大嶽山那賀都神社は隠された日本の要(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

Hさんは『熊本の地震の二晩明けた16日早朝、何かできることはないのかと思った瞬間に降りてきたのが「三富村に行かなければいけない」というものだった』と仰った。

熊本に最大震度7が2回も立て続けに起こったこの地震。
もし川内原発が罹災していたらと思うと、本当に恐ろしい。

あの地震に、何故か大嶽山那賀都神社が関わっているということか。

印象的だったのは「小石を入れたザルを揺らしていくといくつかの大きい石が残ります。大嶽山那賀都神社はその残った大きい石の一つだと思います。」というMさんの言葉。

秘境といえるほど山奥にあり、今は地元にもあまり知られていないこの大嶽山那賀都神社が、実は日本の数ある神社の中の大事な要の一つだったとしたら。

訪う者を包み込み、清く浄化してくれるようなこの地の氣を思う時、わたしはその可能性を信じられるのだ。
そして、そこで働く日原先生を始め関係者の方々の無私の奉仕の様子を思い出すと、Hさんに降りてきた「ここには邪はない。(ここは)てっぺんだ。」という言葉がしっくりと胸に納まってしまうのだ。

大嶽山那賀都神社は甲府盆地から秩父へ向かう雁坂道の途中、山深い渓谷の断崖に鎮座している。
Mさんによると「地形を見ると、渓谷を洗う川の流れが社殿のある岩山のところで湾曲している。この地形は熊野や吉野で訪ねたことのある風水地形だ。
水に囲まれた岩山の頂点に気が溜まり、龍穴となる。山奥深く目立たない土地にも関わらず、役行者が修行の地として見出したのはこの地形だからだろう。」とのこと。

名のある山の頂上にあるわけでもなく、参拝客の多さを誇るわけでもない。
だが大嶽山那賀都神社はその清浄さにおいて「隠された日本の要」というに相応しい神社だと確信する。

無事Hさん、Mさんを日原先生にご紹介することができ、奥様のご厚意で昼食をご一緒させて頂いた。
お二人ともとても喜んでくださった。

人のご縁の不思議を思う。

9年ほど前のあの日、国道に掛けられたプレートを目にし、この地に来させて頂いた。
もしやこの日に繋がることを神様はご存じだったのか。

パソコンが苦手なわたしがSNSで発信し、Mさんを始めいろいろな方と知り合った意味、今ここで生きている意味についても考えさせられた。

いやいや、それはうがち過ぎというものかもしれない。

が、ここ最近「なんと大変な時代に生まれたことか」とため息をつくことも多々あったわたしが「日本は絶対大丈夫!」と心から思えることができた。

今回の件で、個々に何があっても神はかりだと信じられるようになったから。
全て神様の御手の内であるならば、何を悩もうか。



つづく


※おまけ

以下はHさんのブログです。

そらみつみそら

拝読させて頂いた際、氣になった文を載せさせて頂きました。

『つい先日、4月21日に聞こえてきたことです。
「4と4に来ている。
地層はいくつかずらすことにしている。
今まで支えてきたものの破壊。
完治は無理。
ボトムズアップ。
人間世界への理解が進む。
富士山は暴力的にはならない。」

今年1月7日
「地震、ついに起こるべきときに。
まずは4の4。
運良き方向に向かっている。
生まれ変わる姿になる。」

上の言葉を受けて4月4日をある程度気にしていましたが、最初の地震が起きたのは4月14日でした。
未来からみて、また宇宙的な観点からみたときにこの時期が重要な転換点だったと肯定的に捉えることができるでしょうか。』

 
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大嶽山那賀都神社は隠された日本の要(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

「これまでのわたしの人生の中でも超弩級の不思議な出来事の序章」とは言ったが、あくまでも「わたしにとっては」ということ。
例えば、この出来事について熊男に話したところ、訝しむような眼差しを向けられ「ふん、世の中いろいろ言う人がいるずら。」で終わった。
木で鼻をくくる、とはこのこと。
「ま、普通の人の反応ってそんなもんか。」と思った次第。

だからあまり期待し過ぎないようにしてお読みくださいね。

それはともかく。

9時過ぎにわたし、ふんどし息子、Mさんとで大嶽山那賀都神社に到着。
消防団の法被を着た方々が、大勢道に出ている。
やはり例大祭は地元を上げてのお祭りなのだろう。

ふんどし息子とMさんは社務所でお守り等をお分けするお手伝いをし、わたしはおさんどんのお手伝いをする。
しばらくして見に行くとふんどし息子とMさんがいない。
聞くと霊能者のHさんがいらしたので、共に拝殿の上にある奥宮に行ったとのこと。

この日、裏方の皆さんは本当に忙しい。
台所は8人ほどの女性が獅子奮迅の働きをしている。
直会でお出しする食事は、皆、手作り。
山菜や野菜をふんだんに使った美味しいおかずを山のように作っては、消防の方、お神楽をする方などの関係者にお出しする。

本殿の前には参拝客にお神酒をお出ししていて、時々杯を替えに行かねばならない。
杯を入れたザルを抱えて本殿の前に行くと、Mさんが男性とお話をしている。
その方が霊能者のHさんだった。

「プロの霊能者」というと宜保愛子さんとか江原啓之さんをイメージするが、まったく違った。
東儀秀樹に似た面差しの、静かな雰囲気の素敵な方だった。

大嶽山那賀都神社に来ることになった経緯を伺う。
初めて聞く話に目を瞠るわたし。

さらに大祭中に「ここには邪はない。(ここは)てっぺんだ。」という言葉から始まり、「時の扉を開けよ。すべての霊が迷いなくあるための玄関口に来ている。」「完全に宇宙のリズムに乗る。大きな大きなブリッジが来る。」という言葉が降りてきたという。

このHさん、昔からたくさんのスピ系の人間と知り合ってきたMさんをして「僕が信用する霊能者二人のうちの一人」と言わしめた人。
そしてわたしも直接お話を伺い「これは本物」と直感した。

これはお繋ぎしなければっ!

ただ一つ問題がある。
先日、日原先生とお話した際「最近いろいろな方がお見えになる。」と仰っていた。
要は有象無象の不思議系の方がいらっしゃるのだろう。
わたしの見るところ、理系でとても真面目で真っ当な先生は、困惑されることも多々あるに違いない。

いかに信用に足る霊能者といえど、わたしのような者がご紹介したら「アヤシサ満載」になりはしないか。
ザルを抱えながらしばし考える。

そこに日原先生のご子息が通りかかった。
京都大学をご卒業され、今は企業にお勤めしながら宮司になるお勉強もされているという、優秀で真面目な好青年だ。

これぞ天の采配。
次期大嶽山那賀都神社の宮司さんにもお繋ぎしとけってことですね。

ザルを抱えたまま、ご子息にHさんをご紹介する。
お話を聞いたご子息は丁寧にご挨拶され「これからもよろしくお願いします。」と仰ってくださった。

MさんとHさんに「宮司さんをご紹介させて頂きますので、もしお時間があるのであればお待ちください。」と言い、台所に戻った。
忙しく働きながら本殿の様子を窺い、日原先生のお手すきになるチャンスを探す。

しばらくしてチャンスがやって来た。
ご祈祷が一段落した先生が、お茶を飲んでいたMさんとHさん、ふんどし息子のところに来てくださった。

早速ご紹介させて頂くと、Hさんがここに来た経緯、降りてきた言葉を語り出した。

さらに「4月10日に姫路でいつもお会いしている霊能をお持ちの女性Uさんに『ナガトの門が開いている。』とお伝えしました。その時は「ナガトって山口県ですよね?」と言っていたのですが、ここだったんですね。」と仰った。

以前も『社伝に「天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎(なるとがさき)」と呼び(そこからの転化で「那賀都(ながと)」になっているという)、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。」とある。
この「昼夜連日鳴動」が、あの3・11の前後続いたという。
下から突き上げるような鳴動が3・11の当日はピタリと納まったのは不思議だったと皆さん口をそろえた。』と書いた。

Hさんが「今回の熊本の地震の際にはいかがでしたか?」という問うと、日原先生は「あれ、今回も何かあったなあ。」と仰り、結局体感された奥様に直接お話を伺うことになった。

お忙しい中、奥様になんとかお時間を作って頂き、お話を伺うことができた。

地震当日の4月14日、ドアを激しく閉めるような大きな音がしたので、初め奥様は日原先生が戸を閉めたと思ったんだそう。
でも普段そんなことをされたことがないので「珍しいな。」と思った直後、テレビをつけると速報で熊本の地震のことをやっていたので「もしかしたら。」と訝しんでいたとのお話だった。

当日、山梨は地震はなかったとされている。
息をのむわたし達。

Hさんは続ける。
「昨年10月6日には『卯月にコノハナサクヤヒメが出る。』と伝えられました。」
この神社はコノハナサクヤヒメの父神である大山祗命を祀っている。

ふと氣が付くと、辺りはしんとして音もない。
外はあれほど晴れ渡っていたのに、いつの間にか雨が降っている。
雨はしっとりと山の木々や社殿の屋根を濡らしている。

神様の吐息のように密やかに。
深く静かに。



つづく


大嶽山那賀都神社(だいたけさんながとじんじゃ)は隠された日本の要(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

前回「ここのところわたし自身の周辺に起きた不思議な出来事を考えると、一つ一つに意味があり、今年2回も奄美に行ったことにも何か意味があったのかもしれない、と思うようになった」と書いた。

お許しを戴けたので、先日わたしが「人生には無駄がなく、出会いや様々な事象には思っても見なかった意味が隠されているのかもしれない、と心から感じた」出来事を書いていこうと思う。

わたしはのブログをお読みの方は、時々わたしが「大嶽山那賀都神社」について書いているのはご存じかもしれない。

ひょんな経緯からこの神社を知ったわたしは、有難いことに宮司さんともお付き合いさせて頂くようになり
大嶽山那賀都神社ってすごい(1)
「国師ヶ岳」 の先にある元宮(奥宮)にご一緒させて頂いたり
大嶽山那賀都神社の元宮(奥宮)に行ってきた(1)
年末にふんどし息子と共に大掃除に行かせて頂くようになった。
大嶽山那賀都神社と差出磯大嶽山神社との驚きの関係とは

大嶽山那賀都神社の例大祭は毎年4月18日にある。
この例大祭、かつては18キロほどある塩山までの道が大嶽山に参詣する人で途切れることがなかったと言われたもの。
行きたいと思いつつなかなか行く機会がなかったので、今年こそはお手伝いさせて頂こうと早い段階で宮司の日原先生にご連絡しておいた。

そのことをFBで書くと、以前からのお友達のMさんから「このごろ大嶽山那賀都神社に呼ばれている氣がします」(!?)というメッセージを戴き、当日大嶽山でお会いしてご案内することになった。

Mさんは、写真家であり、柳生新陰流の剣士でもある好男子。
我がふんどし息子の褌仲間でもあり(息子は越中褌派、Mさんは六尺褌派の違いはあるが)長い髪を髷に結い、いつも着物に袴をつけている。

初めてお会いした時はその超個性的なファッションに目を瞠ったが、慣れてくるとチャーミングな笑顔と静かな語り口、そしてなんといっても神事に対する深い知識と洞察力に惹きつけられてしまった。

17日、ふんどし息子は鍼灸の勉強会があり19時半に塩山駅に迎えに行って夕食をとった。
いつも行く鼓川温泉は終了時間が過ぎてしまっていたが、隼温泉ならまだなんとか間に合いそうだったので、急いで向かった。
わずかな時間だが温泉に入り息子をが出るのを待っていると、見覚えのある顔と一緒に出てきた。
笑顔から白い歯がこぼれ、長い髪が髷に結われている。

Mさん?!

なんと息子がお風呂に入って行ったらMさんがいたのだという。
聞くと、甲府の武田神社で奉納演武合宿があり、たまたま初めて隼温泉に来たら、ふんどし息子が入って来たとのこと。

これを偶然と言わずして何というのであろうか。
甲府から牧丘まで山ほど入浴施設がある。
そしてちょっと時間がずれただけで、この褌仲間の二人は顔を合わせることはなかっただろう。

恐るべし、ふんどしの吸引力。

類は友を呼ぶ。
褌は褌を呼ぶ。

Mさんとはメッセージのやり取りはあるものの直接お会いするのは2年振り。
積もる話もあるので、喜んでマキオカネイチャークラブに泊まって頂くことになった。

コンビニでビールとおつまみを買い、久し振りに一緒にお酒を飲みつつおしゃべりをしていると、今まで知らなかった共通の知人や出来事があることを知り驚く。

いや、世間ってホントに狭いですな。
もう、オソロシイほど。

そんな会話の中で、明日の大嶽山那賀都神社の例大祭にMさんの知り合いの霊能者の方が来ることを知る。

その霊能者の方、Hさんから後から伺ったところによると、熊本の地震の二晩明けた16日早朝、何かできることはないのかと思った瞬間に降りてきたのが「三富村に行かなければいけない」というものだったんだそう
山の奥に入って行ったイメージから「大嶽山那賀都神社」がその場所と分かり、一番早く動ける4月18日に参拝することにしたらしい。
もちろん年に一度の例大祭があるということも知らずに。

HさんはMさんと柳生新陰流の同門であり、一緒に武田神社の奉納演武合宿に参加していた。
打ち上げの帰り際にHさんから翌日18日の予定を聞かれ、那賀都神社に行くと言うと大変驚いていたとのこと。

うーむ、なんだかこの流れ、神様からのご指示が出ているような。
流れるべきものが流れに乗って、流れ着くべきところに行くこの感じ。

わたしの面白アンテナが電波を受信する。

ここのところ、面白い方との出会いがとっても多い。
特にスゴイ能力を持った方があきれるほどいる。
もうこの世の中、能力者しかいないんじゃないかと思うくらい。

いや、ホントにそうなのかも知れない。
時間の流れ方、変化の仕方、繋がり方が凄まじい。

きっとそんな時代になったのだと実感する。
氣が付いた人と氣が付かない人がいるだけで。

この時はまだこの出来事が、これまでのわたしの人生の中でも超弩級の不思議な出来事の序章とは知る由もないわたしなのでした。

つづく

前世療法をやってみた(おまけ)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

あけましておめでとうございます。
数少ない読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

三が日も終わり、日常に戻る直前の間の抜けた(?)日曜日の今日、いかがお過ごしですか?

わたしは去年から今年にかけて、日本人の意識の変化に驚かされることがままあった。

大晦日の鶴岡八幡宮での大祓は、いつにないたくさんの参列者で賑わっていた。
お清めのお酒を戴くのに40分くらい待たされたほど。
たぶんいつもの3割増しくらいはいたように思う。

新年になり、例年のように菩提寺である建長寺の半僧坊にのんびり歩いて行ってみると、ご祈祷所は座る場所もなくなるほどの信者さんで埋まっていて驚いた。

2日は毎年ふんどし息子と一緒に一般参賀に行っているのだが、今年はヤツが女の子と行くというので遠慮した。
なんといっても息子の人生がかかっておる。(知らないけど)
少しでも協力しなければ。
帰宅したふんどし息子によると、皇居に向かう行列がたくさんの人で動かず、予定していた次の回のお目見えになってしまったが、それでも前の方には行けなかったという。

これだけ立て続けに世間の変化を見聞きすると「やはり何かが動いているのではないか」という氣がしてしまう。
我が愛する日本にとって今年はどんな年になるのか、ワクワクしながら過ごしていきたいと思う。

それはともかく。

「前世療法をやってみた」って、あれで終わりじゃないの?と思われた皆さん。
わたしも「はー、年内で完結できてよかった!」って思ってました。
そのためにやることがてんこ盛りの年末に、後ろめたさを感じつつ合間を見てはパソコンに向かっていたはずだったんですが。

前世療法をやってみた(4)
で、わたしは
『今日、主人が亡くなる直前に撮影し、一度も見ていないビデオを押し入れから出してきた。
お正月に皆で見てみよう。
時期が来たんだと素直に思えたから。』
と書いた。

前世療法をした後、天袋に入っているビデオが目に入ってきて仕方がなかった。
そのビデオは15年間「封印されたものだったのに。

機械が大好きだった主人は、当時にしては画像が綺麗で高価なビデオを買い、子供の成長を写すのが趣味だった。
体調が悪くなったと氣が付いたのが2000年6月頃。
病院に行って精密検査をやるように言われ、8月に検査入院し「経緯の分からない難病です。何時亡くなるか分かりません。明日になるか、10年後になるか・・。」と告げられた。

夫婦で話し合って決めたことは「その日が来るまで後悔しないようにやりたいことをやる。」ということと、主人のたっての希望で「子ども達には病のことは話さず、いつもと同じ日常を暮らさせる。」ということだった。
娘は高校1年生、息子は小学5年生だった。

それからすぐに家族で何回も訪れ楽しい思い出を作ったサイパンに、「万が一のことがあった時はどんなにお金がかかっても何とかする。」という強い決意のもと、旅行の申し込みをした。

主人は時々一時退院をし、鎌倉の自宅に帰ったり、大好きだったマキオカに行ったりしていた。
そしてギリギリまで病のことは周囲に隠していた。
実の母にさえも。

そして11月5日成田を立ち、サイパンに無事到着することができた。
流石に浜辺で日光浴をして過ごすことが大半だったが、子ども達とボート遊びをしたり、笑い興じて過ごした。

9日に帰国し、翌日の夜救急搬送され、11日23時25分あの世に旅立った。
あまりの急な展開に、集中治療室に入り酸素マスクを付けている主人を見ても、息子はまったく状況を掴めていないくらいだった。

葬儀が終わり日常が戻ってきたけれど、あのビデオを観る氣にはなれなかった。
三回忌が過ぎ、七回忌が終わり、成人した娘から「あのビデオを観てみようよ。」と言われてもそんな氣になることはなかった。
主人が亡くなった前後の苦労話も、笑って話せるようになっていたのに。

機械が苦手なわたしには旧式で高価なビデオはハードルが高かったこともあるけれど、それ以上に「とにかくそんな氣持ちになれない」ということが大きかった。
忘れていたけれど、どうやらわたしは娘にビデオテープさえ預けてしまっていたらしい。

それが前世療法で主人と会うことができ(たような氣がし)、泣き笑いをしていた主人が「感謝」という文字を伝えてくれた後、突然「ビデオを観なければ。」という氣持ちが湧きあがってきた。

わたしの実家では、毎年1月2日に親族が集まって新年会をする。
そこにビデオを持ち込み、上映会をすることにした。
娘の夫と孫は動いている主人を観るのは初めてのこと。

甥が頑張ってくれ、なんとかビデオが動き出す。
そこには15年前の幸せそうなわたし達がいた。

何も知らず、屈託なく笑う小5の息子と楽しそうな高1の娘。
抜けるような青空とコバルトブルーの海を背に、明るく笑う主人。

傍から見たら何の問題もなさそうな家族だったろうが、この時わたし達夫婦は主人の死という大きな問題に背水の陣で向き合っていた。

あの経験以来、わたしは幸せそうに見える人々を見ても羨むことはなくなった。

そうそう、ビデオ上映会の翌日の帰宅途中、たまたまカメラの量販店に寄ったら、年末他店で注文したのと同じカメラがもっと安くケースやUHSカードまで付けて売っていた。
早速注文をキャンセルし、そのお店でカメラを買ったところ、ビデオをDVDにダビングする割引チケットをくれた。
その場で持っていたビデオテープを渡し、ふと思う。

むう、流石だぜ、亡き夫よ。
我が家の経済状態を把握し、わたしの倹約精神(いわゆるケチ)を見抜いている。
お蔭で思い立ってからあっという間に長年の懸案が解決した。
植物が枯れて風雨にさらされて時期が来ると種がポロっと採れる様に、その時を待つというのは大切なことなのだ。

それにしても、いったいこの流れはなんだろう。
まるで目に見えないものに「こっちだよ。」と指をさされているような。

この年まで生きていると「物事には潮目や流れがある。」ということを実感する。
ただわたしは流れに身を任せてさえいればいいとは思わない。

流れに身を任せながらも、微力であっても自分が向かいたい方向に一生懸命自分の手で水をかいていくことが大事なのだ、きっと。
そちらに行けようが、行けまいが。

だからわたしは今日も流れに水をかく。
必死に。
髪を振り乱して。


つづく




前世療法をやってみた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今日は大晦日。
例年通り、ふんどし息子と鶴岡八幡宮の大祓に行ってきました。

「大祓」
『701年(大宝元年)の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。
6月30日と12月31日の年2回、日々の生活の中で知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓い去り、心身ともに清らかに立ち返ることを祈る神事。
人の形に切り抜いた紙「人形(ひとがた)」に、氏名、年齢を書いて、息を吹きかけたり、体をこすったりして、人形に罪や穢れを移してお祓いをする。』

11時からの回に行ったのですが、いつになく凄い人出でした。
時間になってもまだ長い列が続いていました。

年々増えていく善男善女。
この混沌とした時代に、今まで疎かにされていた神仏が見直されているのを実感します。

人々が目に見えない世界を信じることに躊躇わなくなった、そう思う。
時代は確実に変わっている。

それはともかく。

中間世で、雲の上で微笑んでいるキリストのような方に会った後、Fさんに「これからどうしますか?お花畑に戻りますか?」と尋ねられ、「主人に会います。」と答えたわたし。
わたしの夫は15年前に亡くなっている。

Fさん「じゃあこれから五つ数えてお花畑に戻ります。5・4・3・2・1、はい。お花畑はどうですか?どんな感じでしょう?」
わたし「色とりどり。」
Fさん「氣分はどうですか?」
わたし「いいです。」
Fさん「これからご主人に会いましょう。右の方に歩いていって下さい。小さな家が見えると思います。」
わたし「はい。」
Fさん「どんな家ですか?」
わたし「小さくて木でできている。」
Fさん「ドアはありますか?」
わたし「はい。」
Fさん「ドアノブはどんな感じ?」
わたし「真鍮製。」
Fさん「押して入るの?引いて入るの?」
わたし「引いて。」
Fさん「それでは三つ数えたら引いて入ってください。3・2・1、はい。中はどうでしょう?」
わたし「小さいログハウスっぽい。」
Fさん「窓のそばに長椅子があると思うんですが。」
わたし「はい。」
Fさん「あなたは右寄りに座りますか?左寄りに座りますか?」
わたし「右寄り。」
Fさん「じゃあ、今からご主人をお呼びしますね。今から五つ数えるとご主人がいらしてあなたの左側に座ってくださいます。いいですか?5・4・3・2・1、はい。どんな感じですか?」
わたし「来ているか、来ていないのか、わからない。影が薄いというか。」

まあ、亡くなっているんだから影が薄いのは間違いない。

Fさん「存在をあなたの左側に感じますか?それとも前の方かな?」
わたし「左側に立っている。」
Fさん「何か質問したり会話したりできますよ。なんて言ってるんでしょう、ご主人。」
わたし「笑っていると思うんですけど・・。感謝という文字が浮かびました。」
Fさん「ご主人から?」
わたし「はい。」
Fさん「ご自身から伝えることはありますか?」
わたし「頑張っているので見守っていて下さい・・っていうのは、もう伝わっているみたいで。」
Fさん「いつもご主人は一緒にいるのかしら?」
わたし「そうですね。」
Fさん「聞いてみてください。」
わたし「もう、言わずもがなというか。言葉にするとお互い恥ずかしいですね。」

何故か、15年も前に亡くなった夫と恥ずかしがり合うわたし。

わたし「手を取って・・笑いながら泣いている。・・感謝っていうのが伝わってきます。」

わたしの目にもうっすらと涙が滲む。
でも悲しい涙ではない。
もっと淡々とした、和やかな再会。

主人と会った後お花畑に戻り、わたしの前世療法は終わった。

何故かこうして文字起こしをしている今の方が、あの時より鮮明に絵が浮かんでくる。

前世療法で出てきたことが、客観的な事実かそうでないかは、今のわたしにとってはあまり問題ではない。
泣き笑いをしていた主人が「感謝」という文字を伝えてくれた。
それを信じられる自分がいるということが大切だと思っている。

今日、主人が亡くなる直前に撮影し、一度も見ていないビデオを押し入れから出してきた。
お正月に皆で見てみよう。
時期が来たんだと素直に思えたから。

そうそう、先日「前世療法をすることにした。」とふんどし息子に伝えたら「何でも勝手に決めるんだから!」と、やたらと怒っていた。
「なんでいちいちお前の了解を取らなきゃならないんじゃ。」とムカついていたが、あとからよく聞いてみると、クリスマスのサプライズプレゼントに前世療法を考えてくれていたんだそう。

ありがとう、ふんどし息子!
母はうれしいぞ。
日本広しと言えど、息子に前世療法をプレゼントされた母親はいったい何人いるんだろうか。

経済的にピンチの時に、天の助け。
うっうっう・・・わたし、シアワセです。(感涙)
(・・って、なんでピンチなのに前世療法するんだ?)

それはそうと。

あと3時間ほどで2014年が終わる。
お付き合い頂いた皆様、本当にありがとうございました。

星の数ほどあるブログの中から、わたしのブログに辿り着いて下さったなんて、スゴイことです。
本当に感謝に堪えません。

来年も力の限り「オモシロ道」を邁進する所存ですので、何卒よろしくお願いいたします。

つづく



プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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