大嶽山那賀都神社と差出磯大嶽山神社との驚きの関係とは

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昨日はふんどし息子とともに大嶽山那賀都神社の大掃除に伺ってきました。
宮司の日原先生ご夫妻を含めた12名によって、社殿はお正月にいらっしゃる善男善女をお迎えする準備が整えられました。

以前も大嶽山那賀都神社との出会い等について書かせて頂きましたが、本当に素晴らしい神社です。
大嶽山那賀都神社ってすごい(2)

奥様手作りの昼食を戴いている最中に電話が鳴り、先生が対応されているお言葉を聞いていると、どうやらお札を受けた方がお子さんを授かったらしい。
とても喜ばれていて、漏れ聞いているわたし達も嬉しくなる。
さすが霊験あらたかな大嶽山那賀都神社、と改めて崇敬の念が湧きあがる。

大嶽山那賀都神社は、その昔、山岳信仰として至るところにこの神社の講社組織があり、山を越えて毎日のように沢山の信者が訪れ、拝殿や本殿に寝て帰ったという。。
春の例大祭には18キロほどある塩山までの道が人の途切れることがなかったといい、山梨県人で大嶽山を知らないのはモグリなんて言われた大嶽山。

丁度いい機会だったので、以前からわたしが疑問に思っていた、山梨市にある差出磯大嶽山神社との関係について質問をしてみた。

差出磯大嶽山神社は「大嶽山」という名前を使い、裏側には「大嶽山那賀都神社」との看板もあり、神社の御印まで同じものを使っている。
山梨市の差出磯大嶽山神社は、古今和歌集・関東の富士見百景「差出の磯」を謳っているが、その佇まい、雰囲気が三富村にある大嶽山那賀都神社とは全く異質なものでとても奇異に感じていた。

大嶽山那賀都神社のホームページには「※当神社(宗教法人)は、山梨市万力の大嶽山(個人)とは関係ありません。」との文言があるが、いったいどういうことなのか。
何も知らなかった頃は「山宮」と「里宮」の関係なのか、とか「本社」と「末社」「分社」の関係なのか、と思っていた。

日原先生に伺ってみたが「うちとは一切関係ありません」「とても迷惑している」というお言葉しか返ってこない。
どうやらこの件についてあまり語りたくないご様子。

そこで一緒にお掃除をしていた地元の情報に詳しい古老の方にお話を伺ってみた。
すると驚きのお話が。

山梨全土にその名をとどろかせた大嶽山は山梨県中に講社組織があり、大祭の際には当番制の世話人が代表で神社に来て、地域に持ち帰ったんだそう。
その頃山梨県下の多くの氏神様には、一角に大嶽山の碑やシンボルマークの剣、社が建てられており、大事にお祀りされていたが、時代が進むにつれ信仰心がすたれ、今では講社組織も数えるほどしかなくなってしまった。

昭和初期にある事件が起きた。
地域の信者さんに声をかけ皆を連れてくる今の山梨市の先達の一人が、神社に納めるべきお金を着服するということが起き、神社側はその先達を辞めさせた。

ところが昭和50年代に、信者さんから「山梨市に『大嶽山那賀都神社』という大きな看板を掲げ、神社のような振る舞いをしているところがある」というの知らせがあり、調べたところ無断で名前を騙っていることがわかり、申し入れをしてその看板を下ろさせた。
それが今の差出磯大嶽山神社とのこと。

しかし60年代に、再び同じ看板を掲げていることが判明し、怒った大嶽山那賀都神社が差出磯大嶽山神社側と話し合いをしたが、生活のたつきにしていると泣きつかれ、温情の処置として「大嶽山」という名前を使うのは仕方がないが「那賀都神社」という名前を使っては困るとしてその場は収まったのだという。

意外なことに差出磯大嶽山神社は宗教法人ではなく、全くの個人経営なのだそう。
(「神社」と名乗っても法律的には問題ないらしい)

まさかこんな関係だったとはだれが思うだろうか。
思ってもみなかった話に驚愕するわたし。

そんなバカなことってあるんだろうか?
まさに「なりすまし」。

先生がそういった経緯はを仰らないのは、神社という信仰の場において、このような不愉快なお話を皆さんの耳に触れさせたくないという神社を預かる者としての矜持なのか、とも推察された。
素晴らしい大人の対応だし、宗教者としてはかくあるべし、とも思う。

でも、本当にそれでいいのだろうか、と浅薄なわたしは考える。
今では山梨市の中では「大嶽山」というと「差出磯大嶽山神社」と信じられているという。

そしていろいろな公共施設にも差出磯大嶽山神社のイベントのチラシが置かれ、何も知らない善男善女が足を運んでいるらしい。
こんないきさつも知っている人はほとんどいない今、時代が進むにつれ全く違う歴史が語られるようになってしまうに違いない。

一時の情けや温情が歴史を変えてしまう可能性があるとは・・。
「ウソも百回言えば本当になる」は、ある意味真実だ。
恐るべし、時間の流れ。

「なりすまし」があらゆるところで跋扈するこの時代、情報の爪痕だけでも残しておくのは次世代に対するわたし達の責務だと思う。

幸いにも(?)わたしは宗教者でもなければ、体は老婆だが精神的には大人じゃない、ただのおばさん。
こ、これは書いておかなければっ!

そういった経緯から、わたしの独断でこのお話をブログに載せさせて頂くことに決めました。
これはあくまでも伝聞ですので、確かな証拠はありません。
もし「それは事実と違う」とか「こんな話を聞いた」という方がいらっしゃいましたら、是非ご一報くださいませ。

それはそうと。

昨日とても面白い話を聞いた。

社伝に「天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼び、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。」とある。

この「昼夜連日鳴動」が、あの3・11の前後続いたという。
下から突き上げるような鳴動が3・11の当日はピタリと納まったのは不思議だったと皆さん口をそろえた。

うーむ、「甲斐の御用」の「鳴門の仕組み」なのか?

とにかく凄いぞ、大嶽山那賀都神社!!

※追加情報頂きました。
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ご存知かと思いますが、差出磯は古くから景勝地として有名でした。
私は幼稚園時代は、バスがちょうど亀甲橋を渡って差出磯にぶつかり、万力公園方面に曲がるとすぐ、みずやという風情のあるお宿がありました。(明治時代のものだったでしょうか)
みずやが老朽化でなくなった…と思ったら、派手な建物が?!?!
1990年代?にひょっこりできたものです。
10年ほど前でしょうか、「なにこれ、こんなものあった?」と、親戚一同から言われるもので、私が近隣の友人知人・文献に調査を入れました。
文献に至っては何もなし。歴史もないことが証明されました。
差出磯大嶽山にも行ってみましたが、看板には差出磯自体の歴史しか書いてなく、肝心の神社の説明は何もないという意味のないものでした。

やはり最近は、あれが本気で歴史的神社だと思っている方は非常に多いですし、場所も目立ちますし、様々なイベントを行っているので勘違いされている方も多いです。
観光案内やパンフレットにもちゃっかり載っている有様です。
ホームページにも看板にも説明書きにも、ウィキペディ○から貼り付けたような差出磯」の説明しかなく、肝心の神社の由来は一言もなし。
呆れました。

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あの「お宮」ができたのは、私は1990年代前後と記憶しています(記憶が曖昧で申し訳ありません)。
バブルでお金でも入ったのでしょうか?!
以前は、本当に磯と、1980年代に解体されたみずや(亀甲亭)しかなく、まさか崖になっていると思っていた磯の上に登れるとは思っていなかった・しかも神社ができるとは!と驚きました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わたしの知人が、直接ご夫婦に伺ったお話です。

あるご夫婦が、山梨県では昔から有名な「大嶽山」に参拝したいと思い、差出磯大嶽山神社にお参りし始めた。
熱心に何回か通ったある日。
神殿に向かい手を合わせていると頭の中で「ここじゃないっ!」という怒気を含んだ声が聞こえた。
不思議に思ったご夫婦がその声を信じていろいろ調べ、三富村に大嶽山那賀都神社があるのを知った。
初めて大嶽山那賀都神社に参拝した時「わたし達が探していたのはここだった!」という確信に満ちた氣持ちが湧きあがり、以来熱心な信者になったという。

つづく
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No title

あらら、書いてしまいましたか。もっとも、私もブログをしていたら書いていたことでしょう。友人等には伝えています。
差出磯の大嶽山、あれは似非です。
ご存知かと思いますが、差出磯は古くから景勝地として有名でした。私は幼稚園時代は、バスがちょうど亀甲橋を渡って差出磯にぶつかり、万力公園方面に曲がるとすぐ、みずやという風情のあるお宿がありました。(明治時代のものだったでしょうか)
みずやが老朽化でなくなった…と思ったら、派手な建物が?!?!
1990年代?にひょっこりできたものです。
10年ほど前でしょうか、「なにこれ、こんなものあった?」と、従妹をはじめ親戚一同から言われるもので、一族の歴史担当(そんな部署はないですがそういうことを押し付けられています)・私が近隣の友人知人・文献に調査を入れました。だいたいそのような話です。文献に至っては何もなし。歴史もないことが証明されました。
差出磯大嶽山にも侵入してみましたが、看板には差出磯自体の歴史しか書いてなく、肝心の神社の説明は何もないという意味のないものでした。ガイドの役も成さない看板。呆れました。

仕事であの近隣の公共施設に行くと差出磯がよく見えるのですが、寂れた、いや、ひなびた山梨市の風景に派手派手な建物が浮いていて、頼むから潰れてくれんかなーと思っているのでした(黒笑)

今年はひょんなことでお会いでき、驚きましたが有難うございました。息子さんの開業等おめでとうございます。スピリチュアリズムには深入りしない方針ですので、セラピスト系のお話になりますとよくわかりませんが、多くの方のお力になりますようにお祈り申し上げます。よいお年をお迎えくださいませ。

Re: No title

AAA さん、やはりご存じだったのですね。
わたしはこのことはもっと多くの方に知って頂きたいと思っています。

よろしければ今回教えて頂いたことを記事に反映させて戴きたいのですがいかがでしょうか?
よろしくお願いいたします。せ。

No title

申し訳ございません、昨夜は勢い任せで「潰れろー」などと乱暴なことを書いてしまいました。ああ、名誉毀損になってしまう……
が、内心間違いなくそう思っておりますことは否定しません(^_^;)
それに、名誉毀損で訴えられたら、こちらは逆に訴え返せますね?!

私も「あそこは違うから!」と広めたく、友人には伝えておりますが、やはり最近は、あれが本気で歴史的神社だと思っている方は非常に多いですし、場所も目立ちますし、様々なイベントを行っているので勘違いされている方も多いです。観光案内やパンフレットにもちゃっかり載っている有様です。
ホームページにも看板にも説明書きにも、ウィキペディ○から貼り付けたような差出磯」の説明しかなく、肝心の神社の由来は一言もなし。一種の霊感商法・宗教ビジネスと解釈しております。

あの「お宮」ができたのは、私は1990年代前後と記憶しています(記憶が曖昧で申し訳ありません)。バブルでお金でも入ったのでしょうか?!以前は、本当に磯と、1980年代に解体されたみずや(亀甲亭)しかなく、まさか崖になっていると思っていた磯の上に登れるとは思っていなかった・しかも神社ができるとは!と驚きました。

記事に反映されることは一向に構いません。よくわからない神社や偽パワースポットに騙される方が増えるよりは、私の拙い記憶でも使って頂いて結構です。

親は「関わっちょし。偽モンはいずれ潰れるだよ」のスタンスですが…今はネット時代ですから、そうも言っていられないかとは感じます。

本来はきれいに突き出た磯に橋、橋のたもとに宿、と、風情ある場所でした。橋の形は少々変われど、1980年代までこの光景でした。(ウィキペディ○内に写真あり→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/差出の磯)

………と、長文の連投失礼致しました。

今度こそ失礼致します、年の瀬のお忙しいところ失礼致しました。よいお年をお迎えくださいませ。

Re: No title

AAA さん、ありがとうございます。
早速記事に反映させていただきました。
何故かこれが今年最後のわたしのお仕事になりました。

また何かありましたらお知らせくださいませ。


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Author:マキおかん
気が付いたらキャンプ場をやっていたマキおかんです。

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