孫達のマキオカ初体験(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

せっかく鹿ショックから抜け出せそうだったのに、万力公園で飼われている鹿を見て再びブルーになった王子。
氣を取り直し、笛吹川フルーツ公園に連れて行く。

笛吹川フルーツ公園は、万力公園から車で10分ほど。
ここは富士山と山々、その麓の甲府盆地が一望でき、景観が素晴らしい。
一年を通して様々なフルーツや花・木を楽しむことができ、広場や遊具、敷地を巡回するロードトレイン等、楽しみどころが盛りだくさんの施設。

無料で楽しめるアクアアスレチックは子ども達に大人気で、この日もたくさんの親子連れで賑わっていた。
滝にうたれたり筏を渡ったり、どのお子さんもとっても楽しそう。

あいにく水着は持ってきていなかったが、孫達もパンツとTシャツになり、ジャブジャブと水の中へ入っていく。
王子はユラユラ揺れる橋を歩いたりボールにまたがったりして、夢中になって遊んでいる。
小王子はママに抱かれて水遊びを堪能している。

子どもの笑顔って、ホントに可愛い。
特に我が孫の笑顔は。
(婆馬鹿ですが、なにか?)

30分ほど遊ばせた後、まだ遊びたそうな王子を「これから温泉に行くから」と言って着替えさせ、笛吹川フルーツ公園を後にした。

それはそうと。

実はここにその時の写真を載せようと思ったが、娘から却下された。
「顔もそんなにはっきり写っていないのに、なんで?」と尋ねると「パンツ姿だから」という返事が返ってきた。

4歳男児のパンツ姿にすら氣を遣わなければならないとは。
そんな時代になっているのね。
ああ、昭和は遠くなりにけり・・・。

それはともかく。

そろそろお腹が空いたというので、わたしがよく行く塩山の「そば丸」に連れて行く。
ここは自家製粉のこだわりの蕎麦と地元食材をつかった料理が人気の、山梨市周辺では知る人ぞ知る蕎麦店。
新潟県から移築した趣ある店内は、塩山の自然の中に溶け込み落ち着いた雰囲気だ。

いつもは行列ができているのだが、ちょうど閉店間際ですんなり入ることができた。
わたしと娘は海老天丼ともりそばのセットの海老御膳、王子はワサビ付きのもりそばを注文する。

お腹が空いたのか、お蕎麦を一人前ぺろりと平らげた王子。(もちろんワサビは大人たちが戴きました)
お腹を一杯にした後は、マキオカネイチャークラブのすぐそばにある皷川温泉へ向かう。

1歳9か月ながらオムツの取れている小王子も、無事一緒に温泉に入ることができた。
さすが将来有望な我が孫(何も根拠はないが)。

小王子は娘に任せ、わたしは王子と一緒に浴室に入る。
体を洗った後、早速露天風呂に。

始めこそ手をつないで入っていたが、次第に慣れてきて、お湯の中を楽しそうにひとりで自由に歩き回る王子。
かわゆいのう。

次はジェットバスや泡風呂がある内風呂に連れて行く。
ここでも心配なので、手をつないでゆっくり入る。
しばらく一緒に歩いていたが、慣れたようなので手を放し「じゃあ、こっちの泡の立っている方へおいで。」と言って振り向くと。

あれ?
王子の顔半分がお湯の中に沈んでいる。
手を救いを求めるようにこっちにまっすぐ伸ばしたまま、目が「助けて!」と必死に訴えている。

どうやらジェットバスの水流のため、体重の軽い王子は体が不安定になり、湯船の中で足を取られたらしい。
急いで駆け寄り抱き上げると、しがみついてきた。
地元のばあちゃん達の汗と垢の混じったお湯をしたたかに飲んだ様子。

こんなことで王子を温泉嫌いにしてはイカン!
「びっくりしちゃったね。大丈夫、大丈夫。」と宥め、抱っこしたまま泡の立っているところに行き「あーぶくたった、煮え立ったぁ。煮えたかどうかぁ、食べてみよ。パクパクパク。」と歌いながら豆を食べるマネをすると、やっと元氣が出たらしく笑顔になった。

その後も、露天風呂や内風呂を行ったり来たりしながら温泉を堪能した王子達。
マキオカネイチャークラブに帰り着いた頃は、日もとっぷりと暮れていた。

一日中遊びまわって疲れていたのか、王子達は楽しみにしていた花火もせずにすぐに眠りについたのだった。
よかった、よかった。

2歳にならない小王子はともかく、4歳になった王子には今回のマキオカでの出来事は、しっかり心に刻み付けられたに違いない。

木のブランコに乗ったり、沢歩きをしたり、桑の実を食べたり。
アスレチックをしたり、水遊びをしたり、美味しいお蕎麦を食べたり、温泉に入ったり。

マキオカネイチャークラブのいい思い出がたくさん残るといいね。

が。
帰宅する車中で、王子に「パパにマキオカのどんなお話をするの?」と尋ねると「鹿のこと。」との返事。
・・・。

数日後、ふんどし息子が王子に「この間マキオカに行ってどうだった?」と尋ねたら、やはり「鹿がいたよ。」と一言。
・・・。

まあ、ことほどかように子どもにいい思い出を作るというのは難しいものですな。

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※大嶽山那賀都神社が新しいHPを作ったのですが、検索しても全然上がってきません。
どうやらヒット数が伸びずネットの海の藻屑と消えそうです(涙)。
言い出しっぺのわたしとしては、責任を感じております。
できましたらポチっとご協力お願いいたします!

大嶽山那賀都神社正式HP


つづく
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孫達のマキオカ初体験(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日、マキオカネイチャークラブに初めて孫がやってきました。
いつか4歳と1歳9か月の孫達にわたしのやっているキャンプ場を見せたいと思っていたので、ハイシーズンの前の先週、娘と孫達をマキオカに連れて行ったのでした。

今回の旅は孫達にとって初めて尽くし。
3時間も車に乗るのも初めてなら、高速道路を走る車に乗るのも初めて。
助手席のチャイルドシートに座っている4歳の孫(以下、王子)は、大人しく景色を眺めているが、ワクワク感が運転しているわたしにも伝わってくる。

マキオカネイチャークラブに到着すると、王子の目がキラキラ輝き、とってもうれしそう。
かわゆいのう。

センターハウスへ入ると、興味深げに1歳9か月の孫(以下、小王子)が、部屋の隅々まで探検し始めた。
王子は外に飛び出し、待望の木のブランコに乗る。

慎重派の王子は、一人でバランスを取って乗るのは難しいと悟ったらしく、ママと一緒に乗ることにしたようだ。

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次は皆で沢へ探検に行く。
沢に下りる傾斜はツルツル滑り危険なので、動物除けの柵に掴まりながらゆっくり下りるが、王子にとっては初めての大冒険だ。
小王子はママに抱かれて、やっとのことで下り着いた。

水辺を歩いていた王子は、木漏れ日にキラキラ光る小川に手を入れてみる。
初めて触る沢の水の冷たさに驚いた様子だ。

緑に染まった渓谷で、木漏れ日に負けないくらいキラキラ笑う王子と小王子。

辺りにせせらぎの音が響き、谷間に風が爽やかに吹き抜ける。
小王子もママと一緒に、沢沿いの道を楽しそうに歩いて行く。

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しばらく行くと、小さな社のところに軽トラックが停まっているのが見えた。
中から同じ集落のSさんとKさんが降りてきた。

「お孫さんけえ。鹿が取れたから見ろし。」と、にこやかに仰った。
見ると、軽トラの荷台に大きな鹿が横たわっている。

鹿に付いた血に氣が付き、凍りつく王子。

王子には刺激が強過ぎたか?
挨拶もそこそこに、王子達の手を引き、立ち去るわたし達。

しばらくすると、王子が「ねえ、あの鹿死んでたの?」と尋ねてきた。
「うん、農家の人が一生懸命作った野菜を鹿に食べられちゃったから、罠を仕掛けたらそれにかかったんだね。」と答えると「そうなんだあ。」と呟いた。

またしばらくすると、「ねえ、あの鹿死んでたね。」とポツリと呟く。
よほどショックだったらしい。

氣持ちを逸らそうと、道端に生えている桑の木から真っ黒に熟れた桑の実を選び「ほら、桑の実があるよ。これ、食べられるんだよ。」と言って渡す。
「洗わないの?」と怪訝な顔をしたが、「洗わなくても大丈夫。食べてごらん。美味しいよ。」と言うと、素直に口に運ぶ。
「美味しい。」
「そうでしょ?今日は初めてのことがたくさんあったね。高速道路を走ったり、桑の実を食べたり。」
「うん、あのさ、鹿が死んでたね。」
どうしても鹿から離れられない王子。

氣を取り直し「さあ、今日はたくさん遊ぼうね!」と言って、万力公園へ連れて行った。
万力公園は「万葉の森」とも呼ばれ、松や雑木を生かしてつくられた約14ヘクタールの都市公園だ。

公園の名称である「万力」という地名は、その昔、隣接の笛吹川の氾濫に対し「万人の力を合わせたような強固な堤を築けるように」との願いをこめて名付けられたんだそう。
見事な自然林の中に、ふれあい動物広場、芝生の広場、ピクニック広場、バーベキュー広場などが点在する。
無料で利用でき、幼児を連れていくには絶好の場所だ。

夢中になって、遊具で遊ぶ王子と小王子。

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ふれあい動物広場に行くと、ヤギやカピバラ、ベネットワラビー、アライグマなどがいる。
「かわいい!」と駆け寄る王子。

「愛いヤツよのう。そろそろ鹿ショックから抜け出してくれたようだし。よかった、よかった」と思いながら王子と手をつないで先に進むと。
「あ、鹿。」

柵の向こうにつぶらな瞳でこちらをじっと見つめ、微動だもしない鹿たちの群れが。

「・・・鹿、捕まってたね。」
再び呟く王子。
「う、うん。」

鹿たちに遠い目を向ける王子の氣持ちを盛り立てるために「さあ、そろそろフルーツ公園に行こうか!」と、わざとらしいくらい元氣な口調で話しかけるわたしなのでした。

つづく

子孫の(うみのこの) 弥栄継ぎに(いやさかつぎに) 栄えしめ給へと。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

最近、わたしは小さな虹の光の中で目が覚める。
娘が母の日にくれた、スワロフスキーで作った手作りのサンキャッチャーのお陰だ。

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サンキャッチャーとは、太陽の光を部屋にたくさん運びこむアクセサリー。
欧米ではこの「Sun Catcher」を窓辺に吊り下げる習慣があり、「レインボーメーカーRainbow Maker」とも呼ばれ、光のインテリアとしても人気があるんだそう。
風水的にも部屋に太陽のエネルギーの光を与えて、邪氣を払うという。
娘の愛のパワーで、我が家の邪氣は雲散霧消するに違いない。

わたしのブログには頻繁にふんどし息子が登場するが、上に5歳離れた姉がいて、4歳と1歳の男の子の子育て真っ最中だ。

その孫達が可愛いのなんのって。

4歳の孫は性格も優しく穏やかで、幼稚園では人気者でお友達もいっぱいいるんだそう。
登園するとお友達が数人(女子多し)が駆け寄ってくるんだとか。
幼稚園と習い事のバレー教室では「王子」と呼ばれているらしい。

・・・おかしい。
うちの娘と息子は、揃って幼稚園が大嫌いだった。
集団生活が苦痛で、登園時間になるとテーブルの脚にしがみついて、泣いて嫌がった。
幼稚園から帰ってから遊ぶ相手を見つけるのに苦労するような子ども達だったのに。

小・中学校でも「親しいといえる友達をいかに作るか」「グループ分けでいかにしてあぶれることなく立ち回るか」等、人間関係で落ち込んだり悩んでいる姿をしばしば見かけた。

最終的には「一人で大丈夫だと腹をくくれば、学校で怖いものなんてなくなるっ!」というわたしの無茶苦茶な理論を押し付けられ、悪戦苦闘しながら不安定だった時期を乗り切ったのだが。

同じ血が流れているはずなのに、この違いは何だ?

1歳9か月になる下の子は、早くもオムツが取れそうだという。
上の子に比べると、きかん坊になる氣配が濃厚だが、いつも機嫌がいい。
「ママ。」「ママ?」「ママー!」「マンマーーーっ!!」と、全ての言語を「ママ」一語で押し通し、それでもコミュニケーションを成り立たせる凄腕の幼児。

そんな娘と孫達と、わたしはしばしば遊びに出かける。

先日一緒に行ったのは、横浜の三ツ沢にある「なんじゃもんじゃカフェ」。
人氣があるため、外で30分ほど待ったが、ぐずることもなくちゃんと大人しく待っている。
流石だ、我が孫達よ。

ツリーハウスがカフェになっていて、まるで宮崎駿の世界。

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カフェの中はロフトがあり、レトロな雰囲氣のテーブル席が2つ、風通しのよいテラス席が3つあって横浜の中心街が見渡せる。

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風が木を揺らしていく音が聞こえ、時間がゆっくり流れていく。
うっとりと景色を眺める孫。

総じて鑑みるに、孫達はいつも機嫌よく満たされている感じがする。
わたしの娘と息子は、わたし達夫婦の仕事の関係で常に手元には置いていたが、生活が不規則で、なかなか子どもの生活のサイクルに寄り添ってあげることができなかった。

待遇のいい企業で働いていた娘に、専業主婦になったらどうかと提案したのも、その悔いがあったからだった。
娘は学生時代に演劇を始め、大学時代にやはり演劇に没頭しているムスコ(娘の夫)と知り合って結婚し、子どもを授かった。
経済的には不安があったようだが、結局仕事を辞め、子育てと家事に専念した。
幸せそうな孫達を見ていると、娘達の選択は間違っていなかったと思う。

娘夫婦は孫達をコンサートに連れて行ったり、舞台に連れて行ったりして、小さいうちに出来るだけたくさんの「よいもの」に触れさせようとし、自分達も一緒に楽しんでいる。

そして美しいものを見たり聴いたりした思い出は、嬉しかったり楽しかったりした感情の記憶とともに、柔らかい孫の感性の中にしっかりと刻み付けられているようだ。

そんな孫達を「おー、よちよち」と猫可愛がりするのはとっても楽しい。
責任のないべたべたの可愛がり方ができるのはジジババの特権だ。

対して、いい大人になっている娘や息子に、未だに小言を言ってしまうわたし。
つい親として「このままではイカン!なんとかせねばっ」と、考えてしまうのだ。
こういう所が、親が「ウザイ」「うるさい」「メンドクサイ」と言われる所以だと、自覚する今日この頃。

だが娘が躾のために孫を叱っていると「そんなにうるさく言わなくてもいいのにねえ。よちよち。」と、婆バカ丸出しで甘やかしてしまうのは、いかんともしがたい。
しいて言えば、親戚の家の可愛い子犬を可愛がるのと、自分の家で飼っているワンコに対する態度の差か。

自分の家のワンコは、トイレの躾はしなければならないし、嫌がってもお風呂に入れなきゃならないし、叱ってでも吠え癖や噛み癖をなくさなきゃならない。
お金だってたくさんかかるし、死ぬまで面倒をみる覚悟が必要だ。
かかわり方が全く違うのだから、対する態度が全く違っても仕方がないのだ。
そして猫可愛がりしてくれる存在があるっていうのも、いいものなんだよ。

許せ、娘よ。

可愛い孫達よ。
世界は佳きもの、美しいもので溢れている。
存分にその中に身を浸して、味わい尽くして欲しい。

でも長い人生、順風満帆ばかりはあり得ない。
恐ろしいほど理不尽な目に遭ったり、目を背けたくなるほど醜いものが目に入ったりすることもあるかもしれないけれど、「人間万事塞翁が馬」。

人間も世界も状況も、常に変わるものだから大丈夫。
心配しないで人生を思い切り楽しんだらいいよ。

孫達のことを考えていると、日月神示の『子孫(うみのこ)の弥栄(いやさか)継ぎに栄えしめ給えと畏(かしこ)み畏みも白す』という祝詞の文言が頭に浮かぶ。

日月神示だけではない。
古来より神社で唱えられる多くの祝詞で、必ず子孫繁栄祈願の句が述べられるのは、子孫繁栄が往古から代々の祖先等を経て継承されてきた先人の最大の眼目であったからだ。

孫ができて初めて、先人達の氣持ちが本当に分かったような氣がする。
この世での役割が終わって肉体が滅び、あちらの世界に行ったとしても、我が愛する子孫達に手を差し伸べ、身を挺して守りたいと。

今の日本の状況を見ていると「どうかこの国が我々の子孫(うみのこ)にとってよき世界になりますように」と祈らずにはいられない。

つづく

母が冥途に行きかけた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

やっと「母が冥途に行きかけた」を書き終え、ホッとしたわたし。
だが、今朝母に電話をすると「昨日、知り合いの薬剤師の娘さんからK病院について酷い話を聞いた」という。

その薬局を利用している奥さんが「うちの主人は、あの病院に殺されたの」と仰ったんだそう。
その方のご主人は、K病院に緊急搬送され受け入れられたにもかかわらず、ベッドに空きがないと言われ、廊下で寝かされ、そのまま一日経ち、廊下で息を引き取られたのだという。

ふーん、それが「救急車を断らないことをモットーに、年間で約7,000台以上の救急車を迎え、救急を要する患者さまの診療を24時間体制で行っています」という病院の実態か。

そういえば、知人のおじさんがK病院を退院する際「ここでやられたことは一生忘れないからな」と看護師に捨て台詞を吐いたとか(いったい何をされたんだ?)、やる必要のない手術をされ大変な目にあったご近所の女性の話とか、凄まじい噂にことかかない。

なのに、何故か「K病院 口コミ」で検索すると評価3,7。

「患者の訴えを本人が納得いくまで聴いていただける」(え?医者はろくすっぽ診察にも来ないのに?)
「病院自体の管理システムがきちんと出来あがっておりそれが実行されておりその結果もきちんと壁にレポートされていました。安心できます」(この書き方、ホントに患者が書いたのか?)
「食事もそれなりに美味しかったのを覚えています」(絶対ウソ。もし本氣なら味覚障害者)
「外来で待っている時も救急車での搬送も多く、緊急対応にも応えてくれる医療機関だと思います」(引き受けはするけれど、その後の対応がオソロシイ)

ところがGoogle のクチコミになると、様相が一変する。
レビューはかろうじて2,5になってはいるが、「これは本当に一般の方が書いたんだろうな」という口コミの評価はほとんどが1。
かなり実態に近いと思われる。

「急患として運ばれた際、脱気のための応急的な処置と水封ドレーンをつけられ、そのまま入院。穴が塞がるまで様子を見るとのことでした。しかし、夏だと言うのに、病室の空調は最悪で、寝汗をかくほど暑く、ドレーンは大気圧のまま放置で、うまく脱気せず、胸が苦しくなるときもあり(後で知ったのですが、陰圧をかける装置を普通はつけるそうですね)、地獄のようでした」(ここにも地獄出現)
「入院中、点滴が長引きお昼ご飯を遅めに食べてたら、看護助手のオバサンに食器をかたずけられた。半分くらいしか食べてなかったのに自分達の都合で下げられショックでした。二度と入院したくない病院です」(さもありなん)
「事故で行ったら写真とられただけで、会計8万でした。夜間診療高すぎない?」(そりゃ救急搬送断らんわ)
「救急車に運ばれた病院でしたが、他の病院と病名が違い救急隊員が心配する程。なぜか瞳孔開き激痛なのに待たされ、呆れる病院」(救急隊員も知ってるね、きっと)
「他の科はわかりませんが総合内科は最悪でした。病院の受付もやる気無さそうだし態度悪いしもう二度と利用したくありません。あの病院は老人には優しいけど自分のような若者には態度が最悪です。特に若い方は利用しないことをおすすめします。」(いや、老人にも最悪です)

口コミって当てにならないとは思っていたけど、確かにこのご時世、しっかり情報収集しないと騙されちゃう。
世の中トラップだらけだから、重々注意しないと後悔する羽目になる、と学習した。

もちろん外来患者と入院患者の違いもあるだろうし、かかる科や担当のドクターによっても違いはあるだろう。
物事に対し、一方的な見方は危険だということも知っている。
ある人にとっては最悪でも、ある人にとっては素晴らしいところだということだってあるだろう。
どんな病院でもいろいろな評価があるのは当たり前だし、それをいちいち目くじらを立てて取り上げるのもいかがなものか、とも思う。

それにしても、だ。

実際見聞きしたあの病院の出来事は、「医療」というにはあまりにもお粗末で、あきれ返るものだった。
いや、意外に医療の世界では特別なことではないのかも。

わたし達は「現代医学」「先進的な医療技術」というスマートな言葉や外観に惑わされてきたが、その実態は思いの外、いびつで寒々しい荒野のような景色が広がっているのかもしれない。

今回、K病院についてあれこれ書いたが、実は書くべきかどうか迷いがあった。
が、 「救急指定病院で、しかも地域医療支援病院の承認を受けるなど、社会的にデカいツラしてるくせに(言葉悪し)、誰にも何も言われないのをいいことに、あんなヒドいことを日常的にしているとは。許せんっ」という氣持ちが強くなり、書くことにした。
(もちろん社会正義などという高尚なものではなく、「うちの母に何してくれちゃってるの?フザケルナ」という私怨ですな)

本当だったら実名で書きたいくらいです。

でも考えてみれば、自分の健康を人様に頼って維持しようというのも図々しいと言えるのかもしれない。
そりゃ親兄弟でもないのに「誠意に満ちた思いやりのある世話をしてくれ」という方がどうかしている。
赤の他人に自分の体の状態を丸投げしておいて、そんなことを求めるのは虫がよすぎないか。
言い方は悪いが、医療者から見れば、患者は仕事上の1ピースに過ぎないのだから。

だが、「病院に行けば必ず病氣がよくなる」「医療者なんだから、ちゃんとわたしが健康になるよう努めてくれる」という刷り込みは、病院経営者にとって好都合だ。

近頃、わたしは検診にも行かないし、病院にも一切行かない生活を送るようになった。
レントゲンやCT、血液検査もやらなければ、もちろん予防注射もしない。
「もっと自分の体を大事にしなければ」と思う人もいるだろうが、大事にしているからこその選択だ。

如何に医学会がいい加減で、金儲けに身をやつしているかが如実にわかる例は、血圧の基準値の改竄だ。

1970年代以前、「年齢数に90を加えた数字よりも低ければ、血圧は正常」という診断法が主流であり、1987年の高血圧の基準値は180 mmHgだった。
今では老いも若きも血圧の基準値(正常値)は、年齢に関係なく130 mmHgとされる。
血圧は年齢とともに上がるものなのに。

ということは、年取って病院に行けば、日本人は全員薬を飲まされるってことですな。
アホクサ。

何も知らなかったわたしは、主人が亡くなった後、血圧が高めの日が続き「お守り代わりに飲みましょう」と、医者に軽く言われるままに降圧剤を飲み始めたが、後で一生飲み続けなければならないことを知り、愕然とした。
後に、降圧剤は認知症の原因になりうると聞き及び「脳梗塞よりボケ老人になる方がコワいわっ!」と、自己責任で止めた。

以前は毎日血圧を測っていたのだが、今は「血圧が高そうだな」と思っても、血圧計で測ることすらしなくなった。
測ったところでいいことは一つもないから。

わたしは対処法として、玉ねぎをスライスし、しばらくしてから酢醤油で戴く。
さらに息子に教わった、耳と喉にある「血圧を下げるツボ」をぐいぐい押しまくる。
とにかく塩梅よく症状をやり過ごすことに専念する。

とにかく「病院に出来るだけ近寄らない」というのが、わたしの健康法だ。
「自分の身は自分で守らなければならない」という使い古された言葉が、現代ほど必要とされる時代もないのかもしれない。

「わたしにとってわたしは『ただの1ピース』ではなく『全て』なのだから、神様に戴いた命を全うするためにも、最善を尽くそう」と心に誓うわたしなのでした。


つづく

母が冥途に行きかけた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

夕方5時、約束の時間にナースステーションに向かう。
母の主治医は、人のよさそうな中年の男だった。

母をできるだけ早く退院させたいこと、そのために自分でトイレに行けるようにして欲しいこと、万が一何かがあっても胃ろうや気管切開などの処置はしたくないことなどをお話する。
主治医は「そうですね。オムツは人間としての自尊心を傷つけますから」と言ってくれ、近くにいたナースに「この患者さん、ドレーンはやってないんだろ。今日からトイレに行くようにしてあげて」と言った。

その時のナースの反応、皆さんにもお見せしたかった。
間をおいて「・・はあ、わかりました」と渋々言い(わたしにはそう見えた)、ナース同士目を合わせる。
「えー…、メンドクサイ。誰がやると思ってんのよ。」という心の声が聞こえてきそう。
「何、簡単に言ってくれちゃってんの、このオッサン。そんなことをすることになったら、仕事が増えちゃうだろ」と言わんばかり。

そういえばお年寄りばかりいるこの階で、何故かトイレに付き添われている人を見たことがない。

この後、母は胃潰瘍があることが分かり、その治療のため退院時期が延びることになった。
わたしは母に「このまま入院が長くなったら大変だよ。頑張って早く退院するようにしなきゃホントに冥途に行くことになっちゃうよ。」とはっぱをかけた。

母は「自分の人生、今が正念場!」という意識が芽生えたらしく、頭の方はどんどんクリアになっていく。
さらにオムツを付けられ歩くこともできず、すっかり足の筋肉も衰えてしまったことを自覚し、こっそりと寝ながら足を上下するなどのリハビリを自分なりに開始した。

そんな母は、わたしが病院に見舞いに行くたびに、この病院の実態を事細かに伝えてくる。(いわゆる「チクる」ってやつですな)

「ここは本当に地獄だよ。前に寝ているあのおばあさん、オムツを変えてほしいって言うんだけど、看護婦さんは『忙しい』と言って全然来てあげないの。そうすると『看護婦さ~ん、オムツ変えて~』って、一時間ぐらいずっと言っているんだけど、無視。そのうちオムツを変える時間が来て、一斉に部屋の人全部のオムツを変えるんだけど、寝ている人を起こしてまで変えるくせに、そのおばあさんは一番後回しにされちゃうんだよ。ありゃ、いじめだよね」
「わたしもオムツが湿っていて氣持ちが悪いから変えてほしいっていうと『3回は大丈夫だから、オムツの中でしてください』って言われるの。でも湿っているから冷えちゃうし、本当に不愉快」
「親切な看護師さんもいて、その人にトイレに行くようにしたいからパンツ式のオムツに変えてもらったんだよ。そうしたら別の看護師が『そんな必要はない』と言って、そのパンツをむしり取るようにして脱がされた」
「看護婦さんを呼んでも、ちっとも来てくれない。時間を計ったら1時間半も待たされていた」
「普通の病院は、毎日じゃないにしても医者が回診するのに、ここはそれがない。医者はちっとも顔を出さない」

母は入院のベテランだ。
今まで病氣や怪我、事故等で10か所ほどの病院にお世話になっている。
その母をして「最低だ。地獄だ。」と言わしめるK病院、恐るべし。

母は看護師に頼るのを止め、秘かに我流のリハビリを開始するとともに、こっそりと看護師達の言動をチェックし始めたようだった。(母にとっては病院で世話してくれる人はすべて看護師と認識しているので、助手かもしれない)

「ここの看護師は本当に質が悪いね。言葉遣いも乱暴だし。看護師に『おばあさん、タバコ吸うの?』と聞かれたから『吸うよ。娘と孫にアイコスをもらったから、時々それも吸う』って言うと 『それ、持ってきてよ。ちょうだいよ』と言うんだよ」
「隣の病室で『家に帰りたい』って騒ぐ人がいるんだけど、その人に対して『うるせえ!静かにしろよ!!』ってすごい乱暴な言い方で脅すんだよ。そうするとその人は余計泣き叫ぶ。まるで暴力団みたいだよ」
「この前、ナースステーションのそばの部屋に移されたとき、夜中あんまりうるさいから文句を言ったんだよ。なんかパーティみたいなことをやってるから。そうしたら「この病院を選んで来たんだから、ここのやり方に従ってもらう」と言われたんだよ。年寄りの病棟で文句を言う人がいないからやりたい放題だ」

わたしは最初この話を聞いた時「病院でパーティって・・。そんなワケないだろ。まだらボケか?」と疑った。
でも、どうやらそうともいえないらしい。

確かに見舞いに行くと、隣の病室から叫び声が聞こえ、看護師の大きな声が聞こえてくる時がある。
見舞客のいなくなった老人ばかりの病棟は、夜になると看護師たちのやりたい放題という可能性はあると思う。
それって、ある意味そこらへんのホラーよりも怖い氣がする。

この病院の老人病棟が、一部男女同室なのにも驚かされた。

効率が優先なのか?
年寄りは性なんて関係ないのか?
オムツの脱ぎ着や清拭もある病室で、カーテンがあるとはいえ、いかがなものか。

手のかかるお年寄りを預かってもらっているのだから、家族からは苦情なんて出ないに違いない。
もちろん本人たちは固く口を閉ざしている。
看護師達に日常的にお世話になるから、黙らざるを得ないのだろう。

大金が病院に支払われているにもかかわらず、我慢を重ね、肩身の狭い思いをしているお年寄りの姿は、もしかしたら何年後かのわたしの姿だ。

今回わたしの書いたことが、一方的な物言いであることは承知している。
わたしや母の見聞きしてきたことは、医療の本質とは程遠いものであるのかもしれない。

「病院経営は大変なのだ」「医療現場は慢性的な人手不足で、医師も看護師も心身ともにすり減らしているのだ」「何も知らない人間が、勝手なことを言うな」などというお叱りのご意見があるのを承知の上で、今回この文章を書いている。

もちろん世間は良心的な病院が大多数なのだろう。
でも、こうした入院患者の現実があるのも事実だ。
これが救急指定され、「安心と思いやりの医療」がモットーの、社会的に認知された病院の実態なのだ。

「病院に行きさえすれば病が良くなり、最善の処置をしてもらえるはず」と信じ込んでいる現代人。
それは大いなる錯覚だ。
ある意味、現代医療に対する思い込みは信仰に近い。

「医療者は常に病人の体にとっていいことをしてくれるものだ」という考えは幻想であり、勘違いだ。
「医療者は常に病院の利益と自分の都合や立場にとっていいことをするものだ」というのが正解なのではないだろうか。

結局、母は病院でのリハビリを断り、3週間で無事退院できた。
だが、もしあのままオムツを外せず、筋肉が衰え、ボケ症状が出て、そのまま冥途に行くことになったとしたら、どうだろう。
不屈の根性で幸せを勝ち取り「わたしは幸せ」と言っていた母は、あの世で猛烈に悔しがり後悔したに違いない。

終わりよければすべてよし。
逆に言えば、終わり方に納得がいかなければ、冥途の旅路はつらいものになるはずだ。

「・・・やはり野垂れ死んだとしても、病院にはできる限り行かないからね。」とふんどし息子に呟いたわたしなのでした。

つづく

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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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