還暦のお祝いをしてもらいました。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

先日のブログで、わたしはこの一月にめでたくも還暦を迎えたとお伝えしましたが、その後、娘家族とふんどし息子が還暦のお祝いをしてくれました。
場所はわたしの大好きな鎌倉の懐石料理店「鎌倉山倶楽部」でやってくれるとのこと。

もとから貧乏性のわたし、「そんな派手にお祝いしてくれなくていいよ。お金がかかってもったいないし」と、固辞しようとした。

だって、ふんどし息子は鍼灸院を開業したばかりだし、ムスコ(娘の夫)は劇団の主宰や演出という先の見えない仕事の上、子育て真っ最中でそんなゆとりがないのは痛いほど知っているから。

が、「こんな時にやらなくてどうするの?次にやるとしてもかなり先までないんだよ?」と娘に諭され、「もし次のお祝いが米寿だとしたら、28年後?・・・生きているかどうかもわからない」と悟り、ありがたく感謝してやってもらうことにした。

当日は快晴。
せっかくだから着物を着ていくことにする。

もちろん、わたしが自身で求めた着物は一枚も、ない。
昔、お洒落が好きで踊りの師匠だった母は、日常生活でも着物を着ていた。
生活に余裕があったころ、母はやたらと着物を買い込んでいた。

母から「あなたの嫁入りのとき、着物代だけでもすっごくかかった。」なんて話を聞く度、一人で着物を着ることができなかったわたしは、心の中で「その分、お金でくれたらよかったのに」と思ったものだ。
さらに母が年を取り「この着物、あげる」と箪笥いっぱいの着物を渡された時「「これをどうしろっつーの?着るたびに誰かに着付けをしてもらわなきゃならないし、片づけは大変だし(着物の畳み方も知らなかった)場所ふさぎだし。ああ、これが現金だったら・・。」と、ため息まじりに罰当たりなことを考えたものだった。

結局、もったいながりのわたしは「これはなんとかせねばっ」と一念発起して、母から着付けを習い(お金のかかる着付け教室には行かない)無事、なんとかひとりで着物を着られるようになった。

ま、「着られるようになった」といっても超テキトーな着付けですが。
人間、必要に迫られればなんとかなるもんですな。

鎌倉山倶楽部は、昭和の初めに東京の政財界、文化人の別荘地として開発された鎌倉山の高台にある。
門をくぐり石段を登ると、梅の花がふくいくと香り、春の訪れを告げている。

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和服姿のお店の方が出迎えてくれ、昭和の趣の二間続きの和洋室に通された。。
ここは全室個室になっていて他のお客様を氣にせず、子ども連れでも料理、景色や雰囲気を楽しめる。
5歳と2歳の男の子が同席する会食では、とてもありがたい。

まずムスコ(娘の夫)が皆を代表して挨拶をし、宴が始まる。
皆で乾杯をした後、季節の料理が運ばれてくる。

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季節を感じられる心のこもった料理と繊細な味付けに舌鼓を打つ。

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孫達は食事の途中で遊び始めたが、個室なので他のお客様を氣にすることなく会話が弾む。
音楽もかかっていないので、時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。

ゆったりと豊かな時間が流れていく。
なんという贅沢な瞬間だろう。

「幸せ」という波が、空間を満たしていく。

食後、2階のクラシカルな洋間に通される。
デザートとお茶は場所を移して戴く趣向だ。

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木枠の窓からは、遠くに海や富士山を眺めることができる。
早春の鎌倉の海は、緑の向こうにたおやかに輝いている。

席に着くと、娘と息子がお手紙を用意してくれていた。
温かい言葉が胸に沁みる。

ここまで歩んできた道のりを回想しつつ、この子ども達との縁を授けてくださった神様と亡き夫に、改めて感謝の念が沸き上がる。

そしてふんどし息子からは赤ワインを、娘家族からは赤を基調とした花束をもらった。
さらにお店からケーキのサービスも。

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(インスタ映えする写真を撮るべく格闘するふんどし息子と娘)

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人生いろいろあったけれど、ジグザグに歩いたこともあったけれど、間違っていなかったんだ、と実感できたひと時。
子ども達にも、ここに来るまで出会ったたくさんの人達にも、本当に助けられてきた。

うっうっう。
ありがたいよう。
シアワセだよう。

老後の貯金がなかろうが、年末年始にかけて体重が4キロ増えようが、それがなんであろうか。
佳き哉、我が人生。

今日のお礼にささやかながらわたしから娘夫婦、ふんどし息子に、お揃いのぐい飲みをプレゼントした。
東久留米市にガラス工房を構える渡邊徳明さんの作品だ。
透明なガラス素地に月の形に金箔が重ねられた作品は、シンプルながらも手作りのぬくもりや華やかさが感じられる。

幾久しく人生を楽しんでもらいたいという願いを込めて。

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主人が亡くなって人生のどん底に落ちた時、こんな幸せな時間を持てるとはまったく想像しなかった。
人間万事塞翁が馬、としみじみ思う。

辛くてガックリとうなだれた時も、鼻水を垂らしながら泣いた時も、とにかく前を向くことしか考えなかった。
そうせざるを得なかった。

さあ、これからが人生の正念場。
どんな時間が待っているか、わくわくしているわたしがいる。

前日に還暦のお祝いにお友達から戴いた赤いタイシルクのスカーフも、賑々しく寿いでくれているかのよう。
赤い色に囲まれつつ、これからの人生に思いを馳せる。

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今生の人生で出会ったすべての人達、出来事に感謝しながら、これからも生きていこう。
こんなに素晴らしいご褒美をもらったのだから。


つづく
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大嶽山那賀都神社の節分祭で豆まきをした!(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

急に憧れの豆まきをやらせてもらえることになったわたし。
崇敬会の方や宮司の日原先生がいらっしゃる一段上がった神前の間に出て行ったのだが、知らず知らずのうちに喜びを隠しきれずニヤニヤしていたに違いない。

ふんどし息子にカメラを渡して、写真を撮るように頼む。
何といっても12年に一度の大チャンス。
今度は72歳にならないとできないのだから。

いくつもある段ボールの中には紅白の餅、豆菓子、チョコレートやインスタントラーメン、コーヒーやスポンジ(何故スポンジが?)等が入っている。
これらはすべてご祈祷の際、神前の炎で浄化されたものだ。

升を渡され、いよいよ豆まきが始まる。

日原先生や崇敬会の面々の掛け声に合わせ、わたしも「鬼は外、福は内!」と叫びながら善男善女に向かって、いろいろなお菓子や餅を撒く。
参列者は皆、事前に配られたビニール袋にかき集めたものを詰め込んでいく。
中には袋に入りきらず、もう一つ袋をもらう人もいる。

こちらの端の方にはあまり撒かれていないみたい。
あのお年寄りの辺りは撒かれ方が少ないみたいだから、たくさん撒いておこう。

皆さんの様子を氣遣いながら、あちらこちらにお菓子を撒く。
普段人から注目されることのない凡人のわたしにとって、こんな機会はあまりない。

なんか、楽しい。

10分ほどですべての段ボールは空になった。
席に戻って、ふんどし息子に撮ってもらった写真を確認する。
せっかくの年女の豆まきというのに、フレームの端っこにしか写っていない。

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ちっ、ふんどし息子のヤツめ。
せっかくの豆まきなのに、こんな写真しか撮れないとは。

一番ましな写真が、これ。
            
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その後、日原先生の奥様や崇敬会のご婦人方が作られた心のこもったお料理で、直会が始まる。

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直会の準備のお手伝いをしていると、ケーブルテレビの方がいらして「さっき豆まきをされていた方ですよね?インタビューをしていいですか?」と、聞いてきた。

なに?インタビューとな?

こ、これは視聴者の皆さんに大嶽山那賀都神社を売り込む大チャンス!
鼻の穴を膨らませて、素敵な美人インタビュアーからの質問に答えるわたし。

「豆まきをされた感想は?」
「ここはあなたにとってどんな神社ですか?」
「今年の抱負は?」

思い切り氣取って答えるわたし。
なんといってもテレビに映るかもしれないのだから。

「ここはどうやって知ったんですか?」という質問に「わたしはキャンプ場をやっているんですけど、そこの案内をするためにこの辺りを調べていて知りました」と答えた。

インタビューが終わると、カメラクルーのカッコいいお兄さんが話しかけてきた。
「もしかして、ブログを書いていますか?」
「え?」動揺するわたし。

「あ、あのお、わたしのブログ、お読みになったんですか?」
「はい、ここの節分会のことを書かれてましたよね」
他のクルー達と目を見合わせるお兄さん。
「・・・・。」

わたしは初めてお会いした方から、わたしのブログを読んだと聞くと、激しく動揺する。
あまりに下らないことばかり書きまくっているので、どんなに氣取ったことを言ったりカッコつけたりしても、わたしが隠している恥部を知られていることがわかり、いても立ってもいられなくなるからだ。(なら書かなきゃいいのに、の声あり)

あんなに氣取って答えたのに「ぷぷぷ、このおばさん、カッコつけて答えてるけど、あの下らないコト書いてるヒトだよねえ?」と嗤われると思うと、穴があったら入りたいと思うほど恥ずかしい。

がっくりうなだれるわたし。

そんなわたしの心の痛みを知る由もなく、直会は進んでいく。
ヤケクソになり、3人のケーブルテレビのクルーの席に行き、名刺交換をさせて頂いた。
「ふるーつねっと」という山梨CATVの制作部の方達だ。

「写真を撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」と言うと、快く了解してくださった。
                         
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3人とも、とても和やかで優しそう。
社員さんのこういう雰囲氣って、社風が出ると思う。
きっと山梨CATVは居心地のよい会社なんだろう。

直会も終わりに近づき、参加されたお友達からわたしの豆まきの様子をタブレットで撮った写真を見せて頂いている際、「これ、一番いいと思うんですけど」と、一枚の写真を差し出された。

そこにはもっのすごくうれしそうな顔で、所狭しと思いっきり豆まきを楽しんでいるわたしの姿が。

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つああああぁぁぁ!!
こ、これは…!

アップにすると、なんだか底抜けにうれしそうで天衣無縫な表情。
あまり人には見せたくないおバカな感じ。
ぐはあ。

・・・ん?
そういえば、まったく意識から抜けてたけど・・・。

もしかしたらこれも撮影されてたかもしれないんですよね?
ってことは、こういった画像がテレビに映る可能性、あるんですよね?

・・・(汗)。

い、いいんだもんねっ!

もし撮影されていたとしても、こういうのってカットされることが多いと思うし。
万一放映されたとしても、視聴者でわたしのことを知っている人なんかいないだろうし。
そ、それにわたしは山梨のケーブルテレビを観ることができないから、関係ないもんねっ!

・・・と、強がってはみたものの、せっかくの放送です。
もし観ることができる方がいらっしゃったら是非ご覧くださいませ。

取りあえず、放送時間をお伝えしておきます。

2月16日から18日の7時、13時、19時に放送するそうです。
あー、観たいような観たくないような。

コワいよう。

つづく




大嶽山那賀都神社の節分祭で豆まきをした!(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

2月3日、今年もふんどし息子とともに、大嶽山那賀都神社の節分祭に行ってきました。
鎌倉は二日前に雪が降ったばかり。
凍結を心配しましたが、天の助けか、幸い暖かい朝を迎え、駐車場に10時過ぎに着くことができました。

参道に向かうと、標高が高いだけあって、雪がかなり残っている。
雪を踏みしめながら沢沿いの道を歩いていると、片栗粉を踏んでいるかのようにギシギシと音がする。
前方に、わたし達同様節分祭に向かわれているご夫婦の後ろ姿が見えるが、せっかくのお祭りだというのにあまり人影がない。

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雪の大嶽山那賀都神社は静寂に包まれ、息をのむほど美しい。

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やっと拝殿に辿り着くと、崇敬会の皆さんはすでに節分祭の準備に、忙しく立ち働いていた。

実は、わたしとふんどし息子も去年から、大嶽山那賀都神社崇敬会初の県外役員として参加させて頂いている。
皆さん、とても真面目で氣持ちのよい方々ばかりだ。

ご挨拶を申し上げ、ふと見るとテレビクルーと思しき男性がカメラの準備をされている。
カメラにはCATVの文字が。

そっか。
ケーブルテレビで今日の節分祭を放送してくれるのね。

大嶽山那賀都神社の大ファンを自認し、崇敬会の末席を汚しているわたしとしては、とってもうれしい。
どんな素晴らしい神社であっても、この情報化社会においては「まず知ってもらう」ということが何よりも大切だと思うから。

11時になり、大太鼓が始まりを告げる。
厳かな雰囲氣の中、節分祭が始まった。

カメラクルーが、お祭りの様子を撮っている。

              
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わんわん、わんわん。
本殿の外から犬の鳴き声が響いてくる。

わんわん、わんわん。

しばらくして鳴き止むかと思いきや、ずーっと鳴き続けている。

わんわん、わんわん!わん!
わんわん、わんわん!わん!わん!

ワンコに罪はない。
飼い主様が急にいなくなって、寒い中取り残されたと思いきや、隣の建物の中から太鼓の音や聞きなれない声が聞こえてきたのだから「大丈夫ですか?ホントに大丈夫ですか?このままここに置いて行かれるなんてこと、ありませんよね?それから寒いんですけど」とばかりに、鳴き続けているだけだ。

わんわん、わんわん!わん!
こらこら、そんなに鳴いちゃって、喉が痛くならないかな?

わんわん、わんわん!わん!わん!
・・・・。

わんわん、わんわん!わん、わわん!

ごらあ!
うるさいんじゃあ!!

せっかくの撮影なのに、鳴き声が入っちゃうじゃないかぁ。
飼い主め、なんとかせいやあ!!

はっ、いかんいかん。
わたしとしたことが。
心の声がつい下品になってしまった。

それはともかく。

ワンコが鳴き続けようが、節分祭は粛々と進み、いよいよ恒例の豆まきになる。
すると、崇敬会の方が「年男、年女の方はいませんか?」と列席者に向かって声をかけた。

おっ、わたしだ!
元氣よく手を挙げる。

人によっては「年がバレる」と嫌がる人もいようが、わたしはまったく氣にならない。
「それでは前に出て豆まきをしてください」と言われ、うきうきと前へ出るわたし。

実は、前からこれ、やってみたかったの。

急に憧れの豆まきをやらせてもらえることになり、のぼせ上って興奮したわたしは、さっきまであんなに氣にしていたテレビカメラのことなど念頭からすっかり消え去っていたのでした。

つづく

もう還暦、まだ還暦

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一昨日、誕生日だったわたし。
なんと還暦を迎えました。

いやー、60歳って凄いですね。
何が凄いって、実年齢と今ここにいる自分との氣持ちの乖離がもの凄い。

確かに孫は2人いるものの、そして「ばーば」なんて呼ばせているものの、自分がばーさんという実感が恐ろしいほど、ない。

昔、「お年寄りって、何でも世間のことを分かっているんだろうなあ」なんて思っていたものだが、いざ自分がその立場になってみると「なーんだ、若い時と感覚も知識もあんまり変わんないじゃん。もしやあの時の年寄りたちは、分かっているフリをしていただけなんじゃ?」と邪推してしまう。

いやいや、もしかしたら「今の年寄りは昔の年寄りより若い」なんておだてられているけれど、洗脳世代が年寄りになっただけだから、単に幼稚になっただけかもしれぬ、とも思う。

それはともかく。

数々の病氣、事故、手術により冥途に行きかけながらも無事生還し、3年前は頭蓋骨骨折による脳挫傷、去年は肺炎で2回ボケ老人になりかけた88歳の母。

特に去年の肺炎の際は、非常に評判の悪い横浜のK病院に入院させられ、あやうく植物老人になりかけ、医療の闇を垣間見た。

母が冥途に行きかけた(2)

そんな母が衰弱し、2週間前に再び入院した。

K病院から退院したあと、「先生ったら、あんなヒドイ病院を紹介して。K病院だけは死んでもイヤ!!あんなところで死ぬくらいなら、どこにも行かず自宅で死にたいっ。」と、母から散々恨みつらみを言われ、懲りたらしいホームドクターは、今回はH病院に入院の手続きをしてくれた。

またもや管につながれ意識が朦朧となり、親族一同に「三度目の正直で、今度こそダメなのでは?あの世に逝かずともボケてしまうのでは?」と思わせたにも関わらす、今回も不死鳥のように蘇りました。

我が母ながらなんてしぶとい、もとい生命力に溢れているんだろう、と感心する。

1月24日に母が退院することになり、一人暮らしの母が心配で実家に泊まりました。
退院することができたとはいえ、杖を突きながら歩く姿は足元もおぼつかない様子。

が、今まで精神力で過酷な人生を乗り越えてきた母らしく、声だけは元氣そのもの。
早く横になるように促したが「夜、寝られなくなるから」と言って、炬燵の母専用のリクライニングチェアから離れようとせず、ずっとおしゃべりをしている。

「ボケを防ぐには、おしゃべりが一番」と聞いたことがあるが、まさにボケを一掃するかのようなしゃべりっぷり。

夜になると「一緒にビールで乾杯しよう」と言い出し、驚きあきれるわたしをしり目に、いそいそとグラスを手にする母。

いやいや、だってあなた、今日退院したばかりですよ?
衰弱し意識が朦朧となり、ついこの間までおむつを履かせられていたんですよ?
それなのにビールって・・。

が、ここで断ったら、あの世に逝った時「あの時は美味しいビールが飲みたかったのに、娘に止められた!」と、閻魔様に報告されるやもしれぬ。

仕方なく一緒に飲むことにしたが、当然のことながら病み上がりの母にそんなに飲ますわけにはいかない。
母のグラスにビールを1センチぐらい入れ、母の退院とわたしの誕生日に乾杯し、トイレに行った。
後ろで「これ、いつもより苦く感じるわ」と母が呟いている。

そりゃ、そうだろう。
血中酸素濃度が60%台になり(健常者の正常値は96~99%。90%以下となると急性呼吸不全を引き起こす可能性あり)、2週間も入院して病院食ばかり食べていたんだから。

トイレから戻ってみると、新たな缶ビールが2本、テーブルに乗っている。
…杖を突きながら、冷蔵庫に取りに行ったのね。

嬉しそうに自分のグラスにビールを注ぎ、止める間もなく美味しそうに飲み干しながら「やっぱりうちはいいわあ。今回の入院はとても快適だった。看護婦さんは親切で、呼べばすぐ来てくれるし、いつもトイレに付き添ってくれるし、髪も洗ってくれるし。わたしの口にはそんなに合わなかったけど、食事もよかった。K病院は地獄だったけど、今回のH病院は天国だったわぁ」と話す。

そう、去年入院したK病院は、ブザーで呼んでも一時間も待たせる、トイレに行きたいと言っても「オムツの中でしてください。3回大丈夫だから」と言われる、味のしない謎の緑のゲル状のものが毎食出る等、入院経験百戦錬磨の母をして「ここは地獄」と言わしめた。
(さっきK病院の口コミを調べたら、嘘ばかり書いてあった。皆さん、病院の口コミは当てになりませんよ。ああ、実名であれやこれやをぶちまけたいっ!)

入院費はほぼ同じなのに、対応が全く違うK病院とH病院。
老後の病院選びはホントに重要だと、母を見ていてつくづく思う。

還暦のわたしにとって、米寿の母は老後の道しるべだ。

体が動かなかろうが、人の手を煩わせまいと、できるだけなんでも自分でやろうとする。
大人としてのプライドを持ち、好奇心を失わず、常に努力を怠らない。
自分の欲のみでお金の使い方を考えず、人に親切であろうとする。

母の家の2階にはわたしの娘一家が住み、すぐそばに会社経営をしている姉が住まいを構えている。
ひ孫がしょっちゅう遊びに来てにぎやかに暮らしながらも、プライバシーが守られている環境は、今の社会では理想的ともいえるだろう。
そして中年まで小太りだったのに、今はいくら食べても体重が35キロ以上増えないと悩んでいる母は、わたしにとっては希望の星だ。(ここ大事)

かくあれかし、と思う。

興奮が収まったのか、10時半過ぎにやっと寝る氣になった母に、2階に住む娘の家に行くことを告げる。
娘が「明日はママの誕生日だから、お祝いしよう」と言ってくれたのだ。

優しい娘や息子、孫に囲まれ、老いてはいるが自立した母がいて、狭いながらも暖かく暮らせる住まいがある。
貯金はないが、望めば美味しいお酒や食べ物をたらふく飲み食いすることができ、やりがいのある仕事もある。
これ以上、何を望もうか。

願わくは、できるだけこの幸せな時間が永く続きますように。

外に出ると、凍てついた空氣が澄み、いつになく星が美しく瞬いている。
一昨日降った雪が、溜まってしまったあらゆる汚れを落としてくれたかのように。

そうだ。
「まだ還暦」と母が教えてくれている。
赤いちゃんちゃんこなど、着ている場合ではない。

恐ろしく出鱈目で残酷で面白いこの世界に、今、わたしが生を受けているのも、きっと何か意味があるはずだから。



つづく

酒の失敗ー忘年会編(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

忘年会の会場のあちこちで、笑い声が響く。
ビールの後は、熱燗の日本酒を美味しく戴き、初めてお会いした方達や久し振りにお会いした方々とのおしゃべりに、否が応でも盛り上がる。

空きっ腹にアルコールを流し込んだわたしは、徐々に酔いが回っていった。
計算外にも、長時間着物を着ていた疲れも影響していたと思われる。
「ガハハッ」と笑いながら腹を突き出し(これ、いつものわたしの酔った時のサインですな)カウンターに座ったわたしは、完全に酔っぱらっていた。

最近、若い時との違いで顕著なのは、酔うと記憶が消えること。
しばらくすると徐々に思い出すのだが、その恐怖たるや、年を取ってボケ症状を指摘された時のように半端ない。
外郭は分かっているつもりでいるのだが、指摘されて初めて「そう言われてみればそんなことがあったかも」といった具合。

今回もそうだった。
楽しくお酒を飲んだ後、ふんどし息子に引きずられるようにしてタクシーで帰ったことは大体覚えている。

が、朝になったら詳細の記憶はすっかり抜け落ちていた。

ふと、眉を動かすとおでこが痛い。
触ると大きなタンコブができていた。

「そういや、駅でふんどし息子の振り回したカバンに当たったんだっけ」
むっくり起き上がるとフラフラと朝風呂に入り、湯船に浸かりながら体をチェックする。

ん?
足の裏が真っ黒だ。

???

わたしは足袋を履いていたはず。
帰宅して、着物を脱いだ時に一緒に足袋を脱いだのだから、間違いない。

なのに、何故?

ふんどし息子を起こし、お風呂に入るように促す。
お風呂から出てきたふんどし息子は「いやー、昨日は酷い目にあった。大変だったよ。ママ、一番酔っぱらってたよ」と、酔っ払いが一番聞きたくない「酒を飲んだ上での蛮行」を糾弾し始めた。

「もうさ、お店を裸足になって歩くし。ママ、脱ぎ癖があるんじゃないの?酔っ払ってるから帯は変になっちゃうし、駅では暴れるし。オレ、ホント大変だった」

え?
裸足って・・。

ウソでしょ?
そういえば、足の裏が真っ黒だったけど、あれってそういうこと?

背筋に冷たいものが走る。

「いろんな人に絡むしさー、もう参ったよ」と、ため息交じりで、が、どこか嬉しそうに話すふんどし息子。

あー、そんな話、もう聞きたくないもんね。
二日酔いのタンコブのできた頭で、がっくりとうなだれるわたし。

んもう。
バカバカ、わたしのバカ!

初対面の皆さんに好印象を与えようとしたはずなのに。
好印象どころか、変なおばさんに見られた可能性大。
というより、もはや確定・・・。

着物に裸足という、なんたるミスマッチ。
酔っぱらった赤ら顔で、裸足でペタペタ歩く着物を着たおばさんって・・。

すでにホラーじゃないですかあっ!!

なんで・・なんでこんな大惨事に?
ちょっといいとこの奥様然とするんじゃなかったのか?
婦人公論の楚々としたおば様はどうした?

ううう・・・。
着物は抑止力どころか、小太りの年老いた市松人形のような悪目立ちの効果があったに違いない。

散々ふんどし息子に上から目線で叱られたわたし。
が、徐々に記憶が蘇ってきた。
それはヤツの記憶とは似て非なるものだった。

酔っぱらってカウンターに座った時、足先が痛くてしょうがなくなっていた。
足袋を脱いでみると、カッターで切った傷の周辺が赤くなり、腫れている。

治りかけた傷が、歩いたり長時間草履を履いたために、擦れて腫れてしまったようだった。
いつもなら我慢するのだろうが、酔いが回っていたわたしは、あまりの痛みに草履を履くのを諦め、仕方なく裸足で歩くことにしたのだった。
(それもどうかと思うが)

それを見たふんどし息子は、わたしが酔ったために裸足になったと思い込んだのだった。

ふんどし息子め。
わたしは理由なく酔って裸足になったワケではない!
駅から無理やり歩かせてからに。
お前のせいでもあるんじゃっ。
(すでに八つ当たり状態)

知らない人が見たら、ただの酔っ払い裸足おばさんじゃないですかあ!!
(いや、そうだけど)

それはともかく。

もう一つの敗因は、わたし達は二人とも、帰る時間をまったく意識していなかったこと。
懇親会は20時30分に終わると思っていたので、その時間になったらお開きの合図があるとばかり思い、油断していた。
が、懇親会の二次会の会場は同じお店だという情報が、全く念頭から抜け落ちていた。

そう、わたし達の知らない間に、すでに懇親会は二次会に突入していたのだった。
楽しさに時間を忘れた浦島太郎のように、氣が付けばギリギリ終電間近になっていた。

「母は酔ぱっらっている。オレがなんとか家まで連れて帰らねば!」
義務感にかられたふんどし息子は、急ぎ母に足袋を履かせ、自分も酔ってハイテンションになったまま、帰り支度をしていたわたしの手をひっつかみ、猛然と駅へと走り出した。

ふんどし息子はトンビコートを翻し、走る。
母の手を引っ張り、鬼のように商店街を駆け抜け、改札をすり抜ける。

「ちょっと待って。まだバッグを持ってないよ!」と叫ぶわたしの声は、ヤツの耳には届かない。
なんせふんどし息子もかなり酔っているのだから。
彼の頭にあるのは「なんとか母と無事終電に間に合い、帰宅すること」のみ。

「ちょっとー!待ってって言ってんのっ!!」
わたしは必死にふんどし息子の手を放そうとするが、元々ヤツは力が強い上にお酒がかなり入っているのだから、無理というもの。

手を振りほどこうとするわたしを「酔って暴れている」と認識したふんどし息子は「いいかげんにしろよ!」と叫び、取り押さえようとする。
もみ合っているうちに、眼鏡もどこかに飛んでいく。

その時、ポットの入ったふんどし息子のカバンが、わたしのおでこに当たった。
「ゴッ」と鈍い音がする。

「痛い!なんなのよう」
涙目で恨めしそうに自分を見る母の姿に、動揺し、我に返るふんどし息子。

「だーかーらっ!バッグを持ってないって言ってんのっ!!しかも眼鏡もどっかいっちゃったし!!!」
「あ、ゴ、ゴメン・・。とにかくバッグを取ってくるから、ベンチに座って待ってて」

再び下駄を鳴らしながら、お店に戻るふんどし息子。
痛みと怒りで、半べそをかきながら仁王立ちになるわたし。

結局、乗ろうとしていた電車にも乗れず、わたし達親子はいがみ合いながら、眼鏡は行方不明のままなんとか湘南台駅からタクシーに乗り、よれよれになり帰宅したのだった。

ああ、朝の晴れ晴れとしあの姿や、いずこ・・・。

それにしても、ふんどし息子とわたし。
同じ時間を過ごしても、立場の違いによって、見方がこんなに違うとは。
芥川龍之介の「藪の中」、いや、黒澤明の「羅生門」にも勝るとも劣らない(?)壮絶な惨劇でしたなあ。

それはそうと。

着物を着たことのある方ならお判りになると思いますが、長時間着物を着ていると、特に女性は着崩れを直さないと、襟は前に落ちてくるし、裾だって乱れがち。
しかも、普段洋服を着ているものだから、足だって開いてしまうことが多い。

だけど現代人にとって「着物を着る」というのは「ハレ」の日の出来事だから、その時間はお行儀を意識して過ごすから何とかなっているワケで。

ああ、あの場面、この場面。
懇親会会場の自分の姿を想像するのは、あまりにコワいので止めました。

「できるものであれば、あの会場にいた一人一人を捕まえて『あの時の記憶の履歴の削除』ができたら、どんなにいいだろう・・・」と夢想する今日この頃。

今回、学習しました。
「着物を着ていけば、いつも身だしなみに氣を付けていなければならないし、そんなにお酒をがぶ飲みできないだろうから、相当な抑止力を発揮するに違いない」と書きましたが、あれは大間違い。

酔っぱらえば身だしなみなんてどうでもよくなるし、お酒のがぶ飲みもするし、抑止力は全くないことが判明しました。(あくまでもわたしの場合は、ですが)

わたしは過去の自分に言いたい。

お酒を飲むときは、姑息な手段を使ってはいけない。
「よっしゃあ、どんとこい!」とばかりに堂々と迎え撃つべきである。
小手先のごまかしをしようとすると、大やけどをする。

人生と同じですな。
おでこのタンコブをさすりながら、決意も新たにするわたしなのでした。(何の?)

つづく
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マキおかん

Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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