたしたち家族と愛犬。


ろくな知識や経験もないのに、こんな妄想を抱いている時点で、大型犬を飼う資格はなかったのかもしれません。
わたしが犬を飼ったのって、小学生以来だし。

あの頃は犬にはご飯に味噌汁をかけて夕飯の残り物をあげたものです。
ふきっさらしの中、縁の下で飼われている犬も多かった。犬小屋がある犬なんてしあわせものだったよ。
もちろん大型犬を室内で飼うなんてことをしている人なんて、周囲に一人もいなかった。

テレビでは「名犬リンチンチン」や「名犬ラッシー」をやっていたけど、巷にはよく吠えるスピッツがやたらいっぱいいた、そんな時代。

いや、わたし達も努力はしたんだけどね。すんばらしい愛犬家になれるように。
でも、しょせん付け焼刃。飽きっぽい素人の悲しさ。

始めのうちこそ、犬のしつけの本を読んで真似をしたりしたけど、なかなか思い通りにいかないもんですね。

ああいうことがきっちりできる人って、勉強もちゃんとできる人だね。根気があって、真面目で、怠けるとか、ズルするとか、ごまかすとか、許さないタイプ。

もしくは、お金持ちでスクールに通わせることができるか。

そんな人じゃないと優雅な川原亜矢子や川島なお美のとこのワンちゃんみたいになれないという事に、遅まきながら気が付いたわたし達。


そのうち飽きてきて、こんなこととかし出しちゃって。

  アルフ靴下
          
            
ごめん、アルフ。

そんでもって、おあずけの時も「よ、よしこ!」「よ、、よしいくぞう!」とか言って我慢させちゃって。
(ま、これは63パーセントのうちでやっているに違いない。根拠ないけど)

ほんと、ごめん、アルフ。


きっと動物愛護協会とか、グリンピースとか(よく知らないけど)見られたら怒られるんだろうなぁ。


でも、子供たちと仲良しになったよね。

息子にはマウンテングしまくってたけど。いまだに足にその時の傷があるよ。



                    アルフけいと


マキオカではフリスビー遊びしたり。
         アルフフリスビー

楽しかったね。


アルフとは、この間夢の中で会ったけど、ほんとは謝りたいことがたくさんあったんだ。
夢でいいからまた出てきてほしいよ。


ごめんね、アルフ。



つづく



魂の同志へ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

わたしがマキオカを作ってよかった、と思えることの一つに、家族で季節を感じることができた、という事が挙げられます。

こどもの日には、皆で丸太の皮むきをして こいのぼりを上げました。
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夏には、友達の家族を招いて、バーベキューやスイカ割りを楽しみました。

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冬は庭で子供たちにスキーを教えました。ロープを持たせて大人が引っ張り、勢いをつけて滑らせます。


         けいスキー

     れいスキー

        

           誕生日、クリスマス。楽しい時間を皆で過ごしました。

     
けいケーキ



わたし達夫婦は、常々「子供たちに残してあげられるのは、想い出しかない。」と話し合っていました。

自営業のわたし達は、自分たちの不安定な収入や、貯金通帳の残金や、どうなるかわからない将来に、なんとなく不安を感じていました。

今になって考えると、それは本当に正解でした。

子供たちに財産は何も残せていませんが、彼らの中には、あのマキオカの日々が確かにしっかり根を張り、存在しているように思います。


わたしにとって子供は同じ時間、空間を共有する魂の同志です。

少しだけ先に生まれた者の責任として、子供たちの魂に喜びや楽しさを感じる手助けをしたいと思っています。

なによりわたしも楽しいことが大好き。

そして一緒に楽しんだマキオカの日々は、わたし達にとって本当の財産だと思っています。



子供たちへ


今や雀の涙も鼻水に変わりました。

うちに財産争いは、無用です。

よかったね♡

ところで、老後のことだけど、「あなたたちには迷惑はかけない!」なんて口が裂けても言えません。

よろしくね♡




つづく





熊男とジェイソン

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

このブログにたびたび登場している熊男。
わたしが人生であった人たちの中で、一二を争ういい人です。

わたしはマキオカで熊男とお付き合いをするようになって、驚かされたことがあります。

マキオカにはわたしがジェイソンと呼んでいる方がいます。

初対面で名前もわからなかったとき、物陰からこちらをじっと見ていて、この人がチェンソー持って遊びに来たら、怖いだろうなー、と思って、そう呼ばせてもらってます。(もちろん本人には内緒)
たぶん、町でこの人とすれ違ったら、みんな目をそらしたり、遠回りするんじゃないか、と思われる方です。

ジェイソンは器用で仕事も丁寧なのですが、時として激高したり、一切反応しなくなったりするらしく定職にはつけないようです。

そんなジェイソンに、熊男は草刈りや、畑の作業をなど、集落や自分の仕事を頼みます。
ジェイソンの機嫌や体調を見ながら、仕事の量や内容を変えているようです。
そして、仕事が終わると必ず「ありがとなぁ。よくやってくれたなぁ。ま、こっちこうし。」と言って熊男手作りのほうとうや煮物をご馳走してねぎらいます。
すると、普段は誰に対しても、無表情のジェイソンがちょっと嬉しそうに表情を緩めるのです。

熊男はいいます。
「わしはあいつが可愛いんだ。あいつがにこっと笑うと、わしも嬉しくなる。」

六十代で、親もいず、兄弟も寄り付かないジェイソンのことを「可愛い。」と言ってあげるのは、たぶん今世界中で熊男だけです。
ジェイソンは町に住んでいたら、ご近所とも、誰とも付き合わず、周りに敵意を向け暮らしていくのではないか。
警察や、福祉と称する冷たい行政の中で、ただ迷惑がられて息を殺して生きていくのではないか。


わたしは二人を見て、かつての日本の村々の福祉の姿に思いを馳せるのです。
人々の結びつきが今よりもっと強く、気持ちが通じ合っていた頃。
村の人々は助け合い、さらに世話役や寺がきめ細かいサポートをしていたのではないでしょうか。

精神が病むと、すぐ医者に行き薬を処方してもらうなんていう選択肢がなかった時代。
ある意味、幸せな時代だったのではないか、と思う。


わたしは主人が亡くなって精神的につらかった時代、心療内科に行ったことがあります。
たぶん一昔前なら、行かなかったと思います。何故ならわたしが子供の頃、精神科はほんとに特殊な場所、というイメージがあった。

でも、今の時代は違います。
苦しくて、うつの症状があったら、誰でも行って構わない。
だって、苦しいなら、楽になれる薬があるから。

で、わたしも行きました。
診察室で、症状と今までのいきさつを話しました。
そしたら、ぽっちゃり太った若いお医者様が言いました。
「そうですか。大変でしたね。僕はあなたの事が心配です。」

なんか、むかっ。
「若造。お前に何がわかる。」

とりあえず一番軽い薬をもらって、その日は帰りました。
好奇心の人一倍強いわたしは、ちょっと楽しみにしていました。
「薬で気持ちが楽になるって、どんななんだろ。」
(ま、こんなことを思っている時点で、薬を飲む資格はない気もするが。)

夜になって、処方箋に書いてある通り、就寝前に一錠その薬を飲んでみる。
ちょっと、頭に血が上った感じがして、トイレに行きました。
座っていると、腕の皮膚に違和感が。
まるで肌の下に虫がいて這い回っているような、奇妙な感触。

こ、これが一番弱い薬?
楽になるどころか、これ、なんかに浸食されちゃう感じがする。
頭の中でハザードランプが点滅しています。


それ以来、心療内科には一切足を踏み入れていません。
症状や人によるとも思いますが、わたしの場合、薬は合いませんでした。
わたしは、楽をして苦しさを乗り越えようとしちゃ駄目なんじゃないか、と思いました。

のた打ち回って、泣き喚いて、引きこもって、やっと人に話せるようになった頃、また泣いて・・。
というような、人生の修羅場を時間をかけてかいくぐって、やっと人として一人前になれるのではないか。
でも。
土砂降りの雨の中、崖っぷちをたったひとりで歩いていくのは、あまりにも心細い。
そんな絶望的と思えるとき、人生の酸いも甘いも乗り越えた、信頼できる先達がいたら、どんなに安心だろう。

わたしの意見が暴論だというのはわかっています。本当に医療によって救われる方がたくさんいることも。

でも、わたしのように、昔であれば薬を飲むなんていう選択肢をしない人間まで、安易に薬に頼ろうとさせてしまう状況があるのではないか。


現代よりもっと病や死が身近だったころ、もっと闇の色が濃かったころ、そういった困難を乗り越えたり、生かしていく社会としてのノウハウや仕組みが、村社会においてできていたのではないか、と思えるのです。
そして、本当にサポートの必要な人たちもスポイルせず、自分も役に立っている、という自信やプライドを持てるようにケアしていく理想の福祉の形があったにちがいない、と熊男とジェイソンをみていると思えてくるのでした。


つづく

あ、熊男を見てると、「グーニーズ」のフラッテリー家のスロースと仲良くなったチャンクも思い出すけどね。





歳のとりかた。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

なんか、キャンプ場って、読んでいてもなかなか出来てこないので、「もういいや、めんどくせえや。」って思ってきた方もいらっしゃるかも。

よくあんなこと、いくら引き返せなくなったからと言って、延々続けてきたよ。ほんとに。

おかげで、体ぼろぼろだし、老後の資金なんてすってんてんで、鼻血も出ないっつうの?ま、面白かったからいいけどね・・・。(遠い目)
と、愚痴が出てきたところで、気分を変えて、テーマも時々変更しつつ、細く、長くをモットーにやっていきたいと思います。

先が気になっている方、しばしご容赦を。

昨日のキャンプ場の作り方(31)の写真をご覧になった方はお分かりになるかもしれませんが 、屋外での肉体労働は確実に人を老けさせる、と思われます。
軍手、麦藁帽、つなぎズボン、運動靴。
眼鏡をかけ、ぼさぼさの髪でにんまり笑うわたしの姿はその説に説得力を持たせるに十分です。


あの当時は今ほど紫外線の害が叫ばれていなかった気がする。
それでなくても横着なわたしは、こまめに化粧するタイプではなかった。
だからしみ、しわ、たるみ、みーんなお友達です。
自らお友達になったのに、歳をとって気が合わなくなったからお別れしたい、なんて人倫にもとるというもの。
義理堅いわたしは、とっても仲良くお付き合いさせていただいています。

まぁ、時々は「なんか、ちょっと距離を置いておつきあいしたいかも。」と思わないでもない。
ちょいちょい「ほんとは、絶交したい!」と、強く願わないでも、ない。

特に、草むしりばっかりしてきた手は、もう、しわしわ。
この間なんて、あおむけに寝ていて、手の甲を下から見てみたら、皮がたるんで細かい網目模様が浮いてきて、あまりの凄さに、むしろちょっと感動。

「この手を見て下され、ジル様と同じ病じゃ。
あと半年もすれば石と同じになっちまう。
じゃが、わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。
働き者の綺麗な手だと言うてくれましたわい」

とか言って、ひとり遊びました。
はい。

歳をとった体というのは、かように一人遊びも可能です。
ですから時には嫌気がさすことがあっても、旧い友人のようにお付き合いしたいもの。
整形なんてもっての外。

まぁ、肉体なんて魂の着ぐるみにすぎないと思うと、着ぐるみについたシミやよだれ、汗も懐かしむ材料にすらなるというもの。

だから、しわやシミをかわいがってあげるんだいっ!と思いっきり負け惜しみと思える自説をつぶやきながらナウシカごっこをするわたしなのでした。


つづく



キャンプ場の作り方(31)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

砕石を運び終わったらいよいよ、と思ったあなた。
残念ながらまだ、なんです。

今度は砕石を締めなければなりません。
何事も手間暇かけなければいいものはできない。
これは真理、とは思いますが、実際つらくなってくるとつい面倒になります。

でも、わたし達にはありがたいことに、虎男というお目付け役が、いる。

「もう、いいじゃん。疲れたよ。雨が降ったり、人が歩いたりすれば自然に締まってくるよぉ。お金もかかるし。」と思っていても、虎男に「ちゃんとやれし。締めとけし。」と言われると、二つ返事で「はい!もちろんやらせていただきます。」と忠犬のごとく、反射的に返事をしてしまいます。

ということで、振動ローラーをレンタルしてきました。

見てください。この勇姿。

   
              
振動ローラー


ひー。すっごいおばさんが振動ローラーを運転しているっ。

飼い犬にまで、目をそむけられているっ!。


いいのだろうか、こんな過去の恥ずかしい姿を公衆の面前にさらして。

うーむ。でも、なんか歳をとってくると、人にどう見られるかなんて、どうでもよくなるというか、むしろ恥をさらすのが楽しくなってくるというか、快感になるというか。

そんな自分がこわいよぉ。

痴呆姿までブログでさらすように子供たちにお願いして迷惑がられているボケかかった自分の姿を想像すると、そんな老後も楽しいかも、と思えるわたしなのでした。


つづく



キャンプ場の作り方(30)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


おっぱいがいっぱい。
ひゃっぱいはいっぱい。

そう、砕石を百杯って、そんなに簡単なことじゃありません。
物理的にも、金銭的にも。

ある意味、この時が一番キャンプ場をやり始めたことに、後悔したかも。
いや、後悔する余裕すらなかったような気がする。

とはいえ、借りたトラックを運転しながら、愚痴も言っていたな。
髪ふり乱し、目は血走っていた、かも。

人間の記憶って、本当に都合よくできています。
愚痴っぽい自分や不細工な自分は上手にカットして、記憶の中に残してくれる。

人は亡くなるとき、自分の人生が走馬灯のようによぎるっていうけど、それは都合よく脚色された自分であってほしい。
亡くなる直前くらい、美しい自分でありたいもの。
あんな自分を、死ぬ直前に見るのはいかがなものか。

まぁ、神様はそんな甘くない気もするが・・。

とにかくこの時期、夢中で砕石運びをしました。
もちろん、わたしもトラックを運転しました。

ほかに人がいないんだもん。
そして後戻りはできないんだもん。

皆さんも駅と家とのちょうど真ん中へんで、急にトイレに行きたくなった状態をご想像ください。

進むも地獄、戻るも地獄・・。

ま、背水の陣ってやつですね。

約1000㎡のサイトに砂利の山がところどころ盛られると、虎男が重機で均一にしてくれます。
そのうえにまた盛る。
また重機で・・。
そのくりかえし。

そしてやっと、ほんとにおっぱい、もとい、百杯、砕石を運んだのでした。

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            (手伝ってくれた若者たち。その節はありがとう。)




つづく。


キャンプ場の作り方(29 )

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


やっとできました。サイトの原型が。

そう、まだ原型しかできていない。

虎男は、さらにわたし達にアドバイスをしてくれました。

「とにかく、砂利を敷かないと駄目ずら。採石場に行って、トラックで砕石を買ってこう。砕石は土に沈んで締まるからこの広さじゃ、百杯ぐらい必要かもしれんなあ。」

ひゃ、ひゃっぱい?
おっぱいじゃなくてひゃっぱい?

トラック百杯ってことは、百往復?

レンタカーでトラックを借りて、一日何往復できるの?


なんだか、目の前で笑っておいでおいでしていたゴールが、あかんべーしながら全力疾走で彼方に走り去ってしまった感じ。

レンタカーで2tトラックを借り、採石場に行って、荷台に砕石を落としてもらう。
重くなったトラックは、あまりスピードが出ないし、坂があるので、慎重に運転しなければならない。
やっと着いてトラックの荷台を傾け砕石を下ろす。

この繰り返し。

もう、やだ。

なぜこんなこと、始めちゃったの?
わたしのおたんちん。

わたし、アリの気持ちが今分かった。

前読んだ何かの本の中で、学者が「虫は本能で働いていて、感情のようなものはない。」って言ってたけど、あれ、絶対うそ。

だって宇宙人から見たら、今のわたし達だって、ただ本能で砂利運んでるだけって思うもん。

アリだって辛くてやめたいって思ってても、それまでに女王アリにつぎ込んだ貢物がもったいなくてやめれないのかもしれないじゃないかっ!


だ~れのせ~でもありゃしない~

みんな、おいらが悪いのさ~♪


というフレーズ(古い!)が頭の中をぐるぐる回るわたしなのでした。



※ここでアドバイス

砕石がたくさん必要な場合、工場で買ったほうが建材屋で買うよりお安いです。
砕石にもいろいろ種類があり、粒の大きさ、リサイクル(RC)かバージン(C)かによって金額も違います。
閉め固めをさせたい、見た目がきれいなのがいいなど、用途によって選んでいきます。

って、なんだってこんな知識ばっか、増えてんだ。

優雅なマダムの、繊細なレースの編み方とか、すんばらしい薔薇の種類とか、覚えることはほかにあるだろっ。



つづく



キャンプ場の作り方(28)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


葡萄棚の移植が終わった夏のある日、マキオカの坂を上ってくる一台の重機。

そう、虎男が土地の造成に来てくれたのです。

わたし達は山の上から、希望を胸いっぱいにふくらませながら、眺めています。


黄色い大きな重機が力強く坂を上ってくる。

首長竜のように、アームを振り上げて。


う、うわ、でかっ。以前造成をしてくれた重機より二回りぐらい大きい。

「ちっこい重機でちょびちょびやってられんずら。」

そう、虎男は人間もでかいけど、やることも乱暴、いや、大きい。


でも、普通であれば現場までトラックで運んで重機を下ろすもの。

なぜ、そうしなかったか、というと。

そう、道路が狭かったんです。

だから下の県道にトラックを置いて、500m位重機で上ってきたのですが。


ガッガッガ。ガゴ、ガゴ。メキメキ。

あれ?なんだか音が。

も、もしや道路にひび?


ここの道路は農道で、集落の皆さんがお金や土地を出し合って作ったもの。

だから、舗装とはいっても、普通の道路とは違います。


重機が重すぎて、ところどころひびが入ったり、うちの土地に入る道は陥没したりしてしまいました。

く、熊男に怒られる・・。


い、いや、気のせいだな。ここ、もともとこんなだった気がする。うん。

わたしは何も見ていないし、聞いていないっ。


重機は、力強く葡萄棚のあった土地に入っていきます。

虎男は息子を連れてきて、てきぱきと指示を出します。


そして大がかりな造成が始まりました。

いやー、虎男はすごい。

器用に重機を操る虎男。

みるみる土地が平らになっていきます。

「おまんとこの丸太をチェーンソーで杭にしとけ。」と言われ、わたし達は杭作りに励みました。

何日かかけて造成が終わると、今度は杭打ちです。

重機のアームを使って杭を斜面に押し込み、そのあと大きな木のハンマーで深く打ち付けていきます。
そして木の板を、杭と杭の間に嵌めていきました。

さらに虎男は、頼んでもいない家の裏の土地の造成までやってくれたのでした。


その年の秋、やっとキャンプ場のサイトとなる土地の原型が出来上がりました。




今は亡き、虎男へ

わたし、虎男に聞きたいことがある。

なぜ、ただの親戚の、つきあいもたいしてないわたし達のために、あんなに何日もかけて、一生懸命やってくれたのか、ということ。

虎男は社長で、お金に厳しくて、忙しくて、商売上のお付き合いをする人たちに、怖がられるぐらいのやり手の人だったと聞いているよ。

なのに、何故、夢しか持っていないわたし達のために、あんなに身を粉にして働いてくれたんだろう。


今思い出すと胸が熱くなるよ。

虎男の好意に恥じないキャンプ場にするね。


ほんとに、ありがとう、虎男!


つづく


キャンプ場の作り方(27)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


虎男に再び造成をお願いするにあたって、キャンプ場のプレゼンをして、虎男の心を動かす必要があります。

なんといっても、大変な作業を菓子折り一つで再びやってもらわなければならないのですから。

そこはそれ、はったりをかます、いや、ちょっぴりだけ脚色して、虎男の「それなら、またやっちゃる!」という漢心(オトコゴコロ)を鷲掴みにしなければなりません。

「皆さんによろこんでいただける日本一のキャンプ場を作りたいんです!」
わたしは壮大な夢を語っていきました。

虎男は一代でひと財産を築いた海千山千のすごい人。

わたしのほらっぱなし、いや、プレゼンを表情一つ動かさずじっと聞いていました。

虎男「で、造成した後は、どうするで。」

   はぅー、具体的に攻めてきた。

わたし「あ、、あの、ほれ、やっぱ、芝生とか?」

虎男「馬鹿いっちょ!芝生が生えるまでどうするでぇ。芝生なんて少しほっといたら雑草だらけになるずら。第一、車がスタックしちゃって、客が二度と来んくなるわ。」

   ひー、なんにも考えてないんだよぉ。それ以上つっこまないでくれぇ。

虎男「のりはどうするで?」

わたし「は?のり?あの、のりはぁ、海苔、じゃないよ、ね。」

虎男「のりっちゅうのは、切土や盛土により作られる人工的な斜面のことずら!あそこん土はちゃんとやらんと崩れやすいぞ。丸太で杭を打たなきゃ駄目ずら。」

やっぱ、プロは違うわ。ほんと。

ちょっとしゃべっただけで、ばれっばれ、でした。

頭でっかちな理想論や観念論なんて、吹けば飛ぶようなものでした。

はい、すみませんでした。


それはともかく。

虎男は気持ちよく(わたしにはそう見えた、ような気がする)引き受けてくれました。


一陽来復。

そう、冬が終わると春が来る。あー、待ち遠しい!と、胸ふくらますわたし達でした。


つづく




キャンプ場の作り方(26)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


長らくお待たせいたしました。

やっと本格的にキャンプ場作りが始まります。


まず、自分たちがどんなキャンプ場を作りたいか、コンセプトを考えます。

大前提になったのは「自分たちが行きたいと思えるキャンプ場を作ろう!」ということ。

わたしは大学時代登山をやっていたので、キャンプ場にはお世話になっています。

主人もアウトドアが好きで、いろいろな所に行っていました。

結婚してからも、わたし達は子連れで野営したり、山奥で車中で寝たりしていました。

でも。

歳をとってくると、そんなキャンプは、いや。

そんなキャンプが楽しいと思えるのは若いうちだけ、とわたしは思う。

だって、トイレがないなんて、文明人として、どうよ?(おい!※キャンプ場の作り方(5)参照)

よくあるキャンプ場の外にあるトイレ、蛾とか、虫がバタバタしてる中で用を足すのは、出るものも出ない。

テントで寝たり車で寝たりすると、熟睡できず、翌朝いつも以上にしわが目立つわ、腰痛が再発するわ、その上髪はぼさぼさで、おしゃれに決めたつもりの山ガールスタイルが、ただの若作りの痛い股引きおばさんになっちゃったり。

それに、冷蔵庫だって欲しいよね。クーラーバッグを開けたとき、ビールがあまり冷えていなかったりすると、とっても悲しい。

あと、雨の時のキャンプって、ほんと、いや。

片づけも面倒になるし。

それに何もできない雨のテントの中で熟年夫婦の会話なんて、お互いの加齢臭に目をそむけながら、子供の話をするしかないんだよ?(うちの場合は、ですが)

それから今のキャンプ場って隣同士がくっついてて、お互いの話が丸聞こえ。

鳥のさえずり聞きに来てんのに、隣のヤンキーの兄ちゃんの恋愛話聞かされて、翌朝ついお兄ちゃんに親しみのまなざしを送ってしまったり、と。

こんな自分の内なる声を聴きながら、夫婦で理想のキャンプ場について語り合ったのでした。

そしてとりあえず決まったのが、思い切って、2区画にしよう、という事と、トレーラーハウスを導入しよう、ということ。

細かいプランはまだ見えていませんでしたが、せっかちなわたしは「走りながら考えよう!」とばかりに、さっそく再び虎男に土地の造成をお願いに行ったのでした。


つづく

キャンプ場の作り方(25)


こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


長かった猿男との戦いも終わりました。


わたしは今も畑を耕している猿男の横を通り過ぎます。

もちろんわたし達は一切口をききません。

でもね。

ほんとは、わたし、猿男の事、嫌いじゃないかもしれない。

いや、ちょっぴり好きかもしれない、とも思う。


きれいごとを言うな、と思う方もいらっしゃるかと思います。

わたしは単に、誰かを嫌っている自分が嫌で、そう思い込もうとしているだけなのかもしれない。

もしかしたら、人を嫌ったり、憎んだりすることに、膨大なエネルギーを使うことに疲れた体と脳が、「てっ、らっちもねぇ(ばからしい)。やめとけし。ばかくせぇ。」とかいって、すり替えを試みているのかも、と。

でも。

そう、その気持ちは、譬えて言うなら、口うるさい舅や、意地悪な隣の爺さんが亡くなった後、懐かしく思い出されるのに似ている。

同じ時代に戦場で戦った、いけ好かない戦友のような、と申しましょうか。

昔嫌いだったクサヤの臭いが結構癖になるような。(あれ?違うか)

ともかく。

いい歳をした、赤の他人が、あんな風に気持ちをぶつけ合えることって人生に何度あるんでしょうか?

この歳になると、人に嫌われたくない、あわよくば好かれたい、と思っている自分が嫌というほど目につくもんです。

そんな気持ちを吹っ飛ばすほどの感情をぶつける経験は人生においてある意味、貴重なのではないか、と。

あの嵐のように昂ぶった感情が、今こんな風に変わっていくことを、当時想像もしませんでした。

だって、今になって思い出すのは、猿男とのトマト畑のにらみ合いや、仁王立ちや「口あんぐり」だったりする。

ぷぷぷっ。


時間は偉大です。

悲しかったことも、苦しかったことも、時間がすべて洗い流し、研磨し、あらゆることを溶け込ませ、必要だったと認められる存在にしてくれる。


ま、現実の猿男は、ブードゥー教の祭司のような表情で(どんなじゃ)わたしと目も合わせようとしないんですけど。

そしてわたしも、一瞥くれて能面顔で通り過ぎるだけなんですけど。


わたしがこんなこと書いてるなんて、夢にも思うまい。

そして、もし、猿男がこの文章を読んだら、発疹ができて体中掻き毟って悶絶するに違いない、と想像すると、そんな猿男をちょっと見てみたい気もしてくるのです。

※ここで追加情報

何故、猿男があんなに移植を渋ったか、ということですが、わたしなりに考えてみました。

1,「研究」という名目を付け、申告すると、市町村から、活性化を名目として、予算が下りる場合があります。まぁ、そういった大人の事情から。

2,猿男はすっごい面倒臭がり屋で、嫌なことは後に回してしまうタイプ。中学生の夏休みの宿題は泣きながら九月一日の朝までやっていた。

3,実は葡萄棚の下に、信玄の隠し金塊が埋まっているのを猿男は先祖からの言い伝えで知っていた。

わたしとしては、なんといっても 3 希望!


つづく

キャンプ場の作り方(24)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


猿男がしぶしぶ葡萄の木の移植を了解してくれ、やっといろいろなことが動き出しました。


熊男の根回しのお蔭で、研究会のメンバーが招集され、それからほどなくして移植してもらえました。

ふんっ、やればできるじゃないか。

などと憎まれ口を心の中でたたきながら、顔は自然にほころんでくるのでした。


それでも、猿男はよっぽど悔しかったらしく、つまらない嫌がらせをしてきました。

地目変更の書類を作るための同意書をもらいに行った時も、なかなか判を押してくれませんでした。

「まず、キャンプ場の計画書をもってこうし。でなきゃ判は押さん。」

計画書を作って持っていくと、

「なんだ、砂利を入れんのけ。雨が降ると砂利が道路から出てきちゃうずら。」

(お前のとこの畑だって雨が降りゃ土が流れんだろ。)

南側に一本樅の木を植えることを知ると、

「この木が育って日影ができると農作物に影響するから、駄目だ。」

(って、あんたのとこの畑は、うちより南側だろ。どう日影を作れるんじゃ。)


まぁ、そうはいっても葡萄棚さえ動いてしまえばこっちのもの。

何を言われても、「けっ」ってなもんです。


「計画書の不備に対する対応計画を立てて持ってこう。じゃなきゃ判は押さん。」

はい、はい。分かりましたよ。出しゃいいんですね。


普通であればワープロ(この頃はまだワープロ、使ってました。)で書類を作るところなのですが、むかついていたわたしはそこらへんにあった紙っ切れにボールペンでちゃちゃっと走り書きをし、持っていきました。

猿男はそれを見ると、

「なんだ、これは。こんなん、書類として認められんだろ。」

「いいえ、公的に手書きではダメだという決まりはありません。」

しばし、仁王立ちをして口をへの痔、いやへの字にしていましたが、やっと判を押してくれました。


悔しそうな猿男。

けっけっけっ。


戦いは終わりました。

わたしの胸には、長い便秘を克服した時のようなすがすがしさと、一抹の寂しさがよぎったのでした。


つづく






キャンプ場の作り方(23)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


猿男と教授の言うことには、相当の齟齬がありました。

翌週、再びマキオカへ。

熊男は、周囲に根回しをしてくれ、さらにわたし達と猿男との話し合いの場を設けてくれることになりました。

わたし達夫婦と熊男で、猿男の家に向かいました。


熊男は話し上手です。

下手をすると凍りつき、にらみ合いそうなわたし達の空気をほぐしながら、話を進めてくれます。


熊「地主さんがどいてくれっていてんだから、ここはひとつ気持ちよくどいてあげちゃぁくれんか。」

猿「まぁ、わしはいいんだが、何と言ってもあの葡萄の苗はかなり貴重なもんで、移すタイミングってもんが難しいだ。なんといっても東京の教授にわしが頼んで研究してるだからな。」

わたし「・・・。(また教授かよ。あんたどんだけ教授が好きなんだ。)」

熊「じゃぁ、移すのは、いいってこんずら?」

猿「ああ、そりゃいいさ。でも、もうこん季節は無理だなぁ。」

わたし「・・いや、まだ移せるって伺いましたけど。」

猿「何言ってるだ。もう無理にきまってるでねぇか。誰だ、そんなこんいうのはっ。」

わたし「○○教授ですが。」

猿「ば、馬鹿いっちょし。なんで、○○教授と話ができるだ。」

わたし「住所を調べて、お電話でお話しさせて頂きました。○○教授に葡萄の苗の移植の許可も戴きましたし、まだ移植はできるというアドバイスも戴きました。」

猿「(ちょっと口をあんぐり開けて)・・・・。そ、そういうことなら、・・い・いいずら。」




わたし、人がびっくりした時、本当に「あんぐり」口が開くのを初めてみました。

いや、いいものを見せてもらったよ。


※ここでアドバイス

村の生活の中で、分かったことがあります。

「和をもって尊しとなす。」という教えが村社会の中には厳然と存在しいている、ということ。

またそれは生活していく上で、とても大切なことだということ。

村の生活は、思っている以上に共同作業が多いです。

道路の草刈り、村祭り、お花見、小学校の運動会(子供がいなくても参加)、無尽 etc。

農作業自体は孤独な作業ですが、それを上回って余りあるほどの寄合があります。

そしてそこで政治や経済や世の中の動き、村の人間の動向について意見交換が行われます、

また、仕事の進捗状況、悩みごと相談なども話し合われたりするようです。

そんな中、人間関係がうまくいっていない存在はうっとうしいもの。

だから、トラブルが起きたとき、協力して解決しようとしてくれます。

人によっては面倒だ、と思うかもしれませんが、実はとってもありがたいシステムのように思います。

実際お世話になっちゃったし。

皆様、その節はありがとうございましたっ!


つづく



キャンプ場の作り方(22)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


「それならこちらにも考えがあります!」と、啖呵をきったわたし。

もちろん、何の考えもありません。

昂ぶった気持ちを抱えたまま、熊男の家に行き、事の次第を訴えたのでした。


強面だけど、とってもやさしい熊男。

一緒に怒ってくれました。

そして、集落の中でも影響力のある、研究会のオブザーバー的な立場の方の家に連れて行ってくれました。


事情を説明し、意見を伺うと

「研究会の人たちは、移植に異論はない。」

「代替地の確保も問題はない。」

「研究会は猿男がほぼ一人で、中心となってやっている。」

「わたし達との今までのやり取りや詳しいことは、あまり研究会のメンバーには知らされていない。」

ということが分かりました。

そして、研究会の人たちは猿男から、とても貴重な葡萄の苗を、自分と親しい東京の大学教授から提供されているので、大事にしなければならない、と聞かされているようでした。


ぬぅ。猿男め。

大学教授が、大学教授が、と錦の御旗のように言いおってからに。

なんとか、あいつの鼻を明かしてやらねばっ!

研究会の人たちへの根回しは熊男に頼み、帰路につきました。


横浜に帰ったわたしは、猿男への怒りに燃えていました。

三年も待たせた挙句、あの言いぐさ。

許せん。

猿男!見ているがいいわ!

この時のわたしは、怒りながらも何か面白がっていたような気がします。


そう、ドーパミンが出ると、なんだか面白がってしまうという癖がわたしにはあるらしい。


盛り上がったわたしは、猿男の鼻を明かすことに知恵をめぐらせました。


「そだ、まず、東京の大学の教授に話をしてみよう。」

教授の名前はわかっていますが、どこの大学かわからないし、住所も分かりません。

ただ東京に住んでいることは間違いがないらしい。

さっそく東京の電話帳を手に入れました。


「こうなったら、片っ端から電話しちゃる!」

地元出身の教授で、ちょっと珍しい苗字だったのですが、調べてみると結構件数がありました。

当たりをつけて電話をし出すと、しばらくして見つけることができました。

ちょうど、ご本人がおられ、お話しさせて頂くことができました。

わたしは目的をぼかしながら尋ねましました。

「研究会の猿男さんからお聞き及びだと思いますが。」

「え?猿男?誰?」
   (誰って・・。親しいんじゃなかったの?)

「あそこにある葡萄の苗を移したいのですが、もう無理でしょうか?」

「あー、あれね。全然問題ないよ。今でも大丈夫。」
   (なにー!話が違うじゃないか。)

「貴重な苗ということですが。」

「んー?そうでもないよ。」
   (・・・・・。)

こ、これはもしかしたら、猿男の鼻を明かしつつ、キャンプ場も何とかなるかもしれん。

暗かった目の前に明かりが少しだけ見えてきました。



つづく






キャンプ場の作り方(21)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


問い詰められて、やっと本音を言った猿男。

怒りに燃えるわたし。


今まで猿男のいうこと、信じていたのに。

じゃ、今まで言っていたことは全て口から出まかせだったということ?

そんな風にわたし達の事を見ていたということ?

どうせ、キャンプ場なんてできないと思っていたってこと?


そ、それより何より、もうトレーラーハウス買っちゃったじゃないかー!!

どうするんだ、どうするんだ俺!(鈴木先生風で)

たぶんこの時の血圧は210/150くらいはあったと思われる。

頭に血が上り、目から涙が。

裏切られた悔しさと、待ち続けた自分達に対する怒りと、進めていた計画がすべて台無しになってしまう悲しみが入り混じっていました。

わたしは、猿男に

「わかりました。それならこちらにも考えがあります!」

と、啖呵をきりました。(いや、何の考えもないが)


※ここでアドバイス

猿男が前回「地目変更をさせない。」と言ったのには訳があります。

地目変更をするには、隣接する地主さんの同意書が必要なのでした。

猿男は土地は持っていませんでしたが、葡萄棚に接する土地の持ち主が親戚で、その持ち主が亡くなっていたため、管理を任されていたのです。


ですので、猿男が判を押さなければ、この先土地の地目は変えられず、他の使い方はできない、ということなのです。

ぬぅ、やりおる猿男。


ま、ですからご近所付き合いはくれぐれもご注意ください。

みんな、仲よくね!って、お前が言うか。


つづく



キャンプ場の作り方(20)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


葡萄棚を必ず動かす、と約束してくれた猿男。

3月、4月になり、5月になっても、動かない。

何故?

猿男の言葉を信じて、既にいろいろなことが動き始めています。


わたし達は再び猿男の家に行きました。

猿男はまた同じような言い訳を繰り返します。

ぶちっ。

わたしの中の何かが切れた音が聞こえました。

たぶんわたしの顔色は大魔神のような緑色だったに違いありません。


そう、大魔神。

子供の頃、映画館で見た大魔神は、村人がひどい目にあっても、耐える。

耐えて、耐えて、もう村人が、磔になって火をかけられそうになるまで耐えて、もう、辛抱たまらん、という状態になって、やっと埴輪顔が、ちょっと怒気を帯びたように見え出す。

そんでもって、きれいな村娘が、「おねがいしますっ。お助け下さい!」と両手を合わせ、子供が「姉ちゃん!」なんて叫ぶと、俄かに両腕をゆっくり顔の前で持ち上げる。

そうすると顔色は緑色になっていて、埴輪顔は急にリアルな怒りっぽい大工のおっちゃんのようになり、岩をガラガラと崩しながら、歩き出すんだよね。

悪代官や、悪い侍をなぎ倒し、踏み潰し、村人を救う大魔神。

いやー、すっきりしました。あの時は。

でも、なにゆえに緑?

まぁ、赤だと見方によっては焼酎の飲み過ぎみたいに見えそうだし、青だと貧血気味に見えなくもない。

うん、やっぱり緑だな。

でもって、お約束の村娘はやっぱり必要だよね。

ばぁさん達は、後ろで「なんまんだぶ。」とか言ってる方が、似合ってるしな。

今思うに、大魔神は日本人の精神性を如実に表しているっ!

なんてことを考えてる余裕など、もちろんあるはずもなく。



何かが切れたわたしは、後から畑にいる猿男のところに、一人で話しに行きました。

「去年の秋、今年必ず動かして下さると約束して頂きましたよね。何故約束を守って下さらないのでしょうか?」

「そんなこんを言った覚えはない。」

すっとぼける猿男。

ぶつっ。

さらにわたしの中で何かが切れる。

「あなたを信じてわたし達もいろいろ準備を進めてきました。それでは、どうしたら、動いて頂けるのですか?」

「動かす気なんてねぇよ。どっちにしてもこの春はもう無理だ。それに、あそこはまだ農地だ。地目変更もさせねぇし、あんなとこにキャンプ場なんてできるわけもねぇし、させねぇだ!」


夕暮れのトマト畑でにらみ合うアラフォー女とじじい。

初夏の風が二人の間を吹き抜けるのでした。


あ、あんまり美しくない!


つづく






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気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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