母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(6)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

大分、熊本の地震が起きてしまい日本中が騒然となっている今、こんなブログを書いていてはお叱りを受けそうな空氣が漂っている氣がします。

ただここのところわたし自身の周辺に起きた不思議な出来事を考えると、一つ一つに意味があり、今年2回も奄美に行ったことにも何か意味があったのかもしれない、と思うようになりました。

使い古された言葉ですが、人生には無駄がなく、出会いや様々な事象には思っても見なかった意味が隠されているのかもしれない、と心から感じています。

ということで、お許しがあればその「不思議なお話」を早いとこ書きたいと思い「母と第一回冥途の土産旅行に行ってきた」をとっとと終わらせるべく、最終話を書いていきたいと思います。

奄美に来て、杖を忘れてしまうほど元氣になった母。
やれ、めでたや。

奄美最終日のホテルでの夕食に、鶴先生ご夫妻がご一緒してくださることになった。
お酒を戴きながら島料理の舌鼓を打ちつつ、奄美の旅のあれこれに花を咲かせる。

母が「この間連れて行って頂いた今井権現では鳥居に入ったところでお詣りしたけれど、あのスゴイ石段3段までなら登れる氣がしたの。登りたかったわ。」と言い出した。
スルメを片手に泡盛をチビチビ飲みながら「また来ればいいじゃん。」とおざなりな返事をするわたし。

が、心優しく親切なお二人から「もしお母さんが行きたいのであれば、心残りのないように明日も今井権現に行き、石段を上ってみたらどうでしょうか?」とのお申し出をいただく。

いや、一昨日連れて行って頂いたばかりだし。
そしてまた今井権現に行くとなれば、Oさんは海に入って頭までかぶる禊をしなければならない。
わたし達のような知り合ったばかりの人間のために、そんな時間も手間もかかる事を続けざまに2回もして頂くなんて、申し訳なさ過ぎる。

ご辞退させて頂いたが、結局お二人のご厚意に甘えさせて頂くことになってしまった。

満面の笑みを浮かべる母とOさん。
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(この二人の顔、妙に似てる氣がするのはわたしだけでしょうか?)

その後ホテルのわたし達のお部屋に場所を移して、楽しい夜は更けていったのだった。

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翌朝、荷物をまとめ、鶴先生ご夫妻のお宅に伺う。
こうして見ていると、息子か娘の家に遊びに来た姑のよう。

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初めて母とお会いさせて頂いた日に、Oさんから「父に似ている」という話が出たが、お写真を見せて頂くと笑ってしまうほど本当に似ていて驚いた。

皆で再び海に禊に行く。
鶴先生が浜で母に長命草を採って下さった。

わたしは初めて知ったのだが、奄美には長命草(チョウメイソウ)という植物があり、浜に普通に生えている。
一年を通じて海辺の岩場で自生し、茎や葉は野菜としても利用され、天ぷらやおひたし、青汁などにして食べられんだそう。
強い生命力があり、青々とした大きな葉は澄んだ深い香りがするらしい。
奄美の豊かな自然は、人々が生きていけるたくさんの美味しい食べ物を、そこかしこで与えてくれている。

山野草の好きな母は、目を輝かせて喜んだ。
(帰宅後、戴いた長命草を天ぷらにして食べたらとっても美味しかったらしい)
母と鶴先生は傍から見ると母娘のようにも見える。

この後今井権現に着くと、母はすぐさま無言で木の根やゴツゴツとした岩がある石段を、杖も持たず上り始めた。
氣が付くと3段ではなく4段まで上っていたので、きりのいい5段まで上らせる。

一仕事を果たしたように、満足げに階段を見上げる母。

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しばらくしてやっと表情が柔らかくなった。

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優しい鶴先生ご夫婦は母に手を貸して下ろしてくださり、無事、母念願の今井権現詣りを済ませることができたのだった。

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山を下り、そのままお別れするつもりでいたが、昼食までご馳走して頂き、さらに奄美空港までお見送りに来てくださった。(あいにく時間が間に合わずお会いすることはかなわなかったが)

すでに1か月経った今でも、母はリビングに飾った貝を見るたびに「奄美に息子と娘がいるような感じがする。」と呟く。
(母の息子や娘であれば、わたしにとっては兄や姉ですな。)

母にとっては、まるで夢のような旅だったようだ。
奄美の島が繋いでくださったご縁は、母にとって宝物になっている。
もちろんわたしにとっても。

今回の旅で、日本人の「おもてなし」や「親切心」の原風景を見せて頂いたように思う。
本当に多くのことを教えて頂き、感謝に堪えない。

お招きくださった奄美の神々様、Oさん、鶴先生、5マイルの皆さん、奄美でご縁のあった方々、本当に、本当にありがとうございましたっ!

つづく


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母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(5)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

桜の花もすっかり散ってしまい「お名残惜しい」という氣持ちを一年のうちでこれほど強く感じる季節があろうか、と思う今日この頃、皆様どのようにお過ごしでしょうか?

わたしはここのところ、あまりに時間の過ぎ去り方が早くてオソロシイ。
奄美に行ったのはほんの1か月前のはずなのに、体感的にはもう半年は過ぎた感じ。

旅行中のあれやこれやも忘却の彼方に消えてしまいそう。
そして体重は一向に戻る氣配がないのは、どうしたことであろうか・・。

それはともかく。

加計呂麻の5マイルでは、大満足の夕食に加え、美味しい朝食も堪能した母。
当初はレンタカーで加計呂麻を巡ろうと考えていたのだが、お腹いっぱいの母の様子を見ているとそれも無駄に思え、急遽奄美本島に戻ることにした。
オーナーの奥様のRさんにご相談すると、9時20分の海上タクシーで行くといいと教えて下さり、港まで送って下さることに。
わたし達と小さなお子さんお二人を車に乗せ、港に向かった。

すでに数名の方が、海上タクシーに乗るために港で待っている。
ブロックに座っていた年配のおばちゃん二人がRさんのお子さんに声をかけた。
「ちょっと見ないうちにすっかり大きくなったね。」という言葉を皮切りに、日常の会話が続く。
聞いていると、皆さん顔見知りで地域全体で子育てをしている様子が窺える。

いいなあ、こういうの。

おとうは海で漁に出たり、大工仕事をやる。
おかあは畑で野菜を作ったり、お洗濯をしたり、美味しいご飯を作る。
子ども達は兄弟と庭先で遊んだり、親の手伝いをして過ごす。
隣近所は皆氣心が知れていて、子どもが悪さをしようものならしっかり叱ってくれる。

そりゃ住んでいれば面倒なこともあるだろうし、息苦しくなることもあるだろう。
いいことばかりじゃないのは分かってはいるが、それでもやはり憧れる。

わたし達はこういう生活を捨て、一見便利で自由な生活を手に入れたようにみえる。
が、いったい「自由」とはなんだろう。

横着で怠惰になることか。
自分だけ、今だけよければいい、という近視眼的生き方をすることか。

そうこうしているうちに海上タクシーが岸壁に着いた。
とにかく母を乗せなければ、と荷物を港に置き母に手を貸すが、足元の不安定さに母は足がすくんでしまう。
すると港にいた男性がさっと支えてくれたかと思うと、一緒に母を乗せてくれ、氣が付くと別の方がすでに荷物を船に載せてくれていた。
そしてお礼を言う間もなく、何事もなかったかのように席に着いた。

ありがたしっ!

島の人たちは皆、とても優しい。
ここの人たちには、わたしが子どもだった頃の町の人たちと同じ雰囲氣がある。
ここには、人が生来持っている「良きもの」を引き出す空氣が流れているように思う。

しばらくして海上タクシーは古仁屋港に着き、再び皆さんのお力添えで無事岸に上がることができた。

「せとうち海の駅」でお土産を買い、売店のおばちゃんの「とてもきれいなところですよ。」という言葉に従って、ホノホシ海岸とヤドリ浜に車を走らせた。

風光明媚な景色が続く。
が、母の表情はいまいち冴えない。
車を停めて景色を見ようと言っても「車の中から見えるからいい。」と言って降りないところを見ると、もう南国の景色には飽きてしまったのかもしれない。

あー、無理して加計呂麻でレンタカーを借りて観光しなくてよかった。

母がトイレに行きたいというので、早々に「せとうち海の駅」に戻る。
まだ11時半前だ。
これからゆっくり今日の宿に向かえば、母もそんなに疲れないだろう。

杖をつきながら「せとうち海の駅」を見て回っていた母が、2階のレストランの前で動かなくなった。
じーっとショーケースとメニューを交互に見ていたかと思うと「昨夜の伊勢海老、美味しかったわあ。ここにも伊勢海老汁があるのね。でもこれを食べるには刺身定食を頼まなきゃならないのかしら。」と言い出した。

ウソでしょ?
朝食をとったのは8時だから、わたしは全然お腹空いてない。

「でも、まだ11時半だよ?」
「いいじゃない。お腹空いちゃったわ。これからどこでお食事をとれるか分からないし。」

ため息を押し殺しつつ聞いてみる。
「じゃ、お母さん、伊勢海老汁のついている刺身定食でいいのね?」
「わたし、昨日ここでカレーを食べている人を見ていて、カレーが食べたいと思っていたの。だからカレーにするわ。」

・・・ということは、わたしが刺身定食をとらなきゃいけないワケね。
とほほ。
お腹、全然空いていないんですけど。

昨日から食べたかったという言葉に違わず、しっかりカレーを平らげ、伊勢海老汁、刺身も戴いた母。

いったいこの健啖ぶりはどうしたことか。

訝しみつつ古仁屋港を後にし、奄美の誇る孤高の画家、田中一村の終焉の家に寄ったり、スーパーでお土産を買ったりしながら今日の宿泊するティダムーンに3時ごろたどり着いた。

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最終日だから奮発して、温泉、プール付きで海が一望できるちょっといいホテルにしてみた。

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ホテルの部屋で一息つき、母と売店に向かっていると。
ん?
何やら違和感が。

母が「あら?杖を部屋に忘れてきちゃったわ。」と呟いた。
驚いたことに、確かにバッグだけ持ってシャカシャカと歩いている。

クララが立った!
じゃなくて、杖なしで母が歩いた!

昨日まで、杖がなければ不安そうだったのに。
そして杖をついてもゆっくりとじゃなければ歩けなかったのに。
忘れちゃうくらい、しっかり歩けるようになったってことか。

今井権現の鳥居を出た途端、母が「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだことを思い出す。
こういうことであったか。

母と顔を見合わせ、にやりと笑い合う。

母は奄美に来るべくして来たんだね。
よかった。
本当によかった。

奄美の神様、本当にありがとうございました。

ちょっぴり親孝行ができた氣がして、嬉しくなったわたしなのでした。

つづく





母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

こうしてダラダラ旅行日記を書いていると「何をくだらないことをコマゴマと・・。」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

が。
これはほぼ100%実話のわたしの個人的な日記のようなもの。
薄れゆく記憶の抑止力になれば、と思いつつ、暇に任せて書いている次第。

だから「くっだらねー。」と思われて当然です。
(わたしも読み返すと「くっだらねー。」と思うことがしばしば)

でも、わたしはくだらないものが大好き。
わたしと同じ「くだらないもの好き」でお暇な方のみ、お読みくださいませね。

さて、菩薩のようなご夫婦のOさん達とお別れして、レンタカーで古仁屋港を目指します。
今日は船で加計呂麻島に渡り、前回奄美に降った115年ぶりの雪のせいで泊まれなかった「5マイル」に一泊する予定。
あー、楽しみ。

予定より早く1時半ごろ古仁屋港に着く。
海上タクシーの待合所にいた人に聞くと「この時間だと2時のフェリーで加計呂麻に渡るといい」と教えてくれた。
フェリーのチケットは「せとうち海の駅」で売っているとのこと。
車を一晩置ける駐車場は離れた場所にあるので、母が歩かなくて済むように「せとうち海の駅」の前で降ろす。

戻ってみると、母はお土産を見たり、海産物を扱っている料理屋さんを覗いたりして歩き回り、なにやら楽しそう。

ん?なんだか元氣になってないか?
もっと見て歩きたそうな母を、帰りにまた寄るからと説得しフェリーに乗せる。

前回はここで2回の虹を見、加計呂麻でも2回見たんだっけ。
その中にはダブルレインボーもあり、とてもきれいだった。

まさかあれから2か月たたないうちにまたこの地に来させて頂けるとは。
それも老いた母を連れて。

本当にありがたい。

加計呂麻に着くと、5マイルのオーナーの奥様のRさんがお迎えに来て下さった。
フェリーに頼んでおいたと思われるいろいろな食材等を車に詰め込み、宿に向かう。
島の方々の生活にとってフェリーは、生命線ともいえるものなのだろう。

5マイルはプライベートビーチのすぐそばにコテージが建てられている宿。
虹の島の5マイル

海と同じ色のコバルトブルーに塗られたコテージは、ご主人手ずから造られたものらしい。
この日も、小さいお子さんの遊ぶ芝生のお庭でベランダ作りをされていた。

静かなビーチの目の前にはハンモックがあり、カヤックで遊ぶこともできるんだそう。

が、婆さんの二人旅にはハンモックやカヤックは似合わない。
「浅瀬でひっくり返ったカヤックの下で溺死した老女」とか「プライベートビーチの極彩色のハンモックから落ちて脳挫傷の老女」とか洒落にならないからね。

他にすることもないので、貝を拾いに行こうと誘い、ビーチをしばらく歩き回り母と一緒に貝を拾ってみた。
Oさんに貝を戴いたときにはあんなに嬉しそうに慈しむように貝を見つめていた母だが、自分でやる貝拾いはなんだかつまらなそう。

その後、寅さんのロケ地にもなった大きなガジュマルにも連れて行ったが、やはりいまひとつ感動は薄い。
ふーん、という感じ。

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5マイルに戻り、夕食の時間を待ち食堂に行くと。

おおっ!
テーブルには立派な伊勢海老のお作りが!!

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後から聞いたところによると、マングローブ茶屋で鶴先生にお会いした際、母が「わたしは海老が好きなんです。」と言ったのを氣にかけてくださり、Rさんに電話して頼んで下さったらしい。
それで漁師でもある5マイルのご主人が、海に潜って伊勢海老を捕ってくださったんだとか。

母は「わあ、なんて素晴らしい海老!」と、感嘆の声を上げる。
今まで見た中でも最上級の笑顔。

他にも魚のフライやら島豆腐や車麩とカボチャの煮物等、丁寧に作られた心づくしのヘルシーなお料理が並んでいる。

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一口食べてみると。
・・・美味しいっ!!

LOHASで体に優しいお料理って「すっごく美味しい。」というイメージがないけど、ここのお料理は本当に文句なく美味しい。
母はと見ると、持ってきたウィスキーに氷を入れてもらい、大満足の様子で一つ一つのお料理を楽しみつつ戴いている。

料理にうるさい母だが、その表情はとっても嬉しそう。
コテージに戻ってからも「美味しかった!」を連発する母。

よかったね。
やはり人間いくつになっても食のヨロコビって大事なんだね。
貝やガジュマルに対する態度と伊勢海老を見た時の母の態度の差は、人間の根源的な欲求の強さの差ともいえる。

それにしても鶴先生のお心遣いはとてもありがたかった。
母の輝くような笑顔を思い出すと、鶴先生ご夫妻、5マイルのオーナーご夫妻、そしてご縁のあった方々に感謝の念が湧きあがる。

コテージには波の音が響いている。
やがて母の安らかな寝息が聞こえ始めた。

つづく

母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

初めての奄美の夜を上機嫌で過ごし、朝を迎えた母。
今日は母のたっての希望で「聖地のような雰囲氣」の今井権現に再び参拝させて頂きたいとOさんと鶴先生にお願いし、連れていって頂くことになっている。

ただ、今井権現の石段はあまりに険しく、杖をついてもふらつくような母には社殿まで登るのは難しいので、鳥居をくぐらせて頂いた先でお詣りさせて頂くことにした。

朝食を終えた頃、Oさんと鶴先生がお迎えに来て下さり、前回Oさんとふんどし息子が海に入ってふんどし禊をした海の禊場に向かう。

歩きにくい岩だらけの砂浜で、杖をついた母に手を携え、いろいろお話をしながら海に連れて行ってくださる鶴先生。
まるでワガママな姑に優しく仕える日本昔話に出てくる、できた嫁のよう。

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「ありがたや」と二人の背後で手を合わせるわたし。

わたし達は波の花をすくい7回降り掛け、口を漱いで禊を終える。
Oさんはと見ると、離れたところで頭まで海に入るふんどし禊をされたらしい様子。
浜で砂を集めた45リットルのビニール袋を2袋車に乗せ、今井権現に向かった。

母を車に座らせ、前回同様皆で掃除を始める。
そしてビニール袋の白砂を鳥居の前に撒いた。
雨で土が流れてしまうので、こうして浜から砂を持って来て撒くらしい。

準備が整ったので、母の手を引き一緒に鳥居をくぐる。
今井権現は三拝三拍手一礼でお詣りをするとのこと。
Oさんが母とわたしを今井権現の神様にご紹介してくださる文言を述べてくださった。

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鳥居を出た途端、母が「うん、大丈夫って言われた。」と叫んだ。

え、マジで?
そ、そりゃよかった。

実は母は幼少より不思議な体験を多々している。
だからこんなことを言い出しても不思議でもなんでもないんだが、あまりに唐突だったのでちょっと驚いた。
つらつら考えるに、わたしの不思議好きはこの母によるところが大きいのではないか、と思う。

無事参拝を終え車に乗り込み、しばらくしてから母が「3段までなら登れるような氣がするわ。」と言い出した。

「登れるような氣がするわ。」って、あんた・・。
参拝中に言ってくれれば手助けしながら階段を登らせることもできただろうが、もうかなりの距離車を走らせてしまっているし、今日のスケジュールを考えると戻るのは無理だよ。

「参拝してる時に言ってくれればよかったのに。」と言うと「今そう思ったの。」と言い張る母。
名残惜しそうな母に「じゃあまた今度来て登ったらいいよ。」と宥めた。

Oさん達はわたし達にマングローブの観光遊覧船を提案してくださった。
ご自分たちも用があるからと言って、一緒に行って下さるとのこと。

途中知り合いの畑から枝付きのたんかんを採って下さったりと、とっても親切なお二人。

そんな中で母を最も喜ばせたのは、Qさんがさりげなく下さった色とりどりの数個の貝。
たぶん生まれてこのかた殿方にそんなものをもらったことのなかったであろう母は、少女のように頬を染め、矯めつ眇めつ貝を眺めた挙句「この貝、リビングに飾っておくわ。」ととっても嬉しそうに呟いた。
(この間母の家に行ったら確かに飾ってありました!)

よかったね。
冥途の土産、ひとつ増えたね。

Qさんの運転で名瀬まで行き、レンタカーに乗り換えたわたし達をマングローブ茶屋まで案内して下さった。

マングローブとは、特定の植物の名前ではなく、熱帯や亜熱帯地域の河口など、満潮になると海水が満ちてくるところに生えている植物をまとめてマングローブと呼ぶらしい。
南方系の樹木約30種以上が混成し、野鳥の宝庫となっているとのこと。

連れて行って頂いた高台のマングローブ茶屋から眺めると、くねったような川の帯に沿って緑がジャングルのように広がっている。

小さな遊覧船に乗り込むと、ガイドの男性がゆったりと河の流れに掉さしていく。

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「天然リュウキュウアユや天然記念物のルリカケス・アカヒゲ・リュウキュウアカショウビン等も生息している」とか「エンジンのある船は使用できない」といった地元のガイドならではのお話をききながら、船の揺れに体をゆだねる。

ピピピ、チイ、と小鳥の囀りが間近で聞こえる。
ピシャンと川面に魚が跳ねる。

マングローブのトンネルが現れたが、時にはあまりに近過ぎて、身体を船に押しつけなければならないほど。

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1時間弱の遊覧が終わる際、マングローブ茶屋に「うなぎ」の幟が掛かっていたことを思い出し「ここで天然のウナギが捕れるんですか?」と尋ねたところ、本当に捕れるんだという。

昔からウナギが好きだったが「近ごろは天然のウナギが高くて以前のようには食べられない」とボヤいていた母はこれを聞きつけると「今日のお昼は、ここで捕れた天然ウナギにしよう。」と目を輝かせた。

まだお昼ってお腹じゃないんだけど、ま、いっか。

マングローブ茶屋に戻るとOさんと鶴先生が昼食を終え、お茶を飲んでいらっしゃるところだった。

メニューを見ると「天然ウナギ」のお料理は2種類あり、ひとつは九州産の鰻重、もうひとつはマングローブで捕れたウナギ(味噌味)とあり、両方とも1800円とある。

ウナギの味噌味?
どんな味なのか、想像がつかない。

母はここで捕れたというウナギが食べたいと言い、味噌味のウナギを注文した。
・・・危険信号がわたしの胸に点滅する。

天然もののウナギを食べるためとはいえ、これはあまりに危険な賭けなのではないか。
リスク回避のため、わたしは鰻重を注文する。

あにはからんや、母は味噌味のウナギを一目見た途端、箸の先で味噌の味見をしただけで、わたしの目の前に寄こした。

これは・・ウナギ?
どちらかというとサバの味噌煮のような見た目だが。

肉厚の味噌ウナギを前に沈黙するわたし。

「あのー、もしよろしかったら一緒に召し上がって頂けますでしょうか?」と目で鶴先生に救いを求めつつお願いすると、鶴先生は「ウナギの味噌味って、初めてだわ。」と仰って菩薩のような微笑みを返して下さり、一緒に食べてくださった。

やっと味噌ウナギがなくなったと思ったら、後から来た鰻重を半分ほど食べて、またもやわたしに寄こす母。
こちらは蒲焼きというよりは、甘辛い醤油タレに漬込まれたぶ厚いウナギがご飯の上に乗っているというシロモノ。
仕方なく、またしても黙々と箸を動かすわたし。

でも。
もうこれ以上、無理っす。
3600円分のウナギ、重いっす(涙目)

わたしの記憶にはマングローブ≒恐怖の味噌ウナギ&甘辛醤油タレウナギの方程式が深く深く刻み込まれたのでした。


つづく

母と「第一回冥途の土産旅行」に行ってきた(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

12時10分発のJAL659便は予定時間を15分ほど遅れて出発した。
無事機上の人となった老婆二人。

母は奄美で美味しいものが食べたいと言う。
料理が得意でキリタンポが十八番の母は、テレビでやっていた奄美名物の鶏飯の汁の味見をしてみたいらしい。
・・・「鶏肉がキライだから食べられない。食べて。」と少しだけ突いた二人分の鶏飯を前に呆然とする己の姿が目に浮かぶ。
まだ小麦粉の塊が胸の辺りに残っている氣がするわたしは思わず「うぷっ。」となる。

どちらかというと行き当たりばったりが多い(というかほとんど全部)わたしだが、今回の旅行は、いつになく綿密に計画している。
なんせ疲れやすく足腰の弱った年寄りが一緒だから、初日から最終日までレンタカーを予約しているし、図書館で旅行マップも借りてきている。(あくまでも買わずに借りるというところがイジマシイ)
ガラケーしか持っていないので、その場でスマホで調べることもできないので、手帳に宿の住所と電話番号もしっかりメモしてきたし。

JAL659便は奄美に14時35分着の予定だったが遅延して、奄美に着いたのは15時近くになってしまった。
母は久しぶりの遠出に疲れたのか、少し無口になっている。

到着ロビーに向かっていると電話が鳴った。
1月の奄美行でお世話になったOさんからだった。

Oさんはアマミ舞の創始者花柳 鶴寿賀先生(以下鶴先生とお呼びします)と去年ご結婚された方。
ふんどし息子と一緒にふんどし禊をしてくださったり、奄美のいろいろな場所ををご案内して頂いたり、お酒をご馳走になったりと大変お世話になった。
だから今日はOさんのお宅の近くに宿を取り、宿に着いたらご挨拶に伺わせて頂こうと思い、ご連絡しておいたのだった。

電話に出ると、なんとOさんは鶴先生と一緒に空港にお迎えに来て下さっているという。
手荷物受け取り場から出口の外を見ると、お二人のにこにこと微笑まれている姿が目に飛び込んできた。

驚きのあまりワタワタするわたし。
ターンテーブルから荷物を取るのももどかしく、お二人の方に駆け寄った。

実は母が奄美に来たいと言い出した要因の一つにお二人の存在があった。

最初に鶴先生を拝見した時、「昔の母に面差しが似ている」と思った。
そしてそんな印象を前回来た時、鶴先生にもお伝えしたのだった。

わたしから見て、鶴先生と母にはいくつかの共通点がある。

二人とも「日本舞踊」をしているところ。
(鶴先生は日本中に、母は町内会にお弟子さんがいる、というスゴイ違いはありますが)
二人とも年の離れた人と結婚しているところ。
(鶴先生は10歳年下のOさんと大変円満なご結婚をされていて、母は20歳年上の父と大変不仲な結婚をしていた、というスゴイ違いはありますが)
さらに二人とも料理好きで世話好きで多くの人に慕われているところや、神事に大変ご縁が深そうだ、というところも「似ている」と感じた一因かもしれない。

そんな話を母にしたところ「一度お会いしてみたい」と言い出したのだった。

JAL659便の遅れもあり、Oさんと鶴先生は40分以上空港で待たれたに違いない。
なのにそんな素振りは微塵も感じさせず、お二人は嬉しそうなお顔で迎えてくださった。

レンタカーは一日キャンセルをし、お二人のお車でばしゃ山村というリゾートホテルのレストランに連れて行って頂いた。
先程まで疲れからか無口になりよろよろと歩いていた母は、急にシャンとした様子になり「娘があまりに奄美の自慢をするものですから来たくなってしまいました。」という言葉を皮切りに、怒涛のごとく喋り始めた。

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この症状はひ孫のお宮参り以来2年振り。
こうなった母は誰も止められない。
止めたらかえって怪我をする。

まあ、声は大きいわ、よく喋るわ、泣くわ笑うわ。
ついこの間、「あんまり先は長くないかもしれない。」と思わせたことなんて微塵も感じさせない饒舌さ。

さぞかしお二人とも驚かれたに違いない。
が、そこはお優しい鶴先生とOさんのこと。
にこにことどこまで続くか分からない母の話を聞いて下さる菩薩のようなお二人。

ありがたや。
母は長年お付き合いした人にも話さないような体験談や人生経験を、息つく間もなく話している。

鶴先生は母のために「皆で少しずつ戴きましょう。」と言って、鶏飯を頼んで下さった。
案の定「やっぱりあんまり食べられないわ。」と言って残した母。

ああ、ホントにありがたや・・・。

その後一泊目に宿泊する「なべき屋」に送って頂き、夕食後お二人が来て下さることになった。
早めの夕食を戴くが、ここはそれでなくてもお食事の量が多い。
自分の分を食べるだけでも精一杯なのに、案の定、母のあまり好きではないお料理は皆わたしのテーブルの前に並べられることとなった。

それはそうと。

わたしは時々思うのだが、若い女性にとって「痩せている」ことが自慢になるように、母に限らずお年寄りと話をしていると「少食であること」が、どこか誇らしげに聞こえるのはわたしの氣のせいだろうか?
やんごとなき方々がどちらかというと「少食」なイメージがあるように、「少食」は上品であるという思い込みがあるからなのか?
それとも戦後の食糧難の時代を生きた人間にとっては、「少食」であることは「いいこと」という刷り込みがあるからなのか?

わたしは美味しく食べ、楽しく飲み、大声で笑う年寄りになりたいと思っている。
ラピュタに出てくるドーラのような。(とはいってもドーラは50歳でわたしより年下。「だてに女を50年もやってないよ」って言ってるもんね。)

それはともかく。

8時過ぎにお二人はわたし達のコテージに来て下さった。
Oさんと一緒にお酒を飲ませて頂いたが、母の勢いは止まらず、いや、寝酒のウィスキーを飲んでさらに加速し、母の奄美の初めての夜は更けていったのだった。

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つづく
プロフィール

マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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